Neetel Inside 文芸新都
表紙

グレイスケイルデイズ
-11-

見開き   最大化      

 老紳士に報告を入れたのは一週間後のことだ。壺は壊れてしまったが中身は取り出せたことだけを伝え、細かな話は引き取りに来て貰ったときにと頼む。都合がいい日付は向こうから伝えられ、当日、やはり黒塗りの車で老紳士は来店した。祭りの気配はすっかり消えたが、残暑はいまだに色濃い。
 挨拶も手短に済ませて歓迎するシロを落ち着かせてから、前に話を聞いたのと同じチェストと椅子に老紳士を誘導する。チェストには既に金魚鉢が置かれていた。老紳士は前はなかった金魚鉢を見て、
「涼しげですな」
 と一言呟く。鱗道は曖昧な相槌の後、準備しておいた紙箱と一冊の封書を取り出した。
「まずは……その、確認して貰えますか」
 鱗道が差し出した紙箱を受け取った老紳士はゆっくりと箱を開けた。おお、と感嘆を漏らすと中から鼈甲のブローチを取り出して嬉しそうに目を細める。品は、合っていたようだ。しばらくの間は老紳士が静かにブローチを眺める時間が作られた。シロはチェストの下で伏せて、耳を真っ直ぐに立てて舌を垂らし老紳士の嬉しそうな顔を見守っている。クロも鱗道と老紳士を棚か梁の上で見下ろしている筈だ。
「間違い御座いません。しかし、一体どのように? 詳しくお話を伺えますかな」
 老紳士の言葉に、鱗道は紙箱と共に用意していた封書を差し出す。
「俺は、話が得意じゃないもので……そこに、書いておきました」
 便箋に二枚ほどの文章であると告げると、老紳士はこの場で封を開いた。鱗道はそっと席を離れ、二人分の麦茶を取りに居間に向かう。
 文面は確かに簡素で短い。壺に妖怪としか言い様がないものが住み着いていたことや、光り物を集めたがっていたこと、その妖怪は金魚鉢に移動し、妖怪によって形を保っていた壺は割れてしまったこと、そうして中身が無事に取り出されたこと――を、シロやクロに関しての記述はないが、ほぼ事実そのままに書いてある。老紳士の表情は読み進める間に不可解そうに強張り、読み終えた後はそのままチェスト上の金魚鉢に向けられ、最終的に紙箱に落とされた。紙箱と中のブローチを見つめる視線はゆっくりと穏やかに弛んでいく。
「物は、これで確かに間違い御座いません。が、書面は到底信じがたい。荒唐無稽な壺を持ち込んだ私が言うのも妙ではありますが……「鱗道堂」さん……ただ、壺を上手く割ったとだけでも良いでしょうに、何故、このような書面を」
 老紳士は相変わらず背筋を伸ばし、鱗道に語りかけるときには顔を真っ直ぐに向けてくる。鱗道は視線も顔も少し横にずらしながら、手持ち無沙汰な手でシロを呼んだ。
「その文章を書くように言ったのは……俺の友人でして。その友人が、下手に誤魔化さずに本当のことを書いた方がいい、と」
 手はそのまま、寄ってきたシロの冷たい頭を撫で回した。老紳士はほう、と声を上げると、当然、
「そのご友人は、何故そのようなことを」
 と、問う。鱗道はそれを聞いてから、ぼんやりと老紳士を眺めた。最初の印象と変わらない、礼儀正しく、痩せた体にぴったりとスーツを貼り付けたような、品のいい人物である。ただ、今日もネクタイは巻かれていなかった。
「理由は、その、いくつかあったみたいですが……貴方の依頼品が、ブローチではなく、ループタイの飾りであったのが気になったようで」
 鱗道の言葉は当然、友人――猪狩が言っていたことそのままである。
「元は、確かに女物のブローチですが、男物のループタイに加工されてる……となれば、現当主の奥さんのものじゃなく……既に亡くなられている人物の――例えば、前当主の奥さんの遺品だったのではないか、とか」
 老紳士は顔色一つ変えずに、じっと鱗道を見ている。真っ直ぐで静かな目に見られながら、憶測を語るのは居心地が悪かった。が、聞かれれば答えろとも猪狩に言われていたのである。
「他にも……貴方が車で来たことや、依頼料のことだとか……――まぁ、その、それで、嘘や取り繕いなんかせずに、伝えた方が良いと。その手の人物は、隠すことには慣れてるが、隠されることは嫌う、とも、言って」
「ご友人には何を話されたのです?」
 老紳士の言葉は穏やかである。怒っているようにも、笑っているようにも見えず、ただただ穏やかだった。鱗道は深く探らない。漫然と老紳士を見返し、
「貴方から聞いたことをそのまま、ですよ。俺は、お分かりの通り舌が回る方じゃない。後は……文章にも書いたとおり……そいつもその場に居合わせたんで」
 思い付くままに返答する。正直に語るべきか、適当に濁すべきかで迷ったときに、猪狩の助言に従ったのは事実であるが、それだけだ。猪狩と違って気にはならないし、気にもしない。この老紳士が誰であれ、何者であれ、ブローチかループタイの違いも無関係である。
 鱗道の言葉を聞いた老紳士はにっこりと笑うと、
「奇っ怪なものを収集するという「鱗道堂」さんのご友人も、奇抜な方のようですな」
 と、静かに紙箱の蓋を閉じた。鱗道が老紳士の真実に興味がないことを察したのだろう。一度深く閉ざされた瞼が、まるで礼のように見えた。
「さて、それでは依頼料の話を致しましょう。すでにお伝えしているとおり、言い値をお支払いいたします」
 瞼が開かれ、老紳士は微笑みながら鱗道を見据える。鱗道は腕を組み、落ち着きなく顎や頬を掻いた。
「……そのこと、なんですがね」
 言い出しにくい。が、クロやシロとも話し、〝金魚鉢〟とも話し合って決めたことである。が、それでも、言いにくかった。
「お代は結構なんで……この金魚鉢を、引き取って頂けませんか」
 今まで大きく表情を崩さなかった老紳士が初めて目を大きく見開いた。鱗道が指差す金魚鉢は、壺の中で光り物を集めて迷惑をかけていた妖怪が移動した金魚鉢である。驚くのも無理はないし、耳を疑うのも当然であろうとと鱗道も予想していた。しかし、
「その、書いておいたように光り物が好きなようで……金魚がいる金魚鉢を、えらく気に入ってる。水の入れ替えが必要なことだとか、他に光り物を引き込まないようにとか、その辺りは説明して理解してくれたみたいなんですが……うちじゃ、金魚を入手する手段がない。今いる金魚は、たまたま夏祭りで手に入っただけのものなんで」
 ちゃぷん、と金魚が水面を低く跳ねた。それを皮切りに金魚鉢の金魚が水中を目まぐるしく泳ぎ始める。水が掻き混ぜられ、泡が立ち、金魚鉢の影に虹が指した。すると、金魚は再び落ち着きを取り戻してゆったり気ままに水中を漂い出す。
「お宅には庭があって、池もあるようなので……その、そう言った伝手があるんじゃないかと思いまして。話はしたし、理解は得られたと思いますが、光り物を引っ張り込む可能性がないとは言い切れません。ただ……今度は壺じゃなく、金魚鉢なんで……中身は見えるし、口は広い。水の入れ替えは試したんで、その時にも取り出せる……まぁ、それでその、一週間ほど連絡しなかったんですが」
 老紳士はしばらく金魚鉢の金魚を見続けていた。こぽりと、ビー玉やおはじきの隙間から気泡が上っていく。
「分かりました」
「ああ、ですよね……まぁ、無理だとは――」
 鱗道は伏せかけた顔を素早く上げた。シロが鱗道の膝から顎を下ろし、側に座り直す。
「壺は元より当家にあったもの。当家にあるのが自然なことかもしれません。何かあればご相談させて頂くと了承して頂けましたら、この金魚鉢に金魚を欠かさないようにいたしましょう。壺が入っていた木箱がありましたな。あれに入れていけば、車内でも水が零れにくい。しばらく暗くなりますので、そのことを金魚鉢の者にお伝え願えますかな」
 柳の葉が揺れるように、老紳士の言葉は滞りない。鱗道が漏らした声は、返事とも溜め息とも判断の難しい、はぁ、などというたった一言であった。まず何より、この場で返事が貰えるとは思っていなかったし、すんなり了承されるとも思っていなかったのだ。一応は曰く付きの壺――そして今は金魚鉢である。老紳士の話から大きく変わらず、鱗道が渡した書面も荒唐無稽の一言であるはずだ。
「この店で、一番奇っ怪なのはご店主、貴方で御座いますなぁ」
 余程呆けた顔をしていたのか、老紳士は大層愉快げに体を揺らして笑っていた。鱗道にはその言葉にもまた間の抜けた、はぁ、という声しか返せない。座り直していたシロがチェストにのっそりと前足をかけて鼻先を金魚鉢に近付けると、
『よかったねぇ! ずっと金魚といられるってさ!』
 と、極力小さな声でひゃんひゃんと鳴きながら〝金魚鉢〟に語っている。その様子を見た老紳士は、
「君が説明してくれるのかね」
 と、シロの頭を一撫でした。シロは元気よくヒャン! という一鳴きと『うん!』という返事を、撫でられた喜びも乗せて老紳士に返していた。
 運転手に迎えと金魚鉢のことを伝えるために離席する、と言って老紳士は紙箱を片手に店の外に出た。ガラス戸には背を向けて、折りたたみ式の携帯電話を耳に当てている。会話の内容までは鱗道に聞こえてこない。
『あの紳士は何者なのでしょうか』
 鱗道がぼうっとしている間に事は順調に進んでいく。クロは壺が入っていた木箱を金魚鉢の横に並べて老紳士の背中を興味深げに見守り、
『一回この箱に入るからね。その間は真っ暗かも。でも我慢出来るよね』
 シロは〝金魚鉢〟とひゃんひゃんと小声の会話を続けていた。無味乾燥で臭いも質感もない声が、
『おれ、キラキラといっしょなら、待てる』
 と、シロに返事をする。続いて、
『キラキラ、いっしょ。キラキラ、いっぱい。おれ、しあわせだ』
 祭り囃子の太鼓のような拍子の声が金魚鉢の底から気泡を上げ、水面近くを金魚が不自然にちゃぷんと跳ねた。

 道中で捨てられる可能性があるのではないか――と、言いだしたのはクロであったが、結果として杞憂で済んだ。杞憂であったと分かったのは、「鱗道堂」に封書が届けられるようになったからである。封書の中身は決まって近況報告の手紙と数枚の写真であった。立派な玄関先で、洒落ていそうで高価そうな――鱗道には判別が付かないのだが――調度品の間、日の当たる場所に置かれた安っぽくレトロな金魚鉢が置かれている写真である。手紙によれば、壺ほどの頻度ではないものの光り物の雑貨が金魚鉢に入っていることがあるようだが、特に問題なく取り出せているようだ。また、金魚鉢に入っている光り物には無くして困っていたものもあるようで、気味悪がる者もいるにはいるが、壺の時ほど取り出せない、中身が見えないという不安もない為に大して敬遠されていないらしい。
 そもそも、金魚鉢のことは限られた人物にしか伝えられていないそうである。計四匹の金魚はまだ元気に泳いでいて、孫娘――何通目かの写真に写っていた、金魚鉢と並んでポーズを取る小さな女の子がそうだろう――が金魚鉢に随分と熱心であるそうだ。玄関先に置いてあるのもあってか挨拶を欠かさず、水の入れ替えや餌やりなどにも意欲的であるという。
『幼少時は〝彼方の世界〟と通じやすい、と仰っていましたね』
 手紙を眺める鱗道の肩でクロが言う。クロの目は写真をじっと見つめていた。金魚鉢にはビー玉やおはじきの他に水草などが増えていた。が、写真では金魚鉢に住む妖怪の姿形などは映り込まない。
「関係が良好そうで良かったな」
 文字が読めないシロは鱗道に代読を頼み、さらに要約を頼んで毎回、〝金魚鉢〟の近況を知る。そして満足げに、
『良かったねぇ。みんな、みんな良かったねぇ!』
 と、ひゃんひゃん鳴いて尻尾を振り回すのである。
 今回で四通目の手紙であった。今度の返信には、もう連絡は不要であること、ただ、何かあれば相談に乗るので遠慮なく、という旨を書こうと決めていた。相手に送る封筒に宛先は既に書いてある。届いた封筒は細かく破いて捨ててしまう。誰かに宛先などを読まれないようするためだ。個人情報、というものに対しての扱いは一応、鱗道も心得ている。
『本当に、相手について調べなくとも良いのですか?』
 毎回、細かく破られゴミ箱に捨てられる封筒を惜しげに見守るのはクロであった。クロにも封筒の宛先は見せていない。最初に封書が届いたときに見られたかも知れないが、さすがのクロも意識していなかった瞬間だけでは覚えられなかったらしい。
「構わんよ。シロじゃないが、穏便に事が済んで俺も満足してる」
 クロが知りたがっているのも知識欲を満たしたいだけ――あるいは、猪狩の憶測が当たっていたのかを確認したいだけである。破かれた封筒を拾い集めて並べることなど、クロには造作もないことだがそこまでしていないのがその証拠だ。疑問が残っているので解消したいというのが精々で、無事に物事が解決している以上個人情報を漁ってまで行う無粋さも無用さも承知している。
『せめて、壺から金魚鉢に移ったあの存在が何者であったか、細かな分類は知りたいのですが。貴方曰く、蛇神は分類にはそもそも無頓着であるようですし――妖怪、魑魅魍魎、化け物……しかし器に入っていなければならないという制約を加味すると、鱗道が仰ったように妖器物ということで納得すべきなのでしょうが』
「クロ、頼むからその言葉を引っ張らんでくれ」
 老紳士の正体も〝金魚鉢〟の正体も、とっくに鱗道には無関係だ。向こうで上手くやってくれればそれでいい。何かあればその時に対処すればいいし、それもまた穏便に済めば問題ない。
 夏はすっかり終わっている。日が暮れるのも早くなり、セミよりも秋を知らせる虫が賑やかになっていた。過ごしやすい季節が来て、あっという間に冬が来る。来る冬もまた、鱗道が好まない季節だ。極端に寒いのも好まないし、何より冬の海は――鱗道が嫌うもののひとつである。

       

表紙

赫鳥 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha