棚の上に手を伸ばす。羽音は聞こえていたのだ。踏み台を使えば良かったのだろうが、その時間すら惜しい。木製品の擦れ合う音がし、鱗道の手が届くよりも先に目的の箱が落下した。気の利く鴉への礼を言う数秒すらも、やはり惜しんだ。
箱自体は何ら変哲のない、掛け軸などをしまうような細い桐箱である。中身は入っていない。蓋を開けながら女の元へ戻り、入れろ、と低く言い放つ。女の手からケースが離れて箱に落ちるや否や、鱗道は手早く蓋を閉じた。
「……なんてもんを持ち込んでくれるんだ、アンタは」
鱗道の歯軋りが聞こえたのか、あるいは鱗道のリアクションで確信を得たのか、女は空いた両手で目元を覆う。赤い口紅の塗られた唇が弧を描いた。
「鱗道堂」は通学路も通る十字路の角にある。店を開けた当初は脇に公衆電話が設置されていたが、それも五年以上前に撤去された。他の公共物を置くには狭すぎる一角は以降放置されていて、とある頃合いを見計らって鱗道が賽銭箱と小さな地蔵を置くようになった。当然、公衆電話の代わりである。通信手段の代役ではなく、十円玉の消費先という代役だ。
頃合いとは言うものの季節とも無関係で周期があるわけではない。指標はシロの不調である。下校中の子供らを見送りながら構って貰うシロに不調が見られ始めるのは学校でとある遊びが流行りだしている兆候だ。それは世代が移り変わろうと変わらずに引き継がれる奇妙な遊びである。
五十音、はい、いいえ、数字と鳥居を書いた紙、というのが鱗道が子供の頃の主流であった。今はローマ字や記号なども書かれることがあるようだ。遊びはじめの文言や人数、時間帯などは時代や地域性で差が出るようだが、使われる道具はほぼ一貫して先述の紙と十円玉である。遊びで使った十円玉を早めに消費しないと不幸になる、という漠然とした不安を煽るルールと「こっくりさん」という名称にも変化がない。価値観も遊び方も移ろう中で変わらずに流行ることがあると知った時には素直に感心したものだ。
時代が変わっても「こっくりさん」に大きな変化はないが、「こっくりさん」を行う子供達の環境は大きく変わっている。鱗道が子供の頃は駄菓子屋も公衆電話も至る所にあって消費先に困ることなく手放せたが、現代ではなかなか子供達が気軽に十円玉だけを消費するところがないようだ。コンビニエンスストアも自動販売機も、小学生には貴重な百円も同時に消費することが多いし、神社はあるが通学路からは離れて少しばかり山間になる。「こっくりさん」などに興じた後の小学生が向かうには少しばかり恐ろしげだ。消費先の見つからない十円玉をポケットに入れたまま不安に駆られるのも「こっくりさん」の一環であるし、相談した大人に叱られることも経験だ。それだけで済めば、と鱗道のように彼方の世界を跨いでいると枕詞が付いてしまうのだが。
子供は成長を重ね、知識や経験、常識などを構築し、世界に境界を作って此方の世界に「人間」として確立されていく。が、確立されるまでの時間は個人差があり、少なくとも子供と呼ばれる間は彼方の世界から切り離されていない場合がある。此方の世界へ渡りながらも片足をまだ彼方の世界に残していて、彼方の世界を見聞きしたり、触れてしまったり誘われたりとすることは良くあることだ。「こっくりさん」はそんな曖昧な子供を通じて彼方の世界が手を伸ばす機会を作ることがある、というのを鱗道は蛇神の代理仕事をするようになってから知った。彼方の世界にもいる好奇心旺盛な悪戯好きが、子供の遊びを通じて此方の世界に手を伸ばす。問題は、彼方の世界の好奇心旺盛な悪戯好きに此方の世界の善し悪しという概念はなく、彼らが手を伸ばした結果の大抵が厄介事と呼ばれることだ。
土曜日、昼を少し回った頃。店の横から賽銭箱を回収してきた鱗道を出迎えたクロが肩に止まる。労いの言葉をかけるためではなく、
『私には理解しがたいのですが、上位存在である保護者に禁止、注意されているにも関わらず、子供達は何故このような遊びをするのでしょうか』
人間という生き物に対する疑問を口にするため、であったようだ。鱗道は横目にクロを見ながら、引き戸前のカーテンを半分ほど閉ざした。休日昼間の住宅街はそもそも出歩いている人間が少ない。海へ向かうにも大きな通りから外れているこの辺りを住民以外が歩くことも稀である。
「……難しいことを聞くなぁ」
一般人にとっては独り言でしかない鱗道の言葉を聞く者も、客でもないのに店を覗き込む者もいなかろう。賽銭箱に近付くことも拒むシロが居間から飛び出しすれ違って店先に大きな体を横たえる。耳も頭の毛に埋もれ、尻尾が揺れることもない。
「大丈夫か、シロ。すぐ片付けてやるからな」
くぅん、という力のない鳴き声に『うん』と返事とも溜め息ともつかぬ言葉が雪玉のように丸くなったシロから崩れるように漏れる。鱗道は店の奥の奥、棚に囲まれた古い机の上に賽銭箱をひっくり返した。電気スタンドのスイッチを入れ、点ききる前に腰を下ろす。肩から机上に飛び移ったクロが、散らばった硬貨を嘴で選り分け始めた。
『シロの様子を見るに、なかなか問題の硬貨は多そうですね』
「そうだな……さて、いつも通りに頼むぞ、クロ」
『了解し――いえ、ラジャー、もしくはオーキー・ドーキーと言う方が親しげでいいのでしょうか』
鱗道の頭に言葉を届ける際も嘴を開く必要のないクロは、既に十円玉とそれ以外に分別し終えていた。袖を捲った鱗道に向かって十円玉を一枚咥えて差し出す鴉の声色は、今日も今日とて金属と鉱石から響く硬質な音であり、極めて冷静で淡々としている。
「……お前、またなんか変な話をインターネットで読んでるのか」
『私は日々、学び続けているだけです』
冗談や皮肉と分かることもあるが、分からないこともある。どちらにせよ勘弁してくれと肩を落とした鱗道は、差し出された十円玉を暫く睨み付けてから首を横に振った。クロは咥えていた十円玉を分別していた他の硬貨の元へ置き、また新たな十円玉を咥えて差し出す。鱗道は先程と同じく十円玉を睨み付けるが、見えるものを選んでいるわけではない。ナメクジや熟れすぎた果実、沼の底から取り出した泥、シロ曰くトカゲを潰した時のぬるっとしたような良くない湿り気を感じさせるものを選別しているのだ。
「それだ」
と、言われればクロは寸分も動かずに静止する。鱗道は浅く息を吐いて、右手でクロの嘴から十円玉をつまみ取ろうとした。その右手の親指、人差し指、中指の甲側は白い鱗が手首程までを覆い、手の平側は漆塗りを施されたように――酷く小さくも、蛇神の頭を象っている。
三本指に降ろされた蛇神の顎が十円玉に触れると、ガラスの割れるような感触と音が鱗道の頭に届く。すると嫌な湿り気が十円玉から風に吹かれるように失せていった。指はそのまま十円玉を受け取り、選り分け済みの硬貨に混ぜる。既に、クロは次の十円玉を咥えようとしていた。
『分類は瘴気。呪いの力の根源。シロは己の穢れが瘴気や呪いに刺激されるのを怖れ、もしくは抑え込む必要があるためにあの有様。ということでよろしかったでしょうか』
「あってる……と、思う。瘴気を溜めて指向性を付けるのが呪いだ。まぁ、この程度で呪いと言うには大袈裟かもしれんが。この十円玉が今、出来るのは小さな怪我をさせる程度だ。それが塵も積もればってやつで、枚数が集まったり、毎日接したりしてればシロも参ってくる」
クロが咥えた十円玉に、鱗道は首を横に振った。次も、また次も、である。
『貴方が賽銭箱を置くようになった切っ掛けである猪狩晃の件も同様の案件ですか』
それだ、という返事はクロが咥えている十円玉が瘴気を纏い始めた物という意味である。が、クロの言葉の内容が正しい、という意味に取られたとしても間違いではなかった。