Neetel Inside 文芸新都
表紙

グレイスケイルデイズ
-04-

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「――俺が見付けたのは、猪狩昴だったもの、だ」
 猪狩の手は首の後ろを掴んだまま、言葉を発すると同時に動きを止めた。自分の発言に戸惑いを隠せていない曖昧な声に反し、聞き間違いや聞き損じを許さないほど明瞭な滑舌であった。鱗道が短く聞き返すような声を発し、クロが嘴を僅かに持ち上げる。猪狩は目だけを動かして二人の様子を見て奥歯を噛んだ。
「分からねぇことだらけだったと言っただろ? はっきりと死体だと断言できりゃぁ、流石に俺だって警察を呼ぶぜ。なぁ、グレイ。お前は想像がつくだろ? あの手紙を読んだ俺が何を探して、何処に向かうか」
「動く鴉を探して……あとは、昴が向かった地下室、か」
 実際に、猪狩は動く鴉を探して屋敷を歩いたと言っている。だが、見付けることは出来なかった。動く鴉がいた書斎には入れず、実験室を見付けてオカルト趣味が本当だったことを知っただけであることはすでに語られている。全く話にも出ていないのは地下室のことだけだ。
「地下室ってのは、客室の隣から行ける場所しか聞いてねぇし知らなかった。だが、そこなら手紙が見つからなくともすでに人の手が入ってる。当然、俺も見たが何もなかった。だが、何もなさ過ぎると思ったんだ。昴爺さんは対決とやらをしに行ったはずだ。大袈裟であっても、多少の覚悟を決めていく場所にしちゃぁ普通に倉庫として使われてたし、他には何もなさ過ぎた」
「日常的に使ってた場所に覚悟を決めていくのは、確かに妙だな。だが……なぁ、クロ。この屋敷に他の地下室なんてあるのか?」
 鱗道に問いと視線を向けられたクロは、少し上げていた嘴で床を二回突いた後に少しの間を置き、
『失敬。いいえ、鱗道。私は把握していませんし、昴と歩いた時も他の地下室など行ったこともありません』
 と、改めて少し早口で硬質な声が返ってきた。鱗道がクロの言葉を完全に聞き終えるよりも早く、
「クロも知らねぇってわけか。まぁ、そうだろうな。昴爺さんが行方不明になった時もその地下室は見つかってねぇはずだ。じゃなきゃ、俺が見付けたもんはもっと早く見つかってただろうし、さっさとこの屋敷を重機で押し潰しただろうぜ」
 クロの返事を把握した猪狩が肩を震わせて笑う。鱗道はその言葉を聞いてから、「ノーは二回」という猪狩が言い出したルールと、クロがルールに則った返事を言葉より先にしていたことに気が付いた。イエス、ノーの単純な回答ならばそちらの方が確かに早い。クロの口振りからして、多少不本意ではあるのだろうが合理的ではありそうだ。
「地下室は地下室だが、部屋じゃなく床下や配管の管理用ってとこだな。普段は使われねぇし、入り口がダイニングにあって、蓋がキャビネットの下敷きになってりゃなおのことだ。この屋敷の水場は北か西に集中してるから、まぁ他に作る場所もなかったのかもしれねぇが」
「ダイニング? お前が窓を割って出て来たのもダイニングだったな」
「おう。見付けたモンがあんまりにもやべぇモンだったんで、近くの窓から出たんだ」
 そうか、と納得する鱗道はクロの視線が向けられていることに気が付いた。鱗道が顔を向けるとクロの嘴が開き、
『鱗道、見付けた時点で入り口の蓋というものがキャビネットの下敷きになっていたのかを聞いてください』
 と、要求する。そうか、と二度目に思ったのはクロは猪狩に返事が出来ても、クロから投げかける言葉がないという事であった。クロが文字を読めるのだからキーボードや本を使うなり、詳細なルールを決めればやり取りは可能であろうが、その場合は速度が落ちる。上手いこといかないものだと考えていれば、
「おい、グレイ。クロはなんか言ったんだろ?」
 クロが嘴を開いたことは猪狩の目にも見えている。それが、何かを発言している主張であることも察しているようだ。鱗道に通訳を請う猪狩は薄く笑っているようであった。
「お前が見付けた時点で、入り口はキャビネットの下敷きになってたのか聞いてくれ、と」
 鱗道がすんなりと通訳をした時に、薄かった笑みが色濃くなった。猪狩はクロを見るために顔を動かし、はっきりとした言葉で、
「本当に頭の良い奴だな、お前は。その通りだ。俺が見付けた時には入り口はキャビネットの下敷きになってた。埃の溜まり具合や床の傷から考えれば長期間キャビネットは動かされてねぇ。おそらく、昴爺さんが下りて以降、誰もダイニング下の地下室には入らなかったんだろうぜ」
 素直に賞賛を並べ、言葉を続けた。クロは開いた口が――嘴が塞がる間もなく、
『そんな馬鹿な。警察も気が付いていないのならば、昴が下りた後に誰がキャビネットで入り口を塞いだというのですか』
 猪狩に聞こえない返答を鱗道の頭の中に響かせる。そこでようやく、鱗道もクロと猪狩が行き着いた疑問点へと到達した。地下室への入り口に蓋がある以上、キャビネットで塞ぐためには外から動かす他にない。昴が地下室から出て来ていないのならば、誰かがキャビネットを動かしたことになる。
「――屋敷に染みた意思存在なら、木製のキャビネットに染み込んで扉みたいに動かせるな」
「俺を括ったみたいに外に出て引きずったっていいんじゃねぇか? 俺は屋敷に得体の知れないもんが染みついてるなんざ、想像がつきゃしねぇ。だから――鴉として手紙に書かれている誰か、あるいは何かが昴爺さんが入った後に塞いだんだと思った。クロを主犯もしくは共犯と疑ってたわけだ」
 猪狩はクロを疑っていた、と告白する度に謝罪の意思を込めた視線を送っていた。その全てをクロが目にし、受け取っているかは分からないがクロから反応は返されない。巣に座り込んだ鳥のような姿に一切揺らぎもなく声や仕草に変化がないのは、状況的に疑われるのは当然であると考えているようにも見える。
「キャビネットをどかして蓋を開けてみれば、地下室への階段があった。点検用や管理用で、滅多に人が下りてこねぇってのは屋敷を建てた側も想定してたんだろう。放置されても構わねぇようにコンクリ製の階段があった」
 猪狩の視線はクロに注がれたまま、次第に細くなっていった。厳密に言えばクロの下――排水口であり、その下にいる意思存在に向けられているのだろう。
「時間が経ちすぎて大分薄くなってたが、死臭ってもんは染みついたら簡単に消えないもんだ。空気が淀んでる地下となりゃ余計だろう。そんな地下室を照らしてみたら、居た」
 猪狩の視線はクロで交わってはいない。だが、クロが僅かに身を引くのも仕方のない話だと、鱗道は猪狩の横顔を見ながら思う。
「お前が見付けた写真があっただろ。あれより少し歳を食った……五十手前って感じの男だった。万が一、昴爺さんが本当に生きてたとしても年齢的にあり得ねぇ。だがそれよりも――首も手足も場所が合ってる程度の、人間じゃねぇと一目でわかるソレが手ぇ伸ばしてきて死臭が増した」
 猪狩は感情が昂ぶれば昂ぶるほど、酷く静かに無表情に見えてくるような男だった。感情という感情を全て押し殺して、人間の表面に出ている唯一の内臓である目からそれらが漏れ出すのだ。怒り、敵意、憎悪――自分に向いていないと分かっていても、その眼差しの正面に立てる者などまずいない。
「形を崩しながら階段をよじ登ってきたソレから、窓をぶっ壊して尻尾を巻いて逃げたのさ。グレイから意思存在が水銀みてぇな奴だと聞いて、あの亀裂を塞いだもんを見て納得したぜ。俺が見たのは――昴爺さんの死体を動かすか、真似てた屋敷野郎ってわけだ」
 語りながら時折歯を剥く瞬間は、笑っているようにも威嚇しているように見える奇妙な表情だった。猪狩、と鱗道が呼び掛けると切れ上がった目の中で瞳だけが鱗道に向いた。向けられた視線の強さに、構えていた鱗道でも身をひきたい衝動に駆られる。
「屋敷と話した、と言ってたな。何を話したんだ」
 鱗道を見付けた猪狩の目が、一瞬開いてから和らいだ。ただ強い敵意ばかりの視線が薄れ、哀愁を含んで乾燥した視線に変わる。
「ああ――あー……昴爺さんを嫌ってたのかと聞いた。扉は二回軋んだ。いなくなって寂しいか、ってのには二回の後一拍挟んでもう二回軋んだ。いなくなってねぇ、寂しくねぇ、って意味かと思ったんで、昴爺さんの死体を持ってるからかと聞いた。それにも二回軋んだ。全部ノーってのも信憑性に欠けるもんだし、地下室に死体があるのは間違いねぇんだ。だから、俺は聞き方を変えた。
 お前は猪狩昴と一緒に居るのか、ってな。扉は一回軋んで、俺は首を括られた」
 明瞭な滑舌は、まるで全て他人事であったかのように語って終わった。語り終える頃には猪狩の顔にも表情が戻っていて、首を括られた時を思い出したのか顔をしかめさせている。猪狩は改めて自分の首を一撫でして息を吐いた。一度強く目を閉じて開いた時には、波が引くように強い感情は名残あれど前面には出ていない。

       

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