グレイスケイルデイズ
-03-
明滅する光は、S町に隣接する山の小さな湧き水に生まれたものだという。はっきりとした名前は持たず、シロも『あの子』『星の子』『ひかりの子』などと呼び方が安定しないために、鱗道からの提案で明滅する光の妖精を今は〝蛍〟と呼ぶことにした。〝蛍〟は水源に多くの仲間を持ち、共に空に上がる時を待っていたが、そこに邪魔者が入ってしまった。〝蛍〟は邪魔者を掻い潜り逃げたものの、町中まで下りてきてしまったものだから帰り道が分からない。戻れたところで邪魔者がいるかもしれないと困っていたところに、〝蛍〟の困窮を感じ取ったシロが声をかけたそうだ。
空に上がる時というものが何なのか、邪魔者というのは何なのか、について明確な回答は得られなかった。〝蛍〟にとって空に上がるというのは重要なことだが――例えば、人間にとって歩くとはどう言うことかというように、至極当たり前のことすぎて説明が出来ないようである。また、本能的なもので急いで逃げた為にはっきりとした邪魔者の特徴を見たわけでもなく、また言語がない為に何かに似ている、という言葉も出せないというわけである。
不明瞭な部分の多さにクロは落ち着かないようであったが、鱗道の感想としては「複雑な話でなくて良かった」というものであった。要は、邪魔者を避けて、迷子の〝蛍〟を元の水源まで連れて行けばよいのだ。
『元の水源、というのは一体何処にあるというのです』
クロの不服さは情報不足によるものである。〝蛍〟は邪魔者がいる可能性から帰れないだけではなく、元の水源の方向も分からなくなってしまったために帰れない。だが、鱗道にとっては正直なところ些細な問題であった。
「この辺りで湧き水がある山なんてのは、神社裏くらいだ。俺が分かるのは大きな水源だけだが、あとはシロに辿って貰えるだろ。水の臭いでも〝蛍〟の臭いでも気配でも、シロなら追える」
『大丈夫! 〝蛍〟はね、ちょっと甘い匂いがするの! お山じゃ嗅がない臭いだから、お山に行けば分かると思うよ!』
シロのこの日一番元気なひゃんひゃんと言う鳴き声に、クロが並べられる異論は――
『邪魔者、というのはどうするのです。そもそも、本当に邪魔者なのでしょうか。その〝蛍〟は誠に無害で善良と決まったわけではありません』
――くらい、なものである。警戒と慎重が剥き出しになったクロの言葉に、とある人物を幻視しながらも口にはせずに、鱗道は一度だけ頷いた。
「〝蛍〟が俺達にとって良くないもので、例えば穢れを持ってるようなら、シロがこうして話していられん。そうじゃない以上、彼方の世界の善し悪しは俺達が決めるもんじゃない。
邪魔者は、避けられるなら避けていきたいが……もし対峙したらどうするか、ってのはその時にならなきゃ分からんな。ただ、妖精が本能的に逃げるようなもんだ。邪魔者ってのが俺達には安全ってことはないだろう」
クロがひねり出した異論にも答え、次の言葉が出て来ないことを確認してから、
「目的はあくまで〝蛍〟を元の場所まで連れて行くことだ。まだ日は昇ってないだろ? 日が昇って間もなくならそれ程暑くないだろうし、それまでもう一眠りさせて――」
『日が昇っちゃ駄目なんだって』
くれ、のたった二言の発音。それと欠伸の一つもさせて貰えず、鱗道はシロを見下ろした。シロは薄ぼんやりと光る被毛の中では暗く見える紺碧の円らな目を瞬かせて、
『日が昇っちゃうと、空に上がれないんだって』
と、全く揺るがず、躊躇いなく、真っ直ぐに鱗道の目を見て言った。〝蛍〟はふわふわとシロの傍らに身を寄せている。明滅する光にしか見えないのに、心なしか懇願の視線を強く感じるものがあった。
『……どうします、鱗道』
〝蛍〟の視線を感じ取れないクロを羨ましいと大人げない思いを抱きながら、腹の底から溜め息をついた。ホラー作品の主人公はどうして夜中に行動するのかと、友人やシロやクロに付き合って見ている時にいつも思う。そして、今日からその考えは改めようと決意を固めた。
「……出かける準備をするから待っててくれ」
彼らにも、退っ引きならない事情があるのだろう。