Neetel Inside 文芸新都
表紙

グレイスケイルデイズ
-01-

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 親戚から送られた海外旅行土産のキーホルダーには、国名のステッカーが張られたガラス製の小瓶に星の砂が入っていた。海外など中学生身分では酷く遠い夢のまた夢。校庭の一角では目新しさに盛り上がる友人達に囲まれて、得意げな気持ちと気恥ずかしさを抱えていた。
 友人達の手を渡り、振られたり透かされたりとしている小瓶を横目に、いつか行ってみたい国の話などを語り合う。一巡以上は友人の手を渡った小瓶が帰ってきたが、話の最中であったが故におざなりに出した手では受け取り損ね、小瓶は呆気なく指を掠めて落ちた。すくい取らねばと手を伸ばす。足下は砂利。落ちれば当然、ガラス瓶は割れるし、砂は集められないだろう。想像して、理解もしたが、一度伸ばした手は何も掴まずに軽く握った。間に合わないと諦めたのだ。仕方がない、と。
 隣に立っていたはずの男が転ぶように倒れたのは、少なくとも自分が手を伸ばしたより後である。何も掴まず軽く握られた手の下で、砂埃の中に揃いの学生服が倒れ込んでいた。ざわめいて、なんだなんだと声が上がる。男の手には小瓶が握られていた。すんでの所で掴んだ所為か、男の手には砂利と擦り傷がこびり付いている。
 大丈夫か、などと自身にかけられる声には適当な返事をしながら、男は小瓶を突き出した。自分では割れても仕方がないと諦め見捨てた土産物の単なる小瓶に傷は一つもなく、小瓶を掴みきった男の制服は砂利で灰色に汚れている。
「大事な物だろ」
 たった一言、である。普段と何も変わらない男が、酷く眩しいものに見えた。


「槍が降るか、矢が降るかって期待してたんだけどなァ、結局晴れっぱなしかよ」
 高らかに吹き上げた口笛に寄っていったシロは、猪狩の足に擦り寄ってから真似るように空を見上げた。疎らに雲があるが、間違いなく晴天である。猪狩の声が不満げに聞こえていたので、シロは晴れの何が不満なのだろうと首を傾いだ。
 猪狩はシロに構うことなく、見上げていた空から一棟の古い蔵に視線を下ろした。サングラス越しの蔵の入り口では、先程から鱗道が古い鍵穴と格闘し続けている。
「何のことだ」
 言うことを聞かない古い鍵を相手にしている最中だ。冗談と分かっていても、猪狩に返す鱗道の口調は不機嫌の色が濃く出ている。
「お前が俺を呼び出すのも、仕事を手伝えなんて言ってくるのも珍しいじゃねぇか。カミサマの代理をしているヤツが引き起こす珍事となりゃ期待するなってのが無理筋だ。それとも、降ってくんのはこれからか? なぁ、シロ。お前は何が降ってくると思うよ。確か、カミサマはヘビなんだよな。抜け殻ってのは勘弁して欲しいぜ」
 鱗道の声が不機嫌であろうと、猪狩が気にするはずもない。猪狩は鱗道の背中を見たまま、手探りで足に纏わり付くシロを乱暴に撫で回している。シロが上げる子犬めいた鳴き声と、猪狩には聞こえない返事と疑問が混在する幼い口調の声が、鱗道の耳と頭ではしゃぎ回っていた。
「お前の場合、本気で言ってるか分からんな」
「俺は何時だってマジだぜ?」
 ――ならば、一層質が悪い。自分の眉間に皺が寄っていることに気が付いて、鱗道は古い錠前から手を離して深く息を吐いた。上手く物事が進まない時にはいったん距離を置く、というのは有効な手段の一つである。
「蔵の中を改めるんだ。力仕事はシロにもクロにも手伝って貰えん。ましてや、シロはただのイヌで通ってるんだ。土足で良いとは言われてるが、イヌを蔵に上げるわけにもいかんだろ」
 放置された年月を語る、黒ずみが浮かんだ漆喰。入り口の二重扉を開ける時も埃や葉、ちょっとした蔦などが絡んでいた。鱗道が格闘している鍵穴と引き戸は分厚い蔵の扉に守られていたお陰で腐食は殆ど見られない。鍵穴の錆だけは別問題、と言わんばかりに鍵を出し入れする度に破片が零れ落ちる始末である。両手をブラブラと揺らして力を抜き、再び古い鍵を鍵穴に突っ込んだ。
「つまり、俺は雇われモンなわけだ。ってぇことは、ちゃんと謝礼は頂けるんだろうなァ、鱗道堂さんよぅ。俺は安くねぇぜ?」
 右へ左へ、力加減を変えながら鍵を動かしていくと今までとは違う感触に引っかかった。南無三、と呟いて左に捻ると、解錠の手応えが耳障りな音と共に届く。鍵を引き抜き、手に付いた錆を払い落として引き戸に手をかけると、埃やら何やらを引っ掛けながらもようやく蔵の中を拝めた。とは言え、一応電線は引かれているも当然、中は真っ暗である。
「飯でも奢れば良いのか?」
 鱗道が振り返れば、猪狩はサングラスをかけたまま両腕を組んでふんぞり返っていた。オールバックで結ばれた茶髪と派手な色合いのシャツも相まって、堅気には到底見えない。対して、鱗道はいつもと変わらないモノトーンの服装に、表情変化の薄いやつれ顔と掠れ声だ。ヤクザ者には見えないだろうが、善人にも見られまい。
「それも悪くねぇが、もう少し欲を出させて貰いてぇな」
 鱗道の言葉を受けて、猪狩が体を揺するようにして笑う。体格の大きい猪狩は年齢の割に大食いだ。加えて酒も良く飲むし、味にもうるさい。一食奢る、と言ってもなかなかの金額になるのだが、それでは足りないらしい。
「俺が欲しいのは飯の種さ。髪が伸びる人形に絵柄の変わる掛け軸だとか、あの世が映る鏡だとかガキの頃にも散々聞いたじゃねぇか。まぁ……忍び込んだ拝殿にはなかったけどよ。こんな蔵があるなんて知らなかったしな」
 猪狩が奥歯でかみしめるのは、懐かしさではなく苦虫であろう。古くから根付いている神社にある様々な噂を確かめてみようと言い出して、猪狩が忍び込もうとした回数など両手の指の数では全く足らない。成功しても失敗しても実はなく、当時の神主に説教だ仕置きだと手痛い経験のみが残っている筈だ。鱗道も誘われた二度だけ参加したが、その二度できっちり懲りている。社の中で猪狩が見せしめのように正座をし、「瓜坊」と呼ばれて説教されている姿を見る度によく懲りないなと思ったものである。
「まぁ、古い神社が放置してた蔵なんざ、何が眠ってるか分かったもんじゃねぇ。お前なら、噂に違わぬ曰く付きの古物の一つや二つ、見付けてくれるんじゃねぇかと思ってんだよ」
 猪狩の今の職業は確かジャーナリストだったなと、鱗道は思い返す。警察を退職した後、情報業に就いて日本中を股にかけている、と聞いたはずだ。とは言え、猪狩が書いたという記事を読ませて貰ったことはない。仕事について尋ねた時には、後日に様々な種類の雑誌を放られて、それらに掲載されている記事の取材に加わったのだと聞かされた。雑誌の中にはオカルト誌も含まれていたから、この蔵で飯の種を見付けた暁にはその雑誌に載るのだろう。
「そういう話なら、俺だけじゃなくクロにも頼め。妙かどうかは俺でも分かるが、古物はクロの方が詳しいからな」
 クロに? と猪狩が首を傾げた直後である。ずっと頭上を飛んでいたクロが、鱗道の肩を掠めて躊躇いもなく真っ暗な蔵の中に飛び込んでいく。これは、クロに事前に頼んでいたことであった。クロは〝彼方の世界〟の感覚は鈍いが零ではない。クロの頑丈な体を貫通して影響を与えられるほどの存在は限られている上、微かな灯りさえ有れば充分足りる視力の持ち主である。斥候としてクロほど優れた存在は滅多にいないのだ。
「今のがクロか! なんだよ、アイツ、ずっと飛んでやがったのか」
 あまりに素早く、躊躇いがなく、そして図ったようなタイミングであったことで、猪狩はようやくクロがずっと付いてきていたことに気が付いたようである。無理もない話で、クロと一般的なカラスの見た目情の違いは、赤い目や二回りほど大きな体というくらいだ。遠巻きに飛ばれていれば尚のこと、一般人には区別など出来まい。
「おいおい、鱗道堂さんよぅ、イヌは駄目でカラスはいいのかい?」
「誰かに覗かれた時に、シロは一見してイヌがいると分かるが、クロは易々と見つからんからな。シロは足跡が残るが、クロは飛んでれば足も付かないし……バレなきゃいいんだ」
 呆れとも感嘆とも聞き取れる猪狩の大袈裟な溜め息に、鱗道は肩を竦めるだけで蔵を覗き込んだ。飛び込んだクロが天井からぶら下がっている電球を見付け、一つ一つスイッチを捻って回る。暖色系の灯りが、蔵の中を照らし始めていた。
「シロ。言っといたとおり、俺の声が聞こえる範囲なら自由にしてていいからな。繋いでないんで、人目に付かないようにだけ気を付けてくれ」
 中に灯りが灯っていくことに、猪狩も気が付いて蔵に近寄ってきている。その足下から離れていたシロが、鱗道の呼び掛けにひゃんひゃんと子犬めいた鳴き声と、
『うん! 近くをお散歩したり、お昼寝したりしてるね!』
 という、幼げで元気の良い返事を寄越した。気分は上々と万人に伝わるように尾を揺らして足取りは軽く、跳ねるように蔵から離れていく。低木の中に潜っていく白い身体を見送ってから、鱗道は蔵の中に足を踏み入れた。後ろでは猪狩が、「相変わらず物わかりのいいイヌだなぁ」と感慨深く呟いていた。

       

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