Neetel Inside 文芸新都
表紙

グレイスケイルデイズ
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 現神主である狐神主と話の席を設けたのは数日後のことであった。蔵から出た当日は猪狩を家まで送った時点で夜を迎えてしまったのだ。翌日、簡単な説明と都合の良い日を確認する為に連絡を入れ、指定された日に神社へと赴く。
 狐神主はやはり真面目な男で、数日の間に神社にある資料を調べていたそうだ。鱗道の話を聞いた後、いくつかの和綴じ本や折り本を取り出す。そこには、養蚕業が盛んなとある地域から掛け軸と帯十本が奉納された旨が記されていた。やはり、養蚕の繁栄を祈願して奉納されたもののようである。何故この神社にわざわざ、と聞くと、神社のある山は昔からヘビが多いことで有名だったことに起因するらしい。ヘビが関係する御利益は多岐にわたるらしく、現代よりも信仰が重んじられていた頃には遠くからも奉納されたことがあった、とのことである。
 火事の際、燃えずに残った数本の帯と掛け軸の箱を蔵に仕舞い込んだ――との記載を残し、以降の記録に掛け軸と帯は殆ど登場しなくなった。稀に離れの蔵が、奉納品が、とそれらしいものが登場するがそのままパタリと途絶えて数十年後に再びぽつりと現れることを繰り返しているようだ。記載を見付け、やって来た神主に問い掛けをし、記憶を縛って帰す――ということを、蚕蛾がしていた証拠であろう。
 日本の養蚕業は衰退しているがカイコは人の生活と結び付きが非常に強い。今でも「お蚕さま」等と呼ばれ親しまれ、諸商業の繁栄や子孫繁栄などで信仰を集めている神社があるという。狐神主は掛け軸と帯は改めてそちらに奉納するのが良いだろうと言った。掛け軸と帯を送ってきた地域と代表者の名前も資料から分かっている。奉納元にも、新たな奉納先になる神社にも、狐神主自ら連絡を取ってくれるとのことであった。勿論、奉納品側の話を聞かねばならないが――と、その時は鱗道の立ち会いを願い出られ、断る理由がない鱗道は適当な日取りが決まったら連絡をしてくれと、その場で引き受けて茶をすすった。
 日用品に関しても実物を見てから最終的な判断をするとのことである。時代も様々なれど書物の類いがあるならば中身を見なければならないし、使える道具はそのまま神社で使うことを考えるそうだ。日用品として日常的に使うというよりは、子ども達に歴史を伝える古道具という形になるらしいが、それも良い使い方だろう。修理や修復が不可能なものは祓い清める手順を踏むこと、また、骨董の類いが見つかれば鱗道堂にて引き取りを願いたいとも伝えられた。構わないと返事をした時に思い出して、玩具類は出来ればこちらで引き取りたいと言い出す。貰い手に宛てがあるのだと詳細を話せば狐神主はすっかり笑顔で、それは最良、と満足げであった。さぞ、〝藪〟の方も満足されましょう、と。
「藪をつついて蛇を出すとはよく言うものですが、実際に貴方は〝藪〟の中から無事に出ていらした。あの父のことですから、貴方に頼んだのはその言葉にあやかってのことかもしれませんね」
 狐神主の物静かな言葉に、鱗道は軽く頬を掻いた。確かに、蛇神の代理は藪の中から脱出した。精霊の蚕蛾も藪から出ることになるだろう。では、猪はどうなるだろうか――狐神主に聞いたところで分かるまい。まさに答えは藪の中、である。
 ともかく、蔵にまつわる一件はこうして、結末を迎える手立てが整ったのである。


 土曜の昼間、である。曇りであったが雨はなく、「鱗道堂」の引き戸は一枚開いていた。開いた引き戸の前には絨毯のように身を横たえて大欠伸をするシロが、外が見える棚の上では剥製のようにピクリとも動かないまま通りがかりを観察しているクロが、それぞれらしい店番をしている。店主の鱗道は今日も店の奥にある居間で老眼鏡をかけて新聞に目を通していた。
 店先からシロの鳴き声が上がる。続いてガラス戸に前足をかけて揺らす音も聞こえてきた。
『鱗道。来ました』
 クロが梁を渡って鱗道の右肩に着地した時、鱗道は畳んだ新聞紙の上に老眼鏡を置いたところであった。サンダルを引っ掛けて店内に足を下ろすと、
「本当にいいのかよ、ここってお化け屋敷だって聞いたよ」
「夜な夜なポルターガイストってのが起こって、物が勝手に動いてるんだってさ」
「カラス乗っけてるおっさん、悪い魔法使いだって噂だぜ」
「シロはずっと変わんないよなー、もしかして、おじさんのせいでお化けになってるんじゃないの?」
 等々と、散々な言われように肩を落とす。この手の噂にはすっかり慣れているし、鴉がいるのも、変わらない犬がいるのも本当のことだ。ただ、鱗道は魔法使いではないし、店もお化け屋敷ではない。物が勝手に動くことはあるが夜な夜なという頻度でもない。
『子どもの噂というものは、実に愉快ですね。虚実の混ざり方が非常に良いバランスです』
 好きに言わせておけばいい、と鱗道は肩を落としたまま店先に顔を出す。愛想のない顔が棚の間から出て来たならば――しかもしっかり肩に鴉を乗せて――子ども達は勝手に息を飲んで黙ってしまった。シロだけがひゃんひゃんと大歓迎を訴え続け、
「大丈夫だよ。このおじさん、いい人だもの」
 と、そこに聞き覚えのある声が混ざって鱗道は思わず足を止めた。クロが『いい人』と単語だけを繰り返したので、鱗道はじろりと睨み付けてから再び子ども達に向かって歩み出す。空気を察した鴉が肩から離れ、手近な棚の上に足を着けた。
「おじさん、こんにちは!」
 聞き覚えのある声の主は、義理堅いブリキ車の持ち主である少年だ。にっこりと人懐っこい笑みを浮かべられても、鱗道は、
「おう、いらっしゃい」
 と、掠れた声で言うのが精々だ。少年はしっかりと一礼をし――
「猪狩君から、このお店に昔の玩具があるって聞いたんです」
 猪狩君、というのは当然、猪狩晃のことではない。その息子のことである。猪狩は貰い手が息子の同級生だとは言っていたが、まさか鱗道にとって既に顔見知りであったことはあの男も想像していまい。
 ブリキ車の少年は、祖父から受け継いだブリキ車が活力を取り戻した後、他の玩具にも興味を持ったらしい。ゼンマイ仕掛けやポンポン船などの仕組みがあるものから、単なるベーゴマやメンコなどの遊びにまで広がって、社会勉強にもなるとのことで小さなクラブが結成されたそうだ。とは言え、なかなか状態の良い玩具が揃う筈もない――長い間、蔵の中に仕舞い込まれてでもいなければ。
「話は聞いてる。今、持ってくるから店の中で待ってろ。シロが喜ぶんで構ってやっててくれ」
 鱗道が背を向けて店の奥に足を運ぶより前に、子ども達は喜び勇んでシロ! と呼び掛けて真っ白でふわふわの巨体に思い思いに手を伸ばす。シロの鳴き声はひゃんひゃんと相変わらず子犬のようなままだが、鱗道の頭には子ども達に負けず劣らずの歓声が聞こえていた。
 先回りしていたクロが、棚の上から大きめな菓子箱を少しずつずらす。鱗道が両手を伸ばして受け取った時には箱の中はすっかりと騒がしい。小さく未熟な歓声と、飛び跳ねているような振動が直に伝わってくる。
「……あの蚕蛾に言われただろ。人目のあるところで動くなよ」
 蓋を吹き飛ばさんばかりの勢いを感じた鱗道は蓋に手を乗せて低く呟いた。今度は一転、箱はしんと静まりかえってしまう。そっと蓋を開けて覗き込むと小さな目達が眩しそうに目を細めた後、慌ててそれぞれが目を閉じた。蚕蛾も危惧していた付喪神未満の玩具達のそそっかしさは多少の不安であるが、根が素直なことは良いことである。

 今の子ども達に遊ばれる伝手が出来た。玩具に関してはその子達に引き渡そうと考えている――と、鱗道が言った時、再び掛け軸の上に姿を現した蚕蛾は羽を伏す形での深い礼で返してきた。
『是非もない。やつらにはそれこそ、至上の喜びでありましょう』
 生糸のような繊細さは変わらない声であるが心なしか問い掛けのやり取りをした時よりも張りを感じた。狐神主との話も終えて、別の場所へ移動し、再び奉納品として祈願成就を願うことが決まったからだろう。蚕蛾の声の変化は、「生きていないも同じ」状態から生き直すことが出来た故のもの、と鱗道は受け取った。それは心から喜ぶべき事である。
「相手は本当に子どもなんで、壊すも破くもあり得るだろうが……それは構わんか?」
 鱗道の言葉を受けて、蚕蛾はか細くも満足そうに笑う。この蔵を治めていた者の威厳を感じさせるものであり、皮肉も嫌味も卑屈さも微塵も感じさせない声であった。
『遊ばれて壊されるのは、玩具共には本望というもの。精々遊ばれておいで、玩具共。ただし、ちゃんと遊ばれるために人目あるところでの振る舞いに気を払うのだよ』
 蚕蛾の言葉を受けて玩具達は単語や音で一斉に返事をする。それから、鱗道が用意した大きな菓子箱に飛び込んでいった。メンコ、ビー玉、おはじき、お手玉、花札、カルタにベーゴマ、けん玉や独楽などの大きな物は少し遅れてから箱を揺らす。遠足に行くためにバスに詰め込まれる子どものようだと見守る鱗道に蚕蛾が呼び掛けた。
『妾はこの地を離れまする。御柱様には領地の片隅をお借りし、代理殿にもお世話になり申した。誠、感謝の念に堪えませぬ』
 自分や蛇神に対する礼はもう充分と鱗道は手を振った。蔵から出て来たその日の夜、夢に現れた蛇神は『そう言えば、そんな蚕蛾が確かにいたね。害も無く大人しいものであったからすっかり忘れていた』とからりと一言言ったのみである。ただ、瞳孔は弓のように細く優しくしなっていた。
 蛇神の言葉を鱗道経由で聞いた蚕蛾は、『いかにも御柱様らしいこと』と笑い、
『では――この礼は、あの厄介なただの人間にもお伝えください』
 と、ゆっくりと羽を揺らした。
「伝えるのは構わんが……何の礼と言えばいいんだ? 玩具の貰い手を見付けた礼、でいいのかね」
『そうですな……我が逡巡に沿うてくれた礼、とお伝えください。あの男には、それで充分足りましょう』

 未だ、蚕蛾の礼を猪狩に伝えることは出来ていない。しばらくは別県に飛ばねばならなくなったと、貰い手について鱗道に連絡をしてきた時に言っていた。帰ってきた時には土産だなんだと食事に誘われるだろうから、その時に伝えれば良いだろう。否、今回は鱗道から誘うべきか。手伝いの報酬になりそうな猪狩の飯の種は結局蔵の中には何もなかったし、一食奢ることは決まっている。ただ、鱗道から誘ったならばそれこそ天変地異の前触れかと、心底心配されそうな気もするのだが。
 時間をかけて考えながら、鱗道はゆっくりと子ども達の元へと戻る。腹を出してされるがままのシロに退くように言うと、子ども達の目線の高さで箱を開ける。無警戒で箱を覗き込んだ子ども達から、わぁと歓声が上がった。どうやら魔法使いのおじさんは、悪いという汚名を返上出来たようである。
「全部ひっくるめて三百円な」
 子ども達は鱗道の言葉に顔を見合わせて、その内一人が部費と書かれた茶封筒を取り出した。ブリキ車の少年が中から百円玉を三枚取り出し、
「こんなに沢山あるのに三百円でいいの?」
 と、硬貨を握りしめて確認する。成る程、想像していたよりも玩具の量が多く、金額が安かったのが歓声や顔を見合わせた原因であったか、と鱗道は一人頷いた。
「中古品だからな、三百円でいい」
 再度手を伸ばすと少年の手から硬貨が乗せられた。ズボンのポケットに突っ込んで子ども達の方に蓋を開けたまま箱を差し出す。
「ただ、大事に扱ってやってくれ。気の良い連中なんで――」
 と、言ってしまってから口籠もった。少し気を緩めすぎていたか、と顔をしかめた鱗道に、子ども達は首を傾いでいる。ただ、一人だけ、
「はい! ちゃんと大切に遊びます!」
 両手で菓子箱を受け取ったブリキ車の少年は、なんの不思議も抱かずに大きな声で返事をした。その瞬間、菓子箱が大きく揺れたのは、少年の想像よりも箱が重たかったから、というだけでは当然、ない。

       

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Neetsha