Neetel Inside 文芸新都
表紙

グレイスケイルデイズ
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『わたくしの貸せる力と仰っても、ここは我が友、蛇神の領地。そしてわたくしは分身で参上しております。大したお力添えが出来るとは思えません』
 頭下げの応酬が終わると、距離を取ったこごめはちゃぶ台の上に腰を落ち着けた。こごめの言葉が気になったのは、クロである。ばさり、と羽音が立てられると、クロもちゃぶ台に上がり、
『ご謙遜を。あの鹿の角を折られたそうではありませんか』
 と、口にする。そう言えば、と鱗道も思い返していた。花のにおいを引き連れて、鹿の頭上で跳ねていた姿を。角の隙間を縫うように駆け巡り、着地をして尾を振るえば合わせたかのように、砕け折れた鹿の角。
 クロの真っ直ぐな視線を受けて、こごめは小さな右頬に小さな右手を当てて、困ったように首を傾いだ。
『クロ殿はわたくしを買い被っているご様子。あれは、我が友の依り代が荒神の角に楔を穿っていたが故の――クロ殿が我が友の依り代を撒いてくださっていたからこそのことで御座います。わたくしのみの力では、時間がかかり困難であったでしょう』
 クロは素直にこごめの言葉を聞き、残念ですと落ち込みを滲ませた声で言う。一方、鱗道はと言うと、こごめが困難であったと言っても、出来なかったと言わなかったことに少し衝撃を受けていた。確かに、蛇神もこごめを評して甘いだの穏健だのと言っていたが、弱いと言ったことはない。そもそも力のないものが領地を持てなどしないだろうが、蛇神の傷を癒やしたりシロの穢れを鎮めたりというのを見ていては、力を力として振るうこごめは想像しがたいものがある。
 と、受けた衝撃をなんとか飲み込み、鱗道はクロを見て、
「クロ。お前、誰から聞いた? 見てたのか?」
 あの時、クロの羽音が聞こえていた記憶はない。単に聞こえなかっただけの可能性もある。クロは、真っ直ぐな視線を鱗道に向け、
『いいえ、鱗道。実際に見てはおりません。私は依り代を撒いた後すぐアキ……猪狩晃を呼びに行きましたので。貴方が猪狩晃の車内でぽつぽつと語っていたのです。猪狩晃は殆ど聞き取れていなかったようですが。貴方が眠っている間に、私がこごめ様から聞いた内容も含めて話しておきました。もっとも、実際に話しても猪狩晃に声は聞こえませんが――パソコンがあれば、文章入力が出来ますので』
 次に、嘴はパソコンのディスプレイを示す。暗い室内でパソコンが点けられていたのはクロが状況説明に使ったからというわけだ。猪狩が引き留めようとするクロに「話は聞いてやった」等と妙なことを言っていたのもこれで飲み込めた。キーボードの物理入力はクロは嘴で突いて行える。先日、〝彼方の世界〟の存在がいろはカルタを用いて言葉を交わしたように、クロはパソコン入力でやり取りを交わして見せたのだ。
 鱗道自身に、車内で喋っていたという記憶は一切ないが、クロや猪狩に説明せねばと無意識に思ってのことだろう。さぞかし、内容は支離滅裂であっただろうなと思いながら、
「こごめに助力は頼むが……それは、荒神の対処そのものじゃない。こごめの言う通り、ここは蛇神の領地だ。それは弁えてる」
 と、言えば、目を細めたのはこごめであった。
『――どうやら、代理の君はやりたいことが決まっているご様子ですね』
 小さな顔は楽しげに鱗道を見て、後ろ足を丁寧に畳み、前足を揃えて座り込んだ。
「ああ……それで、確認したいのは……こごめの力を移した柊は、シロにやったように穢れや瘴気を祓ったり鎮めたりするほかに……弱らせたりも出来るんだろうか?」
『そうですね……わたくしの柊は祓い清めの力を移したものですが簡易的なもの。シロ殿の瘴気に通じているのは、シロ殿自身が穢れを屈服させようという意思がある故。そうでない者相手に用いても、年月をかけた我が友の依り代のように楔を穿つことは出来ません。たとえ、あの荒神に用いても一瞬怯むが精々かと思われます』
「……怯ませられるのか?」
『ええ、その程度でしたら』
 こごめの言葉に鱗道は頷き、
「なら、充分だ。その柊を……そうだな……二、三本分ほど欲しいんだが」
『それはすぐにご用意出来ましょう。柊の場所は先程探したことで見付けておりますし、急拵えのものですから時間も手間もかかりません』
「それは助かるな……ただ……本題は、こっちなんだが……」
 鱗道は自身の声が、思っている以上に陰鬱であることに気が付いている。無理難題だと言われることも覚悟せねばなるまい。だが、実際に大事なのはこの助力である。こればかりは恐らく、蛇神も手段を持っていないからだ。
「……俺や、クロなんかを……〝此方の世界〟のものを、アンタ達〝彼方の世界〟のものが見付けられないようにする手段を知らないか? いや――〝彼方の世界〟のものというか……〝鯨〟に、なんだが」
 不明瞭な鱗道の言葉を聞き、こごめの丸い目がより一層、丸く大きくなった。
『それは――……ああ、確か、我が友が……』
「もう、今日だな。今日の夜に、あの荒神に海に来るように言ってる……そして、〝鯨〟は今夜来るそうだ」
 鱗道の言葉を聞いて、こごめは目をそっと閉じた。やはり困っているようで、深く考え込んでいるらしい。長いヒゲがゆっくりと揺れ、小さな金色の目と口がようやく開く。
『ただの〝わたくし〟達であればいざ知らず……無理と申し上げても過言では御座いません。なにせ――〝鯨〟は鼻が利きますから』
 物憂げなこごめの言葉に、鱗道は返す言葉が見つからない。無理と言われたことに対してではなく、こごめが〝鯨〟のことを詳しく知っているような言い方をしたからだ。〝鯨〟は海から来るものである。東方の山地を領地にしているこごめが〝鯨〟のことを――まるで亡くなった知人を語るに等しい愁いを帯びて語るとは思っていなかった。蛇神もまた〝鯨〟について語るときは口が重く不愉快そうで、そして愁いを持っている。だが、蛇神のそれとはまた違うようだ。こごめは亡くなった知人を懐かしむように語る乾いた愁いであるのに対し、蛇神の方がよりしっとりと未練という名の湿り気を帯びている。
『そのような顔をしないでくださいませ、鱗道殿。見つからないようにというのは無理ですが……見つかりにくいよう隠す手段は御座います』
 鱗道は思っていた以上に、真剣な表情で顔が強張っていたらしい。こごめは両手を自らの頬に添え、細長い尻尾をゆっくりと振った。
『〝鯨〟は鼻が利きます。触れれば当然分かります。音でも無論分かりましょう。ですが……恐らく、目は幾分か鈍っているはず。我が友の顔を見る為に、浜まで来て確認しているのがその証拠。となれば、貴方方を〝鯨〟から見えないようにすることは出来ましょう。ただ、それには、空木が最適なのですが』
「ウツギ? それも植物か?」
 ええ、とこごめは頷いてから、長い体を捻って下を覗き込んだ。
『クロ殿はご存じありませんか? 初夏頃に、白や淡紅色の花を咲かせる木なのですが』
『少々お待ち頂けますか』
 クロは硬質な声で返事をすると点きっぱなしのパソコンの前に移動した。嘴と足を使って、器用にパソコンを操作している。鱗道はこごめに失礼、と一言告げてから立ち上がった。ディスプレイはインターネットの検索画面が開かれていて、こごめが言ったとおりに白や淡紅色の花を付けた低木の写真が並んでいる。
『これならば見たことがあります。それこそ、神社のある山中にもありました。今は葉も落ちてしまっているかと思いますが』
『葉はついていなくとも構いません。詳しい場所を教えて頂けますか?』
『植わっているものでなければならないのであればお伝えしますし、ご案内も致しましょう。ですが、そうでなくとも構わないのであれば私が摘んできます。こごめ様は柊のご準備があるのでしょう?』
『そうですか。それではお言葉に甘えてお願い致します。長めの枝を摘んできてくださいまし。枝を編んで輪を作り、鱗道殿を囲えるようにしたいのです』
 それにはどれ程の長さでどれ程の量が必要なのか、と、丁寧な二人のやり取りは順調に進んでいる。鱗道は画面に映し出された花を見ていたが、てんで思い当たる節がない。花には興味がないし、注意して見ていたこともない。ここは素直にクロとこごめに任せるべきだ。
 こごめと語るクロの足下を見れば、いくつかのボタンが破損しているキーボードが目に付いた。クロの硬質な嘴や足で操作されるキーボードは、クロがいくら加減をしたところで人の指より負荷がかかってしまう。クロ自身はキーボードの配列など覚えていて、使うのに支障はないのだろうが、猪狩は見かねてキーボードを買い換えてやれと言ったのだ。分からなければ連絡しろ、と言っていたのでここは素直に、物事が片付いたら猪狩に頼めばいい。
『――それでは、早速摘んで参ります。何往復かする必要があるかもしれませんから』
 クロの言葉で、鱗道は顔を上げた。クロは既にパソコンデスクから飛び立っている。こごめも潜った小窓から出て行く気なのだろう。
「クロ」
 鱗道に呼び止められたクロの足が窓枠を掴む。振り返ったクロの表情はいつも通り、一切の変化がない。
「……無理は、しないでくれ。鹿は山にいるだろうから」
『私自身が安全な範囲で行動いたします。鱗道、貴方はその言いつけは譲らない、と私に言いましたしね』
 クロが言った言い付けとは、依り代を撒いてくれと頼んだ時のことだろう。クロの声は一律一定、硬質にして冷静沈着――かと思いきや、後半になればなる程苦々しく、無い筈の奥歯を噛んでいるかのように歯切れが悪い。
『貴方の言いつけを守ることくらい、私にはどうってことありません』
 言い切る頃にはクロは翼を広げていたし、小窓を完全にくぐり抜けていた。何を苦く噛んでいるのかと思ったが、クロが言い残した言葉で腑に落ちる。端から見れば最低限の会話もなく成立している鱗道と猪狩を見て間もない。そんなクロは、鱗道がわざわざ呼び止めて念を押したのを、自分に信用と信頼が足りていないからと受け取ったのだろう。私にも出来る、という反発や反感がクロの声に珍しい響きを生んだのだ。
 クロに対する信用と信頼は充分に足りている。クロに念を押したのは、言わずにいられなかったからという、感情的で感覚的なものだ。クロに限らず、シロにも一声かけるだろう。理由は、やはり言わずにはいられないからである。論理的に言うだけでも難しいし、言葉の扱いが下手な鱗道がクロに説明したところで納得させられまい。
 ちゃぶ台の上に座っていたこごめも、クロの様子には思うところがあるらしい。小さく小さく笑って見守るような視線でクロが去った小窓を見送っている。
『それでは、わたくしも参りましょう。鱗道殿、夜は忙しくなるでしょうから今のうちにお休みください』
 それから、その長い体をゆっくりと伸ばし始めていた。鱗道はパソコンデスクから離れ、屈んでこごめに視線の高さを合わせる。
「本当に……すまん。何から何まで……有り難う」
『礼は全てが無事に終わってからにしてくださいまし。先程申したとおり、〝鯨〟から貴殿を隠すのは――上手くいくとは限りません』
 こごめの金色の目は、くるくると目まぐるしく変わる輝きを持つ目であった。蛇神の金色の目とは全く違う。目の大きさそのものも関係しているだろうし、はっきりと瞳孔が見えるか否かも大きかろうし、力の性質によるものかもしれない。こごめの目は常に色鮮やかに目まぐるしく変化しているので、ずっと見ているとこちらがめまいを起こしそうになる。
『シロ殿に瘴気が湧き出るようでしたら、先程のように柊で撫でてあげてくださいませ』
 こごめはそう告げながら体を折るような礼をすると、次の瞬間には姿がない。春風のような暖かさを持った風のように、長く白い体がちゃぶ台の上で少しばかり渦を巻いた。ただ、それだけである。シロも時に疾風のように駆けることがあるが、周囲に風を引き連れ、前方の風を裂いて駆け抜けていく。その為、動いたのだ、走ったのだということは目で追えずとも分かるのだ。だが、こごめはふっと姿を消していて、居なくなったのだという認識が遅れるほど静かであった。

       

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Neetsha