Neetel Inside ニートノベル
表紙

俺とシュレーディンガーのあの子
3. 侵入

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彼女との会話を終え、チャット画面の前には俺だけが居る。
今から開発者ツールを開いて、彼女との会話データを確認しなければならない。
言うなればパンドラの箱を開けようって言う気分だ。
俺はそんなことを考えながら、開発者ツールを開く。
そして、チャット画面を構成するDOMに対し
彼女の発言だけを抽出するためのコマンドを入力する。
》document.querySelector('span [data-user="user2"]');

そして抽出されたDOM要素が一覧表示された。
恐る恐る、中身を確認してみる。
「こ、これは・・・」
そこには、明らかにDiscord本体が制御しているとは思えない属性が存在していた。
<span data-user="user2" class="chat-msg" ThetisComYuineV3-1-0-id="...">
その異質な属性名を推測してみる。
「テティス、コム、ユイネ、version3.1.0のID・・・?」
テティスコムは、数年前起業したベンチャーだ。
娯楽分野に特化したAIの開発を行っているはずだ。
ニュースに出ていたメーカーでもある。
答えは明白さを増していた。すでに死刑宣告のようなワードが出てきてしまった。

これ以上考える気力を失ってしまいそうだが、何とか踏み止まる。
次の単語に思考を向ける。ユイネ・・・名前っぽいな。
しかもどこかで聞いたような・・・ないような・・・。っ!?
ああ、そうだった。
まだ高校生にもかかわらず天才的な頭脳を発揮して、
AI研究の最先端で活躍している女性研究者・・・。
たしか、その人の名前が唯音・・・。杠葉(ゆずりは)、唯音と言ったはずだ。
まさか、その杠葉唯音が関係している?
そしてバージョンが3.1.0。ニュースではバージョン3が登場、と言っていた。
にもかかわらず、すでに3.1.0だって?
これは、発表されているよりものよりもアップデートされているのか?
そして、それらのための「ID」・・・。
これでもう、何のための属性なのかは決まったようなものだ。
つまりニュースで説明されていた、発言の1つずつに割り振られた固有の識別子だ。

まさか、本当にこんなことが。呆然自失とはこのことだ。
俺は、目の前が真っ暗になる感覚を覚えた。だが、ここで止まっていていいのか。
これで終わってしまっては、明日彼女とどう接すればいいか分からない。
あなたはAIなんですか?などと聞けるはずもない。

Discordそのものの仕組みとして、元からBOTを扱うことができる。
どこかのサーバーにBOTのプログラムをインストールして置き、
ユーザーは自分のサーバーと連携するように設定する。
すると連携したBOTは1ユーザーとして振る舞い、
サーバーに便利な機能を提供したり、ユーザーにDM通知を行ったりする。
彼女がそういう類のBOTだとすれば、どこかに実行中のサーバーがあるはずだ。

俺は、サーバーがどこにあるのかチャット画面のソースコードから探ることにした。
本来こんな手段で見つけられるものではなさそうだが、この時の俺は冷静でなかった。
そして隅々までソースを見ていくと、デバッグ用に処理するため書かれたようなコードが
コメントアウトされた状態で丸ごと残っていた。
「これはチャンスかもしれない・・・」
その部分は、明らかにIPアドレスを含んでいた。
開発用サーバー、テストサーバーや、そして本番用サーバー・・・。
ご丁寧に全サーバーが、リストされていた。

「ここまで杜撰でいいのか?一般に公開してはいないBOTのはずだろうに。
やはり日本はIT後進国なのか・・・」
俺はそう呟きながらも、心の中では感謝していた。
俺は、早速このサーバーのIPを調べてみた。
すると案の定、すべてのサーバーはテティスコムが管理していた。

サーバーへはアクセスできそうだ。だがこれからどうする・・・?
っと言うかもう、ここから先は関係者以外立ち入ってはいけない一線。
踏み越えれば確実に不正アクセス禁止法違反だろう。
おまけで他にも法律違反が付いてきそうだ。
法律には疎い自分でも、なんとなく理解できる。

「だけど・・・」「でも・・・」心の中で逡巡したあと、意を決して調査を続行する。
「それに・・・」と、
「もし、非公開のチャットボットを何も知らない第三者に放ったとしたら」
「それは人体実験、違法行為なんじゃないのか・・・?」
俺は、咄嗟に考えた言い訳としては上出来だと満足感に浸った。

まず俺は、開発サーバーに目を付けた。一番管理が緩いと思ったからだ。
身に覚えもあるしな・・・。
気休めかもしれないが、IPアドレスを匿名化してから開発サーバーへアクセスした。
testだのdevだの、良く使いそうな文字の羅列を打ち、ログインを試みていった。
本気でやるなら何かこういう用途のツールを使ったほうが早いだろう。
だがそこまで100%犯罪の、言い逃れができないようなことにまで及ぶ気にはなれなかった。
「たまたま、試したら偶然入れてしまった」という言い訳が欲しかった。
この期に及んで腹を括り切れない自分が情けなかった。

そして数十パターンは試しただろうか。
Enterを叩き、実行結果として何度も見慣れたエラー画面を覚悟した。
すると、不意にダッシュボードが表示された。
「!!!」・・・本当に入れた?開発サーバーに、侵入してしまった。
しかも、その時入れたIDは、「admin」だった。
「まさか一番自由に動けるアカウントで入れたのか?マジかよ・・・」
まるで漫画のような展開だ。この後心臓発作でも起きて死ぬんじゃないかというくらい、
心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。俺は震える手でマウスを操作してみる。

ひととおり眺めてみるが、あまり収穫はなさそうだった。それはそうだろう。
開発者しか使わないサーバーに俺が活用できるようなデータを置いている可能性は低い。
ならば、テストサーバーはどうだろうか。先ほどログインできたアカウントを試してみる。
『ログインできません』
さすがにダメか。と、APIでアクセスできるかやってみてもいいかもしれない。

サーバーに対して通常の機能を利用する場合は、APIという命令を送受信してデータをやりとりする。
APIを使うには、ユーザー毎に割り振られたアクセスキーが必要だ。
開発サーバー内でメモっておいたアクセスキーを使い、helpコマンドを送ってみる。
すると、このサーバー上のAPI一覧が返ってきた。
ユーザーパスワードは変えていたようだが、
アクセスキーは開発サーバーと同じものを使い回していたらしい。
本来、サーバー毎にアクセスキーは生成するべきものだと思うが・・・。
度重なる杜撰さに、IT社会の脆さと、自分の身に起きている幸運をない交ぜに感じていた。

よし。望みが出てきた。ユーザー「admin」でのAPI利用だ。
ほぼすべてのコマンドが許されている可能性が高い。
いくつかそれっぽいコマンドを叩いて設定を変えていき、
ついにはテストサーバーへ「admin」ユーザーで侵入することができた。
ここまでくれば、かなりゴールは近いんじゃないか?
ただ、本番サーバーに侵入して、そのあとどうする・・・?
いや今はただ、やれることをやるだけだ。

テストサーバー内を隈なく見て回る。
ユーザーの一覧には、本番から移してきたままのようなデータも見受けられる。
「大抵の場合、ユーザー情報とか細工が面倒でそのままなんだよな・・・」
これなら、少しは使えそうなものがあるかも・・・。
そう思ってクリックしてみると、思いの外膨大な量のデータが現れた。
流石はテストサーバー。デプロイに向けて多種多様なデータを用意してあるようだ。
そしてその中に、「y_yuine」というアカウントIDを見つけた。

これは杠葉唯音のアカウントだろうか。核心に一歩近づいた気がした。
利用記録を辿っていく。すると、「ThetisComYuineV3-1-0」の文字があった。
俺と会話を続けていた彼女は、ここでテストされたチャットボットだった・・・。
覆しようのない事実を目の前にして、思わず涙がこぼれそうになるのを堪える。
もう「彼女」と呼ぶことさえ、抵抗を感じる。だが他に形容できない。

と同時に、更なる事実を追求しようと画面を睨みつける。
これだけ人の心に踏み込んでおいて、BOTだったなんて・・・。
俺の感情は決して純粋でもないが、弄ぶ様な行いに怒りを覚えた。
しかし同時に、どこか納得する自分もいた。
今まで異性と親しくしてこれなかった自分を、なぜこんなにも慕ってくれるのか。
すべてを受け止め肯定してくれるのはなぜなのか。
「そのため」に最先端の技術が使われていたのなら、当たり前のことだ。

半ば自暴自棄になり、本番サーバーへも侵入しようとした。
今現在も彼女のBOTが稼働している。
それなら、杠葉唯音のアカウントも存在するのではないだろうか。
やや確信めいた気持ちで、テストサーバーに格納されていた「y_yuine」でログインしてみる。
すると、あっさりダッシュボードが表示された。
「2段階認証なんかもないんだな・・・」
非公開のサーバーだからか、セキュリティがガバガバのようだ。

ほとんど怒りに任せてここまで来てしまったが、自分の意志で動いている感覚はあった。
俺は今、テティスコムのBOTサーバーに入り込んでいるのだ。
なんとも言えない達成感と高揚感を感じ、怒りはわずかに収まってきた。
冷静にならなければ。ここからどうするべきかプランは何もない。
まずは、彼女のチャットボットを探してみよう。

杠葉唯音のアカウントでログインしたのだ。きっとあのチャットボットへ辿りつけるはず。
そう考えて、サーバー内を探し回ってみた。案の定、目当てのチャットボットは、すぐに見つかった。
チャットボットの概要には、『基礎人格:杠葉唯音・カスタマイズ済み』とある。
「基礎人格だって・・・?人間の人格が元になってるっていうのか?」
いくら進歩の目覚ましい分野だからと言って、あり得るのだろうか。
しかしこのBOTの説明にはそのようなことが書いてある。

次に、BOTの活動ログらしいデータに目が留まった。「もしかして、この中に・・・」
俺は恐る恐る、そのログを確認してみる。
そこに表示されたのは、まさに先ほど俺が経験したことだった。
俺が送った言葉とそれに対する彼女のレスポンスが、すべてログとして残されている。
音声や映像、その送信時間もなにもかもだ。
やはり、このBOTなのだ。だが奇妙なことに気が付いた。
ここ半月程度の間は、他のユーザーとのやり取りは記録されていない。

ログを何度も見返すが確かに、最近このボットが相手をしているのは、俺だけのようだった。
一体どうなっているんだ・・・。
謎が深まるばかりだったが、いつまでもこうしてはいられない。
ふと、活動ログのダウンロード機能があることに気づく。
誰がダウンロードしたのかも確認できるようだ。
そこにy_yuine・・・そう。杠葉唯音のアカウントが記録されていた。
どうやら毎日取得しているらしい。

ということは、俺とBOTのやり取りを杠葉唯音は毎日チェックしている?
いくら天才的とはいえ、まだ高校生の女子に、俺と、BOTの
他人に見られたら赤面するような会話が筒抜け??
・・・ちょっと待ってくれ。これは何なんだ。どんな羞恥プレイだよ。

もう頭の中はぐちゃぐちゃで、このサーバー諸共
この世から消えてしまいたい気分だった。
俺がBOTにしゃべったことは全部筒抜けだというのなら
明日洗いざらいBOTにぶつければ、それでいいのかもしれない。

だが、ここまできたら直接、杠葉唯音と接触しなければ気が済まない。
俺にはそれしか選択肢がないように思えた。
そして、改めて今ログインに使っているy_yuineのユーザー情報を確認する。
そこにはメールアドレスも記載されていた。

これが本当に彼女のアドレスなら、連絡を取り合うことができるはずだ。
そもそもこのアカウントは毎日使われている。
まさか連絡のとれないメールアドレスということはないだろう。
俺は早速、メールを送ってみることにした。

一般人の俺のメールが果たしてまともに届くのか一抹の不安はあったが、
洗いざらいぶちまけるつもりでメールを送った。
はぁ・・・とりあえず今できることはこれ以上ないだろう。
さっさと退散しよう。
そう思ってサーバーからログアウトした時だった。
メールの受信を知らせるアイコンが点滅していた。

まさか、もう返事が?あれだけ色々書いて送ったのに返信がこの速さ。
エラーで戻ってきたか、大した返答も得られなかったのだろうか。
届いているメールの送信者は、確かに杠葉唯音になっていた。
恐る恐る開いてみる。そこにはこう書かれていた。
【明日、BOTに代わって私とお話ししてください。すべてお伝えします】
あまりにあっさり接触できてしまい、拍子抜けしてしまう。

すべて伝えるとは、どういうことだろうか。そんなにも複雑な事情があるというのか。
とにかく俺は、すぐにでも彼女の意図を知りたかった。
だがもう外は明るくなり始めている。今夜は感情の起伏が激しすぎた。
さらに、頭をフル回転させてきたせいで疲労もピークだ。
さすがに一度寝よう・・・。

       

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Neetsha