物音一つせず、風さえも止んでいた。人々の姿は無く。鳥やネズミでさえ物音を立てなかった。
異変に気付いたのは一匹の猫だった。
猫がこの村に着いたのは陽が傾き空は赤くゆっくりと沈む頃だった。猫はこの村に住む魔女達に会うためにやって来た。猫は山に一人で住む同胞である魔女の使い魔である。主人に頼まれ村の魔女に薬草を届けに来たのだ。
猫は人の姿に化け黒いフードを被り薬草をバスケットに入れて魔女達を訪れた。
村は二人の魔女と人間が混在し、200人程で構成された小さい村で魔女達はそこで小さいお店を営んでいる。猫は村の入り口を通ると足が止まった。
それはとても静かだった。いや、静か過ぎたのだ。いつもならまだ人々が外を出歩いている時間なのに村には人の気配がなく、話し声はおろか異様な光景が目の前に広がっていた。
村の広場には石像の様に灰色の人型の物がポツポツと立っている。猫はその一つを近付いてよく見てみた。これはトマトを売っているおじいさんだった。前村に来た時もここでおじいさんがトマトを売っていた。トマトは荷車に乗せられ山盛りになって売られているが、そのトマトも石で出来ている。次はそのそばを歩いている男の人、そのまた向こうの子供と手を繋いでいる女性達もまた石で出来ていた。
村人達が石化している。本人達は気付いていないのかもしれない。日常からピタっと時間が止まってしまった風景だった。
猫は怖くなった。只事ではない恐ろしい何かがこの村に起こっている。
猫は叫んだ。
「誰かー!誰か居ませんかー?!」
返事は無かった。胸騒ぎがした猫は、魔女達なら何か知っているかもしれないと、急いで村に住む魔女達の所へ向かった。魔女達が経営している雑貨屋は地下にあり、猫は階段を駆け降りて勢いよく店のドアを開けた。
「ああ!……カトレア様!マージ様!」
魔女達も村人と同じ様に石化した姿で目の前に立っていた。ただ違うのは、魔女達は何か驚いている表情をしている。
「どうしてこんな事に……いったい何が起きてるの?」
猫が涙ぐみながらそう言うと、石化した魔女の手が光った。二人とも胸の前に手を置いて何か握っている様だった。猫が手に取って確かめるとそれは宝石だった。
「これは……」
その時、いきなり背後のドアが開いた。猫はびっくりしてフードで隠れた猫耳とスカートの中にある尻尾をピーンと立ち上げた。怯えながら振り返える。
「まったく、帰りが遅いと思ったら、一体全体どーなってんの?」
「ご主人様!!」
「迎えに来ちゃったわよ。ルシアン」
猫は主人である魔女に飛び付いた。
魔女は15歳前後の少女で黒いフリルの着いたワンピースを揺らし猫の前に立った。
「カーミラ様!心細かったですぅぅ!」
「よしよし。じゃ、帰りましょう」
「え゛!何をおっしゃるんですか!村がこんな事になってるんですよ?助けないと!」
「めんどくさいよ。他の魔女が来たらなんとかするでしょ」
「この二人だって石にされてるのに、よくそんな事言えますね!」
魔女のカーミラが石化した魔女に顔を近づけまじまじと見つめる。
「んー。大丈夫死んで無いから。まぁ、誰かの魔法なのは間違いないわね」
「た、助けてあげようとは思わないんですか?」
「だって〜魔女に時間なんて関係無いし〜」
「村全体がこんな事になってるんですよぅ!人でなしぃー!」
「人じゃないもーん」
「だから魔女は嫌いなんだよね」
魔女はハッとして振り返った。魔女の後ろに音も無く人が立っている。
黒いマントを着てフードを被り顔は見えなかった。背は低く小さいので子供の様だ。ドアが何時の間にか開いている。
「誰だ?!」
カーミラが言った。気配無く現れた子供に警戒して猫のルシアンを自分の背中に隠す様に後ずさる。
「僕は、エデンを追われし者。お前達蛇に鉄槌を降してやる!」
そう言うと子供はマントの中から灰色の煙が吹き出した。
煙がカーミラの着ていた服に当たるとその部分が石に変わった。
「ご主人様!」
「喋るな!!」
カーミラは手を煙に向かってかざし魔法で見えない壁を作った。壁の向こうは煙で充満し灰色になって見えない。
「今のうちに!」
ルシアンとカーミラが店の奥の工房へ進む。カーミラが戸棚にある薬品を物色して暖炉にある空の大鍋に粉をふりかけた。パチンッと指を鳴らすと鍋に水が張り緑色の液体になった。
「ここからお前を逃す。誰か連れて来なさい」
「はい!え、ご主人様は?」
「さっき足にも煙がかかった。解くのに時間がかかる。無理だ」
ルシアンはカーミラの足元を見た。水銀の温度計の様にぐんぐん石の面積が増えていく。
カーミラの胸元が光り出した。カーミラは一瞬苦しそうな顔を見せる。
「?……まさか!あいつらこれが狙いか?!」
奥でガッシャンと音がした。どうやら魔法の壁が破られたらしい。灰色の煙が鉄砲水の様に流れ込んで来た。
「ルシアン!受け取りなさい!」
「ふぇえ!」
ルシアンは顔の前に手をかざすと何かを投げ渡された。魔法を込めて勢いよく投げられたのでルシアンは後ろに倒れてしまった。後ろにはカーミラが調合した緑色の液体がありルシアンは大鍋の中にお尻から入った。
大鍋に吸い込まれる様にルシアンは中へ落ちていく。井戸にでも落ちる様に丸い入り口の穴がどんどん小さくなっていった。
「ご主人様ー!!」
「ちゃんと助けに来なさいよー!」
それが魔女カーミラの別れの言葉だった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
『キーンコーン〜、カーンコーン〜』
小学校の鐘が鳴った。
教室の生徒たちは立ち上がり一斉に、教卓に立つ先生にさようならと、お辞儀をして挨拶をする。
教室から次々と生徒たちが出て来ると、みんなそれぞれの家へと足を向かわせる。
佐桃きびはため息を吐きながらとぼとぼと下校していた。
スカートのポケットには折り畳まれた30点のテストが入っている。頭の中で3日前にお母さんとした約束を思い出す。次のテストで100点を取ったら欲しがっていたアニメのおもちゃプリティープラムの魔法変身ブローチを買ってもらえるのだ。
まさかテストが約束した次の日に行われるなんて……きびは酷く落ち込んでいた。
「それでなくてもこの点数は怒られちゃうよ〜」
お母さんに怒られる事を考えると涙と鼻水が体の奥から外へ溢れてきた。
「お家に帰りたくないよー」
きびが公園の側を通るとカラスの鳴き声が聞こえた。声のする方へ行ってみると2、3匹のカラスが1匹の黒猫を襲っている。猫は威嚇し爪を剥き出し、飛び回るカラスに向けて空を切る。カラスは猫の体力を奪う為に、もて遊ぶ様に飛び交い猫の体を傷付けていく。
きびはカラスの群れに向かって駆け出した。
「こらー!あっちいけー!」
「カァー!カァー!」
蜘蛛の子を散らす様にカラスが猫から離れて行く。猫はうずくまっていた。
「大丈夫?」
「ありがとう」
と、猫が言うとどこかへ行ってしまった。
「今……猫が喋った?……ん?なんか落ちてる」
きびは赤く微かに光るビー玉サイズの石を拾った。
「きれいー!」
それをスカートのポケットにいれた。
その夜。
きびの家では、夕飯を食べ終わった後リビングでテレビを見ていた。夜7時からきびが毎週楽しみにしているアニメ、プリティープラムと言う魔法少女を題材にした番組が放送されている。それは毎週主人公プラムの前に世界征服を企む怪人が現れ人々を苦しめるのだ。プラムは魔法の力でキラキラした服装に変身して不思議な力で敵を倒していく。
CMになりこのアニメの商品が映った。主人公プラムが持っていた魔法の変身ブローチだった。
「かわいいな〜私も変身できたらいいのに」
洗い物が終わったお母さんがきびの後ろに立った。
「きびー。今日、テスト返されたんだって?スーパーでしろちゃんのママから聞いたわよ!」
(げっ!)
「えーと……」
「見せなさい」
お母さんがにこやかに手を出した。
きびは怒られる覚悟をした。
「はい……」
今日返されたテストをスカートのポケットから取り出しお母さんに渡した。テストと一緒に入っていた石が転げ落ちる。
(あ、石拾ったの忘れてた)
石を拾うと、お母さんの表情が変わった。
「30点……あんたって子は!」
「ごめんなさい……」
きびはお母さんに普段から勉強してないから……とか、解らないところがあったら何故聞かないのなど怒られた。そもそも何故勉強するのかと言う質問に大人達はまともな答をくれないでは無いかときびは思った。
最後にはやく宿題やりなさいと怒鳴られ、お叱りは幕を閉じた。
しょんぼりしながらきびは自分の部屋へ行き勉強机にテスト用紙を置き椅子に座る。
「はぁー。このテスト100点だったらなぁ〜」
握っていた石がピカッと赤く光った。
「な!なに!?」
くねくねと鉛筆で書かれた文字が動き出し、先生が付けた赤ペンのインクがレ点から丸に変わる。見る見るうちに30点のテストが100点に変わってしまった。
「なにこれ……どうなってるの?」
きびは戸惑い目を擦ってもう一度テストの点を見る。確かに30点だった。お母さんにこっ酷く怒られたのだ間違いない。でも今、目の前にあるテストの点数は100点になっている。
(この石さっき光ったよね?)
きびは半信半疑で宿題も終わりますようにと赤い石に願った。すると石が光り宿題のプリントに文字が浮かび上がり答えが埋まっていく。
「凄い!これもしかして……魔法の石?」
きびはもう一度100点になったテスト見た。
(どうせなら、怒られる前にこうなればよかっのに〜)
きびは宿題のプリントに浮き上がった答えが本当に合っているのか確かめた。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
次の日。
魔女の使い魔である黒猫のルシアンは昨日の公園に来ていた。
無くし物を探すために、またカラスに襲われない様身を隠しながら昨日通った道をたどっていく。
(どうしよう。絶対に見つけなくちゃ!アレはご主人様の大事な……)
聞き覚えのある声が道路沿いから聞こえた。ルシアンは茂みの中から顔を出し数人の子供達が歩いて来た。その中に昨日ルシアンを助けてくれた女の子きびの姿があった。
「本当にねこがしゃべったんだってばぁ!」
きびと同じクラスの伊藤あらせが呆れた様子で言った。あらせとは幼稚園からの友達の男の子だ。
「空耳なんじゃねーの?」
「ゔ〜。ちゃんと聞いたもん!」
「みゃ〜ん」
ルシアンがきびに近付いて猫の鳴き声をあげる。
「あ!昨日のねこ!」
ルシアンはきびの足元に体を擦り付けた。これを人間にすると、気が緩むのか喜んでくれる。
「それが喋るねこ?」
「こんにちは!昨日も会ったよね?元気?」
「ミャーン」
「これは何て言ってるんだ?」
あらせはルシアンを指差してきびに聞いた。
「こんにちはかな?」
「何て聞こえたんだよ」
「ミャーン」
きびがボー読み気味に猫の鳴き真似をした。
「……」
「……」
2人がねこを見つめながら気まずそうな表情をする。他の子供達はもう居なかった。
「帰ろうぜ」
「……喋るもん!」
きびがムキになってそっぽを向くとあらせが困った顔をした。ルシアンは2人を見上げる。ルシアンは喋りかけようか迷った。人間界の猫は人間の言葉を喋らないのを昨日、他の猫と会って初めて知ったからだ。
きびはスカートのポケットから、あの赤い石を取り出した。
きびの手に握られた石が願いを読み込み赤く光りだした。
「この猫が……人の言葉を……」
「あーーー!!!!」
ルシアンが叫び出した。
ルシアンが人間の姿になってきびに話しかける。
「それ!ずっと探してたの!!」
「ふわぁ!」
「お願い!それは大事な物なの返してくれないかな?」
あらせが驚きながら冷静に質問する。
「この人どっから現れたんだ……?」
「わかんない」
きびはお化けが出たんじゃ無いかと怖くなった。
「ねこどこいったの?」
「わかんない」
涙目になるきびと驚きを隠せないあらせが顔を合わせる。
「おい!」
「うん!」
2人同時に言うと、猛ダッシュでルシアンの前から逃げ出した。
「あ、待って!」
ルシアンが猫の姿に戻り2人を追いかけようとしたその時、空間の一部が歪み黒いマントの少年が現れた。
「見つけた魔女……」
少年はルシアンには気付かず、きびが走っていった方向へ飛んで行く。
「あいつは!追って来たの?ご主人様……」
きびとあらせは息を切らせながら、人気が多い方へと走って行った。自分達の家を通り過ぎ、いつの間にか駅の方まで来てしまっていた。
「あら2人とも。まだ家に帰ってないの?」
声をかけられ2人は崩れる様に足を止めた。きびはしゃがみこみ、あらせは膝に手を乗せ前かがみになって息を切らしている。
2人に声をかけたのは同じクラスの
「デート?」
しろはきびとあらせを見て言った。しろはクラスの女子の中でも大人びいた発言をよくするのだ。
「違う」
あらせが否定する。
きびは息を切らせながら言った。
「お、お化けがでたの!」
しろはおどきもせず、あらせの方を向いた。
「あらせくんどういうこと?」
あらせが言った。
「変な女が……急に現れて……」
「それ危険な人じゃない!」
「いや、でも、何か返せって言ってたな」
「多分、これ」
きびは赤い石を2人に見せた。
「昨日拾ったの」
「持ち主にいきなり話しかけられてびっくりして逃げて来たってこと?」
「さ、最初は猫だったんだよぉ!?」
「ああ、黒猫が人間に変わった様に見えた」
「そんなのありえ……」
しろはバサッと買い物袋を落とした。そして、空を指差しながら驚いた表情で言った。
「……その化け猫ってあれ?」
「「え?」」
2人がしろの視線の先に目を向ける。
空に黒い人影が浮かんでいた。
「違う、違う!もっと可愛いお姉さんだったよ!」
きびが、ぶんぶんと顔を横に振る。
「て言うか、あれ何だ?」
空に浮いた黒い人影が両腕を広げる。黒い人の足元からビーチボールほどの大きさの球体が2つ現れた。球体をよく見るとお地蔵さんの顔の様なものがあった。口から灰色の煙がもくもくと噴き出された。
「魔女。お前達蛇に鉄槌を……」
黒いマントの少年の言葉を合図に球体が四方八方に飛び出して行った。
煙が町に降り注ぐ。人々は煙に驚き戸惑った。建物に煙が掛かると灰色に変わる。人々は煙を見て騒ぎ始めも逃げはしなかった。みんな携帯を手に取り、動画や写真を撮り始める。火事かと騒ぐ者や悲鳴を上げる者も居たが、煙に包まれるとその声は止んだ。
次々に町を歩く人達が灰色に染まり固まってしまった。人が石像の様になったのを間近で見た人達が騒ぎ出すと駅前の道路は大混乱になった。
遠くで騒ぐ人々が次々と逃げる様にきび達の前を過ぎ去って行く。
その後ろから灰色の煙を吐きながら顔の付いた球体が迫って来ている。
「なにあれ……?お化け?」
きび達は逃げ惑う大人達を見て言った。
「とにかく、逃げよう!」
あらせのその一言で、きび達はぎこちなく走り出した。
「あ!」
しろが転んでしまった。逃げて来た大人にぶつかったのだ。
「しろちゃん!」
2人はしろに駆け寄った。
しろは立ち上がると膝に痛みが走った。
「先に行って!」
「やだ!しろちゃん置いてけないもん!」
あらせがランドセルを道の端に置くと、しろに背中を向けしゃがんだ。
「背中に乗れ!きびも荷物置いて行こう!」
あらせはしろを背負い、3人はまだ煙の無い道を進んで行った。
無我夢中で前を進んで行くと、T字路に差し掛かったT字路では車が何台も衝突して道を塞いでしまっている。
灰色の煙を吐きながら、あの球体が迫る。
煙が3人の前に迫った。
(こんな時、プリティープラムだったらあんな奴やっつけちゃうのに!)
きびはハッ!とした。
(魔法の石……)
「ダメだ!囲まれた!」
あらせが叫ぶ。
「ごめん。私のせいで」
しろが涙を零した。
「大丈夫!きっと……大丈夫だよ!」
きびは手のひらに赤い石を乗せ願った。
「お願い!私にみんなを守れる力をください!!」
赤い石が光り輝き3人を包んだ。
「きび……その格好……」
あらせに指を指され自分の姿を車のサイドミラーで確認する。すると、まるでアニメで見たプリティープラムの様な服装に変身していた。フリフリのワンピースは、きびが憧れていた魔法少女そのものだった。
「わあ!」
「きゃ!煙が!」
きびはえい!の一声で魔法で大きな扇風機を出した。煙が風で押し返される。
顔の付いた球体が負けじと煙を思い切り吐き出す。
しろが球体の顔の口から煙が出てるのに気付いた。
「きびちゃん!あの顔の奴を倒して!」
「よしきた!くらえ!」
きびは両腕を突き出し、両手で親指と人差し指でハートマークを作った。
「魔法ビーーーム!!」
指で作ったハートマークの中心から薄紅色に輝く光線が放たれた。
球体の顔に直撃すると、球体は爆発して粉々になった。
「「やったー!」」
きびとしろは喜びながらハイタッチをする。
あらせが言った。
「何これ夢?」
「夢じゃないですよ!」
声のする方へ3人が振り返ると、1匹の黒猫が車の