藤原は1階ホールのエスカレーターから2階に上がり、2階からはエレベーターを使って上に向かって巡回を続けていた。途中3階だけは巡回せずに素通りする。
3階のセキュリティゲートを通過できるのは、黄色いIDカード持つ教員と警備員だけだからである。生徒が入り込む心配がない。監視カメラも3階だけはセキュリティゲート前の一箇所のみだ。
4階を見て回って、下から来たエレベーターに乗ると先客がいた。上野教授である。藤原は会釈して「お疲れ様です」とあいさつしたが、上野教授からは会釈一つ返ってはこない。なんとなく気まずく、たかだか一つ上の階にエレベーターが着くまでの時間がいやに長く感じた。
しかも、この校舎は5階建てなので上野教授と同じ階で降りることが確定している。
エレベーターが5階に着くと、耐え切れずに藤原は真っ先に降りた。
後から足音が着いてくる。どうも上野教授とたまたま行き先が同じ方向になってしまったようだ。最悪である。こんなことならば、後から降りて同じ行き先を避ければよかった。
自然早足になり、泳いだ目は窓の方を向く。窓は開いていた。前に開いていた5階の窓とは別の窓だ。内側の窓で、窓の外には中庭が見える。
前を向くと、学長室のドアが開いて携帯に怒鳴っている馬場学長が顔を出した。
「エレベーター側の壁を溶断するのはやめろと言ってるだろ。溶断して良いのはゲート側の防火扉だけだ。警察が何の権利があって私の校舎を壊そうとするのか」
うっかり馬場学長と上野教授に挟まれる格好である。どうにか会釈だけでやり過ごそうとしたが、電話を終えた馬場学長に呼び止められてしまった。
「ちょうどよかった。君に話があるんだ」
馬場学長は学長室のドアを開けて、藤原を招き入れようとする。
藤原は宮川に言われた通りに、学長の用事を断ることにした。角が立たない程度、穏便に。
「すみません。ちょっと今、手が離せなくって。あーいそがし、いそがし」
藤原は機転は利くが、演技力はまるでなかった。
「それは何の冗談かな? 話というのは、今日の18時の放送のことだ。1階ゲート前に近づかないように生徒に促してくれ。警察が防火扉を溶断するため危険だから」
馬場会長は有無を言わさず自分の用件だけ告げると、学長室へ帰っていった。
なんて隊長に話したらいいだろう。また余計な仕事が増えてしまった。藤原はとぼとぼ歩いた。
警備員控え室に帰りづらい藤原は、なんとなく2階南の休憩所に足が向いた。そこでソファに座って携帯を眺めながら時間をつぶすことにした。
昌平大のチャットを見ると、今朝のことがもう話題に上っていた。
須磨{また宍戸のヤツ、騒ぎ起こしてたな。あの危険人物と校内に閉じ込められるとか最悪)
松風{悪いヤツじゃないよ。 なんか隠してそうな馬場のほうがヤバくないか?)
須磨{は? ヤバいのは宍戸だろ。お前さては宍戸だな)
松風{僕は宍戸じゃないですよ)
時間を確認すると、すでに12時を回っていた。そろそろ警備員控室に戻らなくては。
「どうしよう。そういえば学長にからまれているとき、近くにいたのに上野教授は助けてくれなかったな? あいさつしても反応ないし、上野教授も冷たい人だよな」
一人愚痴をこぼしていると、そこへ女学生が近づいて来た。昨日モニター監視中に見た、この場所で外の景色を見ていた女子だ。
モニター越しには気が付かなかったが、髪は金髪に染め、春だというのに小麦色の素肌。なぜかニヤニヤしている。大学生にはちょっと見えない。大学生というよりはギャルだ。
「どうしたんだい? ずいぶんと楽しそうな独り言じゃないか」
「いや、なんでもないです。それより君、昨日もこの場所にいなかった?」
ギャルは藤原の質問に答えず、窓辺に歩いて行った。そして昨日と同じく東京タワーの足を見ている。
「遠くから眺めると綺麗でも、近くから見るとつまらないね」
東京タワーのことを言っているのだろうか。
「それなら、なぜ昨日今日と窓から見ていたの?」
「本当にそう」
ギャルはたった今自分の矛盾した行動に気づいたかのように、逃げるように去っていく。
「変なヤツ」と藤原はつぶやいていた。
まったくもってミステリアスなギャルだが、今のところ実害はない。
それよりも馬場学長と宍戸圭馬には迷惑ばかりかけられている気がする。
「そうだ! 学長の頼み事を宮川隊長に言っておかないと」
警備員控室に行くと、そこには険しい顔の宮川が待っていた。
「すみません、馬場学長に18時の放送でゲートに近づくなと注意喚起しろと言われました」
「えっ、何の話だ?」
宮川が怒っているのはそっちではなくて、休憩所で時間を潰していたのが監視カメラにバッチリ映っていたらしい。
「監視カメラもそうだが、生徒もけっこう警備員のこと見てるからな。これから休憩所は使わずに、警備員控室で休憩してくれ。というわけで、藤原は警備員控室で宍戸を見張りながら昼休憩な。これも預かっといてくれ」
そう言って携帯電話を手渡す。宮川は警備員控室を出て、そのまま巡回しに行った。
藤原は言われた通りに昼休憩に入る。宍戸に缶詰とパックのご飯を配り、自分も昼飯を食べ始めた。
「僕の携帯返してくれませんか」
「これ君のだったの」
藤原は預かっている携帯を見せびらかすように突き付けた。
「ここで軟禁されてるの退屈です。携帯くらい、いいでしょ」
「ダメですよ。隊長が戻ってくるまでは預かってろってことだから。当分戻ってこないから、あきらめて僕とおしゃべりしてましょう。宍戸さん、この大学にギャルいるの知ってます?」
「え? 藤原さん、上野ゆかりを知らないんですか。有名人ですよ」
悪い予感がする。藤原は恐る恐る尋ねた。
「もしかして上野教授の親戚とかだったりします?」
「親戚どころか、上野教授の実の娘ですよ。17歳にして飛び入学してきた才媛」
なるほど17歳ならギャルの格好は年相応と言える。いや待て、ギャルと才媛のギャップが大きすぎやしないか。待て待て、問題はそこではない。上野ゆかりがニヤニヤしていたのは、何も知らずに父親の悪口を目の前で披露してしまったからということだ。
藤原の額から冷汗が噴き出す。