Neetel Inside 文芸新都
表紙

匿名の殺意
殺意①

見開き   最大化       ×コントローラを閉じる

 私の娘、清水凛がこの世に生を受けた時、妻は命を堕とした。
 愛する者を失い、守るべき者を手に入れた私は大変混乱したことをよく覚えている。
 当時は娘の誕生を喜ぶことも、妻との死別を悲しむことも中途半端にしかできない精神状態だった。
 とにかく余裕がなく、娘の出生による手続きや妻の葬儀の準備をどのようにこなしたのかほとんど記憶に無い。
 いつの間にか妻の墓が出来上がっていて、気がつけば子育ての環境が整っている、まるで自分だけが置いて行かれているような状況だった。
 凛がアイドルとしてデビューして家を離れた今になるまで落ち着いたことは一度もなく、慌ただしいまま過ごし続けた。
 ようやく一息つけるようになり、静かになったマンションの部屋で一人、凛の成長を喜び、妻の死を偲ぶことが満足にできている。
 思い返せば、凛は小さい頃からアイドルという存在に憧れていた。彼女にせがまれて何度もアイドルグループのライブに連れて行ってあげたし、たくさんグッズも買ってあげた。
 「将来はアイドルになりたい」と目を輝かせる凛の姿は愛おしくも儚く思えて、泣きそうな程だった。
 中学三年生の時にアイドルのオーディションを受けたいと相談された時は大変戸惑った。子供の頃だけの一時的な夢だと思っていたのに、ここまで持ち続け、人生を賭けた大きな夢にまでなるとは思っていなかった。
 芸能界は表に見えている輝かしいだけの世界でない事は誰でも想像がつく事で、正直、反対したい気持ちが強かった。しかし、凛の大切な夢を否定して、愛する娘を傷つけたくない、嫌われたくないという考えに囚われてしまい、その夢を受け入れてしまった。
 こんな時、妻ならどうしただろうかと思う。
 妻に似て美しい姿に生まれた凛はアイドルの素質があったようで、オーディションに合格し、あっという間にデビューし、人気者になっていった。

「私が貴方を救います」

 凛が所属するグループ『SOS』の決め台詞とでも言うのだろうか。メンバーが口を揃えて発する言葉だ。
 天使のような美少女達から贈られる言葉に救われた人は多いだろうと、誇らしげに思う。

 たった今もSOSがテレビに出演していて、妻を供養する仏壇を掃除しながら、「凛ががんばっているよ」と語り掛けた。
 忙しいアイドル活動のために都心で一人暮らしをする凛とは、スマートフォンのメッセージで定期的にやり取りをしていて、テレビ出演を見た報告をして、ついでに本人の調子を訊ねてみると、「変わりないよ」と簡素なメッセージが返ってきた。
 いつも通りだな。
 娘の変わらぬ様子に安心して窓の外を眺めた。
 こんな風にして穏やかに時間が過ぎていく事を楽しんでいる自分に気づき、私も随分と老け込んだものだとしみじみ思う。
 娘が華々しい道を苦悩しながらも一歩ずつ進んでいく姿を眺めながら、私自身は静かに暮らしていく。これは本当に幸福な事だと思った。
 喜びに満ちた休日を終えて、気持ち新たに月曜日を迎える。
 決まった時間に目覚めて、出勤する準備をさっさと終える。この日も私は着古して型が崩れてきたスーツに身を包み出勤した。
 勤勉さ以外に取り柄の無い私だが長年勤めている会社なのでそれなりに昇進しており、所属する部内の管理に頭を悩ます立場ではある。加えて、中々多忙な業務でもあるので、常に気合を入れて勤労していた。
 気を張り詰めている事と、五十代を超えて衰えた身体のせいもあって、午前中の仕事を終えただけでも疲労が溜まる。だから昼の休憩時間はできるだけリラックスするように過ごしていた。
 コーヒーを飲みながら窓の外を眺めたり、椅子に身体を預けて頭と身体を休ませた。そうして仕事の昼休憩時間が終わりかけた頃。
 部下の福田に、「娘さん、大変そうですね」と声をかけられた。
 一体、何の事だろうか。思い当たる節がなく首を傾げる。
「知りませんでしたか。SNSで、炎上しているんですよ」
「炎上って。凛が責められているって事か」
「ええ、そういう事です」
 背筋が凍るようだった。
 私は猛烈な不安に駆られて、SNSへログインすると、すぐに凛のアカウントに暴言や脅迫、品性下劣な言葉が次々と浴びせられているのを目にした。
「何だよこれ」
 思わず言葉がこぼれる。
 アイドルが人の目につく職業で、悪意のある人間から嫌がらせを受けることは覚悟していたし、凛とも事前にその事をよく話し合っていた。
 だが、これはあまりにも酷すぎる。アイドルの立場上、仕方がないと看過できるレベルを超えていた。
 怯える凛の姿を想像して不安は更に大きくなり、凛を励ますメッセージを送ったが、すぐに返事はなく、それからは全く仕事が手につかなかった。
 間もなく終業時間を迎えようかという時、スマホに着信が入った。凛が所属する芸能事務所のマネージャーからの電話で、彼から着信が来ることは珍しく、嫌な予感がした。
「お世話になっております。突然ですが、凛さん、ご実家へ戻っていませんか?」
「いえ、戻っておりませんが。どうかしましたでしょうか」
「撮影の現場に来られてなくて。彼女に電話してみたのですが連絡は取れず、彼女のマンションで部屋のインターホンを鳴らしてみたのですが、反応が無くて。もしかしたらそちらに来られていないかと」
「そうだったんですね。いまから家へ入る事はできますか?」
「はい。管理人に連絡して、部屋に入ります。それでは」
 そう言ってマネージャーは通話を切った。
 それから連絡は届かず、時間が経てば経つほど、不安は増す。
 部屋の玄関を開けて凛が居たのかどうか、それを伝えるのにこれほど時間がかかるとは思えない。やはり何か異状があったのではないか。
 何も解決しないまま一旦自宅へ帰宅して連絡を待つことにした。しかし、家へ帰りついてからも、落ち着かず何も手がつかなかった。
 そうしている内に二時間弱が経過した頃、スマホに着信の通知が入り、即座に応答した。相手が警察と名乗った時、寒気がするようだった。
「どうか、しましたでしょうか」
 弱々しく返事をすると、警察官は気を遣ったような優しい声で語り掛けてくる。
「清水凛さんが住む、マンションの自室で。首を吊った凛さんの遺体が見つかりました」
 言葉が出ない。
 耳鳴りがして、全身が強張り、視界が歪み、周囲の様子を認知できなくなった。
 警察官が繰り返す呼びかけによって我に還るが、その後に話し続ける警察官の言葉は耳に入らない。
 それから何度も同じ話を繰り返してもらい、少しずつ理解が追いつく。
 彼の話によれば、凛の部屋へ入ったマネージャーが、マンションの部屋で首を吊った凛の姿を発見し、すぐさま警察と救急隊に通報した。
 到着した警察と救急隊達によって死亡を確認され、凛は所轄の警察署に運ばれているという話だ。
 凛が警察署に運ばれたのは、彼女が既に亡くなっているという事実を表すものだった。
 話の内容は分かったが、飲み込む事はできなかった。
 気持ちの追いつかないまま家を出て、警察署へ向かった。
 ひたすら混乱したまま、車に乗り込む。
 何かの間違いか、夢うつつに居るのか。
 どちらかなのだろう。どちらかならいいだろう。
 まともに車を運転できているのか、それすら怪しい。
 警察署に到着すると、悼むような表情を浮かべる職員に霊安室へ案内された。
 薄暗い部屋の中で、ベッドに横たわっていたのは間違いなく凛だった。
 彼女は皺の入った歪んだ表情をしていた。
 自然と彼女の頬に手が伸びて、冷たい肌に触れた時。全てが現実である事を理解し、私は内から噴き出す混沌とした感情を振り絞るように泣き叫んだ。
 噴き上げる感情は留まることなく、叫び声か呻き声かも判別できない歪んだ声を上げる。
 いつしか喉が潰れて音が鳴らなくなっても、ひたすら何かを吐き出し続けた。

       

表紙

若樹ひろし 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha