Neetel Inside 文芸新都
表紙

ハルカ
ハルカ〜晴れぬ空〜

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2.

「ええと、北条中将から預かった作戦は以下の書類に纏めておいた。目を通しながら聞いて欲しい」
 気弱そうな男が、白いボードに地図を広げながら言った。
 見た目は幼げに見え、二十歳前後に見える。
「今回の作戦は偵察任務、で。えと第一機体『鴉』っと……。この機体の特性にあった任務、との事」
 男の語りが終わるより前に、少女が立ち上がった。
 彼女の名前はハルカ。
 苗字は無い。
 見た目は小さくまだ義務教育すら終えていない年齢に見えるが、実際には二十二歳の誕生日を既に迎えている。
 緩やかなパーマのかかった明るい栗色の髪を揺らしながら、彼女は部屋から出て行こうとした。
「お、おい。君!」
 返事は無く、男の方を向く事も無い。
 咄嗟に男はハルカの右腕を掴んだ。
「作戦の説明中だぞ! 戻れ!」
 男が精一杯の大声を出した。自信の無さがその声の響きに表出していた。
 その響きを感じてか、関係なくか、ハルカが男を睨み付けた。
「うるさい! この紙はもう読んだ! もう全部理解した! 話したい事があるなら、この紙に書いてない事を話しなさい!」
 そう叫んでステープラーで纏められた紙の束を机に叩きつけた。
「ぜ、全部読んだって、十六枚あるのに、読める筈が……」 
 ハルカは男への興味を失ったのか、手を振り払って部屋から出て行った。
「待つんだ!」
 男も後を追う。
 その場に残された三人には、それぞれ思う所があるのだろう。
 一様に同じ表情は無く、ただ静かに佇んでいた。

「君は天才だと聞いている。もうあの書類も読んでしまったのかも知れない。だが、任務は一人で行うものじゃない。全員が一丸となってぶつかるものだ。わかるね?」
 早歩きのハルカ。
 それを広い歩幅で追い駆ける男。
「聞いているのかい? 質問に答えて欲しいのだが」
「今回の任務は『鴉』による偵察。話は聞いている筈だけど、ここにある随伴機は全て一人のパイロットによって操縦される。そして指令機『鴉』に搭乗する事の出来るパイロットは私一人。よって任務を行うのは私」
 そこまで言って、ハルカは一呼吸置いた。
「全員じゃない。私一人。違う?」
 まっすぐ前を見たまま、ハルカが言った。
 その視線の先には薄暗い廊下がただただ伸びている。
「では、君は本当にあの書類の内容を、全て把握していると言うのだね?」
「ええ」
「では言ってみてくれ。もし全てを把握しているのなら、私はもう引きとめたりはしない」
 ハルカの歩幅が縮まり、そしてついには立ち止まった。
 ゆっくり振り返る目が頭上の男を捉える。
「相当、馬鹿なのね。天才だって聞いてて一々そこまで確認するだなんて。その顔と同じで頭の中身も未成年のまま成長してないんじゃないの? 三十路を越えたおっさんの癖に」 
「な……君だって、頭が良くっても見た目はガキのままだろうが! 人のことが言えるか!」
 ハルカがもし男であったなら、彼は掴みかかっていたところだった。彼に僅かに残った理性が、女性への暴力を自制する。
 ハルカは怒り狂う男を無視して、再び歩き出した。
「北へ潜入し、進軍ルートを探す。補給路を断ち都市部に現れた敵先発隊の後続を絶つとともに、こちらの進軍ルートも確保する。私の役目はその前の偵察。具体的には地形撮影と敵分布予想帯の偵察」
 立ち止まったままの男へ振り返り、ハルカは呟くように問う。
「どう?」
 答えを聞く事無く、ハルカは再び歩き出す。
 聞く必要が無かった。
 その答えは限りなく完璧に近いものだったからだ。

「こちら『鴉』低高度飛行による索敵中。Bブロックへと移る」
「了解」
 一度飛行し始めたハルカは、それは模範的なものだった。
 一部の隙も無い連絡と、操縦技術。
 神がかったものは感じさせなかったが、どこまでも基本に忠実であった。
 先程までの破天荒振りを全く感じさせない。
「木場少佐。ハルカの事、許してやってください」
 通信室に背の高い男がやってきた。
 さっきの会議室に残っていた三人のうちの一人。
「君は確か、飛騨君、だったかな?」
「ええ、はい」
「許す、とは?」
 椅子の向きを変えて飛騨と向き合う木場。
「あいつ気分が不安定で、よくああいう風になっちゃうんですよ。だけど本当は良い奴なんです。戦うって言い出したのも、この部隊が解散してしまわないようにって。……あ! この部隊が解散すると困る人が一人居て、それで……」
 彼は飛騨の言葉をじっくりと噛み締めた。
 彼が指令役としてここに配属になる際、この部隊の事をよく調べた。
 というのも、この部隊は不透明な事の多い国家機密の集まりだったからだ。
 少しは知っているのならともかく、何も知らないで指令を下すのには無理があった。
 そうして彼はハルカという女性に起こった出来事を知った。
 上官を失ってから、まるで人が変わったかのようになってしまったという事も。
「立花少佐、だったね。彼を失って」
 木場が語りだそうとする刹那。通信の際のノイズ音が入った。
 そして遅れて声がする。
「回線開いてる! うるさくて集中出来ない! 通信機もまともに使えない訳!? あんた少佐なんでしょ!?」
 それは怒鳴り声というよりは、もはや悲鳴に近かった。
 どこかだだっこのようにも聞こえるそれは、もしかすると本当にそうであったのかも知れない。
 手の届かないものに手を伸ばし続けるだだっこのように、彼女は叫んだ。
「す、すまん」
 木場は一言謝り回線を閉じた。
 それに呼応してハルカも回線を閉じる。
 しんっと辺りが静まった。
 木場も飛騨も口を開かない。
 木場は小さく溜め息をついて、頭に手をやった。














     

2.1

「座標送信。Cブロック『鴉』4号、横穴を発見。これより四号は周回行動に移行する。以上」
 淡々としたハルカの声がスピーカーから出力される。既に精神的には持ち直したようだった。
「座標確認」
 コンピューターが情報を処理する。座標と、その座標にまつわるデータを検索しているのだ。
 座標を入力するだけで、以前にどの航空機がどの角度でそこを通過しただとか、そういう情報を閲覧者の望む情報順に画面に並べてくれる。
「五日前の偵察ではそこに横穴は確認されなかった。新たに築かれた砦である可能性が高い。くれぐれも注意を」
「いや……これは、違う」
 ハルカが呟く。
 谷に挟まれ、木々に覆われた横穴。切り立った崖にぽっかりと開いている。
 無人機だから出来る低空飛行だからこそ見つけられたもの。
 高高度からのカメラ撮影では、よっぽど運が良くないと見つけられっこなかった。
 この穴は大分前になんらかの目的で作られ、今も使われている、と見るべきだ。
 何故か。
 先ず穴の規模が数日で作れる程の大きさでない事。
 そして、ずっと前から存在していたのに見付からなかったという事になれば、敵もこの砦を信用しているだろうからだ。決して見付からない、と。

 周回していた『鴉』四号が二周目に差し掛かった時、穴の手前、木の陰から何かが射出された。
 歩兵の扱える地対空兵器である事は間違いなかった。
 咄嗟に回避行動を取るも、四号に吸い込まれる追尾弾。
 ついには推力を得る為のたった一つのエンジンに被弾し、呆気無く墜落した。
「『鴉』四号被弾。敵影を確認」
「こちらも四号の写真を確認。この軍服は『北』のものだ。任務ご苦労、帰還してくれ」
 応答は、無かった。
 衛星を経由して送られる彼女の機体の位置も、時間が経つ毎に少しづつ集まって、四号の居た位置へと向かっているようにも見えた。
「応答したまえ。ハルカ君」
「ちょ、ちょっといいすか!」
 飛騨が木場を手で遮った。
「ハルカ! 何考えてるのかは分かる! だけど、お前は殺さなくて良いんだよ! 聞こえるなら返事をしてくれ!」
「うるさい。大声出さなくても聞こえる」
「ハルカ……。良いか、中尉が何故お前を救ったのか考えろ。殺し合いとか大嫌いなあの人だ。今のお前を見たら怒るぞ。折角救った命が自分の為にそんな事をしようとしているなんて知ったら、悲しむぞ。良いんだよ、お前がやらなくったってすぐに味方の航空機が来る。僕は、僕達は、ハルカがどんな気持ちなのか、全部分かってるから、無理しなくても良いんだよ」
「何言ってるの? 馬鹿みたい」
 その声は、笑っていた。
 蔑むような、人の意思を真っ向から否定する侮蔑の笑い。
 ついにはさも愉快なように笑い出した。
 その嘲りに飛騨は言葉を失った。
 ひとしきり笑い終え、ハルカが再び呟きだす。
「分かってるって、何? 私が戦う事を決意したのは、部隊の存続を考えてなんかじゃない。奴等に、復讐する為だよ。何も分かってない癖に分かってる振りしないでよ」
「復讐を中尉が喜ぶって言うのかよ!」
「うるさい! あんたになんか、私の気持ちは分からない!」
 通信中を意味する微かなノイズが消えた。

 音声のやり取りは無かったが、以前として通信は続いている。
 彼女が操作する全16機の機体からの映像データが送られてきている。
 敵の対空兵器や重火器を紙一重で避け、機銃で一掃していく映像。
 人に対して用いるにはあまりにも高過ぎる火力が、人体を模型のように打ち砕いていく。
 その映像が、ハルカが見ているであろう映像が、飛騨と木場の前にも映し出されている。
 今にも泣きそうな表情で、飛騨は、それでもハルカを止めようと説得を続けた。
 飛騨は悲しかった。
 彼女はそのような事をする人間では無かった筈だから。きっと苦しんでいると思ったから。
 それは彼の思い込みに過ぎなかった。
 実際には嬉々として殺人を楽しんでいるのかも知れなかった。
 それでも彼は、彼女を信じ続けた。
 彼女が中尉を思う気持ちは本物だった。そしてその悲しみも。
 であるなら、その復讐の気持ちも本物だろう。
 例え自分の心を殺してでも、復讐を果たそうと、そう誓ったに違いなかった。
 だから飛騨は悲しい。
 きっと彼女の心は今もなお、ズタズタに引き裂かれていっているに違いないと思ったから。

 全てが、終わった。
 飛騨の説得の言葉も、もう出ては来ない。
 出す必要が無い。
 全てが終わったのだから。
「邪魔をしないで。飛騨少尉」
 どこか余所余所しいその一言を聞いて、飛騨はがっくりと肩を落とした。

 後日、彼女は叱責を受けた。
 命令無視と独断による行動。非常に高価な機体を一機失った事。
 しかし、それを遥かに上回る功績を上げた事と、無人機の有用性を示した事が高く評価され、これらは不問という事になった。
 というのも、その後、補給にやってきた者達を捕らえる事に成功し、隠しトンネルの事や様々な機密情報を知る事が出来たからだ。もし一人でも逃げた者が居れば、こうはならなかった。
 その評価は、飛騨にとってどれほど皮肉なものか。
 これで確実に部隊は安泰となる。
 戦力外の部隊員が一人居た。その人もこれでずっと安全に暮らしていける。路頭に迷う心配は無い。
 けれど、その為にハルカは全ての敵を、文字通り皆殺しにしてしまった。



 暗い室内。
 血のように真っ赤に染め上がったカーテン。
 部屋中がその色を受けて、赤黒くなっていた。
 一人の女性が、ベッドの上で力無く横たわってる。
 彼女は咎人。
 幾多の命をその手にかけた。
 彼女の頭の中をある男の声が巡る。
 誰も、望まない、そう言っていた。
 微かな笑い声が、漆黒に伸びる。
 そして笑い声は言葉へと変わった。
「私自身が、望んでる。あの人を殺した全てを、私が殺す」
 彼女は思う。
 まだだ、と。
 元凶を潰さなければならないのだ、と。
 そして夜が更けていく。














       

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