Neetel Inside 文芸新都
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怠慢な粗粒子
大人の為の、一時間で出来る反抗期

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【平成十×年 七月 二十九日 二十三時】

 あと一時間が経過すれば、僕は二十歳になる。
 今、僕の目の前には、一本のビールと、一箱の煙草が、鎮座ましましておられる。僕は未成年だから、この二つは本来、今の僕にはご法度の産物である。
 一時間後、僕にとって彼らは、ご法度では無くなる。
 不思議だった。今の僕がすれば、法律に発展するほどのタブーである行為が、たったの一時間が経過した後の僕がすれば、それは当然と言われれば当然だという風に受け取られるのだ。場合によっては、社交性を発揮する上で必須のアイテムとも、なりえる。

 良い子だった。
「いけない」と言われたことに、一度たりとも心を動かされたことは無い。「いけない」と言われれば「いけない」のだと、反論一つせずに、無条件にそれを受け入れていたものだ。周りの友人や同級生が、「いけないことを隠れてする」という背徳的行為から生まれるインモラルなリビドーで五体を働かせていた中、僕だけは頑なに純潔を貫いた。
 子供でいられる間は、子供でいたかったのだ。子供が大人になることは出来るが、大人が子供になることは出来ないことを、周りよりも早く理解し始めていた僕にとって、そういった「いけないこと」をしないことは、それそのものが子供の証明であった。それを守り続けることで、僕は子供でいられるのだと、半ば哲学に近い思想を持っていたのである。
 だがしかし、大人になる。
 未成年者喫煙禁止法とは、その名の通り、未成年者の喫煙を禁止する法律である。そして今の僕は、この未成年者喫煙禁止法によって、絶対的に縛り付けられている。しかし、一時間後の僕にとって、この法は無き物に等しい。だって、未成年ではないのだから。
 未成年者飲酒禁止法とは、その名の通り、未成年者の飲酒を禁止する法律である。そして今の僕は、この未成年者飲酒禁止法によって、絶対的に縛り付けられている。しかし、一時間後の僕にとって、この法は無き物に等しい。だって、未成年ではないのだから。
 今の僕と、一時間後の僕には、それほどの差があるのだ。
 喫煙・飲酒の他にも、きっと今の僕と一時間後の僕では、法の上の他、様々な事柄・場所・立場で雲泥の差が出て来るはずだ。

 で、ある以上。

 それに見合う、「違い」がなくてはならない。


         ・


【平成十×年 七月 二十九日 二十三時十分】

 十分ほど考えた末に、僕は風呂に入ることにした。
 一時間後に待ち受ける神聖な儀式に備えて、身を清めることにしたのだ。
 湯船を貯めていては、そんなことをしている間に儀式が始まってしまうので、シャワーで我慢することにする。
 徹底的に、磨いた。歯も磨いた。磨きすぎたので、歯茎から血が出た。神聖な儀式を前にして、この失態は痛い。歯茎的な意味でも体裁的な意味でも痛い。
 髭も当たった。幼い頃の僕にとって、髭こそが大人の証明だった。父親が毎朝毎朝鏡の前で髭を当てているのを見て、僕も大人になれば髭を当てるようになるのだ、と考えていたが、実際の所、そうではなかった。僕に髭が生え始めたのは、十八の夏だった。


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【平成十×年 七月 二十九日 二十三時三十分】

 身をすっかり清めた僕は、インナーにジャージという軽装で、再び神器の前に鎮座した。
 こういった儀式を行う際は、正装が良いと考えたのだが、制服を着ようとは思わなかった。制服は、義務教育を受けている者の証だ。教育を受けるのは、子供のすることだ。故に、大人になるための儀式としては、相応しくない。スーツを着ようと思ったのだが、父親のスーツを借りたところ、劇的に裾が短いという致命的な欠陥が発見されたため、断念した。自分の足が、父の後を追わないことを、切に願う。


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【平成十×年 七月 二十九日 二十三時四十分】

 振り返ってみると、本当に、露骨に子供だった。
 不思議なもので、周りの子供が背伸びをして大人の振りをすることが、大人達にはひどく子供染みて見えたのに対し、頑なに子供であることを守り続ける僕は、大人達にはひどく大人染みて見えたらしい。誰よりも一番子供であろうとし、子供として正しい生活をしていたはずの僕が、「ちゃんと決まりをしっかり守れて、大人だね」と褒め称えられた。褒め称えられた?
 クラスの委員長を任されたのは、クラスのみんなが僕をリーダーとして認めてくれたからなのか、それとも担任が「良い子」である僕を評価したのか、どちらなのかは定かではない。どちらでもない、ということは無いのだろうが。
 ともあれ、僕はその場でもしっかりと先生の言い付けを守り、クラス全体を先導した。大人の言う事を聞くのが、子供の義務だからだ。にも関わらず、先生は「お前はクラスの中では一番しっかりしているな」と言った。

 今、こうして振り返ってみると、僕が最も子供らしく子供でいられたのは、中学生時代だったのかもしれない。
 僕は、反抗期に陥った。「子供らしくしているのに、子供らしく扱ってくれない」という、馬鹿馬鹿しくて、子供らしくて、故に、本来あるべき形の全く逆のベクトルを向いた反抗期だったと思う。
 今でも、間違った反抗期だったとは思わない。正当な、真っ当な、正論を言った時期だったと思う。だって、それは「子供なのに大人として扱おうとする大人達に対する反抗」だった。絶対に、止ん事無く、一点の曇りも無く、大人達が悪いと、今でも胸を張って言える。
 それでも、煙草や酒や夜遊びに染まることは無かった。それをすれば、本末転倒だからだ。子供であることを主張するために反抗をしているのだから、大人の行為に手を出すことなど言語道断だ。ただ、大人達の言う事には、有無を言わさず「嫌だ」の一点張りを通した。
 要するに、ただの「駄々っ子」だったのだ。
 授業にはしっかりと参加するわ、校則違反は犯さないわ、早寝早起きはするわ、成績はいいわ、そのくせ素直じゃないわ。
 親にとっても、教師にとっても、それはそれは可愛くてしょうがない「子供」だったのだろう。多分、最も可愛がられた時期だ。

 責任と言うものを嫌った時期。僕は高校生になった。
 定期的に行われる、優劣を明確にするための試験。ポイント稼ぎの為だけのクラブ活動。校則違反に対して発生する罰則。生まれる、男女の性別の明確な認識と、それに対する欲望。
 すべて、まるで大人の世界のようではないか。僕はそれらを忌み嫌った。子供である自分達に、そのような制限を設けるシステムを忌み嫌った。だって、子供だったからだ。「二十歳から大人ですよ」と明確な線引きを行っている以上、その線を曖昧にするようなシステムは、御勘弁願いたかった。
 それでも、僕は律儀にルールを守った。そんな大人の世界のようなルールが適用されるような厄介事に、加担したくなかったからだ。
 子供であることを願った僕は、以下の三点を意地でも貫き通した。

 ルールを嫌う。
 線引きは明確にして欲しい。
 厄介事は御勘弁。

 皮肉なものである。
 それは、すべて大人の発想じゃないか?


         ・


【平成十×年 七月 二十九日 二十三時五十分】

 理解したことが、ある。
 つまり僕達は、「大人になる」のではなく、「大人にされる」のだ。
 どんなに子供であることを願っても、どんなに大人になりたいと願っていても、どちらも平等に、差別されることなく、また優遇されることなく、大人にされていくのだ。大人達の手によって。
 たったの一時間で、何が出来るだろう?
 十九歳で過ごす二十三時と、二十歳で過ごす零時。そんなものに、明確な差など、あるわけが無い。
 それでも、区切られる。ばっさりと。あっさりと。有無を言わさずに、区切られる。
「責任」とは、つまり「ハンデ」なのだ。
「お前ら、有無を言わさず大人になって下さいってのも無茶だから、とりあえず『責任』って言葉使って好き勝手やっていいよ」というハンデなのだ。

 大人が子供に向ける言葉の中に、こういうものがある。
「みんな、そうして大人になっていくんだよ」
 この言葉は、即刻作り直すべきだ。
「みんな、そうして大人にされていくんだよ」

 このまま順調に育てば、僕は時期に「稼がないなら死ねよ」と言われる立場になるのだろう。資本主義大国日本で「大人になる」とは、つまりそういうことなのだ。
 革命家は、居ない。革命家になり得る存在は山ほどあるのだろうが、彼らは自分の行動に「正義」を感じていない。
 何故なら彼らもまた、大人なのだから。大人の作り上げたシステムで、子供であるまま大人にされた存在なのだから。自分を「大人である」と認識してしまった以上、彼らは自分の行いを振り返る上で「大人として」という前置きを置かなければいけない存在なのだから。


         ・


【平成十×年 七月 三十日 零時】

 僕は。
 大人に、なった。

 ビールのタブを開けて、飲んでみた。複雑な味がするが、一番近しい表現としては「苦い」。
 煙草に、火をつけてみた。火は、つかなかった。何か特別なつけ方が必要なのかもしれない。口に咥えて、火をつけるだけでは駄目なのだろうか?

 失いたくなかったものを、失ったのだと思う。
 それは、もう絶対に、二度と、何をしようが、戻っては来ないのだろう。
 それを思うと、何だか悲しくなった。だが、涙は流れなかった。流さなかった。
 大人は、泣いてはいけないからだ。

 大人でも泣くのだと気付くのは、もう少しだけ先の話になる。

       

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