Neetel Inside 文芸新都
表紙

シャボン玉とんだ
まとめて読む

見開き   最大化      

 まるで小さな虹を見ているみたいだった。凄く小型なシャボン玉にも、光の反射で所々に細かい色彩が描かれている。
 小さな公園のベンチで、わたしと友人の美香は徐々に空へと飛んでいくシャボン玉を眺めていた。
 綺麗。でもすぐに砕け散ってしまう球体は、わたしの追い求める物に極めて似ていた。たかがシャボン玉なのかもしれない……。けど、わたしにはそれがとても重要なことに思えた。今年で十八になる、中途半端な大人のわたしに変化を与えてくれた物語。

     

 デパートに買い物に行くと、シャボン玉の在庫処分をやっていた。
 一人暮らしのわたしにとって、買い物は三日に一度は絶対に行わないといけないことだ。買い溜めして一週間家に引き篭もるという手もあるが、どうせ大学の帰り際に立ち寄るデパートなわけだから、そんなに面倒なことでもない。それなら、賞味・消費期限の心配をしなくても構わない三日おきにデパートに立ち寄る方が正解だと思う。
「シャボン玉、何か懐かしいなあ……」
 ワゴンの上に山積みに置いてある中の一袋を手に取ってみる。そこには細長いストローと容器に詰められたシャボン液がセットで入っていた。うん。本当に昔と変わらない。シャボン玉で遊んだ記憶を探ってみると、十年くらい前のことになるが、この十年という時を経ても、このシャボン玉の製造会社は販売方針を変えないらしい。
 ワゴンの中央に立ててある看板を見ると、二袋で百円だそうだ。安い……のかな。そんなシャボン玉の平均価格なんて詳しいわけでもないし、けどまあこの値段なら痛くもないか……などと思いつつ、二つのシャボン玉セットは授業に必要な文房具や化粧品と一緒にレジへと運ばれていった。

 一人でストロー片手にどこかで遊ぼうだなんて思わない。寂しさで心が折れてしまいそうだ。わたしは家に歩きながら帰る途中で美香の携帯に電話をかけた。きっとあの子なら一緒にシャボン玉を膨らますことに協力してくれるだろう。どこかのサークルに入っているっていうことも聞いたこともないし、いつもあっちから『暇だー。暇だー』とわたしは熱烈コールを受けているからね。
「あ、美香? 今からちょっと大丈夫?」
「ん、何か用事でもあんの?」
「えっと……一緒にシャボン玉でもどうかなって……」
 最後の方になると声の大きさが弱まってしまった。そりゃ正々堂々とシャボン玉で遊びましょうとは言いにくいものである。
「そっちからかけてくるなんて珍しいと思ったら、その内容まで珍しいわね」
「それで、やるの、やらないの?」
「うん、いいよ。行く。何処で待ち合わせかな?」
「商店街の近くにある公園があるでしょう? そこで会おうよ。ちょうどわたしの居る場所と美香の家との真ん中辺りだしね」
「こんな寒い時期に公園? まあ……別にいいけど……」
 文句言わずになるべく早めに来てよね。こっちも寒い中で待つのは嫌だし。そう告げてわたしはちょっと歩調のペースを落としながら歩いた。きっとわたしが早く辿り着いてしまうのが予測できるからだ。こういう待ち合わせをする機会は何度かあったけど、平均的にみると確実にわたしが相手を待つ方が多かった。それに気づいたわたしは、いつも守っている五分前行動の廃止を決意し、尚且ついつもより少し遅めに歩くのである。
 けれど……それでも相手を待つ方が多かったのは誰かに聞いて欲しい悩みであった。

「ごめーん。待った?」
 美香が白い息を吐き出しながら走ってきた。一応努力はしているみたいなので、きつくは怒らないでおくことにする。
「五分待った。けど誘ったのはこっちだし、今回はいいよ」
「どもども。それで、例の物は? いざとなったらちょっと楽しみになってきたよー」
 十八の若者がシャボン玉に期待しているのか……。と、恥ずかしい気持ちもあるのだが、実はわたしも楽しみである。子供の頃にやった遊びを今こうしてやるのは何故か新鮮な気分になるものだ。
 美香に一袋を渡す。わたしの分も一袋あるし、二人同時にシャボン玉を飛ばすことができるだろう。
 わたしは近くのベンチに座ろうと美香を誘い、腰を下ろした。
 この公園はとても人気がないらしく、人がわたしたち二人しかいなかった。けど、冬の五時といえばあと少しで空が暗闇に覆われるような時間帯である。小さな子供はもう帰るべき時間なのだろう。ベンチに座って真正面を向くと、綺麗な夕日が目に焼きついた。空はオレンジ色に染まり、風はなく、静かな空間がここにあった。こういう雰囲気は嫌いじゃない。けど、大好きでもないかもしれない。下手をすると気分までもが沈んでしまうから。
 ガサゴソと美香が袋の封をこじ開け、さっそくシャボン液の入った容器のキャップを親指で弾き飛ばした。キャップは弧を描きながら地面へと落ちていく。後で拾わなきゃ。ポイ捨て扱いになっちゃうし……。
 横目で美香を見ると、プクーッと透明でちょっと虹色がかった球体がわたしたちの目の前に現れてきた。ああ、そうだ……こんな感じだったな。シャボン玉って。
 しばらくすると、シャボン玉は空中へと飛び上がっていく。わたしは目だけじゃなく、顔も一緒に動かしてシャボン玉を追い続けた。夢中になるってこういうことなんだろうな。何故か自然に追い求めちゃうっていうか、言葉では言いにくいけど、そんな感じ。
 しばらくわたしは自分でシャボン玉を作らずに、製造係りは全て美香にまかせた。美香も交代とは言わないし、両者納得の役割分担ってことでいいだろう。
 そんな状態がいつまで続いただろうか。突然わたしは、美香にこんなことを喋っていた。本当に唐突だったと思う。けど何故か、シャボン玉とわたしの脳内に浮かび上がった漢字一文字がシンクロしてしまったのだ。
「ねえ、美香。シャボン玉と夢って何か似ていると思うの」
 やはり美香はキョトンとわたしを見つめ返してくる。このままでは何も伝わらないので、文章を補足しておく。
「シャボン玉ってすぐ割れちゃうでしょ? パチンっていう風にね。わたしたちが抱いている夢もさ、そうやっていきなり割れちゃう時があるんだよね」
 わたしが真顔で話しているのに気づいたのか、美香も少し真剣な顔つきをしてくれた。けど、まだ何かを喋る気はないようで、いまいち内容が掴めていないのだろう。
「わたしの夢はね、美大に行って有名な画家さんになることだった。けど、実際それは叶わないことで、今わたしたちが通っているのは文系の国文学科でしょう? 結構目標がずれちゃってるのよね。今から何とかして再チャレンジしようなんて気にもならないし、勝手にいつの間にか今の自分で満足しちゃってるの。一つのシャボン玉が割れてしまったわたしは、また新しいシャボン玉が誕生してくるまで待つしかない。夢って簡単に壊れちゃうものなんだよ……きっと」
 ちょっと語りすぎちゃったかもしれない。こんな真面目な話をするのってあまりないから、美香を逆に困らせてしまったかな。この話はなかったことにしよう。こんな空気のままでいたくないって気持ちが強かった。
「ねえ、ほとんどの人は夢を叶えられずにシャボン玉を割っちゃうのかもしれない。けどさ、ちゃんと立派に叶えた人だって少数だけどいるよね。あたしは叶えた人と叶えれなかった人には大きな違いがあると思うの」
 それって何? わたしは美香の言葉に釘付けになった。
「叶えれなかった人は、ちゃんとシャボン玉を割らないように努力しなかったんだよ」
 そう言うと、美香はコートのポケットから片方だけの軍手を取り出した。それを左手に付けると、右手でストローを口に運びシャボン玉を作り始める。
 少し前かがみになって、下向きにゆっくりと膨らませていた。今までとは違うやり方だ。
 フワフワと空中に浮かぶシャボン玉は、今日見た中で一番光り輝いてみえた。ただ単に夕日の光が強くなっただけなのかもしれない。けれど、それ意外の何かがあるような気がする。何か特別な物……。
 シャボン玉が空高く舞い上がる前に、美香は優しく軍手を付けた左手でシャボン玉を包み込むようにして触った。普通に人の手で触ると弾けて割れてしまうが、今回は割れずに軍手の上で半球が出来ていた。そうすると、美香はストローをベンチの脇に置き、右手で左手をガードするように。頭をうつむかせて上からシャボン玉に覆いかぶさるように、更にシャボン玉を風から守ろうとする。
「シャボン玉ってね、何か強い衝撃とかがない限り、そう簡単には割れないんだよ。だから、その衝撃を防ぐ為に頑張ればいい。ただ空中を彷徨わせるだけじゃなくて、自分の夢は自分で守っていくものなんじゃないかな」
「…………」
 はっきりと何かが分かったと問われると嘘になる。けど、少しくらいなら分かったような気がする。そういえば、自分から積極的に行動した記憶はあまりなかったように思える。努力する人は信じられないくらい頑張っているんだ。それなのにわたしはシャボン玉を守るということすら考えていなかったのだ。
 しばらく正面の夕日に顔を照らされてみた。美香も同じように夕日に目を向ける。その時、少し強い風が吹いた。横目でちらと美香の左手を見てみる。
 ――まだ、シャボン玉は割れずに色彩豊かな姿をわたしに見せてくれていた。

     

 あの日から数日後のこと。とあるマンションの一室で怒鳴り声が聞こえる。そこは一人暮らしをしているわたしの家。
「え、大学辞めるってどういうことよ!?」
 美香の大声が携帯から響いてくる。耳が痛い……。
「だから、そういうことよ。わたし、美大に通いたい。一度割れちゃったシャボン玉だけど、またそれと同じシャボン玉を作りたいと思ったの。それで、今度は割れないように頑張ろうと思う。親にはもう何時間も散々怒鳴られたから、美香の説教は軽めにお願いね」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。そんないきなり……」
「ごめん。心配させてるのは分かるけど、やっぱり諦められないんだ。とりあえず今期の授業料分は勿体ないから、それまでは今の大学に通うつもり。それからは、また受験生に逆戻りだね」
「呆れた……。あの話をしたのはあたしだから何とも言えないけど……」
 少しの沈黙の後、美香はわたしにこう言ってくれた。
「やるからには頑張りなさいよ?」
「ええ、もちろん。ところで美香、私が将来有名な画家になった時の第一作目はもう決めてあるんだけど、何だと思う?」
 さあ、分からないよ。と言い返してきた彼女にわたしは答えてあげることにする。いつか必ず描いてみせよう。いつになるかは分からないけど、絶対に……。
 だって、あの日のシャボン玉ほど魅力的なモデルはないのだから。

       

表紙

ロン 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha