キースは太子の陣に呼び出された。
戦闘が一段落ついたところで、論功行賞を始めようということだった。
本陣には諸族の長が一同に集結し、軍監によって、集められた功績が明かされていく。
途中で伝令が走り、ニバール太子に何か耳打ちがなされた。太子はその報告を聞くや否や破顔する。
「諸卿。これから火炎の魔術を披露する。宜しくご覧あれ」
ニバール太子は主だった者を連れて陣を出た。すでに夕陽が沈みかけている。死にゆく森は不気味な沈黙を保っていた。
「撃てっ!」
ニバール太子が指示を出すと、先ほどの戦闘の時よりもさらに大きな火球が魔術師らの中心に膨れ上がり、巨大な気が周囲の草をなぎ倒した。
キースは一応その原理を知っていた。
この地上のありとあらゆるものの諸元は気であった。人間に限らず、呼吸によって気の出し入れをする。気が動くとそこに風が生まれる。天のことを大気といい、人々はそれを崇める。
魔術というのは、その気を、体内で練った気に感応させて五行へと変じ、生まれた力を言葉の力によって思うままに操る術らしい。
たとえば、いま魔術師たちがしているのは大気を炎に変じる術だ。それを風で操って吹き飛ばし、城を破壊しようというのだろう。
鳥たちがいっせいに木々の間から飛び出した。
第二の太陽は、むしろ緩慢に、弓なりの軌道を描いて着地する。眩い閃光が、空気を引き裂いて轟音を放ち、遅れてやってきた熱風は、城とその目下に広がる街をなぎ倒した。
人々は声も出なかった。
森は今や黒煙を放ち、爆心地には何一つ残っていない。
「わが王朝に逆らう族あらば、すべてこのような末路を取る。無論、諸卿らに害を及ぼす者らも同様である」
ニバール太子は今回の出征に反対だった諸族を恐怖によって威圧しようと目論んだのであった。そしてそれは当った。人々は我先にと跪き、王家に対して忠誠を誓ったのである。
ただ一人、立ち尽くしていたキースは、咄嗟に剣を抜いて飛び出した。
燃える森林から神速の矢が放たれた。キースは太子に向けて放たれた矢を間一髪で防ぐことに成功したのである。
「何事かっ!」
さすがは剛毅の太子である。今まさに殺されかけたにも関わらず、彼は怯むことなく矢の放たれた先を睨みつけた。
だが、矢はキースによって防がれた一矢だけではなかった。次々と飛来する矢が、身辺を護衛していた強兵をなぎ倒していく。
「来たか!」
むしろ嬉しげにキースは呟いた。
「我こそはシヴァ族の長、イブンの息子ロゥランなり! 太古の民に敬意を持たぬ野蛮人よ。その血によって、罪を贖うべし!」
ニバール太子は矢を放った人物を見て驚いた。その男はたった一人だったからだ。
身を遮るものを一切持たず、周囲に無数の矢を林立させて、そこから次々と矢を抜き放ちざまに放つ。
浮き足立った人々をキースは叱咤した。
「身を低くしろ! 頭を上げるな!」
ニバール太子は自らの絢爛豪華な盾を侍従に持ってこさせると、ただちに旗下の兵たちに陣を組むように指示を走らせた。
しかし、戦闘が終わったこともあり、兵はすでに装備を解いている。再集結の命令を下しても、いくらかの時間がかかりそうだ。集まった諸族の長を除けば、今すぐに使える手近な兵力は近衛の者たちのみ。その五百を満たない。
「あれほどの武者が残っていたとは」
「おそらく、シヴァ族一の剛勇の持ち主かと」
キースの返答に頷きつつ、ニバール太子はすぐさま指示を飛ばして兵たちに襲い掛かるように命じた。
その距離、およそ五百歩ほどである。
さすがに兵たちはよく訓練されていた。一糸も乱れぬ隊列が三方からたった一人を封殺するために走った。
だが、ロゥランの技は、数の不利を見事に覆していた。
彼が気だるげに一矢を放つごとに確実に一人の命が奪われる。場合によっては、一人を貫いた矢がその背後にいた別の兵に突き刺さる事さえある。それが恐ろしく速い。
喩えて言うなら、驟雨が横なぎに降り注ぐがごとくである。雨を避けることができないように、その矢は兵たちを無情な死に追いやっていく。
左から近づけば、がら空きになった身体の右側は格好の標的となり、右から近づけば、盾ごと貫かれる。正面から近づく者には、矢の影すら見えなかっただろう。
ロゥランから五十歩の距離まで近づけた兵は一人としていなかった。
――なんという剛弓、そしてなんという技量!
その場にいた全ての人々が、圧倒的なその様子に息を呑んだ。
「太子、今のままでは全滅してしまいますぞ!」
そう言った近衛の長が、次の瞬間にはロゥランの矢で首を貫かれて、一撃のもとに絶命する。
「弓を使え! 遠矢で奴を射殺すのだ!」
ニバール太子の指示で、百人ばかりの弓箭隊がにわかに組織され、一斉に矢が天空に向かって放たれた。
ロゥランは足元の何かを跳ね上げた。それはすぐに盾だと知れた。そう、こちらに盾があるように、向こうにだって盾くらい存在するのだ。
盾はロゥランの頭上の矢を防いだ。ロゥランには傷一つついていない。
さらに、百人もの人々が矢を放てば当然、かすりもしない矢があるのは当然のことである。それらは大地に突き刺さった。
――矢をくれてやるようなものだ。
キースは内心で呟いた。
果たしてその通りだった。ロゥランは放たれた矢を再利用して、弓箭隊を次々となぎ倒していく。速度が桁外れに違うのだ。むろん、頭上から降り注ぐ矢と直線に飛ぶ矢を一度に放てばロゥランとて防ぎようがなかっただろう。だが、ロゥランと同じだけの飛距離を飛ばせる矢はこちら側には存在しなかった。そういう距離を計算していたに違いない。
たった一人に、五百人いた兵がことごとく倒されつつある。おそらく、もやは生き残りは百名を超えまい。
キースは決心した。もう技は十分に見た。これ以上見ては興ざめもよいところだ。
――いざ、戦いの場へ。
「太子、私に出撃のお許しを」
「う、うむ。おぬしならばあの者を倒せるだろう。よし、キースよ、あの者の首をわしの元へと持ってまいれ」
「謹んで」
キースは解き放たれた鳥のように戦陣を飛び出した。
ロゥランは飛び出してきた金髪の若者を見て、覚悟を固めた。
――侯子。あなたの望む通りにしてやったぞ。
キースに対しては、複雑な思いがしないでもなかった。だが、それは全て忘れようと心に決めた。
彼は敵方の武将であり、故郷を焼いた憎むべき存在なのだ。
ロゥランは呼吸を一拍整えてから、矢を放った。
矢は流星の勢いでキースへと迫る。
キースは剣を一閃させた。
矢が弾かれた。
今まで、誰一人として反応することさえ叶わなかった必殺の矢が、初めて防がれたのである。
だがロゥランにとってそれは予想済みのことなのである。ずっと、この瞬間を頭に描いてきたのだ。
一切たじろぐことなく、ロゥランは次の矢を放つ。
キースとて矢の弾幕は予期していたこと。すでに修練は十分に積んでいる。恐れることはないはずだった。
「っ!」
キースは立ち止まった。
なんと、いったんはすれすれに地を這うように飛行していたのだが、キースの足元から急に上昇したのだ。立ち止まらなければキースとて反応できなかっただろう。
ロゥランは、矢の軌道を変えるという妙技を会得していたのだ。
キースがあわやというところで剣を振るうを、今度は真正面から二の矢が飛んでくる。
右から、左から、ロゥランの矢はまるで意志を持つかのごとく、前後左右を自由自在に曲がってやってくる。しかもそのどれもが信じられない程、速い。
人々は信じられない光景を目撃していた。
弓と剣が、斬り結んでいるのである。
まるで剣士同士が剣を打ち合わせるがごとく、キースは立ち止まって剣を振るい続けなくてはならなかったのだ。しかもその間に横たわる距離、およそ三十歩、縮むことも広がることも無い。
双方が一歩も引かない打ち合いは、だが、終焉の時を迎えていた。
「見ろ、奴の矢が尽きる。侯子の勝ちは決まったようなものだ」
誰かが解説するまでもなく、皆その時を待っていた。
果たして、ロゥランの矢が尽きようとしたそのとき、彼は今まで一歩も動かなかったその場を飛び退った。
皆忘れていた。彼が故郷の森林を背にしていたことを。
ロゥランは森の中に姿を消し、キースはそれを追いかけてやはり森へと飛び込んでいった。
取り残された人々は、呆然とその様子を見つめていた。
「お、追え。奴を取り逃すな。奴の一部を持ってきたものには、恩賞を与える。それがたとえ衣服の一部であってもだ。絶対に奴を殺すのだ!」
太子が叫ぶと、呆然としていた人々が一斉に我を取り戻した。
ロゥランのような弓の勇者を取り逃しては、ニバール太子は暗殺を恐れて枕を高くして眠る事も叶わないのである。絶対に今始末しておかねばならない。
恩賞に目のくらんだ幾人かが、武器を手に森へ飛び込んでいった。