Neetel Inside 文芸新都
表紙

深淵の瞳
act.4「mother and bomb」

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 さぁさぁ。
 細々とした雨粒が垂直に落ちていく。弱々しくも小気味良い音を響かせるそれは、まるで音楽のようだ。
 そのメロディが響く暗夜で、私は今、刃物を硬く握り締め、怯え震える少女を見下し最高の笑みを浮かべている。
「……なんで、あなたが生きているのよ?」
「ひ、ひぃっ……」
 私はしゃがみ込み、もがくことさえ止めひたすら震える少女の長髪を強く掴むと、強引に私の顔の前へと持っていく。
「私の娘は死んでいるのに……なんであんたは生きているのよ?」
「あ、あなたの娘さんなんて……し、知りませんん…」
 その一言で目の前が真っ赤に染まった。泣きじゃくる少女に異様なまでの快楽と、そして強い憎悪を感じた。もういい、殺してしまおう。この気が狂いそうな憎悪を消し去るには殺すしかない。娘の仇なのだ。
「……げぅっ」
 気がつけば握り締めていた刃物は、半分近く少女の咽下に埋まっていた。血の泡を吹き出し、白目を剥く少女の顔から血の気が引いていくのが、闇夜の中でもよく分かった。
「……は、あはは……あはははは……あは……」
――もっと刺せ。
 強い願望が刃を引き抜かせた。ビクンと少女の体が跳ね、そして吹き出した血液が私の体を雨と共に濡らす。
――もっともっと血を見せろ。
 二度目は臍をよぅく狙い、今度は両手で深く深く叩き込み捻った。意識の飛んでいる少女は薄らと開けた目をこちらに向けている。
――もっともっと、もっと血ヲ。
 私を見るな。
 再び湧き上がる激しい憎悪によって、少女の綺麗な瞳が一瞬にして血と白濁液で溢れかえる。そのどろりとした液体の感触に大きな悦びを感じ、左手で対の眼球を思い切り突いてみる。弾力のある球体がぐるりと一回転し、ぼとりと少女の腹部に落ちる。空洞と化した左の目が何か私に語りかけている。
――もっともっともっともっとモットモットモットモットモッとモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモもっとモっと…。
 最後は、何をしているのか、私自身にも理解できなかった。ひたすら刃を突き立て、捻り、引き抜く。
 作業的ともいえるその行動は、私に強い悦楽を感じさせ、そして同時に強い依存性を産み付けていく。
「あははははははははははははは」


 私は一体、どこで道を間違えたのだろう。
 
 雨はいつの間にか、横薙ぎの風を受けて激しく舞っていた。

   act.4[Mother and Bomb]

 ざわつく周囲を気にも留めずに、僕は二人で同時に教室に入る。周囲からの視線が妙に驚いた表情であるが、それは『馬鹿な行為を全国に晒した』僕に対してなのか、あの日以来休学状態であった彼女が登校して来たからなのか、まぁどちらでも良いだろう。
「……ええと、なんて言えば良いんだろうな?」
 僕は顔をほんのり赤く染めながら隣に立つ少女、山下に助けを請う。
「普通に言えばいいじゃん。『おはよう』って」
「いや……まぁ、そういえば良いんだろうけど…なんていうか、とんでもない年越しだったからさ…あいつも俺も…」
 刹那、もじもじと指を絡ませる僕の背中に強い衝撃が走り、ニッコリと笑みを浮かべた水島が現れる。
「おはよう!!」
「え、あ……おはよう」
 クラス全員の表情が見事に凍り付いているのは、確実に水島が原因である。この光景は一生僕の記憶のアルバムに焼き付けておこう。そう強く誓った。
「皆もおはよう!!」
「水島、だよな?」
 クラスの男子の一人が思わず、彼女を指差し問いかけてくる。僕は微笑を浮かべながらゆっくりと一度、深く頷いた。
「水島さんおはよう」
 教室の戸をガラリと開け、茶に染めたアシメの青年がさわやかな笑みを浮かべて入ってくる。僕はその何事も無かったかのような笑みに多少の苛立ちを覚えた。
「…笹島。よく俺達の前に顔出せたな…」
「いやだな杉原君。『昼』の僕はただの学生ですよ?」
「……反省するつもりは全くないようだな?」
 笹島は満面の笑みを浮かべて「ええ」とハッキリと答えた。
「結城に何かしたら、ただじゃおかないからな……」
――しませんよ。
 その一言に多少の安堵感と強い嫌悪感を抱き、まるで汚いものにでも触れるかのような目で笹島を睨みつけた。だが案の定彼は屈託の無い笑顔を浮かべ、こちらをじっと見つめている。
「ああそうそう、そういえば貴方達に伝えることがありました」
 僕と、山下と、水島の表情が一変した。
「ここ最近の少女刺殺事件についてです」


「これで何件目だ?」
「……五件目ですね」
 木原は口を押さえている。というか押さえない人間がいるなら見てみたいものだ。これだけ徹底的に刃物を突き立てられ、目を抉り取られた遺体なんて誰だって見たくはないものだ。
「全く、ネクロフィリアの方がまだマシでしたよ……」
「マシとか言うもんじゃない」
 すみません、と木原は呟き小さくなる。正直私も彼と同じ意見だが、それを口に出してしまえば先輩として失格である。ここは少しでも平静を装って捜査に取り掛かるべきだ。その方が木原にも良い影響を与えることが出来るだろう。
「それにしても、これも御陵さんが言っていたやつですか?」
「あぁん?」
「アレですよ。究極のサディスティック」
「まぁ多分そうだろうな。と言いたいんだが……」
 木原は首を傾げる。
「が?」
「高校生位の少女に強い怨念を抱いている人間。そうそういないんだよ…。強姦対象にするならまだしも……」
「……娘を失った両親の犯行?」
「あぁ、俺がまさしく言いたかった事だ」
 私は返事を返しつつ胸ポケットから携帯を取り出し『知人』欄に記録された少年の番号を表示した。
「誰に電話ですか?」
「杉原だよ。どうせこの事件もあいつに関連してるんだろうしな、それに……」
「それに? なんです?」
「俺もあいつも、切羽詰ってるんだよ……」
 そう、杉原も私も大切な人間を悪魔に握り締められているのだ。未成年であれど、この窮地を脱するには、協力してもらうしかない。
「もしもし、杉原か? 今からこっち来れるか?」
 彼はいとも容易く二つ返事を返してきた。


「……お久しぶりね。もう来なくてもいいって言ったのに」
 玄関で直立不動になっている僕を、雪野さんは弱々しく微笑みながらぎゅうと強く抱きしめてくれた。柔らかな香りと温い感覚が僕を包み込む。
 何故か雪野さんは僕が来ると必ずハグをする。僕を今は亡き彼女に見立てているのだろうかと思った時もあったが、僕は男であり、あいつは女であった。見立てているわけではないと何故か強く願っている僕がそこにはいた。
「すみません。でも、どうしてもちゃんと伝えたいことがあって」
 ローファを脱ぎ、ギシギシと軋む廊下を雪野さんの後ろについて歩いていく。この先に、彼女はいるのだ。とても小さい写真で…。

「……じゃあ、帰る時は言ってね」
「ありがとうございます」
 そう言って頷くと、雪野さんは微笑みながら戸を閉めた。僕は彼女が部屋の前から去ったのを確認してから、ゆっくりと畳に両の足を揃えて座る。一本だけ立った線香は一繋ぎの鼠色をした煙を吐き出し、僕を見つめている。
「ここに来るのは、正月ぶりかな?」
 勿論返事などあるわけが無い。
「まぁ、ここに来るのは俺の自己満足なんだけどな。お前を弔う気持ちなんてこれっぽっちも無いんだ。悪いけど…」
 次第にズボンを握り締める両の手に力が入る。
「お前はただ単にネクロフィリアから身を守りたくて寄りを戻そうとしただけなんだもんな。それで、断られたお前は須賀を利用しようとして、殺された……」
 乾いた笑いが僕の口から吐き出される必死で止めようとしているのに、止まる気配は全く無い。
 線香が軽く揺らいだ気がした。
「俺、決着をつける事にしたんだ。もうこれ以上巻き込まれたくないから……」
 僕はすっと立ち上がると、煙の立ち上る線香をパキリと真っ二つに砕いた。
「だからさ、俺がこうなった元凶のお前と、永遠にお別れする為に来た。もう、お前を弔うフリして現状から逃げるのは止めだ」
 さようならは言わないと決めていた。言ってしまえばまた縋りそうだから。
 僕は砕いた線香を灰に紛れさせると、戸を開く。
 そこに、雪野さんはいた。
「雪野さん?」
「……」
 着物姿へと変貌した雪野さんは、僕を無機質な瞳で見ている。そう、まるで『深淵の瞳』のような黒く深い瞳だ。
「じゃあ、俺もう行きますんで」
 嫌な予感が頭をよぎり、僕は雪野さんの横をすり抜けようとした。
 けれども、すり抜けるよりも先に雪野さんの白い手は僕の右手首を捕らえていた。かつて弱々しかった筈のその手には痛いほどの力が込められていて、僕はたまらずうめき声を漏らしてしまった。
「杉原君……」
 ぐるん、と視界がゆれた。
 引っ張られ、畳に叩き付けられたのだと気付くのに、多少の時間がかかった。脳が揺れたせいでやけに吐き気がする。
「雪野……さん?」
 戸をパタン、と締めると彼女は自らの帯に手を添え、そして一気に解いた。
 ざぁ、という不思議な布擦れの音と共に帯が地に堕ち、そして帯によって支えられていた衣がはだけていく。雪野さんはそのはだけた衣を恥じもせずに脱ぎ捨て、僕の前に立ち臨んでいた。
「ゆ、雪野さん?」
「……杉原君、もうだめなの……これ以上この苦しみに耐えられないのよ」
 後ずさりする僕を追い詰めるように彼女は僕に覆いかぶさる。そして僕の右手を手に取ると、自らの胸に強く押し付け微笑んだ。その柔らかな感触が、僕にはとてつもなく恐ろしく感じた。
「この苦しみから解放して……杉原君……」
 柔らかな匂いが僕の頭を混乱させていく。その目の前の苦しむ裸女の黒い感情に僕はきっとあてられている。
――彼女は一体、僕なんかに何を望んでいるのだ?
――僕はただの学生だ。
 雪野さんのほっそりとした白い指が、僕のベルトを起用に剥がしていく。僕はぼんやりとした頭で目の前で起こる状況を客観視し続ける。

 僕は、その状況下で、ゴクリと唾を飲み込んでからゆっくりと口を開いた。

     


「……平井由佳、山本祥子、福井美由、代田裕香、佐波修子…」
 静かに呟いた言葉に、雪野さんの瞳が戸惑いの色を見せた。僕は続ける。
「ここ最近の死んだ女子高生の数です。ニュースを見ているなら、知っていますよね?」
「……えぇ、そうね。しかも確か全員、杉原君の学校の子じゃなかったかしら」
 無言で見つめる僕に、彼女は醒めてしまったとでも言いたげな表情で僕を見つめ、そして静かに立ち上がり衣を手に取ると慣れた手つきで着ていく。
 僕は着物を羽織る雪野さんの姿から、目を逸らす。
 とてもじゃないが、見ていられない。
「それで……それだけの人数を殺して、その喪失感は癒えましたか?」
「……?」
 雪野さんの驚いた顔が、また僕の心を深く抉った。
「癒えてるわけないですね。僕を玩具にしてこんなことやってるくらいですし」
「何を言っているの? 杉原君?」
 けれども僕は躊躇わずに言うべきだ。彼女の為に、僕自身の為に。
「僕には見えるんですよ。『殺人者』かどうかが……」
 この、僕がかつて嫌っていたこの『深淵の瞳』を使って……。

act.4-2

「俺は雪野佐代子を犯人だと思っている」
 そう切り出したのは御陵さんだった。
「何故です?」
「単なる勘だ」
 御陵さんは目を逸らした。ああ嘘か。僕は無意識のうちにそう理解した。
 問いかけに勘、という言葉でずっぱんと返されたが、何度もあることなのでそこまで気にはならない。この人は勘でモノを言う人でないし、また妙な正義感を抱えているせいで嘘をつくのが苦手な人なのだ。勘という言葉を吐いた後に目を逸らしたのがその証拠だ。
 それにしても、御陵さんは何故彼女を犯人だと決め付けているのだろうか。元彼女に手を合わせている時に会う彼女の姿は、とてもじゃないが殺人ができそうな精神状態じゃなかったと思う。
 といっても、この眼を手に入れてから一度も会っていないためなんとも言えないが…。
「……まぁ、いいです。それで? 俺が雪野さんをこの『瞳』で見てくればいんですか?」
「手に入れた力は利用するべきだからな。よろしく頼む」
 御陵さんはじっとこちらの目を見てそう言った。
 溜息しか出ない。まだ使用する毎になんらかの影響が体に残るかもしれないし、どのような見え方が『殺人予告』であり『殺人者』であるのかまだ明確に分かっていない。予想だけの決め付けでしかない状況でどう判断しろと言うのだろう。
 深淵の瞳で見た状態で、見えるのは今のところ三種類。『赤』と『黄』と『緑』だ。
 赤色は『施し屋』が放っていた為、殺人者だということが分かった。だが黄色はそこら中にいた。通常黄色に見えるのかと思えば、そういうわけではない。光を放っていない人間もいるからである。また、人を殺している筈の笹島も黄色い光を放っていた。
 そして問題は緑だ。赤、黄よりも本当に極まれにしか見ない色。これは水島と繋がっていたインフェルノが放っていた色であったが、それ以外の緑は見たことはない。
「分かりました。けど、まだこの見えてる色がなんなのか詳しく分かってませんよ?」
「いいんだ。とにかく、君が彼女の前でその瞳を使い、そして被害者の名前を言ってくれればそれで良い」
「はぁ……」
 御陵さんにはそう言われたが、イマイチ僕は納得がいかなかった。

     ―――――

 赤だ。
 玄関で見た彼女は、明らかに赤を纏っていた。
 そして今、僕は御陵さんの言うとおり、被害者の名前を出し、そして彼女はそれに驚く仕草を見せていた。
「僕には見えるんですよ。『殺人者』かどうかが……」
 この言葉を言うと同時に、彼女はふふ、と憂いを帯びた笑みを見せる。その笑みに、背筋がぞくりとした。
「面白いことを言うのね、杉原君は……」
「すみません。ちょっと気になっただけなんで。こんな時期に冗談じゃすまないこと言っちゃって」
 雪野さんはゆらり、と体を左右に揺らしながら僕に歩み寄ると、細く白い両手で頬を撫でてきた。その白くて冷たい手に対し、僕の脳が危険信号を出しているのが嫌でも分かった。だが、体が動かない。まるで全身の神経を抜き取られたかのように、僕の体は警戒を解いていた。
「いいのよ。だって、本当の事だから」
「……!?」
「すごくね、悔しかったの。なんで私の娘が死んじゃったのに、他の奴はのうのうと生きてるんだろうって……」
 僕は目を見開く。
 雪野……いや、連続殺人事件の殺人犯、雪野佐代子はこの世の全てを理解したかのような、優しい笑みを浮かべながら僕の首に手をゆっくりと移動させ、きゅうと苦しくない程度に締め付ける。
「本当はあの子の苦しみを分けてやろうと思っただけなの。でもね、三人目位になったら。早苗の事なんてね、どうでもよくなっちゃったの」
 早くどうにかしなくてはいけない。どうにかして彼女から離れなくてはいけない。そう強く脳が信号を出しているのに、体は一向に動く気配が無い。まるで案山子だ。
 そうこうしている間に雪野佐代子の手による圧迫感は強くなってきている。
「四人目からはね、体が求めるのよ『もっと命を啜れ、血の匂いを嗅がせろ』って。素敵なことだと思わない? 娘のおかげで、新しい快感に出会えたの」
「狂ってる……」
 呻くように呟いた一言に彼女は「あら、ありがとう」と一言返してきただけだった。
「でね、あの高校にね。爆薬でも仕掛けたらどうかって『言われて』ね……。ねぇ、どう思う?」
 楽しげに語る彼女に激しい嫌悪感を感じながらも、動かない体に必死に動けと信号を出す。だが全く動く気配は無い。
「楽しそうでしょお? というかね、もう仕掛けてはあるの。でね、とりあえず連絡が取れそうな女の子だけ、連絡網って言って連絡してあるんだよ……」
 彼女の気味の悪さよりも、彼女の言った一言に衝撃が走った。
「一年生から三年までの連絡網ね。とりあえずあの学校の女の子を皆殺しにする開幕音ってことでね」
――連絡網……。山下も、御陵も入っている…!?
 早く行かなくてはいけない。そんな思いと、動かないことに苛つく思いが僕の中で衝突している。
「そんなことをし続けて、何になるって言うんだ!?」
「あら、学校の女の子を殺し終わった後の結末はできているのよ?」
 僕は、その後の一言を容易に予想することが出来た。
「娘を守れなかった彼氏に、罰をね……」

     ―――――

「どうして水島さんに連絡いかなかったんだろうね。連絡網に名前が無いからかな?」
「早く追加したの作ってもらえば良かった……。山下さんに言われてなかったら忘れられてるところだったよ」
 水島さんはおどけた笑みを見せた。私はその人間味のある表情にホッとする。
 以前の彼女ならば、きっと行かないと言っていただろう。というか、私が話しかけても基本的にだんまりを決め込んでいた筈だ。
 ここまで表情が柔らかくなったのは、きっと杉原君のおかげだ。一体何があってここまで彼女を変えることが出来たのかは分からないが、それでも彼女に笑いかけてもらえるだけで十分元気が貰えた。気持ち的に余裕が無かった私にとって、水島さんの存在はとても大きい。
 一時的にクラス全体から無視を決め込まれていた私が、当然クラスメイトを信じられるわけも無く、病院にいた時の見舞いも、数名以外拒絶し続けていた。入室を許可した杉原君にさえ恐怖を覚えていた私に、誰も味方はいなかった。
 それを考えると、今こうやって誰かと接することが出来るのは本当にすばらしい事なのだろう。
「山下さん…どうしたの? 何か悲しいことでもあったの?」
「へ? いやいやいや大丈夫なんでもないよ!!」
 水島さんの一言で我に返った私は、目から溢れている涙を拭う。まさか涙を流してしまうとは、と自分のしょうもなさに思わず笑った。
「そうそう……私のことは『山下さん』じゃなくて、由佳でいいよ」
「ええ、でも……その……」
 彼女は恥ずかしげな表情で身を捩っている。その可愛らしさに思わず抱きしめたくなるが、そこは必死で自分を制した。
「まぁ、慣れたときにでもいいから、いつか呼んでね」
 強制はしない。いつか、水島さんが自分からそう呼んでくれることを願う。
 水島さんはにっこりと笑みを浮かべると、小さく頷いた。

 ガラリと体育館の門を開けると、そこには見覚えのある顔と、ない女子が入り混じっていた。
「由佳、やっほー」
 御陵さんは私に手を振る。その時周囲にいた数人の女子が嫌そうな顔を浮かべているが、気にせずに私は手を振り返した。
「今日のこの集会なんなんだろうね。御陵さん分かる?」
「よく分からない。でも、一つ言えるのはね……」
 御陵さんは指を一本私の前にぴん、と立てた。
「雪野早苗のクラスメイトなのよ。全員…」
 雪野早苗の名前に、私は身を震わせた。私をこの状況にまで追いやった元凶。もう死んでしまったけれど、その後もしつこい程に私の周りを彼女の存在は取り巻いていた。
「……」
「まだ気にしてるの? ハブられたこと……」
「気にしないでいられるほど強くないから」
「お隣さんみたいにシャンとしてなさいよ。ほら!!」
 御陵さんはにんまりと笑うと、私のお尻をパン、と強く叩いた。
 以前の誰とでも仲良く出来ていた自分はどこへ行ったのだろうか。あれだけ明るかった私は…。
「悩まなくて、良いと思うよ?」
 水島さんが、搾り出したような声でそう、私に言った。
「今が楽しければ、それでいいじゃないですか」
「うん、そうだね」
 水島さんの言葉に、私は心から感謝する。
「だから、その……そうね……これもway:の仕掛けたものなのかしらね」
 水島さんの顔色の突然の変化と共に、彼女の言葉もだんだんとおかしくなっていき、そしてしまいには彼女はバタリ、と音を立てて倒れた。
「ちょっと!? 水島さん!?」
「大丈夫……元に戻っただけだから……」
 再度立ち上がった水島さんはそう呟くと、私に無理矢理に近い笑みを浮かべた。
「ごめんなさいね、笑うの、あまり得意じゃないの」
「え、ええと……うん……」
 彼女の突然の豹変に戸惑いを隠せないでいると、御陵さんが私の肩にもたれかかってきた。
「……おかえりって言った方がいいのかな?」
「一時的なモノだと思うわ。杉原君が『深淵の瞳』の所持権利を破棄したみたい。で、元の所持者の私に戻ったと…」
「返却って……あの瞳は返却できるものなの?」
「私もびっくりしてるのよ。あの時、強引に持っていかれたせいで壊れてたのに、今更戻れるなんて…」
「でも彼が望んだら、瞳は戻るだろうね。その時、沙……有紀はどうなるの?」
「分からない。でも、彼が私に瞳を戻したって事と、体育館に集められた理由は関連してると思うの」
「どういうこと?」
「多分だけど、雪野佐代子ね。あの人、葬式の時からずっと『橙色』だったのよ。一番危ない状態の」
 水島さんの言葉に御陵さんは唸っている。
「雪野の家、色々歪んでるし……。ここにいたら殺される?」
「ええ、多分」
 二人の会話に混乱している。瞳がどうたらと話しているが、一体何が起こったというのだろうか。水島さんは以前の冷たい空気を放っているし、御陵さんは杉原君と同じく水島さんの事を有紀と呼んでいるし……。
「あの……一体……?」
「ああ、ごめんなさい。多分…今説明しても混乱してしまうだけだと思うから…今は黙って私についてきてもらえるかな?」
 水島さんはそう言うと、私の前に手を伸ばす。
「山下……由佳さん……」
 彼女は多分『あの時』までの水島さんなのだと理解するのに、数分かかった。
「以前の水島さん……だよね?」
 そう問うと、彼女は苦々しい笑みを浮かべた。
「えぇ、水島であることに変わりはないわよ」
「……分かりました。付いていきます」
 水島さんはその言葉に、今度は優しげな微笑を見せて、こう言った。
「ありがとう、由佳ちゃん」
 その言葉に、驚いた反面、とても嬉しくなった。水島さんは水島さんなのだと感覚的に理解できた。
「人手は私と由佳の三人で足りる? てかこれはインフェルノ辺りが一枚噛んでる?」
「いないよりはマシよ。あと、インフェルノはway:でも始末担当だから関係無いわ」
 あたふたしながら私が周囲を見回す。
 広々とした体育館の二階に設置されている放送室の扉が、半分開いている。
「あそこ、いつもは閉まってるはずなのに…」
「どこ?」
「放送室です」
 私が指を指すと、水島さんはすぐ傍のハシゴを昇り、放送室まで駆けて行った。それに続くように御陵さんも駆けて行く。私も慌てつつ二人の背を追いかける。

「何か、ありましたか?」
 二人に追いつき、放送室を覗き込む。こじんまりとした中に、上から体育館が見渡せるようにガラス窓が設置されており、そのすぐ傍に機器が置いてある。それ以外は何一つおかしいところはない。
「何もないですね……」
「まずいわね……」
「今、外から体育館閉めたの誰よ?」
「え!?」
 御陵さんの言葉を聞いて、私は一つしかない体育館の扉に目を凝らす。確かに先ほどまで開いていた扉が閉まっている。
「……爆破か毒殺か……」
 機械をいじる水島さんの言葉に私はどきりとする。
 また、命の危険に遭遇しているのだろうか、私は。
「どちらにしろ、時間はないわね。多分どこかに設置されてるヤツを解除しないと確実に死ぬわ……」

 その言葉に、私の心臓がもう一度強く高鳴った。

     


 一瞬遠くなった意識が、再び戻る。と同時に目の前の景色に違和感を感じる。
「見えなくなった」
「何を言っているのかしら?」
 多分僕自身が無意識に『瞳』の所持を破棄したのだろう。先ほどまでくっきりと見えていたはずの、輪郭をなぞる様に輝いていた赤い光が見えなくなっている。
「一つ、聞かせてください」
「なぁに? 杉原君?」
「雪野さんは確かに、雪……早苗のクラスメイトを全員呼んだんですよね?」
「えぇ、そうよ」
「誰一人忘れずに連絡……しましたよね?」
 雪野佐代子は何を今更とでも言いたげな表情ではにかむ。その反応を見て僕は心の中で強くガッツポーズを一度し、そして勝ち誇ったような目で彼女を睨みつけてみる。
「その計画、確実に失敗しますよ」
 首に巻きつけられている手の力が、少し強くなる。
「なぁぜ?」
「俺以上に『人殺し』を見るのが上手い奴がいるんですよ。一人ね……」
 少しづつ、体を縛る何かがほどけていくのを感じる。逃すべきではない。僕はその一瞬を見計らって全身に力を入れる。
 先ほどまでの人形のようであった体が嘘のように動く。僕はにやりと彼女に笑みを見せた後、勢いのまま彼女を突き飛ばし、両腕を抑えながらの馬乗りで完全に彼女の動きを封じた。
「随分と荒々しいのね……」
「悪いですけど、俺嫌いなんですよ。主導権握られるの」
 彼女の虚ろな瞳に写る自分を見ながらそう言い放つ。正直なところ受身体質なのだが、たまには攻めに転じるのも悪くは無いだろう。way:の詳細を手に入れるためには、待つだけではいけない。
 全ては人質を救うために。
「さぁ、全部吐いてください。いますよね? 『協力者』が……」
 僕の問いかけに対し、雪野佐代子はふふ、と嬉しそうな笑みを浮かべている。
「好きよ。そういう勘がいい子……」
「僕は嫌いですよ。殺人が好きな狂人なんて……」
 互いに笑みを浮かべ合う。多分、抑えている僕の方が余裕が無かった。もしも水島が失敗して、山下、御陵もろとも吹き飛ぶと全てが終わる。まぁ御陵が死んだ場合父親の方の御陵さんが動きやすくなるだろうが…。
 とにかく吐かせたい。少しでもあの糞みたいな宗教組織への手がかりを掴みたい。
「吐け!!」
「嫌って言ったら? ふふ」
 僕は躊躇いもせずに、彼女の頬を横に薙いだ。

act.4-3

 体育館内は、扉が突然閉まったことで暴動に近い状態だった。
 その光景を、私達は放送室の窓からじっと見つめている。
「あの集団の中に……いる?」
「ええ、バッチリ見えるわ。向こうは気付いていないみたいだけど……」
 私の目から下の集団を覗き込むと、黄色の中に確かに赤色が一人いた。多分あの黒髪の長い長髪の彼女が今回の集団殺人を考えた『一人』だろう。だがここで突然彼女に「人を殺したでしょう?」なんて聞いたとしても、しらばっくれられるだけだ。どうせならば、彼女の意表を突き、焦りの色を見ているところを捕獲してやりたい。
 しかも仕掛け人の彼女がここにいると言うことは、つまり爆発したとしても生き残れる可能性が高い事になる。また、彼女の目の届きやすいところに仕掛けてあるということも予想できる。
 一人でもその「セーフティポイント」に入らないように見張りつつ、自分だけそこに移動して爆破する。あらかたそんなところだろう。
「由佳ちゃんはここにいてくれる? 御陵さんと二人で周囲を調べてくるから」
 とにかく私達三人が無駄に動いてることには気づいているだろう。が、この騒ぎの中でまだ爆破を押さないことを考えると「放送室にはいてほしくない」のだろう。
 恐らく殺人者は数箇所セーフティエリアを用意している筈。入って欲しくは無いが、入って生き残ったら生き残ったでもう一度殺害のスイッチを押す。つまり何重にも仕掛けてある。
 そんな予想をしているうちに一人の名前を私は思い出す。
「どの場所が絶対に死なない場所なのかが問題ね……」
「どういうこと?」
「昔インフェルノが言っていたのよ。『ゲーム感覚で人を殺す』殺人者がいるってね……」
 インフェルノはその殺人者をなんと呼んでいただろうか……。確か、ブラックパウダーと呼んでいた筈……。いくつもの安全地帯を作り、そこに気付いて助かったら今度は安全地帯をシャッフルしてまた爆破、それを繰り返し、最後には自分のエリア以外全てを爆破する。そんな下劣な殺人をする人間……。
「なら彼女にひたすらついて行けばいいじゃない」
 御陵が表情を緩めてそう言った。確かにそうだが、それでは済まない何かがある気がするのだ。
 だが、そう考えているうちに、大きな爆音が体育館中に響く。
「きゃあぁ!!」
「何よこれ!? 雪奈!? さやか!?」
「なんで体育館に爆弾が置いてあるのよ!? 誰かぁ!!」
 一発目の爆破が始動し、半数近くが血を撒き散らして床に這い蹲っている。火薬の匂いが鼻を刺激してくる為、私は手で口と鼻を覆った。
――何故!? 
 私はそこでありえない状況に戸惑いを覚えた。
 巻き込まれているのだ。彼女―ブラックパウダー―も……。
黒髪を見事に散らしながら、彼女は吹き飛んだ半身を目にしながら、呆然としていた。
「だれかぁ……助けて」
 何故彼女が巻き込まれているのだろうか。既に下半身が千切れ飛んでいるため息が荒くなっているのがよく分かる。だが泣き叫ぶことなく、彼女は静かに自分の半身を見つめていた。
「……う、やっぱりああいうのはグロい」
「今は自分がああならないことだけ願いなさい。というか、この眼を欺くことなんてできない筈なのに……」
「何? 反応していた奴が死んだの?」
 私は無言のままハシゴを降りていく。上よりもキツイ火薬臭に鼻がもげそうである。が、そんなことを言ってられる程状況は芳しくない。とにかく次の爆破までに何かしらのヒントを見つけないとどうしようもない。
「御陵!! 次の爆発までの時間を計ってて!!」
「一定時間で爆破なの!?」
「まだ分からないけれど、それでもやっておく価値は十分あるわ!!」
 私の声に彼女は頷くと携帯の時計に目を向け始める。そこで気付いた。
「…ありえないとは思うけど、電波あったりする?」
「あるわけないでしょう? さっきとっくに圏外なのを確認したわよ」
 御陵の少し苛ついた返事にほっと胸を撫で下ろしながら、私は周囲を見渡す。特に大した変化はないのだが…。壁にも異様に突出した部分は無いし、どこかに細工をした跡も見当たらない。
「なんなのよ。これは……」
 女子を見てみると、恐怖で集団になって固まっている。さき程吹き飛んだのは、十二人…。
 私は今度こそ頭の中の案を一つ搾り出し、振り返ると御陵をもう一度呼ぶ。
「御陵!! 今何分か教えて!!」
「何よさっきから!! 十二時ぴったりよ!! あ、今1分になったわ」
「これで、いいのかしら……?」
 分針が刻む時計の数字分だけ人が死んでいく。可能性がある。すると、次は一人の筈だ。自分達が生きる為には試すしかないだろう。私はハシゴに手をかけ、必死に登る。
「そ、そうよ二階なら爆弾に巻き込まれることもないわ!!」
「あの二人と水島さんがいるわ!! きっとそうよ!!」
 しまった。と思った。
 早く昇らなければいけない。私は足を鉄柵にかける。が、そこで服を思い切りつかまれたかと思うと、そのまま後ろに引き剥がされ、追いやられる。
「私が……私が!!」
「早く行きなさいよ!! 早く!!」
「ちょっと押さないでよ」
「死にたくない死にたくない!!」
 最悪だ。私は自分の携帯の時間を見る。
 五。
 四。
 三。
 二。
 一。
 分針は、五分。つまり『1』の数字を示した。
「!?」
 同時に、ハシゴを一番先に昇っていた少女が爆音と共に激しい血を撒き散らして吹き飛び、少女達の集団の中に放り込まれる。その後の女子群の反応は酷いものであった。悲鳴と嗚咽が入り混じり、そして爆発による衝撃で崩れたハシゴがそのまま集団へと落ちた。
 まさに阿鼻叫喚だ。
「水島さん!!」
「有紀!!」
 そして何よりも絶望的な事、それは私が下の階に取り残されてしまったことである。下の階にいる人間が爆死していってるところを考えると、多分上にいる二人は下が片付いてからだろう。しかしこれは単なる私の憶測であり、もしかしたら『丁度人数が集まってる状態』がスイッチとなっている可能性もある。その場合、次に分針が『2』を示した瞬間、二人が吹き飛ぶ可能性が高い。
 完全な出遅れだ。杉原君なら多分、いや確実にこの時点で爆発の原因を探し出して、被害者を一人も出さずに解決させている可能性が高い。
 だが、今この状況を打破しなければいけないのは私だ。水島有紀だ。ならば、私は私なりの方法で解決するしかない。
 被害者がどれだけ出ても、私と由佳と御陵さえ生き残ればいい。というか私にはそれ位の人数しか救えない。way:との殺し合いでそれは自覚している。だからこそ彼は私から『目』を奪い取ったのだ。誰も被害者を出さないという覚悟と共に。
「……・二人とも、距離を置いていて。一緒にいると、分針が2を示した瞬間殺される可能性が高いわ…」
 私の声に、御陵と由佳は頷くと互いに離れる。その後に御陵はこちらを見て大きな声で叫んだ。
「有紀も死んじゃダメだからね!」
 私は大きく頷く。だが、生き残る自信があるかないかと聞かれれば、正直無かった。とにかく一人になってさえいればいい。
 私は分針が2を示しそうなことを確認し、ゆっくりと騒ぐ集団から離れる。

 刹那、何かが私を掴んだ。
「助けてぇ……」
 背筋がぞくりとする。私は勢い良く後方を振り返る。

 一人の少女が、私の服を掴んでいた。

『二人とも、距離を置いていて。一緒にいると、分針が2を示した瞬間殺される可能性が高いわ』

 しまったと思ったときには、もう遅かった。私の心が大きな声をあげて暴れている。

 分針が十分を、つまりは2の数字をゆっくりと示した。

 爆音が、大きく体育館に木霊した。

     ―――――

「どうかしらね。そうだ、一つだけヒントをあげる」
「……なんです?」
 水島が今頃爆発を防いでいる筈だ。そう確信し余裕のできた僕は笑みを浮かべながら返事を返す。
「あの爆弾ね。すごい性能なのよ。粉末状で空中を浮遊してるの。そう、ほこりみたいにね……」
 僕の心の余裕が、急速な勢いで彼女に食われ、そして消えた。
「でね、五分毎に作動するのよ」
「……爆発の条件は?」
 雪野佐代子はにんまり、と狂気を孕んだ笑みを浮かべた。
 水島、山下、御陵の三人の顔が一瞬だけ、僕の頭の中を駆け抜けた。

     


「……水島……さん?」
「……」
 私の服にしがみつく少女は相変わらず嗚咽をあげている。二人であるはずなのに、何故私が爆発していないのだろうかと疑問に思う半面、生き残れていることに心を撫で下ろしている私がそこにはいた。
「遙ちゃん!!由希子ちゃん!! そんな……嘘でしょ?」
 奥のほうから聞こえてくる声に私はハッとする。傍らで嗚咽を上げる少女の手を振り払った後私は壊れた梯子付近に集まっている集団をかきわけていく。
「なんなのよここは!?」
 御陵の悲鳴に近い叫びも聞こえてきている。
 何故私が死ななかったのだ。五分毎に人が死んでいく状況で、何故二人の状態だった私が死ななかったのか。何故、集団の中から二人が爆発したのだ。
 人ごみを掻き分けた先は、地獄だった。内部から爆発吹き飛んだ二人の少女と、その爆風に巻き込まれところどころが吹き飛び呻く数人、血をしこたま被り放心状態となっている者達、その光景に怯え声も出なくなっている者達。そして、上から何もできないという事に唇を噛み締めている二人。
「……なんで!!」
 そして、助かってしまった自分に怒りを覚える私……。
 考えなくてはいけない。これ以上被害を出してはいけない。自分達だけ助かれば良いという考えが、いつのまにか私の中ですり変わっていた。どちらにしろ、人数が少なくなればなるほど自分達が死ぬ可能性が上がるのだ。それに、少なくなって死ぬ確率が減ってきた場合、犯人が殺害方法を変えてくるかもしれない。とにかく仕掛け人は「私達を皆殺し」にすることを考えているのだから、最後まで残った人間を帰すわけは断じてないだろう。
 深淵の瞳で判別すらできないこの状況で、頼りになるのはこの頼りない脳みそだけだ。
「みんな、一定の距離を開けてバラけて!! 集団でいるとそこから殺されるかもしれないわ!!」
 的確な発言をしたつもりだった。が、御陵と由佳は青ざめた顔をする。二人は分かっているのだ。この言葉にパニック寸前の少女達がどう行動するのかを。

――阿鼻叫喚。

 まるでナインボールのように、たった一つの言葉がまとまっていた集団を弾けさせ、梯子の奪い合いの時以上の混乱と暴走が始まってしまった。
「あたしに近づかないで!!」
「あんたそっちいきなさいよ!! こっちに来ないで!!」
「誰か集団になってよ!! そしたらそっちに殺人犯の気がいくかもしれないでしょ!?」
「もう嫌!! 近づいた奴は全員私が殺してやるから!!」
 なんなのだろうか、この状況は。人というものはパニック状態が極限に達するとこうなってしまうものなのだろうか。私は死に対する恐怖よりも、この目の前の極限に近い混乱状態に恐怖する。
「なによ、この状況……。助けて、お姉ちゃんならどうするのよ……この状況……。私わからないよ……」
 もう逃げたい。何故梯子が壊れたのだ。上にいれば最低でも三十分近くは生き残れたかもしれない。何故私が下にいなければならないのだろうか。まだ姉の下になんて逝きたくない。どうにかしてこの場所から逃げなくてはいけない。
 この役立たずの瞳は、私に一体何をさせようというのか。殺人犯ではないビジョンを見せて何をさせようというのだろうか。
「……十五分……よ……」
 御陵の小さな呟きと共に、先ほどの爆発に巻き込まれ倒れている少女のうちの、三人が一瞬にして吹き飛んだ。
「……どうしたらいいの……考えなくちゃ……考えなくちゃ……駄目、考えられない……」
 私は頭を抱えしゃがみ込み、耳を塞いだ。ひたすら自分の心臓の荒い鼓動を聞きながら息を荒げる。
 もう私にはなにもできない。彼に偉そうなことを言いながら、結局何も解決できずにここで息絶えるのだ。
――私に力が無いことは分かってた。だから彼をこちらに引き込んだんだもの。
 杉原。彼は何故私に瞳を返したのだろうか。私から瞳と記憶を奪ったのに、何故今更私に回したのだろうか。『目的』は達成されているのだ。犠牲にすれば良かったのだ。私を。御陵を。由佳を。



『……有紀、お前馬鹿じゃねぇの?』
 不意に、背後から声が聞こえ、私は振り返る。
 深く黒い空間に、彼がぽつんと立ち冷ややかな目でこちらを見ている。
『取り乱して、相手の大きなミスに気付いてないとか……馬鹿過ぎるぞ』
「……幻覚なんでしょう? 驟雨がどこかで香水を使っているんでしょう!?」
 私は声を荒げ周囲に叫び散らす。だが、どこからも声がすることはなく、幻覚も失せる気配は全く無い。第一、匂いがしない時点で驟雨ではない。
 では、この目の前の彼はなんなのだろうか。
『まぁ聞けよ、有紀』
 彼は微笑むと私の肩を叩く。
『よく考えてみろよ。なんで二人になったのに爆発しなかった? そして、お前の行動の中にイレギュラーが一つなかったか?』
 一体彼は何を言っているのだろうか。今までの中に、落ち着けば分かることがあるというのだろうか。
『推理小説にしちゃ最低レベルだよ。というか、真犯人はもうお前に正体をとっくに明かしてるんだぜ? よく思い出せよ』
 この幻覚は私に何のメッセージを送ろうとしているのだろうか。それでも私は、とにかく今までのことを思い出す。
 突き飛ばされ、梯子を昇った女子が吹き飛んで死に、一緒に梯子が落ちる。そして、五分になる寸前に少女にしがみ掴まれ、だが集団の奥にいた二人組が吹き飛び、急死に一生を得た。
 冷静になった私の脳が、その中のイレギュラーにいとも容易く気付いた。
『なぁ? 推理にすらなってないんだよ』
「……うん」
『あとさ、お前は勘違いしてるようだけど、お前は十分頑張ってるぜ? 胸張れよ。誰もお前を役立たずなんて思っちゃいないさ』
 彼はそう言って笑みを浮かべた後、踵を返し、暗闇へとずぶりと入っていく。私はその後姿を見て、ハッとする。
「……す」


「有紀!?」
「水島さん!?」
 私は目を覚ます。目の前には、青ざめた表情で覗き込む二人の姿があった。
「……なんで降りたの?」
「あんたが倒れたからに決ってるじゃない」
 御陵は私の頬を思い切り一発引っ叩いた。
「……ごめんなさい、は? 水島さん」
「え……?」
「一人で必死になってないで、私達にも何か言ってよ。友達でしょう?」
 由佳の言葉に、安堵する反面、首を突っ込めるレベルではないと彼女を叱りつけたくなる。
 が、私は無意識のうちにそれとは逆の反応をしていた。
「……手、掴んでくれない?」
「え?」
「……ちょっとパニックになってて、立ち上がるのがのが辛くて」
 私の目の前で二人は顔を合わせた後、笑みを浮かべながら私の手を掴んだ。ギュッと。
 その手が、少し暖かかった。
 二人に起こされ後、周囲が比較的静かになっている事に気付く。
「……これは?」
「動いたら死ぬって言ってやったら、この状況よ。全くだらしが無い」
「御陵さんの度胸がすごいんだと……」
 私は呆然とした。私一人ではどうしようもなかった状況を、御陵が止めてくれたことに。
「今から一時間、三人でいても平気なんですよね?」
「え、えぇ……その筈……」
 由佳が少し怯えた表情のまま、私に声をかけてくる。私を励ましているつもりなのだろうか。
 けれども、少し気持ちに余裕ができた気がした。
 姉がいなくなってから、私はずっと一人だった。誰ともつるむつもりも無かった。
「協力してくれる?」
 私の勇気を搾り出して吐き出した言葉に、二人は頷いた。
 心の中に沈んでいた何かが、ふわりと姿を現した。そんな気がした。

   ―――――

「御陵さん、こっちはまかせても良いですよね?」
 雪野佐代子の手に手錠をかけ、深く息を吐き出すと、僕をじっと見つめる。
「君はどうしても危険に首を突っ込もうとするんだな…」
「まぁ、そうですね。というか突っ込まざるを得なくなってるんで」
 その返答に、雪野佐代子が粘着質な笑みで何かを僕に訴えかけている。だが、今更彼女に何かを聞くつもりは無い。大人しく留置場にでも突っ込まれて、連続殺害の罪に押し潰されてしまえばいい。僕は僕の罪だけを背負っている。誰かの罪に肩を貸してやるつもりなど全く無い。
「雪野さん。じゃあ、もう会うことはないのだろうけど…」
「そうねぇ……でも、一言だけいいかしら?」
 笑みを浮かべる彼女に、僕は一度頷いた。
 刹那、雪野佐代子はその笑みをかなぐり捨て、狂気をむき出しにし歪みきった表情をこちらに向け、叫び始めた。
「……この人殺し!! 私の娘を返せ!! 私の……早苗ちゃんを……」
「……殺人快楽者に言われたくはないですよ。この人殺し……」
 その一言に、雪野佐代子は暴れだし、紅潮させた顔をこちらに向け喚き始める。繋がれた手錠から手を抜け出そうと必死になり、既に手首からは少量であるが血が滲み、鈍い色を放つ手錠をこれまた鈍い赤で染めていた。
「別に早苗さんを守れなかったことに関して、後悔は感じてないんですよ。雪野さん……」
 これが僕の放てる渾身の一撃だ。雪野佐代子はその言葉を聞いて、なんとも言いがたい表情のまま項垂れ、最後には崩れ落ちてしまった。
 完全にこの家族から離れられるのならば俺はよろこんで離れてやろう。僕の『罪』を終わらせるために、雪野家の存在は足枷でしかない。これ以上責任を感じ続ける事になれば、もしもあの時雪野佐代子に気を許していたならば、僕は雪野早苗、佐代子の二人分の罪まで背負う事になっていた筈だ。これでいいのだ。
 自分でそう納得したことにする。いや、実際はあっさりとその冷たく黒い考えを受け入れることが出来た。
「今度こそさよならですね。御陵さん、この人からway:の手掛かりに対する尋問お願いします。彼女、絶対何か知っているんで……」
「あ、ああ……」
 御陵さんは僕に戸惑いの目を向けつつも、一度だけ頷き、崩れ落ちた彼女を部下と共にパトカーへと連れて行く。
 さて、今度は学校へ行くとしよう。今頃水島は瞳で犯人を突き止めて無事に脱出している頃だろう。
「なぁ、杉原……」
 踵を返し駆け出そうとした瞬間、背後から御陵さんの声が僕を引き止めた。
「なんですか?」
「前から思ってたんだが、お前、一体いくつの仮面を被ってるんだ?」
 何を今更、と僕は思わず噴出しそうになる。
「安心してください。今は『素』ですから……」
「……」
「冗談ですよ。じゃあ、水島達を助けに行ってきます。御陵さんも後でお願いします」
「……あぁ、分かった」
 笑みを浮かべて吐き出した言葉と御陵さんを残し、僕は再び駆け出す。
 そういえば、いつから変わってしまったのだろうか。こんなにも真っ黒い自分に。雪野と別れて間もない時はここまであっさりした気持ちじゃあなかった。須賀を殺してしまった時、いやあの時だってまだ人を信じられた。
 不意に、脳裏に一人の男の姿が浮かんだ。
――施し屋。
 あいつとの出会いは、僕にとって大きかった。僕をここまで深淵に連れて行った一人なのかもしれない。
「まぁいいかな……今更」
 ネクロフィリアとの対峙の時の自分は最早いないのだ。あの時のように死に怯える事は二度とないだろう。
 それ以上の死を見てきてしまったせいなのかもしれない。僕は地を蹴る足に力を混めながら考える。いつのまにか死の存在に何か魅力を感じているのかもしれない。
 なによりも、ただの死体を見ると『物足りない』と思っている自分がどこかで笑っている気がするのだ。いつかお前を取って食って、成り代わってやるとでも言いたげな目で。
 僕は何を求めているのだろうか。
 この先で、体育館内の人間全てが死んでいる事も想定の範囲内である自分が恐ろしい。だが、その地獄を僕が一番に見る事になるとしたならば……。
「駄目だ……」
 必死で首を振り、その考えを棄てようとする。だが、頭の中で既に妄想は拡大しているのだ。ただの肉塊と化している水島や山下、御陵の姿が離れない。そして、その光景を目にして笑みを浮かべている自分の姿が、はっきりと鮮明に浮かぶのだ。
 今僕は、焦りの表情を浮かべているのだろうか。
 今僕は、満面の笑みを浮かべているのだろうか。

 今、僕はなんの仮面をつけているのだろうか。

     


「あなた、大丈夫?」
 私は先ほど私にしがみつき泣きじゃくっていた少女に手を差し伸べる。相変わらずぐずぐずと涙を流している少女は、見ていて大分苛ついた。
「ありがとう」
「さぁ、立ち上がろう?」
 由佳も一緒に彼女の手を取る。
「……じゃあ、そろそろこの空中に浮遊してる小さな小さな爆弾をさ、解除してもらえないかな?」
 周囲が静まり返る。バラバラに座っている少女達もこちらをじっと見つつ、震える体を必死に抑えている。
「あなたは誰?」
「……あなたが梯子を昇り終えていれば、見つかる事もなかったんだけどなぁ」
「なんでそこまでして?」
 私を助けたのか、という言葉は言わなかった。言えば命を助けられたということを認めてしまうことになる。殺人鬼に、しかもあろうことかあの組織の人間に助けられたなんて、思いたくなかった。
「あなたは殺さないようにって言われてたのよ。連絡網にも載ってないから油断してたら、そこの女が連れてきちゃうんだもん…」
 少女はケラケラと笑いながら由佳の方を指差す。
「この爆発の原因は時計で、いいのね?」
「私以外は爆発するようになってるの。すごい技術でしょう?」
 笑みを浮かべるその少女の頬に、気付けば私は一発思い切りビンタを入れていた。パシンという音が館内に大きく響く。
「二十分だよぉ」
 少女の呟きに、ハッとして振り返る。
 四人の肉体が炸裂し、弾け飛ぶ。気持ちの悪い血の匂いが再び充満する。
「その瞳さぁ……実際に手を掛けないと反応しなんだねぇ。私みたいな爆弾魔とかには効いてないみたいじゃん」
「……最初のあの赤色の女はなんなの?」
 少女は溜息を吐き出し、そして再び笑う。
「あれはね。インフェルノを殺しかけた殺人鬼だったのよ。制裁を加える為に『任務』って嘘をついてここにつれてきたわけ。もう処理したからいいけどね」
「……そんなことの為に、私達を?」
「あら、殺したいって依頼した人間がいたのよ。だから便乗して他の殺害任務も組み込んだだけ。結局貴方達は殺される運命だったのよ?」
 その依頼人を、きっと私は知っている。
「雪野佐代子……」
 少女はほぉ、と声を出す。
「なんだ知ってるの。何? 結構お知り合い?」
 知り合いもなにも、杉原君にとってとても大事な人の一人のはずだ。やはり、彼女は既に狂っていたのだろうか。このことに気付いた彼は、一体今どんな心情でいるのだろうか。私は多少の心配を彼に向けながらも、目の前にいる爆弾少女をぎゅっと睨みつける。
「女の逆襲は怖いのよねぇ……。もういいか、全部爆破しちゃおうか。顔覚えられるのを嫌だし」
「水島さんは殺しちゃいけないんじゃなかったの!?」
 由佳が声を荒げる。自分よりも私のことを心配している様子に、少しばかり心が安らぐのを感じる。
「イレギュラーが生じた……ってことでどう?」
 そう呟いた瞬間、少女の携帯が鳴り響いた。この中では携帯が繋がらないようになっているはずなのに、何故彼女のは通じているのだろうか。私は懐から携帯を取り出し、開いてから、何故通じないのかを即座に理解し、再び懐に携帯をしまった。
 暫くの間、少女は電話の主に返事を繰り返した後、つまらないとでも言いたげな表情を浮かべながら携帯をたたんだ。
「依頼人が逮捕されたから、中止して帰って来いですって……最悪」
「人を殺しておきながら最悪はないんじゃないの?」
 いいわ、その目。と少女は純粋そうな瞳で私に笑いかける。じっと動かないままでいると、少女は私の頬をゆっくりと撫で、そのまま首へ、胸へ、腹部へと流れるように撫でていく。くすぐったさに身をよじりそうになるが、少女は動こうとする私を見てニッコリとした後、後方をチラリと見た。
――動けば後ろの奴らを殺す。か…。
 身動きを我慢し続けていると、とうとう少女の白く綺麗な手は私のスカートの下へと侵入する。
「私ね。女の子がすきなのよ」
「気色が悪い」
「ありがとう。狂ってる人間にとっては褒め言葉よ」
 少女の満面の笑みにぶるると背筋を震わせ、そして思わず足を閉じた。少女の手が私の太ももの間に挟まれると同時に、後方から耳が千切れそうなほどの爆音が轟いた。
「はい、ゲームオーバー」
 ケラケラという狂った笑い声をあげながら少女は体育館の扉をガラリと開き、出て行った。
 私と由佳と御陵は、ただただ呆然とそこに立ち尽くしていた。

 生き残り三人。そして、死者多数。
 私は、完全な敗北に、ぎゅっと唇を噛み締めた。

act.4-5

 凄惨な「体育館テロ」事件から五日後、暫くの休校の後に僕らは再び学校に登校することとなった。
「おはよう」
「よう二人とも、今日も仲良いな」
「馬鹿!! そういう恥ずかしいこと言わないでよ」
 校門前で声をかけてきたカップルに適当な言葉を送り、周囲の人間に笑顔で挨拶を交わしていく。これが今の僕の日常。
 いつもどおり授業を五時限まで受け、放課後には当番の時は掃除をして、何もない日は真っ直ぐに下校していく。
 このつまらない毎日を、僕は静かに送っている。
 充足感は無いが、不満も無い。
 ただ一つ気がかりなことがあるとすれば…。
「おはよう、水島」
「……」
 席に座り文庫本を読みふける彼女に話しかけるが、彼女の反応は全く無い。いや、彼女だけならいいかもしれない。山下も、御陵ですら声をかけても返事をくれないのだ。
「なぁ、俺、なにかしたか?」
「……」
 多少不機嫌になりつつも、僕はグッと堪えて再び水島に声をかける。が、彼女は無言のまま席を立ち、僕に背を向け歩いていく。
「おい、ちょっとは何か言ってくれよ」
 肩に触れた瞬間、彼女は突然顔を赤くして振り返り、そして同時に僕の右頬に鋭い痛みが走った。
「触れないで」
 頬を押さえる僕にそう一言吐き棄てると、踵を返し、教室を出て行ってしまった。一体、僕が何をしたと言うのだろうか。あの日は彼女に頼ることしか出来なかったのは確かだ。
 だが、僕が駆けつけた時には既に体育館の扉は開き、全身に血を被り呆然としている三人が保護されている状態で、僕にはどうすることもできなかった。危険を察知して彼女に救いを求めなければ、下手をすれば三人とも死んでいたかもしれない。普通ならラッキーだと思うべきだ。
 何故、彼女も山下も御陵も僕を避けるのだろうか。

「山下、ちょっといいか?」
「……」
 先ほどまで楽しそうに談笑していた山下は、僕が近づくと同時に、話し相手に謝罪し駆けて行ってしまった。話し相手の女子が喧嘩か何かかとニヤニヤしながら言ってくるのに多少うっとおしさを覚えながら僕は山下の後を追うことにする。
 が、曲がり角を曲がった刹那、なにかが僕と激突し、そのまま僕はそのぶつかった何かに覆いかぶさる形で倒れてしまった。
「あ、ごめん御陵……」
「……!?」
 僕の目の前で呻く御陵は、僕の顔を見ると同時に胸を押して離れると、そのまま走り去ってしまった。
 一体、この学校で何が起きているのだろうか? 僕は三人に避けられることに多少の寂しさを覚えつつも、諦めとぼとぼと教室へと戻ろうと呟き、踵を返した。
「……」
「……水島?」
 しょんぼりとする僕の目の前には、水島が腕を組んで立っていた。細い腕は組んでも全く覇気を見せることは無い。
「……なんで俺を無視するんだよ?」
「……」
 水島には預けてある『もの』がある。
 何故彼女は返そうとしないのかと、僕はだんだんと苛立ってくる。
「返してくれよいい加減。それがないと、人質になっている結城と監視されている御陵を解放する手立てを考えられない」
「……そんなに瞳に頼る人だっけ? 杉原君?」
 突然何を言い出すのだろうか。彼女は。
「そりゃぁ、使えるものは全部使うべきだろう?」
「……呆れた」
 呆れた。とは一体なんなのだろうか。彼女は何故そこまで瞳を返すことを拒むのだろうか。今度は無理矢理ではないからこそ、記憶は持って行かれる可能性は少ない筈だ。
「……なんだよ?」
「由佳、御陵、出てきて」
 彼女がそう言うと、階段を二人が上がってくる。僕は何が起きているのか把握できない苛立ちを堪えつつ頬を掻く。
「一体何が始まるんだよ。俺が助けられなかったのは謝るよ……」
「やっぱり違いますよね?」
 山下が呟く。何が謝っているのだろうか。僕はきっと山下を睨む。
「へぇ、あんだけ山下のこと責任感じていたのに、今は睨むんだ」
「そりゃぁ、嫌なこと言われたら怒るのは人として当たり前だろう?」
「杉原君、私の名前……ちゃんと覚えているよね?」
 水島の問いかけに首を傾げながら、僕は自信を持って言う。
「水島沙希だろう? 妹に有紀って子もいた筈だよな?」
 その返答に、場の空気が凍りついた。僕はその状況に戸惑う。
 その沈黙を切り裂いたのは、水島の溜息だった。
「体育館に向かう途中で入れ替わったんでしょう?」
「な、何を?」
 彼女の言っていることが全く理解できない。何が入れ替わったというのだ。
「早苗ん家から行く途中で、何が変わったって言うんだよ!?」
「杉原は雪野のこと、母親の前以外じゃ早苗って呼ばないのよ?」
「何がいいたいんだよ?」
「まだ、生きてるわよね? 杉原君」
 僕は拳を握り締め、三人を順々に睨みつけていく。
「さっさと瞳を返せよ!!」
「近いうちに、杉原君。返して貰いに行くから、way:の責任者にそう言っておきなさい」
 それだけ言うと、三人は僕の横をすり抜け、階段を降りていった。
 正直、悔しかった。
 こんなに早くにバレるなんて思っていなかった。これじゃあ役立たずとして処分されるのも早いだろう。
 まぁ良いと割り切ろう。僕はフっと笑みを浮かべた後、静かに呟く。
「所詮僕はレプリカなんだから……」
 次の瞬間、僕の内部から込み上げてくる灼熱の如き痛みと共に、僕の意識は完全に消え去った。
 
 そこから先は、何も分からない。

 To Be Continued

       

表紙

硬質アルマイト [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha