Neetel Inside 文芸新都
表紙

ヤカタの眼
一日目

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どこまでも青い空。見下ろせば青い絨毯が純白の雪飛沫と濤声をつくりながら揺れている。
 ――ボォー。
「はあ……」
溜め息を汽笛に乗せてはき出すと、ゆっくりと滑るように進む。
 振り返ると先ほどまでの景色、もとい陸はどんどん小さくなっていく。
「目指すは沖縄の海! いざ、琉球王国へ!」
 どこかのクラスの男子が音頭を取り、校歌を熱唱し始める。皆、徐々に感化され、肩を組み、その輪は大きくなりまた一人、一人とそのボルテージを上げていく。
別に彼らは本気でこの修学旅行を楽しんでいるわけではないだろう。
俺はどこか冷静な頭で眼差しを向け、差しつ差されつとしたそれを見つめる。
 そして俺はそんな仮面の笑みが頗る嫌いだった。

 雰囲気がいよいよとなると俺は自分だけ場違いな空気を華麗に読んで船内へ。
船の廊下はホテルや旅館のそれとは違ってカーペットがあるわけでも無く、ビニールのような光沢があるだけで、一層のチープさをかき立てている。要するに、これは旅船とは違った。
『青緑学園の皆様――この度はご乗客頂き――』それでも体裁はあるのか、案内放送などやっている奴がいる。
 気がつくと『休憩室』というプレート。普通船内にこんな大きい休憩室は無いが、それも今だけ。修学旅行という大いなるテンションによって何処かの生徒が書き入れた物であることは想像に難くない。
覗き見ると、女子八割男子二割といった程度で中はごったがえしている。男子の割合が少ないのは先のブリッジで言わずもがな。
「おーい、西本」
 踵を返して、この喧騒の騒ぎを抜けだそうとする俺の背中に声がかかる。歎息と同時に振り返るとそこには『元凶』、東条 太一(とうじょう たいち)の姿があった。
「東条か。何か用?」
「おおう、怖い顔すんなYO!(用) 俺YO!(よう) 友達の太一だYO!(ry)」
この目の前でワイシャツの襟元から奇っ怪な腕振りと黒のジーンズを履いた脚をくねくねさせている男は、修学旅行への参加を頑なに拒否する少年、西本 修(俺)を半ば卑怯な手を使って強引に参加させたのだった。今ではこの浮かれまくった端正な顔立ちに殺意すら沸いてきそうだ。だって、この態度、むかつくだろう?

     

「もう行っていいか」俺の言葉。
「ウケた?」
「全っ然」
「相変わらず手厳しい!」
頭に垂直チョップを当てるように仰け反る阿呆には付き合っていられないので、休憩室を今度こそ去ろうとする。
「だー、わあったよ。悪かった。『俺が』悪かった」
 肘を伸ばして俺の肩をバンバン叩きながら、俺に謝る東条。悪びれのないその顔を一度整形させてやろうか。
「金輪際、お前を誘うような真似はよそうと思う」キッと突然真面目な顔。
「ああ――ってか、もう修学旅行とかないだろ」
「はは、それもそうだな。うん、まぁ船は変わっちまったけどな。当初予定していた客船は不備が見つかったらしいから、どうしようもないぜ。それよりこれ、見てくれよ」今度は笑って返している。東条は表情豊かな奴だ。
いつの間にか話しがすり替わってる。
「そ・れ・よ・り。これ、見てくれ」
 何てことはない。いつものしれっとした態度に戻って、軽快に話題を振りながらぶしつけに両手ではさむようにして持っているのは携帯用のビデオカメラだ。それを俺に見えるように横で並び、そのディスプレイをわずかにいじると、その四角い箱の中で男が一人現れる。
「――こいつ死ぬな」
 俺は思わず小声で口にした。そこで東条の顔は俺の心境とは裏腹に明るく輝いた。
「やっぱりな。俺が言った通りだろ?」
 何かえらく不謹慎なことを突然、後ろを向いて言い始める東条だが、いつの間にかその後方では群れをなす女子達が黄色い声を上げていた。もちろん、ギャラリーは東条が目当て……なのだが……。つい、目線を逸らしてしまう。
 ――キャイキャイ。
東条曰く、同じ女の子なんだ! という理由でとても甲斐性のある男として彼女達と接している。へ? いや、羨ましがってはいない。何を隠そう、彼女達は……そう、一言では言い切れない特殊な容姿をしておられるのだから。
「ヤダ、こよみ。また太ったんじゃないのぉ?」
「いやだあ、それも太一君が毎日怖い話しするからあ、私最近夜眠れなくてえ」
ギャハハという朴直な笑い声。
東条は別段嫌な顔をするわけでもなく、愛想笑いを振りまいている。

     

――俺、愛想笑いしだしたら限界だからマジ助けてくれ。
いつの日か東条が言っていた台詞である。じゃあ無理に付き合うな、というと七、八行前に戻るのだ。
「おい、東条」俺はそんな彼の救ってくれサインを見て、声をかける。
東条はこれ幸いと言わんばかりに二三言って彼女達から離れる。
「それじゃ、行こうか」
無類の女好きとはこういう奴のことを言うんだろうか。
俺たちは結局、休憩室を後にして並んで歩を進め始めた。
 少し俺の親友っぽい、東条について話すとしよう。
無類の女好きに加えて、実はこいつ、大のマジやばいオカルトマニアで知れ渡っている。
 授業中に始まったオカルトうんちくを馬鹿にした教員が、東条のオカルトアイテムによって精神を病んで廃人化してしまったという伝説もある。
 それからというもの、東条は怪しげグッズで人の恋愛を成就させてしまう等、ある意味魔術師のような所業の連続によってその名を全学園中に轟かすこととなる。
 後ろにいた女子達はその頃についたファン……のようなものだ。
 正直に言うとさっきの「こいつ死ぬな」という発言も実は嘘っぱちでも、そう言うように口裏を合わせている。
東条曰く、女の子は日々刺激に飢えているのだとか。
「それより、東条。あのビデオは久々に本物だったぞ」
「ん、まじか!」
 今更だがこの俺、西本 修(にしもと しゅう)は死に際の動物(生命)を超能力的なもので察知することができる。それは他殺であったり、病気、老衰であったりと様々だがリアルにおいて、この力が感知する予測は自殺以外は必ず当たる。
まぁ、実際のところ信じている奴はごく少数だが……。
「――そうか、本物か……」
 そう吟味するように口にすると、東条はやや神妙な顔つきになって黙り込む。別段、珍しいことではない。こういう時は東条なりに救える方法を模索しているそうだ。
やっぱり、死ぬと解っていても見殺しには出来ないのが人間だから――。
「し、西本……」
 囁くような可憐な声の持ち主は、俺の肩までしか届かない頭に、すらりと腰まで伸びたシルクのような髪をゆらす少女であった。
廊下をこちらに向かってくる途中らしい。整った顔立ちと気品のあるしぐさが徐々に認識できると共に、それは筑ノ瀬 玲奈(つくのせ れいな)と確認出来た。
 実は幼馴染みではあるが、その事実はとある事情で俺と玲奈しか知らず、今はなんとなく疎遠だ。

     

頭脳明晰で容姿端麗、非の打ち所が少ない少女だが、胸の大きさと毅然とした態度所以に一時、性転換した男子ではないかという根も葉もない噂が立ち、人形のように整った容姿を持ち合わせながらも、支持者の数を上回る狡猾で性悪な圧倒的ファンのおかげで、人気を持ち合わせていない。
(おしい人材を無くしました)。
「なにか言った?」
「いや、何も」
「……隣にいるのは……東条?」
玲奈は横目で覗き込むように、疑問形で発するが、東条は俯いたまま、玲奈などいないかのようにずっと考え込んでいる。よっぽどさっきのビデオが気がかりだったのだろうか。
「まぁ、そうだけど。こいつ考え事するときはいつもこんな感じだから」
視線を玲奈に戻すと、玲奈と目が合う。
玲奈は目蓋をぱちくりとしてからゆっくりと目線を横に動かして、俺の視線から逃げた。
「……」
「あ、あのさ。良かったらお昼でも一緒にどう」
会話に詰まった俺がその場凌ぎに提案する。
「……ん」
玲奈がこういう行き当たりばったりな誘いを断る主義なのは俺も承知の上だった。
 こう見えて、というかこういう性格だから中学からあまり友達は出来なかったらしい。
 ほとんど一人でいて、気がつくと何処かに行ってしまっている。そういう子だから何となく幼馴染みのよしみちゃんで俺は今日まで気に掛けてしまっているのだが、もう少し愛想が良ければ可愛いのに、と残念に思うことも多々ある。
 もっとも、今考え込んでいる『フリ』をしているのは彼女なりの気遣いだと最近解った。本当はいつも結果が同じだからだ。
「ぃぃょ」
「そっか……って、え?」
「ん、何々、何の話し? あれ、玲奈ちゃんじゃん!」
 いつもならあり得ない返答に狼狽える俺を完全に無視して、東条がもたげていた首を前衛的に出し漕いで現実に戻ってきた。いきなりテンションまでトップに入っている辺りは相手が玲奈だからというべきなのか、流石というべきなのか。
とにかく、東条は可愛い子、もとい大人しい子にアクティブという、どう考えても敬遠され、厭われるアビリティを心得ている。
「じゃ、またね」

     

「え?」
 玲奈はこりゃたまらんと思ったのか、横を通って抜けて行こうとする。えええと狼狽える東条。宝くじが逆から数えて当たっていた時のように素っ頓狂な声だ。
(さっきの話しは忘れて)
 並びの際、淡い彼女の声と風がそう口達していった。
「なに、何、俺、嫌われ者? ドウうして? 一文字とってドウテ(い)なんちゃって」
 玲奈の後ろ姿は少し寂しそうに廊下の影へと消えていった。
「馬鹿なこと言ってないで探すぞ」
「は? ああ、可愛い子ね」
 こいつはそんな理由でついてきたのかとつくづく痛嘆してしまう。
「落ち着ける場所に決まってるだろう」
 気を取り直して前進すると、廊下の空気が一瞬揺れる。
 ――突然船内に電子音が鳴り響く。
『青緑学園の皆様、至急ブリッジまでお越し下さい』
「あー、部屋割りか……」
 俺達は寛ぐこと無く、来た道を戻ることになったのだった。
 
――がやがや。
 徐々に人の行き交う様が増え、喧騒に包まれていく。
 そこはブリッジでも船の後ろ側で、追い風なのか風はさほど感じられない。
「参加人数143人だっけ」
「それくらいいたなぁ」
 見たことのない顔の奴、本当に同じ学校で生活していたのかと疑いたくなるほど知らない顔ぶればかりだ。
 青緑学園はエスカレーター式だから、高校一年の俺達でも顔見知りは結構いてもおかしくはなかった。
「半年近くは同じ学年として通ってたのにな」
 東条も同じ心境なのか、そんなことを含み声で言った。
 知っている連中がいる人混みの中に自然と向かってしまう心理。他でもない自分のクラスが集まっている場所だ。
 結局、生活常任委員からの内容は部屋決めについてで、必要数より若干足りない部屋数をどう割り当てするかという話しでもめていた。
 必然的に女子には全員部屋が割り当てられて、男子は余った部屋と休憩室で寝ることが確定した。

     

「おい、西本」
「なんだよ」
 俺はハズレクジを引いてしまい、ちょっと凹んでいた。別に横暴だとは思えない。女子に部屋は絶対必要なわけだし。
見かねたのは東条で、自分が誘った手前という体裁からか、自分の部屋権を譲渡すると言ったが、それはお堅い学年委員長によって棄却された。
項垂れる東条だったが、それも束の間。謎のコンテニューを決意した。
「俺、もう一回抗議してくるわ」
「いいよ、もう。俺はお前を呪うだけだから」
「あんな脅しは本当に卑怯だったと猛省してる。だから責任を取りに行かせてくれ」
 そういうと東条は学年委員長のところへとずかずか歩いていく。
 二三言ったかのようで戻ってきた。
「了解してもらえた」
「えぇ?」
「俺の部屋権を破棄するって言ったら良いって」
「ええええ」
「なんだ」
 不満でもあるのかと言ったように東条の目は細まっていた。
「ヤロウが増えたって嬉しくないんだが……」
「すまんが、これは俺のケジメなんだ」
 こうもきっぱり言われると返す言葉も無かった。
「東条……」
 東条がとても男らしく見えたような気がする。俺が間違っていたのかもしれない。東条は良い奴だ。
すると、遠方から肉の塊、じゃない、人が近づいてきた。
「あら、太一君じゃなあい。部屋どこお? 教えてくれたらア、今晩、お邪魔し、げふ」なんなんだ今の。
「いや、俺はハズレクジ引いちゃって今日は休憩室で寝るんだ」
「げふ、そおなのう? ざ~んねん」
 無駄にふくよかさ持て余す女性徒が、体を上下させながら去っていく。
 前言は丁重に撤回させていただきたい。
「……おい、東条」
「な、なんだ?」
「お前、やっぱ一部屋使えや」

     

「後生!」
 こうして俺達の修学旅行は幕を開けた。

 午前十一時四十七分。
「――へぇ、玲奈がそんなこと言うなんて珍しいじゃん」
 玲奈の後ろから声を上げたのは、清楚とは無縁な印象を受ける森本 南子(もりもと みなこ)。
その後ろからは小動物のような愛嬌のある椎名 いずみ(しいな いずみ)の頭が隠れている。
三人はよく一緒にいる仲らしい。森本南子は上流階級のお嬢様で茶髪やメイクなどしないまでも上から物を言う態度が多く、外見は普通なのだが、気が強いということでクラスからも忌避される存在だった。
椎名いずみという女の子は、嬌艶な体つきで、俺らの歳にしてはやや、早熟している。美人の部類なのだろうが、気がめっぽう弱そうだった。
「どこで油売ってるのかと思ったら男誘ってこんなことになっているなんて……、玲奈のこと、考え直さないといけないわね」
 俺もぶっちゃけどうなっているのかは理解できない。
理解は出来ないが状況は把握出来る。
啖呵を切って部屋を出る南子。最初は玲奈に呼ばれて歩きながら話しをした後、ついでにもう一度、朝の間の昼飯を誘ってみたのだが、折悪しかったのか今は玲奈が目線でさっさと行けと合図している。
「あ、俺ちょっと下ばかりみてたら酔ったみたい。はは、風にあたってくるからこの話はなしで」
 しっかり南子には言っておこうと思った。そうしないと色々と勘違いをされるかもしれないし、結果として玲奈が酷いことを言われるのは不本意だ。
「あっそ」
 南子は背中で返すと、いずみが軽くお辞儀をして歩き出す。なんていうか、胸の動きが生々しかった。その後ろを玲奈が行った。
踵を返して振り向くと東条が廊下の影から躍り出た。
「あれ誰。ていうかお前、食事に誘われたんじゃないのか」
「お前が誘えっていうから誘ってたはずなんだがな。やっぱり、可愛い子はお前と一緒はいやなんだな」
「……内定以下」
「泣いて良いぞ」

     

東条に玲奈が尋ねたのはおよそ十分前。はっきりと東条に向かって「消えろ」と――
「そんなこと言ってない。ただ、西本と二人きりで話しがしたいっていうから……」
「それ言われてて、つけてくるとかお前、どんだけ野暮なんだよ」
俺の台詞に答えることなく、『占い』と書かれた本を出し始める東条。自分と玲奈の相性でも調べているのだろうか。こういうところが引かれる原因なのかもしれない。
「飯一つろくに誘えない関係」
「……」
 東条は半べそになりながら、占いの本をポケットにしまった。
人二人分ほどの階段を抜けるとブリッジに出てくる。
 静かになった甲板で手すりに肘を預けて海を見る。
「本当に風に当たるのかよ」
「真っ直ぐ昼食行って鉢合わせしたらKYだろ」
「空気読めないのが俺の取り柄なんだぜ。って言うんだな」
「イヤだし」
「百円やるから」
「なんだそれ」乾いた笑いで返事をする。
「まぁ、俺は感傷に付き合うほどお人好しじゃないからな。先、飯行くわ。また退屈したら部屋にでも来い」
「ああ」
俺は文字通り東条を見送ると視線を海へと落とした。
「……」
 目の前には広大な海が広がっていた。
 そこは潮風が心地よく、俺はわずかな疲れを感じていた。
 
――ころころころ。
 風がないとはいえ、ブリッジの隅に聞こえる微音(ノイズ)。音のする方に首をひねると膝を折って抱えている少女がいた。先の音はその少女から聞こえる。
 ――ころころころ。
 異様な光景に尻込みしながら目をこらすと少女はサイコロを振っていた。
 ころころころ。
「目は……ぃ……たい……」
 こちらの視線に気づいたのかふと顔を上げる少女。酷く曇った眼。そこには紛れもなく霞んだ光が宿っていた。
「あの……」

     

 そう話しかけようとすると少女は足早にブリッジを後にした。
「……そうだった」
 ここは青緑学園。親に見捨てられた子供達の集う場所。
 いつも東条なんかと馬鹿やってるからあまり感じなかったが、この学園には良い家庭を持ち、満足な環境で育った人間はほとんどいない。玲奈も東条もそんな中の一人だ。
 だが、俺は少し違った。
ごく一般的な家庭で生まれ育った俺は不幸にも交通事故に遭う。咄嗟に助けてくれた父が即死してしまったのをきっかけに、時々奇怪な感覚に襲われていたのを除けば、それまでは普通の母子家庭だった。
 飼っていた犬が何かを予見させるかのような、視認後に頭痛を覚えたり、道ばたで歩いている人間にしばしば頭痛を催すことがあった。
 犬はその二日後、急病によって死んでしまった。
見かけた人は必ず二度と見ることはなくなる。
 そして感ずるようになる。この現象は、絶対死を予知する力ではないのかと。
何度も体験していくうちに予感は確信へと変わっていくのに、そう時間はかからなかった。
 ある日、俺は隣人の家である桶川 舞(おけがわ まい)の家に遊びに行き、ハムスターと遊んでいた時だった。またあの症状が現れる。心配する舞にそんなことは言えず、事情を知っている母に話したがあっけなく叱咤されてしまった記憶だ。
『修、あなたの予感は現実に起こるまではただの予感でしかないの』
 事実、それは紛れもない事実であった。
ペットとして飼われる動物の他には人間しかいない。この力が信憑性を持つには能力を発揮する機会が圧倒的に少なかった。ましてや、隣に住んでいる桶川家と我が家は仲が良く、こんなおかしなことを息子の俺が真摯な顔をして話せば奇異の目で見られるだろう。
最悪、セラピーなんてことになりかねない。
『あなたはお父さんの命と引き替えにその命を守って貰った。だから、あなたの目の前で消えていく命に敏感になってしまったのもわかるわ。けれどそれを他人に言っても信じてもらえないの――人は、死を受け入れ難い生き物だから……』
 この一言で打ちのめされた俺は、目元が熱くなり何も考えられなくなった。こんなにはっきり命の危機(サイン)が分かっても誰も救えない。何も出来ない自分がどうしようもなく無力で虚しく思えて泣き叫んだ。
 ごしごしと目元を拭う俺の顔を母はそっと抱きしめてくれた。
『でも、あなたを信じてくれる人がいるならその力はその人のためになるはずよ』

     

 その時、熱湯を頭の中で沸かしたように世界はぐるぐると周り大切な人を失うことを予感した。
俺は、両親を自らの手で殺したかのような罪悪感の渦中に放り出された。
そして、はっきりと理解してしまう。
この力は『罪』だと。死のヤカタがもたらす眼であると。

「……君、修……君?」
 意識が現実に戻されていくと隣には桶川 舞(おけがわ まい)の姿があった。
「まい?」
 舞の視線は正面を向いて何処か遠くをみるような目でその場に立っていた。横から見るとはっきり女の子だと思わせるような華奢な肩に可愛く纏まった顔が伺える。舞の純な目は陽の艶やかな光によって宝石のように輝いていた。
「夕日が綺麗だよ」
「……もうそんな時間か」
俺は昼食も忘れて一人微睡んでいたらしい。しかし、船の上で立ったまま眠るなんて無様な格好だったに違いない。
 真っ赤に染まる空と海が黄金を中心に内から外にその色彩を鮮やかに百面相させながら輝き続けていた。
「……」
 舞は何も言わずに横にいる。舞と俺は母親が死んでから少し疎遠だった。
「風が気持ちいいね」
 舞の短く小綺麗にとかされた髪がさらさらと光と戯れながら淡い香りを運んでくる。西本は母親が死んで引っ越した後、中学になって舞と再会した。もちろんこれは悪い偶然だろう。再会こそすれ喜ばれる再会場所ではなかったのだから。
「そうだな」
 二人は小さく笑い合う。舞は昔と変わっていない。これは嬉しかった。
舞まで玲奈のように冷淡になっていたらと思うと、俺は本当に心許せる人間がいなくなってしまう。
「……あのはむちゃんのこと本当にもう気にしてないよ?」
 はむちゃんと言われて一瞬何のことだかわからなかったが、あのハムスターのことであることはすぐに気がついた。
 あの時、舞は不思議な顔をしながら、俺の言うことを信じた。おかしなことを本気で言っていたのだから、一笑くらいされても当然なのに、「いっぱい思い出を作ろう」と言って笑っていた。俺はどこか恥ずかしく、そして嬉しかった。
 ただ、その一瞬だけ。

       

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Neetsha