Neetel Inside 文芸新都
表紙

ヤカタの眼
一日目の終わり。

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〔小学生の頃の話し〕
 玲奈は瞬きをした。一度だけだが、わずかな狼狽だろうか。どうもこの辺の記憶が曖昧だ。確か、出会ったのは小学生の頃なのだ。
〔何?〕
〔どうして、小学三年生の徒競走から一位を取らなくなった?〕
 さらさらと文面が出来上がる。
〔取っても誰も喜ばなかったし、私が一位を取ったことで叱られる子がいた〕
 ?
 意外だった。親のいない青緑学校で叱る人間というのは先生くらいだが、そんなことは一位にならなかったくらいではあり得ない。
〔悪いことをした〕
 玲奈は薄明かりに照らされた紙の上をじっと見つめて静止している。紙の上以外での意識はほとんどカットしているのだろうか。
〔今、オレの手がれいなの頭の上にあるよ〕
〔それで?〕
 どうでもいいようだった。本当に頭の上に手をのせてみても微動だにしない。物凄い集中力だと思う。
〔オレらが会った時のことは覚えてる?〕
〔忘れた〕
 小学二年生の春。両親を失った俺が青緑小学校に来た頃、玲奈はいつも一人だった。小学生の頃から完全なCLとして認知される子供は極めて少なく、CL予備軍として大概が表面上での家族関係を保っている。
しかし、玲奈は真の意味で一人だった。それは単に友達がいない等ではなく、家族を見たことが無かったからに誘因する。
 その頃の青緑学校の子供たちは親に認められる為に必死だった。親たちも子供を認めようと必死に学校の授業を訪問していた。
 全ての存在意義を賭けて親に認めて貰う為に同級生達は、みんな努力していた。
そして、非情なことに多くの上に立てるのは一人であり、何事にも優劣や序列はつく。
全員が百点を取っても性格、運動能力、思考力など色々なところであえて篩に掛けて選別する。そして、あなたのお子様はこんなに立派ですと勲章を与える。それが、親に望まれたもので無くても、それがあるだけで周りの見る目は変えられた。少しでも親の表情を豊かに出来た。
だから、皆努力をして已まなかった。最終的に判断するのは親であるにも関わらず。
 あの時出会った玲奈は……。
〔筆談終わり。おやすみ〕
 唐突に話しは打ち切られた。〔忘れた〕のではなく、紙に書きたくないのかもしれない。最後に紙におやすみと書き返すと俺は踵を返す。あの時、深く踏み込みすぎたのだ。俺は。
部屋の外に誰もいないのを確認して後にした。玲奈は顔を合わすことなく、俺の後ろからそっと鍵を閉めた。
 携帯を開いてメールで舞たちに明日のことを伝えようかと思ったが、圏外だった。
「そういや、離島だったか」
 近藤先生が就寝時間は十時と勝手に決めたので、携帯のディスプレイを見て時間を確認する。
――10:37
 真っ直ぐ自分の部屋に向かった方がよさそうだった。

     

社会的に「悪」「非情」「無責任」というレッテルである「CL(Child Less)」という精神病は大抵、仮性や陽性といった症状から発症するが汚名は親子を一括りにする。そして。その汚名を返上するかの如く、子は親の望む理想の人間になる為に努力してやまない時期があり、それが小学校時代。
 しかし、玲奈は少し違った。
 玲奈は『初めから』完全なCLの子として青緑学校へ入学したのだ。

 運動会。弱りきった物腰で蒼白とした男性が運動会に来ていた。いつも一番であったどこか朧気で見知った少女はその男のところへ行き、徒競走は何等賞がいいかと聞いた。
男は「どうせなるなら一等賞だ」と言った。
 その男が少女の父親であることを俺は悟った。
 その父親をじっとみていた。男は俺に歩み近づくと開口した。
「君は何等賞を取るんだい」
「俺はビリケツになるよ!」
「君の両親はそれでいいと言ってるのかね」
「ううん、だって俺、本当の親は死んじゃったもん」
俺が一位を取っても誰にも喜ばれない。だが、他の子達はどうだろう? 一位を取れば喜ぶかもしれない親がいる。ならば、一位は譲るべき。その時の俺にはそういう考えしかなかった。
「おじさんはあの子が一位を取ると嬉しい?」
「…………」
「変なおじさん。あの子は何でも一番なのに、おじさん全然嬉しい顔しないんだね」
 そう言って俺は目を細める男をその場に残して、徒競走で最下位の七位を取った。
 男は不意にはたと思いたったように、少女を呼び戻し、再び言った。
「何等賞がいいかはお前が考えて取るんだ。さっきの言葉は撤回する」と。
 俺は少女が導き出した考えに少し期待した。だけど、少女は前と同じ、一位を取った。
 父親であるはずの男は徒競走が終わる頃にはいなくなっていた。
一等賞と書かれた賞状の束がゴミ箱に入れられた。
誰も『譲れ』とは言わない。その言葉を口にするだけで、その子供は親に見放される。優秀選手賞を片手に少女は皆の前で、羨望と嫉みに包まれながら、その紙切れを四角い口に送った。

     

 少女はただ無表情に誰も居なくなったグラウンドを眺めていた。
 俺は気がつくと、ゴミ箱から拾った紙切れの束を玲奈に返しに行っていた。
膝を抱えて俺の方を一瞥すると、視線はまたグラウンドに戻った。俺は隣に立ったまま紙切れを突きだした。
「もったいないよ。変な奴が名前書き替えようとしてた」
 差し出す賞状は少女にとって紙切れ同然だったとしても、これを欲しかった子は沢山いたに違いない。
「いらないからあげる。書き替えたければそうすればいいんだから」
 俺はこの時初めて少女の声を聞いた。凜と済んだ声が空気に染み渡る。
「何言ってるのさ。そんなことしていいはずないよ。俺が持っていても仕方ないし」
「どうして」
「友達でもない子の一番を誰に自慢するんだ」
自分でも言ってからちょっと酷かったかな。と思ったけど、それくらい理不尽な話しだと思った。
「じゃあ、今から友達。だからそれ、いらない」
少女から三歩程離れたところに、俺は足を放り出してもう一度、一位の束を少女に突き返す。
「何が友達だ。名前聞いてない」
宙に留まるその紙切れは一目されることも敵わず、漂い続ける。
「そこに書いてある。それが私の名前」
「読めないよ……」
小学二年生で筑ノ瀬玲奈は流石に読めない。いや、正確には読めたのだが。
「つくのせれいな……」
呟き掠れるような声で玲奈は言った。
俺は立ち上がり、玲奈の目の前に出る。その腕から先の賞状を突きだして言った。
「筑ノ瀬玲奈。一位、おめでとう」
玲奈は目を白黒させた。
「なんで……」
「一位、おめでとうって言ったんだけど」
「なんで、そんなこと……」
「友達の一番を祝うのって変じゃないと思うけど? っていうか、そろそろ受け取ってよ。腕疲れるし」
 半ば強引に押しつける。
「う、うん」
 たじろきながら俺の手から紙を受け取る玲奈。
 ようやく、紙の重さから解放される腕に俺は安堵する。

     

「その……名前は……」
「俺? 修。西本修」
「しゅう君は一位、いらないの?」
「ん――、いらないなあ……誰も褒めてくれないし。筑ノ瀬は欲しかったんだよな?」
「玲奈でいい」
「玲奈は一位、欲しかったんだよね?」
 俺が再び横に座るまでに、玲奈は手元にある賞状とグラウンドを目線で何度か行き来した後、呟くように放った。
「……わからない」
「いらないのに取ったんだ……」
 俺は夕立に染まる空を仰ぎながら、感情の籠もらない声で言った。時折、玲奈を眺めてみたが、感情は読み取れなかった。
「だめだと思う?」
 玲奈の顔は俺に向かって答えを求めているようだった。
「別に、ただ、取ろうと思って一番を取れるのは凄いと思うけど、努力もなしに、何となく取るのは努力をして取ろうとしてた人にとっては、悲しいことなんじゃないかな。よくわかんないけど」
 玲奈は俺の言葉を何度か反芻するようにしてグラウンドに向き直す。
「どっちにしても凄いんだね。君は」
「玲奈でいい。あと、『ちゃん』くらいはつけないとヘン」
 その少女の体は華奢で意外に多弁で、そんな小さい頭には何でも出来る才能がある。
 でも、父親はそれを認めていないようだった。
父が、あの男が近づいてくる気配がする。話しが出来るのもここまでだろうと思った。
 充分に近づいて来たのを見計らって指を一本、玲奈の前に出す。
 玲奈は振り向く。その顔が綻び、走り出す。
「お父さん」
 玲奈が破顔する。男も驚いているようだった。
 きっと無意識のうちに娘を抱きしめていたのだろう。その時、俺は初めて少女が少女らしく見えた。しかし、俺は笑えなかった。
 男の眼。そこにもう生きる力が残されていないことがわかってしまった。近く必然の死。
 素直に彼らの求め合った小さな思いに俺は笑うことが出来なかった。
 一人、その場で自分の力を呪うこと。それが全てだった。
「いつだって特別は……残酷だよ」
 また一人、大切な人を失う人を俺は知ってしまったのだ……。
 砂埃が舞い上がり、意識が朧気になっていく。これが夢だと気づいたのはその時だった。

       

表紙

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