Neetel Inside 文芸新都
表紙

妄想ハニー
残党編-02【ベイビー・スターダスト】

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やはり、日本人の朝は和食に勝るものはないだろう。
白い飯に目玉焼き、焼き海苔に納豆。
ワカメと豆腐の入った味噌汁を一口すすると、目の覚めるような思いがする。
これに明太子や塩ジャケを加えれば、朝からでもご飯が二杯食べれる。
そんなメニューで腹を満たした後に、コーヒーの一杯でも飲めば、朝からふくよかな気分になるだろう。
ただ一つ欠点があるとすれば、朝からそんなものを一式作るのは面倒くさいという事だけだ。
下宿をして初めて親のありがたさのわかったのが、この、料理をする瞬間だった。
俺が一人暮らしだったら、こんなものはまず作らないだろう。
事実、去年までは作っていなかった。
今年から妹のマドカもこっちに下宿する事になったので、育ち盛りの妹のためにわざわざ作ってやってるのだ。
正直、かなり面倒くさいが、おかげで生活リズムは安定するようになった。
今では、朝六時には目が覚めるように体内時計が設定されている。
もっとも、他の高校生も普通はそういう時間に起きるものなのだろうが。
居間のテレビではもう「おはスタ」が始まる時刻になってようやくマドカが起き出してきた。
「ふあぁ~、おはよ、お兄……」
「遅ぇよ。 飯はもうとっくに出来て……!」
俺はそこまで言って言葉に詰まった。
マドカが、上にスェットを着てるだけで、下に何も穿いてなかったからだ。
血の繋がった妹とはいえ、女に免疫の無い俺に、女子高生の生足は刺激が強すぎる。
血液の流れが急に下半身に向かい出したのを俺は感じた。
「バ……お前、ちゃんと下を穿け!!」
「んぁ? 穿いてるよ、ぱんつ」
俺の指摘にマドカは恥じらうどころか、むしろスェットの裾をめくって中身を俺に確認させてきた。
………。
いや。
いやいやいやいやいやいや。
無理。無理だって。妹だから。あれ妹だから。
落ち着け。落ち着け俺。さっきの優雅に朝を満喫するジェントルな俺はどこ行った。妹の生足ぐらいで取り乱すな。ハート・ビート、リズムキープ。リズムキープ。余計なオカズを入れるな。そうだ。僕はジェントリー。ボクジェントリィ。
理性の鎖を剥ぎ取ろうとする悪魔の誘惑に、鋼鉄の意志で耐えながら俺は平静を装った。
悟られてはならない。
絶 対 に ボ ッ キ し て る 事 を 悟 ら れ て は な ら な い。
身体に表れた変調を悟られぬよう、俺は脚を組んで椅子に座った。
「あ~、今日は明太子なんだね。 私、大好物」
「昨日、特売だったからな。 片付かないから、さっさと食っちまえよ」
精一杯虚勢を張りながら、俺は醤油をかけた目玉焼きを口に運んだ。
味があるんだかないんだかわからない。
一辺意識しだすと、もう駄目だ。
自分がチキン・ハートだって事が露呈してしまう。
「お兄、これ、明太子じゃなくてタラコだよ……。 私、明太子の方が好きなんだけどな」
「ど、どっちだって同じだろ」
「明らかに違うよ! 明太子はキムチの調味液に漬け込んであるから、スパイシーな味でご飯が進むんだよ! 日本人の『ご飯が進むおかずランキング』の一位は常に明太子がキープしてるんだから!」
さっきまで眠い眠い言ってた女の舌の回り様とは思えなかったが、俺は逆に目が覚めてるのに頭が回っていない。
俺は適当にお茶を濁すと、味もよくわからない朝食を掻き込んで、逃げるようにトイレに閉じこもった。
自分だけの世界に逃げ込んで、ようやく胸の動悸が治まり掛けてきた。
最近、妹はとみに女らしくなった気がする。
アレが第二次成徴期というやつなのだろうか。
胸はまだまだ平地のようだが、腰のくびれからヒップにかけてのラインの変化が実に悩ましい。
あれは将来は安産型になるだろう。
そんな、女になりつつある妹が、少女期特有の無邪気さで甘えてくるのだからたまらない。
肉親とはいえ、一応俺も男根がついている男だという事をあいつは分かっていないのだろうか?
妹でさえなければ、さっきのあの瞬間、俺は間違いなく欲望に身を委ねていたぞ。
このままだと、俺はいずれ犯罪者になってしまう。
だからこれは必要悪なんだ。必要悪……。
俺はそう自分に言い聞かせると、元気になった逸物を取り出して、さっきのマドカの白い太股を思い出した。
朝っぱらから妹をオカズにするなんて、やっぱり俺はクズだな。
俺は溜まりきった欲望を処理する為に、頭の中でマドカに手をかけた。






昼からはバイトのシフトが入っていた。
俺は試験期間以外は一応、週3、週4のペースでミスドでバイトをしている。
親からの仕送りも生活に不自由しない程度にはあるのだが、遊んだり、バンド活動をやるのには金がかかるのだ。
まぁ接客業は嫌いじゃないし、食事の店員割引もあるので、下宿生の俺には家計の助けになっている。
今は新商品の発売セールをやっているので、食事時のレジの混雑加減が半端じゃなかった。
シフトの時間のほとんどをレジ打ちで終えて、休憩に入れたのはちょうど夜の6時頃だった。

「ふぅ~、ようやく客の波が収まったな~」
俺は休憩室でチョコファジシェイクを啜りながら、額に浮いた汗を拭った。
接客トークで枯れた喉に、シェイクの冷たさが心地いい。
「てゆーか、さっきのオバサン、マジKY。 セール中はクーポン券使えないって言ってんのに、ごねてレジ止めさせて。 他のお客さんが待ってんのわかんないのかね。 空気読めよ」
「オバサン客って、基本的にまず『自分ありき』だし。 なんであの人達って自分の利益の為なら他人の迷惑省みないんだろうな」
俺がこうして仕事の愚痴をこぼしてる相手は、サリナ。
バイトの同僚であると同時に、俺の高校のクラスメイトだ。
去年まではクラスは違ったものの、バイトに入った時期は、高校入学してすぐのほぼ同時期だ。
彼女は与党寄りのお姉系で、最初の頃こそ馴染めなかったら、学校の授業の関係でシフトがかぶる事が多かった為、半年もすると打ち解けるようになった。
といっても、ファッションなんかには興味のない俺と彼女の共通の話題と言えば、音楽の話題くらいだ。
しかも彼女の好きなアーティストは椎名林檎で、微妙に俺とはジャンルが違う。
そんな訳で、俺と彼女は学校では他人、バイト先では同僚という微妙な位置にいた。
「そう云えばさ、アンタ、また今度の学園祭の有志演奏出る訳? あの、何だっけ、残党とかいうヤツ」
「ZAN党だよ。 出るつもりではいるけど、まだ曲も何も決まってないからな。 チバのモチベーション次第だと思うよ」
「それって演奏の? パフォーマンスの? 去年のアレ、ほんとイッてたよね。 全裸で登場って! ナオコとかはドン引いてたけど、ユキとマイは大爆笑してたよ!」
「完全に出オチだったけどな…。 てゆーか、ナオコちゃん引いてたのか」
何気にその事実の方がショックだった。
ナオコちゃんこと、津島ナオコはクラスの中でもちょっと気になってた存在だったのだ。
「ま、あの子はお嬢でそういうの免疫ないから。 でもまぁ、アレはアレで銀杏BOYZのミネタみたいで面白かったと思うよ。 今年はあれ以上の事やるだよね?」
「やっぱみんなそれを期待してるんだよなぁ。 チバのヤツ、後先考えずやるもんだから。 今年は全裸以上のパフォーマンスをやらなきゃいけないってんで、メンバーみんな頭悩ませてるよ」
「自分らでハードル上げてんじゃん。」
そう言ってサリナは笑った。
「アタシも楽しみにしてるよ。 軽音連中のラウドな演奏もいいけど、ああいうパンクなノリも嫌いじゃないし」
パンクなノリ……か。
確かにパンク自体は悪いものではないし、むしろそれをやってる人達は尊敬に値すると思う。
だが、俺達は別にやりたくてパンクをやっている訳ではない。
技術がないから、自然とノリ重視のパンクテイストになってしまっているだけなのだ。
しかし、悪い気はしなかった。
男子以外からZAN党の感想を聞くのは初めてだったし、社交辞令でも「楽しみにしてる」と言ってくれたのだ。
ノセられてるとは分かりつつも何となく嬉しくなり、残りのバイトの時間はついついニヤけがちになってしまった。




バイトが上がったのは、夜8時ごろだった。
日の長い夏とはいえ、外はすっかり暗くなってしまっている。
店から出ると、クラスメイトのユキとマイが、外でケータイをポチポチやって待っていた。
二人ともサリナの仲良しグループなのだ。
お姉系止まりのサリナと違って、二人は完全にギャルの域に入ってしまっているので、俺は二人が苦手だった。
ユキもマイも、完全によそ行きの服装で臨戦態勢だった。
これからサリナと夜の街に繰り出しにでも行くのだろう。
「今日はね、オールでカラオケなんだ」
そう言ってサリナは俺と別れて、二人のところに向かった。
三人とも、充実した夏休みを送っているようで、羨ましかった。
俺はというと、特に行くアテも無く、かといってこのまま直帰するには惜しい時間だったので、いつも使ってる赤井楽器店に足を運ぶ事にした。
赤井楽器は学校のすぐ側にあり、ウチの高校の音楽部の生徒御用達のスポットになっている。
だから、たまに同じ学年の与党の人間に出くわす事もあり、そういう時には多少気まずい思いをする。
この店は、金の無い学生用に無印のスティックを激安で販売してるので、俺みたいな貧乏ドラマーには格好の店だった。
しかし、今日の目的はスティックではない。
ドラムの教則本を見に行くのが目的だった。
学園祭だけの出番とはいえ、一応俺もドラム暦3年になるのだ。
にも関わらず、今の俺の武器と来たら、8ビートと4ビート、タム回しにシェイクパターンくらいのものだ。
本気でドラムの研鑽を積もうと思ってるヤツだったら、一ヶ月で追い抜いてしまえるだろう。
それはあまりにも情けなさ過ぎる。
ある程度は基本のテクや、聞こえのいいオカズなんかも出来るようにならなければ格好がつかない。
そんな訳で、俺は赤井楽器に向かう事にした。
この時間なら、知り合いに出くわす心配も少ないだろう。


来るんじゃなかったと、俺は目の前で湯気を立てる玉露を覗き込みながら思った。
赤井楽器のスティック・コーナーをうろついていた矢先に、赤井のムスメに捕まって、かれこれもう一時間はドラムについてのウンチクを聞かされている。
「赤井のムスメ」とは、赤井楽器の店主の娘さんで、本名は知らない。
外見だけ見ると、ドラムというよりは図書館司書という職業が似合うような女性だ。
外でインディーズ系のバンドのドラマーとして頻繁に活動しているらしいが、普段は稼業を手伝って、ドラム・コーナーを担当している。
しかし、彼女はいわゆる「ウンチク系ドラマー」で、とにかく知識先行の傾向がある。
その分、その知識は膨大であり、大抵初めてドラム・コーナーに足を運ぶ者は、まずこの小一時間に渡るウンチクの洗礼を浴びる事になる。
彼女にお茶やコーヒーを出されるようになったら常連になった証、と言われているが、逆に言えば、常連となるには、お茶を啜りながら腰を据えて彼女のウンチクに耳を傾ける覚悟が必要だという事だ。
赤井のムスメ自体は長身の美人なのだが、その美貌とウンチクのウザさを天秤にかけた時、どう良心的に解釈してもウザさの方が先に立つので、あえて名前でなく「赤井のムスメ」という俗称で呼ばれて敬遠されている。
今日はたまたまドラム・コーナーの教則ビデオに目を留めたのを見咎められて、マイク・ポートノイの超絶ドラムソロがどうだの、チャド・スミスがレッチリのオーディションの時にフリーを翻弄しただの、今の俺にはクソの役にも立ちそうにない雲の上の話を延々と続けられた。
今はそこからどこをどう脱線したのか、日本のドラム史におけるドリフターズの加藤茶の功績とかいう訳の分からん方面に移行しだしていた。
いい加減、適当に理由をつけて席を立とうとしてた時、不意に後ろから声がした。

「あれ、君、同じクラスだよねぇ?」
振り向くと、そこには同じクラスの与党の一人、鷲頭晃が立っていた。
そういえばコイツは軽音楽部だった気がする。
去年の学祭の有志演奏で、よく知らない海外のミクスチャーバンドのコピーでトリを務めていた覚えがある。
よりによって、ここで与党に出くわしてしまうとは。
この時間なら知人に出会わないだろうという俺の目論みは脆く崩れ去った。
「あら、アキラくん、こんばんは。 なんだ、タカヒロくんと同じクラスだったの?」
「うん、あんま話した事は無いんですけどね。 今日はスティックが折れちゃったんで、買いに来たんです。 チップがアクリルのやつ、まだありますか?」
「アクリルのやつは結構人気あるんで、品切れ中なのよ。 あ、でも奥の在庫がまだあったかも。 ちょっと見てくるから待ってて」
「あ、お願いしまーす」
そう言って、赤井のムスメは店の奥の方に引っ込んでいってしまった。
必然的に、ドラム・コーナーには与党と俺だけが残された。
「えーと、高梁くん、だっけ?」
「高梁貴弘。 タカヒロでいいよ」
「あ。 俺、同じクラスの鷲頭晃。 俺もアキラでいいよ」
一応、名字くらいは覚えててくれたようだった。
まぁそれもそうか。
与党だとか言って敵視してるのはこっちが勝手に言ってるだけであって、向こうにとってはこちらは只のクラスメイトの一人なのだ。
「確か去年も学祭の有志演奏出てたよね、洋楽のラップのバンドで」
「ああ、アレ見てくれてたんだ。 リンプ・ビズキットってバンドのコピーだよ。 ミッション・インポッシブルのテーマとかで有名なんだけど」
「へぇ、アレってリンプだったんだ。 俺、洋楽ってあんまり聴かないからな」
「洋楽って歌詞わかんないもんな。 受験の時、英語の勉強になるからって先生にエアロスミスのCD勧められた事あるけど、全く役に立った覚えないし」
「あ~、分かる分かる。 洋楽の歌詞をリスニングしろって言われても絶対無理よなぁ」
「タカヒロくんは邦楽オンリー?」
「どうかな……メジャーどころはたまに借りて聴くけど、でもやっぱ邦楽のロックが多いかな。 『ノート』とか今ヤバいよ。 コピーはちょっと無理っぽいけど」
「マジで!? 実は俺もノートのファンなんだよ。 メジャーデビューのライブも観に行ったし。 やっべ、周りに知ってる人いなかったから、知ってる人いて超嬉しいんだけど!」
与党との間に、意外な接点があって驚いた。
俺は結構趣味がコアな方なので、与党とは絶対に嗜好が合わないと思っていたのだ。
何より俺も、ノートについて語れる人材には初めて出会ったのだ。
柄にも無く興奮して、マニアックなトークにまで発展してしまった。
そう言えば、俺が高校に入ってここまで興奮して話した相手は、トーヤ、ユゲ、チバ以外では初めてかしれない。
素直に、嬉しくなった。
そんな風にして音楽トークに花を咲かせていると、赤井のムスメが何セットかスティックを持って奥から出てきた。
「んー、ごめん、アキラくん。 アクリル・チップのやつは何種類からあるんだけど、いつも買ってもらってるモデルのはちょっと在庫切らしてるのよー。 一応、同じチップがアクリルのモデル何本か持ってきたけど、試し打ちしてみる? 一週間くらいかかってもいいなら、いつものモデル取り寄せも出来るんだけど」
「あ、そうなんですか。 困ったな~、明日もスタジオ練習あるし。 それじゃあ、それ何本か試奏させてもらえます?」
そう言って、鷲頭アキラはスティックを受け取ると、試奏コーナーのドラムの椅子に腰をかけた。
そのまま、試奏コーナーに掛けてあった、ドラマー用のグローブを手に被せる。
試奏ぐらいで大袈裟な、と俺が思った瞬間。

衝撃が走った。

鳩尾にボディブローを入れられたような強烈なバスドラのフックに、機関銃のフルオート掃射を連想させるスネアのアクセント・ストローク。
その隙間を埋めるように織り交ぜられるゴースト・ノートにダブル・ストローク。
スネアとバスドラ、ハイハット・シンバルの3つしか使っていないのに、その裏にあるメロディーを浮き彫りにするほどにそのバックビートは繊細で、そして暴力的だった。
ビートは理路整然と。 サウンドは破壊的に。
そのドラマーに求められる二つの矛盾した要素を、アキラは圧倒的なレベルで実現していた。
力みなどまるで感じられない。
鞭の如くしなやかな手首の動きと滑らかなフィンガータッチは、合気の達人のような脱力の局地にある。
俺の力任せのガムシャラなドラムとは異なり、見る者を魅入らせる吸引力をそのプレイは兼ね備えていた。
既にそれは、ソロ・ドラムの域に達している。
これが、俺と同じ歳の少年が叩くドラムなのだろうか。
蒸し暑い店内の中で、俺は静かに自分の汗が引いてゆくのを感じていた。
一分近く試奏した後、アキラは得心したようにスティックを持ち直した。
「うん、前のより重さがある分、チップの跳ねっ返りがいいっすね。 ちょっと俺の手には太すぎるけど、とりあえず一週間はこれで代用する事にします。 あと、前のモデルの在庫取り寄せも頼んますね」
赤井のムスメは、了解、と言って親指を立てた。
俺は、目の前での衝撃的なプレイを見て、心臓に生まれた奇妙なむず痒さの正体がわからず、呆然としていた。

そのまま俺達は、二人で赤井楽器を出た。
与党と行動を共にするつもりは無かったのだが、何となく流れで一緒に出てしまったのだ。
「タカヒロも出るの? 学園祭の有志演奏」
いつの間にか、アキラの俺の呼び方が「タカヒロくん」から「タカヒロ」になっていた。
同好の友を見つけて、心を許したのかもしれない。
「うん、そのつもりだよ」
「へぇ、何てバンド? 絶対見に行くよ!」
というか、去年も出たはずなんだが、どうやら覚えられていないようだ。
まぁあれはチバが全部持っていってしまったから、仕方がないといえば仕方が無い。
俺だって、他のバンドの違うクラスの奴なんていちいち覚えてやしない。
でも。
何故か俺は、自分のバンド名を言うのを躊躇してしまった。
知られたくない、とそう思った。
だって。
「ZAN党」、なのだ。
自虐的な名前だから、とかそういう事じゃない。
おそらく、アキラは「ZAN党」の名前を知ってはいるだろう。
しかし、それは演奏面ではなく、パフォーマンスで有名だからだ。
チバがいつも何かをやらかすから、みんな対岸の火事を眺める野次馬のような好奇心で注目してるだけなのだ。
背筋が冷たくなって、肌がこわばった。
俺は、ごくりと唾を一つ飲み込んで、ゆっくりその名を口にした。

「ZAN党、だよ」

一瞬、アキラは目を丸くしたように見えた。
だって、それはそうだろう。
俺はあの、「ZAN党」のメンバーなのだから。
俺は断罪を受ける囚人のような気持ちで、次のアキラの言葉を待った。
「あ、なんだ。 タカヒロくんて、あのZAN党のドラマーだったんだ。 いつもボーカルのやつがすげーパンクな事やらかしてくれるバンドだよね。 俺も楽しみにしてるんだ、あれ!」

頭の中が真っ白になった。
その後、どういう会話をしたのかはよく覚えていない。
20分ぐらい、内容があるのかないのかよく分からない、他愛の無い話をしたような気がする。

夜も10時を回ってしまったので、そこで俺達は別れ、

アキラの姿が見えなくなると、

俺は弾かれたように駆け出して、

帰路に着いた。




























「あの」ZAN党のドラマーだったんだ――――――
「あの」とはどういう意味だろう。
俺も楽しみにしてるんだ、「あれ」――――――
「あれ」とは何だろう。
逃げるように家の中に閉じこもって、俺は座りながら天井を眺めた。
「お兄、どうしたの? 帰ってくるなり、物思いに耽りだして………」
いつものように話し掛けてくるマドカが、今は煩わしい。
俺は、何なのだ?
俺は自問した。
まだ、俺の中でアキラのドラムの衝撃が抜けきらない。
俺のドラムとは、余りに違い過ぎる。
一年に一度、俺たちが輝ける瞬間?
そんなものはただの幻想に過ぎないと思い知らされた。
あのドラムに比べると、俺のドラムなど、あまりにも稚拙で、滑稽で――――――
俺達は、道化だ。
演奏がヘタだから、と開き直って、注目を集める事しか考えなかった。
俺達は、人を笑わせる事は出来ても、決して人を感動させる事は叶わないだろう。
俺達の小賢しいパフォーマンスなど、本物の前では憐れな見世物でしかないのだ。
「そうか………」
俺は、誰に言うでもなく、一人で呟いた。
「俺達は、そう見られてたのか……」
そう言って、俺は掻き毟るように顔を覆った。
そう、それは周囲にとっては公然の事実だった。
“ヘタクソな連中が、馬鹿な真似をして注目を集めようとしている。”
それを知っていて、みんなは俺たちを祀り上げようとしていた。
ただ、俺達は閉鎖されたコミュニティの中にいた為に、自分達をそう客観的に見る事が出来なかったのだ。
ふと、サリナの言葉を思い出した。
“軽音連中のラウドな演奏もいいけど、ああいうパンクなノリも嫌いじゃないし。”
よくよく考えれば、サリナは一言も演奏について褒めてはいなかった。
おそらく、場の空気を考えて、一番当たり触りの無い言葉でお茶を濁したのだ。
まるで腫れ物でも触るかのように。
俺の事なんて、見てはいなかった。
そんな当たり前の事に、俺はたった今気づいたのだ。
―――――今、わかった。
アキラのドラムを見た時、俺の心臓に生まれた、奇妙なむず痒さの正体が。
それは、たった一つの単純な感情だった。
その感情の正体は――――









「クヤシイ」





クヤシイ。クヤシイ。
俺は、その言葉を何度も反芻した。
何故、俺とあいつはこんなにも違うのだろうか。
同じ年に生まれ、同じ十七年という月日を過ごしたてきたはずなのに、この違いは何なのだ?
惨めだった。
俺達は…………いや、俺は道化だ。
俺は、居たたまれなくなり、声を殺して涙を流した。
押し込められていた感情が、一気に溢れ出した様だった。
消えたかった。
消えて無くなりたかった。
俺は何なんだ。
俺は一体、何なんだ。
「お兄………」
突然泣き出した俺に、マドカはどうする事も出来ず、呆然とその場で立ち尽くしていた。



       

表紙

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Neetsha