妄想ハニー
残党編-04【バイヴ・オン】
夏はまだ続いている。
今日は、マドカに付き合って、日用雑貨の買い物に来ている。
夏休みも終盤に入ったものの、やはりショッピング・モールには学生の姿が多い。
学校で見知った顔も、人ごみの中にちらちら見受けられる。
直接交友のある人間には出会ってないのがまだ救いだった。
マドカと二人で買い物してるとこを見られたら、弁解が面倒くさい。
実際、やましい事は何も無いのだが、どうにも若い娘と二人暮しというのは世間体がよくないようだ。
「やっぱりさぁ、居間がどうにも殺風景だと思うわけよ、私は。 こないだ、ブルドッグでいい感じの間接照明見つけたの。 赤ワインのボトルの形してて、コルクの所をひねると、瓶の中が淡く光り出すの。 素敵じゃない?」
「いいけど、招く人もいないのにそんなもん買ってどうするんだよ」
「お兄に彼女が出来て、家に連れ込む時にムード出るっしょ?」
「彼女なんか出来る気配もないし、仮に出来ても妹のいる家なんかに連れ込めるか」
「いやいや、そこは諭吉様の一枚でも戴ければ喜んで家をお空けしますよぉ」
マドカは、ゴマをする部下のように手を揉む仕種をして、いやらしく言った。
普通、この年頃の女子というのは、男家族とのそういう話題を避けるもんじゃないのだろうか。
マドカの交友関係に触れた事はないが、案外コイツも男の一人でもいるのかもしれない。
となると当然そういう経験も……………いかん、想像したらもの凄く鬱になってきた。
女家族の男事情は、身近なだけに生々し過ぎる。
俺が頭の中でそんな事を考えてるなど露知らず、マドカはモールに展示されている秋物の服に気を引かれているようだった。
そうだ、もう半月も待たずに秋に入る。
体育祭に文化祭、二学期は一年の中でも特に激動の期間と言える。
そして、それが終わるとすぐに受験戦争という名の冷戦が始まる。
安息の日々はもう終わりつつあるのだ。
しかし、その安息の日々の終わりに、俺達は一つの戦いを挑まなければならない。
アキラ達、『アナボリック・ステロイド』の出演するライブの、オープニング・アクトだ。
今日から数えて、本番はちょうど一週間後になる。
一週間、しかないのだ。
ぶっちゃけ、俺は去年の学園祭以来、生のドラムに触っていない。
やった事といえば、家でドラムパッドをスティックで叩くか、あるいはゲームセンターのドラムマニアぐらいだ。
ドラムマニアなんて、実際にドラムをプレイする上ではクソの役にも立たない事など経験上で承知している。
結局俺は一年近くものブランクがある事になる。
ちょうど二年生の今ぐらいの時期だろうか。
同じく一年生の学園祭以来スティックを握っていなかった俺は、一年ぶりにドラムをプレイして、びっくりするぐらい叩けなくなっていた事に驚いた。
リズム楽器であるドラムは反復練習が基本である為、継続して練習し続けなければ、あっという間に覚えた技が体から抜け落ちていってしまうのだ。
覚えた技を完全にまた覚えなおす為に一ヶ月近くかかった覚えがある。
同じ轍を踏まぬ為に、去年の学園祭が終わってしばらくの間は個人練習をしていたが、ギターやベースと違ってドラムスは家で生ドラムを叩くという事が出来ない上、しばらくはライブの予定もなく、徐々にモチベーションが下がっていって結局練習しなくなってしまったのだ。
典型的な駄目人間の行動パターンである。
そして、練習期間が充分あった去年と違い、今回は一週間しかない。
覚えた技を覚え直す時間すら、今回は与えられていないのだ。
チバはともかく、トーヤやユゲはこの現実をどう受け止めているのだろうか。
あるいは、何も考えてはいないのかもしれないが。
ライブの詳細は、アキラからチバに追って連絡する事になっている。
その間、俺達に出来るのは練習する事だけだ。
今日も、夜から赤井楽器のスタジオでバンド練習をする事になっている。
一週間でオリジナルなんて不可能だから、もちろん全曲コピーだ。
それすら満足に出来るか危ういというのは、一体バンドとしてどういうものだろう。
この間のアキラのドラム・ソロの衝撃を、俺はまだ鮮明に覚えている。
あれ程人を惹き付けるプレイを、俺は見た事がない。
ただ、テクニックとしてドラムが上手いと云うんじゃない。
完全に、ライブとして人に「見せる」事を前提とした叩き方だった。
音としての精度なら、人間はリズム・ボックスを越えられない。
どれだけ人間がリズム感を身につけようが、人間が生き物である以上、そこには必ずブレが生じる。
ただリズム・キープをするだけの存在ならば、ドラムなど置かずにリズム・ボックスを置くべきなのだ。
じゃあ、何故、バンドにドラマーは必要か。
それは、機械には不可能なグルーヴ感―――――ライブ感が出せるからだ。
リズム・ボックスは確かに正確無比なビートを刻むが、それは血の通わない人工心臓の鼓動に過ぎない。
生のドラムは、スティックを通じて、演奏者の感情を剥き出しに表現する。
機械では、音の強弱をつける事は出来ても、感情の機微を表現するなんて事は出来ない。
それこそが、バンドに必要な『ドラムスの音』なのだ。
アキラは、さすがに経験豊富だ。
リズム・ボックス並の正確なビートに、ライブ感の出し方を完全に理解している。
他のメンバーも、アキラに比肩する腕前の持ち主なのだろうか。
俺が見たのは、アキラのドラムだけだ。
あのプレイがバンドとして合わさった時、どんなサウンドになるのか、想像しただけで身震いがする。
考えてみれば、去年の学園祭で俺はアキラのバンドのライブを見ているはずなのだが、当時はそこまで他のバンドに着目していなかったから気にも留めなかったのだ。
今となっては何故ちゃんと聴いておかなかったのか悔やまれる。
そんなバンドと俺達は対バンするのだ。
噛ませ犬になるのは百も承知だ。
だからせめて、一矢報いたい。
少なくとも、あのナオコちゃんに笑われるようなプレイだけはしたくない。
これは、もはやバンドマンとしてというより、男としての意地だ。
残党にだってプライドはある。
ピストルズは確かにクズだったかもしれないが、奴らは確かに己の主張を通したのだ。
俺達は弱者だ。
それは認めなければならない。
だが、弱者にしか見えないものもあるはずだ。
傲慢な与党には表現し得ないもの、それを俺達は表現できるはずなのだ。
そこまで考えた時、急に鼻をつままれる感触があった。
マドカが、むくれて俺を見上げていた。
「お兄、ま~た自分の世界入ってたでしょ。 目が明後日の方向向いてたよ」
「あ、いやちょっと今日合わせる曲の構成を頭の中でだな……」
「今はアタシとデートの最中じゃないんですかぁ?」
「デートじゃねーって。 お前の買い物につきあってるだけだろうが」
「女の子と二人で買い物行けば、世間的にはデートでしょ」
「じゃあ聞くけど、俺がオカンと買い物に出かければそれはデートになるのか? オカンも生物学的には女だぞ」
「お母さんはお母さんだよ」
「だろう? 妹も妹だ。 一親等はデートの範疇に含まれねーんだよ。 危ない少女漫画の読み過ぎだっつーの」
「あ~、アタシが言ってるのはそういう事じゃなくて! お兄の今の時間はアタシが独占してるんだから、真剣に買い物に付き合ってって言ってんの! 上の空のまま、なぁなぁな対応しないでよ」
マドカも、変なところで思春期特有の無駄なナイーブさを発揮してくれる。
相手にとって、自分が興味の第一対象でなければ気に食わないのだ。
二人暮しで、たった一人の同居人にヘソを曲げられるのも後々やっかいだ。
ここは俺の方が折れてやる事にする。
「悪かったよ」
「ホントに反省してんの? お兄ってこういう時、とりあえず形だけ謝っとこうって考えるタイプだし」
さすが血を分けた兄妹。 ご名答だ。
「いやいや、ホントに、ホントに反省してますって。 今の時間はマドカとショッピングの時間」
「よし、じゃあ、スガキヤでクリームぜんざい奢ってくれたら許したげる。 こないだ給料入ったばっかりだから、安いもんでしょ?」
そう言って、マドカはフード・コートにあるスガキヤを指差した。
……まさかとは思うが、今の絡みは、この為の前振りだったんじゃなかろうか。
最初にそれを意識したのは、去年の、修学旅行だった。
俺達の高校の修学旅行の行き先は、毎年、沖縄に決まっている。
真夏の沖縄は、太陽は肌を焦がす程に暑く、海は翡翠のように澄んで綺麗だ。
内陸しか経験した事の無い、大半の同級生達にとって、それの新天地は魅力的な場所だっただろう。
普段は「だりー」が口癖のトーヤですら、やけにテンションが高かったのを覚えている。
修学旅行中の班決めは、担任の、「交流の輪を拡げる」とかいう生徒側からしたら迷惑極まりない方針によって、くじ引きでランダムに決められた。
しかし、俺達が与党だの野党だの残党だの言っている様に、高校のクラスなど大体つるむグループが明確に分かれてしまっている。
引率の教師がそんな金八先生よろしくな偽善的なルールを課した所で、自由行動ともなればそんなルールは形骸化し、各々勝手に班を離れて与党は与党に、野党は野党の輪に帰っていくのだ。
去年は、俺はトーヤが同じクラスだった為に、旅行中はずっとトーヤとつるんでいた。
だが、一応担任の前では、馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、内申の為に優等生を装わなければならない。
まぁその考えは周りも同様だったようで、ギクシャクしながらも表面上は友好を装った。
その一緒になった班の中に、ナオコはいたのだった。
正直、最初は小さくて可愛い子だとは思ったものの、それ以上の興味はなかった。
バイト先の同僚であるサリナの友達であるとは知っていたが、何を話していいのかわからなかったし、いざ話せと言われてすぐに気の利いたトークの一つも出来るようなら俺は残党には成り下がらなかっただろう。
他の面子は野球部の坊主頭に、北関東系スタイルのヤンキー、文化部系の腐女子と、RPGのパーティーみたいに見事にジャンルが分かれている。
こんな気まずい面子がランダムに揃ったのはある意味ミラクルだ。
当然、こんなメンバーで会話が持つ訳はなく、あの先生ウザいよねーだの体育祭楽しみだねーだのと生徒同士の最大公約数的な会話を半日こなした後は、予想通り話題も尽き、会話が無くなった。
とりあえず班長だった野球部の坊主頭は、この中では比較的属性が近そうな俺に何かと話題を振ってきたようだったが、親しくもない人間に無茶振りされる話題ほど苦痛なものはない。
俺はそういうコミュニケーションを楽しめるような与党的な人間ではないのだ。
それは二日目の、パイナップル園での自由行動の時だった。
引率の教師の目が離れると、俺達は即座に散開して自分達のグループへと舞い戻った。
チバ、トーヤ、ユゲと合流した俺は、まず観光客用のやたら高いパイナップル・アイスを買って、園内を見て回る事にした。
その時、ふとナオコが小さな男の子と一緒にいるのが目の端に入った。
男の子は迷子らしく、『ママ~』と連呼しながら泣きじゃくっていた。
それを、ナオコがよしよしと頭を撫でながらなだめていた。
サリナやユキやマイは一緒じゃなかったのだろうか?
中学生のような身長しかないナオコだが、さらに一回り小さな男の子と一緒にいると何だかお姉さんのように見えた。
声を掛けようかと思ったが、俺は子供が苦手だったし、何より貴重な自由行動の時間を他人事で消費されるのがなんか嫌だった。
迷子なら、そこら辺の職員とかに声をかければ、すぐに迷子センターに連れてってくれる。
俺はそんな風に自分を納得させて、その場を後にした。
本当にもぎ立てのパイナップルを食べ、そこら辺の公園にありそうなチャチなアトラクションで小学生のように騒ぎ、2時間の自由時間を俺達はたっぷりと楽しんだ。
自由時間も終わりに近づき、バスに集合という時間帯になって、パイナップル園のゲートに戻ってきた時だった。
ナオコと、さっきの男の子と、その母親らしき女性と、ウチらの担任がそろって何かを話していた。
男の子の母親が、ナオコと担任に、お礼を言っているようだった。
男の子は、母親の胸にしがみついている。
顔は見えなかったが、泣いている様だった。
ナオコは、本当に、とてもいい笑顔で笑っていた。
まさか、あれから、ずっと母親を探していたのだろうか?
見ず知らずの男の子のために、一生に一度の高校の修学旅行の自由時間を使って……。
何だか、俺の胸の中に、初めて味わう奇妙な温かさと、猛烈な羞恥心が湧いてきた。
ああ、そうか。
彼女は、俺とは、違う人種なんだ。
子供のように自分本位な俺とは違い、彼女は、瞬間的に人の為に自分を犠牲に出来る人間なんだ。
俺は、さっき、子供と自分とを天秤にかけて、自分の方を取った。
だが、彼女は、知らない場所に置き去りにされた少年の不安を察して、ずっと側にいる事を選んだのだ。
確かに、迷子センターに連絡すれば、職員達は迅速に物事を処理してくれただろう。
だがそれはあくまで『仕事』であり、事務的に行われる処遇に、男の子は不安を隠しきれなかっただろう。
だから、ナオコはずっと男の子に付き合ったのだ。
孤独は辛い。
その辛さは、放って置けば背骨まで凍ってしまいそうなぐらい、酷薄だ。
だが、そんな中に一人でも理解者がいれば。
いや、たとえ理解してくれなくても、一人でも一緒にいてくれる人がいたなら、それはどんなに心強い存在になるだろう。
干されてる、“残党”の俺だから分かる。
チバや、トーヤや、ユゲが居る事が、俺にどんなに安心感を与えているか。
彼女は――――――ナオコは理解した。
その、少年の不安を。
そして、何故、俺は理解できなかったのだろう。
あの男の子は―――――――俺だったのに。
その夜、俺は、思い出したかのように、その胸の奇妙な温かさの正体に気がついた。
それが、恋だって。
そうだ、俺は、ナオコちゃんが好きだ。
ナオコの前で格好をつけたい。
好きな女の前でカッコつけたいのは当たり前だろう。
見栄っ張りだと言われても構わない。
今の俺にはまだ、裸の自分で勝負をする自信が無い。
何か一つでも、誇れるものが欲しい。
もしも、アキラと同じぐらい叩けるようになれば、それはきっと自信になる。
在学中にあれだけ叩けるようになるのは無理だとしても、せめて人に聞かせて恥しくないレベルに。
『ドラムをやってる人』じゃなくて『ドラマー』だって言えるようになった時に、俺は告ろうと思ってる。
その時、ふとサーティーワンでの事を思い出した。
あの時、ナオコちゃんは、サリナ、アキラ、エノケンと一緒にいた。
サリナはいつも一緒にいるから分かるとしても、アキラとエノケンは?
サリナに彼氏がいないのはバイト中いつも聞いているから、ダブル・デートの線は無いと思うが、アキラとエノケンはどうなのか?
アキラとエノケンがナオコちゃんを狙っていない保証はない。
いや、夏休みが始まってもう一ヶ月も経っている。
俺が言うとウソ臭く聞こえるが、夏は、恋の季節だ。
ナオコちゃんが二人のどっちかとデキていないとも限らない。
俺の中で、薄暗く嫉妬の炎が燃え出すのを感じた。
今度のバイトの時、それとなくサリナに探りを入れてみよう。
そんな思いを巡らせながら、俺は赤井楽器に向かう事にした。
赤井楽器に着いたのは、午後6時頃だった。
スタジオの予約を入れたのが6時からだったから、ちょうどいい。
着いたら、ちょうどチバとユゲが前のバンドの出待ちをしているところだった。
遅刻魔のトーヤはまだ来ていないらしい。
ドラム自体を触るのはかなり久しぶりだが、ここに来る前にドラムパッドでイメージトレーニングは積んできた。
曲の構成はほぼ完璧に覚え直してきたと思う。
とりあえず、勘を取り戻さない事には始まらない。
取り戻して、さらにその高みを目指さなくてはいけないのだ。
何度も言うが、時間は一週間しかない。
出来る事はやっておかなくては後悔するに違いない。
前のバンドがスタジオから出てくる。
彼らが荷物をハケると同時に、俺達はスタジオに入った。
俺はとにかく目立つように、シンバル・スタンドもタイコも高めにセッティングする。
要するに、全部のセットをいじる。
自然とそれだけセッティングに時間がかかるのだ。
正直、音の良し悪しが俺にはよく分かっていないが、今日のスネアはやたらカンカンしていてメタルチックな感じがした。
チューニング・キーは一応持ってるものの、どこをどういじればどう音が変わるのか分からないので、これでいい事にする。
ありあえず、軽く音出しをしてみる事にする。
ドッ、タン、ドッドッ、タン。 ドッドッタン、ツタツタドンタン。 タカタカタカタカ、ダガダガ、ドコドコ。
大した事はやっていないが、久しぶりに叩く生ドラムの音は鮮烈で、耳に残る。
みんなまだセッティングに時間をかけている。
もう少し音出しをしてみてもいいだろう。
そんな時、ようやくトーヤがベースを担いでスタジオ入りしてきた。
「お前、おっせーよ。 スタジオの時間は限られてんだぞ」
「悪りー、ツタヤで今日のオカズどれにしようか迷っとって、気づいたらこんな時間やったんや」
トーヤは言いながら、ベースのソフトケースから取り出した。
トーヤのセッティングは早い。
何せ、ベースをアンプに繋いでボリュームを上げるだけだ。
音作りとかする気が全く無い。
ある意味、シド・ヴィシャスを地で行くパンクな男だ。
その内、アンプの電源も入れなくなるかもしれない。
チバがマイクのボリュームを確認する。
準備は整った。
カッ。カッ。カッ。カッ。
スティックが4カウントを刻む。
ユゲのギターソロから、曲は始まった。
意識が一瞬ブラックアウトするかのような、超・超・爆音。
音がでか過ぎて、メロディーがわからない。
……なんつー音出すんだ、ユゲは。
一瞬頭が持ってかれるも、気を持ち直してトーヤと共に曲に入った。
意外だった。
トーヤの音は予想通りベキベキだったが、リズム感はしっかりしている。
ドラムがバンドの根っこなら、ベースは幹だ。
枝葉であるギターや、華であるヴォーカルの間に低音域を差し込んでバンドを支える。
おそらく、トーヤなりに家で練習を積んできたのだろう。
わずかながらグルーヴのようなものが生まれてきている。
ユゲのメロディーが全く聴こえないので、俺は、トーヤのベースラインを元に構成を思い出しながら叩いた。
そこにやや遅れて、チバのヴォーカルが加わった。
相変わらず凄まじいハスキー・ヴォイス……というより、これはもうデス声の領域じゃないか。
喉が裂けるようなしゃがれ声だが、その声量は人間離れしている。
ユゲの爆音ギターの中にあっても埋もれていない。
もうすぐブレイクだ。
チバのシャウトが来る。
「愛とッ! ゆうッ! 憎悪ッッ!! イェェ―――――ッッ!! スモーキン・ビィーリィィ――――――イィッッ!!!」
練習は3時間続いた。
ドラムを叩く時についつい力任せで叩いてしまう俺は、もう腕がパンパンになっていた。
もっとも、曲のテンポを上げている俺自身にも原因はある。
気持ちが曲に入り込んでくると、どうしてもリズムが走りがちになってしまう。
結果、腕が追いつかずに力で叩いてしまう結果になるのだ。
それにしても、空調の効いていないスタジオだ。
夏の湿気も手伝って、スタジオの中は凄い熱気に包まれている。
俺はペットボトルをつかむと、ぬくるなった飲料水を喉の奥に流し込んだ。
「なんか、タカヒロの連打ってさ、砂嵐みたいなんだよな」
チバが、唐突に言い出した。
「ショットが弱すぎて、ユゲのギターに埋もれてる。 なんか、“タカタカタカ”って感じじゃなくて、“ザザザザザザ”って感じなんだ。 チャチなオカズとかいらねーから、もっと潔くてデカイ音を出せるようにしてこいよ」
辛辣な言葉だった。
俺はこんだけ腕がパンパンになってるというのに、まだパワー不足だというのか。
「音が小さいって? 力いっぱい叩いてるつもりだぞ」
「なら、叩き方が悪いんだろ。 こっから聞こえねーんだよ」
「それはユゲの音がでか過ぎるせいだろ。 もっと音のバランス考えろよ」
「なんでバンドで、ミニマムなサウンドに周りが合わせなきゃならねーんだ。 全員がデカイ音出せるようにすんのが普通だろ。 蠅の羽音みてーなドラムなんか誰が聞くかっつーの」
何この言われ様……。
とりあえず、俺のドラミングは結構クズの領域に入るであろう事はよくわかった。
しかし、デカイ音というのはどうやって出せばいいのだろうか。
俺は少なくとも痩せ型ではないし、筋力もそこそこはあるつもりだ。
事実、俺より一回り体格の小さいアキラがあれだけ大きな音を出せていたのだから、何か音をデカくするコツのようなものがあるのだろう。
あとで、ドラムコーナーで屯(たむろ)してる赤井のムスメに聞いてみようと思った。
それにしても、今日の練習で確認できた事は、ヤバい、というその一事だけだ。
チバは声量があるが、音域が狭く、高音域はしゃがれ声で誤魔化している。
ユゲはとにかく爆音で、メロディーとかいうものが聴こえない。
トーヤは、テクニックはそこそこあるものの、音作りが終わってる。
俺はとりあえず音が小さく、テンポは走りまくりらしい。
ああ。
俗に言うクズバンドだ。
各々の課題は確認できたものの、こいつらにそれを直す気はあるのか。
そこが一番の問題だった。
赤井のムスメは案の定すぐ見つかった。
ドラムコーナーで、アイスコーヒーを啜りながら、スティックを持った女子高生と話し込んでる。
途中から話を聞いていたところ、どうやら赤井のムスメがやってるドラム教室の生徒らしい。
パラディドルがどうとか、俺にはよくわからない話をしていた。
「じゃあ先生、もう夜遅いんで今日は帰りますね~」
「あいあい、気おつけてね~。 グッナイ」
女子高生を見送った後、ちょうど俺の前にもアイスコーヒーとガムシロップが運ばれてきた。
俺も常連と見なされているようだ。
「ごめんねー、遅くなって。 タカヒロくんだったっけ」
「あー、そうです。 ちょっと聞きたいんですけど、ドラムで爆音出すにはどうしたらいいですか」
「ドラムを親の仇と思ってぶっ叩けばいいんじゃない? スティックで撲殺するぐらいの勢いで叩けば多分デカイ音が出ると思うよ?」
仮にもプロでドラムやってる人間の言葉とは思えない。
「いやー、何かそういう精神論じゃなくて、もうちょっと具体的なやり方を……」
「んー、手っ取り早いのはリムショットを利用する事かな。 スティックの腹の部分を、ドラムのリムって云うフープの部分に叩きつけてスネアを叩くと、大きな音が出せるのよ。 ロック・ドラムでは結構基本的なテクニックなんだけど」
「へぇ、そんなやり方があったんだ。 今まで完全に独学だったからなぁ」
「ふふん、結構本気でドラムやる気になったんだ。 あ、あれでしょ。 アキラ君にライブ誘われたんでしょ?」
ぎくりとなった。
もうその事が知れ渡ってるのか。
そう言えば、アキラもここの常連だったんだな。
その時に話したのかもしれない。
「ええ、まぁ……。 外のライブは初めてなんですけどね」
「急な話で悪いわね~。 トッパーのバンドのヴォーカルが事故ったらしくて、ドタキャンかましてきたのよ。 出てくれて助かるわ~。 まぁよろしく頼むわね」
「よろしく………って、え?」
俺は、赤井のムスメの台詞に妙な違和感を覚えた。
アキラのバンドのイベントの事を知ってるの、アキラが話したからいいとしよう。
しかし、彼女の言い分を聞いていると、まるで彼女の開くイベントのようではないか。
インディーズ・バンド『マジック・マッシュルーム』のドラマーである、赤井のムスメの――――――
「ああ、今回のイベント、『マジック・マッシュルーム』の主催なのよ。 聞いてなかった?」
「―――――――――」
何であの時、アキラがすげー後悔した顔してたのか、今、本気でよくわかった。