Neetel Inside 文芸新都
表紙

妄想ハニー
残党編-07【ランブル】

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無性に合体したいと思う時がある。
何というかそれは、食欲とか睡眠欲と同じ次元の問題なのだ。
ああ、わかってる。
言葉にすると非常に卑賤な事だと言うのは非常によく承知しているものの、それは本能であるのだからどうしようもない。
どんなに我慢しても腹が空くのは止められない。
どんなに我慢しても眠くなるのはどうしようもない。
食事と睡眠が生命の維持に課せられた必要不可欠な事項なれば、子孫の繁殖は、種の存続を維持する為に生命に課せられた至上課題である。
要するに、“ムラムラくるのは本能だから仕方がない”。
特にここ数日はそれが顕著だった。
理由はなんとなく分かっている。
女性と二人でいる機会が増えたからだ。
家ではマドカ。
赤井楽器ではカナメ。
バイト先ではサリナ。
非常にぶっちゃけた話、社会的地位を引き換えにする覚悟があれば、いつでもセックスが出来る環境にあるという事だ。
無論、その中に意中の女性がいる訳ではないが、十七年間異性に縁の無かった俺の肉体はこの急激な環境の変化に際し、異性との二次的接触を要求しているらしい。
原初の動物であればすぐにでもパンパンやり始めるものだろうが、生憎俺は人間だ。
社会だの法律だのといった非常に不自由な制約の中で生きる人間なのである。
本能のままに生きるのは動物の生き方だ。
詰まる所、本能と理性との折り合いをつけるには何らかの妥協が必要だという事である。
具体的に言うとオネイニーであり、小難しく言うと自慰行動だ。
そんな訳で今日のオナペットはカナメに決めた。
いつものスタジオで、カナメがうつ伏せにドラムセットに身体を預けながら、尻を突き出してる様を想像した。
普段は着痩せしてるが、『マジック・マッシュルーム』のジャケットに乗っていたように、カナメはリア・ディゾンばりのスタイルの持ち主なのだ。
妄想という俺の固有結界の中で、赤井カナメは下半身の肌だけを露わにしていた。
着衣のまま、というのが燃えるのだ。
服のくすんだ色と、肌の白さのギャップが。
俺はズボンを脱ぎ捨てると、悩ましげな視線で俺をねだるカナメに俺自身を突き入れた。
いつもウザいウンチクばっかり垂れやがって。 俺の極太スティックでパンパン云わせてやる。
オープン・リムショット! オープン・リムショット!
熱く粘り気のあるカナメの蜜壷の中に、俺はもはやヒッコリーよりも硬くなったそれをピストンさせる。
この後背位の征服感というヤツは何者にも代え難い物がある。
熱く締め付けるカナメの蜜壷に、俺の芯はもう限界に達しようとしていた。
う、もう―――――――
その時だった。
俺の固有結界を喝破する、対界宝具の鍔鳴りが耳に入った。


「お兄~、朝だよ、朝~。 今日も赤井楽器行くんでしょー? てゆーか、ご飯作って。」
部屋の扉の外から、この家で唯一俺の結界内への侵入を赦されたる天敵・マドカの声が聞こえてきた。
まさか朝っぱらから自慰行動に耽ってるとは思っていないだろうあの妹は、あろう事かドンドンとドアを叩いている。
気分はまさに殺人現場に踏み込まれるシリアル・キラーの心境だ。
ちょっ、飯ぐらい自分で作れ!と怒鳴りたくなる内心を抑えて俺は現状の打破に心を砕く。
いやむしろ御免なさいと言うか、勘弁してください。
女家族にチンコ握ってるのを見られるのは精神的な陵辱以外の何者でもありません。むしろ輪姦です。
先走った汁を拭き取るのは後回しに俺はズボンを履き、エリエールを蹴飛ばして距離を取る。
受け止める為のティッシュは丸めてベッドの下へ――――――
勢い余って、机の角に足を打ち付けた。
転倒するかのような破砕音。
あ、俺テンパってる。
ドアが開く。
俺は麻薬調査官に取調べを受ける麻薬ディーラーのように、努めてポーカーフェイスを維持した。
「………何やってんの、お兄?」
「あ、うん、ローキックの練習。 今朝、アンディ・フグが夢枕に立って、ブアカーオを倒すのはお前しかいないって」
「タイのルンピニースタジアムに武者修行に行った方がいいと思うよ」
「夜叉猿倒せるぐらいになったら考えるよ」
「お土産は飛騨の朴葉味噌でいいよ。 ところでお腹空いた」
「…………はい、作らさせていただきます」
そんなこんなで、気まずい朝食タイムが始まった。













「どうかしたの、タカヒロ君?」
赤井カナメのその言葉で、はっと我に返った。
そうだ、今はドラムのレッスンの最終日だったのだ。
「な、なんでもないっす」
「そう? なんか目が明後日の方向を見てたけど」
「いや、道化のバギーみたいにバラバラになって飛来するジョン・レノンの霊が見えたんで」
「ふむ、スタジオには霊が寄って来るっていうから、ジョンの霊を召喚してしまったのかしら」
などと適当に誤魔化した。
朝方の残像が残っている為に、どうも変な意識をしてしまって仕方がない。
今日は前日って事もあって、今までの練習の総仕上げをしたところだった。
正直、この一週間でどれだけ上手くなったかはわからない。
期間が期間だけに付け焼刃な感じは否めない。
しかし、ドラムを叩く感触が以前と変わった事は確かだ。
スティックを通じて伝わるシンバルの感触、ドラムの感触。
以前はどこが歪だったそれが、今は突き抜けるように気持ちよく聞こえる。
フォームを修正された事で、各楽器の音の出し方が効率的になったのか。
一週間前まで蚊の鳴く様だった俺のスネアの音が、今では練習が終わった後でも鼓膜に残るようになっていた。
赤井のムスメは、最後の練習ももう終わるという時間になってこんな事を言った。
「タカヒロくん。 もう練習も最後だけど、貴方はこの一週間で、一週間でやったとは思えないほど成長したと思うわ。 多分それは、今までの人生でないというぐらい、本当に本気でやってきたから。 人間、本当の本気の本気になれば、何だってやってやれない事はないのよ。 まぁ、大抵の人間はなかなか本当の本気の境地に行きつかないから、普段は長期プログラムを組んでるんだけど……」
赤井カナメが眼鏡を外した。
「最後に一曲、自分の一番思い入れのある曲を演奏してみなさい。 それで一週間の成果を見てあげる」
思い入れのある曲――――
それはもう、俺の中ですでに答えが出ている。
俺は『カタストロフィー』を赤井カナメの前で演奏して見せる事にした。
これがオリジナルである事は言っていない。
オリジナルと言って差し支えないか、客観的な評価が欲しかった為だ。
俺は深呼吸を一つすると、おもむろにシンバルカウントを始めた。












俺がドラムを始めたのは、何でだったか。
思うに、それはとても些細な事だった気がする。
――――――思い出した。
スティック1セット千円で始められる楽器だったからだ。
大抵のスタジオには備え付けのドラムセットがついてるので、わざわざ律儀にドラムセットを買う必要がないのだ。
……というか、買ったところで防音設備のないマンション暮らしでは置く場所も無いが。
チバにバンドを誘われた時、ベースかドラムかで迷っていて、安いからという理由でドラムに決めたのだ。
逆にトーヤは、モテる為にはフロントマンの方がいいという理由でベースにしたはずだ。
しかし、実際にドラムを始めてみて、その浅はかさは後悔に変わった。
ずっと腕を動かしてないといけないし、手足はバラバラに動かさないといけないし、何よりノってきてもリズムを変えられないのが痛い。
感情表現の楽器なのに、リズムだけは機械的でなければいけないという矛盾。
正直、それなら機械を使った方がいいんじゃないかと何度思った事かわからない。
それでも、今まで辞めずに続けてきたのは何故か。
多分、それはきっと、俺には他に何もないからだ。
俺には、他にはっきりと“これが自分だ”というアイデンティティーが無い。
運動神経もないし、学力も並程度だし、クラスの人気者にもなれない。
どっかの歌手がナンバーワンよりオンリーワンとか歌っていたが、そんなのは詭弁だ。
クラスに40人もいる人間がそうそうオンリーワンなんかになれっこないのだ。
少なくとも半分は『何の取り得もない高校生』に分類されるのが世の常だ。
俺はそれが怖かった。
『何の取り得もない高校生』になりたくなかった。
『オンリーワン』になりたかった。
出来もしないドラムに一縷のプライドを託して、“俺は周りとは違う”と思いたかったのだ。
だが、そんなものは何の根拠もない張りぼてのプライドだと思い知らされた。
アキラの超絶的なドラムは、そんな張りぼてではない圧倒的な輝きを持っていた。
アキラが白鳥なら、俺はただ自分が白鳥だと思い込んでいた醜いアヒルの子だ。
俺はああなりたかった。
俺はきっと、ああなりたかったのだ。
だが、もう知ってる。
アヒルは白鳥にはならない。
アヒルは家禽だ。 飼いならされた鳥。
ロクに飛ぶ事さえできない。
だが俺達は、飛べない鳥達の空への憧れを知っている。
柵を破壊して、自由になりたがっている家禽達の渇望を。
なぁ、チバ、ユゲ、トーヤ。
これが、俺の答えだ。
『カタストロフィー』。









2分40秒が過ぎた。
肉体的な疲れよりも、精神的な消耗が大きかった。
オリジナルは、等身大の自分だ。
それに評価を下されるという事は、自分自身に評価を下されるという事だ。
そこに伴なう緊張感は半端じゃあない。
どれだけ気持ちが込もっていようが、三日で作った即席オリジナルであるという現実に変わりはないのだ。
増して、相手はインディーズ界で活躍する現役のプロドラマーだ。
ルーディメンツ始めて一週間のドラマーのオリジナルなんて小賢しいだけかもしれない。
俺は、黙って赤井カナメの次の言葉を待った。
「今の曲、君のオリジナル?」
「!?」
俺は耳を疑った。
オリジナルである事は告げなかったはずなのに。
「そ、そうです。 出来たばっかのやつなんですけど」
「やっぱりね。 正直、構成もフレーズも稚拙で、とてもプロが作ったものとは思えなかったから」
容赦も遠慮もない批評が、痛切に俺の胸をえぐった。
一回聴いてコピーじゃないと分かるぐらい、俺の構成力は駄目だったのか。
「勘違いしないで。 オリジナルと分かったのは、構成が稚拙だったからじゃない。 感情の入り方が、他の曲の時と違ったから。 なんていうか分からないけど、オリジナルは特別なのよ。 そこに纏う空気、スティックを通じて伝わってくる感情、それはオリジナルとコピーじゃあ、濃度が違う。 それは、人からの借り物じゃない、君自身のフレーズだからよ」
「――――――――」
「技術的にはまだ初心者、の域を出てないけど、感性豊かなドラムが叩けるようになったと思う。 君の感情がオーディエンスに伝わるといいわね」
「あ―――――――」
「一週間、よく頑張りました。 とりあえず、短期プログラムはこれで終了よ」
赤井のムスメは、そう言って手をぱちぱち叩いてくれた。
「あ、ありがとうございます!」
俺は深々とお辞儀をした後、ドラムのセッティングを元に戻し始めた。
筋肉に、心地よい疲れが残っている。
この一週間の心疲労が一気にのしかかってきたようだった。
「タカヒロくん。 貴方は、随分とアキラくんを意識しているようだけど――――」
不意に、赤井のムスメが言った。
「彼のドラムスタイルは、貴方とは対極にあるものだわ。 今は、あまり惑わされない方がいい。 貴方には、貴方のスタイルが確立されつつあるんだから」
「はい。 わかってますよ。 アイツのドラムは技巧の極み。 俺のドラムは―――――」
「そういう意味じゃないんだけど……。 まぁ、明日、『アナボリック・ステロイド』の演奏を聴いてみれば分かるわ」
「?」
俺は、赤井のムスメの言っている意味がわからず、そのまま片付けを続行した。
「明日のリハは午後一時からよ。 遅れないようにね」









『カタストロフィー』は驚異的な速さで完成しつつあった。
もっとも、Aメロとサビだけでしかも転調無しの超パンク構成なので、この早期完成もチバの計算通りという事だ。
ベースもルート弾きながら、もう形を成してきている。
しかし、この曲において最も特筆すべき進化を遂げているのはユゲだろう。
曲の創造に深く関わっている為か、珍しくアルペジオなんかを使い始めている。 弾けてないけど。
この曲におけるチバとユゲの感情の入り方は尋常じゃない。
確かに、オリジナルというヤツは傍目にも気持ちの入り方が他の曲とは違うのが分かる。
最後の練習は、全曲を通して終わるというこざっぱりしたものだった。
前日に練習しすぎて消耗しても本末転倒という事らしい。

練習が終わった後、俺達は駅前にあるライブハウスに下見に行く事にした。
ライブハウス『イスカンダル』。
他のライブハウスを回った事のない俺達にはよく分からないが、この辺のライブハウスの中ではなかなかに敷居の高いところらしい。
駅ビルの地下にあって、収容人数は150人程度。
アマチュアにしてはかなり大きな箱だ。
増して、『マジック・マッシュルーム』が出演となれば、当日は動員数はかなりのものになるだろう。
俺達が干される為の環境は充分に整っている。
いわゆる、『アウェイ(敵地)』ってやつだ。
まだ誰もいない、閑散としたライブハウス。
学校の教室よりいくらか大きいぐらいのその空間が、今はとてつもなく広く感じる。
俺は、まだみぬ観衆の姿を想像し、肌がチリチリ灼けるような感覚を味わっていた。
鳥肌が止まらない。
脊髄の奥の奥から次々湧き上がってくる衝動が、ゾクリと俺の肌を振るわせた。
ヤバい、ヤバい。 何だコレは。
他の三人も、まだ誰もいないステージを同様に見入っていた。
あの空間は聖域だ。
バンドマンとPAだけが立ち入れる、聖地。
立ち入る資格のある者だけが立てる空間に、明日俺達は立つ。
「楽しみじゃねーか? ライブハウスでのライブ。 全く知らない客を相手に、俺達の音楽が出来るんだぜ?」
チバも、そのバンドマンだけが味わい得るカタルシスを味わっているようだった。
武者震いがする。
早くあのステージで演りたい。
この一週間でやった曲を披露したい。
それは、食欲だとか性欲だとか、そういった原始的な衝動と同じレベルで俺の中に派生した欲求だった。
その時だった。
ふと、ライブハウスの入り口に気配を感じた。
男の四人組。
見覚えのある四人組だった。
だって、そいつらは、全員俺のクラスメイトだったのだから。
“与党”。
ツイストパーマにピアスの巨漢、佐伯龍二。
長身痩躯のイケメン、住谷鉄男。 通称『ジャガー』。
金髪の坊主、榎本健太こと『エノケン』。
そして後一人は――――――鷲頭晃。
間違いない。
このメンバーが『アナボリック・ステロイド』だ。
リュウジがヴォーカル、エノケンがベース、アキラがドラムという事は、消去法的に残るジャガーはギターしかない。
ジャガーもよくわからないヤツだ。
集団的には与党側に属しているものの、あまり積極的に連中と関わっている様子を見た事がない。
周囲がジャガージャガー言ってるから俺も予定調和的に『ジャガー』とヤツの事を呼んでいるが、何故『ジャガー』なのかは知らない。
ギターの『フェンダー・ジャガー』の事なのか、ローリング・ストーンズの『ミック・ジャガー』の事なのか。
あるいはピュ~と吹く事で有名な●ャガーの事なのか。
まさかとは思うが、車のジャガーXJという事はあるまい。
「よう、ZAN党諸君。 君達も下見かね?」
リュウジが皮肉たっぷりな口調で言ってきた。
アキラと違い、こいつとは一万年と二千年経っても和解出来そうに無い。
性格が根っからの与党というかヤンキーなのだ。
「今回はお誘いありがとう。 遠慮なく干されさせて頂くわ、与党諸君」
「ヨトウ……? いや意味わかんねーよ。 明日は俺達にとっては大事なチャンスだ。 せいぜい舞台をあっためといてくれたまえよ」
「そんな空気読める事する訳ねーし。 思い切り引かれる様な事するし」
―――――――なんかどっかで見たようなやり取りだった。
奴らのボキャブラリーにはあんまりバリエーションがないようだ。
しかし、エノケンとは違い、リュウジは見た目通り、気の短いヤツらしい。
舐めた返事を返したチバの胸倉を、リュウジはいきなり掴みあげた。
「……おい、テメェ、くだらねぇ真似してイベントを台無しにするような真似したら、タダじゃおかねぇぞ」
「お前は力を誇示しなきゃ言いたい事も言えねぇのかよ。 コネ使って事務所に取り入ろうとしてるヤツが虚勢張っても滑稽なだけだぜ」
「チバァ!!」
あやうく殴りかかりそうになったリュウジを、すんでの所でエノケンが止めた。
「落ち着け、リュウジ。 本番前にくだらねぇ騒ぎ起こすんじゃねぇよ」
「うるせぇ! おい、アキラ! 何でこんな奴らに声かけたんだ!?」
リュウジは怒りの矛先をアキラに変えたらしい。
完全な八つ当たりだ。
「駄目もとで声かけてみたんだよ。 他の知り合いは全滅だったからな。 本番一週間前にいきなりオファーしてOKくれるバンドなんて、そうそうある訳ないだろ?」
「にしたって、もうちょい選び様があるだろうが! なんでよりによってZAN党なんだよ!!」
「だったらお前が探してみたらよかったんじゃねーの? 不満だけなら豚でも言えるぜ」
エノケンが冷めた口調で言った。
ジャガーのヤツは、我関せずとばかりに明後日の方向を向いている。
どうもリュウジのようなヤツが与党キャラだとばかり思っていたが、リュウジと他のメンバーとの間には微妙な温度差があるようだ。
サリナの言っていた“音楽性の違い”、というヤツだろうか。
「まぁ楽しみにしてな。 そんだけ大口叩いて、俺たち『ZAN党』よりサムい演奏やったらそれこそ笑えんぜ」
……チバのこの自信の根拠は一体どこから沸いてくるのか。
メンバーである俺達の方が、コイツの大言壮語に不安になってくる。
そして、こんな見え透いた挑発にも安々と乗ってくる辺りが、リュウジというヤツの頭の悪いところだ。
「面白ぇ、面白ぇよ、チバァ。 その自信の程ってヤツを、明日たっぷり拝ませてもらうぜぇ?」
そんな皮肉めいた台詞を残して、リュウジはジャガーと一緒にライブハウスを出て行った。
残ったエノケンとアキラが、苦笑いを浮かべながら釈明する。
「悪いね。 リュウジのヤツ、本番のプレッシャーでピリピリ来てるんだ。 あいつはメジャー志向で、プロになりたくて必死だからね。 この機会に結構すがってるとこあるから」
「はっ。 要するに就職決まらなかったんだろ。 佐木飛朗斗の漫画に出てくるヤンキーみたいな格好しやがって」
「そこまでは時代錯誤でもないと思うけど……」
言いながら、アキラはこちらのメンツを見回した。
そう云えば、ZAN党全員と顔を合わせるのは初めてだったか。
この間サーティーワンで会った時には、ユゲはいなかった。
「君は初めまして、だよね。 俺は『アナボリック・ステロイド』のドラムのアキラ。 後ろの坊主頭は、ベースのエノケン。 明日はオープニング・アクトよろしく」
「ユゲだ。 弓削鷹生。 その内、忘れられない名前になるぜ」
デブが不敵な笑みを浮かべる。
何のキャラだよ。 真性の中二病か、コイツは。
「是非とも忘れられない名前にして欲しいね。 あ、皮肉とかじゃなくてさ。 俺は単純に嬉しいんだ。 同じ学年にバンド好きな仲間がいてさ」
そう言って、アキラはユゲの脂ぎった笑みとは対照的な、爽やかな笑顔を浮かべた。
この辺がやっぱり与党なのだ。
「バンド好きな仲間なら、軽音楽部にいっぱいいるんじゃないのか。 お前ら、軽音のトップバンドなんだろ? 慕ってくれる後輩とかも大勢いるだろうよ」
「はっ、笑っちゃうね。 高校の軽音なんて、みんなカッコだけだ。 モテる為だけにみんなバンドをやってる。 音楽なんてファッションの一つとしか見てないヤツが大半なんだよ。 もちろん、中には音楽を本気でやりたいってヤツもいるが、そんなのは圧倒的少数派だ。 お前ら風に言えば、野党、残党って感じだよ。 そんなクソみたいな理由で音楽やってる奴らが多数派なんだ。 そんな奴らと、どうつるめってんだ。」
エノケンが吐き棄てるように言った。
チャラついた外見とは裏腹に、なかなかストイックな考え方をしている。
まぁ……モテる為に音楽始めた云々のくだりは俺達も非常に耳が痛くあるが。
「お前らだって同じじゃねぇのかよ。 モヒカンだの全裸だの、そういう事やらかして話題を集めたいんだろ? アキラが言うからお前らを採用したけど、俺は認めた訳じゃねぇぞ。 特にチバ、お前」
「あぁ?」
「明日、去年の学園祭みたいな真似したら、リュウジじゃなくても俺が黙ってねぇぞ。 こいつはお笑いライブじゃねぇんだ。」
「エノケン、お前まで喧嘩腰になってどうすんだよ。」
アキラが、横からエノケンをなだめる。
どうやら、サーティーワンでのチバの「サムい事やる」発言が尾を引いてるらしい。
確かに、あんな事を言われたらストイックに音楽に賭けてるエノケンには、「音楽を舐めてる」と受け取られてもおかしくないだろう。
現に俺も、「コイツは音楽舐めてる」と思ったしな。
だが、違う。
俺はこの一週間、ZAN党で本気で音楽をやってみて分かった。
チバの奇行はポーズで、この中で本当に一番ストイックに音楽に取り組んでるのはチバなのだ。
それでなくて、どうしてオリジナルをやろうなんて言うか。
おそらくそれは、チバに触れてみなければ分からないのだろう。
だから、俺はあえてフォローは入れなかった。
全ては、明日分かる事だ。
俺は、何か言おうとするチバを制して、エノケンの前に立った。
「確かに、俺達は下手糞だ。 技術的には、『アナボリック・ステロイド』に太刀打ちできないかもしれない。 でも、俺は音楽に貴賤があるとは思っていない。 クラシックやロックやジャズが同じ土俵で評価できないように、俺達には俺達のグルーヴが作れると思ってる。」
「演る前から手前味噌か? それを評価するのは、俺でもお前でもない。 オーディエンスだ。 観客全員が顔見知りの学祭ライブと違って、外の箱の客はシビアだぜ。 心が折れない事を祈るわ。」
そう言って、エノケンとアキラもライヴハウスから出て行った。
アキラは、事の発端が自分であるだけに、終始気まずそうだった。
自己主張の強いリュウジに、マイペースなジャガー、体育会系のエノケン、その間を取り持つアキラ。
何となしに、あのバンドにおけるメンバーの役割みたいなものが見えた。
個性派揃いのあいつらが、一体どんな演奏をするのか。
挑発に対する憤りより、奴らの自信を裏付けるその演奏力の方に俺は興味が湧いて来た。
結局、俺達もそれで引き上げる事にした。
駅前で別れ、各々が帰路に着く。
明日は、長い一日になりそうだった。




「あれぇ? タカヒロじゃん。」
帰り道、俺は駅のコンビニの前に、サリナを見つけた。
どうやらバイト帰りのようだ。
そう云えばもう店の閉店の時刻を過ぎたところだ。
その脇にいる人影を見つけて、俺は驚いて声をあげそうになった。
ナオコちゃんだった。
「あっ、サリナオコ。」
「略すな! ってか、奇遇~。 こんな時間に夜道徘徊してんじゃないよ、補導されるよ?」
「な……! お前らだって徘徊してるじゃねーかよ。」
「アタシ達は帰り道だもん。 ねっ、ナーオコ?」
そう言って、サリナはナオコちゃんと「ね~?」と声を合わせて言った。
「高梁くんも確か明日ライブだったよね? 私もアキラくん達に誘われたから明日観に行くんだ。 楽しみにしてるね。」
ナオコちゃんが満面の笑みを浮かべていった。
俺はもうそれだけで心の中はデレデレだったが、あくまでここは平静を装って答える。
「ま、まぁ聞かせるほどのもんでもないけど、明日は出来たてのオリジナルも演る予定だから、まぁ、観てったらいいよ。」
「ハァ!? アンタらオリジナルやんの? 先週まで全曲コピーって言ってたのに。 オリジナルってそんな簡単に出来るもんなの?」
………痛い所を突いて来る。
他のバンドではどうだか知らないが、多分、普通はもっと時間をかけてじっくり構成を練る物なんだろうな。
どんなに思い入れがあれど、三日で作った即席オリジナルには違いない。
「俺らにかかれば、楽勝だよ。 ライブの最後にやる予定だから、聞き逃すなよ。」
「へぇ~。 楽勝ねぇ……。 ところでなんて曲名?」
「え、あ、カ……『カタストロフィー』だよ。」
改めて人前で口にすると、実に中二臭溢れたタイトルだ。
一瞬、恥かしさに口に出すのを躊躇してしまった。
「ぶーっ! 中坊が考えたみたいな曲名じゃん! あ、わかった、チバのセンスでしょ。 あいつ、ミッシェル好きだったもんね。」
「サ、サーちゃん、笑っちゃ悪いよ……。」
「いいよ……確かに冷静に考えると痛い曲名だし…。」
俺は瞬間的にブルーな気分になった。
硝子のハートの持ち主である俺は、他人の揶揄にとことん打たれ弱い。
人から見たらかなりめんどくさい性格だろうなぁと自分でも思う。
「落ーち込むなって~。 冗談よ、冗談。 アンタがバイト休んでまで練習してんのは知ってっから。」
「え。 だ、誰に聞いたんだよ。」
「アキラよ。 最近、いつ赤井楽器に行ってもスタジオ入ってんの見るって。」
あいつ……。
壁に耳あり障子に目ありとはよく言ったもんだ。
確かにあの頻度でスタジオを使っていたら、知り合いに出くわさない方がおかしい。
おかげで、この一週間、スタジオ代だけで先月のバイト代がほぼ飛んでしまった。
「まぁ、見るヤツはちゃんと見てくれてるって事よ。 アンタは向こうライバル視してるみたいだけど、向こうは結構嬉しいみたいよ? ドラマーって全パートの中でも楽器人口少ないから、ドラム仲間は貴重だしね。」
「………ッッ」
俺は言葉に詰まった。
むず痒いような感情に襲われた。
アキラに対して、どういう感情を抱けばいいのか、よく分からなかった。
この奇妙な感情を説明するのに最も近い比喩は、熊だか虎だか、見た目危険な大型動物に無邪気に懐かれたような、そんな感覚だ。
こちらは向こうに対して、畏れにも近いものを抱いているのに、向こうはこちらに好意を抱いてくれている。
しかし、俺はそれを素直に受け入れる事が出来なかった。
受け入れられなかった。
理由は分かっている。
今のままアキラと付き合ったとしても、俺は常にあいつへの劣等感に苛まれるだけだからだ。
今の俺のドラムに対するモチベーションの根底にあるのは、あの日、赤井楽器で見せられたアキラのプレイへの劣等感だ。
あれを見た事で、俺は自分の立ち位置を明確に意識した。
俺が本物の残党である事に気づいてしまった。
だから、アキラを超えようとする事は、俺にとって残党を脱出する為の指針なのだ。
認める。 俺はアキラより下だ。
対等な関係を友達というのであれば、俺はまだアキラとは友達になれない。
「明日―――――」
「ん?」
「明日、見せてやるよ。 この一週間の成果ってヤツを」
「お、自信たっぷしじゃん。 本番前にしてテンパるなよ~」
………どうもサリナは俺のウィークポイントを知り過ぎてて困る。










駅前の広小路から一本外れた道は、夕食時から終電の時間にかけて、路上ミュージシャンの巣窟となる。
大抵のヤツは、アコースティック・ギターで一昔前に流行したメロコアのカバーをやったり、個性の欠片もない寒いオリジナルを披露して自分に酔ってたりする。
いかにも家に引き篭もってギターを弾いてますと言わんばかりの根暗アーティストが集まる事から、バンドマン達からは通称『オナニー通り』と呼ばれて揶揄されている。
彼らの物乞いのように駄賃用のギターケースを広げて演奏をする様を見ていると、この国の文化の退廃を予感させてならない。
客も、いかにも演奏してるヤツが連れてきたであろうサクラばかりだ。
まともにコイツらの曲を聴いてる奴なんて一人もいないと思う。
まぁ、それはそうだろう。
アコースティック・ギターの曲なんて、アコースティック・ギターをやってるヤツ以外にとっては空気も同然だ。
BGMにはなっても、それをじっくり聴きたいなんて奇特なヤツはそうそういない。
俺は、辟易するような思いでその通りを抜けようとした時、ふと、一人のギターが目に付いた。
多分、それはギターの腕がどうとか、曲がどうとか言うより、そいつの格好が奇抜だったからだ。
馬鹿みたいに真っ赤なセミロングの髪に、英国風のハット。
今そこで人を一人撲殺してきましたと言わんばかりに赤を塗りたくったパンク風のロングTシャツに、チェックのズボンと厚底のラバーソウル。
何より特筆すべきは、その、化粧で塗りたくった顔だった。
顔中を真っ白にメイクして、これでもかとアイシャドウで目を縁取った上に、口紅はどす黒い血の色だ。
俗に言うゴシック・ファッションというヤツだ。
ここまで強烈だと、完全にサブ・カルチャー系に入るだろう。
ピエロみたいな化粧のせいで、コイツが男なのか女なのかさえ判別できない。
人気の無い夜道で遭遇したくない類の人種だ。
どちらかと言うとヴィジュアル系バンドのライヴで、宗教の儀式みたいに頭を振ってる方が似合ってるこの人種が、路上でアコースティック・ギターを弾いていた。
しかも、弾いていた曲がジャニス・ジョプリンのブルースだ。
格好と曲が完全にミスマッチだったが、中性的な声が曲に良く合っているような気がした。
ギターの腕は………よく分からなかったが。
しかし、何故かふと俺は既視感のようなものを覚えた。
彼……いや“彼女”か?
とにかくよく分からないが、俺は“彼女”の声をどこかで聞いた事があるような気がした。
しかし、それがどこなのか、思い出せない。
俺はこいつを知っている?
いや、知っていたとしても、こんなゴテゴテのメイクをしていたのでは、誰だか分からない。
もう一つ、俺は妙な違和感を感じていた。
こいつの周りに、誰も人がいなかったのだ。
サクラが一人もいないとか、そういうのじゃない。
何と言うか、誰も彼女を目に留めないのだ。
確かに、誰もブルースになんか興味ないだろうし、そもそもジャニス・ジョプリンなんか知りもしないだろう。
しかし、誰もコイツのイカれた格好に目もくれないというのはどういう訳だろう。
どう見てもぱっと見には変質者の領域に入るぞ。
曲が終わると同時に、そいつと俺は眼が合った。
赤い目――――――?
カラーコンタクトだろうか、とにかく徹底している。
これはもうファッションというか、コスプレじゃないのか?
何かの漫画かアニメにこんなキャラがいそうだ。
そんな事より、俺はこいつが誰だか気になった。
歌っている時の声は普段と違うと思うが、どこかでこいつの声を聞いた事がある気がするのだ。
「あ――――――、ドコかで、会った事無い?」
俺は、恐る恐る聞いてみた。
何と言うか、化粧で表情が見えないので、、オペラ座の怪人だとか犬神家だとか、そういう仮面の怪人に話しかけてるような恐怖感がある。
そいつは、じっと俺の目の奥を見据えたまま、言葉を発しない。
もしこれで見当違いだったら、それはそれで恥しい。
言葉だけ見たら、完全にナンパではないか。
「歌はいいね」
「は?」
俺は思わず聞き返した。
発した言葉があまりに唐突だった為、聞き逃してしまったのだ。
そいつは、何故か急にアコギをハードケースに仕舞い出した。
「歌は人の心を潤してくれる。 リリンの生み出した文化の極みだよ」
ヤバイ、と俺は思った。
コイツ、痛いヤツだ。
それもかなり高純度のジャンキーだ。
頭がイッてる。
なるほど、『オナニー通り』の住人に間違いない。
「ユラ。 僕の名前はユラ。 デュオの名前は――――――」
ユラと名乗ったそいつは、虚空を見据えると、突然目をぎょろりとこちらに向けてその名を口にした。
「“妄想ハニー”……って感じかナ?」
作ってる声だと、俺は理解した。
よくカラオケで、歌うアーティストの声に似せて声を作るような、とにかくあんな感じの声なのだ。
中性的で、男か女なのかも分からない。
でも、やはり聞き覚えのある声だ。
家だか学校だか、よく分からない。
でも、どこかで俺はこの声を聞いている。
ユラは、ギターを仕舞い終えると、不意に駅の方に歩きだした。
ケースがデカいせいか、厚底ブーツのせいか、やたらフラフラしながら歩いている。
不気味なヤツだ。
駅前の交番で職務質問されやしないか心配だったが、このまま追いかけてもコミュニケーションが取れるか怪しかったのでそのまま俺は見送った。
オナニー通りの、“妄想ハニー”。
世の中には、変なヤツがいるもんだ。







家に着いたのは10時過ぎだった。
マドカはもう部屋で寝てるのか、家の中は暗かった。
10時にもう就寝とは、高校生らしかぬ健全な生活を送ってやがる。
キッチンの明かりをつけると、テーブルの上には夕食がラップに包んであった。
今夜のメニューは豚カツのようだった。
ライブの前日だから、豚カツか。
受験前の受験生かっつーの。
しかも、机の上にはお好みソースしか置いていない。
豚カツには味噌だってあれ程言っただろうが。
それも、すっかり冷め切っている。
レンジで温め直して衣がべちゃつくのが嫌なので、俺はそのまま食べる事にした。
夕飯を食べていないので、冷たい豚カツが事のほか美味く感じる。
マドカめ、また腕を上げたな。
だが、揚げ物の腕は上がってても、包丁の使い方はまだまだだ。
付け合せのキャベツの千切りが、まるでキャベツのこま切れのようだ。
手先の不器用さは俺譲りって事か。
冷めて歯応えのあり過ぎる豚肉を齧りながら、俺は今日の出来事に思いを馳せた。
ドラムレッスン。アナボリック・ステロイド。サリナオコ。ユラ。
特に、ユラ。
ホントに俺はどこでアイツに会ったのだろうか?
あの格好ではない時に―――というかあの格好で会ってたら絶対忘れるはずが無い――――俺はアイツに会っている。
中学の時の知り合いが、高校でゴシック・デビューしたのだろうか?
俺は頭の中で、今までの人生で出会った痛いヤツを片っ端から検索したが、心当たりが多すぎて結局誰か分からなかった。
―――――謎だ。
本番前日だというのに、俺はユラの存在が頭の隅に引っかかって離れなくなった。
しかし、泣いても笑っても、明日は来る。
ZAN党の、外バンデビューが。
いよいよ、明日だ。
俺は、明日の事を考えると妙にテンションが高くなって、急いで夕飯を掻き込んだ。

       

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