妄想ハニー
残党編-13【キラー・ビーチ】
要塞ドラム、という表現がそれは適切だった。
2枚のチャイナ・シンバル、2枚のクラッシュ・シンバル、スプラッシュ・シンバル、ライド・シンバル、口径の違う2組のハイハット・シンバル。
タイコは、深さ極厚のメタル仕様のスチール製スネアに、小タム、ハイ・タム、ロー・タム、フロア・タム。
バス・ドラムは、さすがにマイクの関係でツーバスにする訳にもいかないので、ツイン・ペダルを使用している。
およそ思いつく限りの全ての装備を取り付けた、超絶メタル・セッティング。
しかも、シンバルもタイコも、これでもかというぐらい急角度を付けてある。
それらの楽器が、椅子に座ったドラマーを取り囲む様子は正にトーチカ。
さらに、手にしたスティックは、X-JAPANのYoshikiモデルのスチール・スティックという徹底ぶりだ。
どっからどう見てもそのノリは、『今からライヴします』というよりは、『さぁ君達、今からノルマンディーを陥落させに行くよー』と言った感じだ。
重武装にも程がある。
フロントを固めるのは、七弦ギターと五弦ベース。 キーボード。
そして、ヴォーカル。
メンバーは全員、イギリス風だかフランス風だかよく分からないゴシック・ファションに身を包み、これでもかと化粧を塗りたくっている。
彼らがステージに上がった途端、前列に陣取っていた客層が一気に挿げ変わった。
彼らと同じようなファッションに身を包んだ、女性達。
いや、化粧の為に本当に彼らが女性かどうかもわからない。
バンド『女郎花』。
関西のヴィジュアル系バンド界の中では実力派として知られているらしい。
ヴォーカルが手を宙にかざした瞬間、七弦ギターのへヴィなリフが、会場の中を席巻した。
狂気じみた、重々しいサウンド。
それに乗っかってバス・ドラムの破壊的な連打が始まった瞬間、客層の様相が一変した。
客層が。 客層が。 狂ったように頭を振り出した。
上下に。 左右に。 激しく。 荒々しく。
頭蓋骨の中に詰まった脳漿をシェイクするかのように。
まるでそれは悪魔召喚の儀式の装丁だった。
ヴィブラートを多用した、空気を震わせる歌唱。
時折放たれるデス・ヴォイス。
音の奔流、洪水といった表現ですらまだ生温い。
それは人々を虐殺する重機関銃の掃射音のような。
耳朶を殴りつけるというよりは、耳孔に指を突っ込んで三半規管を引きずり出すような。
もはや、これはヴィジュアル系というよりもデスメタルだ。
デトロイト・メタルシティを彷彿させる冒涜的な歌詞。
精神の均衡を揺さぶる、異様な変拍子。
癲癇を誘発するような、幻惑的なスポットライト。
ステージ上における演出力という点においては、女郎花は他の四つ全てのバンドを遥かに凌駕する。
ライヴという非日常空間を、極限まで病理的に特化させたバンド。
それはライヴというよりも歌劇の一節のようだった。
「なんつーか……すげー集団だな。 バンドも、客も。」
「てゆーかもう、究極のナルシスト集団やんけ。」
壁に張り付いてその様子を眺めていたチバとトーヤが、そんな感想を漏らした。
シンプルなパンク・サウンドを好むこいつらにとって、ヴィジュアル系というジャンルは理解に苦しむものらしい。
演奏力も演出力も高いが、歌詞が厭世的過ぎて、何が伝えたいのかよく分からない。
「分かるかなー、分っかんねーだろうなー」
そんな死語を呟きながら現れたのは、さっきまでステージに立っていたユウイチさんだった。
肌には、うっすらと汗が浮かんでいる。
サスペンダーの下のワイシャツが、肌に張り付いてるように見えた。
「あ、お疲れ様です」
「おお、ありがとう。 どうだった、俺たちの演奏は?」
「なんつーか、すごく完成度高くて、聴き易くてかっこよかったです」
「はっはっ、そう言ってもらえると嬉しいねぇ」
「トリでもいいぐらいですよ」
「そいつは誉め過ぎだろう。 見ろ、この女郎花だっていいバンドだぞ」
俺はその言葉に眉をひそめた。
「このバンドがですか?」
「まぁ、パンク系の君らにゃ理解しがたいかもしれんが、俺達にとっちゃ、ヴィジュアル系は青春そのものだ。 X-JAPANを神と崇めてた世代だからな、俺らは。 形は変わっても、ヴィジュアル系は今でも根強い人気を誇ってる。 まぁ、メタルが源流なだけに、ちとコアなとこは否めないがな」
「俺には……よく分かりません」
「音楽人たるもの、他のジャンルへの門戸は常に開いておいた方がいいぞ。 ジャズでも、クラシックでも、ヒップ・ホップでも、デスメタルでも。 世の中に、学ぶ事のないジャンルなんて一つもない。 異文化を知る事は、必ずいつか自分の血肉になる」
おそらく、それはユウイチさんの実感なのだろうか。
『自爆マシーン』のサウンドは、時折クラシックの一節を聴いているようなフレーズを垣間見る事がある。
それはおそらく、作為的にそうしたのに違いない。
既存のロック・ミュージックだけを学んでいては、それを超えるものは出来ない。
それを越える手法として、ユウイチさんは貪欲に他のジャンルを取り込むという方法を選んだのだろう。
「オトナ、ですね」
「浮気性なだけだよ。 人生の醍醐味は未知への開拓だ。 よく知らない事を否定するのは簡単だが、否定は何も生み出さない。 人は、知らないものを取り入れる事によって成長する。 要するにフロンティア精神だよ。 異なるものが融合する事で、それらはお互いを高めあうんだ。」
「――――――――」
ステージの上では激しいストロボが焚かれ、演奏が8ミリ・フィルムのコマ送りのように流れていた。
確かにその演奏は、奇抜な衣装と仰々しい機材に目を奪われがちだが、演奏技術自体はかなり高かった。
ヘッド・バンキングをしながらの演奏は、見た目よりも技術を要する。
体幹がブレれば、必然的に弦楽器の運指やドラムのスティック捌きに支障が出るからだ。
それを可能にするには、もはやどんな運動やトラブルにも揺らぐ事のない、確固とした練習量が必要なはずだ。
拘りはよく分からなかったが、その為に費やされた彼らの努力は、そのステージングから容易に想像する事が出来た。
ステージの上では、ギタリストがアンプの上に乗って、掻き毟るようなギターソロを奏でている。
なるほど、確かにバンドとしての実力は確かかもしれない。
「まぁ、こいつは年長者の戯れ事だ。 頭の片隅にでも留めておけばくれりゃいい。 さぁ、次はお待ち兼ねのステロイドの出番だぞ」
その言葉に、俺の肩がびくりと動いた。
女郎花の演奏が終わると、PAスタッフ達が慌しく機材の撤収を手伝いだした。
特に、ドラムはオプション機材が大量につけられている為、ドラマー一人ではとてもおっつかない。
シンバル類をスタンドから外し、ペダルを外して、タイコの類を次のバンドのセッティングのものに変える。
他の弦楽器類と異なり、ドラムはセッティングによって音取り用のマイクの位置も調節し直さなければならない。
同じセッティングでも、ドラマーによってシンバルの高さやタイコの傾け方に好みがある為、その都度、微調整が必要なのだ。
大掛かりな撤収作業の後、仰々しかったセッティングに比べ、余りに貧相な三点セットのドラムが残される。
そこに、どことなく華奢な印象のあるドラマーが一人現れた。
アキラだ。
手には、真っ黒な革製のドラム・グローブを装着している。
そう云えば、初めて会った時、ドラムの試奏にもアキラはグローブを装着していた。
あまりアマチュア・ドラマーの中では使っている人を見た事はないが、あれがアキラのスタイルなのか。
そこに、左右の舞台袖から、ジャガーとエノケンが現れた。
肩に掛けているのは、アイバニーズの五弦ベースと、ワインレッド・カラーのレスポール。
二人とも、上半身は裸だ。
とりわけ、エノケンの上半身は筋肉の継ぎ目がはっきり分かる程鍛え上げられていて、格闘技の選手か何かのようだ。
リュウジの姿はまだ見えない。
だが、彼らがステージに立つという、それだけで客席が沸き立つようだった。
アマチュア界の実力派という触れ込みは嘘ではないようだ。
エノケンが、音出しを始めた。
ボーン、ボーンと、一音一音、確かめるように。
なん……だ、これは……。
一音の、音の太さ。 一音の、音の厚み。
何が、どう違うのか。 握力か、弾き方か。
とにかく、それは先の三バンドとは、根本的に何かが違っていた。
テクニックがどうとか、そういう次元の話じゃない。
おそらく、コイツはトーヤと同じフレーズを同じように弾いても、まるで違う代物となるだろう。
ヘヴィ級ボクサーのジャブの威力が、フェザー級のボクサーの渾身のストレートに匹敵するように。
その時、ザザザザ、と波打ち際の潮騒のような音が鳴り響きだした。
それが、アキラのスネアのロールの音だと気づくのに、数秒の時間が必要だった。
何故なら、俺にとってスネア・ドラムとは、「馬鹿でかい音を出す為」の楽器だからだ。
こんな繊細な音をスネアが紡ぐなんて、理解の範疇外なのだ。
ロールの音は徐々に高潮してゆき、その臨界点に達するというところで、スネアが変則的なフィルインを叩いた。
そのスティックがクラッシュ・シンバルを捉えると同時に、ギターとベースが入る。
「―――――――――」
俺は、その音に違和感を覚える。
何だ、このリハーサルの時とは毛色の違う音楽は?
あの、破壊するような、蹂躙するような音楽とは似ても似つかない。
70年代のハードロックを連想させる、もったりとしたリズム。
レトロ・テイストなギター・フレーズ。
暴動のようなミクスチャーを期待していた観客達も、これには呆気に取られたようだった。
身体ではリズムを取っているものの、肩透かしを食った感は否めない。
何処かで聴いた事のあるフレーズだったが、何処で聴いたのかよく思い出せない。
俺の普段聴かないジャンルだったからだ。
「ほぉお、こいつはツェッペリンじゃないか。しかも、『モビー・ディック』。 連中、随分と渋い選曲するな」
そう呟いたのはユウイチさんだった。
そうだ、これはレッド・ツェッペリンだ。
ディープ・パープルと人気を二分する70年代ハードロックの雄。
曲は『ハート・ブレイカー』と『天国の階段』ぐらいしか知らなかったが、間違いない。
しかし、何でまたミクスチャー・バンドのステロイドがツェッペリンを?
一分ほど、そんな演奏が続いた後だろうか。
唐突に、弦楽器隊の音が消えた。
ドラムだけが、フットペダルでハイハット・シンバルを刻み続ける。
静寂。
「来るぞ」
ユウイチさんはそう言った。
「この『モビー・ディック』って曲はな、インストゥルメンタルなんだ。 要するに、ヴォーカルがない曲なんだ。 それも、ロックの世界じゃ珍しい、ドラムがメインのインストゥルメンタルだ。 曲の大半が、ドラム・ソロで構成されている」
「ドラムがメインて――――――」
「ステロイドはリズム隊のレベルが高いからな、参考になる部分も多いと思うぜ」
いつかの記憶が蘇る。
赤井楽器で見た、ドラム・ソロ。
暴力的で、しかし繊細極まりないサウンド。
木の棒で無機物を叩くという、ただそれだけの行為で表現される感情の機微。
それは技術の賜物だ。 音が紡ぐリリック。
俺に表現できるものは勢いだけだ。
だが、アキラのドラムは違う。
打音を通じて、歓びが、怒りが、悲しみが、哀愁が、伝わってくる。
その繊細さは、まるでスティックを振る掌の温もりさえも伝わってくるようだった。
だから、ステロイドの音楽を最初耳にした俺が抱いたのは、失望だった。
アレに詰まっていたのは、憤怒と憎悪、それだけだった。
それは、人間の負の面を掘り起こす退廃的な音楽。
抑圧された激情を顕現させる為の、ドラッグのような音楽だったのだ。
だけど、俺は知った。
そのパンドラの箱の中の深奥には、一つだけ希望が詰まっていた事を。
矢継ぎ早に繰り出されるアクセント・ストローク。
やがて徐々にそれはシンバルを入り交じらせて、16ビートに変化してゆく。
次の瞬間、身体の芯まで響くようなベースのアタック音が闖入し出した。
恐ろしく我の強いベース。
殊更にファンクというジャンルにおいては、ベースにもギターと同様の技術と存在感が求められる。
ドラムをも引きずり込むような、強烈なアタック音。
そこに、嘶くような高音のギターが入り交じりだす。
ベースの極低音域に合わせて詰め込まれるバスドラム。
被せるように奏でられるギター。
これは――――――――
俺達ZAN党の演奏とは違った意味で、危うさを秘めた演奏だ。
各パートが、不協和音ギリギリのところでせめぎ合っている。
「これは……アドリヴ?」
ユウイチさんが言った。
「『モビー・ディック』のソロに、ギターとベースはないはずだがな。 ……ジャムか。 こいつはなかなか面白い事になりそうだな」
「え?」
「ジャム・セッションは技術と技術のせめぎ合いだ。 瞬間的にフレーズを作る瞬発力、お互いのやりたい事を察する洞察力、何よりも研ぎ澄まされた集中力が必要だ。 それに、ジャムはそいつがやってきたプレイのスタイルが如実に表れる」
「―――――――――」
「見とくといい。 こいつが多分、『本当の』アナボリック・ステロイドだ」
「―――――――――」
それは、先の重圧一辺倒のステロイドの音楽と、一線を画す音楽だった。
野太いエノケンのベースを、玄妙なジャガーのギターが装飾し、変幻自在のアキラの16ビートが纏め上げる。
ツェッペリンの音楽様式から徐々に逸脱したそれは、ファンク・ミュージックの顔を見せ始める。
観客は、盛り上がるでもなく、その舞台の様子に目を奪われていた。
背筋に寒気が走るほどに研ぎ澄まされた緊張感。
高度に洗練されたジャム・セッションの妙。
ああ―――――
こういう音楽もあるのか――――――
盛り上がるだけが、暴れるだけがライヴじゃあない。
ブラック・ホールのような、容赦のない吸引力で見る者を引き付ける。
勢いではなく、幽玄の美。 幻想世界への招来。
それぞれの楽器の技術を、煮詰めて、煮詰めて、その粋を抽出したような。
それ故に、バランスを一度欠けば崩壊してしまいそうな脆弱な音楽。
観客は、その都度繰り出される技術の粋を見逃すまいと目を見張る。
身体の芯まで響くベース。 耳に心地いいシンバルとアクセント。 一音一音が大気を震わすアルペジオ。
空間の存在さえも塗り替えるような、濃い密度を持つ音の結界。
これが。
これが、きっと、アキラの音楽なんだろう。
アキラが、人前で演りたかった音楽なのだろう。
アキラの音は教えてくれる。
音楽は、こんなにも美しく、たおやかで、人を心酔させてくれるのだと。
エノケンも、ジャガーも、集中しながら、その空間を楽しんでいるように見える。
俺は、いつまでもその光景を見ていたいと思った。
いつまでもその音楽を聴き続けていたいと思った。
曲の終了と同時に、舞台袖からリュウジが現れる。
その格好は、ダボダボのB系ファッションに包まれている。
出てきた途端、そいつはF用語交じりの英語で観客を煽りだした。
いきなり臨界点に達する観客のテンション。
現金な客達だ。
つい数秒前までは、アキラ達の荘厳なジャムに耳を傾けていたというのに。
「行くぞ、お前らぁ!! 脳髄掻き毟って、暴れ狂えぇえ!!」
リュウジの掛け声と同時に、縦ノリのへヴィなリフが始まる。
そして、ミクスチャーの由縁たる、DJサウンドを模したスクラッチ奏法。
観客もエノケン達も、何かの宗教儀式かのように飛び跳ねだす。
打って変わって会場を支配する極悪なサウンド。
リュウジのデス・ヴォイスによるラップが始まった。