Neetel Inside 文芸新都
表紙

新ジャンル「ストーカー萌え」
はじまりは雨

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■はじまりは雨

 この世に理不尽なことは溢れるほどある。それは世界の理(ことわり)でもあるから、逐一律義に腹を立てていても疲れるだけだ。長いものには巻かれろ、強きものには従え。それが賢明で健全で健康的な思考なのだ。僕はこれを齢(よわい)6歳の時に学んだ。
 そんな僕も今日でちょうど14年間生きてきたことになるわけだが、やはりまだ子供だからか、未だに納得のいかないことが少なからずあるのは事実だった。その中でも最たるものが天候である。
「くそぅ、天気予報め」
 時刻は正午。窓際の席に座っているというのに日の光が入ってこないのは、何もこの窓が北向きだからというわけではない。見上げると、一面に灰色の分厚い絨毯が敷かれていた。まだ降り出してこそいないが、雨粒を零すのも時間の問題だろう。
 しかし、こればかりは誰のせいでもない。仕方のないことと言えよう。と同時に、僕が天候の理不尽さを最も忌み嫌う理由は外ならぬそこにあるのだった。それがたまたま荷物から折りたたみ傘を抜いた日ともなれば尚更だ。
「くそぅ、天気予報め」
 僕は本日二度目になる呪いの言葉を吐き出した。
「……渉(わたる)くん」
 後ろから声が聞こえた気がして首だけ振り向く。そこには案の定と言うべきか、やはりと言うべきか、僕を見つめる伊達悠(だてゆう)の姿があった。
「渉くん……傘、忘れたんでしょ?」
 基本的には無表情。まつげまで届く前髪と肩に届かないくらいで切り揃えられた髪形が表情をより暗く見せていた。身振り手振りもなく、全く僕に無関心であるかのように話し掛けてくる。この子は僕以外の人と話したことがあるのだろうか? 少なくとも僕は見たことがない。
「忘れたけど直樹(なおき)に入れてもらうから心配には及ばないよ」
「…………そう」
 何の関心もなく、ただ淡々と事実を受け止めるように声を漏らす返事。初めて話す人にはきっと、この世に興味の対象なんて何もない無感情なロボットに見えることだろう。しかし、このクラスで唯一伊達さんと会話を交わす僕には、心なしか肩を落としたことが分かる。
「……そういえば、渉くん」
「ん? 何?」
「……今日、誕生日だよね?」
「あぁ、そうだ……けど」
 頷きながら、このとき既に僕はこの子の考えが分かってしまった。
「…………誕生日プレゼント」
 予測どおり。
 伊達さんは制服のポケットから小箱を取り出すと、そのまま真っ直ぐ僕の方に腕を突き出した。
「これを、僕に?」
 伊達さんは注意深く観察しても分からないほど僅かに首肯し、手の中の小箱を揺らした。
 受け取れ、ということだろう。
「あの、でも……」
「…………はっぴばーすでーとぅーゆー」
「…………」
 突然歌いだした。
「あ、ありがとう」
 とりあえず受け取る。手の平サイズの立方体の小箱で、上半分が角の取れた丸いドーム型になっている。こんなに特徴的な箱に入っている物を僕は数種類しか知らない。
 もしやと思い箱を開くと、やはり予想通りの物が顔を出した。
「あの、こんな高価な物戴けないんですが」
 指輪だった。蛍光灯の光を綺麗に歪曲させるリングの頂点に、小さな宝石の粒が星屑のようにまぶしてある。それぞれに輝きの色がまちまちで、傾けるたびに変色した。
「…………エンゲージリング」
「……はぁ」
 婚約指輪らしい。
「…………石言葉は、秘めた想い」
「…………はぁ」
 ご丁寧に誕生石を選んでくれたようだ。その中でもとびきり高価な、アレキサンドライトを。
「…………嵌めてみて」
 表情を変えず、伊達さんの三白眼の中の瞳孔だけが開かれる。それだけで期待をされているのが大いに伝わった。
「あ、あのさ伊達さん」
「…………大丈夫。サイズはぴったりだから」
「いや、そうではなくて」
「…………?」
 この際、なぜ伊達さんが僕のサイズを知っているのかは置いておこう。
「伊達さんの気持ちはよく分かるけど、いくら誕生日だからってこんなに高価な物は貰えないよ」
「…………大丈夫。家、お金持ちだから」
「いやそうじゃなくて、僕たちはなんというか……関係的にはただの友達同士なわけだし。こういう高価な物は貰っても、なんか重いよ」
 伊達さんは少し俯くと、いつも以上に小声で「……しっぱい」と呟いた。
「それと婚約指輪はエンゲージメントリングだよ。エンゲージリングは間違い」
「…………」
 あ、ちょっと落ち込んでる。相変わらず無表情のままだけど。
「だからこれは返すよ」
 僕は伊達さんの左手を取ると、小箱をしっかりと握らせた。手と手が触れた瞬間、伊達さんが吐息のような声を漏らす。
「誕生日を祝ってくれる気持ちだけ貰っておくね。ありがとう」
 最後はにっこり爽やかな笑顔で、そのまま伊達さんの手ごと小箱を握り締めた。伊達さんの無表情に微かな変化が起きたのが分かる。少しだけ驚いたように目と口を見開いて、うっすら頬を染めている。
「…………渉くん」
「ん?」
「……………………好き」
「うん知ってる」
 参った。どうやら僕の笑顔にときめいてしまったようだ。
「…………キス、していい?」
「それはダメ」
 笑顔を貼付けたまま答えた。伊達さんは相変わらずの無表情に戻って(それでも来た時より気持ち嬉しそうに)自分の席に着いた。
 僕は知らずに頬杖をつき溜め息を吐いた。なんだかどっと疲れた気がする。別に伊達さんのことは嫌いではない。クラスの女子全員と比べてみても上位5名に入るくらい可愛いし、特に好かれて害があるわけではない。
 ただ、伊達さんの場合、少し愛情表現が過剰なのだ。一歩間違えればストーカーだ。行き過ぎた愛情は憎悪に昇華されるかもしれない。かといって今のところ害がない以上本人に言うことも出来ない。伊達さんはただ僕を愛してるだけだし、僕だってそれに悪い思いをしていないんだから何とも言いようがない。
 僕が今最も頭を悩ませていること、それは理不尽なまでの伊達さんの愛情だった。



     




「しっかし、男と相合い傘とは。俺もツイてないぜ」
隣で直樹がぼやいた。
 帰宅道、遂に耐荷重を超えた雲は豪雨を降らせた。直樹の大きな傘でも二人を完全に保護することは出来ず、僕は左肩、直樹は右肩がそれぞれ濡れていた。僕の方が広範囲濡れているのは、多分直樹の身長が僕より10センチほど高いからだろう。
「ごめんな直樹。僕が傘を忘れて来たばっかりに。僕は荷物が濡れなければそれでいいから……」
 僕が鞄だけ渡して傘から出ようとすると、直樹は傘を持った腕で僕の首を掴んだ。そのせいで直樹がびしょ濡れになる。
「おいおい、ちょっと待てって。この日高(ひだか)直樹が大切な友人を見捨てるわけないだろ? 二人で半分ずつ濡れようぜ」
 直樹は時折こういった暑苦しいスキンシップを取ることがある。僕は直樹のそんなところは嫌いじゃない。
「分かった。分かったから自分にも傘差してよ。直樹びしょ濡れだよ」
「おう」
 直樹は腕をほどくと、さっきのように相合い傘をする形で傘を差した。すでに体中がびしょ濡れだが本人が気にしてないようなので良しとする。
「……あー、濡れちまった」
 前言撤回。どうやら気にしているらしかった。
「ところでさ白崎(しろさき)?」
「ん?」
「さっきからずっと後ろの視線が気になってるんだが」
「見ちゃダメだよ。気にしたら負けだよ」
 僕と直樹の後ろには伊達さんがいた。学校の下駄箱からずっと、常に20メートルくらいの間隔を維持して歩いている。それ以上近づいてこそ来ないが、視線はさっきからずっとこちらを捕らえたままだ。補食者に狙われている草食動物の気分だ。絶えず心に何かが突き刺さる感じが離れない。
「お前も愛されてるなぁ?」
「……まぁね」
 伊達さんが僕のことを好いているというのは、もはやクラスの共通認識となっていた。当然、直樹もそのことを常識として話を進める。
「お前の何がこんなにも伊達を引き付けるんだろうな?」
「僕が聞きたいくらいだよ」
「もういっそのこと付き合っちゃえば?」
「直樹……。僕に好きな人がいるの、知ってるだろ?」
 直樹は困ったように眉を顰(ひそ)めて僕を見下ろした。
「伊達の告白はもう断ってるんだろ?」
「うん。もう4回ほど」
 中学2年のクラス替え初日、出会い頭で突然告白されたのを皮切りに、今までの告白回数は都合4回。その全てを断っている。
「普通はそれだけ断られりゃ諦めるけどな」
「まぁ、伊達さんは普通じゃないから」
「そんだけしつこくされて、迷惑じゃねぇの?」
「全く迷惑じゃないって言うと。それは嘘になるけども……」
「付きまとうなって本人にはっきり言えばいいじゃん。迷惑じゃねぇの?」
「うん、まぁ……」
 曲がり角に差し掛かるタイミングを見計らって、少しだけ後ろを盗み見る。水色の傘の下から滴り落ちる雨粒の間から、いつも通り無表情な伊達さんが見えた。目が合い、慌てて視線を戻す。
「……実害があるわけじゃないし、ね」
「でも学校からずっと後付けているんだぜ?」
「いつものことだよ」
「尚更悪ぃじゃねーか」
 直樹は大きく息を吐くと、空いているほうの手で前髪を引っ張り始めた。
「お前らさぁ、なんつーか、健全じゃねぇよ。普通告白して振られたら、自分も相手も気まずくなるもんだろ。伊達が普通じゃないのはよく分かるけど、振った女にストーカー紛いのことされてヘラヘラしてるお前も普通じゃねぇよ」
 直樹は真剣な話をするとき、相手の目を決して見ずに喋る癖がある。今の直樹を見ていると、僕を心配して注意してくれているということがよくわかる。
「僕は、別に……」
 自分の気持ちは誰よりもよく分かっている。僕は伊達さんの行為を少なからず迷惑だと、過剰だと感じている。だからといって特に何をするわけでもない。
 迷惑なら、本人にはっきり言えばいいのに。
 直樹の言うことは全くの正論だった。
 ならなぜ行動に移さないのか。
 答えは分かっている。
 ただ、僕は認めたくないだけ。最低な自分を拒絶したいだけ。
「いや、実は本当に帰る方向が一緒だったりするんだよね……」
 卑怯な答えが口を突いて出た。しかし、嘘ではない。伊達さんと帰る方向が同じなのは、事実だ。
 直樹は驚いたように突然立ち止まった。跳ねた水が足に掛かる。
「あー、そ。そりゃ大変だわな」
 直樹は急に先ほどの神妙な面持ちを解くと、いつもの飄々とした雰囲気に戻った。
「どうしたの? 急に立ち止まって」
「いや、それって俺とも帰る方向一緒ってことだよな?」
「あぁ、確かにそういうことになるね」
 こんな雨の機会でないと、直樹は部活でほとんど一緒に帰ることがない。知らないのも無理はないだろう。
「そっか。じゃあ白崎が帰った後はあの視線と一人で戦わなきゃいけないんだな……」
「ははは。ご愁傷様」
 直樹には申し訳ないが、こればっかりは仕方がない。例え僕が伊達さんの行動に口出しをしていたとしても、伊達さんの帰り道まで僕の一存で変えるわけにはいかないし、第一そんな理不尽なことをするなんて僕のプライドが許さない。普段は僕一人我慢すれば済むことだが、今日のところは雨を呪って我慢してもらう他ない。
 そんなことを考えているといつの間にか十字路に来ていた。向かって右が僕の家、左をずっと行ったところに直樹の家がある。ここが僕らの別れ道になるわけだ。
「じゃあ俺、こっちだから」
「あぁ、ありがとう直樹。恩に着るよ」
 直樹は後ろ手を振って曲がって行った。
 僕も自分の家に向かう。曲がり角にある二階建て一軒家が僕の家だった。
「……そういえば、伊達さんの家ってどっちなんだろう?」
 伊達さんは十字路をどう進むんだろう? ついさっきまで後ろにいたのだから、伊達さんもこの十字路を登下校に使っているはずである。いつも後ろを振り向かずにすぐ家に入ってしまうから分からなかったが、もしかしたら直樹が視線を感じる必要はないのでは?
 直樹とのあんな話があった手前、僕はなんとなく興味を惹かれて、伊達さんを見届けることにした。家に入り靴を脱ぎ捨てて階段を駆け上がる。二階にある自分の部屋から、カーテンを少しだけ空け、隙間から十字路を見下ろすと、ちょうど伊達さんらしき人影が差し掛かったところだった。窓を伝う雨露が邪魔でよく見えないが、一つだけ見える水色の傘は間違いなく伊達さんだろう。
 伊達さんは十字路の真ん中から動こうとせず、ずっと佇んでいた。何をしているのかよく分からない。雨と傘が邪魔だ。
 5分間ほど経っただろうか。伊達さんはまるで何事もなかったかのようにまた歩き始めた。十字路を、真っ直ぐ。
「あれ?」
 右にも左にも曲がらなかった。ということは、僕とも直樹とも違う道だ。図らずもこの十字路が僕ら三人の分かれ道となった。
「まっすぐ?」
 あちらの方に行っても繁華街しかない。住宅地は左に曲がるか右に曲がるかのどちらかである。とすると、残りは東釘沼(ひがしくぎぬま)駅から電車を使うということしか考えられない。
「…………」
 しかし、学校のすぐ近くに釘沼駅がある。わざわざこちらまで歩いてこなくても事足りるし、無駄な労力だ。それに釘沼駅は急行だって止まる。東釘沼まで歩くメリットがない。
「…………謎だ」
 それっきり考えるのを放棄して、僕はベッドに体をあずけた。


     




 昨日あれだけ降ったくせに、一日たった今も雨は全く衰えを見せない。それどころか、むしろ勢いを増して盛大な雨音を立てていた。折角の休日にこれでは何もすることがない。真っ暗な部屋の中、床に身体を預けてぼんやりと窓の外を眺めていると、昼夜の感覚がなくなってしまう。
 昨日、なぜ伊達さんはこちらまで歩いてきたのだろう。たまたま歩く気分だったというわけではなさそうだ。伊達さんに初めて告白された4月から実に2ヶ月半が経とうとしているわけだが、ただ歩く気分というだけでこちらまで来ているなら2ヶ月半も続くまい。だとするとやはり東釘沼駅を使っていることになるのだが、それではどうしてもおかしい。
 公立中学校は基本的に地域制になっているはずである。僕の通っている釘沼中学校は原則的に西釘沼、釘沼、東釘沼に住んでいる生徒が通う中学校だ。西釘沼に住んでいるとしたら釘沼駅の方が近いし、釘沼に住んでいるなら歩きのはず。そして僕と同じ東釘沼に住んでいるとしたら、十字路を右か左に曲がるのが道理である。東釘沼駅を使うのはおかしい。
 他の地域に住んでいる可能性もなくはないが、わざわざ特筆していい点があるわけでもない釘沼中に遠くから通う必要はない。それに他の地域に住んでいればそれだけでクラスの話題に挙がるはずだが、それもない。
「んー、謎だ」
 伊達さんの行動はとことん理に適っていない。
 理不尽なことは嫌いだ。伊達さんの行動が苛立たしい。
「もしかして……」
 最悪のケースが頭をよぎる。考えられないくらい低い確率だが、考えられなくはないケース。もしそうだとしたら、伊達さんは……。
「…………」
 僕は一旦考えるのを止めて、雨音に耳を澄ませた。


「お兄ちゃん、入るよー」
 コツコツ、というノックの音と同時に扉が開く。ドアの隙間から入った光はまっすぐ僕のベッドを照らした。
「うわっ、真っ暗! 電気くらい点けなよー」
「飛鳥(あすか)、ノックと同時に入ってくるなよ」
 突然の来訪者は妹の飛鳥だった。最近こうやってよく我が物顔で部屋に入ってきては、2、3言質問をして帰っていく。甚だ迷惑なやつだ。
「じゃあノックしないで入っていけばいいのー?」
 飛鳥はお気に入りの黄色いゴムで束ねたポニーテールを揺らしながら、勝手に部屋の電気を点け、クッションに腰を降ろした。図々しいにも程がある。完全な領土侵犯だった。
「なんでそういう方向に話がいくんだよバカ。そうじゃなくて、ノックをして、こっちの返事を待ってから入るのが礼儀だろ?」
 中学2年の男子が突然部屋を開けられることがどれだけ精神的苦痛になるか、こいつはまるで分かっていない。今はたまたま床に寝そべって考え事をしていたからよかったものの、タイミングによっては家族会議にまで発展する可能性だってあるっていうのに。
「なによー、別にいいじゃないそれくらい。あたしに見られたらマズイような、やましいことでもしてるわけ?」
 うっ、図星……。
「そうじゃなくて、常識の話をしてるんだよ。ホントにお前は常識はずれだな」
 なんとか論点をずらして回避する。
 飛鳥は僕が言ったことが癇に障ったのか、眉間にシワを寄せてむくれた。
「いつも部屋真っ暗にしてる『根暗お兄ちゃん』に、常識はずれなんて言われたくないですーっ」
 短い舌を無理矢理出してこちらを威嚇するような顔を作る飛鳥。もう中学1年なんだから、そろそろこういう子供すぎるリアクションは止めてほしい。兄である僕の品格まで疑われてしまう。
「別に根暗だから電気を点けないわけじゃないよ。点けたら電気代が勿体ないだろ?」
「それが常識はずれなのよー。普通そんなこと気にしないよ?」
「普通は気にするんだよ。自分が稼いでるわけじゃないんだから。お前は親からなんでも買ってもらいすぎだ。僕なんかこの部屋だっていらないくらいさ。勉強だって読書だってリビングでできる」
「お兄ちゃん、やっぱり変わってるね……」
 飛鳥は辟易したように溜め息をつくと、ずるずると身体を沈めていった。腰にあったクッションが首の位置まで来て、頭だけ直角に起こして寝そべっているような体勢になる。肩が凝りそうだ。
「そんなこと言うために僕の部屋まで来たのかよ」
「いや、違うけど……」
「じゃあ用件はなに?」
 どうせいつもと同じ用件だとは思うが、あえて聞いてみる。勝手に部屋に上がりこんだ罰だ。
「それはー……」
 飛鳥は急に押し黙ると、僕から目線を逸らした。
「そうだ、お兄ちゃんっ!」
 飛鳥は急に思いついたように、上半身を腹筋運動させ起き上がらせた。寝たり起きたり忙しいやつだ。
「何?」
「あのさー、お兄ちゃんがいつも一緒にいる人って、お兄ちゃんの彼女!?」
「…………は?」
 いつも一緒にいる人? 誰?
「あの、髪が短くて、前髪だけ少し長めの、すっごい綺麗な人!」
 飛鳥は興奮したように捲くし立てた。身振り手振りの度に御自慢のポニーテールが弾むように揺れる。
「それって、伊達さんのこと?」
いつも一緒にいるって言うほど、一緒にはいないはずだけど。
「またまたぁー、隠さなくていいよー」
 飛鳥は勘違いしたまま拳で僕の胸を小突いた。
「いやいやいやいや、あれはそういうのじゃないよ。ただの……」
 ただの……なんだろう。そういえば僕と伊達さんの関係って、世間一般ではなんて表現するんだろうか。
「ただの、なにー?」
 興味津々、という顔で見つめてくる飛鳥。どうして女の子というのはこうも他人の恋愛に関心を抱くのだろうか。
「ただの……友、達?」
「またまたぁー、隠さなくていいって!」
 全く信用してくれなかった。
「いやいやホントに」
「だってあたし今日見たよー。お兄ちゃんとその人が一緒に帰るの」
 直樹と一緒に帰っていたのは見ていなかったのか。都合のいいやつだ。
 っていうか見てたのかよ。だったら声くらい掛ければいいのに。どうせ同じ家に帰るんだから。
「一緒に帰ったんじゃないよ。たまたま帰る方向が同じなだけ。それに伊達さんは僕の後ろを歩いてただろ。隣で話しながら帰ったわけじゃないし、そんなこと言ったら帰宅方向が同じ人はみんな一緒に帰ってることになっちゃうよ」
「確かに、それはそうかもー」
 納得したようなことを口ではいいつつも。、飛鳥の顔は不満気味にむくれていた。
「そう。だから別に彼女とかそーゆーのじゃないの」
「でも、あたしのクラスの友達みんな言ってるよー。お兄ちゃんとあの人付き合ってるって」
「え、うそ……」
 下の学年で噂になるって、一体どれだけ僕と伊達さんのことは有名なんだろう……。伊達さんの一方通行の愛というのは既に知れ渡っているが、こう調子だと同じ学年の中にも誤解している人がたくさんいそうだ。
 お互いに普段あまり話さないから、たまたま話しているのを見られてそう思われてしまうのだろうか。伊達さんはともかく、僕は直樹とか他にも話す人はいるのに。異性同士で話すのは、中学生という微妙な年頃だと、色々と勘繰られてしまうのだろう。それにしても迷惑な話だ。
「まぁ僕の話はいいよ。それよりお前の話だ」
 どうせこれ以上弁解しても聞き入れないことは目に見えているので、とりあえず話題を戻す。飛鳥はまだ色々と追求したそうな顔をしていたが、部屋に来た当初の目的を思い出したのか、素直に頷いた。
「で、用件はなに?」
「それは……」
 飛鳥は自分の話になると急に言葉を詰まらせた。なにかを逡巡しているように首を傾げる。
「どうせ直樹のことだろ?」
 煮え切らないのでこちらから切り出す。飛鳥は驚いたように目を見開くと、すぐさま眉を吊り上げて頬を膨らました。目の前でコロコロと表情が変わっていくのは面白い、なんて感想を口に出す前に、衝撃が下腹部を突き抜ける。
「ぐぇっ!」
 不覚にも踏み潰された蛙のような声を出してしまう。下っ腹を思い切り蹴られた、という事実が遅れて頭の中に入ってくる。
「痛ってぇな!」
 腹を擦りながら飛鳥の方を睨むと、いつの間にか身体を起こした妹は僕を上から見下ろしていた。
「分かってるならいちいち聞くなっ!」
 怒りたいのはこちらの方だが、とりあえずこれ以上相手を逆上させても暴力では勝ち目がない。僕は正座をして、飛鳥にも手でそれを促した。こちらが非を認めたことが伝わったのか、飛鳥も渋々従う。
「で、今日は何が知りたいの?」
 飛鳥はまたも渋るように口をモゴモゴさせると、やっと言葉を発した。
「直樹さんって、好きな人とかいるの?」
「いないと思うよ」
 飛鳥の問いに間髪入れずに答えると、またもや不満そうに頬を膨らませた。
「ちょっと、ちゃんと答えてよー!」
「ちゃんと答えてるって」
「本当に?」
「ホントに」
 僕の弁解では釈然としないのか、仏頂面を中々崩そうとしない飛鳥。
「……本当に?」
「ホントだって!」
 何度もしつこいやつだ。どうして僕にはここまで信頼がないのだろう。そもそも信頼していないなら僕に質問するなという話である。
「じゃあいないと『思う』ってなによー、『思う』って」
「だって、直樹とそういう話しないし。でも見てる限りいないとは思うけど」
 飛鳥は嬉しいのか怒っているのかよくわからない顔をしながら、突然立ち上がり部屋を出て行こうと扉に手をかけた。
「ホンットに役に立たない『根暗お兄ちゃん』っ!」
 そう捨て台詞を残すと、止めてある金具が外れそうな勢いで扉を閉めた。
「…………いったいなんなんだあいつは」
 直樹がフリーなのが嬉しかったのか、僕に腹を立てているのか。恐らく両者だろう。
 後輩として、同じ陸上部に所属している直樹に、憧れやそれ以上の感情を抱く理由はよく分かる。背も高く運動神経も良く、後輩の面倒見もいい、まさに理想の先輩像なのだろう。いつか飛鳥に「なんであの直樹さんと『根暗お兄ちゃん』が友達なのー!?」と聞かれたことがあったが、確かに僕なんかが友達と言うのはおこがましいくらいに良く出来た人間である。友達になった由来などは結局覚えていないのだが、この友情を大切にしていかなければいけない。
 伊達さんが好きな僕。僕と友達の直樹。直樹のことが好きな僕の妹。人間関係は知らないうちに複雑に絡み合っていくものなのだろう。

       

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Neetsha