Neetel Inside 文芸新都
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ソロMMOンのガキ
泥沼への入り口

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今から大体3年ほど前、中学1年生だった頃に僕は初体験をした。

と言っても性的な意味でではない。初めて僕はオンラインゲームに手を出した。

そしてそのことが後の3年間を変えることになるとは思いもよらなかった・・・





2004年、1月。中学1年の僕は物理部に入っていた。物理部というのは物理科学を解明し、

それらを応用してなんたらかんたら・・・なんていう部活ではなく、はやい話が

工作部みたいなもので文化祭の時には木材を切ってUFOキャッチャーを作ったり、

嘘発見器を作ったり、部室に置いてあるパソコンで組んだプログラムを公開する。

そんな部活で僕は生まれて初めてハブられた。

きっかけは僕の取った行動だった。同学年の友人2名が文化祭に出展した先輩の作品を

破壊し始めたのだ。

僕は「これはいかんよやめとけ」と忠告したのだが聞かず、彼らは「ストレス解消」等と

小学生じみた意見を言い、結果的に彼らが中1部員ほぼ全員、と言っても6人を煽動し

僕を孤立させた。孤立した僕に対する扱いは、もはやアメリカに旅行で来た日本人のようで、
例えば僕が持っていた

単三電池8本を盗んだり、僕の工具箱を破壊したりと器物損壊罪や窃盗罪で

訴えれそうなものなのだけれども如何せん証拠がない、むしろ部員ほぼ全員が

敵のようであった。

そして僕は次第に部活に行かず、家に帰っては

パソコンでインターネットをするようになった。




僕のゲーム暦と言うのは長い。幼稚園に入る前はファミコンをプレイしていた母親のテトリス
父親の信長の野望を横で見ており、幼稚園の頃からマリオブラザーズを始め

小学生になると丁度ブームのポケモンをプレイ、朝7時に起きてゲームをし、8時に

学校へ行くといった、ある種ゲーム漬けの子供時代だった。

にもかかわらず僕のゲームの腕というのは壊滅的なものでストⅡの波動拳は出せない、

時のオカリナを積むといったいわゆる「ゆとり世代」を顕著に反映したものであった。

ゲームが好きなのには変わりがなかったが。

そんな訳で僕がオンラインゲームを初めて知ったのは小6の頃、ネットの回線会社と

契約したときについて来たCD-ROMに入っていたオンラインゲーム「ルネージュ」が

きっかけだった。そしていつかは僕もオンラインゲームをやってみたいものだ

と思い続けていた。


そしてその望みを実現する運命の日、忘れもしない2月16日。

部活にも行なくなってからは毎日インターネットでフラッシュを見たり、動画を見ていた。

2月16日も同じようにフラッシュを見ていた。

僕はサイトの上部に僕の運命を

変えたといってもいいオンラインゲームの広告を見つける。

そのオンラインゲームは「ブルームーン」

僕はブルームーンへ、ネットゲームと言う深淵の泥沼へ引きずり込まれていく

       

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