Neetel Inside 文芸新都
表紙

デッドフィッシュシンドローム
9:ニューロマンサー

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 ミチコはそれから十分後くらいに帰ってきた。彼女は近所のコンビニへ漫画を立ち読みに行っただけで、地下鉄に飛び込んだのはどっかの女子高生だと後で知った。
 日が沈むころ起きたワタヌキを僕らは「ストロベリー・アライアンス」に誘った。
 彼は「確かにガンズは潮時だ。移ろう」とだけ言うとまた寝てしまった。こうして新たなバンドの誕生となった。
 その夜僕は、人騒がせな発言をした夢の中のミチコにおしおきをするつもりで眠りについた。
 あのやけに暗い、赤い瞳をイメージする。
 深い穴の底に落ちていくような感じで、僕は夢の中へ――


 テレビの砂嵐のようなノイズが断続的に聞こえていた。
 辺りは闇に包まれている。一箇所だけ陽だまりがあり、暖かな光がそこを照らしていた。膝を抱えて、ミチコが座っている。
「死ぬなんて言っておきながらミチコはピンピンしていたぞ。どうなんだ」
「あなたは夢と現実を混同するの?」こちらを上目遣いに睨んで彼女が言う。「夢は夢。頭の中で作られる映像にすぎないの」
「そうだな」
 しばし沈黙した後、僕は彼女を指差して言った。「ところで君は誰だ? ミチコじゃあ、ないだろ。ミチコはルーシーを焼いたりはしない」
「それは当然」抑揚のない声で彼女は言う。「私はあなたの頭の中にある『ミチコ』。したがって本物とは違う。言わば歪んだ、異形のミチコ。こんな姿をとらなくてはならないのも、あなたのせい」
 彼女は両手を広げた。
 周囲の闇にぼんやりと、何かが浮かび上がって見えた。
 それは、巨大な骨だった。まだ肉の貼り付いているものもあった。城塞のように、僕らの周りに魚の死骸が横たわっているのだ。それに何匹もの、成人ほどのサイズの黒猫がたかり、わずかに残った肉をむさぼっている。ノイズのような音は、猫たちの鳴き声だった。
「デッドフィッシュの死骸か」
「ここはあなたの夢の深部。あなたがわたしに会うつもりで眠りについたから、ここへたどり着いたんだ」
「誰だ、君は」僕は再度、すでにミチコのものではない表情を浮かべている彼女へ問いかけた。「前にも見たことがあるぞ」
「そうでしょう。私はずっと前からあなたの夢に現れていた。あなたは忘れてしまったかもしれないけれど。私を起こしたのはあなたなんだよ、影介」
「僕は君を呼んだ覚えはないよ。……ああ。だけどこうして夢に出てくるからには、僕の頭脳が望んだのかもしれないな」
 僕がそう言うと、彼女はにやりと笑い、立ち上がった。
 その顔は、見慣れたものになっていた。オレンジの髪の女の子。
「ジェニー……。今度は、その姿で僕を惑わすつもり?」
「惑わす? 違うよ。これが私の姿」
 僕はルーシーの言った言葉を思い出した。――ジェニーは毒入りギター。
「あなたの頭脳が望んだと言ったけれど、それは正解に近い。私は、あなたの頭の中に住んでいるのだから」
「……」
 僕は認識した。こいつは僕の彼女ではない。どうやら敵対者のようだと。
「あなたが真実を知りたいって言うのなら、教えるよ。次にあなたが寝たときにね。それじゃ、おはよう。影介」


 暗い部屋で目覚めた。
 春日井とワタヌキは寝ている。
 ミチコはテレビをボーっと見ていた。天気予報が延々流れている。
「ミチコ」
 僕は起き上がって彼女に言った。
「あ、影介……起きたんだ」
「ああ……ちょっと今から、行かなきゃならないところがある」
「どこに行くの? こんな朝早く」
「決闘だよ」
 僕はミチコの頭に手を乗せ、こう言った。「次に会うとき僕はきっと、最悪の気分だ。励ましてやってくれ」
 少しの間、ミチコは呆然としていたけど、「うん。がんばってね」と言ってくれた。
 ああ、必ず僕が勝つとも。
「行こうか相棒」
 と僕はジェニーを担ぎ、まだ眠っている街へ繰り出した。
 ひんやりとした空気の中を突っ切る。僕にしては珍しく、体に力が溢れている。
 まずコンビニへ入ると酒を購入。ワイン、ビール、ウイスキー、それからコーラを買うのも忘れなかった。
 コンビニの駐車場で早くも飲み始める。チェイサー代わりのコーラでガブ飲みだ。
 もっとだな。精神にオーバードライブをかける必要がある。
 僕はふらつく足でどうやってか、ベーシストの家に到着した。ドアを蹴って開け、中で寝ていたベーシストを起こして「あれ作ってくれ。あと僕バンドやめるから。ワタヌキも」と告げる。
「やめるのは別にいいけど、あれって何だ」
「ずっと前に作ってくれたカクテルだよ。あれさ」
 僕がカクテルの名前を言うと、
「あたしが作ろうか?」と、声がした。部屋の隅で酒を飲んでいる、来戸だった。すでにかなり出来上がっているようだ。「酒は飲んでも飲まれるなって言うけど、それ違うんだよね! 酒は飲みつ飲まれつ。それが正しいんだぜ! おい大造、オメーも飲め」
「寝起きで飲めってか? しんどいなあ」
 あ、そうだ。大造だ。ベーシストの名前をやっと思い出した。これはめでたい。
「詳しいレシピとか分量わかんねえけど、まーテキトーにやるよ!」と来戸はからっぽの金魚鉢に酒をドバドバ注いでいる。「えっとジンとベルモットと……あとなんだっけ? 大造」
「確かアブサンじゃないか? それよりお前ら、オレの部屋の酒全部飲んじまう気?」
「これから一世一代の決闘なのさ。多めに見てよ」
 僕は来戸から渡されたカクテルを飲んだ。きつくて二口くらいでやめたけど。
「じゃあ行って来る! 二人もバンド、頑張って」
 僕は大造の家を後にした。
「さあ……決着をつけようか」背中のジェニーに向かってそう叫んだ。
 すれ違ったおばさんが不快な顔で僕を見るけど気にしない! 今なら肋骨全部抜かれても深呼吸できそうだよ。
 空はじんわりと白み始めた。夜明け前に終わらせたい。やっぱり夢は、朝には消えるものだから。
 僕は普段なら十回以上休憩を挟む坂を、軽い足取りで上り終えた。
 坂の上にあるバス停のベンチを、決戦の場所に決めた。
 街を見下ろすこの場所から、起きた後きれいな朝日を眺めるんだ。
 じゃあ行こう、ダイブ・インだ。
 横になるとすぐ、視界がブラックアウト。


「やあまた会ったね……」相変わらず真っ暗なその場所に僕はいた。
「現実だとほんの数十分しか経っていないだろうけど、この世界じゃ一世紀は過ぎたよ」と、ジェニーが言った。
「そりゃ、待たせちゃって申し訳ないね」
「別にいいよ。私は長い間、ここで過ごしてきたんだから。最も最近、存在が危うくなってきたけど。あなたのせいで」彼女は悲痛な顔で言う。
「僕のせいだって? 君の存在って、一体」
「私は長い間眠っていた。だけどあるとき、目覚めることができた。あなたがジェニーを作り出したから」彼女は自分を指差して言った。「あなたが作り出した『恋人』の姿を使い、私は夢の世界で活動できるようになった。だけどあなたは、ジェニーの――私の存在を危うくするものに出会ってしまった」
 ジェニーの姿が、陽炎のように一瞬揺らいだ。
「それは……?」
「ミチコだよ。自分では気づいていないかもしれないけど、あなたはミチコに好意を抱き始めている」
 そうなのか?
 自問自答する。否定はできなかった。
「だけど、ジェニーが僕の中から消えても、ミチコの姿を使って活動すればいいじゃないか?」僕が言うと彼女は首を振る。
「ミチコは現実の存在。私が夢の中で、彼女の姿を使ってもうまくはいかない。あなたは本物のミチコとの差異を感じ、私は定着できなくなってしまうから。脳内でのみ純粋な姿を保つ『ジェニー』が私には必要なんだ」
 僕の作った「ジェニー」を乗っ取った――いや、最初から彼女とジェニーは一つだったのかもしれない。だけど、そんなことができる彼女は一体何者だろう。ずっと僕の中で眠り続けてきたという彼女は――
「で……。答えを聞かせてもらおうか――君は誰だ?」
 周囲の闇があわ立った。
 彼女は全ての表情を捨て去り、機械のような声で言った。
「私は最初のデッドフィッシュ。ずっと貴方とともにあった屍魚。かつて原初の海であなたとともに、泳いでいた。あなたにはこれから先も夢の中に逃げ込んで欲しい……現実じゃなく、頭の中のジェニーを愛するんだ」
「できるかどうか分からないな」
 僕はライターをつけた。
 周囲が昼間のように、明るくなる。
「そう。じゃあ、私たちがそうしてあげるよ。現実の希望を夢に引きずり込んで、闇に変える。あなたは悪夢から逃げられないんだ。最後に必ず追い詰められる運命なのは、分かっているはず」
 ジェニーの背後に、ビルのように巨大な生物がいた。これまでで最大の、デッドフィッシュ。錆色の龍。らせん状にとぐろを巻いたそれは、ヘビのような目でこちらを見下ろしていた。
「世界の終わりの日、生き残った者たちの食料となる、巨獣。神にどこまでも育つことを許可された生きもの」
「知ってるよ。僕の知識だ。どっかのゲームで見たんだ。だけどそいつは僕に勝てるのかな?」
 その言葉に答えるようにそいつは、津波のように僕に向かって押し寄せた。
 それはきっと、絶望したくなるような光景なのだろう。
 だけど僕は勝つ方法を知っていた。悪夢から、逃げるんじゃない。背中じゃなく、顔を向けるべきなんだ。逃げなければ、追いつかれはしない。
 かつてないほど酔いが回った頭は、僕らしからぬ思考で勝手に立ち向かう。
 僕はライターを、そいつに向かって投げつけた。
 錆色の津波に飲み込まれて、見えなくなった赤いライターは、怪物の心臓に達すると火を放った。
 爆風がそいつを飲み込んだ。一瞬で、腐肉は炎へ、骨は灰に姿を変え、空から雨のように降り注いだ。
「寝る前にカクテルを流し込んだ。運動したからな、脳にしっかり浸透してる。細かいレシピは僕も覚えてないけど、ジンベースのやつさ。名前は――」
 僕はジェニーに向かって言ってやった。焼け焦げたデッドフィッシュを指差しながら。
「ノックアウトだ」


       

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