ユウが茂に別れを告げてから、何日か経った。
アレから、俺達は別段何が変わるわけでもなく、暇だったら遊びに行ったり、大学に行ったり。
あの日に、俺達の契約理由―――付き合い続ける理由はなくなったというのに、お互いに決定的なことは言おうとはしなかった。
確かに、あの日に終わったのだ。
終わったのだから、次に行かなくてはいけない。
もう立ち止まるのは止めなくてはいけない。
それは分かってるのに、俺達は終わったはずの事をまたダラダラと続けている。
今日の夕食は、シラスとネギの混ぜ込みご飯に、鳥の照り焼き。
俺は夕食の食器を片づけると、ベランダに出て煙草に火をつけた。
ユウは食事をとっていた座席に座っていて、ベランダにいる俺とは向かい合う形。
出会った日と同じ位置。
でも、出会った日とは微妙に違う俺達の立ち位置。
俺はそのまま外のほうに目をやって、出会った日のことを思い出すことにした。
出会った日の印象は、最悪だった。
ワガママで高慢な女。
いきなり俺の家に居座りだして。
でも、話してみたら案外面白い奴で、いい奴で。
結構いろんなもの背負い込んでて。
それで、いつの間にかユウの横が居心地のいい場所になっていた。
だから、今度は俺がユウの場所に居座っている。
でも、それもいい加減終わりにしなきゃいけない。
俺も、ユウも、自分の問題に決着はつけた。
なら、進まなくちゃ。
そのために決着をつけたんだ。
出会ったのも唐突で、前触れも何もなかった。
だから、終わりも唐突で前触れが何もないのも、俺達らしいと言えるだろう。
そうやって、何か理由をつけないと俺は動き出せない。
今も、ユウに話しかける理由、きっかけがないと動き出せそうにない。
そう思っていると、煙草の火が消えていた。
理由はそれで十分だ、終わろう。
「ちょっと散歩しねぇか」
俺は灰皿に煙草を捨てると、話しかけた。
「いいよ」
ユウはいつもと同じように返事をした。
表に出ると、そこには目を光らせた白い猫が居た。
「お、キューじゃねぇか」
俺がそうやって近寄ろうとしたら、離れていった。
「なんだよ、餌もらった恩を忘れたのか?」
「そうじゃないみたいだよ?」
ユウがそう言うので、キューの方を見ると、直ぐ立ち止まってまたこちらを見た。
「ついてこいって言いたいのか?」
「そうなんじゃない?どうせ散歩だったんだし、キューにも付き合ってあげましょうよ」
「ま、そうだな」
俺達が近づくと、キューは俺達をどこかに誘うよにして、少し進んでは振り返り、追いついてはまた進みということを繰り返した。
そうやってたどり着いたのは、裏路地の迷路の一角だった。
そこまで行くと、キューは塀を乗り越えてどこかへ行ってしまった。
もうそれ以上は追えなくなった。
それとも、キューはここに連れてきたかったのだろうか。
「ここって―――」
ユウも気付いていたようだ。
「あぁ、俺達が最初に会った場所だな」
俺の帰り道で、ユウのバイクが止まった場所。
俺がそうやって、出会った辺りの場所を眺めていると、背中に何かぬくもりを感じた。
ユウが背中合わせに立っているようだった。
少し寄りかかるようにしてこちらに体重を預けているので、俺も少し向こうに体重をかけて、お互い背中合わせにもたれ掛かり合うような形になった。
しばらく黙ってそうしていたが、ユウが先に口を開いた。
「ねぇ、出会った時のアタシの印象ってどんなだった?」
「サイアクだったな。ワガママだったし、無茶苦茶だったし」
「アハハ、そうよね」
「まぁでも、顔は可愛かったから泊めることにした」
「下心丸出しジャン。でも何もしてこなかったよね」
「紳士だからな」
「変態なのか、紳士なのか、どっちなんだ」
「変態という名の紳士だ」
「なにそのクマ吉」
「うるせ」
そこで会話が切れた。
俺は煙草を取り出して、火をつけた。
それから、散歩に出て話すつもりだったことを話し始めた。
「俺もお前も、ずっと立ち止まってたんだな」
何の話なのか、抽象的な言い方だったが、どういう意味かユウは理解してくれたようだった。
「そうね、立ち止まってた」
「俺さ、時々なんの為に生きてるんだろうな、って漠然に思うことがあったんだ。
でも、それはアイツとあって少し変わった。
アイツの横で、一緒に歩いていくことに意味があるんだって思ってた」
「アタシも。茂と一緒に行けば、なんていうのかな、ゴールみたいなところに辿り着けるんだって、この道が正しい道なんだって思ってた」
「でもそれって違ったんだよな」
「そうかもね」
俺はもう一度煙草を咥えて、煙を吐いた。
「アイツを失って、どこに行けばいいのか分らなくなった。
目指すべき場所が違ってたって分かって、どっちに進めばいいのか分からなくなって、立ち尽くした」
「そうね、アタシもそんな感じだった。どっちを向いても真っ暗。ゴールだと思ってた場所が全然違くて、途方に暮れてた。
そしたら、なんか似たような感じのりょっちが、居た」
「それで、ただ突っ立ってるのにも疲れた俺は、お前に寄り掛かった」
「アタシも寄り掛かった」
『適当を前提に』なんて言いつくろって、俺たちは歩くことをサボっていたのだ。
ゴールなんて誰にも見えていないのだ。
こっちかな、って思ったほうに歩いて行って、違ったら戻る。また違う方に歩く。
ただ俺たちは戻るには歩きすぎた。
もう戻るのにはつらい距離だった。
だから、お互いにもたれかかり合っていたのだ。
よくよく考えれば、智恵と付き合っていたころだって、自分の足で歩いていたのか怪しい。
ただ智恵の歩く方向について行って、いや、引っ張っていてもらっていたのだ。
それで疲れたなんて、なんて怠けものだったんだろう。
「アタシ達、もう十分すぎるくらい休んだよね」
「そうだな、だいぶ疲れも取れたと思う」
「歩きださなきゃね、これまで立ち止まってた分、取り返すくらい」
「あぁ、ゴールなんてなかったんだな。自分の行きたい方に歩いて行って、そこがゴールだと思った場所がゴールなんだから」
「そうかもね」
「戻るのがめんどくさい、と思ってたけど、別に戻んなくてもよかったんだよな」
「ここからまたどっかに行けばいいんだよね、きっと」
「そんな簡単なことに気付くのに、随分時間がかかったなぁ――ー」
「そうね―――」
いつの間にか、煙草の火はフィルターぎりぎりまで来ており、頑張って持ちこたえていた灰がボロっと落ちた。
俺はそれをきっかけに、これまでの抽象的な話から一転して、具体的な話をすることにした。
今の話で、だいたいユウと俺が考えていることが同じだということがわかったから。
「俺さ、引っ越そうと思うんだ。お前とのスロットのおかげで無駄に金溜まったし」
暇なときに、ユウを連れて時々スロットを打ちに行っていた。
そのおかげで貯まった預金はあと少しで三桁に上るほどだ。
稼いだ金額は、ユウと折半だったので、二人で稼いだ金額は余裕で三桁を上回る。
俺はその金を使って引っ越しをする決心をしていた。
この部屋には、前の女の匂いが染みついているから―――ユウに言われたことだ。
「そうなんだ」
ユウは何を言うでもなく、ただ相槌を打った。
「でだ、俺がここを出て行っちまうと、お前は住む場所も、足も失うわけだが―――とりあえず、足だけは俺が用意する」
「どういうこと?」
俺が出て行って、ユウの住む場所がなくなる。
間接的な言い方で、決定的な事を告げる。
少し、背中にいるユウの気配が変わった。
「俺が今乗ってるコガタナ、お前にやるよ。俺は今まで貯めた金と、稼いだ金で大型の免許とって、大型買うから」
「・・・・・・そう」
俺は、これから自分が何を言うのか決めている。
そのことを前提に、こうした話をしている。
すると、ユウはこれまでの話とはすこし違った質問をしてきた。
「そういえばさ、りょっちのリョウスケってどういう漢字書くの?」
そこそこ一緒に過ごしていたが、そういえばお互いの名前を活字で確認することはなかったと思った。
「家にある教科書とか見なかったのか?こんな漢字だよ、ほれ」
そうやって、後ろ手に自分の名前の漢字を打ち込んだ携帯を渡した。
「あ、ほんとだ。へぇーこんな字書くんだ」
「あ、そういえばお前の名前は」
「あぁ、アタシは―――」
「いや、お前みてりゃだいたいわかるよ。当ててやるよ」
これには少し自信があった。
ユウという漢字は結構種類がある。
自由の『由』、有るという意味の『有』、他にも当て字を使えばいろいろと思いつくが、そのどれよりもこいつにふさわしい一字。
「優しいの『優』だろ」
俺がそう言うと、優は驚いたようだった。
「当たったか?」
「・・・・・・うん」
よし、満足。
これで思い残すことは・・・・・・たくさんあるが、少しだけ減った。
俺は最終確認をすることにした。
「さて、付き合い始めた当初の目的はお互い達したわけだが―――、二、三確認したい」
「なに?」
「あぁ、片方が負け宣言した場合―――つまり、マジになった場合、一つだけ相手の言うことを聞く。
これは間違いないな?」
「うん」
「それから、これは最初に言ってたが―――勝った方の命令は「別れてください」っていうだろうな、って最初に言ったよな?」
「言ったね」
「よし、確認終わり」
さて、色々と名残惜しいが、決まりは決まり。
俺たちはいい加減歩きださなきゃいけない。
俺は寄りかかっていた背を離して、振り返った。
ユウも、こちらに向き直った。
俺は深呼吸をし、出会った時と同じ場所で言った。
「マジになりました。付き合ってください」