Neetel Inside 文芸新都
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君の手は僕に触れない
第十一話『結末は続かない幸福』

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 駅まで引き返して、電車に乗った。譲の実家と健のアパートまではたった三駅。それだけの距離、今のボロボロの状態で乗ったからといって、さっきまでは欠片も恥ずかしさを感じなかったというのに。
 今は顔から火が出ようかというほどに熱い。雨に当てられて、風邪でも引いてしまったのではないだろうかと譲は思った。
 いや、そんなことはないと。自分と隣の人物の間を覗き見る。
 しっかりと繋がれた手が、そこにあった。
 健の顔を下から覗き込むと、こちらの視線に気付き、にっこりと微笑む。まるで、周囲の人間のことを気にしている譲の方がおかしいのかと思うほど、平静を保った笑みだった。
「なんで、俺があそこにいたと思う?」
 電車を降りて健の傘に入れてもらい、歩き出した矢先に健はそう切り出した。
 譲はわずかに息を呑む。先ほどまでの緊張とは別の理由で、動悸が激しくなるのを自覚した。
 確かに、こんなタイミングで偶然に健が現れるなどあるはずがない。そこには、何らかの理由があるはずなのは明白だ。譲は、それを考えようとして――
「止めろよ!」
 立ち止まって、吐き捨てた。考えることを拒むように、頭を抱えて、
「どうでもいいんだ、そんなの。訳とか……自分と、相手の気持ちとか、分かんないことをぐちゃぐちゃ考えて、堂々巡りなのが分かってても抜け出せなくて……そういうのは、もうたくさんだ!」
 手に自然と力がこもる。痛いほどに握られているはずの手を繋いだままの健は、しかしそんな譲の手を優しく握り返した。
「そっか……」
 長身の健が見下ろす瞳は確かに優しさこそ湛えていたものの、そこに含まれている意図は相変わらず読み取れない。
 でも、そんなことはどうでもいいのだ。健が会いに来てくれた。そこにどんな理由があろうと、今はそれしか見なくていい、見たくないのだと、譲は自分にもう一度言い聞かせた。
 健の部屋の前に着く。カギを開け、扉を外から支えた健が譲を促す。
「それじゃ、どうぞ」
 再び足を踏み入れることなどないだろうと思っていた場所。そこに、自分が望んでいた形で訪れることができた現実を、譲はにわかには信じ切れなかった。目の前の相手のことを、どうしようもなく信じたいのに。
 だからそれは、気持ちのストッパーを外す最後の……本当に最後の確認だった。
「入って、いいのか?」
 恐る恐る見上げた健の顔は、学生時代から何も変わっていない、いつも通りの笑顔。
「もちろん」
 玄関から廊下にあがって、一歩、二歩。
「じゃあ、とりあえず風呂入れるから、譲は体拭いて――」
 我慢できたのは、カギが閉まる音が聞こえるまで。
 体ごと叩きつけるように、健に抱きついた。
 ぶつけるようにキスをする。勢いあまって前歯が当たる痛みも、まるで気にならなかった。壁を背にして襲いかかっている自分は、まるであの時――学生時代の図書館での健のようだと、譲は思う。
 舌を貪り、カラカラの喉を潤そうと、いやらしいほどに唾液を吸った。
(足りない……こんなものじゃ、全然……!)
 シャツの下のひんやりとした健の肌に触れて、譲は自分が異常なほど熱くなっているのを自覚する。その熱を分け与えるように、より冷たい部分を探すように、必死で目の前の身体をまさぐった。
 二年間、ずっと葛藤していたこと。胸に秘めていたこと。
 溺れるような熱にうなされたように、ぼうっとして声で譲は言った。
「健……お前のことが、好きだ。ずっと、好きだったんだ!」
「譲……俺は――」
 その口が何か言葉を紡ぐ前に、再び譲は自分のそれで塞いでしまう。
「ん…ふっ……。言わせろよ、バカ」
「ごめん。でも、怖いんだ。何を言われようと、そこからどうにかなってしまうのが。……だから」
 健の顔を切なげに見上げ、その手を濡れて重くなったズボンを持ち上げるほどに張った、自分のものへと導いた。自分でしておきながら、触れた瞬間に身体が震えるのを抑えられない。
 泣きそうな声で、絞り出すように懇願した。
「この一回だけ、甘えさせてくれよ」
 困ったように健は笑う。仕方ないなとでも言うように額にキスをして、その手をそっと、撫でさするように動かした。


 翌朝、ベッドで目覚めた気分はとても晴れやかだった。
 夢でもかまわない。そう思えるような展開だったが、隣を見れば穏やかに寝息を立てる健が確かにそこにいる。そっと手を伸ばして髪を撫でると、汗でひどくゴワゴワとしていて、譲は思わず苦笑してしまった。
 薄いカーテンから差し込む光は、昨日の雨がウソのようにまぶしく温かい。
 立ち上がって、まだ自分が裸でいたことを思い出す。あわてて下着や服をかき集めると、それがまだ少し湿っていることに気付いた。
(そういえば、俺もあの後すぐ寝ちゃったから)
 『あの後』などと、自分がしたことを思い出して譲は頬を赤く染める。
(一回だけ、なんて言っといて結局あの後……うあああああ)
 頭を抱えるフリをしても、しっかりと口元はにやけてしまった。
 うれしかった。幸せだった。待ち望んでいたことが、夢そのままに現実になった。
 それが――。
「……譲?」
 後ろでモゾモゾと音が聞こえて、譲は飛び上るように振り返った。湿った服を思わず胸に抱きしめてしまったのは、無意識に身体を隠そうとしたのかもしれない。
「た、健! お、おはよう」
 上半身を起こした健は、当然というべきか譲と同じく一糸まとわぬ姿で、どもる譲を見ると軽く笑いながら挨拶を返す。
「おはよう。なんかすげーぐっすり眠ったーって感じだな。ってもう昼か」
 枕もとにあった時計の、十二を少し過ぎた時針を見た健はさらに苦笑をこぼした。その様子を見て譲の頭をかすめたのは、昨日会ったばかりの女性――芝浦幸――のことだ。
「あ……今日、なんか予定入ったりしてた……か?」
 控え目に伺うと、健は小さく「いいや」と返して首を横に振って、ベッドから降りた。
 健が立ち上がると、否が応にもその裸体が目に入ってくる。夕べにいくらでも見たはずなのに、なぜか譲はそれから目をそらしてしまった。光一との時には感じたこともなかった気恥ずかしさが、胸の中にじんわりと広がっていく。
 対して健は気に留めた風もなく、床に散らばっていた笑顔を適当にかき集めて、そこで何かに気づいたように譲を見た。
「あ、そうか。お前の服って濡れたままだもんな。俺の服貸してやるからシャワー浴びてこいよ。俺その間に飯作ってるから」
「え、ああ。分かった」
 廊下に一歩踏み出した、健に向けた背中にその言葉はかけられた。
「それで、上がった後に飯食いながらでいいんだけど――」
 うれしかった。幸せだった。まさしく、夢のような時間だった。
「少し、聞いて欲しい話があるんだ」

 それが……一晩限りのものだと分かっていたとしても。

       

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