Neetel Inside 文芸新都
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君の手は僕に触れない
第五話『現実は容赦のない鏡』

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 その映画は派手さのないヒューマンドラマだった。
 幼い頃に両親を亡くし、周りの大人から理不尽に扱われ、愛など知らずに育った少年。
 真っ当に育つわけもなく捻くれた性格になってしまった少年の前に、いずれ無二の親友になるであろうキャラクターが現れる。人と人との繋がりの大切さを無邪気に語り、少年の生い立ちの不幸など気にも留めない。
 そんな破天荒な人格に振り回されながらも、少年は次第に友達というものの大切さを学び、自分の居場所を見つけ出していく。
 どこかで見たような、在りがちと言えば在りがちな展開。
 しかし、それが穏やかなBGMと個性豊かなキャラクターのお陰で見る者を飽きさせない作りになっている。
 なるほど、それは確かに話題作になったのも分かる、万人に受けそうな面白さを持った作品だった。
 普段、アクションやSFなど派手めの映画しか見ない譲でも、その面白さが理解できるほどに。
 だがそれは、普通に映画館で見ていればの話だ。

 今、譲の心臓はゆったりと流れるBGMとは裏腹に、思いきり振りまわされたコーラの缶のように爆発寸前だった。
 映画に集中など、できるわけがない。
 目は健の方が気になって、かと言って直視することはできずに泳いでいるし、耳はキャラクターのセリフよりも健の息遣いを捉えている。手は何かを掴みたがっているようにひどく落ち着かない。
 頭の中では、さっき健が聞いたことを何度も思い返していた。

『何しに来たんだよ、お前?』

 今付き合っている相手への罪悪感を振り切ってまで、寒空の下に腰を落ち着けて数時間迷った挙句に、それでもここに来た理由。
(そんなこと……決まってるじゃないか)
 そんなこと、とうの昔に分かっていた。
 会うきっかけができたら……なんて、ただの言い訳。
 きっかけができたら、二人で会いたくなる。二人で会うことができたら、家に遊びに行こうとするだろう。そうしたら、自分が求めていたことなんて一つしかない。
 たった一度きりの図書館での秘め事が、こんなにも脳裏にチラついているっていうのに。ただ映画を見るだけで帰るなんてできるはずがない。
 ごくりと、ただ唾を飲むだけなのに、譲にはその音が部屋中に響いたように感じられた。
 規則正しく繰り返される健の呼吸の音を聞きながら、自分の喉がさっき食事終えたばかりだとは思えないほど乾いていることに気付く。

 ディスプレイの中の映画では、少年が自分の中に生まれつつある友情に反発しているところだった。
 今までの自分の人生を否定して、優しくて楽しそうで明るい道を選ぶことは想像を絶するほどの抵抗を伴うのだろう。
 それが正しいと分かっていても、今まで積み重ねてきた『自分』を打ち崩してまでそれを選ぶのが正しいのか、犠牲に見合うだけの価値はあるのか。考えて考えて、何度も同じ問答を繰り返す。
 それでも、自分が望むことに嘘は付けないのだ。
 それは逃避ではないのかという疑問が消えなくても、見返りが割に合わなかったとしても、今自分が欲しいものから目を背けることなど誰にできるというのだろう。
 画面の中で苦悩する少年に、譲は同情した。
 それは、はるか昔に通り過ぎた自分の姿そのものだったから。
 否定したくても、拒絶したくても、そこにあるのはどうしようもなく自分自身で、一度味わってしまった甘露を忘れることなんてできない。
(……ああ、そうか)
 カラカラの口の中を、濡れた舌で掻き回して欲しい。
 所在なさげに彷徨う手は、広い背中をかきむしりたくて仕方ない。

 ―――俺は、健に抱かれに来たんだ。

 思い切って横を振り向く。
 テレビからこぼれる光だけでは隣にいる健の表情は読み取れない。
「健……?」
 あまりにもか細い呼びかけは、映画のBGMとセリフにかき消されてしまう。それを言い訳に止めることもできた。むしろ、留まれるとしたらそこしか無かっただろう。
 しかし譲はそれをしなかった。
「おい、たけ――」
 肩に手を置こうとして、ふと違和感に気付く。
 その瞬間、譲はあまりにもバカバカし過ぎて吹き出しそうになってしまった。同時に、自分のあまりの愚かさに頭を抱えたくなる。
 なぜなら、そこで規則正しい呼吸を繰り返しながら身動き一つしていなかった健は、間違いなく眠っていたのだから。
「――る……って、おい。そりゃないだろ……」
 上げた手を力無く下ろすと、大きくため息をつく。
 自分のとんでもない勘違いに赤面するよりも、なにより落胆が大き過ぎて。譲はしばらく健の寝顔を眺めたまま呆けたように動けないでいた。
「そりゃ、ないだろ」
 うわ言のように同じことを呟き、湧き上がってきた感情は八つ当たりにも似た苛立ち。
 健には触れないように慎重に注意を払いながら、彼の正面に移動する。座椅子に座ってうなだれている健を膝立ちで跨ぐと、自分の心臓が怒りのせいか恥ずかしさのせいか、とにかく早鐘を打っているのが分かった。
 これぐらいの権利は、当然あるだろうと思っていた。
 何のつもりもなかった健に気付かれたところで、どうとでもなれという気持ちだった。
 少しずつ、物音をたてないように顔を近づける。
 唇が触れるか触れないかというところまで近づいたその時、暗闇の中にテレビ以外から発せられた音が唐突に響き渡った。
 ピンポーンと、無遠慮に来客を告げる無機質な音に譲はハッとしたように立ち上がって、健から離れた。
 ゆっくりと見下ろしても、日頃溜まった仕事の疲れのせいだろうか、健が起きる素振りはない。
 ピーンポーン。
 もう一度、長く溜めて押したのであろうさっきより間延びした音が聞こえたところで、譲は諦めとも安堵ともつかないため息を吐き出した。
 ここで健を起こすのは、罪悪感のせいもあって忍びないと、譲は玄関まで行って扉越しに来訪者へ声をかける。
「どちらさまですか?」
「あれ? 健くんはそっちにいます? 私、三枝ですけれどもー」
 聞こえてきた声は、以外にも若い女性の声だった。三枝という名前に聞き覚えはなかったが、やけに健と親しそうな匂いがして、譲は嫌な予感に眉をひそめた。
「いや、健からは何も聞いてませんけど。失礼ですけど、どういうご関係ですか?」
 半ば答えを予測しながらも、そう聞かずにはいられなかった。
 しかして、来訪者は予定調和のように返事を返す。分かり切ったことだろうと、簡潔に、残酷に。

「あ、もしかして今日来るって言ってた友達の吉川さんかな? 私、健くんの彼女です。とりあえず開けてもらえますかー?」

 後ろから、泣き叫ぶ声が聞こえた。
 一瞬で真っ白になりかけた頭で振り返ると、画面の中で親友のキャラクターは死んでしまっていた。
 大人になった主人公の腕の中に抱かれて、幸せそうに、満足そうに。

       

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