Neetel Inside 文芸新都
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同居人ボーカロイド
第5話「新たなボーカロイド」前編

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第5話『新たなボーカロイド』前編

 俺は今、ミクと将棋をやっている。
 あの日、詰将棋を買ってやったお陰で、ミクは常には俺を誘わなくなった。というよりも俺が「やろう」と言うまでは将棋をやりたがる事がなかったのだ。
 そのお陰もあって、俺はこうして将棋に飽きる事無く、ミクの相手をしてやる事が出来ている。
 じゃあ戦績はどうなのかといえば、俺が何回負けたかを覚えていないほどに負けている。どうやらミクは手加減なんて事を知らないようだった。はっきりと言えば俺は一度も勝っていないのだ。
 俺に負ける気がしないのかミクはテレビを見つつニコニコと笑いながら、片手間で将棋を打っている。
 その余裕っぷりは今回も例外ではなかったが、俺はそれを見越して作戦を立てていた。
 毎日、何十回と自分より実力が相当上の相手と勝負をし続けていた甲斐もあり、俺は勝ちへの道筋を立てていたのだ。
 俺は何局も前からミクの打ち方を研究していた。言ってみればミクの癖を見ていたのだ。
 さらにはミクは余裕を見せ付けながら将棋をやっている為、俺の様子なんて一切見ていなかった。
 きっと今も俺がどう動くかなんてわかりきっているつもりでいるんだろう。
 そうはいかないぞミクよ。
「ほらミクの番だぞ」
 俺が声を掛けると、ミクはテレビを見る事を中断して、将棋板を見つめた。
 ミクの顔はニコニコしている。まだ気付いていないようだ。
 ミクは将棋の駒を手に取り、慣れた手つきで駒を動かした。
 完璧だ。完全に俺の予想通りに動いた。
 あとは詰むまでのプランは完璧にできているのだ。
「これで、いいのか?」
 俺は笑いを堪えながらミクに問う。
 ミクは不思議そうな表情で俺を見つめ、コクリと頷いた。
 きっと今から俺が言う言葉なんて想像もついていないんだろう。
 俺はゆっくりと計画通りの駒を掴む。
「んじゃあお言葉に甘えて……王手」
 そう言って俺が駒を板の上に置くと、ミクはまたしても不思議そうな顔で俺をみた。
「もう一度言うぞ。王手。見てみろ王手だ」
 ミクはゆっくりと視線を将棋板へと落とし、その直後に口をぽかんと開いたかと思えばそのままの姿で硬直している。
 そりゃあ驚くだろう。今まで絶対に自分が負けることなんてないと妄信していたんだから、今のミクのショックは計り知れないだろう。
「まあまあ、まだ諦めるには早いぞ。ミクの番だ」
 この言葉はミクを励ます為の言葉ではない。ミクに対する仕返しを盛り上げる為の演出なのだ。
 今まで俺を散々将棋で苛め抜きやがったのだから、これぐらいしたってバチは当たるまい。
 ミクは「そうだそうだ」と言わんばかりに頷き、将棋板を眺めている。すでにニコニコ顔は消え去り、真剣な眼差しになっている。
 ミクはゆっくりと駒を掴んだが、その動きはさっきまでの自信満々の手つきとは異なり、明らかに動揺していることがうかがえる。
 駒を掴んでからもしばらく頭を悩ませていたミクだったが、どうやら決心がついたようだった。
 ミクが駒を置こうと手を動かした頃合を見測り、俺はミクに追い討ちを掛ける。
「ふっ」
 俺の追い討ちはこの一声だけである。
 たった一声ではあるが俺の予想通り、ミクの手は止まった。
 駒を板に置く寸前のところでミクは硬直し、俺を涙目で見つめている。
 かわいそうなミクだ。そうは思うが同情はしない。
 これは勝負なのだ。確かに楽しませると約束したとはいえ、これは勝負なのだから勝ちを目指して当然なのだ。
 それにミクは俺が負けて落ち込んでいようと、ケラケラと笑い続けていただろう。その恨み今晴らしてやります。
「いいんだよー。どこに置いても」
 俺は余裕の表情で言ってミクの不安を煽る。
 ミクはまだ涙目で俺を見つめている。
 本当にどこに置いてもいいんだぞ。俺はすべてのプランを完璧に練っているのだ。
 ミクは俺が救いの手を差し伸べる事はないと理解したのか、自分で考える事を始めた。
 考えるといっても動揺しているせいで頭が回っていないらしく、俺の目をうかがいながら駒を持った手をフラフラと動かしているだけだった。
 しかしながら俺のポーカーフェイスは崩れることがない訳なので、結局はミクが自分で決めるしかないのだ。
 どうやらミクは決心をしたらしく、俺の顔色をうかがいながらではあるが、駒をゆっくりと板の上へ置いた。
「これで、いいんだな?」
 さきほどと同じように問うと、ミクは真剣な顔で恐る恐る頷いた。
 俺は予定していた駒を持ち、一言だけミクにささやく。
「王手」
 ミクは驚きの表情と涙目というなんとも言えない顔で、俺の顔と将棋板を交互に見ている。
 そして今こそが俺の計画の最後の仕上げの時なのだ。
「ミク、将棋板をよく見るんだ」
 ミクは言われるがままに、将棋板に目を向ける。
 ミクが将棋板を見ている事を確認した俺は、あらためてミクに一言だけささやく。
「詰みだ」
 その言葉を聞いたミクは初めはじっと将棋板を見つめていただけだったが、この状況を理解したのかいきなりうつむき、肩をプルプルと震わせている。
 悔しいのか、怒っているのか。どっちかはわからないが、ミクも勝負と言う事は理解しているはずだ。
 さすがに俺に理不尽な怒りをぶちまける事はないだろう。
 なんにしろ俺は勝った。何局負け続けたかはわからないが、俺はとうとう勝ったのだ。
 そう思うと俺は笑いを堪えることが出来ず腹を抱えて笑い転げてしまった。
 あまり長い時間ではなかったが目一杯、笑い転げた後、元の体勢に戻った俺は将棋板を見直した。
 が、なんとそこにはミク側の「王」がなかったのだ。
 少し予想外の出来事に驚きはしたが、こんな事で俺は動揺しない。ミクが隠した事はわかっている。
「おい、ミク。そんな事したって無駄だぞ。駒をどこへやった」
 そう言って俺がミクに問い掛けた直後、ミクの方から何かを飲み込むような音が聞こえた。
 今の音はなんなんだ。今はミクはお菓子なんて食べていない。それじゃあ……。
 おい。おい、そんなまさか……。
「駒を……食ったのか?」
 ミクはゆっくりと首を左右へ振り、俺の問いを否定した。
 しかし俺は信じない。確実にミクは駒を食った。
 正直言って俺は動揺してしまった。まさか駒を食うなんて思ってもいなかったからだ。
 しかしここで諦めてはミクの思う壺だ。俺は負けじと平静を装いミクを煽る。
「別にいいよ。駒がなくなろうが、俺の勝ちには間違いない。それに予備の駒だってあるし」
 ミクは俺の勝ちだという言葉に必死のジェスチャーで抗議している。
 しかし俺には届かない。俺は気持ちを落ち着かせてゆっくりとミクに説明する。
「将棋は詰んだ時点で終わりなんだよ。意味わかる?」
 ミクは一応は理解したようで、一度だけ頷く。
「と言う事はミクの負けって事。あの詰みが完成した時点でミクは負けてたの」
 俺はそう言って今までの鬱憤を晴らすべく、これでもかというほどミクを挑発してやる。
「イエーイ! おっれのっかちー! おっれのっかちー!」
 俺が狂気に満ちた叫び声をあげているのをミクはただ黙って聞いている。
 しかしながら、ミクがうつむきひたすら肩を震わせている姿は、喜びの絶頂にある俺をすぐに現実に引き戻した。
 少し調子に乗り過ぎた事を反省した俺は、ミクにそっと声を掛ける。
「ご、ごめん。ちょっと調子乗りすぎた。もう顔を上げてくれ」
 俺の言葉を聞いてもミクは顔を上げてくれない。
 本当にやり過ぎてしまったかもしれん。ミクを傷つけるなんて俺はどれほど最低なんだ。
 心配に耐えられなくなり、俺がミクの顔をそっと覗きこんだ次の瞬間、ミクの口元がゆっくりと動いた。
「…………」
 ミクはただひたすらに同じ言葉を繰り返しているようだが、俺には何を言っているのかがわからない。
 俺はじっくりとミクの口元を見つめる。
 真剣に解読に励んだお陰かミクがなんて言おうとしているかわかってきたぞ。
 あの言葉な気がする。しかし、そんなまさかだ。
 ミクが知る術なんてないはずだ。
 頭の中を必死に探索して、ミクにあの事を知られる可能性があったものを考える。
「ま、まさか」
 俺は思い当たる節を見つけ、すぐさまクローゼットへ向かう。
 クローゼットを開き、プラスチック製の衣装ケースの一番下を限界まで引き出す。
「ない……。ないぞ!」
 俺の、俺の『童貞を捨てる100の方法』が……。
 振り返るとミクは俺を指差しケラケラと笑っている。なんて外道なんだ……。
 不覚だった。ミクはいつも俺より早く起きて、ひとりで暇を持て余しているのだ。そのミクが部屋を漁る事なんて予想する事は容易だったはずだ。
 ミクはきっとこれを見つけた時は大いに喜んだことだろう。
 許さんぞ。許さんぞミクよ。
 俺はゆっくりと立ち上がり、ミクに声を掛ける。
 ミクがこちらを向いた事を確認した俺は、俺に対しての「童貞」以上に禁じられた言葉をミクに投げ掛ける。
「……だまれ、デブ」
 この言葉により、俺はミクに勝利する予定だった。
 しかし勝利する予定だった俺の体は、発言からコンマ数秒もしない内に宙に浮いた。
 一瞬なにが起きたかわからなかったが、宙に浮いたせいで時間の流れがスローになり、俺は自分の体が浮いた理由を理解することが出来た。
 ミクの立ち上がりながらのフルスイングアッパーが俺の顎にクリーンヒットしたのだ。
 俺の体は空中でゆっくりと角度を変え、床と平行になった状態で地面に落ちた。
 痛みを感じる事さえ出来ないほどに意識がもうろうとしている。
 不覚だ……。まさか暴力に訴えるとは……。
 ミクが必死で「童貞」と連呼している様を見ながら、俺はゆっくりと意識を失っていった――。


 ――誰かが俺の体を揺すっている。
 頼むから俺の眠りを妨げないでくれ。
 しかしそんな俺の願いも空しく、誰かが俺の体を揺すり続ける。誰かが、といっても誰なのかははっきりとしている。
 俺は渋々目を開けるといつもの朝のようにミクが俺の体を揺らしていた。
 俺はゆっくりと体を起こし、顎の痛みのお陰でミクに殴られた事を思い出す。
 たしか床に倒れてそのまま気を失ったはずなのだが、俺はいつの間にかベットに移動していた。
「あれ……。ミクが運んでくれたのか?」
 俺の問いにミクはいつもの親指を立ててウィンクのポーズで返答した。
 俺を殴った張本人が感謝しろとでも言いたいのか?
 この様子からみて全く悪びれてないな。もういいや……。
「んで……。起こした理由はなに?」
 俺の言葉で思い出したようで、ミクは俺を急かすように玄関を指差した。
「玄関がどうしたの?」
 ミクは俺の問いに首をくねくね捻りながら頭を悩ませている。どうやって答えようか考えているんだろう。
 俺はミクの頭がショートする前にゆっくりと立ち上がり玄関の方へ向かう。
 ミクは俺の背中に隠れながらついて来ているが、そんな様子で敵との戦いは大丈夫なのだろうか……。
 玄関に敵がいたら驚いて気を失うんじゃないか?
 そんな事を考えながら玄関付近に到着した俺はミクに問い掛ける。
「んで、なにがあったの?」
 俺の問いを聞いたミクは、郵便受けの方を指差した。
 なるほどね。物音がして怖くなったって事か。いままで家の玄関で物音がした事なんてなかったからな。
 なにか届いたのだろうか。今の時期に母さんの仕送りなんてないはずだしな。
 不思議に思いながらも俺は郵便受けを開き、中を覗く。
 中には見覚えのある段ボール箱が一つだけ入っていた。
 俺はその箱を郵便受けから取り出し、じっくり眺める。
「これってもしかして……」
 ミクは俺が手に持った箱を不思議そうな顔でじっと見つめている。
「これがなにかわからないか?」
 ミクは困惑した表情で一度だけ頷く。
 まあそうだろうな。俺がこの箱を見た時はミクはまだ俺の前に現れてはいなかったんだ。
 どこの伝票も張られていない十五センチメートル四方の薄い段ボール箱。
 俺はミクの好奇心の目に多少怯みながらも、慣れた手つきでその箱のガムテープを剥がし、中に入っている発泡スチロールを取り出した。
 やはりと言うべきか……。そこには一枚の光ディスクが入っていた。

――鏡音リン&レン

 あのときと同じ。見覚えのあるロゴが書かれた光ディスクだった。
 
第5話完

       

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Neetsha