右へ左へ行ったり来たり。ただそれだけを繰り返す振り子の如く、人の心は常に揺れ動く。
ゆらりふらりと、何かの拍子に止まってしまいそうなその危なっかしい運動は、しかし、誰にも止めてやる事は出来ない。
止めてはいけないのだ。
その振り子は、正午の鐘を打ち鳴らすために必死に揺れる。
周りが揺れれば、自分のリズムが崩れる。だがまだ揺れ続ける。
その正午が他の時計と同じで無くとも構わない。ただ、鐘を打ち鳴らしたいのだ。それがどれだけ滑稽で、みじめで、周りから笑われる事であろうと。
揺れる振り子あきらめない。自分を奮い立たせるように揺れる。
時は過ぎ、全ての針がそろって天井を向く瞬間がやってくる。
努力の成果はどうであろうか。振り子はうれしそうに揺れる。
澄んだ冷気を震わせ鐘が鳴る。それは、ある人にとって心地よく、ある人にとっては心地悪い鐘の音だ。
振り子は悲しげに揺れる。
鐘がもう一度鳴る。
振り子は苦悩するように揺れる。
どうしてこううまくいかないのだ。どうして自分は……、と。
鐘が、悲しく三度目の音を暗い部屋に響かす。
四度目の鐘が現実の輪郭をはっきりとさせる。
正午を知らせるはずだった鐘の音が真夜中のあばら家でこだました。
ところで、昔の世界には国、だとか政府だとかというものがあったという。
それはとても不思議で、何の根拠も無しに偉ぶる一部の連中に、その他の大多数の人間が従うというものらしい。
その偉ぶる政府の人間は罪という無根拠な、だが恐怖に値する武器を持ち、絶えず他の連中を脅す。人殺しは殺し、盗人は檻に。
そういった「国」が幾つもこの星の上にあったのだ。
やがてそれらは大きくなり、互いがぶつかり合う程になる。
そこで起こるのが戦いだ。
この点に関しては現代に生きる俺もよく理解できる。人々は自分の物が侵される事をひどく嫌うのだ。たとえそれが地図の上にひいた無根拠な線だったり、家族だったり、財産だったり、それぞれ関係ないように見えるものでも結局は同じだ。人は寂しいから「自分の物」を常に持っていたい。
そして時を重ねる内に、戦いの炎は大きく、より頻繁に起こるようになっていく。
それは国と国との戦争だ。人が多く死に、多くを殺す。殺す理由はみな似たようなものだ。自分が死なないため、だったり、家族や財産を守るためだったり。
全ての人が殺す事をやめれば、戦う理由は消える。なのに、その殺し合いはやまない。
殺し合いを眺めながら金の勘定をするやつらの所為だ。
戦は儲かる。そして尽きない。無尽蔵に金が沸いてくるのだ。
味をしめた一部の人間は戦いの炎に油を注ぐ。炎はさらに大きくなりそして……星を飲み込んだ。
そこに焼け残ったのは何だったんだろう。
俺にはわからない。ただ人々は、国と巨大な社会を捨てた。
焼け残りの世界にも相変わらず争いが存在し、幸せと不幸が混在する。
そんな残りかすの中で、人はただ生きている。
どこかで鐘の音が聞こえた気がした。
寒い、三日月と星が空を彩る夜に響くそれはどこか寂しげで、虚無で、誰かの助けを待っているかの様に聞こえたのは、まごうこと無き俺の妄想だ。
大体雰囲気が悪いのだ。こんな砂漠を一日歩いていれば、柄にも無く厭世的な気分になって空しい妄想を沸かせてしまう。
くだらねぇ。
我ながら本当にくだらなそうに言えたと思う科白を一つその場にくれてやり、愛用の二輪のリアカーを引っ張る。
人力での牽引はかなり一苦労で、特にここみたいな砂漠地帯ではタイヤもうまく回らず、まるで鉄の鎖を巻かれた奴隷のように荷物の重さを直に感じながらの旅となる。
だが、それをしなければ生きていけない。のたれ死ぬか、歩き続けるか。俺のような境遇のガキにはその二択しか与えられない。
それが俺にとってのこの世界だった。
それから数時間歩くと何も無い砂漠の風景は消え去り、代わって大きな壁が俺の視界を覆った。
黒く闇に染まったその壁には男五、六人が横一列になって通れるか通れないか、という小ぶりな門が設けられており、その近くにはその門を管理する門番小屋がある。
小屋の前までリアカーを引っ張り、ランプの明かりが漏れるガラス窓を叩く。そして少々大きめの声で言った。
「夜遅くに悪いと思うのだが、門を開けてもらえないか?」
木枠にしっかりとはまっていないガラスが立てた大きな音に驚いたのか、机に突っ伏していた門番は飛び起き、天井に吊るされたランプにごつんと勢いよく頭をぶつけ絹を裂くような悲鳴を上げた。
その門番は一通り痛がり、悶えた後、
「うわあ! ごめんなさい! また寝てしまいましたぁ!」
ぶつけた頭を抱えながら、大きな瞳に涙を浮かべて言った。
俺はらしくも無くドキリとして、次の瞬間には彼女をまじまじと見ていた。
線の細い、俺よりも頭一つ小さい女の子だ。短めの灰色のスカートからは細い脚が、大きすぎて身の丈に合っていない茶色いダッフルコートの袖からは、白く精緻な手がちょこんとはみ出し、申し訳なさそうに左右の腿に添えられている。
そして顔は、書物の中の写真でしか見たことの無い西洋人形のように美しかった。
眉は筆で書き込まれたかのように細くか弱い印象を与え、涙をためた瞳は大きく、光沢のある黒。それとおそろいの長い黒の髪は、一本一本絹から作られたかのように滑らかに彼女の肩や首を包んでいる。
「あれぇ? 『管理』の方ではありませんね?」
子供のように首を傾げながら彼女は言った。そしてはたと何かに気がつき、
「あっ! 商人の方ですね!」
無邪気な瞳にランプの灯が映っていた。
「ああ、いかにも。ただの道行く行商人だ」
俺は荷物を満載したリアカーを指差しながら言った。
するとなぜか彼女の笑顔は満開になった。
「すごいです! ひさしぶりの商人さんです!」
彼女は机の引き出しから大きな鍵を二つ取り出し、大急ぎで小屋から飛び出てきた。
花の様な笑顔で俺に手を差し出し、
「私、マイです! よろしくです!」
「え……? ああ、よろしく? 俺はゼンだ」
顔の筋肉を引きつらせながらも俺は手を出した。そして彼女はそれを握り、ぶんぶんと縦に振る。
よくわからない子だ。少なくとも、ただの門番なら握手など求めない筈である。
「さっそく門を開けますね!」
マイはそういうとすぐに門へと走り出した。ちょこちょこと動く足は小さく、危なっかしい。
マイが門の前で立ち止まるのを確認すると同時に俺はリアカーを引いた。
横に並ぶとその小ささがいっそうはっきりと強調された。つむじがよく見える。
「う~んっしょ……」
マイは何やら悩ましい声を上げながら、つま先立ちをしている。
その姿はまさしく子供で、俺は少し不安になった。こんなの一人に門の警備を任せている街は、果たしてまともなのか。
「どうしたんだ?」
いつまでもここで足踏みをしている暇はない。できれば宿を探して眠りにつきたいのだ。
マイはつま先立ちの姿勢を維持しつつ、鍵を持った手を上げた。
「と、と」
「と?」
マイは再び悩ましく、うーんとうなり、そして
「と、届きません……」
顎が外れた。かと思うほど唖然とした。
ため息を吐きつつ、鍵を持つ彼女の手を見た。
なるほど。上下に並んだ鍵穴の内、下の方の鍵穴にも手が届いておらず、鍵先と鍵穴が鈴のようにチリンと間抜けに鳴っているだけだった。
「……貸してくれ」
言うが早いか、俺はマイからカギを取り上げた。
二つの鍵は案外と重く、よくマイの華奢な腕で持つことが出来たなと心で呟いた。
まずは下の鍵穴から解錠した。これが思ったよりも堅い。マイのような子供にはまずあけられまい。
続けて、上の鍵を開けた。門がゆっくりと風に押されて開く。
「ありがとう」
特にお世話になった覚えは無いが礼の言い、マイに鍵を渡した。
マイはまた花のような笑顔で、
「どうしたしまして!」
元気に言うのだ。
どうも、こういう子供は苦手だ。
俺は苦笑いで答えつつ、リアカーを引き始めた。
今日は宿でも探して眠りにつくか、それとも酒場にでも行って早速商売でも始めるか、そんなことを思案しつつ、俺は門をくぐった。
どこにでもあるような、発電用の風車がそこら中の屋根の上で音無く回り、ぼろいコンクリートの建物が多く並び、通りに営業を終了した屋台が並ぶ深夜の街だ。
俺はため息を吐き、リアカーを引き始める。
生きるため。いいや、死なないために。