Neetel Inside 文芸新都
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夏、過ぎ去ってから
第八話『怪しい雲行き』

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「――というわけで、めでたく杉林は入部することになったようだ。よかったな、佐藤」
「恥ずかしさの余り逃げ出した俺が言うのもなんだけど、ありがとう。これでやっと……うふふへへ」
 朝、通学路。相も変わらず照りつける日差しは既に日常。唯一の救いはブレザーを着なくていいところか。……佐藤と俺、二人が学校へと歩いている。
 今しがた昨日の経緯を説明し終わり、まずは一息。傍らでは気持ち悪い笑みを浮かべる佐藤が居るが、暗くなるよりはマシだとポジティブ思考。
「話は変わるが、本堂にしちゃ珍しいよな。あれだろ、あんまり気にはしてなかったが、無欠席無遅刻というのは凄いことだと思うんだが」
 そう、今朝に限って本堂は姿を見せなかった。いつもならばお互いの道が最後に重なる場所……T字路にある確認鏡の下で不機嫌そうな顔を浮かべながら待っているのだが。
「昨日は急用があるって言いながら急いで帰ってったけど、それが関係あるんかな」
「さぁなぁ」
 寺息子ということ以外、俺は本堂のプライベートについて知っていない。別段困るというわけでもないので、深くは気にしていないが。だが、それでもいつもと違う、違和感というのは纏わり付くというもので。
 気にすれば気にするほど昨日の急用はなんだったんだとか、色々知りたくなってしまうからここらで考えるのは止めにしておく。
「急用と言えば、三島も昨日は随分と急いで帰っていったな。なんとも慌しいというか何というか」
「三島さんは元気だよなぁ」
「違いないが、あれは元気とは少し違う気がするぞ」
 他愛も無い話を交わしていると、気付けば校門前。少し早めのこの時間でも、ぽつぽつと登校している生徒の姿が確認できる。その中に一人、見知った顔……そう、我らがお嬢様杉林心の姿があった。
 向こうはこちらに気付いていないのか、はたまたこちらを覚えていないのか。目の前を通ったにもかかわらず、挨拶の一つも無い。隣の佐藤はと言うと、なるほど、見ているだけで十分といった顔だ。
 ……しかし、お互いが知っているはずなのに挨拶を交わさないというのは癪に障るものがある。――と、ここまで思っておいて気付く。俺ってこんな熱いキャラだったっけ、と。
「おはよう、杉林さん」
「……武田智和さん。おはようございます」
 気付けば俺は話しかけており、向こうも俺の事を忘れているというわけではなかったようだ。この際、フルネームで呼ばれたことは無視しておこう。
「お、おは、おはようございます! 杉林さん!!」
 つられて佐藤も暑苦しい挨拶を吐き出す。確かに、またともないチャンス。ここで話しかけねばいつ話しかけるといった具合だったし。
「あ……その、おはようございます。名前は――」
「佐藤啓太です! 以後お見知りおきを!」
「はい、佐藤さん」
 名前を知られていなかったという事実をものともせず、恋の超特急はひたすら突き進む。わたわたした動きはなんとも傍から見て滑稽なものに映るだろう。俺がそう思ってるだけなんだが。
 多少押され気味だった杉林も、なんというか大人な反応。この年になったら気にしないが、やはり一年というのは大きな差らしい。彼女を見ているとつくづくそう思う。
「で、杉林さん。昨日話したとおり、裁縫部を作ることになってるんだけど、その部長が佐藤なんだ」
「そうなんですか。……佐藤さん、お誘い頂きありがとうございます」
「いやぁ、気にしないでください。俺も裁縫が好きなんですよー」
 どの口がそんなことを。明らかにお前は体育系だろうというツッコミが喉まで出かけた辺りで、慌てて飲み込む。
 ……何してんだろ、俺。これじゃキューピットと言われても否定できない。
 挨拶も大概にし、教室へ向かう。なんて言っても外は暑い。朝特有の涼しげな空気はどこへ行ったのか、まるで清々しいという気分にしてくれない外には嫌気が差す。


『怪しい雲行き』


 後ろでは佐藤と杉林が会話に花を咲かせており、さすがの俺でもそれに割り込むなんてのは野暮なことだとわかっていた。
 気持ち足早にし、一足先に教室に向かい、ガラッ、といつもと変わらない音を出す扉を開け、教室に入る。
「おは」
「おっおっ、武田君だお。おはようなんだお」
 教室を見れば、まだ生徒の数はまばらで空席が目立つ。その中で一人、内藤が真っ先に挨拶を返してきた。何を思うでもなし、そちらに向かう。
「それにしても内藤、お前早いんだな。これでも結構早めに来ているつもりなんだが」
「僕はお弁当組だから、早く起きてお弁当を作らなきゃいけないんだお」
「すげぇな、自分で作ってるのか。母親は作ってくれないのか?」
「親が作るよりも自分で作った方が美味しいんだお……」
 同情。てっきり母親は他界していますなんてしみったれた話になるかと思いきや、なんてことはない。食事に関しては恵まれていないらしい。
 食事と言えば俺もそうだな。最近は手軽に済ませれるものしか作っていない。結局同じものになりがちで、さすがに飽きが来るという。
「そういえば、武田君は一人暮らししてるんだお?」
「あぁ。……忠告しておくが、一人暮らしなんて学生の時分するもんじゃないぞ。どう考えても家事と学業は両立できない」
「き、肝に銘じておくお」
 この年代、親の束縛から逃れて一人暮らしをしたいという願いは少なからず思う者が居るはず。しかし憧れること無かれ、その実態は兎にも角にも味気ない生活のみ。
 空から女の子が降ってくるわけでもなく、女の子を偶然拾うわけでもなく、ひょんなことから女の子と同棲し始めるわけでもなく。まぁなんだ、俺も結構飢えていたということが判明した。
 会話が一段落し、俺は鞄の中身を自分の机に詰め込む。そのまましばらくぼーっとしていると、この学校一と言ってもいいだろう、うるさいのが扉を勢いよく開けた。
「おはよーう!」
「あー、早紀ちゃんおはよーう!」
「おはー」
 なんとも、この世は摩訶不思議。三島のような手に負えない奴でも、挨拶を返してくれる人間は俺より多い。……俺より多い、ここがポイントだ。ここで俺が挨拶をすると、その差は三倍。
 正直負けた気がすることはやりたくない。だがしかし、挨拶はちゃんとするものだ。ここで俺が挨拶をしなかった場合、誰が咎めなくとも俺が自己嫌悪に陥ってしまう。
「おはよう」
「あっ、武田君いつも早いね。おは」
 結果、挨拶をしてしまう。我ながらとても子供地味たことを考えていると思うのだが、中々どうして釈然としない。境界期特有の不安定な心理状態、そう言い訳することにした。
 先程の俺のように、三島はこちらへ歩いてきた。
「昨日は急いで帰ったみたいだが、なにかあったのか?」
「んー」
 気を取り直して一つの疑問をぶつける。なんだかんだで、昨日の三島はおかしいっちゃおかしかったのだ。あれほど杉林を勧誘したがっていたのに、成功の報告をするもその反応は薄かった。
 どうでもいいことだとは自分でも思うのだが、しっくりこないのは好きじゃない。こういうのも一種の自己中心的に当てはまるのだろうと思いつつも、聞かずにはいられなかったということで。
「いやね、ちょっと裁縫部の顧問にお願いしに行こうと思って、それで急いで家に帰ったのよ」
「それまた何故家に」
「ほら、お父さんが校長じゃない? だから、家に教諭の連絡先があるのよ」
 そういえばコイツの父親はこの学校の校長だったっけ。……ううむ、娘が同じ学校に来てもいいのだろうか。こういう些細な疑問はもやもやする。しかも微妙に答えになってない。
「それはわかったけど、目星はつけてあるとかいう教師はもう学校に居なかったってわけなのか?」
「うーん」
 三島は腕組みをし、眼鏡を光らせながら真面目な顔で唸る。……このタイミングで何故悩む。一言頼むだけなのに、そこまで大変なことなんだろうか。
「なんだよ、なんか不都合でもあったのか」
「……実はね、顧問になってもらおうと思ってる先生なんだけど」
「煮え切らないな。なんなんだ」
「最近、学校に来てないの。他の先生はもう受け持ちの部活があるから、その先生にしか頼めないんだけど……」
 教師が登校拒否とは、なんか新しいな。
「それで家に帰って連絡しようとしたわけなんだな」
「うん。でも、予想通りというか、電話にでなくって」
「なるほど……なにやら面倒なことがまた一つ増えた気がする……」
 俺と三島、二人してどうするか悩んでいると、
「おっはよーう!」
 と、もやもやした空気を消し去るように陽気な挨拶が教室に響く。どこの馬鹿かと視線を向ければ、そこには佐藤。今にもスキップしそうなくらいに機嫌の良さそうな彼は、あぁ、うざったい。
 こちらに向かってきた。
「よっす、武田! 今日はいい朝だな!」
「さっきまで一緒に暗い空気で登校してきた奴が何を言う」
「――おはようございます」
「っとと、杉林さんもいたのか」
 いつの間に……というわけではないか。杉林は佐藤と並ぶように教室へ向かっていたはずなのだから。……それを考えれば、佐藤のうざったらしいテンションにも納得がいく。それほどまでに杉林とのマンツーマントークは楽しかったと、そう訴えたいのだな。
 取り残されている俺と三島を他所に、佐藤と杉林はそれはもう楽しそうに会話している。見れば杉林は笑っており、そのとき初めて彼女の笑った顔を見たのだと思い知らされる。
 ……なんとなく頭にきたので、俺は俺で三島と会話しよう。それはもう楽しそうに会話してやる……と行きたいところなのだが、それよりも大きな問題にぶち当たっていることを思い出し、明るい空気には出来そうにない。
「そもそもなんでこんな必死になって裁縫部を作らなければならないんだ。必死になるのは佐藤だけでいいはずだ」
「まあまあ。武田君だって、家に帰ってもすることないんでしょ? なら、この青い春を楽しむためにも部活に入った方が良いって!」
 とても失礼なことを三島がぬかしやがった。
 いや、間違ってはいない。帰ったって少しばかりの家事をやるだけだし。パソコンもゲームも持ってないから、遊びもないし。テレビも観ないし。本も読まない。三島の言ったことは確かに正しい。
 だがしかしそれでも、俺のプライベートを知らない人間に“君つまらない人間だよね”的なことを言われたら、そりゃあ否定したくなるだろう。
「お、俺だって帰ったらすることぐらいあるさ」
「へー。なになに、何してんの?」
「……な、ないしょだ」
 三島が疑惑の視線を投げかける。……やめろ、そんな目で見るな。
「ま、まあこの話題は置いとくとしよう。つまりはその、なんだ、その教師を学校に引っ張り出せばいいわけなんだよな」
「そうだねー、それがベストだと思う。で、具体的に武田クンはどうしたらいいと思う?」
「そりゃあ電話にも出ないのなら、直接行くしかないだろう」
 今時手紙なんて、学生カップルでも使わない。と、手紙で思い出したけど、その教師は携帯を持ってないんだろうか。
「持ってないってさ」
 撃沈。どうやら俺の目論見は外れてしまったようだ。
「じゃあ今日の帰り、その教師の家にでも寄ってくか? つーか、それしかないし」
「だよねえ……じゃあ、それも武田クンに任せようかな!」
「マジかよ」
 ……おかしいな。俺ってば少し前まで窓際族の筆頭だったはずなのに、なんでこんなことになってるのだろう。急に動き回ろうとしている自分を客観視してしまい、そんなことを考えてしまう。
 まあいいや。確かに面倒だけど、あまり嫌な気分じゃない。
「まあまあ、後で住所とか教えるからさ。いやあ、武田クンは頼りになるなあ」
「さいですか」
 小休止。今日の行動が決まってしまったところで、沈黙が訪れる。
 と、気付けば教室は騒がしかった。生徒の大体が登校し終わり、朝の会話に花を咲かしているピーク。もうそんなに時間が経っていたのかと時計を見れば、なるほど、それなりの時間だった。
「おっ、そろそろ先生が来るおっおっ」
 内藤がそんなことを言いながら教室に入ってきた。いつの間に外に出たのか、そんなことを考えているうちに周りでは椅子の引き摺る音。三島や杉林、佐藤も例外ではなく、各々の席へ戻っていった。
 ……ふと気付く。結局、本道は姿を現さなかったのだと。





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