Neetel Inside 文芸新都
表紙

日本★分裂
第一章

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第一話 瓦斯
2008/01/10 東シナ海
冬の海に、巨大な鉄骨の櫓がそびえ立っている。
海底に眠る化石燃料を求め、この海域ではさかんに開発が進められている。しかし、国境線に近いという性質上、ここを巡り政治的な駆け引きが盛んに行われてきた。
今この海域に、大きな変化が起ころうとしている。

福岡 西日本管区通商産業庁
会見室に多数の記者達が集っている。彼らの目的は、間もなく始まる通産庁長官の臨時会見である。
「永澤長官が臨場されます。」
司会の一言で、ざわついていた室内が静まり返る。ドアが開き、背の高い痩せた男が入ってきた。カメラのフラッシュが連続し、テレビカメラのレンズが永澤を追う。
永澤は、演台に原稿を置くと胸ポケットから眼鏡を取り出し、それをかけた。
フラッシュが途切れ、記者たちの目つきが真剣になる。
「どうも、通産庁長官の永澤俊雄です。え、本日お集まりいただいたのは、現在我々が抱える外交問題の一つである、東シナ海の油ガス田開発についてであります。」
長官が原稿に目を向ける。時々フラッシュを焚く音が聞こえる以外は、無音である。
「この海域はご存知の通り、最近中華人民共和国による開発が行われております。本国に関しましても経済水域内での開発を打診しておりましたが、境界線等の諸問題により中国との調整がつかず、着手出来ないままでありました。」
永澤が小さく息をつく。相変わらず記者たちは沈黙している。
「え、ここからが本題ですが。本日、中国政府から、我々西管区政府と共同開発という形で、この海域の開発を進めたいという旨で公式に通達がありました。」
永澤が原稿から顔を上げる。記者達がざわつきはじめる。
「以上です。何か、質問等は?」
永澤の問い掛けに、記者たちは一斉に手を挙げた。
「西日本新聞の新川が質問させていただきます。管区政府は今の所、中国に対してどのような返答をされているのでしょうか。」
「え、判断には時間を要すると思われ、返答を保留としております。今後は内閣とじっくり審議を行っていくつもりであります。」
「九州新聞の植木が質問させていただきます。先程、西管区政府と中国で、という言葉がありましたけれども、これは統一政府、また他の管区に同じ通達は来ていないと捉えてよろしいでしょうか。また、一地方政府である管区政府が独自でこのような国家間での共同事業を行っていくというのは、統一政府樹立後としては前例が無いように感じますが、これは日本という国の事業として、統一政府に委ねられるのか、それとも管区政府独自で取り組まれるのか、ご回答いただきたく思います。」
「え、中国政府からは、西管区政府と、という形で通達が来ております。ですので、これは西管区政府独自の事業として進めていく方向です。一地方政府だからといって、諸外国との共同事業をやるべきでないという根拠がどこにありますか?」
記者達が再び静まり返る。永澤はかけていた眼鏡を外しケースに収めた。
「以上で、会見を終了させていただきます。」
永澤が原稿を手にとり会見室を去った。それに続き記者達も慌ただしく出ていった。

札幌 大統領府
西管区の動きを受け、北管区も行動を始めた。小会議室には、塩谷大統領をはじめとして補佐官、首相、外務大臣らが集合している。
「上谷君、これはおおかた想定していた通りの動きではないか。」
塩谷の呼びかけに、補佐官が答える。
「ええ、まだはっきりと分かっている訳ではありませんが、恐らく全く想定通りの動きをするものと思われます。」
「海部君、例の法案の根回しはできているか?」
首相が背筋を伸ばして答える。
「大丈夫です。管区議会の召集準備もできています。」
「楠君、統一議会の召集準備を。中管には私が直接話をつける。」
「了解しました。」
塩谷に続き、全員が席を立つ。
居室に着いた塩谷は、机の上の電話から受話器を取り上げた。

東京 中管区首相官邸
机の上で電話がけたたましく鳴る。竹上首相は読んでいた資料を置き、受話器をとった。
「お久しぶりです。竹上さん。」
乾いた声が聞こえてくる。
「どうかされましたか大統領。」
「はは、西の話題に決まっているでしょう。」
「だと思いましたよ。我々のすべきことは決まっています。」
「では、早急に統一議会召集を。」
「了解しました。今すぐに議長に連絡をとりましょう。」

福岡 博多駅
数え切れない程の人が行き交うコンコースで、号外の新聞が配られている。人々は興味津々にそれを手に取り、歩いていく。どの新聞社も同じような内容である。
「中国政府、西管区とのガス田共同開発を打診」
どこも、それ以上のことは書いていない。それだけが公表された事実だったからである。
その裏側で起きている大きな変化は、まだ日の目を見ていない。

     

第二話 利権
2008/01/13 京都 統一議会
碁盤のように区画整理が為された市街地の北の端に、ガラス張りの巨大な直方体がそびえ立つ。
統一政府樹立と同時に、その中核を占める組織として建設された統一議会議事堂である。
この日は臨時召集がかけられ、各管区を代表する議員たちがこの建物に集結していた。
百人を超える議員のほとんどが集まった議場には、いつになく緊張感が漂う。
議長が臨場し、全ての議員が起立、議場中央に正対する。
君が代が流れ、議場中央に日の丸が昇る。多くの議員は右手を胸に添え、一部の制服姿の議員たちは挙手の敬礼を行う。
この議員たちは、各管区を代表する議員ではあるが、国民から選出された者ではない。
統一議会はいわば各管区政府の話し合いの場であるため、管区政府によって選出された人間が議員を務める。よって、全ての議員が各官公庁や地方自治体からの出向である。当然その中には制服を着た軍人も含まれているのである。
君が代が終わると、議員たちは一斉に着席した。
「只今より、臨時総会を行います。召集者、中日本管区内閣府首相補佐官後藤徳次議員は前へ。」
恰幅のいい、スキンヘッドの男が議席を立った。大きな身体を揺らすように歩き、日の丸に対し頭を下げてから、演台への段を登る。手にしていた原稿を置くと、置いてあった水を一口飲んでからはっきりとした声で喋り始めた。
「中日本管区代表、後藤徳次議員が演説させていただきます。昨今、マスメディアは例のガス田開発問題のことで持ち切りであります。これまで我が国が主張してきた、いわゆる日中中間線に程近いために、現在まで開発に着手することができませんでしたが、今回中国が我々に手を差し出したということで、このような大きな騒ぎになっている訳です。しかし、その対象は西日本管区政府のみです。そもそもこのガス田問題は、西日本管区のみではなく、日本という国自体が抱える国際問題であります。統一政府の、資源エネルギー委員会において最も重要とされている課題であります。つまりは、一管区政府のみでどうこうする問題ではないのです。中国がどういう意図でこのような通達を出したのかは明らかではありませんが、今回の件は西日本管区ではなく統一政府として共同開発に臨むのが適当と考えます。」
後藤が語り終えると同時に拍手が湧く。拍手が止み、議長が口を開いた。
「質問、意見等あるもの」
西日本管区の席から手が挙がる。
「西日本管区通商産業庁事務次官大園馨議員。」
大きめの眼鏡をかけた長身の男が、演台へ向かう。
「そもそも東シナ海ガス田問題の進展は、長年にわたる我々西日本管区政府の外交努力の結晶であります。地道な交渉を重ね、ようやく手にしたものを、あなたがたは統一政府の名の下で掠め取ろうとしている。利権に目が眩んだとしか思えない行動であります。もし今回、そのようなことが決議されるのなら、それは全く馬鹿馬鹿しいことであり、統一政府と我々の間に存在する溝をより一層深める結果にしかなり得ません。」
議場は相変わらずヤジ一つなく静まり返っている。何を言ったところで変わらない、というような諦めた雰囲気さえ漂っている。
「それでは決議は15日に行います。解散。」

     

第三話 操作
2008/01/14 北京
「荒尾君、君らの国の人間は、相変わらずだな。日の昇る国の頃のままだ。」
円卓の上座に座る男が、冗談めかして言う。
「はは、胡主席、それはどういう意味ですか?」
日本語訛りの北京語で、荒尾が聞いた。
「つまりは、傲慢だ。自分が何者なのかさっぱりわかってはいない。」
そう言うと、胡は北京ダッグを口に運んだ。
「荒尾君、ヒトラーの予言を知っとるか?」
不意を突かれたような表情になる。
「いえ、詳しくは…」
「彼は、人類には50年ごとに大きな転機が訪れると言った。1889年からの50年は帝国主義が蔓延り、1939年からの50年は知っての通り資本主義と社会主義が世界を二分した。」
「ええ…」
「1989年からは?とにかくだ、言えることは、既に我々は、今までのような枠に従う必要は無いんだよ。折しも、我々は今、発展途上だ。これからの世界は、二強ではない、いくつものパワーが、鎬を削りつつ共存する時代だ。我々の民族も、その一つとなる。」
興奮しながらまくし立てた後、落ち着いて喋り出す。
「我々は、以前のようにロシアの犬となる気は全く無い。かと言って、米と手を組むつもりもない。」
荒尾と胡が顔を見合わせる。
「それで、我々と…」
「というより、君らの宗主とだ。君らは言わば、この東亜における橋頭堡だよ。」
そう言うと、胡主席は大きな声で笑い始めた。荒尾は微笑むのみである。
「主席、確かヒトラーは、1989年からの50年は、世界全体で二分化が進むという予言を残したと聞いております。主席は、二分化とは一体、どのような事だと考えますか?」
立ち上がっていた胡主席が、荒尾を見下ろして言う。
「支配者と、被支配者だ。」

長崎
朝五時、港を見下ろす住宅街の一軒に明かりがつく。
「もう出るん?」
寝間着を着たままの女が、目を擦りながら言う。
「うん。」
男が制服に着替えながら言う。
「また長いん?」
「今度はだいぶ長くなりそうやね。」
「そうなん…」
黒いコートの肩章には、金色の太いラインが三本入っている。
「新しい船やけん、性能が良くなって長い距離走るんよ。」
「ふうん…」
白い制帽を手に取ると、男はそれを被りながら革靴を履いた。
「じゃあ、行くわ。」
男がドアを開け外に出ると、同じ制服を着た男が車を用意して待っていた。
「古賀二佐、どうぞ。」
プジョーの助手席のドアを開ける男の肩には、太い線と細い線が一本ずつ並んでいる。
「浮羽二尉か。サンキュー。」
古賀は妻に軽く手を振ると、プジョーに乗り込んで港へと降りていった。

     

第四話 示唆
2008/01/15 長崎
造船所の巨大な工場の中に、軍用トラックと真っ白な観光バスが数台ずつ入っていく。工場の中に並べて停められたバスからは、200人程度の人間が降りてきた。
「それにしても巨大な建物ですねぇ…」
詰め襟のホックを気にしながら、浮羽二尉が感嘆の声をあげる。
「そりゃあ、艦二つをまるまるすっぽりと覆うほどの建物だからな。」
制帽を被り直しながら古賀二佐が言う。目の前のドックには海水が満たされ、二隻の異なる艦が係留されている。
「しかしまあ、進水式も命名式もしてもらえずに就役とは、これまた不幸な艦だな。」
しみじみと艦を見つめる古賀に、同じ階級章の男が近づいてくる。
「古賀こがコガコガコガコガコガコ…」
「何やお前か岩尾。相変わらず騒がしい奴やね。」
古賀の冷たい言葉に、岩尾二佐も無表情で答える。
「何やお前かとは何ね、失礼な。今日から夫婦イルカとして仲睦まじう暮らす関係やろうもん。少しくらい親しみを持たんね。」
「お前の言う親しみというのがいまいちわからん。わかりたくもないけど。」
「ばってん、うちの艦の護衛はしっかり頼むばい。うちん方のクジラちゃんは図体でかいでのろまやけん。あんたん方がしっかりせんと困るとよ。」
「大丈夫よ。俺んとこに任しとき。魚雷でもSSMでも撃っちゃるけ。お前んとこの危ない積み荷を日本の海にばらまく訳にはいかんけね。」
二人は拳を突き合わせ、それぞれの艦の前に立った。クルー達は整列し、艦長に注目している。
「本日より君らは潜水艦「鮫龍」のクルーとして、私、古賀渡二等海佐の指揮下へ入ることとなる。この艦は、隣にいる「白鯨」と共に、この国の防衛の要となることは間違いない。自分が乗っているのはそういう艦なのだという自覚を持ち、勤務してほしい。乗艦。」

京都 統一議会
議事堂には、既にたくさんの議員達が着席している。ただし、左翼側の1/3が未だに空席となっている。西日本管区の議席である。
「決議に欠席、か。」
後藤議員がため息交じりに言う。
「これは、ただ反対の意を示しているだけではなさそうですね。」
隣の林議員が言う。彼は東京都の副知事である。
「不吉ですな。この様子だと我々も近々忙しくなりそうです。」
後ろに座る、制服姿の男も会話に入ってきた。中日本管区自衛軍の統幕副長、稲本海将である。
「一同気をつけ。」
放送と共に、全ての議員が起立し、議長が臨場する。国旗が掲揚され、総会が始まる。
「本日は、資源エネルギー開発法の改正案の決議を行う。その主な内容は、日本国領域内における資源開発を管区主導ではなく統一政府主導とし、それによる利益は統一政府として公平に分割するというものである。」

博多 西日本管区政府
「総理、資源エネルギー法が可決されたようです。」
総理大臣室に、秘書が駆け込んでくる。
「そうか。ご苦労。」
荒尾は秘書のほうを一瞥すると、机の上に並んでいる数台の電話から、一つの受話器を取った。少しの呼び出し音の後、聞き慣れた声が聞こえてくる。
「やあ、どうした。」
「胡主席、お世話になっております。九州国首相、荒尾です。」

     

第五話 阻止
分割統治開始後すぐ発布、施行された日本国憲法には、下のような内容が盛り込まれている。
いずれかの管区政府が、統一政府の指揮下を離れ独立、またはそれに準ずる行動に移った場合、当該管区政府の統治権は停止され、他の管区政府はいかなる手段をもってしてもその行動を制止する。
つまり、独立でもしようものなら他管区の自衛隊が治安維持という名目で進駐を開始する、ということである。
国土を戦火に巻き込むという行為の重大さと、勝ち目の無い戦争を恐れ、今まで独立を試みた管区政府は一つも無い。
ただし、今の西日本だけは違う。彼らには、独立戦争に勝てる「根拠」が存在していた。

2008/01/17 福岡 天神
買い物客達が、次々とデパートのオーロラビジョンに目を留める。首相官邸の会見室が映し出された画面の端には「中継 荒尾首相緊急会見」というテロップが表示されている。この数日で急激に変化してきた政情は、全国民の興味を引いている。

佐世保 西管区海上自衛隊揚陸指揮艦「阿蘇」
一万トンを超す巨大な艦が、タグボートに曳かれ岸壁を離れる。この艦は、有事の際に動く艦隊司令部として活用するべくつい最近建造された艦であり、ステルス性を考慮した独特のシルエットを持つ。この日は自衛艦隊臨時司令部として、初めて自衛艦隊司令を乗せての出港である。この艦を中心とした旅団に属する駆逐艦四隻は、既に港外で待機している。

福岡 首相官邸
無数のフラッシュに囲まれながら、荒尾首相が会見室へ入る。演台に着いてもなお止まぬそのフラッシュを、荒尾はジェスチャーで制止する。
「さて、お待たせしました。」
荒尾の一言で、室内は完全に静寂に包まれた。
「現在問題となっております、東シナ海の油田問題でありますが、今回、我々に対し中国から共同開発の提案があったことは、我々西日本管区が長きにわたり独自の外交努力を重ねてきた結果に外ならないことは明確であります。それを、統一政府は国家プロジェクトという言葉のもとで強行的に略奪し、利益を分割するという、我々の努力を堂々と踏みにじるかのような決議を行いました。よって、我々は決議に出席しないという方法を以て、統一政府への不服従を示しました。」
時々焚かれるフラッシュ以外、音を立てるものは一切無い。

北九州 関門国道トンネル
料金所のランプが青から赤に変わり、遮断機が閉まる。
二車線しかない狭いトンネルには、既に車は一台もいなくなった。そしてその入口を、数台の車両と武装した人間が囲んでいる。
小倉駐屯地から来た、西管区陸上自衛隊第三師団である。
中央にどしりと構えるルクレール戦車にカメラを向ける観光客もいる。平日の観光地は、予想外のイベントで騒然としていた。

福岡 首相官邸
この記者会見で何が行われるのか、わからない者はいない。先程から首相は演説を続けているが、その内容は統一政府の批判と戦後時代のまとめのような話である。その話も、ようやく終わりが見えてきた。カメラマン達が、思い立ったようにカメラを手に持ち始める。そして、荒尾が顔を上げた。
「本日、一月十七日付けで、我々西日本管区は、統一政府の指揮下を離れ、九州国という一つの主権国家として独立することを、ここに宣言いたします。」
会見室にどよめきが起き、一斉にフラッシュが焚かれる。荒尾は静かに、会見室を出ていった。

京都 統一議会
議長室に電話のベルが鳴る。議長がその受話器を取った。
「はい。…はい、了解。」
受話器を取ったまま電話を切ると、いくつも並んでいるボタンのうちの一つを押した。呼び出し音はすぐに止んだ。
「統一議会議長である。憲法に則り、自衛隊の出動を要請する。」

     

第六話 進撃
2008/01/17 浦賀水道航路
タンカーや自動車運搬船に混じり、一隻の軍艦が太平洋に向けて進んでいる。
中管区の海上自衛隊が保有する唯一の空母「赤城」である。
冷戦中の1980年に就役したこの通常動力型空母は、海上自衛隊の数少ない打撃力の一つとして、30年近く自衛艦隊の旗艦として君臨している。規模は米海軍空母キティホークが一回り小さくなった程度であるが、搭載される戦闘攻撃機F/A-18スーパーホーネットの戦闘力に大差は無い。
共に赤城旅団を形成する駆逐艦四隻は、既に湾外に待機している。

大湊
冬の陸奥湾に、多数の艦船が浮かぶ。
北管区の自衛艦隊も、既に九州へ向けて出撃準備中である。
空母「大鵬」の甲板上にはSu-33シーフランカーが所狭しと並べられ、強襲揚陸艦「神威」の中には、車両を搭載したエアクッション艇が詰め込まれていく。

北九州空港
「札幌新千歳行きスターフライヤー121便は、間もなく搭乗手続きを締め切らせて…」
独立宣言が出されてから、空港や鉄道は未曾有の大混雑に陥っていた。いつ行き来が出来なくなるかもわからない状況を恐れ、ビジネスマンを中心とした多数の人間が帰宅のために殺到したのが原因である。
混雑を窮めるターミナルビルに、男が駆け込んでくる。二階の出発ロビーに収まりきらず、入口にまで及んでいる人込みを掻き分けながら、手荷物検査場の入口を突っ切り、搭乗口へ駆ける。
「121便は!?」
搭乗口にいたCAに、息を切らしながら男が聞く。
「申し訳ございませんが、ただいま出発いたしました。」
CAが不可解そうに男を見る。後ろから、警備員が必死の形相で追いかけてくる。男はスーツの内ポケットから手帳を取り出して広げて見せた。
「警務隊だ。いきなり申し訳なかった。」
「はっ、お疲れ様です。」
今にも襲い掛からんばかりだった警備員が、姿勢を正して敬礼をする。男は答礼すると、携帯電話を取り出して電話をかけた。
「東雲だ。奴を逃がした。」
窓の向こうで、黒いエアバスが離陸していく。

福岡 九州軍統合司令部
普段は使われず、知られざる存在と化しているこの地下深くの司令部が、多くの人間で賑わう。
その中の大会議室に、政府要人が集結している。首相、各省庁長官、統合幕僚長に陸海空幕僚長である。
「森大将、仏軍に動きは?」
首相の声は、興奮のせいか弾んでいる。
「はい、警備体制を強めた程度で問題ありません」
対象的に、幕僚長たちは強張っている。
「よし、それでいい。正しい。防御体制は万全か?」
「海上自衛隊、いや、海軍は既に自衛艦隊が行動を開始、潜水艦隊は配置につき、地方隊は防衛出動の準備が完了しています。陸軍は主要警戒区域に展開を開始しています。空軍は全機がアラート体制に移行中、高射部隊の展開も開始しました。」
スクリーンの地図には国土に展開している部隊が詳細に表示されている。
「五木長官、全空港には、すぐに利用規制がかけられるようにしておけ。作戦空域に民間機がいてはたまらん。」
運輸庁長官は黙って頷いた。現段階では、道路以外の交通機関には規制は無い。
「山本大将、あれは今どこだろうか。」
海幕長は手持ちの書類をめくりはじめる。
「行動計画では、現在種子島沖を訓練航行中。これから深々度で北上します。古賀中佐、岩尾中佐ともに信頼のおける士官であります。機械トラブルさえ無ければ計画どおりに行動できるでしょう。」
「そうか。頼りがいがありそうだな。」

種子島沖公海 潜水艦「鮫龍」
「メインタンクブロー、仰角最大、機関全速。」
巨大な鉄塊が、身をよじりながら水面を目指す。
「900…800…」
縮んでいた船体が軋み、大きな音を立てる。
「訓練弾装填確認」
「訓練弾装填よーし」
「1、2番管開放」
八つ並んだ発射管のうち二つが口を開ける。
「開放よーし」
「魚雷有効深度」
「ぅてーッ!!」
二本の魚雷が管から泳ぎ出る。二本は水面へ向かってまっすぐに進む。
「間もなく海面。100…50…0」
小刻みな揺れが消え、船がゆっくりと下を向く。船首が海面を砕き、鯨のような巨体が海面に姿を表した。
「まだ遅い。」
古賀が呟くように言う。
「こんな練度じゃ列強諸国の原潜には勝てんぞ。反復演練だ。魚雷を回収したのち潜航訓練にうつる。」
古賀の声が艦内放送で響き渡る。作業服姿の隊員達は慌ただしく動き回っている。

フランス 対外治安総局DGSE
「長官、"鯨"が、動き始めたようだな。」
大統領の声が、電話口から聞こえる。
「ええ、"勝利"も間もなく太平洋に到達します。」
落ち着いた様子で、長官が答える。
「隠密に頼むぞ。」
「ええ。祖国の栄光のために。」
そう言って、長官は受話器を置いた。

     

第七話 会敵
1988年春 佐世保 海軍士官学校
「出発前のお気持ちはいかがかな、岩尾学生。」
寝室の窓から見える佐世保港に目を奪われていた岩尾は、その声で我に返った。
「あ、古賀ね。いやぁ、俺みたいなんが派遣学生でフランス行って良かっちゃろうかと思ってさ。」
「何や、今更自信無いこと言ってから。お前、この海軍士官学校の代表として選ばれたんやろ。そんな気持ちでどうするん。」
岩尾の肩に古賀が手を置く。
「お前があっち行って、しっかり勉強してくれんと、将来の俺が困るんよ。」
「は?」
「俺はこの国、日本を、もう一度一つにしたい。そのためには、俺らが頑張らんといけんのよ。やけん、お前もしっかり勉強せんと。」
「…おう。」

2008/01/18 種子島沖公海
「…とか言いよった二人が、今は独立戦争の最前線に立っとるんやね。皮肉やね。」
艦長室のデスクで、岩尾が写真を眺めながら呟く。海軍士官学校の卒業式で撮った写真である。
「通信士沼田二曹入ります。」
「おう。」
淡い青色の作業服が入ってくる。彼は岩尾に敬礼をして続けた。
「定時伝達の報告に参りました。」
「はい。」
「搭載弾の照準変更命令はありません。このまま計画通り北上し待機。以上です。」
「了解。」
「帰ります。」
海曹は再び敬礼をすると部屋を出た。

大分 姫島レーダーサイト
「岩国基地より敵機、六機編隊。」
「DCよりスクランブル発令。」
暗い部屋の中で、紺の制服が慌ただしく動く。レーダーのスクリーンでは、六つの点が移動している。

福岡 築城航空基地
二機のミラージュにGスーツを着た男が飛び込む。素早くエンジンを始動すると、二機は隊列を組んで誘導路へ進入する。そして、轟音を立てて飛び立った。

室戸岬沖 空母「赤城」
小振りな空母の甲板で、戦闘機が発射準備を進める。ステルス化されて角ばったブリッジからこの様子を眺めるのは、第一護衛群司令の永瀬毅海将補である。
「E2Cから連絡は?」
「築城にはスクランブルが発令されたようですが、新田原に動きはありません。」
通信長が答える。
「了解。作戦に変更は無し。第一攻撃隊は低空飛行を以て新田原飛行場を攻撃し、その機能を停止せよ。なお、敵機の迎撃が予想されるが、全機は任務遂行に集中し、完了したならば速やかに撤退すること。」

北海道 札幌駅構内
スーツ姿の男が改札を出てくる。手には重厚なスーツケースを持ち、ひとごみの中を足速に歩いていく。
「すいません。」
後ろから若い女性の声がする。
「はい、何か?」
男は足を止めて振り返った。
「靴紐、解けてますよ。」
「あ。」
気付かなかったというふうに、男が目線を落とす。次の瞬間、男の首元に鈍痛が走り、思わずスーツケースを離してしまった。
「死ね、公僕。」
女の声の後に銃声が響き、男の意識はそこで消えてしまった。
通行人がパニックになる中、スーツケースを持った女はひとごみの中へ隠れていった。

福岡 九州国軍憲兵隊本部
「部長、大変申し訳ありませんでした。」
部長室で、男が必死に頭を下げる。
「申し訳ありません、じゃあ、済まんよ東雲君。君はみすみす、国家機密が国外へ持ち出されるのを逃がした訳だからね。」
「はい…」
「と、言いたいところなんだが、君に重大なお知らせ。」
部長が紙を差し出す。
「ターゲットが札幌駅で殺害された。お荷物は持ち去られて行方不明。心当たりは?」
「ありませんが…」
「なんだ。君が苦し紛れに鉄砲玉でも雇ったのかと。」
「誰なんでしょう、犯人は。」
「さあね、わからんが、あの情報が欲しい誰かか、情報が渡ることを阻止したかった誰かだろうよ。」

九州上空 警戒管制機E300J
「ホーク1、間もなく会敵。」
「敵機に撤退の兆候は無し。増援を要請する。」
空飛ぶレーダーサイトの異名を持つ機から、各方面へ続々と情報が発信される。すでに、六機の戦闘機が国境空域へ侵入しかけている。
「ホーク1、警戒行動に移ります。」
ミラージュから無線が入り、機内の雰囲気が緊迫する。
第一の衝突が始まった。

       

表紙

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