《ええい、その身を開けガラスドアめ! さぁ突き進め我が身よ、友の待つさんリビングダイニングキッチンへと! さぁ猛り進め我が精神よ、その身に宿る探究心を寿命として、尽きてなお進むがいい! むむっ、こは何事!? ノブが回らんではないか!? 建築士め、その名を汚す所業を犯しおって! ……ははぁ、この目に映る保護膜に守られたレンズ、このサイズは指の為に作られたものに違いない。手袋に涼を求めはしまい、ここに指を置けというのだな? それ、乗せてやるとも、存分に私の潔癖を目の当たりにするがいい。……まっこと遺憾である! ですあぐりーめんととはこれ如何に!? ええい、この胸が痛む! 控えろ半導体! 私の罪を詰る前に、真の罪とは如何なるものかを見極められぬその曇りきったレンズを詰るが良い! だんまりか? ふぅん、良かろう。ならば座して待とうではないか、貴様がその真の罪の重さに押し潰され、その重みでノブが回されるその瞬間をな!》
「──良いのか、開けなくて?」
「春だからな、ああいう人もいるだろ。放っておいたらいい」
静良が玄関を見つめながら僕に問いかけたが、僕はそれを春のせいにすることにした。
登場時はドップラー効果でそのはた迷惑な狂言を撒き散らせ、今は我が家の認証装置と兵糧戦を繰り広げている戯け者。
言わずと知れた、豪流院だ。どのニーズに対して「言わずと知れた」なのかは、綺麗さっぱり解らんが。
「チャイムを鳴らせば良いものを」
「場所が解らないんじゃないのか? 過去に豪流院がここを訪れた時、アイツがチャイムを鳴らしたことなんか一度も無いぞ。バーンドタドタバーン、だ」
「ならば何故、今日はドアに錠を?」
「もうここは、僕だけの家じゃないからな。お前のプライベートもあるし、それなりの対処はするさ」
《友よ、友よ! 早急に開錠を要求する、このような機械風情では話にならん! 貴殿がその手で私を招き入れてくれ、よもや私に閉ざす扉など無いはずだ!》
二十秒も経たずに、豪流院が根を上げた。
「全く、本当に存在そのものがやかましい奴だな」
賛同しても、反論しても、無視しても、何をしても語り続けるのが豪流院だ。一度、アイツが無呼吸でどれくらいまで喋り続けることが出来るのかを測ってみるのもいいのかもしれない。もしかしたらギネスブックにでも載せられるような記録が観測できるのではないか知らん?
──などという、この上ならぬこの下無く下らないことに心を奪われたまま鍵を開錠したものだから、
「私、推して参る!」
「──ぶっ!」
「むむっ、何かね今の『ぶっ!』という音は? 心外である、この私という至高の存在を場見らすなり『ぶっ!』などという歪んだSEが発生するとは。おおっ! そこに鎮座するは、正に私が本日ここに推参した理由であり、目的であり、頭痛の種とも比喩出来る、静良嬢ではないか! ふむ、今日も一段と麗しい! 至極残念なことに、私が鑑賞対象として求めるリビドーレベルには達していないが、その美貌は誇って然るべきである、この世に存在する容姿に恵まれなかった淑女皆々の嫉妬の眼差しをスポットライトにして! ところで静良嬢、我が友を存ぜぬか? 先ほどから姿が見えぬようだが?」
「──おい」
「こは奇なり。ドアと靴箱の隙間から漏れるは、我が友の声ではないか? おお友よ、貴殿はそのような所で何をしているのか? よもや先ほどの『ぶっ!』というSEは、貴殿がパフォームしたものか? 私の知的好奇心は擽られる一方である。故に私は貴殿に問いたい、問わずには居られない。従って大事な部分だ、二度繰り返すとしよう。貴殿はそのような所で何をしているのか? そして何故『ぶっ!』などという不可思議なボイスをアクトしたのか?」
開錠するなり勢い良く開いたドアに鼻っ面をぶつけ、押し遣られるままに靴箱とドアのサンドイッチの具にされてしまった僕に、豪流院がいけしゃあしゃあと問いかけてくる。
「ドアを開ける時は静かに開けろ! あともう言っても無駄なんだろうが、来るなら来るで事前に連絡をよこせ!」
クリンチを嫌がるボクサーのようにドアを押し戻しながら、僕は叫んだ。
「異な事を。私はこれまでのように貴殿宅を訪れただけで、貴殿にとって不都合になるような行為に走った覚えは無いが? ……ああ、なるほど、そういうことか。そしてそれは、私が本日ここへ参った理由の根源でもある」
詫びる気持ちなど欠片も無いように、豪流院が冷蔵庫を開ける。
「何か飲むかね?」
「僕の家の冷蔵庫なのだが」
「この際それは問題ではない。立ち話で済むような話をしに来たわけではないのでな、定期的に咽喉にインターバルを与える為の茶、延いては茶菓子の一つや二つ、あっても罰は当たるまい」
散々冷蔵庫の前で唸った結果、豪流院はグラス三つに水道水を注いで、テーブルの上にガツンと置いた。そしてポケットの中から、おそらくはコンビニかどこかで買ったのであろう新品の黒飴詰め合わせパッケージを取り出し、同様にテーブルの上に置く。
「とはいえ、私とて何も尋問をしに来たわけではない。雑談を交えながら、リラックスして事の始末を伺おうではないか。時に、静良嬢」
「何だ?」
「貴様、何故ここに居るのか?」
「──おい」
豪流院が、早速カルキがふんだんに配合された水道水を飲み干すと、黒飴を一粒口に放り込んで咀嚼し始める。
──元々、この男にソフトな表現など期待はしていないが、それにしてもこれである。
「流石の私も狼狽を禁じえなかったぞ。ついぞ先週まで共にラーメン珍道中へ赴いていた友に、二日三日そこらで『家族が出来ました』などとは、これは想定外にも程がある。だがしかし案ずるなかれ、私は何も静良嬢に出て行けと言っているわけではない。むしろ私としては、この状況を第三者視点から陰湿な笑みを含ませ傍観したいと言う欲求があるのを認めることに吝かではない」
だがしかし! と、叫ぶ必要も無い言葉を叫びながら、僕の手から水道水をぶん取った。
「予備知識が必要だ。どのような書物でも、またどのようなテレビ番組の三文芝居の寄せ集めにしても、予備知識は必要になるものだ。さしずめ今の私の心境としては、起承転結の『承』をいきなり目の前に広げられた気分である」
「つまり、『何でこんなことになったんだ?』ということが聞きたいわけか」
「さっきからそう言っているではないか。貴殿は耳に綿菓子でも詰め込んでいるのかね?」
そう聞こえなかったから聞いたんだよ、と、僕が叫び水道水の所有権を奪取する前に、
「答えよう」
真っ直ぐ、豪流院を見据えて、静良が言った。
「君は統也の友だと言った。ならば知る権利がある」
「それは重畳。ならば骨の髄まで話してもらおう。貴女も遠慮することは無い、黒飴は如何かね?」
・
この分だと、しばらくは静良と豪流院の対話が続くのだろう。
黒飴を口に放り込んで、僕は窓に目をやった。
まだ、日暮れには時間がある。胃が栄養の摂取を求めるほど、昼食から時間が経ったわけでもない。
それはそうだ。まだ、新しく通うことになった高等学校の入学式から帰宅して、一時間も時は経っていない。それは、制服姿の人間が二人ここに存在することが、何よりの理由になるだろう。
時既に遅く、空になってしまったコップを豪流院からひったくって、冷蔵庫へと進む。
──予想通り、『疲れる事』を運び込んできてくれたものだ、静良は。
今朝目覚めた時は、よもやこんなことになるなどとは思っていなかった。いつも通りとは言わずとも、いつもとは違う今日を、それでも淡々とこなす予定だった。
冷蔵庫から作り置きのアイスコーヒーを取り出して、コップに注いで一気に咽喉へ当てる。
静良との共同生活が始まって、三日経っていた。
そして今日、このように豪流院が我が家に押しかけて来た理由としては、三日の時を経てようやく、僕の新しい家族の存在を知ったからであり、それ以外に理由など無い。元々理由があろうが無かろうが、構わずに我が家に突撃を仕掛けてくる奴ではあるのだが。
ちなみに、どうして豪流院が静良の存在を知ったかと言えば、これまた制服姿の人間が二人ここに存在することが、何よりの理由になるのだろう。
──ちなみに二人、というのは。
僕と、静良のことである。