Neetel Inside 文芸新都
表紙

今日から家族
今日から家族?-1

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 僕を誘拐し身代金を要求したまでは良かったものの、その後機動隊に捻じ伏せられ御用となった彼らはどうなったのだろうと、七年弱の時を経て僕は考えた。
 台風の中心を真上から覗いたかのような銃口に、テラテラと凶暴に黒光りするスキン。
 当時小学校低学年だった僕は、本物の拳銃を目の当たりにして、憧れと恐怖の入れ混じった奇妙な感覚を覚えたものだ。
 救出された現場に、父は来なかった。その代わり、後に父が国際通話を利用して僕にコールしてきた時、父は言った。

「銃を突き付けられた時の恐怖を忘れるな。それはお前の武器にもなるし、盾にもなる」

 その後、僕を誘拐したグループの消息は、知られていない。
 表向きには刑務所に入れられたとされているが、僕から言わせてもらえば、そんなソースを信用する方がどうかしている。
 昆布の栄養になったか、ピラニアの餌になったか、はたまた彼の国の臓器ブローカーの飯の種になったか。
 今となってはもう、真相は闇の中である。
 少なくとも、生きてはいまい。

「聞いているのかね?」
 洋画の日本語吹き替えで使われそうな低い声が、無遠慮に僕の鼓膜を振動させた。
「聞いていない」
「ふむ、難儀な。それでは私はまた、先刻より口述済みとなった我が姉の失敬極まる過保護っぷりを語らねばならんのかね? 私は同じことを二度繰り返して演説するのは好きではないのだが……あいよろしい、他ならぬ友である貴殿立っての願いだ、私も己が主張のみを通すわけにも行くまい。貴殿が理解出来るよう、更に噛み砕いて、親切丁寧に語って聞かせようではないか、ああ語って聞かせるとも」
「豪流院」
「何だろうか?」
「その話は、僕が興味をそそられるような内容なのか?」
「異な事を言う。内容を露見せぬままにそのニーズの許容の是非を判断しろと? まっこと遺憾である。もしも私に未来予知能力の一つでもあれば、それこそ威風堂々と貴殿のそのリビドーとも言える話題への渇望を満たしてやれると公言出来るのだが。だがしかし、未来の予知など不可能である。否、それは可説不可説の問題ではない。何とならば、未来とは予め用意されているものではなく、リアルタイムで進行し得る不確定要素の集合体としてそこに誕生する副産物なのだから。である以上、私の今のシスタートークが貴殿のニーズに沿うものなのかと問われれば、私は何の申し訳も無く公言しよう、『そんなものは解らん!』」
「つまり、面白い会話にはならないんだな?」
「そんなものは解らん!」
「なら、話さないでもいい」
「断る!」
 色付き眼鏡をかけた凛々しい顔付きの長身の友人豪流院が、そのアシンメトリミディアムにまとめた髪を振り回し、誰に見せているのかも解らぬポーズを決めた。あの突き刺した指は、何を指しているのだろうと考えたことがある。五秒だけだが。
「友よ、私は憤慨しているのだ! 姉に! シスターに! 屈辱だ! 恥辱だ! 陵辱とも言える! ああ、信じられん! 信じられるか友よ!?」
「お前の言うことを信じたことは一度も無いよ」
「私は朝、いつものようにこの愛車『スレイプニル』に命を吹き込まんとすべく、この鍵穴に、鍵を差し込んだのだ」
「差し込むだろうさ、鍵穴は鍵を差し込む為のものだ」
「鍵を差し込もうが穴に挿し込もうがこの際問題ではないのだよ!」
 ちなみにスレイプニルとは、今現在豪流院が手押しで進めているカブのことだ。
「姉が、来たのだ」
「ふぅん」
「何と言ったと思う?」
「『ハンカチとちり紙は持ったの』か?」
「貴殿はエスパーか何かかね?」
 海から打ち上げられたライオンを見るような目で、豪流院が僕を凝視した。見送りに出て来た家族の言う事など、それくらいしか思いつかなかっただけなのだが。
「この展開は読んでいなかった。私の完全なる不手際と認めざるを得ないだろう。流石だな友よ、実に鋭い洞察眼を所持している。問題に正解した際には景品が出るのが常套だが、さて困った、景品になるものが無い。時に友よ、たった今私がポケットを探った際に採取された、いつ所持したのかも忘却の彼方に置き忘れた飴ちゃんなど如何だろうか?」
「勝手に舐めとけ」
「したらば御免」
 ベリベリと包装を剥がすと、すっかり包装にくっついてしまっている黒飴を強引に唇で毟り取り、ゴロゴロと舐めしゃぶり始める。
「姉だ」
「さっきから煩いな。姉だか飴だか知らんが、さくさく話してくれないか」
「私、姉に、憤慨。フンガー」
「さくさく話し過ぎだ」
「難しいものだな」
 本気で難儀だと言わんばかりに、豪流院が顔をしかめた。

 豪流院 修一(ごうりゅういん しゅういち)。
 この男とはかれこれ三年の付き合いになるのだが、その三年を通して、豪流院は僕に大切なことを教えてくれた。
『優秀と馬鹿は対義語ではない』
『馬鹿と天才は紙一重』
 豪流院は、これらのような格言の「生き証人」と言っても過言ではない。
「──解せんな。先ほどから何を思案しているのだ、友よ?」
「何で僕は毎回毎回、学力検査でお前に敗北するのかなってことさ」
「一重に」
 無意味にブレザーをはためかせ、指を僕の顔面の前に突きつけた。噛み付いてやろうかと思う。
「私が、天才だからだよ」
 こういうことを平気でのたまうことが出来る辺りが、豪流院のちょっと頭が可哀想なところである。

「お前が天才だろうが何だろうがどうでもいい。お前が天才であろうが馬鹿であろうが、僕に損得勘定は発生しない。そんなことよりも、お前の姉だ」
「むっ。何だ友よ、私の姉に色を催しているのかね? 私はそういうことに関しては、当人同士が勝手に自室なり草むらなり少し湿った衛生上問題のあるような場所なり気の済むようにしてくれればいいと考えている方なので、私に暴露されても些か困惑を覚える次第であるのだが」
「叶うなら今すぐにでも無数の飴玉でお前の口を塞いでやりたいところだが、さっきのお前の姉の話が気になってきた。ハンカチとちり紙がどうしたって?」
「どうしたもこうしたも靴下も無いものだぞ、友よ! ハンカチとちり紙だ! 麻だか綿だかで構成された吸水率以外に取り得の無い布切れに、瑣末なビニールシートに瑣末な紙を詰め込んだ物品のことだ!」
「その瑣末な物品の数々と、お前の姉がお前にしでかしたと言われる逆レイプとが、どう繋がるのか見物だな」
「それ自体が陵辱なのだ!」
 豪流院が、カブのハンドルを握っていた二の腕を左右に大きく広げる。当然、カブは派手な音を立てて横転した。愛称までつけるほど愛着を沸かせている割には、扱いがぞんざいである。
「どう続くかを教えよう。『修ちゃん、ハンカチと』……さもありなん! 最早この『修ちゃん』なる幼稚染みた愛称こそが屈辱そのものではないか! 続けよう、『ちり紙は持ったかしら? あらあら修ちゃんったら、ネクタイがヨレヨレになってるわよ。ほら、シャツもしっかりズボンに入れて、あらやだ髪の毛もボサボサじゃないの、ちょっと待ってね、ここに櫛が……』ああ……嗚呼!」
「うるさい」
 道行く人に奇異の目を向けられる哀れなカブを起こしてやりながら、僕が嘯いた。何度かこういうことがあったのか、下敷きになった側のフロントが、玄武岩のような形になっていた。
「四月から、我々は高等学校に通う身分になるのだぞ? その名の通り、高等な学問を教授する場だ。そのような身分にもなろうとしているこの私に、あの姉は……これだ!」
 何時の間にか僕がカブを押すという構図が出来上がり、豪流院はその自由になった右手でポケットを弄り、一枚のハンカチを取り出し、天高く突き上げた。
 可愛らしい、デフォルメされた熊のマスコットが描かれているハンカチである。
「何だ、この可愛らしいクマちゃんはっ! 雄度猛々しい排便を済ませ、雄度猛々しい手を洗った私に、こんな愛くるしいクマちゃんが描かれたキュートなハンカチで手を拭えと言うのか! こんな愛らしいクマちゃんハンカチで! 更に駄目押しで、こっちだ!」
 散々罵倒した割にはハンカチを几帳面に折りたたんでポケットに入れて、もう片方のポケットから、今度はデフォルメされた猫のイラストがデカデカと存在を主張したパッケージのちり紙を取り出す。
「ネコちゃんだ!」
「お前、意外と気に入ってるんじゃないのか?」
「吝かではない! クマちゃんとネコちゃんに罪は無いからな!」
 大切な物を扱うようにブレザーのポケットにちり紙をしまいながら、牛の鼾のような溜息をついた。
「過保護そのものが罪である、とは言わん。私の意向がどうあれ、私の価値を決定付けるのは第三者の多数決であるからな。ただ、限度の問題なのだ」
「限度、ね」
 エンジンのかかっていないカブのハンドルを捻りながら、僕は呟いた。
「私とは、それほど保護が必要とされる存在に見えるのだろうか? 貴殿の見解は如何なるものか、友よ」
「お前の場合、家族の保護よりも医療施設での保護が必要だと思うがな」
「面白いことを言う場面ではないぞ、友よ」
 豪流院が、所有権を主張するかのように僕の手からカブのハンドルをぶん取った。コイツだけは、いつか本気で殴らないといけないのかもしれない。
「いいんじゃないのか? 家族なんだし、誰に迷惑をかけるでも無し」
「家族であれ、年齢の増加と共に距離と施しの強弱を調整する必要があると私は思案するのだが」
「知らん」
 理容室の前に鎮座するサインポールを眺めながら、僕は呟いた。
 嘘は、ついていない。
「僕に、家族のことを聞かれても解らない。ましてやそんな細かいこと、こっちが教えられる立場でありたい。知りたいとも思わないけどな」
「気分を害したのかね?」
 特に気を使うでもなく、「あれは何だ?」と聞くように豪流院が僕に問いかけた。
「害すような要素があったのか?」
「貴殿ならそういうと思っていた」
 この会話を最後に、僕と豪流院の会話の中に「姉」という単語が入ることは無かった。

 それからさほどの時間を置くでもなく、僕と豪流院の帰り道がY字に別れる分岐点に差し掛かり、豪流院がカブのエンジンをかける。
「友よ、貴殿は免許は取らぬのか?」
「取得が許される年齢になれば、普通車の免許くらいは取るつもりだよ。今のところそのつもりは無いな。急いで学校に行く理由も無いし、急いで帰る理由も無い」
「そうか」
 それだけ言うと、豪流院はカブに跨り、Y字路の、僕とは違う道を駆けていった。
 特に見送るでもなく、僕は僕で、僕の帰路を歩く。

 待つ人は、いない。
 だから、帰路を急ぐ必要も無い。

       

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Neetsha