例えるなら、この世界は茫漠たる荒野。
そこには正義も秩序もない。あるのはただ―――犯した罪と、その罰だけ。
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だからこそ俺は、この肥溜めのような世界に、穏やかな日常と、安定した秩序を望んだ。
「おはよー」「うーす」「昨日のドラマ見たー?」
朝登校すれば、教室はノイズに充溢していた。何も今始まったことじゃない。毎日のこと。
同じことの繰り返し。欠伸のでるようなダカーポ。両手に溢れる退屈と、一握りの奇異。
そんな日常でいい。
「でもさー、それってつまんなくない?」
「そうだよ、やっぱ帰りカラオケいこうよー」
つまらなくなんかない。
俺はその日常のためになら身を粉にする覚悟だってある。
「なあ、昨日もあったらしいぜ。三年の不良がトイレで気絶してたって」
「ここんとこひどいな。三日連続かよ」
「もう、みんな静かにしてよー。席替えできないよーっ」
無論、それを害するような騒音や混乱は、俺にとっては忌むべき対象だ。
「委員長!なんで昼休みなんかにやるんだよーっ」
「バッカ。先公がいねえ時のがいいっつったのオマエじゃん」
「あんま言ってると、オマエも気絶させられちまうぜ。ははっ」
喚くな、ノイズども。俺の世界を汚すな。
「はい、入谷(いりや)君の番だよ、クジ」
「ああ、委員長か」
委員長こと向井亜季。
日々の安寧を守るためにも、他と群れたりはしなかった。
話しかけられれば、答える程度。とにかく失いたくない。静謐を。秩序を。
それを失う怖さを、俺は知っているから。
「あたしも知ってるんだ」
「え?」
「あっちの男子たちが話してたこと。ほら、ここ最近変なうわさ多いでしょ?
一年の生徒がいきなり入院とか。昨日だって三年生がひどい目にあったみたいだし。
被害を受けてるのは悪いことしてた人たちみたいなんだけど。同一犯によるもの
なんじゃないかって」
「ああ」
確かに最近は、生徒が未知の被害に遭う事件が急増している。教師側も煙に巻かれて、
対応に追いついていない様子だった。加害者の尾っぽすらつかめないらしい。
同一犯かどうかも不明。不必要な騒ぎは、迷惑極まりないが、だがまあ・・・
「俺には関係ない話だ。危害が及ばなければ・・・それでいい」
「・・・・」
俺は、ただの傍観者だ。
「入谷君・・・ちょっと変わったよね」
不意に飛び出た言葉に、俺は頓狂な返事をしてしまった。
「は?」
委員長は俺から目線を逸らしている。
「なんていうか・・前はもっと・・・」
何を言っているんだ、コイツ?
「もしかして・・・」
騒ぎのやまない教室は、俺と委員長を疎外して
「お姉さんのことがあったから・・?」
沈黙へと連れ去る。
「・・・・」
俺は黙したままだった。
「あっ!ごめん。あたし・・変なこといっちゃったよね・・。ごめんね、入谷君・・」
その通りだ・・・。
変わっているのは・・どう考えてもオマエのほう・・・
バン!
と、机を叩く音がして、なぜかそれは静けさに変わり、教室中を充たした。
「だから!席を交換しろっていってんじゃん!」
「で・・でも私も窓側のほうが・・」
辺りは水を打ったようになっている。あれだけ騒がしかったはずなのに。
「はあ?何いってんの?あんたあたしに逆らうんだ?これだけいじめて
やってんのにさ!つくづく頭悪いわね!」
「う・・・うう・・」
どんなに平穏を望んでも、厄介事のほうから歩み寄ってくる場合もある。
「まだ、いじめ足りないってことよね!」
このクラスでは茶飯事になりつつある・・・、
雪村という女性徒への・・「いじめ」。
何が楽しいかは知らない。俺には関係のないこと。そしてその態度は驚くべきことに、
こと「この騒動」に関しては・・・あまねく共通していた。
「・・・・・」
誰も止めない。止めようとしない。皆が見てみぬ振りをする。傍観を決め込む。
現前しているこの状況は、無いことのように。黙殺する。この委員長でさえも。
いつも騒ぐしかない能のない奴らからも、こんな事態になってみれば、
たやすくあぶり出される、ある総意。
皆穏やかな日常を欲している。「これ」に関われば間違いなく被害を受けるのは己の日常。
雪村は、皆の安寧に捧げられた、スケープゴート。
「あれ・・・・。ど、どこいっちゃうの?」
委員長は事態にうろたえながら、おずおずと尋ねた。
「帰るんだよ」
「え・・・でもまだ昼休みだよ?だ・・駄目だよ」
途端に正義面をするのか・・・。この事態を収拾もせずに。
「い・・・入谷君・・」
助けを請うような視線。だが、向ける相手を選んだほうがいい。
「これ以上ここにいても、居心地が悪いだけだからな」
教室の戸へと歩を進める。
「入谷・・・君」
俺は一言だけ、彼女に残していくことに決めた。
「委員長」
「・・・・?」
これだから・・いくらそうでないと望んでも・・・痛感せざるをえない。
この世には
「あんたも・・・無能だな」
正義も秩序もない。