そのまま、俺たちはすんなりポイントを重ねて第1ゲームをモノにした。
一応は順調に滑り出した体だと言えよう。
尚、第2ゲームを始める際コートチェンジを行うので、第1ゲーム終了後には双方ベンチに戻ってコーチの指導を受けたり給水したりする時間が予め与えられている。
そんな訳でベンチに戻ってきた俺たちは、目下坂下先生の指導を受けている最中だ。
「うん、まずまずって感じね。宮奥くん、相手の印象はどう?」
「うーん……。向井にしては珍しいスタートでしたね。つまんないミスばっかで相手の前衛もかなーり心配顔でしたよ。」
「そっかそっか。最初のボレーはよかったわよー。で、渡瀬くんはどうだった?」
「まだ何とも……。あまり打てませんでしたし。」
「そうよねー。手ごたえも何もあったもんじゃないって感じか。」
「ですね……。」
手ごたえが無かったと言うか、まともにラリーすら出来ずにゲームが終わってしまったのだった。宮奥さんの最初のボレー以降は全て向井の自滅によるポイントで、俺のレシーブをミスしたり、宮奥さんのレシーブをミスしたりと淡白な内容に終始。半ば向井の”アシスト”によるゲーム先取と言っても過言では無いものだったのである。
先生と宮奥さんがゲームを振り返っている中、マネージャーから手渡された麦茶を口に含みながら俺は一抹の不安を感じていた。
何かおかしい。あれだけ大口を叩いておいてのプレーにしては、あまりにもお粗末すぎる。
「……やっぱり変です。なんだか違和感を感じます。」
「「え? 違和感?」」
話を途中で遮られた2人は、同じワードを口にして俺の顔を覗き込む。
「はい。宮奥さんはあの向井を見て何も感じませんでしたか?」
「ん? うーん、まあ”らしく”無いってのはあったけど……。」
「確証とかホント何も無いんですけど、俺にはどうも向井がワザと俺たちにゲームを与えている様な感じがしたんですよね……。」
「えっ?? ちょっと待てよ、じゃあ向井はワザとミスしてたってコトか!?」
「……はい。だから、もしかすると次のゲーム、急にペースを上げてくるかもです。」
「もしそうだとしたら……ナメた真似しくさってやがんねー。」
タオルを汗ばんだ顔に当てていた宮奥さんは、言うなり麦茶を飲み終えた空のコップをギュッと握り締めた。それを見た坂下先生は、宮奥さんの肩をぽんぽんと叩いてゆっくりと切り出した。
「はいはい、リラックス。どんな形であれ、あなた達はゲームを取ったの。次の第2・3ゲームを終わってまたここに戻ってくる時、ゲームカウントは3-0になっている。そうよね?」
「「はい!」」
「よし。じゃあ、何でゲームをワザと捨てたんだーって向井君に思い知らせてやんなさい!」
「「っしゃ!!」」
そうしていつものように先生に背中をばしっと叩かれて闘魂を注入してもらった俺たちは、湧きあがる星和応援団の声援を背後に感じながらコートに出た。
名治商側のコートに着いてゲーム前に軽く柔軟をしていると、早速汚い野次が後ろから飛んでくる。まあ聞こえてきたものをざっと紹介すると、こんな感じだ。
・「死ねカス野郎! オイ聞いてんのかコラァ!」
・「このヘボが! ヘーボヘーボ!」
・「雑魚は引っ込んでろよ!」
ま、これも概ね予想通りと言ったところだ。この手の連中は反応すればするだけ付け上がるタイプなので、正しい対応としては『黙ってスルー』が鉄則である。
「ふう……。ほんじゃ、小うるさい外野はプレーで黙らせるとしますかね。」
俺は相手がレシーブの位置に着いたことを視認すると、宮奥さんに合図を送ってからボールを空高く放り上げた。
思い描いた高さにトスが上がる。
そのままラケットを真っ直ぐ振り下ろす。
ボールは狙い通り向井のバックハンド側、すなわちエリア右端へ。
「ナイッサー!」
俺のインパクトに合わせてネットに向かって走り出した宮奥さんが声を上げる。
ボールは絶好のコースに飛んだはずだった。
――――だが。
俺の懸念は、ここから最悪の形で的中していく事になる。
宮奥さんと同じ180センチ台の長身から打ち下ろしてくる向井のシュートボールは、明らかに第1ゲームで見たそれとは別次元の速度を保ちながら俺に向かって飛んでくる。第2ゲームの入りから、ある程度自信を持っていたファーストサーブが簡単に攻略されてしまった。
圧倒的なボールスピードの前に反応速度が追いついていかないせいで、ボールを体の前でインパクトできずに振り遅れる。それが必然的にボールがネットを越えない確率の上昇へと繁がってしまう。
言いたくないけど、後衛勝負ではこちらが不利だ。
ならば前衛狙いで……と行きたい所だけれども、この前衛がまた厄介極まりない曲者だからしょうがない。ローボレーが憎たらしい程上手いので、ネットに張り付かれる前に攻撃しても平気で返されいなされてしまう。また、ネットに付いたら付いたで鉄壁化するので前衛アタックもさながら壁打ち状態でブロックされる始末。ならば、と頭上をロビングで攻めると、左利きの向井に絶好のフォアハンドストロークチャンスを提供してしまう。
こうして完全に手詰まりを起こしてしまった俺たちは、そのまま闇雲に打ち続けていかざるを得なくなり、時折相手の見せるミスを待つのみといった惨憺たるゲームを展開したまま、立て続けにゲームを失ってしまった。
「ゲームカウント1-2、チェンジ・サイズ!」
主審のコールで、互いに元居た最初のエンド、すなわちホーム側へ向かって歩きだす。
「フヒヒ、マジしょっぺーwwwww。」
「楽勝wwwwザルすぎwwwww。」
その間中、後ろの名治商ベンチからここぞとばかりに嘲笑の嵐に晒され続けた。
本当に、あっという間に俺たちはゲームの主導権を相手に奪われてしまったのだった。
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「まだまだこれからよ! 2人とも下を向くんじゃない!」
目の前で坂下先生のゲキが飛ぶ。
うつむき加減で先生の話を聞く功の浮かべる苦悶の表情が、苦しい試合を物語っている。
第2ゲームに入った途端、相手の後衛が変わった。スピードのある功のボールを見事に打ち返しはじめたのだ。力強いフォームで左腕から繰り出されるボールは独特な軌道を描き、敵ながら観ていて惚れ惚れするスピードとコースを併せ持っている。ラリーでは常に主導権を相手に奪われ、速球に押される功は返球で精一杯。功と宮奥さんはなかなか自分たちのパターンに持ち込めずに苦労していた。そうして力の差は徐々にポイントに表れてゆき第2・第3と立て続けにゲームを奪われて、第1ゲームでの力関係は完全に入れ替わってしまった。
ゲームカウントは1-2。コートチェンジ後の第4ゲームを奪取するか否かがこの試合の勝敗のキーになってくる。
「功……。」
もう、これ以上見ていられない。
試合の続きを観るのが怖くて私が応援席から離れようと立ち上がると、すかさず隣に座るいづみに腕をぎゅっとつかまれた。
「ダメよ、目を背けちゃ。功一くん1人で勝てる相手じゃない事くらいわかるでしょ? 恵も一緒に戦うの。はい、ちゃんと観る!」
「でも……もうあんな苦しそうな顔見るの辛くて……。」
「バカ! 恵が弱気でどうすんのさ! 功一くんは絶対勝つよ。信じてあげなくちゃ!」
強いチカラで腕を引っ張られ、私は腰を下ろすしかなかった。
このまま試合は相手のペースで進むに決まってる。悔しいけどあの後衛は上手だ。功よりずっと速いボールを打つし、フットワークもずば抜けてる。弱点らしいところなんて全く見当たらないよ。
そんな私の……いや、大方の予想通り第4ゲームも星和が押される展開になった。相手のファーストサーブが入らないのが幸いしてペースを完全に握られずに済んでいるが、ラリーが続くとやはり後衛の打ち合いに明確な力量差が出てしまう。
ベースライン際に伸びてくる球を、功は大分ラインから離れて打ち返している。ライン際の深いボールは強い返球が難しく、なかなかリズムに乗って打つことが出来ない。
「宮、お前がしっかり渡瀬をカバーしてやれ!!」
「渡瀬、気持ちで負けんな! もっと声出してこーぜ!!」
ベンチの後ろから必死に応援する声も、コート上の2人には全く届いていない。
「頑張れー!! ほら、恵も声出しなって!!」
「うん……。」
「ヘコんでる場合!? 功一くんが苦しんでるのよ! このまま負けちゃっていいの!?」
いづみに肩を掴んで激しく揺さぶられた私が前日からの雨で湿ったままのコンクリートへと落としていた視線を上げると、
「……っ!!」
こちらの方向に向かって転がってきたボールを取りに来た功と、偶然にも視線が重なった。
『参ったわ。恵姉、俺どうしたらいい――――?』
顔を見た、その一瞬。
どうしてだか全く説明できないけれど、表情に疲労からのものだけじゃない色を滲ませてこちらを見上げる功の瞳が、私に何か助けを求めている様に映ったんだ。
嫌だよ。負けないで。勝っていつもみたいに得意気なカオを見せて。
笑ってよ、このバカやろうっ――――!!!
何かに駆られるみたいに。ごく自然に。
気がつくと、左腕に着けたリストバンドを外してコートに放り投げながら、私は功に向かって大声で叫んでいたのだった。
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何も弱い犬だけがよく吠えるという訳では無いらしい。
コートチェンジを挟んだ第4ゲームも、俺たちは劣勢に立たされていた。カウント1-2からの4ポイント目を鮮やかな前衛のスマッシュで決められてしまい、俺の左脇を唸るように通過したボールは後ろの応援席の方まで転々と転がっていく。
「スマン渡瀬ちゃん、ロブが甘くなった。あぁー畜生っ!」
「ドンマイですよ! ここから挽回しましょう!」
ラケットに当り散らしたい程の悔しさをどうにかこうにか堪えながら宮奥さんを励まして、ボールを取りに向かう。
「1-3か。このゲーム取られたらリーチだな……。」
つい、言いたくない事を独りごちてしまう。
どうしても考えたくない方へと思考がループしていく。
やばい。まずい。
「どうしたらいいんだよ……。」
まるで打開策が思いつかない。
そうしていると、あっという間にボールの所に辿り着いてしまった。気持ちの整理をつけられないままボールを拾い上げて、俺は視線を人工芝から戻す。
と、不意に俺の目が見慣れた姿を捉えた。
「恵姉……。」
応援席に座って、俺の顔を恵姉はじっと見つめている。
口元に手を当てて浮かべている苦しそうな瞳が、胸にズキ、と突き刺さった。
ごめん、俺、勝てそうにな――――。
「バカ功っ!!! とっとと勝ちなさいよーーーっ!!!!!」
急に恵姉は立ち上がったかと思うと、こっちに向かってありったけの声で叫びながら何かを投げつけてきた。
「うわっ!」
驚いたまま投げられたものをキャッチすると、それはまだほのかな温かみを残している。
「これは……!」
投げ入れられたもの――それは、恵姉のお気に入りのリストバンドだった。