Neetel Inside 文芸新都
表紙

君が消えるとき
ハルカ先輩

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 ハルカ先輩は実在している。
 都市伝説だ、なんて笑って言う人もいるけれど性質の悪い冗談だ。だってほら、こうして僕の目の前で楽しそうに笑う彼女はどう見たって幻なんかじゃない。笑い声にあわせて小刻みに揺れる綺麗なショートの黒髪。華奢な手首に巻かれたピンクの腕時計。微かに纏ったローズ系の匂い。そのどれもが彼女という存在に確かなリアリティを与えている。控えめな性格と儚げな雰囲気――部室ではそうでもないが――のために校内にそんな冗談が広がったのだろう。僕にとっては彼女のそんな特徴こそ魅力的なのだけれど。
 薄暗い放課後の部室には、僕と彼女のふたりきりなので少し緊張する。机上のノートパソコンから怪しげな光が漏れているから尚更だ。天井にぶら下がった埃まみれの蛍光灯が、時折ちかちかと点滅するのが鬱陶しかった。何がツボにはまったのだろう。苦しそうに僕の話を聞いていたハルカ先輩は、痙攣がおさまると、ふう、とひとつ息をついて僕のほうに向き直った。
「もし都市伝説だったら、私は執行者に消されちゃうかもね」
「執行者?」と僕は聞き返す。
「そう、本来存在してはいけない都市伝説の迷い子を葬る者」

 ハルカ先輩の言葉を信じるなら、都市伝説の迷い子というのは噂話そのものではなくて、そこに登場する人物や動物といった存在のことらしい。そういった例としてはコックリさんやトイレの花子さんなどが良く知られているが、ただし「迷い子」とわざわざ呼ぶ場合は人畜無害なただの噂ではダメで、実体としてこの世界に具現化してしまったケースを指すのだと教えてくれた。
「たとえば、現実に呪いによる犠牲者が出た時点でそれは噂話とは言えないわ」
 それはそうだろう。小説やサウンドノベルの類ではよくあるモチーフではあるけれど、現実社会で実際に人が死んだりしたらもはや事件や事故というべきではないか。そもそも現実の犠牲者なんていないからこそ都市伝説というのだろう。呪いなんてものが現実化してしまったら、科学者はパニックを起こし世間では大騒ぎになるんじゃないだろうか。
「ところがね、そうとも言い切れないのよ。都市伝説が伝説であり続けるのは、執行者が秘かに迷い子の痕跡を消しているかららしいの」
「どういうこと?」
「つまり現実に呪いは起こっているんだけれど、執行者の手によって無かったことにされているということ」
 コックリさんによる犠牲者が出ても、コックリさん自体の存在を現実世界から消し去れば、あとは警察などによって「ただの事故」と処理されて世間には「噂話」だけが残される。それが都市伝説となる。
「そういうことらしいわ」
 まともに考えれば考えるほど、胡散臭い話だ。少し怖いが。素直にそう感想を述べると
「そりゃそうよ、だって執行者自体も都市伝説だもの」
 と言ってハルカ先輩はにやりと笑った。からかわれた事に気付いて、やられた、と悔しさが込み上げた。いつもこうだ、僕は彼女のペースに嵌ってしまう。まあ、先輩の笑顔を見てると憎めなくなってしまうのが常なのだが。それにしてもコックリさんと対峙する執行者という構図自体は、文芸部であるハルカ先輩がいかにも好みそうな話ではある。
「でも、もしいつか私が消えてしまったら――」いつになく真面目な表情に戻ってハルカ先輩は僕を見つめる。机越しに身を乗り出している彼女の吐息が軽く顔にかかり、心拍数が上昇するのを感じる。「そのときは、和貴は私のことを憶えていてくれる?」
 もちろんです。カズタカと呼ばれた僕が答えると彼女は満足げに頷いて、そのまますぐにノートパソコンと向き合ってしまった。

 もう一時間近くも、カタカタカタとキーが打たれる音が鳴り続けている。
 ハルカ先輩は無言だ。モニタの液晶が煌々と照らしているのでその表情は良く見えない。というかモニタに目が近いと思う。このままいけば立派な眼鏡っ娘になってしまうぞ、と心の中で突っ込んでおいた。ただでさえ体が強くないのに心配だ。
 僕のほうはといえば、さっきから退屈のあまり部室においてあるコミック本を片っ端から読み耽っていた。どれも読んだことのあるものばかりなので新鮮味は全くないが無いよりはましだった。今読んでいたコミックの、親友を助けるために戦う魔道士と殺人鬼の夢世界での頭脳戦のシーンなどは何度読んでも興奮冷めやらぬという感じではあるのだが、それでも持久力がそろそろ限界である。僕は読んでいたコミックを傍らに置き、センパイ、と声を掛けた。
「ん、何?」
 パソコンに向かったまま背中越しに返事が聞こえてきたが、それで集中力が途切れたらしく、彼女は続けて「んー」と声に出して両腕を天に向けて伸ばした。その仕草が意外に可愛かったので僕は内心で少し狼狽する。
「いや、さっきから何書いてんのかなって思って」
「ああ、これ? 来月号の『モルフォ』に書くネタをね」
「ああなるほど」
 文芸部であるからには一応、月一回の文芸誌を発行していて、図書室と各教室に無償で配布している。その文芸誌の名前が『モルフォ』だ。何故タイトルが蝶の名前なのかは創始者でなければ分からないらしいが、曲がりなりにも文芸部の伝統として続いているらしい。まあ、今の時点では部員といってもハルカ先輩と僕と見たこともない幽霊部員しかいないのだが(幽霊部員といっても本物の幽霊ではないらしい、念のため)。彼らは律儀にも『モルフォ』発行前になるとメールで適当な文章を送付してくるらしく、それなりに紙面を埋める役割を果たしているとは言えるが、実質的にはやはりハルカ先輩の書く取材ネタなり小説なりで成り立っているようなものである。
 彼女に言わせれば、後輩が入ってくるまでの単なる繋ぎよ、ということなのだが彼女の書く文章はどこか不思議な魔力を持っていて読者も多い。読者の生徒いわく、文章力や構成力が取り立てて上手いというわけではないのだが、登場人物などに強烈なリアリティを抱いてしまうのだとか。ひとつの特殊能力と言えるのかもしれない。
 まあ、読者が多いわりに人前に姿を晒す機会が少ないことが都市伝説化する一因とも言えるかもしれないが。
 ちなみに、僕はもっぱら校正部員だ。
「で、なんかいいネタでも見つけたんですか」
「いや、話蒸し返して悪いんだけどさ、都市伝説っぽいヤツなのよね」
「食傷気味かも」
「まあまあ。この学校にいま広まってる噂なんだけどさ」
「学校に?」
 あまり、その手の噂は聞いた覚えがなかった――ハルカ先輩伝説を除いての話だが。
「モフモフさん、っていうの」
「モフモフさん!?」
 なんと、柔らかそうなネーミングだろう。いや、しかしこういう場合は単純に考えてはいけない。モフモフさん自体が柔らかいのではなくて、生徒の存在をメロンパンのようにモフモフと食べてしまう怪異の類ということだって有り得る。
「なんかね、毛玉みたいでふわふわとしたヤツが校内のあちこちで目撃されてるんだって。私、まだ見たことないのよね」
 彼女は両手で包み込むようなジェスチャーをして、うっとりとした表情をつくる。
 しまった、そっちだったか。
「それで、何か面白いの書けましたか」
 と僕が聞くとハルカ先輩は、うーん、とうなり声をあげて首を横に振った。
「情報不足ね。もう少し取材しないとかな」
「取材ですか」
「うん、和貴も手伝ってね」
 えぇ? と僕は抗議の声を挙げたが無視された。まあ結局は手伝ってしまうだろう。僕が他に役に立てることなんてないのだから。
 私は主にインターネットで調べ物するわ、学外にも似たような都市伝説があるかもしれないし。校内を足で稼いで情報収集するほうの役目は和貴に任せるわ、よろしくね――と、僕が考える暇も与えず、ハルカ先輩は勝手に役割分担を決めてしまった。まあ、そうだよな、予想通り。
「じゃあ、明日から頑張って」
 これも想定内……ではあったが、自然に溜息は漏れてきた。 

       

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Neetsha