Neetel Inside 文芸新都
表紙

親の七光り
竜虎激突

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 全ての準備が整った。俺たち反乱軍、いや、グロリアスが飛躍するための戦がこれから始まる。
「全員、集まったようだな」
 ハンスの部屋。相変わらず質素な部屋だ。すでにアイオン、ローレン、クラインが座っていた。
「アイオン、戦略の説明を頼む」
 アイオンが立ち上がる。
「この戦略の概要は説明しなくても良いだろう。すでに個々の耳に入っているはずだ」
 戦略。辺境に飛ばされた、エクセラに不満を持つ者たちを煽り、決起させる。そのために必要な内通は、アイオンが済ませていた。そして俺がこの戦略の要だった。
「今こそ、グロリアスが飛躍する最大の機会だ。逃すわけにはいかん。よって、グロリアスの全兵力を出す」
 ローレンの表情が変わった。驚いているようだ。
「まず、軍を二分する。総指揮官はハンスさんと俺だ。兵力は半々」
 グロリアスの兵力は約四万という所だった。つまり、二万ずつに分けるという事だ。対するエクセラは二十万。兵力差は大きい。
「厳しい戦になる。兵力差はもちろん、相手方もこの戦で、形勢が大きく変わると睨んでいるはずだからな」
 ルースが居る。すでにこちらの戦略に気付いているはずだ。
「俺の下にラムサスをつける。ハンスさんの下にクライン、ローレン」
 アイオンの下か。アイオンとは始めて戦をする。
「そして、戦略の進め方だが・・・・・・」
 アイオンが地図を開き、説明を始めた。
 アイオン軍は南の辺境に出向き、扇動を行う。ここでは俺が要となる。密書で示し合わせているとは言え、全てが上手く行くとは限らない。ルースが監視を送っているはずだ。それらも踏まえて、扇動を行う。そして、反乱を起こしたエクセラ軍と合流し、一挙に攻め入る。果たして、どこまで行けるか。それはまだ分からないが、グロリアスの領地拡大は確実だ。しかも、かなり大規模な拡大になる。
 ハンス軍は、西の辺境での囮と自国の守備だ。だからこそ、将軍が多い。エクセラは強大だ。まともにぶつかっては、勝ち目が無い。戦力を分散させなければならなかった。そこで、ハンス軍が出る。兵力二万。無視できない数だ。エクセラはハンス軍に対して、戦力を割かなければならない。派手に戦をすれば、目くらましにもなる。
 そして、自国の守備。戦略が上手く行っても、本拠地が落ちれば無意味なのだ。当然、エクセラはこの事も視野に入れているはずだ。この対応も、ハンス軍が担う。臨機応変に動かなければならない。だが、ローレンが居る。守りの上手いクラインも居る。決して、不可能ではないはずだ。
「以上だ。何か質問はあるか」
「アイオンさん、良いですか」
 ローレンだ。
「なんだ、ローレン」
「アイオンさんはラムサスと戦をするのは始めてですが、そこは大丈夫なのでしょうか」
 確かに心配な点だ。人には相性というものがある。
「俺がコイツに合わせれば良い。それぐらいの器量は持ち合わせているつもりだ」
 アイオンが俺の方に顎をしゃくった。
 面白い奴だ。確かにこいつの下なら、上手く働ける。そんな気がする。
「それもそうですね」
 ローレンが苦笑する。
「心配するだけ損でしたよ」
「我がまま言いたい放題のお前とは、もう組みたくないがな」
「大きなお世話です」
 部屋が笑いに包まれた。
 居心地が良い。素直にそう思う。エクセラに居た頃は、こんな気持ちになる事は無かった。戦をして、敵を殺し、強さを確かめる。今思えば、俺の考えている事はそれだけだった。だが、グロリアスに来てから変わった。ギリと話す事が多くなったのだ。他の将軍の話、これからの話、昔の話、ランドの話。グロリアスが世を平定すれば、ハンスが政治を行えば、世に真の平穏が訪れる。だからこそ、今は軍神となる。グロリアスに勝利をもたらす、軍神となるのだ。
 俺は戦が好きだ。だが、それ以上に俺は平穏が好きになっていた。グロリアスに来て、ランドが死んで、俺は変わったのかもしれない。
 ふと窓を見ると、雪が降っていた。どこまでも真っ白な、淀みの無い雪だった。

     

 反乱軍が動いた。ついに攻めてくる。だが、今までのように数千ではない。西と南から、それぞれ二万の兵力で進軍しているという事だった。
 この戦で、両国の行く末が決まる。エクセラが勝てば、神王はもう用無しだ。死んでもらう。そして私が王となる。エクセラを、世を治めるのだ。野望成就の日は近い。何としても、この戦に勝つ。ラムサスだろうが何だろうが、踏み潰す。私の力の前に、愚民どもはひれ伏す事になるのだ。
「ルース、反乱軍が動いたそうだの」
 神王。この事態を重く見たのか、この豚は私を呼び出した。こいつは利用できる。今は私の傀儡として、働いて貰わなければならない。
「えぇ。それについては、対応をしている所です」
 ラムサスが居なくなってから、軍権はドーガと私が握る事になった。元々、軍事には疎かったが、三日も書物を読み漁れば、すぐにコツを掴んだ。後は実戦で経験を積めばいい。
「お前には内政も見てもらわなければならんのう。身体の方は大丈夫か? そんな細身では身が持たんだろう。ん?」
「いえ、大丈夫です。お心遣い、感謝致します。このルース、神王には身命を賭して仕えている身。神王のためなら、このような粗末な命など」
 豚が。お前はもうすぐ死ぬ。貴様のような家畜以下の存在など、生きている価値も無い。
「さすがにルースだ。どっかの戦馬鹿とは違うな」
 腹を揺すらせて笑う。醜い。吐き気がする。
「ラムサスは良い友人でした。ですが、神王に歯向かうのであれば、私が始末をつけます」
「うむ、期待しておるぞ。所で、ドーガはどうしてる? あいつと少し話をしたいのだが」
 神王はドーガを気に入っていた。皆殺しを必ずやり遂げるからだ。神王は人間を殺すのが好きだった。攻め入ってきた敵国の兵や異民族などは、必ず皆殺しにしている。罪人も容赦なく死刑だ。
 ラムサスが軍権を握っていた頃は、ドーガは一兵卒だった。ラムサスが出世させなかったのだ。あいつは良く人を見ていた。有能・無能だけでなく、人間性も加味して登用していたのだ。ドーガは有能だが、人間性はクズ以下だ。
「軍議を行っておりますが、後で参内するよう、私から申し付けておきます」
「うむ、頼んだぞ。さすがにルースだ。ふぁふぁ」
 馬鹿が。

 自室に戻った。神王と話をすると、全身が熱くなる。見ているだけで不快なのだ。あのような醜い生物は、とっとと抹消するべきだ。その上、無能ときている。権力を持っているから、生かしている。利用している。用が終われば、火ダルマにして殺す。
「ラナク」
 ラナクを呼んだ。ラムサスが鍛えた武人で、私の一番の従者だ。容姿も良い。
「反乱軍が動いた。戦が始まる。準備をしておけ」
「はっ」
 ラムサスはおそらく南に向かう。あそこに反乱分子が固まっているのだ。
 いくつか、密書を掴んだ。やはり私が睨んだ通り、反乱軍は内通を仕掛けていた。だが、すぐには看破しない。しばらくは泳がせておく。内通は予定に沿って動かなければならない。つまり、寝返る機という物がある。合図だ。合図があった瞬間に寝返り、そこで始めて内通が成功する。だが、寝返りに失敗したら?
 埋伏。私が考えているのはこれだ。内通はリスクの高い謀略だ。難度も高い。私は密書をいくつか掴んでいる。そのいくつかの反乱分子に、腹心の従者を紛れ込ませる。そして、いざ寝返りの時に埋伏した従者が行動を起こすのだ。反乱軍は兵力が少ない。どれか一つでも事が失敗すれば、一気に敗北の道へ突き進む事になる。
「ルース様も行かれるのですか」
「いや、私は行かない。やる事が多くある」
 本当ならば指揮を執りたい所だが、内政があった。私に代わる人間は居ない。居るはずもない。
 戦はラナクとドーガに任せる。内通・埋伏の話はすでにしてある。問題は、ラムサスに対抗しうる人間が居ない事だ。ラナクはラムサスの前では赤子だ。ドーガがかろうじて、という所だが、兵力が同じならこれも赤子だ。だが、今の人材でやるしかない。人材の差を埋めるだけの兵力はある。
 ラナクは西に向かわせる。つまり囮への牽制だ。囮なら、大した将軍は居ないはずだ。そしてドーガを南へ送る。ラムサス相手なら、あの無能も少しは張り切るだろう。兵力は八万ずつ。仮に内通が成功しても、この兵力なら押し切られる事はないはずだ。
「ラナク、生きて帰ってこい」
 ラナクとは夜の営みがあった。女は汚らわしい。私に群がる獣だ。
「はっ」
 全身が熱い。性欲が身体を支配しようとしている。
「今日は神王に会った。お前に慰めてもらおうか」
 神王に会った日はラナクとの房事が日課だった。あの醜い豚を想像するだけで、吐き気がしてくる。全身が熱くなり、煩悩が活発になる。だから鎮める。ラナクは私にとって必要な存在だった。
「苦悶の日がしばらく続きそうだな」
 言いつつ、ラナクと共に寝台にあがる。明日からはラナクは居ない。戦に出るのだ。だが、嫌な気分はしなかった。野望成就の日は近い。私が世を治める日が、もうそこまで来ているのだ。

     

 ついに始まる。グロリアス飛躍の戦。ハンスを、グロリアスを俺が押し上げる。
 万単位の進軍という事で、進軍速度は緩やかだった。兵力二万。兵科はバランス良く編成されている。当然、俺の騎馬隊も組み込まれていた。率いるは俺とアイオンだ。
「ラムサス、内通の機は俺が作る。お前は頃合を見て、合図を下せ。タイミングを間違えるなよ」
 厳しい戦になる。俺がエクセラに居た頃は、戦とも呼べぬ戦ばかりだった。圧倒的兵力・武力で敵をねじ伏せてきた。だが、今回の戦は違う。まさに命を賭けて挑む戦だ。
「それは分かっているが、ルースは間抜けではない。妨害が予想されるぞ」
「そのルースってのは、エクセラの有能な内政者だな?」
「あぁ、そうだ」
「で、お前の予想では、今回の戦はルース本人じゃなく、ドーガとかいう頭の悪い軍神が来るんだろ?」
 おそらくそうだ。あいつは内政で忙しい。ルースが抜ければ、エクセラは傾く。戦には出れないはずだ。
「あぁ。おそらくだがな」
「なら問題無い。俺に任せておけ」
 何か妙策があるのか。アイオンの戦は見たことがないが、兵と兵のぶつかり合いよりも、知力を使った戦をする、とローレンから聞いた。計略。何かをたくらんでいるのか。
「反乱者たちは、まず一番にお前の姿を確認したいはずだ。ラムサス、悪いがお前には前衛を担ってもらうぞ」
 構わん。むしろ、その方が好都合だ。反乱者たちは、後衛で縮こまるラムサスを待っているのではない。勇猛果敢な軍神ラムサスを待っているのだ。
「総指揮は俺が執る。ラムサス、お前には前衛の指揮権を与えておくが、俺が指示を出したらそれに従うようにしてくれ」
「あぁ、わかった」
 真冬。寒風が吹きすさび、吐く息は白い。だが、心は燃え盛っていた。
 そして、ついに戦場に到着する。

「陣形を組めッ。エクセラはすでに布陣しているぞッ」
 アイオンが大声で指示を出す。
 ドーガ軍、圧巻だった。兵力八万。それだけではない。守備兵力を合わせれば、十万は堅いだろう。かつては、この大兵力を俺は擁していた。敵として見ると、まさに圧巻だ。対するグロリアスの兵力は僅かに二万なのだ。
 だが、勝つ。アイオンが内通を済ませている。内通が成功すれば、形勢は逆転するのだ。だが、これに対し、ルースはどう手を打っているのか。そしてアイオンは、それをどう食い止めるのか。両者の駆け引き。これが、この戦の命運を分ける事になる。
「前衛、陣は偃月(えんげつ)だ。大軍を恐れるなッ」
 前衛に指示を出す。偃月陣。逆V字型の陣形だ。攻撃力重視の陣形で、総大将が最前列に立つ。この陣は錐の先端のようなもので、総大将が強ければ強いほど、力を発揮する陣形だ。また、兵の士気も上がりやすい。総大将が真っ先に敵とかち合うからだ。相手は大軍だ。出鼻を挫いた方が良い。
 後衛は横陣だった。横一列に兵を並べる、最も一般的な陣形だ。二段に分けている。弓矢を交代で撃たせるためだろう。絶え間なく矢を降らした方が、牽制になる。
「ドーガは横陣か」
 様子見をするつもりだろう。あの陣形なら、即座に他の陣形に変える事もできる。
「ギリ、無理はするな」
 側に居るギリに声を掛けた。
「はい。ラムサス様も」
「俺は心配無用だ」
 ドーガを見る。相変わらずの髭面だ。あいつには借りがある。ランドを殺された。だが、抑える。これは私怨の戦ではないのだ。
 デンコウが興奮していた。久々の戦だからか。ドーガを目の前にしているからか。
「ランド、俺を見守っていてくれ」
 胸に下げてあるランドの短剣に、想いを馳せた。あいつの唯一の形見だ。
 心臓の鼓動が高鳴る。いつでも行ける。
 角笛が鳴った。開戦の合図。
「いけぇッ」
 駆ける。先頭。鞘から剣を抜いた。

     

「どけぇッ」
 一人目。首を飛ばす。ドーガ軍、八万。だが、怯むな。俺の騎馬隊は、いや、グロリアス軍は勇猛果敢だという事を、エクセラに見せ付けろ。
 偃月の陣を組んだ騎馬隊が、敵と押し合う。天は矢で覆いつくされていた。万単位となれば、前衛でも分厚い壁だ。奥の方の敵を、矢で減らす。俺の軍の後方は歩兵で固めてある。盾で矢を防ぐためだ。
 剣。はじき返し、首を斬り飛ばす。次々と敵が群がってくる。血が騒いでるのがはっきりと分かった。やはり俺は。
「戦が好きだッ」
 目の前の敵の心蔵を貫いた。剣が抜けない。
「構うものかッ」
 そのまま力で敵の死体ごと振り回す。死体で敵をなぎ払う内に、剣が抜けた。返しざまに敵の首を飛ばす。急所を貫く。
 戦況を確認する。ドーガは横陣だ。大軍でもある。逆V字型の偃月を、囲うように迫ってきていた。
「前衛陣、下がれッ。陣形を変える、鶴翼(かくよく)だッ」
 旗を振らせる。兵たちが敵をさばきながら、陣を変えていく。
 鶴翼。偃月とは逆に、V字型の陣形だ。総大将が最奥に行くため、守りに強い。そしてV字型の穴に、敵が入り込んでくる。そこを両脇から締め上げるのだ。
 下がる。背は見せない。デンコウがまだ戦えると言わんばかりに、気迫を漲らせているのだ。敵が迫ってきた。矢を射て、馬から落とす。
 鶴翼の陣。間髪入れず、敵が入り込んできた。
「両脇から締め上げろッ」
 騎馬が入り乱れた。敵が混乱している。
「ドーガ、こんなものかッ。数だけで戦には勝てんぞッ」
 剣を構える。乱戦から抜けてきた敵を、一人、二人と斬り殺した。すでに鎧は返り血で真っ赤だ。戦をしている。心が燃え盛っている。
 敵の動きが明らかに乱れていた。好機。攻め上げる。
「突撃だッ」
 剣を天に振り上げ、一気に振り下ろした。
「死にたくなければ、道を空けろッ」
 デンコウが駆ける。側に迫り来る敵の首を次々と飛ばす。だが、出過ぎない事だ。敵は大軍なのだ。飲み込まれる。士気をもぎ取る程度に食い込めば良い。
「何をやってる、反乱軍ごときに怯むなッ」
 ドーガの声。近くに居る。
 アイオンが今、内通の機を作っているはずだ。それまで、戦い抜く。ここで敵を完膚なきまで叩きのめせば、内通も成功しやすくなる。劣勢では、見えるものも見えなくなるのだ。
 槍。頬を掠めた。すかさず首を飛ばす。続いて矢が三連。二連は首をひねってかわし、最後の一矢を手掴みして射返した。
「偃月の陣、ラムサスを踏み潰せぇッ」
 ドーガが陣形を変える。
 逆V字型だ。ドーガが先頭で突撃を仕掛けてくる。
「前衛陣、一旦下がるぞッ」
 固まる。反転。駆ける。土煙が舞い上がった。ドーガが偃月の陣で突撃を仕掛けてくる。
「歩兵・槍隊、槍を前へ突き出せッ」
 歩兵の背後まで駆け抜ける。槍兵が真っ直ぐに槍を突き出した。これで騎馬が怯む。
「騎馬隊、陣を組み直せッ。偃月だッ」
 旗を振らせる。即座に陣を組んだ。敵がわざわざ前に出てきた。各個撃破のチャンスだ。確実に潰す。敵は歩兵の槍で勢いが半分死んでいる。臆病者が。そんな兵で、戦に勝てるものか。
「突撃ッ」
 駆ける。歩兵の脇を駆け抜けた。先頭。ドーガの顔がはっきりと見えた。
「ラムサァスッ」
「ドーガッ」
 剣と戟がぶつかり合った。

     

「ローレン、陣を変えろッ」
 西の辺境。私たちは囮として戦場に出向いていた。兵力二万。対するエクセラは八万だ。
 敵の動きがラムサスに似ていた。いや、正確にはラムサスの動きを雑にしたような感じだ。ラムサスとは一度だけ手合わせをした事がある。あいつがまだ、エクセラに居た頃の話だ。あの時の動きに似ている。
「敵軍の指揮官は、ラムサスの元部下か? ギリとランド以外に親しい従者は居ないと聞いていたが」
 ローレンが血気に逸っている。あいつはラムサスを好敵手として見ていた。敵の動きで感化されたのか、強気だった。いつまでも偃月の陣なのだ。敵は大軍、いずれは飲み込まれる。
 一方のクラインは鶴翼の陣で、敵を上手く迎撃していた。V字型の穴に入り込んでくる敵を、見事にさばき切っているのだ。さすがに歴戦の将軍だ。守りも得意で、こちらに不安要素は無い。
 ローレンとクラインには前衛の兵を五千ずつ与えた。前衛を右翼・左翼に出し、私がその背後で後衛の指揮を取る。弓矢を射掛けているが、敵の中衛は盾を持っていた。これもラムサスのやり方と同じだ。あいつとは兵法について、一晩語った事がある。その時に、喋っていた。
「ローレン、陣形を変えろッ。いつまでも偃月で居れば、飲み込まれるぞッ」
 さっきから旗を振らせているが、一向に陣を変えようとしない。
「あの馬鹿。仕方ない、騎馬隊、弓矢を捨て置け。接近武器に持ち替えろ」
 飲み込まれそうになったら、突撃して救うしかない。ローレンは武芸に関しては天才だが、戦はまだまだ経験が足りない。だが素質はあった。
 敵の前衛が鶴翼になった。ローレンを誘い込むつもりだ。あの誘いに乗れば、確実に飲み込まれる。
「駆ける用意だ。怯むなよ」
 だが、ローレンも陣形を変えた。横陣。ゆっくりと下がっている。敵は鶴翼のまま、進軍していた。逆に誘い込んでいる。
「あいつ、ギリギリまで戦っていたのか」
 ローレンの奴。状況把握能力が高い。やはり素質はある。
 敵が弓矢の射程範囲に入ってきた。
「ローレンがやった。弓矢を射掛けろッ」
 矢の嵐。敵の兵が次々と馬から転げ落ちていく。
「ラムサスに似ているが、まだまだだな。大軍の扱いには慣れていないようだ」
 すぐさま敵が軍を下げた。ローレンが偃月の陣に組み直し、それに追い討ちをかけている。クラインも一足遅れて、攻め入った。
 善戦している。ほぼコチラの想定通りに戦が動いている。つまり、戦場の支配権を握っているのだ。いかに大軍でも、戦場を支配されれば負けるしかない。
 ローレンとクラインがかなり押し込んでいる。だが、不自然だ。何かがおかしい。もしかすると、戦場の支配権を握っているのではなく、握らされているのではないか。エクセラ軍は下がっているが、乱れてはいない。後衛だから分かる光景だ。前衛はそれ所ではない。遮二無二、突き進んでいる。
「さっき、弓矢の射程範囲に入ってきたのは布石か」
 前衛の周囲に目をやった。両脇に林。まさか。
「旗を振らせろ。下がらせる」
 ラムサスに似ている動きだからと油断していた。だが、もうエクセラにラムサスは居ないのだ。これは全くの別人が指揮している軍なのだ。

 ラナクは上手くやっているだろうか。
 この戦に勝てば、エクセラを、世を治める事ができる。
 ラナクはラムサスの弟子だ。戦のやり方も、それに通ずる物がある。だが、師匠のラムサスはもう居ない。あいつが居なくなってからは、この私がラナクの師匠となった。私は内政だけではない、謀略も使える。
 もし、謀略を戦に生かす事ができたら? ラムサスの教えに、私の教えを加えたならば?
「これ以上ない、最強の戦術者の誕生だ。軍神ラムサスと、この私のやり方を組み合わせれば、反乱軍など」
 オリジナルのラムサスには敵わずとも、他の将軍なら踏み潰せる。
「ラナク、お前の赴いている戦場は、兵を隠すには持ってこいの場所だ。捨石を使い、敵を殲滅しろ」

 伏兵。
 一瞬だった。旗を振らせ、下がらせようとした瞬間、両脇の林から矢が降り注いだのだ。そして騎馬が飛び出した。間髪入れず、本隊も突撃してきた。三方向からの締め上げだ。しかも大軍。放っておけば、壊滅する。
「くそッ、完全にやられた」
 クラインは上手く兵をまとめ、何とか踏みとどまっているが、ローレンは完全に混乱している。統率が取れていない。
「騎馬隊、陣形を組め。鋒矢(ほうし)の陣だ」
 鋒矢。↑型の陣形で、突破力に優れている。その反面、横からの攻撃にめっぽう弱いが、今はそんな事を言っている余裕はなかった。ローレン軍と合流した後、しかるべき陣に変えるしかない。
 鋒矢の陣の場合、総大将は最背面に位置する。背後から指揮を取る形だ。
「ローレン、死ぬなよ。行くぞ、全力で駆けろッ」
 見据えるその先は、血しぶきが舞っていた。
 

     

 重い。だが、ランドを殺された。ランドが味わった痛みを思えば、こんな物。
「ハハ、ラムサス。ランドとか言ったか、あの従者」
 鍔迫り合い。目と目が完全に合っている。ドーガの目は殺意で満ち溢れていた。
「矢で射た時は最高だったよ。ぐったりとして、ラムサス様、だもんなぁ」
 血が煮えたぎった。怒りが全身を駆け巡る。
「馬にも乗れないヘタレが戦場に出やがって。お前の従者は糞以下だよ。ハハッ」
「貴様ぁッ」
 切り払う。ランドを、ランドを。
「侮辱するなぁッ」
 剣を薙いだ。戟の刃をすり削るがごとく、火花が激しく飛び散った。
「ラムサス、俺は貴様のせいで出世できなかった。強いのに、戦も上手いのに、貴様が、貴様が居たせいで出世できなかった。親の七光りが。父親が居なければ、何も出来なかった屑がッ」
 戟。身体をひねってかわす。強くなっている。前の戦の時よりも。憎しみが、怒りが戟に乗り移っているのが解る。
「お前を出世させれば、国が傾く。貴様は自分が悪だとわからないのかッ」
 違う。強くなっているのではない。殺意が増幅しているのだ。威圧。ドーガはそれを覚えた。人にはそれぞれ雰囲気というものがある。自信などが良い例だ。それを前面に押し出す事で、人に自分をより大きく見せることができる。だが、ドーガをまとっているそれは。
「殺意。貴様、それをどうするつもりだッ」
「全てはお前のせいだ、ラムサスッ」
 戟が飛んでくる。剣で受け流すが、不安感が全身を包み込んだ。お、俺が、俺がドーガに怯えているのか。そんな馬鹿な。
「どうした、ラムサスッ。反乱軍に寝返ってから、剣が鈍くなったんじゃないのか? そのまま死ぬか? 元軍神ッ」
 さばく。だが、反撃できない。反撃すれば、腕が、いや、首が飛ぶ。ち、違う。恐れているのだ。俺がドーガを。
「貴様、殺意に憑りつかれたかッ」
「違う、手に入れたッ。貴様を殺す術をッ」
 横から矢。仰け反ってかわす。さらに槍が飛んできた。剣の柄尻で刃を止め、力任せに槍ごと敵を引き寄せた。戟が飛んでくる。その敵を盾にした。首が宙を舞う。
「ラムサス様、戦況が変わりますッ。敵の本隊がッ」
 ギリの声だ。戦況。見失っていた。ドーガに圧されていた。確かに敵の中衛が合流している。ドーガが旗を振らせていたのだ。下がって、陣を組みなおすべきだ。鶴翼か魚燐。守りに徹した方が良い。
 ドーガのこの殺意。ランドを殺された怒りすらも飲み込んでくる。この男、やはり危険すぎる。神王、いや、ルース、一体何を考えているのだ。ドーガすらも手駒として利用しているのか。利用しきれるのか。
「ラムサス、死ねぇッ。ここで死ねッ。俺に首をよこせぇッ」
「ドーガッ」
 激突。全てを喰い殺さんばかりのこの猛虎を、ここで何とかしなければ、グロリアスごと飲み込まれる。
「ラムサス様、限界ですッ。指揮をッ」
 その前にこいつを。こいつを何とかしなければ。
「ラムサス様ッ」
 クソッ。
「旗を振らせろ、横陣。迎撃しつつ下がれッ」
 戟を押す。力勝負なら互角。技量も上だ。だが、殺意で全てを覆される。危険だ。ドーガは危険すぎる。
 騎馬隊が陣を組みなおした。少しずつ下がる。歩兵と合流すれば、何とかさばける。そこまで下がれば、矢の援護も入るのだ。
「アイオン、早くしてくれ。持ち応えられんッ」
 ドーガが迫ってくる。くそ、怯むな。ランドの痛みを思い起こせ。身体に、心にそれを刻み込め。
「ラムサス、ここで死ねッ」
 憎悪。ドーガが大きく見える。恐怖するな、見据えろ。戦え。ランドの仇を取れ。
「首をよこせぇッ」
 戟。デンコウが勇んでいる。デンコウ以外の馬なら、尻尾を巻いて逃げてもおかしくない。ドーガの黒馬にも殺意が乗り移っているのだ。
 ドーガと直接、刃を交えるのは不利だ。兵と兵のぶつかり合いなら勝てる。その証拠に、前半戦は圧倒的にこちらが有利だったのだ。
 逃げ腰になるな。自らを奮い立たせろ。俺はラムサスだ。落ち着いて対処すれば、何の事はない。
「デンコウ、お前の勇気をッ」
 反撃する。戟と剣が交わり、火花が何度も飛び散った。下がる。少しずつだ。歩兵が見えてきた。槍を出させれば。
「踏み潰せぇッ。ラムサスは俺様に怯えてやがるぞッ。臆病者の指揮する兵だ、踏み潰せッ、殺しまくれッ」
 騎馬隊が突撃してきた。何てことだ。どうする、歩兵が蹂躙されるぞ。
「アイオン、早くしてくれッ」

     

 土煙、金属音、喚声。大混乱だ。
「怯むな、このまま割って入るッ。武器を構えろッ」
 ローレンを救う。武芸は得意ではない。だがそれでも、人並には戦えるつもりだ。槍を構えた。かつては、この槍でローレンを鍛えたのだ。十年程前の話だ。
 戦線。割り込んだ。敵が驚いている。
「一気に駆け抜けろッ。ローレンの陣までだッ」
 槍を構える。側面から敵が群がってきた。さすがに伏兵を仕掛けているだけあって、対応が早い。
「ハンス殿、何をしておられますッ」
 私の旗を見たのか、クラインが駆けてきた。この大混戦の中で、よく来れた。敵兵をさばいている。
「ローレンを救うッ」
 それだけ言って、馬に鞭を入れた。ローレンはまだ若い。能力もある。こんな所で死んで良い男ではない。
「くッ」
 槍が目の前を掠めた。突いてきた敵を馬から落とす。冷汗が全身から噴出している。長らく、戦闘から遠ざかっていた。ローレンやクラインが代わりを担っていたからだ。動悸が激しい。この重圧、久しぶりだ。
「ローレン、ローレンはどこだッ」
 ローレン軍と合流した。鋒矢の陣を解き、一つの円になった。中央に私を配し、周りを兵が固める。
 クライン軍以上の混戦だ。しかも、統率が全く取れていない。敵味方が入り乱れており、完全に陣形を崩されていた。対する敵軍は、しっかりと統制されている。
「エクセラめ、予想外の戦の上手さだな」
 これでは、ローレンを探すよりも軍をまとめた方が良い。鎮静を優先させるべきだ。ローレンの安否が気に掛かるが、全体の情勢を考えて行動した方が良い。
「私が指揮を執る、旗を振らせろ」
 混乱しているため、しばらくはまともに機能しないだろう。だが、何もやらないよりはマシだ。周囲の兵たちが、旗に気付いて集まってきた。
「陣を組め、一つに固まれッ」
 少数だが、ローレン軍が一つの円になった。迫り来る敵兵をさばきつつ、前進する。敵は大軍だ。次々と群がってきていた。内側に配されている兵たちが矢を放ち、威嚇する。だが、焼け石に水だ。長居は出来ない。
「ローレン、ローレンッ」
 白馬を探す。ローレンは白馬に乗っているのだ。気が強く、勘の良い馬だ。足も速い。
 尚も前進する。すでに敵中深い。すぐそこに、敵の本隊が居るはずだ。後退するにも難しくなってくる。諦めるしかないのか。
 途端、前方から声が聞こえてきた。若い声だ。耳を向ける。
「固まれッ、慌てるなッ」
 この声。ローレンだ。
「ローレンッ」
 駆けた。無事だったか。生きていたか。
 視認した。指揮を執っている。数百という兵をまとめ、敵の本隊と勇猛果敢に戦っている。
 敵が弓矢を構えていた。ローレンを狙っている。
「このッ」
 矢を放った。敵の腕に突き刺さった。咆哮をあげている。一矢で仕留める事が出来なかった。ラムサスなら、ローレンなら一矢だ。さらに放つ。馬から落とした。
「ハンスさんッ」
 気付いた。
「ローレン、軍を下げろッ。生き残りは私がまとめた、あとはお前だけだッ」
「ですがッ」
 瞬間、ローレンが手綱を引いた。白馬が棹立ちになる。その下を男がかいくぐった。体格はローレンと同じくらいだ。だが、まとっている雰囲気は。
「ら、ラムサス。いや、違う。だが、あの動きは」
 間違いなくラムサスだ。馬に乗っていない。徒歩だ。武器も剣。かつて、ローレンとラムサスは一騎討ちを演じた。あの時の剣に精通する動きだ。まさか、ラムサスの弟子か。
「ハンスさん、この男が総大将ですッ」
 なんだと。ローレンが槍で剣をさばいている。
「馬から落としましたが、徒歩でッ」
「我が名はラナク。軍神ラムサスの一番弟子だ。おまえ、反乱軍の君主だな」
 その男と、目が合った。冷ややかな目だ。そう思った。

     

 くそ、エクセラがここまで強大とは。兵力八万、伊達ではない。ドーガの突撃号令で、その圧力は抗し難いものになった。
 ドーガが指揮する軍は、主の心そのものだ。ドーガの心境によって、兵の力が、軍の動きが変化する。良い意味でも悪い意味でも、軍とドーガは一体化していた。今のドーガは、強気を超えた強気だ。俺と刃を交え、奴は自分が上だと確信した。そして、それは事実だ。奴は憎しみと殺意を取り込み、それを力に変えた。
 ランドが死んでから、俺の中で何かが消えたのか。闘志か、殺意か。いずれにせよ、今の俺ではドーガに。
「ローレン、お前が居れば」
 思わず呟く。
 小僧と馬鹿にしていたが、あいつは不屈の精神を持っていた。俺が一騎討ちで勝利した時も、命乞いなどして来なかった。共に戦った時も、挟み撃ちという絶望的状況の中で、自ら先陣を切ってドーガ軍に突撃した。
 勇気。ローレンはそれを持っていた。俺には無い。勇気など持たずとも、俺は敵を殺せた。殺意と闘志だけで、敵を殺せたのだ。俺は強い。だが、ドーガは、戟を振り上げ、俺を殺そうとしているこの男は、俺よりも。
「くそ、認めるものかッ」
 戟を受け止める。切り払った。
「そんな軽い剣で、俺を殺せると思ってるのか、反逆者がッ」
「黙れッ、お前など、お前などッ」
 敵の騎馬隊の圧力が強烈過ぎる。今は俺の騎馬隊が受け止め、何とか踏みとどまっているが、相手は大軍だ。敵軍がもう一枚、覆いかぶさってきたら、一気に瓦解する。踏み潰され、歩兵が皆殺しだ。その勢いで後衛も飲み込まれるだろう。何とかしなければ。だが、どうすればいい。
「くそッ、踏みとどまれッ、ドーガ軍を調子付かせるなッ」
 無理だ。敵は大軍なのだ。俺が士気を上げなければ、踏みとどまる事など出来やしない。
 ドーガだ。ドーガを殺しさえすれば、形勢逆転できる。
「ラムサス様、ここは退くべきですッ。騎馬が次々と殺されていきますッ」
 ギリ。確かに言うとおりだ。だが、退けばアイオン軍が踏み潰される。そして戦に負ける。それだけはできない。
「ギリ、アイオンの旗を見ていろッ。あいつなら今の状況に気付いているはずだッ。すぐさま動けるように見ていろッ」
 これに賭けるしかない。兵力も無い、総大将を討つ術も無い。士気もガタ落ちだ。かろうじて、陣形を保持しているが、これも時間の問題だ。アイオンに全てを賭けるしかない。
「ラムサァスッ」
 戟。速い。いや、気を取られていた。急所だ。まずい、死ぬ。
 瞬間、デンコウが飛び込んだ。それに身体が反応する。脇をかすめる戟を剣で受け流した。同時に恐怖、動悸が襲ってきた。
「はぁはぁッ、な、なんだ、くそッ」
 なんだ、この感情は。父さん、何なんだ、これは。ハンス、ローレン。
「しぶとい奴が、死に腐れッ」
「うあぁぁッ」
 剣を薙ぐ。戟を切り払った。なんだ、何が起きている。まずい、混乱している。抑えていた全ての感情が解き放たれた。ドーガに、ドーガに屈する。
「俺は、俺はッ」
 槍。叩き斬る。その敵の首を薙いだ。身体は動く。矢。身体をひねってかわす。身体は動くのだ。だが、何かがおかしい。
「ギリーッ」
 叫んだ。どうすれば良い。どうすれば。
「腰抜けがッ、そのまま踏み潰されろぉッ」
 ドーガが、巨人に見えた。殺される。

     

 駆けてくる。徒歩だ。ラムサスの一番弟子。
「ハンスさん、そいつの剣の腕は確かですッ」
 ローレンが叫んだ。目線は外さない。ラナクと名乗ったその男に合わせたままだ。槍を構える。受けるぐらいならば。
「僕が相手だぞ、ラナクッ」
 ローレンが背後から槍を突き出した。ラナクが身体をひねり、それをかわす。あのセンス、ラムサスに通ずるものがある。
 周囲を見渡した。敵だらけだ。早く退いた方が良い。クライン軍と合流するべきだ。
「ローレン、そいつは放っておけッ。軍を下げろッ」
「ですが、コイツはッ」
 槍と剣で火花を散らしている。馬上での戦いはローレンが制した。馬から落とした、とローレンが言っていたのだ。だが、あの戦い方、ラナクという男は、むしろ徒歩が得意なスタイルではないのか。あのローレンと五分の戦いを演じている。
「ローレン、私はお前を助けに来たのだッ」
「ですがッ」
 違う、ローレンは逃げようにも逃げられないのだ。ラナクがしつこくまとわり付いている。弓矢を構えた。矢で牽制する。その間に、こちらまでローレンを駆けさせる。
 狙いを定める。
「くそっ」
 撃てない。私の腕では無理だ。ローレンを上手く使って、盾にしている。あいつ、戦闘センスはラムサス譲りか。こうしている間にも、敵軍は確実に攻め入ってきている。兵たちが次々と殺されていく。
 焦るな。落ち着け。
 以前にも、こういう事があった。あの時はアイオンと私、ローレンでの戦だった。私は一人で慌てて、指揮を忘れていたのだ。それをアイオンがフォローした。
 アイオンはあの時、どうした? ローレンと敵将が争っている時、あいつは。
「ローレン軍、固まれッ」
 兵の指揮を執る。敵将はローレンに任せていい。ローレンを信じる。あいつは、こんな所で死ぬ人間ではない。アイオンは、瞬時に最善の判断を下し、行動していた。ローレンの助太刀が出来ないのであれば、私は別の事をするまでだ。
「このッ、僕をなめるなッ」
 ローレンが槍の柄尻でラナクの胸を突いた。尻餅をついたラナクを飛び越え、ローレンが白馬で駆けてくる。
「ちっ。だが、もう遅い。反乱軍、お前らはここで全滅だ」
 ラナク。表情には余裕がある。まだ何か隠し玉を用意しているのか。だが、どの道ここには居られない。
「よし、全軍反転ッ。クライン軍と合流するべく駆け抜けるぞッ」
 陣を組んだ。一つの円になる。駆ける。敵軍が覆いかぶさってくる。
「僕が先頭に立ちますッ」
 ローレンが白馬に鞭を入れる。ローレンを先頭にして、一気に突き崩す。私は中央に位置した。軍の、グロリアスの君主だ。戦死だけは何としても避けなければならない。
 君主が最前線に食い込む。考えてみれば、前代未聞の事だ。それほど、無我夢中だったということか。こんな最悪の状況なのに、気は昂ぶっていた。
「我が名はローレン、反乱軍一の武芸者だッ」
 ローレンの大音声。戦場中に響いた。敵軍が怯えた。軍には気というものがある。その気が一瞬にして縮こまった。ローレンめ、中々やる。
 一心不乱に駆けた。抜ける。突き崩せる。敵が紙のようだった。ローレンが駆ける。いや、貫く。敵軍の壁を、貫いていく。
「クラインさんッ」
「ローレン殿、ご無事でしたかッ」
 クライン軍と合流した。すでに乱戦状態だが、何とかこれで敵をさばける。ここを凌ぎきれば、伏兵で落ちた士気も取り戻せる。
 だが、その瞬間だった。両脇の林から、敵兵が飛び出してきた。一万は居る。
 死を、覚悟した。

     

「ぐッ」
 渾身の力で襲いくる戟を切り払う。身体は動くのだ。だが、屈している。心が、ドーガに屈している。恐れるな。ここで踏みとどまれなければ、全滅だ。死を恐れるな。ドーガを恐れるな。何度も自分の心を叱咤した。
 その瞬間だった。
「ラムサス様ッ、アイオン様が退け、と旗を振っています、指揮をッ」
 ギリが駆けて来た。
 やっとか。やっとなのか。だが慌てるな、落ち着け。
「よしッ、陣は横陣、敵をさばきつつ下がれッ。歩兵は槍を突き出して牽制しろッ」
 ここが正念場だ。自らに言い聞かせる。これが、これが戦なのか。これが、圧倒的兵力差での戦なのか。父は、こんな戦に幾度となく勝利してきたのか。
 戦神。その意味の重さを実感した。他国が震え上がり、無血開城したのも頷ける。この戦、俺一人ならば、どうにもならなかっただろう。アイオンが策を持っている。これに全てを賭けたのだ。
 本当に俺は、軍神なのか。軍神という名に溺れていなかったか。連戦連勝したのは間違いない。だが、勝って当たり前の戦ばかりだった。兵力が五分と五分のハンスとの戦ですら、引き分けに終わった。
 俺は、何もしていない。父から教えられ、その方法で勝って、父の軍を受け継いで、父の異名を借りたに過ぎない。俺自身は、何もしていないのだ。
 ドーガの言っている親の七光り。これは真実ではないのか。
 悔しさが、心の奥底から滲み出てきた。こうやって耐えている事が出来るのも、父の教えのおかげだ。俺は、何もしていない。
「凌ぎきれッ、ここが正念場だぞッ」
 だがそれでも、それでも俺は軍神だ。俺に付き従ってくれている兵たち、反乱を起こそうとしているエクセラの兵たち、この者たちは、軍神である俺を信じている。ドーガに侮辱されようと、俺の力がドーガに及ばない事がわかろうと、俺を信じている者たちが居る。これは紛れも無い事実だ。
「歩兵、もっと槍を突き出せッ。騎馬隊、歩兵と組んで敵を迎撃しろッ」
 だからこそ、俺は今を戦う。戦い抜く。この思いが、恐怖を抑え込んでいた。
 後方から矢の雨が降り注いだ。アイオンが射掛けさせたのだ。敵の騎馬の勢いが、ほんの少しだが緩んだ。反撃の機か。いや、アイオンは下がれと命令している。ここは、このまま耐え抜く。
「ラムサス様、敵軍の勢いが死んでいますッ。打って出るべきではッ」
「いや、ダメだッ。アイオンの命令を最優先するッ。今のうちに、崩れ掛かっている陣を組みなおせッ」
 敵軍が動揺している。次々と矢で騎馬が落とされているのだ。どうする、ドーガ。
「ちィッ。勢いをつけ踏み潰すッ。反転しろッ」
 妥当な判断だ。これで距離が開く。アイオンの命令通り、これで下がれる。
 ドーガ軍が一斉に反転した。大軍の反転。圧巻だ。土煙が砂嵐のように舞っている。
「今が機だ、ラムサス軍、下がれッ。反転して、全力で駆けろッ」
 言って馬首を回す。アイオンの旗を見る。内通の命令。ここで出すのか。一体、何故。ここで敵軍を寝返らせても、ドーガ軍の勢いに飲み込まれるだけだぞ。
 いや、考えるな。アイオンの命令だ。俺はそれに従うまで。
「ギリ、旗を振らせろッ。アイオンから内通命令が下ったッ」
 ギリが困惑している。俺もお前と同じ気持ちだ。だが、信じろ。アイオンを信じろ。ドーガ軍が反転を終え、こちらに駆けてくる。凄まじい勢いだ。あの圧力に耐え切れるのか。
 旗を振らせた。
 瞬間、ドーガ軍の後方で混乱が起きた。だが、混乱が小さい。やはり、ルースが手を回していた。これでは、ドーガを止める事は出来ない。ドーガが一瞬、後ろを振り返った。だが、お構いなしに突撃してくる。許容範囲の混乱と判断したのだ。つまり、大した成果をあげていない。アイオン、どうするつもりだ。
 旗。アイオンの旗が振られている。後退命令。しかも、後衛の陣までだ。何がしたい。
「何がしたいんだ、アイオンはッ」
 だが、命令だ。
「ラムサス軍、全力で駆けろッ。俺がしんがりをつとめるッ」
 急ぐしかない。ドーガの軍勢が駆けてくる。もう踏みとどまる事など出来やしない。全軍で受け止めるというのか。無理だぞ。あの勢いと兵力の前では、損耗した俺たちの軍など一飲みだ。
 デンコウの振動が激しくなった。地面が荒れているのか。地に目をやる。枯れ木、枯れ枝、枯れ草。おかしい。こんな物、布陣した際にはなかった。辺り一帯に配されている。山積みにされているものが十数点。
 空気が乾いている。
 駆け抜けた。後衛と合流する。振り返る。ドーガ軍の先頭が、枯れ木、枯れ枝、枯れ草の地帯に足を踏み入れた。
 その瞬間だった。火矢が、赤い雨が降り注いだ。
 その無数の赤い雨が、地に降り立った瞬間、紅蓮の竜が咆哮をあげた。
「火計かッ」

     

 伏兵。両脇からの奇襲。乱戦状態を飲み込んでくる勢いだ。
 謀られた。ラナクという男に。罠に嵌められたのだ。
 まず、ローレンとクラインを伏兵で襲い、私を前線に引き出させた。ここは賭けだったはずだ。しかし、もし私が前線に出ずに傍観していたとしても、第一の伏兵で前衛陣は壊滅していただろう。その証拠に、ローレン軍は統率が取れていなかった。放っておけば皆殺しにされていたはずだ。そして、その勢いでクライン軍も飲み込まれる。
 敵は二重に罠を張っていた。私が前線に食い込む事を計算に入れ、伏兵を二回に分けたのだ。
 死を、覚悟した。
 妙に冷静になっているのが分かった。敵の考えている事、計略が瞬時に頭の中を駆け巡った。
「死ぬしかないのかッ」
 前方はクライン軍が踏ん張っている。だが、乱戦状態だ。連携を取るのは無理と考えたほうが良い。左右に新手、背後に本隊。やはり絶望的な状況だ。完全に包囲されている。敵の勢いも盛んだ。
「ハンスさん、単騎で駆けてくださいッ」
 なんだと。
「私に兵たちを見捨てろと言うのか、ローレンッ」
 伏兵が戦線に突入してくる。騎馬だ。その背後を歩兵が駆けている。
「歩兵、槍を突き出して圧力をかけろッ」
 ダメだ。陣を組めていない。騎馬が歩兵を踏み潰した。突っ込んでくる。
「クソッ」
「ハンスさん、僕が先頭を駆けますッ。僕がハンスさんを守りますッ」
 馬鹿な。
「全力で駆けてくださいッ」
 白馬で駆け去る。待て、ローレン。
「待てッ」
 馬鹿な。兵たちを見捨てるというのか。今まで、私に付き従ってくれた兵たちだぞ。それを見捨てるのか。
「ハンス様、逃げ延びてくださいッ」
「グロリアスに必要なのはハンス様です、ローレン将軍の言うとおりにッ」
 兵たちが私に叫んでいる。私に生きろと言っているのか。
「ハンスさん、早くッ」
 ローレンが叫んだ。背後の本隊が迫ってきているのだ。
「ハンスさんッ」
 割り切れ。私は君主だ。私が死ねば、全てが終わる。今まで築き上げたものたちが、全て崩れ去る。割り切れ。私は死ねないんだ。
 歯を食いしばった。同時に、馬に鞭を入れる。駆ける。
「ローレン軍、ハンスさんのために命を捨てろッ」
 兵たちが雄叫びをあげた。
「さぁ、全力で駆けます。ついてきてくださいッ」
「クライン軍と私の軍が居るッ」
「逃がします、僕の軍が死を受け持ちますッ。さぁ、早くッ」
 ローレンが槍を構えた。そして駆ける。
 金属音がそこら中で鳴り響き、地面は死体と血で覆いつくされていた。死体の大半はグロリアスの兵だ。
 ローレン軍が、前線で抗っていた。旗を振らせている。退却の合図だ。それに気付いた私の軍、クライン軍が四散している。逃げ惑っているのだ。
 ローレン軍が見えなくなった。敵に囲まれた。いや、飲み込まれた。旗が倒れた。全員、殺されるだろう。皆殺しだ。エクセラは、神王は、反逆者を例外なく皆殺しにする。
 涙が出てきた。私のために。何の取り柄もない、凡人である私のために、多くの者が理不尽な死を迎えたのだ。そう思うと、やり切れなかった。だが、割り切るしかない。それが君主であり、上に立つ人間の宿命だからだ。
「私は、お前たちの死を無駄にはしない」
 世を平定する。これがせめてもの手向けだ。この戦だけではない。今までの戦で死んでいった者たちに対する手向けだ。
 駆け抜けた。鎧に無数の擦り傷を負っているが、無事だった。
 敗けた。ラナクはおそらく、この勢いでグロリアスに攻め込んでくる。どこで踏ん張るか。仮にグロリアスが陥落した場合、ラムサスとアイオンは帰る場所がなくなる。せっかく彼らが戦に勝っても、孤立無援の窮地に立たされ、事実上の敗戦となってしまうのだ。どこかで踏ん張らなければならない。
「グロリアスの国境で敗軍をまとめる。そこでエクセラ軍を受け止める」
 地の利がある。守るだけならば。生き残りの兵数にもよるが、やらなければならない。
 涙は、もう止まっていた。こんな所で、うなだれている場合では無い。そう言い聞かせ、駆け続けた。

     

 炎が天を貫き、熱風が戦慄を巻き起こす。ドーガ軍が地獄の叫びをあげていた。
 阿鼻叫喚。現世の地獄だ。これが、アイオンの戦なのか。凄まじすぎる。
「ら、ラムサス様、これは」
 ギリの声が震えていた。無理もない。俺も状況に飲まれつつあるのだ。
 よく耐えた。今、頭に浮かんでくるのはこれだけだ。あの圧倒的不利な状態で、よく持ち応えた。俺が指揮したからではない。兵たちが、しっかりと気を持っていた。勝利のため、飛躍のため、主のため。それらが力となり、耐え抜いたのだ。そして、その結果がアイオンの火計。圧倒的勢いの大軍を一網打尽に粉砕・滅却へと導く計略。
「ラムサス、何をぼーっとしている」
 この声、後ろを振り返る。
「今が機だ。一気に逆転するぞ」
 アイオンだ。馬に乗っていた。
「どうすればいい」
「何を言ってるんだ? お前らしくもない。寝返ったエクセラ軍が、後方でドンパチやっている。そいつらをまとめろ。俺は火だるまの残りを仕留める」
 そう言って陣に戻っていく。
 そうだ。アイオンの言うとおり、今が逆転の機だ。火計に驚いている暇はない。
「ギリ、生き残りの兵をまとめろ。騎馬のみで編成する。歩兵は火計から逃れてくる敵を討たせろ」
「はっ」
 騎馬の生き残りはニ千という所だろう。ドーガとのぶつかり合いで、半数以上が死んだ。だが、それは無駄な死ではない。その死の上に、勝利がある。戦を終わらせるための勝利があるのだ。ランドの死も、兵たちの死も、決して無駄にはしない。いや、無駄にはしてはならない。
「騎馬隊、偃月陣。後方で寝返ったエクセラ軍が、反乱を起こしている。そいつらを援護し、勝利につなげるぞ」
 喊声。同時に駆ける。逆V字型の陣形。
 火炎地獄の脇を駆けた。焦げ臭さが、鼻を刺激した。人が焼ける臭いだ。叫び声は小さくなっていく。次々と死んでいるのだ。炎が、人や馬を次々と死へと追いやっている。
 これがアイオンの戦なのか。俺とは正反対のやり方だ。
 計略など。俺は今まで、そう思っていた。戦は兵がするものだ。兵が、将が強くなくて、何ができる。そう思っていた。そしてこれは、事実だろう。計略以前の話であり、戦の大前提なのだ。
 だが、勝てなかった。俺のやり方では、ドーガ軍に敗北していた。兵と兵のぶつかり合いでは、間違いなく数で踏み潰されていた。アイオンの火計が、勝利につなげたのだ。火計が全てを覆したのだ。
「しかし、気持ちの良いものではないな」
 呟いた。心の奥底にある嫌悪感を、口に出した。
 否定はしない。だが、俺とは縁のない戦の仕方だろう。計略は、全てを覆す。兵の質、将軍の質、士気、陣形での駆け引き。それら全てを覆す力を秘めている。戦は結果が全てだ。勝てば次がある。負ければ、全てを失う。過程や方法などに、こだわるべきではない。だがそれでも、俺は兵と兵のぶつかり合いが好きだ。アイオンのような戦の仕方もある。それを体験した。今は、それだけで十分だ。
 後方に回り込んだ。確かに、激しくぶつかり合っている。
 知っている顔がいくつかあった。父の代からの将軍たちだ。すでに陣形を作って応戦している。さすがと言うべきか。
「騎馬隊、陣を崩すな。このまま攻め入るぞッ」
 駆け抜けた。剣を構える。
「我が名はラムサス、グロリアスの軍神だッ」
 敵。首を飛ばした。血しぶきが舞う。熱風が全身をかすめた。ドーガの陣は、なおも燃え盛っている。
「エクセラからの離反者たちよ、今が機だ、喊声をあげろッ」
 燃え盛る炎を背に、兵が声を上げた。天を貫く勢いだ。士気が最高潮に達している。アイオンの火計が、さらにそれを突き上げる。
 エクセラ軍がとまどっている。
「突撃しろッ」
 そう叫んだ瞬間、蜘蛛の子を散らすかの如く、敵軍が逃げ出した。
 当然の結果だ。指揮官であるドーガは火の海の中で、生きているかどうかすらも怪しい。頭が無くなった軍など、烏合の衆も同然なのだ。
「追撃しろ、このままエクセラ領内まで踏み入るッ」
 ここから、どこまで攻め入る事が出来るか。グロリアス飛躍まで、あと一歩だ。
「ギリ、アイオンに追撃の旨を伝えろ」
「はっ」
「離反者たちよ、俺に続けぇッ」
 駆けた。ドーガの陣は、まだ燃え盛っていた。

     

「崖上に丸太・岩を設置し終えました」
「あぁ、わかった。すまないな」
「いえ。次は、落とし穴でしょうか」
「そっちはクライン軍がやってくれている。お前たちは、食事を取れ。休んでいないのだろう」
「ハンス様に比べれば、我らなど。罠をもう一つ、作って参ります」
 そう言って、部隊長が去っていく。
 国境。
 何とか自国まで逃げ延び、敗軍をまとめた。生き残った者は全軍で僅かに四千だった。二万がただの一戦で、四千にまで減った。いや、四千も生き残ったと言うべきか。あの戦、全滅してもおかしくはなかった。当然、私も戦死していただろう。ローレン軍が命を捨てた。捨て身で退路を確保したのだ。そのおかげで、私は生きている。四千の兵が生きている。
 ローレンが負傷していた。左腕を刃物でえぐられ、肉を削ぎ落とされていたのだ。おびただしい血の量で、応急処置は施したが、万事を取って寝かせていた。出血していた時間が長かったのだ。
 私を守るため、ローレンは勇猛果敢に突き進んだ。私に迫りくる敵を何人も突き殺し、飛んでくる矢を払い落とした。だが、そのせいで左腕をえぐられた。しかしそれでも声を上げず、あいつは苦悶の表情で駆け続けた。私に要らぬ心配をかけさせたくなかったのだろう。
 私は情けない人間だ。素直にそう思う。突出した所が何一つとしてない。あるとするならば、人望だった。だが、それは目に見えないものだ。それが私を余計に不安にさせる。敗戦、ローレンの負傷、兵の死。これらは、私に何か突出した能力があれば、免れたのではないのか。
 ローレン軍の兵たちは、私に生きろと言ってきた。グロリアスに必要なのは私だ、と。だが、あの兵たちもグロリアスに必要なのだ。命に優先順位などない。あってはならない。だが、私は生き、ローレン軍の兵たちは死んだ。私を生かすために死んだ。
「ローレン、左腕の具合はどうだ」
 陣屋に入った。ローレンは寝床に伏せっている。
「大丈夫です。次の戦にも出られます」
 強がりだろう。額に大粒の汗が浮かんでいる。痛みをこらえているのだ。息も荒い。
「お前のおかげで、私は生きている」
「僕は務めを果たしただけです。それより、まだラナクは来ませんか」
 斥候を出したが、ラナク軍の進軍は緩やかだった。すでに勝ったつもりでいるのだろう。確かに、あそこまで完膚なきまでに叩きのめせば、余裕も出てくる。だが、本来ならば追撃を急ぐべきだ。敵の君主が居る。しかも手負いだ。これ以上にない機会なのだ。
「あの男、戦の経験は少ないのだろう。大軍を恃んで、余裕を持っている」
「そうですか。僕と一緒ですね」
 確かにローレンも戦の経験は少なかった。だが、天性の勘を持っている。センスだ。これは時に経験をも凌ぐ。
「とにかく、罠をいくつも張って、敵には退却願おう。ラナクは現場の指揮は見事なものだったが、大局は見えていないらしい」
「はい」
「ローレン、お前は眠った方がいい」
 言って、陣屋を出た。
 兵でのぶつかり合いは避けたい所だ。ぶつかるにしても、士気を極限にまで削ぎ落としてからだ。国境が山間に位置しているおかげで、罠は仕掛けやすかった。岩なだれと落とし穴で敵の数と士気を削ぐ。ラナクの進軍が緩やかなおかげで、罠はいくつも作れる。
 兵たちが、よくやってくれた。昼夜兼行で動いているのだ。
「ハンス殿、ローレン殿の具合は」
 クラインが駆けてきた。
 クラインは目立った負傷はなく、兵と共に罠作りに従事していた。
「強がってはいるが、辛そうだ。しばらく前線には立たせない方が良いだろう」
「ふむ、そうですか。しかし、ここが踏ん張りどころですな」
 その通りだった。ここでエクセラ軍を追い返さねば、後がないのだ。
「あぁ。私も罠作りを手伝おう」
 アイオン、ラムサス、お前たちは勝っているのか。

     

「あのデクの棒がッ」
 思わず机を殴りつけた。
「ど、どうか冷静に、ルース様っ」
「部屋から出て行け」
「え、は?」
「ハラワタが煮えくり返っている。出て行け」
「は、はいっ」
 ドーガが反乱軍に敗れた。あのサルが。大口を叩くだけ叩いて、敗北だと?
 何をどうしたら負けると言うのだ。兵力差は六万。内通も防いだ。兵の質も悪くない。何をどうしたら負けるのだ。あの髭男の脳みそはどうなっている。
 発狂しそうだ。親指の爪を噛みながら、報告書を睨みつける。
「火計だと。こんな古臭い計略に掛かったのか、あの屑めッ」
 下準備をしていたはずだ。燃えやすいもの、油、もしくはその両方が戦闘中に配されたはずだ。何故、それに気付かない。相手は僅か二万の兵力なんだぞ。計略を仕掛けてきて当たり前だろう。あの髭男、こんな事も見抜けないのか。無能すぎる。ゴミだ。
「役に立たない人間など、大きな生ゴミも同然だ。無様に帰国してきてみろ、処刑してやるッ」
 怒りが収まらない。何故、兵力差が六万の戦で、完膚なきまでに敗れるのだ。理解ができない。しかも敗因が火計だ。フザけるのも大概にしろ。兵と兵のぶつかり合いだけで、戦が終わるわけがないだろう。何故、警戒できない。無能すぎる。あまりにも。
「ラムサスめぇっ」
 やはり軍神の名は伊達ではない。兵力差を恐れず、果敢に戦い抜いたという話だ。並の将軍なら、尻尾を巻いて逃げ出してもおかしくない。それをあいつは、真正面からぶつかった。
 だが、火計を仕掛けてきたのはラムサスではないはずだ。おそらく、反乱軍の参謀。
 冷静に分析する。
 ドーガはどうしようもない馬鹿だ。粗暴で暴れるしか脳のない動物だ。反乱軍の参謀が、これを知っていれば、全てが繋がる。
 第一段階として、ラムサスとドーガを本気でぶつかり合わせる。前衛に回した兵力にもよるだろうが、やがて押されるだろう。いかにラムサスであろうとも、兵力差六万は大きい。すると、ドーガは調子付く。ラムサスを普段から快く思っていなかった奴だ。躍起になる。
 ここを逆手に取られた。あとは火計の下準備を終わらせ、頃合を見てラムサスを下がらせれば、もう火を入れるだけだ。ラムサスという名の餌に、髭男は食いついているのだ。そして内通。どのタイミングかは分からないが、時期は見計らっただろう。
 侮れん。私がドーガを向かわせた理由に、ラムサス相手ならば力を発揮する、というものがあった。実際に奴は力を発揮した。だが、ここを逆手に取られたのだ。
「この私を出し抜くとは・・・・・・っ」
 ふと机に置いてある鏡を見た。自分の顔。怒りで目が血走っている。口の端から血が流れていた。唇を噛み切ったのか。かすかに鉄分を味として感じた。
 ラナクを呼び戻すしかない。せっかく、ラナクが緒戦に勝利したというのに、あの髭が。あの無能が。だが、今から呼び戻すとして、ラムサスを止める事が出来るのか。ラナクではラムサスの相手は無理だ。戦のレベルが違いすぎる。しかも、反乱軍の参謀まで付いているのだ。頼みの綱である計略も、見破られる可能性が高い。
「私が出るしかあるまい、不本意だがな」
 部屋を出た。神王に、豚に事情を説明する。
 あの豚の事だ。内政がどうのと文句をつけてくるだろう。しかし、そんな余裕などない。本国を攻め落とされれば、全てが終わる。私の野望が終わってしまう。
「諜報員、居るか」
 歩きながら呼んだ。私の諜報員は、常に身辺に居る。
「はっ、ここに」
「ラナクに使いを送れ。私が戦に出る。イドゥンにて合流せよ、とな」
「はっ」
 イドゥン。父ルーファスと、戦神カルサスが築いた砦だ。かつては、あそこを拠点にして国土を広げていった。エクセラの喉元でもあり、重要拠点のひとつだ。あそこを落とされれば、エクセラは一気に衰退の道を辿ることになる。だが、それだけに守りに適している。落とすには三十万の兵力を要するといっても、過言ではない。
 反乱軍はラムサスの糾合により、兵力を次々と増幅させていた。報告を受けている現段階で、すでに七万。これはさらに増えるだろう。それだけ、エクセラ内で反乱分子が潜んでいたという事だ。しかも、いつかこの時が来るかのように、反乱分子は各々で兵を隠していたのだ。エクセラの兵力は二十万だが、ラムサスの糾合で集った兵を計算に入れると、兵数が合わない。あの豚が。全ての原因は、あの豚の無能さにある。
「私が王になるしかない」
 あの豚が文句をつけて来たならば、殺してやる。私の野望は、ここで潰えてはならないのだ。

     

「そうか、ラムサス達が」
 使いの者が報せを持ってきた。陣屋。まだローレンは伏せっている。
 アイオンとラムサスは勝っていた。エクセラ軍を火計で粉砕し、そのまま破竹の勢いで攻め上がっているという。ラムサスの糾合で兵力は次々と膨れ上がっており、それは十万に達しようとしていた。これは予想外だった。糾合してもせいぜい四万程度だろう、と読んでいたからだ。それほどまでに、エクセラは反乱分子を内包していたということか。
 しかし、ラムサスの人望は大したものだった。さすがに軍神と呼ばれていただけの事はある。親の七光りだと馬鹿にされていたという話だったが、やはり軍神は軍神なのだ。名声は人々の心に訴えかける最大の武器だ。 
「それで敵の動きは?」
「イドゥンで我らを阻むだろう、とアイオン様が」
 エクセラの喉元だ。ここを落とせば、エクセラの首に手を掛けられる。だが、それだけに守りは堅い。山々に囲まれた地形で、逆落とし(山の斜面を利用しての突撃)の威力は侮れない。糧道などもきちんと整備されている。隙はほとんど無い。
「落とすつもりなのか?」
「出てくる将軍によるかと思われます。ここはラムサス様の助言が鍵になるのではないでしょうか」
 ラムサスはエクセラの将軍だった。それだけに、敵の情報には詳しい。まだエクセラを離れてから、そんなに時間も経っていないのだ。
「飛躍の時が来ているな。まさに」
「はい。アイオン様もイドゥンは取れずとも、領地は今の三倍になる、と仰られておりました」
 領地が今の三倍になる。これはエクセラと対峙する事が可能になるという事だ。兵力も二十万は養えるようになる。エクセラと並ぶ事が出来る。そこからは長期戦になるだろう。互いに人材を確保し、何十年と先を見越しての戦いになる。
「それと、もう一つ重要な情報がございます」
「なんだ?」
「エクセラに潜り込ませている諜報員からの情報なのですが、内政者のルースという者が神王を殺害したそうです」
「なに?」
 耳を疑った。
 どういう事だ。内政者。ラムサスの友人なのか。神王を殺しただと。確かに神王のやり方はまずかった。神王のせいで、今エクセラは危機に陥っていると言っても良い。いずれは、誰かに殺されていたはずだ。だが、今のタイミングで殺すというのはどうなのか。余計な混乱を招く恐れがある。
「それで、どうなった?」
「ルースが王に君臨しました。そして驚く事に、見事なまでに人心を掌握しております。民衆は神王が死んだ事に対しても、新たな王の誕生に対しても、動揺を見せておりませぬ。むしろ、喜んでいると捉えた方が良いかもしれません」
「うぅむ」
 思わず唸った。
 国の頂点が消えた。それなのに、揺れ動いていない。最初から根回しをしていたとしか考えられない。そして、ルースという男が王として君臨し、民衆はそれを喜んでいる。それほどまでに、神王の人望は地に堕ちていたのか。いや、ルースの政治能力の高さを評価すべきだ。おそらく、この男がエクセラの政治権を握っていたのだろう。民にも人気だったはずだ。だが、人を殺して頂点に立つ男だ。それを差し引いても、民衆はルースは支持したのか。
「まさに乱世だな」
 戦国時代に戻ろうとしている。群雄割拠をした時とは違う形の戦国時代だ。今まではエクセラの頂点が神王だったからこそ、付け入る隙もあった。だが、それが入れ替わったのだ。ルース。どういう人間なのか。
「それでラナク軍も進軍を中断したのか」
 すでにラナクは軍を引き上げていた。罠地帯に足を踏み入れる前に、軍を下げたのだ。ひどく慌てている様子だったが、追撃はしなかった。するだけの余力も残っていない。しかし、これで色々と見えてきた。
「ラナク軍に監視を送った方が良いな。おそらく、ラナクはイドゥンに向かっている」
 私の予想が当たっていれば、ルースも戦に出てくるはずだ。戦を利用して、さらなる人望を獲得するつもりだ。政治も戦もできる。まさに最強だ。それを得ようとしている。民衆の人気は絶大な物になる。
「それと、ラムサスに助言を頼みたい」
 私はグロリアスの君主だ。ルースはエクセラの君主となった。だからこそ、見えてくるものがある。統治者として見えてくるもの。ルースをこれ以上、波に乗らせるわけにはいかなかった。

     

 兵力十一万。圧巻の一言だ。
 みな、俺の糾合の元に集った兵たちだった。エクセラで不満を抱え、くすぶっていた者たちだ。
「お前の人望がこれ程とはな、ラムサス」
「アイオンか。俺自身も少し驚いている」
 俺の人望だけで集まった兵たちではない。アイオンの火計での勝利と、神王の人望の堕落が合わさって、この結果だった。ルースもこれは予想できなかったはずだ。
 世を平定できるかもしれない。この勢いが続けば、イドゥンも落とせる。イドゥンを落とせば、エクセラを落としたも同然だ。だが、そう上手くは行かないだろう。ルースが何らかの手を打ってくると考えられる。しかし、神王がそれを許すだろうか。神王は器量が小さく、思慮も狭い。エクセラの癌と言っても良い。その癌が、ルースの行動を阻むはずだ。そこから、イドゥン攻略の糸口も見えてくるだろう。
「アイオン様、ハンス様から使いです」
「ハンスさんからか。わかった、通せ」
「はっ」
 ハンス達は戦に負けていた。何重もの伏兵に蹂躙され、グロリアス軍は窮地に陥ったという。その中で、ローレン軍は壊滅した。敵の指揮官は誰なのか。詳しい報告は聞いていないため分からないが、戦の上手い人間なのだろう。
 そのハンスからの使い。国境を越えられ、国土を侵されたのか。アイオンが、使いの者からの話を真剣な表情で聞いていた。

「ルースが、神王を」
「俺も信じられんな。主を殺すとは。狂気じみてるぞ」
 ハンスからの使いは、エクセラで革命が起きた事を伝えに来ていた。
 神王が死んだ。そして、頂点が入れ替わった。ルースが神王を殺し、王となったのだ。俺は信じられなかった。あいつは神王に忠誠を誓っていたのだ。俺は神王に嫌悪感を抱いていたが、あいつはそれを不敬と罵ってきた事もあった。
「ラムサス、お前の友人ってのは、まさかとは思うが」
「ルースだ。だが、あいつは神王に忠誠を誓っていたはずだが・・・・・・」
「お前も馬鹿正直な奴だな。そんな証拠がどこにある。忠誠を誓っていたふりをしていただけじゃないのか」
 忠誠を誓っていたふり。有り得る話だが、ルースはそんな奴ではなかったはずだ。あいつは上からの命令は絶対服従でこなしていた。しかし、ルースが神王を殺し、王となっている。事実が全てを物語っていた。
「それと、お前に伝言だ」
「伝言? ハンスからか」
 アイオンから伝言を聞く。
 ルースが王となった事により、寝返ってきたエクセラ軍が不穏な動きを見せるかもしれないという。確かに有り得る話だ。寝返る最大の要因であった神王が死んだのだ。それを防ぐために、俺が一芝居を打てという話だった。
「俺が義だとか仁だとかを語るのか」
「仕方ないだろう。この戦での最後の仕事だ。やってこい」
「口ではルースに勝てんぞ」
「お前は大義を語れば良いだけだ」
 気の重い仕事だ。俺は口が回る方ではないのだ。だが、昔と比べて、考え方そのものは変化していた。戦ばかりやっていた荒武者の頃とは違う。そう考えれば、やれない事ではなかった。
「俺は砦を築いておく。寝返ったエクセラ軍を率いて、お前は地盤を固めて来い」
 アイオンとグロリアス軍は同行しない。つまり、旧エクセラ軍のみでルースと対峙するという事だ。俺も含めて、旧エクセラ軍は試されていると言って良い。グロリアスにとっては、大変な賭けだ。
 確かに、アイオンの狙い通りに上手く行けば、地盤をより強固にする事ができるだろう。しかし、失敗した時の代償も大きい。最悪の場合、寝返ったエクセラ軍が全てルース側についてしまうのだ。だが、裏を返せば、その程度で軍が揺れ動くのならば、最初から負けは確定しているという事だ。意思の強さ、それを測る為にも、ルースとの対峙は必要な事だった。
 ルースとは、半年振りになるのか。かつては、軍事と内政を二人で取り仕切っていた。良い友人でもある。エクセラを追放され、グロリアスに降った時から、いつかはこの時が来ると考えていた。敵として出会う。これが宿命ならば、俺は受け入れる。
「しかし、グロリアス飛躍の最後の戦いが、舌戦になるとはな」
 馬上で、俺は苦笑した。

     

 エクセラ城内。兵たちがひざまずいている。
 先王であった愚物は殺した。これからはこの私が王だ。これからエクセラは生まれ変わる。私が変えてやる。
 すでに宮殿内は私の腹心で固め、新体制を築き上げていた。あとは、世を平定するだけだ。しかし、これが最大の難関だろう。反乱軍は絶望的とも言える兵力差を覆し、イドゥンにまで迫ってきたのだ。
 ここからは波乱だった。神王を殺して私が王となり、間髪入れずに戦場へと走った。イドゥンを落とされれば、エクセラは落ちる。死活問題だったのだ。だが、反乱軍・・・・・・いや、ラムサスはイドゥンで戦を仕掛けてこなかった。それ所か私を主殺しだと罵り、大義を掲げてきたのだ。あの戦馬鹿のラムサスがだ。最初は何を言っているのかと思ったが、寝返ってきた兵たちの心を一つにまとめるのが狙いだったのだろう。しばらく陣に留まった後、ラムサスは然るべき位置まで軍を下げた。
 ひとまず、これで状況は落ち着いた。イドゥンを境に両国が睨みあっている形だ。ここからは持久戦になる。互いに人を集め、兵を鍛え、将を育てる。エクセラの国力は一気に衰退したが、まだイドゥンがある。ここは速やかに、改革を終えることだった。
「ルース様、ドーガはどうなさいますか」
 ドーガ。こいつのせいで、エクセラは衰退した。火計を見破ることが出来ず、戦に敗れた屑だ。ある日、馬も無しに大やけどを負って帰ってきた。本来ならば生かしておく価値もない男だが、有能だった。そして、エクセラには有能な人間が少ない。牢獄にぶち込み、ラナクに監視させていたのだ。
「本人は何と言っている」
「命さえ助けてくれれば、身を粉にして働く、と」
「フン、下衆が。ラナク、お前はあのようにはなるなよ」
「はっ」
「まぁ、そこまで言うなら助けてやっても良いだろう。ラナク、お前の下につけようと思うが、どうだ?」
「王の仰せのままに」
 とにかく、今は一刻も早く改革を終えることだった。国中に触れを出し、身分を問わず人を登用するようにした。兵力も増強し、武具も次々と生産させている。
「ここからは睨み合いになる。ドーガのような間抜けでも、必要な時が来るかもしれんからな」
「はっ」
「兵の補充はどうなっている?」
「現在、十八万まで回復しております」
 少ない。反乱軍は二十万の兵力を擁している。いくらコチラにイドゥンがあるとしても、守るだけでは世を平定する事は出来ないのだ。
「二十五万だ。急げ」
「ですが、将軍がおりませぬ」
「登用しろ。能力があれば、身分は問わん」
「はっ」
「内政は私一人で十分だが、戦に関しては代役が欲しい所だな」
「ラムサス様がおられれば・・・・・」
 またこれだ。ラナクは心底、ラムサスを崇拝していた。師匠だから、という事もあるだろうが、軍神の名に畏怖の念を抱いている節もあった。
「あいつはすでに敵だ。現に、私を主殺しとして罵ってきた。すでに友人でも何でもない。お前も頭を切り替えろ」
「・・・・・・はっ」
 ラムサスがおらずとも、戦は出来る。私一人で、エクセラを天下へと導く。だからこそ、神王を殺して私が王となったのだ。
「まずは人だ。それを最優先事項とし、兵を鍛えろ」
「・・・・・・わかりました」
 ラナクの声に力は無かった。

       

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Neetsha