傲慢図書と人生の作り手。
まとめて読む
我が人生は、本でできていた。
寝ても覚めても本だった。
読むことが本能であり、書くことが理性であり、読むことが食事であり、書くことが寝ることだった。
本無しに我が人生は語れない。
本無しに我が人生などあり得ない。
いっそのこと、この世界に居るかも知れないどこかの万能にして全知全能である神様が自分を本にしてくれないかとも願ったことがある。
そう思い、願ってしまうほど、本は、私にとってすべてであり、私は本でできていて、本は私の存在を表す物体そのものだった。
そう願ったが最後、我が人生は本となった。
糞忌々しい、神様のせいで。
[シルフェ・ウェインベグ・オージュの嘆き]
彼は雨が嫌いだった。
いや、正確には雨という現象、稀少から感じる雰囲気が気にくわなかった。
その昔、子供のころの自分から言わせてみれば、雨という現象は今から何が起こるんだろう?どんな景色に変わるんだろう?といった期待感を抱かせる、ある種の高揚感を持ったものだった。
ドキドキ、ワクワクしながら登下校する雨の日。
安物のビニール傘を裏っ反しにして、水をためながら歩いてみたり。
雨がたまって出来た道端の水たまりに、完全防護の長靴で飛び込んでみたり。
今にも氾濫しそうな川の流れに葉っぱを流してレースのまねごとをしたり。
そんな、無邪気で見意味な子供の原動力から導き出されるようなイベントを起こしてくれる。
そんな感覚で、あの頃の彼は雨を見つめていたのだろう。
今となって、それは無い。
それは彼が成長して、子供の野性を捨て、大人の理性へと走ったからか。
子供の無垢な理想から、大人の非常な現実へと脳みその作りを方向転換させてしまったせいか。
成長していくたびに増えていく知識と、決められた枠組みに存在した常識を覚えてしまったせいか。
もしくは、それらすべてを理解し、自身にフィードバックしてしまったことが原因なのかもしれない。
野生から、理性へ。
それは、あるいは、無邪気から、無意味へ。
そんな風に当たり前の成長を遂げて、当たり前の常識を捻じ曲げて受け取ったせいか。
雨という現象は今の彼にとって単なる天候であり、過ごしやすく楽な快晴という天候を阻害する壁である。
それはまさしくすべてを遮る障害。
目に映るは陰鬱な世界。
耳に届くのは世界を終わらせるための序曲をような雨音。
朝も、昼も、闇を思わせる空でしかなく。
夜になれば闇の力を象徴するような鋭い光の刃を突き立てる。
轟音で脅し、雷光で破壊し。
一歩踏み入ればそこはもう終わりへの入り口。
雷鳴鳴り響き、人々は逃げ惑う。
二歩踏み入れば命はない。
目に飛び込むのは二つの眩しすぎる光。
そして、甲高い悲鳴のような音と、それに続く破壊の轟音。
まさに世界の・・・終りの・・・序曲。
彼はそんなイメージを思い出して、思った。
“だから、雨は嫌いだ”
真っ暗闇だから。
ああ、どうしようもないよ糞ったれの世界様。
雨が降っていつ音を聞くと憂鬱になる。
雨が降っている景色を見ると鬱になる。
雨が降っている中を歩くと加害妄想と被害妄想が同時にやってくる。
雨が降っている世界に居ると、“助けて”と囁かれているようで気が狂う。
ああ、どうしようもないよ糞ったれの世界様。
真っ暗闇だから。
僕には何もできないんだ。
いきなり言われてもできっこないんだ。
できないんだよね、世界様。
だって。
だって、すべては過去のこと。
だた、今は過去を忘れて流れるだけ。
---今の僕には、雨はただの不愉快極まりない自然現象に過ぎないはずだ---
― 壱話:雨ト陰鬱、傘ト雨音 ―
「はぁ・・・」
時間は放課後。
夕暮れ時に見せる夕闇は雨雲に隠され、灰色の昼が闇色の夜へと変わっていく時間。
特に意欲も持ちあわせない、努力も積極性も持ったことがない。ましてや興味なんてはなからあるはずもないのだけれども、現在の高校生に課せられている“その後の人生”のことを思案してみれば、入っているほうがまだ社会的にも内申的にも無難だ、と判断してしまう冴えない文芸部活動が終わり、彼が下校時の廊下窓をのぞいた時の天候は小雨だった。
目を凝らして、背景を黒めの色の外壁を持つ体育館にして、背景の前に映る無数の白い線に気づく。
特に目立つ特徴も、語るべき様な容姿も持ち合わせていない、いたって普通の外見の男子学生は、ガラス窓越しに見たその世界を眺めるだけでこの世の終わりのような気分に陥っていた。
そんな気分に陥っても、世界は周り、時は進む。
彼は憂鬱ながらも第二棟校舎三階にある図書館兼文芸部室の扉から出て、20mほど進んだところにある階段を下り、そのまま西側の突き当りをすすむ。そこから第二棟校舎から第一棟校舎へとつながる渡り廊下を歩いて、渡り廊下から見える黒めの外壁の体育館を横目にもう一度外の様子を確かめる。
目に映るには先ほどよりもわかる雨の存在と、耳に響いてくる轟々とした雨音。
憂鬱な気分を振り払えず、向かうのは第一棟校舎の一階、北側にある生徒用玄関。そこまでたどり着くにはあと100mほどの廊下を歩いていくしかない。今いる階段から、玄関までだいたい二分ほどの距離。
その二分の間に、小雨から豪雨へと変貌しようとしている雨はどうにかならないものかと思いながら歩く。たとえば、ここから雲にめがけて高性能爆弾とかRPGとかを撃ち込めば、雨雲もどこかに去るかもしれない。もしくは、ここで一秒間祈っただけで素敵な神様が降臨して雨雲を取り去ってくれるとか。大穴で、この学校がいきなり巨大ロボに変形したのち、どこからともなく取り出したどこぞの圧縮粒子でも詰まっているであろうビームライフルで雨雲を打ち消してくれたりしないだろうか。
どれもあり得ない話だが。
叶えられない願望をあり得ない方法の妄想で打ち消しながら歩を進めると、そこは正面玄関と呼ばれる校舎の入り口だった。
そして彼はひどく落ち込む。
常識人から言わせれば階段から正面玄関の100mほどを妄想で乗り切りながら歩いたことをまず悔やむべきだろうが、彼はそんなことで落ち込まない。むしろその妄想が現実になってくれと願うばかり。もっと言わせればその妄想している時間はまだマシな気分にさえなっていたのだ。なのに現実はいつも冷たい。
さらさらと降っていた小雨は、轟と怒鳴るような土砂降りに。
憂鬱、かつ不愉快な景色に彼はがっくりと項垂れるほかにするべき行動を思いつかなかった。
一寸先は闇、とはこのことだろうか。日は当然のごとく雲に隠され、夕暮れの時間が光を弱め、広がる雲からの豪雨は先刻の言葉どおり、一寸先の闇を作り出している。
“鬱、と憂鬱の違いがはっきりしない、誰か教えてくれっ!”と心の中で絶叫して、また彼は落ち込む。
そんな暗黒の時代。
時刻は、午後五時四十三分。
なんだか今日は学校から帰れないような気にもなってくる。
そういえば、と彼は思い出す。今朝のTVの予報では朝から昼、夕方にかけては青く広がる快晴で、夜には満天の星空が広がることでしょう、という予報を。
よし、もうあの予報士は信じない。
ていうかあのTV番組を信じない。
ウサばらし的で単純な答えをはじき出した彼は非現実的な呪詛(具体的に言うと神様なんか死んでしまえとか、そういった何か反逆者めいた呪詛)を心でばら撒きつつ、しかしながら現実的行動では天気予報だけ国営放送を頼りにすることにしよう、と再度心に誓っていた。
思考は現実に戻そう。
もちろん傘は無かった。
あれば呪詛など振りまかない。予報士は信用を失うだろうが、神様なんか死んでしまえとつぶやいたりはしない。せめて命にかかわる十秒にでもかかるがいい、と思うだけだ。
傘がないのは今の状況において、彼にとっての死刑宣告のようなものだった。
かさ、傘、アンブレラ。一度陰鬱な情景から眼をそむけ、それに立ち向かうための方法を考えてみよう、と彼は思案する。まぁ具体的に言えば他人の傘とか。思いついた手前、下駄箱の前にある自分のクラスの傘たてを彼は見た。
黒く塗られた金属性の傘立て。作りはしっかりとしていそうで、値段もそれなりに高いかも知れない。
そんな彼のクラスの傘立てに、傘は一本も残ってはいなかった。
こんな不愉快な天気を予測していた超人は果たして彼のクラスにいたのだろうか。
そんな奴には予報士の道をお勧めするけども、と彼は二秒考えて、やめた。次の思案に移る。
マリーアントワネット曰く「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」とのことだ。ということは、
「うちのクラスになければよそのクラスから借りればいいじゃない」
という事になる。ふと、隣のクラスも見てみると、黒色の同じような長さの傘が二本ほど刺さっていた。なんだ、なんだ。隣に予報士候補がいたのかよ、と思いながら彼はその傘を手にとって、少しばかりの安堵と、憂鬱からのごくわずかの開放感を感じた。
これで帰れる。
あわよくば借りていってしまおう、とか思っていたけどこれは借りるしかない状況なのだ。
さぁ借りよう、すぐ借りよう、っていうか借りていていこう。
そうでもしなければ、自分はこの糞みたいに陰鬱で憂鬱でまさに鬱な天気の中で、無駄に無褒美に大自然の天然シャワーを浴びなければならないのだ。なぁに、傘の一本借りてしまっても構わない。朝早く来て、返せば問題ないのだろうし。隣のクラスなのだから、もしその生徒が困ったとしても面識がないのだ。声をかけて謝る必要すらない。
そう考えて、彼は傘を手に取った。取って、開きかけた時、傘の内側に書いていた文字に気づく。
“教員用”
と、書かれていた。
・・・・・・・・・・・・・。
ああ、そうですか、と彼はため息を洩らしてしまう。
教員用ですか、そうですか。
そりゃため息も出るさ。
傘を戻しながら“教員用が作れるなら生徒用もつくっとけっつーの”と彼は思う。
そもそも、学校というものの本分は生徒を育成し、時に生徒を保護する義務があるのではないだろうか?まぁ何事も生徒優先というわけにはいかないだろうし、確かに新たな知識を伝え、教える先生方大人を敬うことは大切だろう。でも、いくら大人が束になって学校という建築物を作っても、子供がいなければ話にならないのではないだろう。それを棚に上げ、自身の保持を保ち知識を教える先生方には頭が下がる。
もちろん空想の話で、だ。
そんな大人に頭なんか下げた日には、自分の精神は自殺よりも屈辱な状態におかれることだろうな、ああ恐ろしい、と彼は思う。でも、どうせならば次の生徒総会で提案してみるのも一つの手かもしれない。緊急時用に生徒専用の傘の設置案。一クラスにつき二、三本ほど。案外通る可能性もあるかもしれない。
いやいや、やめとこうと彼は考えるまでに無難な思考の持ち主だった。
なにぶん考えの少ない子供に知識を与えるために、大人が教えてやらなければいけないというのは必然に近い。それを否定しては今の社会は成り立たなかっただろうし、大体今の大人は自身が子供だったころの大人を真似て、またはそれを少し変化させるほどのことしかできていないのだから。これくらいのことは仕方が無いのかもしれない。
実際問題に絡むのは金銭問題であることが筆頭であるだろうし。
まあ、どれもこれも、結局はどうでもいい事でしかないのだが。
「仕方ない」
本当に、仕方がなかった。
別に、この傘を持っていったところで咎められるはずもなかったし、むしろ持っていっても理由を述べればいいだけの話だ。だけど、自分の決めているルールに従うために、彼は傘を再び取ることはなかった。
無駄に、真面目に、正確に生きてきたから。
約2年間と少し、吐き続けてところどころ汚れも目立つ上履きをぬぎ、下駄箱に突っ込んで、代わりに気に入っているスポーツ会社のランニングシューズを出して、履き、覚悟を決める。
ああいやだ、本当に嫌だ。
でも、これ以外に帰る方法もない。
こんな世界の中で自分は果して家へと帰ることができるのだろうか、と彼は思う。
でも、まぁ、しょうがない。
深呼吸を一回。
吸って、吐いて。
・・・よし。
憂鬱な気分、最悪な状況の雨の中を彼は走り始める。
頭に学生鞄を掲げて。
彼は走る。
まるで逃げゆく逃亡者のように。
ビバ、土砂降りの雨!
と、あたしは思いながら家へと歩みを進める。
そのステップは軽く、心は躍るようにワクワクしている。
あたしは雨を嫌いではない。
むしろ、好きだ。
雨が降っているとなんだかうれしくなってくる。
いやまぁ確かに。遠足の時とか、運動会の時とか、友達と出かける約束をしていた時とか、そういう時に降る雨については好意を持てるとは言いづらいけれども。でも、普通の時間、何もない、いつもの日々に降る雨は、見たことも無い何処かの国のお祭にいるような、そんな感じにさせてくれると思うのだ。
そう言うと“すーちんはまだまだ子供だねぇ~”と、わたしの友達は笑いながら言ったのを覚えている。
でもでもっ、と可愛い子ぶりってあたしなりの反論を言わせてもらえば、そのコメントからすれば、彼らは大人っぽいと言うよりもませている、とあたしは思うのだ。だいたい、あたしと同じ年齢なのだからそういう自分たちだってまだ小学校を抜け出せたばかりの子供だろうに。
そんなあたしは中学に入って二回目の夏を迎えようとしていた。
そんなあたしの名前は羽月水霞。
読めない人にはハヅキスイカ、と書くことにする。
年齢は十四歳。
性別は分かると思うけど女。
花も恥じらう女子中学生だ。
で、話は戻るけど。
言われてみればあたしに子供という概念というか、雰囲気というか、そういった精神的な子供っぽさが抜けきっていないのではないか、というのも一理あるかもしれないと思う。
小学生のころ大型台風が近づいているので繰り上げ授業になり、早く下校になったときの気持ち。その豪雨の中、傘一本ではしゃぎながら帰ったときの、その気持ちがあたしの中にまだあるのかもしれない。その気持ちは実際には学校が早く終わってうれしいからだと思うけど。その時の気分と、その時の豪雨が重なり合っているのかもしれない。
たぶん、残っているからこそ今の気持ちがあるのだろう。
それが良い事か、悪い事かは別の話だが、あたしは案外悪くないと思う。
なんとなく、嫌いではない。
嫌じゃ、ない。
今、あたしは自分より一回り大きい傘を差しながら歩いていた。
約一年半の通いなれたコースを、大きめの傘で歩いて行く。
これは小学生のころから続けている、あたしの変わらない習慣のひとつと言えるものだった。
この理由というのがさっき考えていた“子供っぽい”という所なのだろうかも知れないのだけども。
あたしが使う傘が一回り大きいのは濡れないためという理由もあるが、実際は雨の音を聞くためというのが本音だ。
友達から変だ、変だと連呼される。
ほっといてほしい。
ばばっ、ばばばっ、ばばばばっ。
傘に当たる水の粒外大きければ大きいほど音は大きく、低く響く。
まるで打楽器のように、強さを変えて音は響く。
ばばっ、ばばばっ、ばばばばっ。
たまに雨よけから流れ落ちる水に入ってみると、これも面白い。
まるで滝の中で修行しているような、そんな気分になる。
ばばっ、ばばばっ、ばばばばっ。
豪雨になるとあたしの傘の中はさながらコンサートホールのようなものに変貌する。
ばばばっという音と、あたし自身の声が奏でる旋律での小さなミニコンサート。観客があたし一人って言うのは、なんだかさびしいけど。
だがそれはそれだ。
傘の中のミニコンサート。
幼いころ、その魅力に魅せられたあたしは、以来、雨の日に楽しみを見つけることになった。
だから、嫌と思う事はあっても、嫌いにはなれないのだ。
嫌じゃない、その反対。
だから、好きなのだ。
ああ、ビバッ!
雨という天気、正にビバッ!!
そんな感じで、あたしは土砂降りの雨の中、一人で楽しみながら自宅への帰路をたどる。
ここの道を真っすぐ行って、ここの交差点を渡る。ここの大通り沿いに行けば安全だろうけど、こっちの細道のほうが面白いのでそちらに入る。くねくねと曲がりくねっている路地を進んで、商店街へ。顔見知りのお店の人とこんにちは、と挨拶をかわしつつ一定のスピードで歩んでいく。途中にある公園の様子とか、商店街の横道の様子とかを眺めながら、雨音のコンサートのリズムで進んでいく。
やがて、あたしはある大通りの交差点へと出た。
歩行者用信号は赤信号で、あたしは横断歩道の前で止まる。周りに同じ学校の学生は少なく、(まあ、放課後もけっこう回った時間なので当たり前なのだけど)なんだか夕食のおかずの材料を買った主婦であるとか、講義に遅れそうなのか、やたら時間を気にしている大学生だとか、あるいは雨合羽を着て喜びながら話しかける小学生くらいの子供と、それを笑顔で聞いてあげているお母さんの親子とか、不愉快やイライラ、またその反対のワクワクなどの気分を織り交ぜた雰囲気で、みんな青信号を待っている。
今日の夕飯何だろう♪
昨日の夕飯はなんだっけ♪
あたしは雨音のリズムで作った歌を小声で口ずさみながら青信号を待つことにした。
ばばばっ、ばばばっ、ばばばばばっ、といいリズム。
これだから雨の日は面白いのに。
と、思っていた。
足元を見つつ、歌いながら、にんまりして。
そして、見てしまった。
真っ暗闇に立っている男の人を。
彼は濡れていた。
土砂降りだから仕方がなかった。
幸い、頭はけっこう無事だったが、肩から腕にかけてはびしょぬれで、ズボンの裾口も、というか膝のあたりまで全滅だった。頭を防いでいた鞄は革製なので案外防水の役割を果たしていたが、帰ったら一度中身を確かめる必要がある。中身の教科書が全滅でないことを祈るばかりだ。
赤信号はもうすぐ変わる。
長年の経験という奴か、単に通いなれたからか、この信号が大体一分半で変わることを彼は知っていた。
片側二車線の通り、それにかかる横断歩道。
彼はそこの信号機の、真下に立っていた。鞄で頭を防ぎながら。
別に、何もそこに立つ必要はなかった。その一分半の時間を、後ろのタバコ屋で雨宿りしながら待っても良かったのだ。だが、そこには彼の通う高校の生徒らしき女子生徒が三人、雨宿りをしていた。
そして彼はその場所を彼女らに譲ることにした。
ただ単に、紳士的精神からそう行動した、といえば聞こえはいいだろうが、彼はそこまで優しい人間ではなく、そこまで思いつくほどに年限が出来上がっていなかった。
ただ単に、関わり合いになるのが嫌なだけだった。
人は、他人は特に面倒だった。
彼に他人と関わる機会はほとんど無い。
というよりも、関わろうとしないのが本音だ。
あるとすれば、授業中や、休み時間。
もしくは意味もなく所属している部活動。
でも、そのどちらでも話しかけられはするも話そうとはしなかった。
別にいじめられているわけではなかった。
自分で自分を隔離している、そんな自分がカッコいいとかも思っちゃいなかった。
話しかけられれば返したし、にこやかに話も出来たし、馬鹿話をする学友もいた。
でも自分からはやらなかった。
自分からやるのはやらなかった。
ただ、面倒だったから。
ただ、面倒だったから。
自ら人を突き放す行為は、ある反面、自殺にも似ていると彼は考えている。自分を孤独という監獄に閉じ込めることと同じなのだから、それは自身で自身をいじめて、孤独に追い込んでいるのと同じだ。
自分いじめ。
自意識的いじめ。
それにいやになって自殺を目論む。
彼は、自分はそういった人間だと思っている。
そういった人間たちを、多くの人々は引きこもりとか、ネクラとか、あるいはナルシストとか、かまってちゃんとか言うのだろう。彼もはじめのうちはその口だった。
彼は子供のころから、人を、他人をとにかく突き放してきた。
そのころ理由は簡単で、「かまってもらいたいから」だった。
やることは人を拒否して、目的は人にかまってほしいという矛盾。それに気づき、行動にまで移しているところを思うと、なんともひねくれていた子供だったのだろう。
そして、ひねくれているその行為で人々から心配と、信頼を得ていた。
彼の思惑はうまくいっていた。
自分が人を避ければ、人は心配し、寄ってくる。自分が人と違う事をすれば、自分の存在に人は気づき、自分のことを見てくれる。
それは子供心から考えた非常に巧妙な心理作戦だった。
そして、その行いのすべてはことごとく成功していた。
彼にとっては思惑通り。
彼の世界は彼を中心にして回っていた。
だがある時を境に、彼はそれを別の方向へと向けなければいけなくなる。
野生から、理性へ。
子供から、大人へ。
責任感という言葉の意味を理解できるまでに成長した頭脳と、体躯では、今までのような生き方は難しくなっていたからだ。人は事あるごとに「甘えるな」と言い、「もっと大人になれ」と彼に叫んだ。
彼は、始め戸惑った反面、その後すぐに理解もしていた。
何がおかしいことで、何がその時の彼にとっていいことなのかというのを理解していた。
子供の頃に大人の言い分から自分の都合のいい逃げ道を作ったのだ。
それくらいは彼に理解できて当然だった。
さらには、自分からかかわったほうがもっと面白おかしい日々を過ごせるのだろうという事も気づいていた。かまってちゃんをやめて、かまってあげる側に行けば、もっと素晴らしい世界があることに気づいていた。
しかし、彼のスタンスは変わらなかった。
逆に、ひどく変貌した。
今まで通り、人とは自主的に関わらない。
関わる、という行為自体が元来彼にとっては苦手な分野であったのだろう。
そういう理由もあったからか、成長した彼はそれを「面倒なもの」としてまず見始めた。
関わるのは面倒だ。
なぜなら他人という生き物はものすごく負担になるし、重みになるから。
面倒なので、関わらない。
その代り、むこうから関わってきた人とはものすごく仲良くすることにした。
それも、なるべく好印象を与えるように動き、演じた。
そうして彼はやっていることは同じで、やっている目的も同じように過ごした。
関わってくれれば、良い人を演じて、また相手が関わってくるように。
面白おかしいキャラクターも演じて、自分の周りから人がいなくならないように。
さみしくないように。
だが、その行為は屈折した方向で成長し始めていた。
彼の中にはその行為は自殺への一歩、初めの一歩だと映っていたのだった。
さびしいから人が集まるように仕向けた彼。
でも他人とは関わろうとしない彼。
そしてその行為に自殺を思い浮かび始めていた彼。
別にカッコいいなんて思っちゃいなかった。
むしろ馬鹿だとも思った。
馬鹿すぎて、自分で自分を罵りたくもなる。
「そんなに自意識過剰に、自分のやっていることが上手くいっているように勘違いして、おめでたい人間だよお前は!」と心で叫ぶのは日課だった。
だが浮かぶ言葉は「死」の一文字。
矛盾した思いで育っていく彼はどこか破たんしていた。
この行為を自殺だと考えながらも、手首でさえ切ったことがないくせに。
屋上から飛び降りる勇気すらないくせに。
理由は、「面倒」。
そして、「生かすため」。
信号が、青へと変わろうとしていた。
向こう側の歩道をあたしは見てしまっていた。
向こうには高校生らしき男子生徒が二人傘をさして立っており、その横に一人、信号機の真下で鞄を頭の上に抱えてもう一人男子生徒が立っていた。その後ろにはタバコ屋があり、雨宿りができるスペースに三人の女子高生が団欒しながら信号を待っていた。
一見何にもない。
何でもない風景だ。
立っている男子学生は何か部活の帰りだろうか?
後ろの女子高生たちはどこかに遊びに行った帰りだろうか?
そう、普通の日常が描ける程度に何でもなかったはずなのだ。
ただ、何か違っていたのは、信号機の下に立っている、男の、人。
雨はさらに強くなり、コンサートのリズムはPOPSからROCKに変わりつつある。
一目見て、彼の周りが真っ暗闇に見えたのだ。
特に暗がりではないし、裸眼でも文字がわかるほどにはまだ明るいのだけれども。
異様な雰囲気だった。
びくびくっと、悪寒が体を走ったものだから、何か勘違いかもしれない。
悪寒が走ったのは雨のせいで気温が下がっているからで、寒さが苦手はあたしはそれで震えたに違いない。そうだよ、きっとそう。
とか思いたかったけど、たぶん違った。これはあそこに立っている人を見て思ったんだ。
あたしはその人を少し観察してみる。黒いブレザーの制服を着て、赤いネクタイをしている。傘を忘れたのか頭にかばんを掲げて立っていて、そのせいで制服はほとんどぐしょ濡れ。あの様子だと、かばんの中身も濡れているかもしれない。
あたしは顔を見る。表情は伺えなかった。鞄が作る影と、降る雨がブラインドとなって表情を隠している。でも、あたしはなんと無しに感じた。
直観というやつか、女の、勘というやつか?
“あの人、雨が嫌いなんだ”、と。
別にあたしは、あたしと別の考えを持っている人を見抜くのが得意なわけでもなく、人の心が読めるわけでもなく、超能力者でも、異常者でも、マジシャンでもない。
ただ思っただけだ。
いうなれば、これは怖さ?だろうか。あたしはあの人が怖いのだろうか?
真っ暗闇に浮かんでいるようにも見えるあの男の人は、多分ほかの人にも目についただろう。
でもたぶんその理由は「傘がない」とか「一人だから」とかじゃないと思う。
あたしの感じている怖さともいえない、何か、そう、例えるなら黒く塗りつぶされたような違和感にはほかの人は気づいていないと思う。見れば見るほど引き込まれるような、そんな雰囲気。
一瞬考えてみたけど、恋では無さそうだ。
・・・・・・・。
・・・・・・・。
・・・・・・・。
あたりまえだよっ!
そんなことを考えていたら信号が青に変わっていた。
ぱっぽー、ぱっぽー、と青信号の合図。渡れよ、渡れと信号機は横断をせかす。
周りの人たちは一足お先と歩を横縞白線に進めている。あたしも一歩を踏み出して家に帰らなければ。
一歩、二歩、三歩、四歩、五歩、六歩、七歩、八歩、九歩、十歩、じゅういっ・・・・・・。
そこで、あたしはその男の人と、すれ違った。
そして、十一歩から、足が進めない。
心臓がバクバクとなり始める。
信号機がチカチカと点滅し始める。
あれ、何してんのあたし、意味分かんない。
チカチカ点滅だから渡り終えないと、ここにいたら車に轢かれちゃう。
でもすれ違った瞬間から、もう何か理解できない。
なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ。
あたし何してんだ!
何してんだあたし!!
足は動かない。
唯一出来たのは、体を反見、後ろへ振り返り、その男の人を見ることだけ。
振り返って。
見た。
その人と、目が、あう。
あれ?
何か違う?
あのひと・・・・。
怖くない?
青信号になって一歩、足を踏み出す。
ここまでぐしょ濡れなら、何も走る必要もないだろ。そう思って、あきらめて歩く歩調で一歩ずつ進む。
一歩踏み出すごとにぐしょっと靴の中から音がして、ぐしょぬれの靴下と、靴の中に空いた靴と、足の間にある少しの空間が気持ち悪い。
はぁ。
陰鬱極まりない状態だ。
これで死んだら化けて出てやるな、どっかに、と彼は思った。
彼の周りの人々は彼よりは各々のペースで一歩を踏み出しながら横断歩道を渡る。横にいたおそらくサッカー部員か何かの男子生徒は最近出たサッカーゲームの操作性やら、難易度やらを放しながら歩いており、後ろから来る女生徒達は「あそこのケーキおいしかったねー」「でも食べ放題だと歯止めが利かないよなー」「そういうのは自制心で何とかしないと」「ジセイシン?なにそれおいしいの?」「やっだ、ミキばかみたいなこといってー」とはしゃいでいる。
自分は、一人、陰鬱に。
こういう人間も悪くないだろう、と彼は思った。
別に、不幸だなんて思っていない。
ただ、あえて不幸を見つけるなら、あの日、あの時。
あの雨の日に失くした、あのことさえなければ。
そう、思い返していた。
そして、唐突に彼は気づく。
何か昔のことを思い出しすぎているようだ、と。
雨のせいか、今の自分の状況のせいか、それともぐしょぐしょに濡れて気持ちの悪い足元のせいか。
ばかばかしい、なにを馬鹿な事を。
走馬灯じゃあるまいし。
でも、何か。
何か原因があって思い出しているはずだった。
おそらく、昔のことが原因だろうし、多分そうだ。
あの日。
あの時。
僕があそこにいなければ。
ちーちゃんは今、どこかにいたのかもしれない。
そう思い出す。
感傷か、と少し笑えたが、表情には出さずにそのまま進もう。
でも。
今ここで後ろを見れば。
何か見えるかも知れない。
信号機の音が消え、歩行者用の青信号が点滅し始めている。
彼の横を後ろにいた女生徒達が「やばーい」「はやくっ」とかいいながら追い抜いていく。
ああ、後ろを振り向いたら、俺も行こう。
振り向いても何もない。
世界は周り、時は進む。
帰ってシャワーでも浴びて、宿題を済ませて、夕飯を食べて、弟と話して、今日は寝よう。
ぐっすり寝れば、陰鬱も憂鬱くらいには回復するはずだ。
彼はそう思って、振り向きざまに、横の車道の光景を目に入れた。
そして、驚愕し。
後ろを向いて、さらに驚愕した。
中学生くらいだろうか。
女の子が一人、横断歩道の真ん中で立ち尽くしている。
そして、その左側から、交差点を右折でもしたのであろうか、大型トラックが走ってきていた。
スピードは速く。
止まる様子もない。
女の子が、よそ見をしながら運転するトラックに。
轢かれそうになっていた。
交差点に居る人々が叫んだ。
危ないっ!と叫ぶ者もいれば、きゃぁあああぁぁ!と悲鳴を上げる者もいた。
誰もが彼女の終わりを予感していて。
あるものは目を覆い。
あるものは少女に逃げろと叫び。
正に一瞬の出来事。
キキーッというブレーキ音とともに、ドカンッという鈍い音が響く。
続いてガシャン、という何かが割れたような音も聞こえた。
目を覆ったものは指の間から何が起こったのか事の顛末を確かめる。
少女に警告を促した者たちは少女に駆け寄る。
大丈夫か?
けがはないか?
よかった。
よかった。
そして、悲鳴。
数メートル先に、どこか、この交差点の近くに立っている私立高校の制服を着た少年が横たわっていた。
その彼のカバンが、少女の近くに落ちていて、中身が開かれていた。
雨にぬれていたであろう教科書や、図書館で借りた推理小説なんかが落ちていた。
スチール製の筆箱はひしゃげ、中の文房具はそこらに散乱していて。
開かれた鞄の内側に、赤い“血痕”が付いていた。
どこからか。
この世ではない、別のどこからか。
とある町の交差点で起こった、悲惨な不幸、悲惨な事故の様子を見て感想を述べる物が二人いた。
一人は軽い感じの話し方で、声質は成人の年齢に近い感じの若い女性のそれに近い。
もう一人は男か、女か分かり分かりづらい声質。
しいて言うのであれば、男の子っぽい女の子の声か、声変わり前の男の子の声。
どちらにしろ、子供の声。
若い女性は事の顛末を静かに見つめ。
子供のような声はあうあう言ったり、あわうわぁ~とか嘆いたり、ほぇぇぇぇええええ!とか叫んでいる。
女性の声が言って、会話が始まる。
「あーぁ、死んじゃった」
「え、ええ?そんな、なんで!?」
「うまいこと、終わらせたねー、彼」
「え、ええ、えええ?でもでも、そんな、そんな、そんな!」
「うんうん、人助けで一生を終える。ハードボイルドを目指していたっぽい彼にはぴったりじゃない」
「で、でも、彼女が本当の製本指定生者だったんだよ?運命ねじ曲がってるぅぅ???」
「いいのよ~、別にぃ。運命なんて予想図でしかないんだから。糞神様にも調律権限がないのよー」
「か、神様への暴言だよ??それでいいの?シルフェの人生それでいいの!?!?」
「精神崩壊支離滅裂神様への暴言と私の人生は関係ないでしょぉ?」
「でも、休業届出されたらッ!?」
「知るか、無視じゃ無視!」
「シルフェ暴君すぎるぅー!!」
「ともかく!!一人の一生、“人生”が終わったわ。さぁ製本に取り掛からないと」
「え、ええ?でも人が違うよぉ!?」
「いいのよ、結果オーライで」
「そんな、簡単にっ!?」
「サッサとしないと、彼、本を取りに来るわよ」
「え、ああっ。え、でもでもでもでもっ?!ええええ???」
「ぐだぐだ喚くなっ!取りかかれっ!すべての原稿はそろっているっ!!」
「そんな、この人の何にも手ぇ付けてないのにぃぃ??」
「大丈夫っ!私が付いていてあげるからっ!そばにいるだけで百人力!存在だけで百万馬力!!さぁっ、働けぇぇぇぇぇえええ!!!」
「暴君シルフェはひどすぎるぅぅぅぅぅぅうううう!!!!!」
わうぅぅぅぅぅぅぅー!?!?という叫びとともに一人が走り出す。
その両手には、数百枚の紙の束が握られていた。
子供の頃、と言っても小学生の四年生の頃。
友達に、馬鹿にされることを承知で聞いたことがあった。
「ねぇ、君は大人になりたい?」
他愛もない、たった一つの簡単な質問だった。
だけど、当時僕が“かまってちゃん”を振りまいて、いうなれば嘘をつきながら仲良くしていた友達からは、普段自分から話しかけない僕がいきなり会話の話題を変えて話しかけてきたものだから、
「何?いきなり、それ」
「あ、知ってるそれ、テツガクシャとか言うんだろ?」
「へー、またクヌーは変なことばっか言って」
「あ、オレオレ!!オレはもう大人だぜー、コーヒー飲めるし!」
「えー、まっじいのに」
「かっこいーとかおもってるだろ?」
「かっこつけかよー」
「あ、そうそう、コーヒーと言えばさー」
とか言って。
僕の一応の真剣な質問は、いつの間にかただのコーヒー話の一部にすぎなくなっていた。
今思うと、あれは軽くあしらわれたのだろうかとも思う。
だとすればあの時の彼らは小学生だったのに、僕以外の皆のほうが数段も凄かった事になるのだけど。でも、その時の僕には、その無邪気な「コーヒーの話」だけで、自分が“受け身”でしか存在できないことを思い知った。
自分から何も語らず。
自分から行動もしない。
話しかけても意味がない。
ただ、皆の影にまぎれて、皆の渦に居るだけで大丈夫なのだと、これで自分は安全なのだと安心しきれていたその頃の僕は、その時を境に、皆と居ればいるほどに自分が何か異常なものなのかもしれないと思い始めていた。
自分から何も語らないのに、“かまってちゃん”を振りまいて他人にかかわって。
いざ自分の言葉を他人に述べると、“かまってもらえない”という事実を突き付けられたから。
それは圧倒的な矛盾。
そして、矛盾でしか自分が存在できないのだという事実そのものだった。
「君は大人になりたい?」
と、学校の道徳の授業でもやりそうな内容を聞いただけなのに。
たった一言、会話して、意見を述べてくれはしないかと、ただそれだけの望みなのに。
答えは「なりたい」とか、「なりたくない」だけでもいいのに。
学年が上がって、また別の友達が出来てからも、急に思い出したようにその質問をした。
でも反応は似たり寄ったりで、
「なにそれー?」
「中学生になれるじゃん!」
「変な質問」
とかばかり。
時には逆に心配もされたりした。
そのころにいじめがTVなどで流行ったからだろうか、先生に呼び出されたりもした。
僕はそのたびに、またかと思いつつも
「なにもおかしくないですよ。ただ気になったから聞いただけです。心配かけてすみませんでした」
と何も悪くないのに謝ったりもした。
六年生になってからは、もう半分ほどはあきらめていた。そんなこと言っても、彼らには妄言とか、馬鹿な言葉にしか聞こえない。そんなこと言っても、彼らには僕の想いなんてわからない。わかってほしくもないけど、でも、無理なのだ。そう、思っていた。
そして、何時だったか。
たぶん夏の日、夏休みも間近に迫ったある日。
久々に聞いてみて、帰ってきた答えがこれだった。
「君は、大人になりたくないの?」
そういった彼女は向日葵のような明るい笑顔で。
僕に、そう言った。
名前は、千華(チカ)。
千葉千華(センバチカ)。
僕の初めてで、最後の友達だった。
[楠咲椚(クスザキクヌギ)の嘆き]
友達に、馬鹿にされることを承知で聞いたことがあった。
「ねぇ、君は大人になりたい?」
他愛もない、たった一つの簡単な質問だった。
だけど、当時僕が“かまってちゃん”を振りまいて、いうなれば嘘をつきながら仲良くしていた友達からは、普段自分から話しかけない僕がいきなり会話の話題を変えて話しかけてきたものだから、
「何?いきなり、それ」
「あ、知ってるそれ、テツガクシャとか言うんだろ?」
「へー、またクヌーは変なことばっか言って」
「あ、オレオレ!!オレはもう大人だぜー、コーヒー飲めるし!」
「えー、まっじいのに」
「かっこいーとかおもってるだろ?」
「かっこつけかよー」
「あ、そうそう、コーヒーと言えばさー」
とか言って。
僕の一応の真剣な質問は、いつの間にかただのコーヒー話の一部にすぎなくなっていた。
今思うと、あれは軽くあしらわれたのだろうかとも思う。
だとすればあの時の彼らは小学生だったのに、僕以外の皆のほうが数段も凄かった事になるのだけど。でも、その時の僕には、その無邪気な「コーヒーの話」だけで、自分が“受け身”でしか存在できないことを思い知った。
自分から何も語らず。
自分から行動もしない。
話しかけても意味がない。
ただ、皆の影にまぎれて、皆の渦に居るだけで大丈夫なのだと、これで自分は安全なのだと安心しきれていたその頃の僕は、その時を境に、皆と居ればいるほどに自分が何か異常なものなのかもしれないと思い始めていた。
自分から何も語らないのに、“かまってちゃん”を振りまいて他人にかかわって。
いざ自分の言葉を他人に述べると、“かまってもらえない”という事実を突き付けられたから。
それは圧倒的な矛盾。
そして、矛盾でしか自分が存在できないのだという事実そのものだった。
「君は大人になりたい?」
と、学校の道徳の授業でもやりそうな内容を聞いただけなのに。
たった一言、会話して、意見を述べてくれはしないかと、ただそれだけの望みなのに。
答えは「なりたい」とか、「なりたくない」だけでもいいのに。
学年が上がって、また別の友達が出来てからも、急に思い出したようにその質問をした。
でも反応は似たり寄ったりで、
「なにそれー?」
「中学生になれるじゃん!」
「変な質問」
とかばかり。
時には逆に心配もされたりした。
そのころにいじめがTVなどで流行ったからだろうか、先生に呼び出されたりもした。
僕はそのたびに、またかと思いつつも
「なにもおかしくないですよ。ただ気になったから聞いただけです。心配かけてすみませんでした」
と何も悪くないのに謝ったりもした。
六年生になってからは、もう半分ほどはあきらめていた。そんなこと言っても、彼らには妄言とか、馬鹿な言葉にしか聞こえない。そんなこと言っても、彼らには僕の想いなんてわからない。わかってほしくもないけど、でも、無理なのだ。そう、思っていた。
そして、何時だったか。
たぶん夏の日、夏休みも間近に迫ったある日。
久々に聞いてみて、帰ってきた答えがこれだった。
「君は、大人になりたくないの?」
そういった彼女は向日葵のような明るい笑顔で。
僕に、そう言った。
名前は、千華(チカ)。
千葉千華(センバチカ)。
僕の初めてで、最後の友達だった。
[楠咲椚(クスザキクヌギ)の嘆き]