Neetel Inside 文芸新都
表紙

うそめし
カラハリ砂漠のサボテンヤシ

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灼熱のアスファルト砂漠を渡り終え、ようやく我が家の玄関へとたどり着いた。妻に汗まみれのスーツを投げ捨て、妻のその苛立った顔も投げ捨て、一直線に風呂へと薄汚れた体を投げ捨てる。白煙を上げる湯が、トプンと体を包み込んだ。熱い。たまらない熱さに体中が途端に真っ赤に腫れだし、脳へ必死の救難信号を送り出す。むず痒い様な我慢の出来ないその信号に、しかし大人らしく冷静に接してやる。

「ちょっと待つんだよ、もうちょっとだよ、ここで頑張ったら後が楽しいんだからね、人生は苦から楽が一番楽しいんだ」

と体を説得しながら風呂にもう百秒、脳まで届きそうな我慢の限界を受け、逃げる様に風呂から出る。火照った体を居間の椅子にダランと預け、妻の不規則な包丁の音を楽しむ。そのうち、見てるだけで頭が痛くなりそうなほど冷えたビールとマイグラスに、少し多めの塩を振りかけられた枝豆がやってくる。問題無く、まずはビールからだろう。
 ビールとはまず、目と鼻、手で楽しむ。白く結露したグラスに、荒波の様に注がれる黄金色の発泡水が、きめ細かい泡の蓋を引き上げながら確実に量を増やしていく。弾けた泡の粒子が鼻へと突き刺さり、ビール特有の苦味のある香りを感じさせてくれると、もう我慢出来ずに手はグラスを持ち上げる。冷たい。たまらない冷たさに体中が歓喜の雄たけびを咆哮し、脳へ必死の飲酒信号を送り出す。人参を目の前にぶら下げられた馬が、どうしてそれを我慢出来るというのか。今度ばかりはそれを口へと一気に流し込む事に決める。
 唇がグラスに触れる。カサカサに干上がった唇がグラスの水滴で急速に潤いを取り戻し、喉の奥からは早くしろと言わんばかりに唾を飲み込む音が聞こえる。瞬間の空白―――まさに嵐の前の静けさだった。次の瞬間、口内へと無慈悲に進入したビールは、口内の粘膜を蹂躙し、その細胞の隙間一つ一つに自身の酸を滲みこませていた。まさに嵐の様に暴れまわる口内のビールを、しかし全く反抗しない。舌で喉への道を塞いだり、まさか口からそれを吐き出す訳も無く、思い通りに蹂躙させてやる。舌を口内下へピッタリと貼り付けると、喉奥への入り口が自然に開く。そして、呑んでやるのだ。ビールはそこへと一気に流れ込み、喉を冷たさと炭酸で引っ掻き回しながら、胃でジュワと溶けた。喉から胃から脳へと絶頂を伝える信号が伝えられ、髄脳が甘く痺れる様な身震いが全身へと送られる。そして仕事を終えた人々は、皆同じ様にこの言葉を発するのだ。

「美味い」
「村雨先生、大丈夫ですか」
「………あ、ああ」

 灼熱のカラハリ砂漠を渡り終える事も出来ずに、私はふと呆けていた意識を出部君の声で取り戻した。首を伝っていた汗が砂の上にポタと落ち、そのまま風でどこかへ飛んでいってしまった。ヤシの木の下で枯れたオアシスを目の前に、私の心は急速に現実へと引き戻された。目の前に広がっていた晩餐が、今はただただ広がる砂の光景だ。

「今はあまり体力使わない方が良いですよ」
「………人は」

 出部君は無惨にも横へと首を振った。この砂漠で迷って一時間目に軽率な行動を取った出部君と喧嘩し、二時間目に水を分けてくれと喧嘩し、しかし三時間目にもなると既に出部君にも私の手元にも気力すら残っておらず、オアシスだと二人して駆け出したこの枯れ池を前にしても、もはや怒る気すら起きなかった。
 ふと目を枯れ池へやると、出部君がハンドブックを手に枯れ池を掘り返していた。角の固い部分をスコップ代わりにしようとしている様だが、無情にも本はグニョグニョと折れ曲がるので、土を上手く掘り返せていなかった。私はそんな無謀な行為を止める気にもなれず、木の陰に身をさらに寄せ、背中を幹へ預けた。空を見上げると、葉と葉の間から容赦無く熱光が私の体を照りつけていた。私の顔や腕の皮膚は日焼けで真っ赤に腫れだし、まるで何かの伝染病にでもかかった様な不安感を得る。私はもう駄目だ………恐らく砂漠の隅で死んだ売れない日本人作家として三面記事を彩るのだろう。いや、そんな事はどうでも良い。それよりも、食べてない物がまだまだ沢山あるのだ。中国の七色王虫、アメリカのベビービーフ、日本千年亀の干物………。ユラユラと揺れる丸いサボテン………サボテン。私はふと立ち上がり、葉と葉の間でユラユラと揺れていた丸いサボテンに目を向けた。木を揺らしてみるとそれは呆気なく砂の上に落ちる。私はそれを見て思わず叫んだ。

「出部君!」

 私が大声を張り上げると、ほぼ無意識で掘っていた出部君は驚いて少し体がよろめいた。出部君は声も出さずに何だよと不機嫌に顔をコチラへ向けた。私はそんな出部君にサボテンを指差して見せた。緑色で光沢のある固い殻の周りに、サボテンの細くて痛そうな棘が無数に生えている。割れ目やそのツルツルした雰囲気はヤシなのだが、生えた棘や緑色はサボテンという、なんとも不思議なその外見を持つ物体は、辺りに微かに緑の植物特有の青臭さを広げていた。

「水だよ、出部君」
「み、みず!」
「そうだ、サボテンヤシだ」
「サ、サボテン………?」

 私は鞄からタオルを取り出すとサボテンヤシを包み込み、棘が刺さらない様に慎重に割れ目に指をかけた。汗も枯れ果てた体から最後の力を振り絞る様に開くと、それは意外と呆気なく私達を迎えくれていた。
一層辺りに青臭さが広がる中、二つのサボテンヤシの容器の中には全く無色透明の液体がユラユラと揺れている。青臭さの中に微かにフルーツ特有の熟れた甘い香りが混ざっている。サボテンヤシの透明ジュースの香りだ。
 私も出部君もお互いに喉の唾を飲み干した。出部君のハンドブックの上にサボテンヤシ半分を分け与えてやると、それはもう二人同時に、まるで節操の無いペットの犬の様に水を吸いだした。棘のせいで器の様には呑めない為、二人してアヒル口をジュースの中に突き刺している。

「あ、甘いですよ!村雨先生!」
「こういった昼夜の温度差が激しい過酷な環境で育ったフルーツは、糖度が非常に高くなるんだ」
「じゅるじゅる」
「じゅるじゅる」

 呑みだすと、砂で枯れ果てた喉に急速に潤いが戻されていく。そして舌に残る嫌味が無く切れのある甘みによって、さっぱりとした幸福感が脳髄へ叩きつけられていた。至福―――思わず笑い出してしまいそうなほど二人の顔は放蕩としていた。体の細胞全てが喜びの感情を表す様に活発に動きだしている。

「ふふふふふふ」
「………ふふ」
「はははは、いやあ、うまいなあ、これ、すごい美味しですよ!」
「生き返ったね、本当に、このフルーツが無かったら………」

 出部君と私は感謝を述べる様に器を手に持ちながら、木の幹に腰を降ろした。さきほどまで吹いていた灼熱の熱風も今ではどこか爽やかな初夏の風に感じる。

「しかし変テコなヤシもあったもんですねえ」
「フフフ、出部君、これは実はヤシでもサボテンでも無いんだよ」
「え!そうなんですか?」
「これはドラゴンフルーツの仲間なのさ」
「ああ確かに!棘の雰囲気なんかが似てますね」
「外見の雰囲気だけで名前が決められたんだろうね」

 暫くして、私達はまた二時間ほど黙りこくってしまう事になるのだが、その後に探索隊に救出された結果、またこの様に売れないグルメ小説を書く事が出来ている。あの劣悪な環境で育っていたサボテンヤシに感謝しなければならないだろう。

       

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