Neetel Inside 文芸新都
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たゆたう
第四章 非連続な時間の中で

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第四章























キーンと音が鳴り響く。



















 ピアノの不協和音と黒板を爪で引っかいた時の音を足して二で割ったような微妙な、だけど確実に愉快ではない音色。そしてその音は僕の脳を針か何かでチクリと刺すような刺激をも伴って訪れる。





 あれから現在まで、神楽とデートの約束をしてからその当日まで、僕の時間は十数回跳んだ。「跳び」は一定の頻度で起こるわけではなく、だんだんと跳んでから次に跳ぶまでの間隔が短くなってきている。「跳んだ時間」の記憶はなく(過去に一度体験したことだから記憶になくとも体験はしているのかもしれない。)かなり僕の日常生活に支障がではじめているのだけれど、跳ぶ間隔に反比例して「跳ぶ時間」自体は縮まってきているのでなんとか今は「ど忘れ」程度で済んでいる。
 この「跳び」は僕がこの世界に慣れるまでの作用で、「跳び」の間隔がゼロに近づくに連れて僕もこの世界に馴染んでいく、いや「この世界が僕を受け入れる」という表現を使おう、「跳び」の間隔がゼロに近づくに連れてこの世界は僕という時の異分子を受け入れるようになるのだろうか?















キーンと音が鳴り響く。















 不快に不安で頼りない感じのこの音は「跳び」と共にだんだんと多く僕の頭に響くようになってきた。「時の跳び」とこの音はなにか関係があるのだろうと思う。この音は僕に「この世界が僕を受け入れてくれる」という可能性に疑問を持たせる。僕がこの音を無視しても僕の本能は注意深くこの音を聞き、そしてこう言うのだ。「この音は警告である。」と。














キーンと音が鳴り響く。














また鳴り響く。僕に時が跳ぶ恐怖を感じさせながら、鳴り響く。













キーンと音が鳴り響く。













これは絶対者の奏でる音。














        :             :    








                 

「おはよう。神楽。」
「おはよう」
「ケイは?」
「まだ来てないよ。私が一番乗り。」

 僕と話しながら神楽は持っているポーチを揺らす。ワンピースというのか、女の子の服のことはよくわからないけれど、白の下地に黒色の装飾が入った上着とミニでない程度に短めのスカート、それにちょっと大きめの帽子を被っている神楽は、神楽の制服姿に見慣れている僕には大分印象的だった。
「どうしたの。私なんか変?」
僕はじろじろと見すぎてしまったのか、神楽がちょっと不安そうな顔になってそう聞いてきた。
「いや、もうちょっとましな服を着てくれば良かったかなーと。」
僕は神楽と自分の服とを見比べる。「変」というわけではないけれど、これといったおしゃれもない無地の黒いトレーナーとジーパンがちょっと痛い。しかもジーパンの膝のところが、転んだ時できたのか、少し裂けていたりするのがこれまた痛い。かなり捜したのだけれどこんな服しか見当たらず。おしゃれさんに興味がなく育ってきた僕だが今だけは後悔。せめて数年後の僕ならば社交辞令用にちょっぴしパリッとした服を持っていたりとするのだけれどなぁ。
「大丈夫。いつものあなたらしいよ。」
 神楽がそうフォローしてくれる。一応のフォローか。
「ありがとう。」
 僕は返す。そしてそのまま言葉をこう繋げようとした。君はとてもキレイだよ、と。でも結局僕は繋げられずにその言葉は潰えてしまう。

「神楽」
「何。」
「僕のことをなんて呼びたい?」
「え?」
「いや、なんかさっきから僕の名前を使わないからさ。僕は別に名字でも名前でもいいよ?」
「え…と。」

 そう言って神楽は困った顔になる。なんとはなしに尋ねたことで、別に追い詰めるような気は全然なかったのだけれど神楽にとっては返答し難い質問であったらしい。僕も話題を変えられず、二人の間にちょっと気まずい空気が流れる。
「あ…あのね。」
 どうやら神楽は僕が答えを待っているのだと思っているらしい。聞けないならば聞けないでも、まぁ、いいとは思う。だけれど僕がなんて呼ばれているのかに興味はあるのもまた事実である。なんだかおかしな話ではあると思う。神楽とは小学生の頃からの馴染みなのだ。僕が彼女を「神楽」と呼ぶように彼女もまた僕を何某かで呼んでいるはずなのだけど。佐々原君?「周ちゃん」と一、二回この世界に来て呼ばれたけれど僕の記憶の中の彼女、亡くなった彼女、は僕のことをなんて呼んでいたっけ?僕はいつも肝心なことを忘れてしまっている。
「名字でも名前でもいいのにフルネームはダメなの?」
 君から返ってきたのは予想外の答え。佐々原周一。君は僕をそう呼ぶのかい?
「あ、その、ごめんなさい。ちょっと気になっていたから。」
 神楽はきっと今僕がいじめられていた時のことを思い出している。僕が神楽の前で殴られていた時のことを。
「その、本当にごめんね。」
 無言になる僕に神楽が困る。
「いや、別に。怒ってないよ。」
 僕が言う。僕は本当に怒ってなんかいないけど、そのそっけない言い方が逆に神楽には怒っているように聞こえたかもしれない。
「でも…」
 ほら、神楽がうつむいていく。
「恥ずかしくもないぞ。」
 今度は元気な感じで言ってみる。せっかくのデートなんだから。いや、そうでなくても僕は君に笑っていてほしいのだよ。
「………ごめんね。」
 僕の元気は空回りした。いや、それ以前に空元気に聞こえたのか。なんにせよ結果的に神楽のその二度目の「ごめんね」は僕にそれ以上何かを話させる気力を奪っていった。僕と神楽はそのまま互いに何かを話せなくなってしまった。そして二人の間に訪れる静寂。嫌な静寂。普段気にしないような周りの音がやけに大きく聞こえるようになる沈黙の空気。そうだ。いつだって僕の言葉は上手くいかない。こんな時いつも僕は手品師や曲芸師に憧れる。人を笑わせることができる力を持つ人達というのはなんて素晴らしいのだろうと思う。僕は僕の好きな人ただ一人ですら笑わせられないのだ。ピエロだっていい。君が笑ってくれるなら。そう思う。そう思うのだけれど。

「おーい」

 気まずくなった二人の下、ケイはそんなことを露とも知らず能天気にやってくる。
「おはよう、ケイ。」
 僕が言う。
「おはよう。ケイちゃん。」
 神楽が言う。「ケイは名前で呼ぶのか。」そんな思いが怒りと嫉妬をちらつかせながら僕の頭をよぎっていく。
「あ、ごめんね。」
 神楽も同じようなことを考えたのか、僕に向かってまた謝る。その行為がまた僕をいらつかせた。理性ではたいしたことないと思っていても本能はそう理解してくれないらしい。
「あ?何かあったの、おまえら?」
 あやまったり、あやまられたり。そんな僕たちを見て不思議に思ったのかケイがそう言う。ギクシャクした僕と神楽を見れば誰だってそう思うか。
「なんでもないの。さあ、みんな揃ったことだしそろそろ行こ。ね、えと、佐々原君?」
 なんでもないよ、と僕もケイに言うつもりだった。だけど僕はその言葉を神楽が言ったことにひっかかった。なんでもなくない。そう言いたくなってしまった。





 そよいだ風が優しく僕を包みこむように流れていった。最初に感じたのはその風だけだった。しだいにチリ―ンという風鈴の音が遠くどこからか聞こえた。風鈴の音に混じってかすかに波の音も聞こえる。ザザーン。ザザーン。そして次第に焦点が定まり周りを見回した時、僕は昔の団子茶屋のようなお店にいた。

 僕はさっき神楽とケイに会った。予定としては、僕らはそれから電車に乗って海へ行くはずだった。この十一月の寒い最中に海である。我ながらデートスポットの選択に誤りを感じるけれど他に中学生が行っておかしくないような場所が思いつかなかったのだ。
 ちなみにケイは僕が神楽とデートの約束をした時から一緒に連れて行く気だった。僕と二人きりでは神楽がデートを承諾してくれるか微妙だったし、三人いればなんとか会話も「場が持たなくなる」ということはないだろうと思ったからだ。要は僕と神楽のクッションである。いいように使っている感じでごめんね、ケイ。
 だけど悲しいことにケイ、おまえの役割はデート(三人いるという時点でデートと呼んでいいのかはすでに疑問だけど)開始から早々に発揮しそうだよ。こんなふうになるはずじゃなかった。神楽との仲が急速にぎこちなくなってしまった。僕のせいだ。つまらないことに苛立ってしまって。僕は十九歳なのに。

三人が集合場所に集まった。そして神楽が「行こう。」と言った時
ザザーン
どこからか海の音が聞こえて
頭にキーンと御馴染みの音が鳴り響いて
僕は跳んだ

 僕はその団子茶屋を団子茶屋らしくしている一因である長い腰掛けに座っていた。視界に暖簾がはばたく。暖簾の向こう側ではあかりと同じくらいの大きさの子が猫と何か話していた。
「だけどびっくりよね。」
 その声を聞いてボーっとしていた僕の意識がシャンとなる。その声の主は僕のすぐ隣に座っていた。神楽だ。
「え、ごめん。何?」
 僕は当然神楽が何を話しているのかわからない。
「もう、私の話をちゃんと聞いてよ。あかりちゃんのことよ」
 神楽はそう言ってちょっとすねた顔になる。
「え、あかりがどうかしたの。」
 この前神楽はあかりと会ったと言っていた。その話をしているのかな。しかしさっきの僕と神楽のギクシャクはもう解消されたのだろうか。神楽が僕をなんて呼んでいるかでわかるだろうけれど、解消されていたとしたらそれはそれでなんか悔しい。今ここにいる僕はさっきの、何も変わっていない、僕なのだから。

「おにいちゃーん。」

暖簾の向こうで猫と戯れていた少女がそう言ってこっちを向いた。
あかり?
かろうじて喉まで出かかったその声は止めることができた。

「ほら、あかりちゃんが呼んでいるよ。」
 横で座る神楽が僕に言う。いや、ていうかなんで。なんであかりさんがいるのでしょうか?
「う、うん。なんだい、あかりー。」
 僕は動揺しながらも、とりあえず会話を合わせる。そういえばケイはどこだ。え、まさか都合が悪くなったから代わりにあかりが来たとかなのか?
「この猫さんお家に連れて帰ってもいいー?」
 そういってあかりは猫を抱き上げて僕のほうに突き出す。猫にはいい迷惑だと思うが「にゃー」と彼(それとも彼女?)は特に嫌そうでもなく言った。人語に訳すと「たまには子供の面倒もいいものだ。」とかだろうかと思う。
「だめ」
 僕はあかりに向かってそう言った。
「えー。せっかくいい友達になれそうなのに。」
 僕がそう答えるのをわかっていたのか、あかりは特に不機嫌になるようなことはなかった。抱いていた猫を下ろして再び僕らには聞こえない音量で猫と話し始める。
「フフ、やっぱし妹さんだね。ああしているところ、なんか佐々原君を感じさせるよ。」
 神楽はそう言ってクスクスと笑った。結局僕の呼び名は「佐々原君」に落ち着いたのだろうか、と思う。
「とってもお兄ちゃんが好きなんだね、あかりちゃんは。」
 そう言って神楽はあかりを見る。
「なんでそう思うの?」
 とりあえず会話はスムーズになってきた。そう内心思いながら僕は神楽に尋ねる。
「だって、あなたを追ってここまできちゃうなんてさ。よほどだと思わない?」
 そうか。あかりがここにいるのは僕の後を追ってきたということらしい。多分休日に早起きの僕に疑問を感じたのだろう。そういえば朝早起きのあかりを巻くのに苦労したなぁ。
「そ、そうだねぇ。」
 最早怒ってもしょうがない。というか多分もう僕は怒ったのだろうと思う。どういう成り行きかは知らないけれど、僕は結局妥協してあかりを連れてきてしまったのだろうと思う。しかし今の僕はさっきの僕。まだ怒っていないのだ。この怒りをどこへぶつければいいのだろう。
「お兄さん思いの妹を邪険にしちゃだめだよ。私が言わなかったら佐々原君本当に家に帰したでしょう?」
ああ、なるほど。ここに僕が妥協した理由が。推測するに……

僕「あかり!ついてきたのか?」
あかり「お兄ちゃん。さっきボクに本屋さんに行くって言ってたよ?あかりに嘘ついてどこへ行くの。ボクも連れてって。」
再び僕「絶対ダメ!お土産買ってきてあげるから帰れ。」
あかり、怒って「やだ!絶対絶対ついて行くから。」
言い争う兄と妹、それを茫然と見る神楽とケイ
あかり「うう…」
僕(の頭の中)「いかん、泣くのか?それは反則だぞ、あかり。おまえが泣いてそれでも僕がおまえを一人で帰すような真似をしたら、ただでさえ気まずくなっている神楽からの僕のイメージがさらに落ちるじゃないかっ。う、やばい、もう泣く。いっそ僕も泣きたいよ。あかりのことも大切だけど僕には僕のスケジュールがあるんだよー。」
あわてふためく僕
世間様「見てー。あの子小学生をいじめているわ。兄弟かしら。だめなお兄さんねー。」
僕(の頭)「うわー」
そこに颯爽と現れる助け舟
神楽「まぁ、いいんじゃない?私達は大丈夫だよ、ねぇケイちゃん?」
ケイ「ああ。こんなところでかわいい妹を泣かすなよ、周一。」
僕(の頭)「助け…舟。…前言撤回です。」
僕「……………………仕方ないですね、………………あかり。」
あかり「何?」
僕「…………………………」
あかり「………」ドキドキ
僕「やっぱり帰れ。」
神楽「こらこら、意地悪しないの。いいよ、あかりちゃん。お姉ちゃん達と一緒に行こうね。」

……なーんてことがあったに違いない、と僕は想像してみる。

「確かにかわいい妹ではあるけれども、デートの邪魔は流石に困るぜ。」
 僕は神楽に言う。まぁ、あかりには聞こえない声で。
「デート?散歩でしょう。」
 神楽には今日のことは「海辺の散歩」程度のつもりで話していた。だけど僕の中では最初からデートなのだよ、神楽。だからやっぱりこの話題は避けられないと僕は思う。

「ねぇ神楽。もう同じ話をしていたらごめんねなんだけど。」
「ん、なぁに?」
「ケイだけ名前なんて不公平だ。」
「え?」
「僕のことも名前で呼んでよ。」
「え…」
「ダメ?」
「いいけど…。でも……」
「でも?」
「それなら私のことも名前で呼んでよ。」
「え…。いや、でも僕には神楽っていう呼び方のが慣れているし…。」
「電話では加奈って言ってたじゃない。」
「え、電話?いつの話?」
「デートの約束をした時よ。加奈って言ってた。」
「え、嘘?」
「嘘じゃないよ。もしかして覚えてないの?まぁ佐々原君にしてはかなり動揺していた感じだったけどさ。」

 神楽は「佐々原君」というところをことさら強く発音する。多分僕が彼女のことを「神楽」と呼ぶ限りは変えないつもりだ。

「わかったよ。その………加奈?」
「うん、何、周ちゃん?」
「加奈。」
「周ちゃん。」
「おまえら、何やってるの?」

僕らが気がつかない間に薄手のコートを羽織ったジーンズの男がそこに立っていた。ケイだ。

「やあケイ。お帰り。」
「う、うん。いつからいたのよ。声かけてくれればいいのに。」

 僕ら二人はケイを見て、そしてそう言ってうろたえる。別にやましいことをしていたわけじゃないけれどやっぱり何か気恥ずかしい。
「ケイだけ名前なんて不公平だ、あたりからかな。」
 ケイはそう言って僕の方を見てニヤリと笑う。僕はケイと目を合わせられず、ケイの服と話をする。オレンジのコートとベージュのズボンの色合いがとてもステキですね。おまえに服を借りれば良かったよ、ケイ。このオシャレさんめ。
「盗み聞きする気はなかったんだけど邪魔しちゃ悪い雰囲気だったからさ。」
 今度は神楽を見てケイはそう言う。神楽はそう言われた瞬間、うつむいて耳まで真っ赤になっていた。多分僕もそうなっている。
「まぁ、お子様がいるから適当なところで止めさせていただきました。悪いな、周一。」
 ケイがそう言った時、誰かが僕の上着の後ろをグイッと引いた。僕は赤くなっていた自分の血の気が覚めていくのを感じる。

「あかり…。」
 いつからそこに……。
「お兄ちゃん?」
 僕が後ろを振り返るとあかりは意外にも微笑んでいた。
「うん、なんだい?」
 僕はあかりの顔に安堵して、そう答える。良かった。何をかはともかく色々考えすぎなのかな、僕は。そう思ってみる。
「お家に帰ったらいっぱいお話しようね。」
あかり…。目が笑っていないよ。




「いやぁ、女って怖いね。俺一人っ子で良かった。」

 海へと繋がる石畳の道をテクテクと歩きながらケイがそう呟く。僕らがいるここは海というより島である。駅から海へ直行することもできたのだけど、十一月に泳ぎをするわけでもない僕らはとりあえずは島を一周することにしたのだった、という推測。島を歩くことを決めたのは誰か知らない。なにせ僕はその時の記憶がないのだから。
「ケイ…。おまえドコに行ってたんだよ。」
 前方を歩く神楽…いや…「加奈」とあかりを見ながら僕はケイを非難の目で見る。まぁ、僕がケイに怒る理由も、ケイが怒られる理由もないんだけど。
「トイレだよ。ちゃんと言ったろ?先客がいてなかなか入れてもらえなくってサ。大分遅くなった。」
 ああ、そう。知らねぇよ、そんなことは。口には出さずに僕はそう思った。

「なぁ、周一。」
「なんだい。」
「我等が前方を行くあの二人は何を話しているんだろうな。」

 いや、もうホント勘弁してくださいよ。ケイさん。僕は心からそう思うのであった。しかし前方の二人もそうだけど、僕は僕と仲のいい相手には何か勝てないとこがあるような。優柔不断の性格のせいか結構引っ張られたり、いじられたりする性格なんだよね、と思ってみたり。




「神様っていると思う?」
「いるんじゃないかな。」
「僕もそう思う。でも神様って何をしてくれるんだろうね。」
「え、そうだねぇ。悪い人を裁いたり、良い人を守ったりするのかな。ねぇ?」
「いるだけなんじゃん?」
「ボクはいないと思う。お兄ちゃんがいるって言うならいるのかもしれないけれど。」
「神様に人格を求めるとややこしくなるね。いっそ神様と人間は別のものと考えてみよう。」
「どういうことだ?」
「だから、良い人も悪い人も人間だろ?良い猫や悪い猫はいないんだよ。」
「いるよ。あかりを引っ掻く猫さんもいるもの。」
「え…と。つまり良いとか悪いとか自体がもう神様を人間にしてしまっているっていうこと?」
「そうだ。加奈はいい反応をしてくれるね。あかり、おまえを引っ掻いた猫さんは人に触られるのが嫌なだけだったのかもよ?もしそうだったとするとその猫さんからはあかりは悪い人間だ。自分に嫌なことをするからね。」
「え…。あかりは悪い子なの?」
「ちょっと周ちゃん。」
「いや、あかりはいい子だよ。でも僕が言いたいのはあかりを見る人それぞれに違ったあかりがいるってことだよ。」
「……えびさんを見てお兄ちゃんがナスのてんぷらを考えていた時、ボクはお顔を考えていたってことと同じ?」
「まぁそんなトコ。」
「えび?」
「悪いね。加奈とケイは知らない話さ。」
「…まぁいいや。だけど人間じゃない神様って何をしてんだよ。」
「神様は忙しいからね。色々あるよ。例えば世界の創造とかさ。この世界は何で作られたのか、あるいは最初の生命は、とかいう問題を考えると神様の存在を考えずにはいられないよ。でもそういうことと神様の人間性は別のことさ。」
「神様はなんでこの世界を創ったんだろうね。」
「さぁ?でも世界の始まりであるのが神様なら神様の始まりはなんなのだろうね。」
「え。そうねぇ。神様の神様?でもそれじゃあ…」
「神様の神様は何者だっていうことか?周一。」
「神様の神様の神様!」
「フフ、そうだね、あかり。でもまぁその他にも色んな神様の形があるよ。例えばケイ。この世界のみんな。植物や昆虫や僕らみんな。そのみんなが神様っていうのはどう?」
「はぁ?意味わからん。俺が神様なのか、この世界?」
「みんながだよ。神様は一人じゃなくてもいいだろ?まぁ例えばさ、死んだ時に神様の一部になるっていうような話とか、そういうの知らない?そういう世界観はさ、みんながみんな生まれた時から神様の一部であるってことだとも思うんだ。」
「ふーん。でも俺はその考え反対。」
「なんで?」
「だってみんながみんな神様だったら争ったりなんかしないだろ?自分で自分を殺すってことになるんだからさ。」
「世の中にはね、ケイ。自分で自分を殺す憐れな人達がたくさんいるんだよ。」
「……そっか。」
「ごめん。なんか暗くなっちゃったね。でも僕はこの話をもっと暗い話にしたいんだ。」
「………」
「嫌かい?みんな。」
「どんな話にしたいの?とりあえず言ってみてよ。周ちゃん。」
「僕らは何故生きているのか。いや、違うな。何故死ぬのか。」
「それって死後の世界とかも出てくるの?」
「まぁ、話の方向によっては。」
「だから神様の話をしだしたのね。」
「…神楽。」
「……」
「ああ、ごめん。加奈。」
「何よ。」
「加奈は自分が死んでしまったら何を想う?」
「え……。」
「おい、周一。縁起でもないことを聞くなよ。」
「…周ちゃんは?」
「え?」
「自分が死んでしまった時のこと、死後の世界を考えるということはさっきの神様の話にもつながるんでしょ?それはいいわ。でもさっきから周ちゃんは質問役ばっかりだからさ。だから周ちゃんはどうなのって。周ちゃんが言ったら私も言うから。」
「僕か…。そうだね僕は……卑怯かもしれないけれど死後の世界みたいのは信じていない。天国とか地獄ってさ、基本的に人間が行くとこみたいなところがあるじゃない?まぁくわしくはしらないけどさ。それに僕はできれば緑や動物に囲まれていたいんだ。だからそんな都会みたいな場所は地獄だろうが天国だろうが最初から願い下げなんだよ。でも動物も植物もある死後の世界っていうのがあったとしてもさ、それはこの世界とどう違うんだろうね。」
「閻魔様が周ちゃんに会ったら大変だろうね。」
「うん。まぁそんなこんなで僕は死の後というのは無いと思っている。少なくとも僕個人の意識なんてものはすぐさま消し飛ぶんだろうねと思っているよ。」
「結局、答えになっていないな。」
「うん。でもこういう考えだからこそ僕は別の、けれど本質的には多分同じような、というような考えに行くんだよ。」
「どういうこと?」
「だからさ。死んでしまった僕は何も考えないということは、死っていうものは残された僕以外の人間にとって意味を持つものなんじゃないのかなっていうこと。」
「それってさ、周一。」
「うん。」
「うんじゃないよ。周ちゃん。」
「つまりおまえが死んだ時に、残された俺等は何を思うかってことで、つまりは………」
「結局僕は何かを答えたわけじゃなく質問をしたってことだね。」
「ずるい…」
「でさ、君達はどうなのさ。僕は答えたよ、一応。」
「そういうことをする人には何も答えてあげません。」
「え、そんな…。」
「そんなじゃないのー。あかりちゃんもいい加減眠そうだからもう出ましょうよ。」
「え、ちょっと待って。まだジュースが残ってる……」
「行くよー。お兄ちゃん。」
「ちょっと待ってって。ケイー」
「ほら、さっさとしろ周一。」


 お昼を食べ終えた僕らは漸く目的である海を見に来た。まぁ少し肌寒いけれど、天気は悪くないし、いい海日よりだと思う。ポカポカの太陽が肌に気持ちいい。
「あれはいいのか、周一?」
 僕の横を歩くケイが唐突にそう振ってきた。
「何がだい、ケイ。」
 僕ら四人は砂浜をなんとなく歩いていた。先頭はあかり。そしてそれが心配なのか加奈がそのすぐ後ろに着いている。僕とケイはあかりと加奈の二人とはちょっと離れて後ろを歩いている。
「いや、普通デートの昼飯時に神様うんぬんの話はないんじゃないか。まぁ俺は結構おもしろかったからいいけどさ。」
 ケイがそう小声で僕に問い掛ける。
「ケイはおもしろかったの?」
「ああ、まぁ学校の授業よかおもしろかったよ。」
「ふーん、ありがとう。でもそれなら加奈も大丈夫だよ。」
「何で?」
「僕だってそんなに世間知らずじゃないぜ、ケイ。話の内容を選ぶことは確かに僕は苦手だけど、話す対象はちゃんと考えている。君等だからああいう話ができたんだよ。それでケイがおもしろかったっていうのなら、加奈もまぁ、おもしろくなくはなかったろ。」
「成る程ね。でもおまえの妹は寝てたぜ。」
「いい子守唄になっているってことさ。まぁ嫌なら嫌と言うから、あかりは。」
その僕の言葉が聞こえたのか前方を行くあかりがこっちを振り返る。僕は笑って表情をあかりに返す。
「周ちゃん?」
 そこで小走りに加奈が僕とケイの方へ戻ってくる。
「頭、どうかしたの?」
 加奈のその言葉で僕は自分が無意識に右手で頭を抑えていたことに気付いた。
「さっきから時々そうやってるけど、もしかして具合悪いんじゃない?」
 そう、実は一時間前のお昼の時ぐらいから頭に軽い刺激が走り続けているのだ。でも例の音と痛みなので僕はなるべく気にしないようにしていた。今もキーンと間隔を置いて僕の頭に鳴り響く音がある。
「お兄ちゃん。具合悪いの?」
 あかりもやってきて僕を心配そうにみる。
「大丈夫、なんでもないよ。」
 僕はそう答える。普段からダメでも大丈夫と言う僕だけれど、意味不明の音のためにデート中止ということになるのは絶対に嫌だった。(ちなみに僕の中ではいまだにこれはデートなのだ。)
「無理しちゃだめだよ。」
 あかりが言う。今更ながらにだけど僕とあかりの会話は兄と妹の役割が反対になることが多いような気がする。まぁ実際はそんなことはなく兄のプライドというやつが僕にそう思わせるだけなのかも知れないけど。
「ホントに大丈夫だって。」
 そう言って僕は笑顔を皆に向けた。そう、カラ元気と嘘の笑顔は僕の十八番なのだ。
「なぁあかり、せっかく海に来たんだし少し泳げば?今日はあったかいみたいだし。」
 そして話題の変換。このデートを続けるということに関して僕は必死だよ?そう心の中で元気でない本当の僕が呟く。
「え。でもボク水着持って着てないもの。」
 あかりはそう言ったものの視線は海の向こうである。多分本人もちょっと泳ぎたかったのだろう。
「ハダカでやれば?服は兄ちゃんが持っといてあげるし。」
 僕はそう言う。まぁ、悪気は無かったんだけど…
「ちょっと、周ちゃん?」
 本日多分二回目の加奈の「ちょっと、周ちゃん?」。ちょっと怒った顔の君の顔がまたかわいいよ。いや、でも、別にいつもあかりをいじめているわけじゃないんだよ、僕は?ねぇ?
「自分の妹とはいえ、女の子になんてことをいうのよ。変態!」
 と、僕の思いも虚しく神楽が怒鳴る。
「え、でも…。恥ずかしい?あかり。」
 弁解を求めて僕はあかりを見るのだけれど
「恥ずかしいよ。」
 あかりはそうきっぱりと言うのであった。
「えー。ちょっと前までおまえ、ハダカで泳いでたと思ったんだけどなぁ。」
 ちょっと前。記憶の中ではずっとずっと前。どちらにせよそれが明確にどのくらい前であったのかは忘れてしまったけれど。
「ちょっと前じゃないもん。あかりはもうそんな子供じゃないよ。」
 僕の言葉にあかりはそう言って拗ねた。加奈も「そうだよ。」とあかりの加勢をしている。うーん、まぁ中学生のあかりになら僕もこんなことは言わなかったさ。今も未来も、いつでも、あかりは成長しているのだね。そう思った。
「まぁ、周一が悪いよな。」
 そしていままで黙っていたケイがそう言って話をまとめたのだった。


 あの日。僕の中に残る未来の最後の記憶。僕はあかりを怒らせてしまったままだったっけな。あの日はまだ続いているのだろうか、と思う。今ここに在る僕とは別の、正常な時の中の僕は、ちゃんとあかりと仲直りしたのだろうか。ラビスラズリにちゃんと御飯をあげているのだろうか。僕は…。

中学生のあかりが言う。
「遊園地。」
僕は忘れていた。

中学生のあかりが言う。
「その人はいないほうがいいんじゃない?」
その人。スケッチブックの中の水彩画の彼女。神楽の絵。
今の中学生の僕はあの日のあかりと同い年だ。今の僕をあの日のあかりが見たらなんて言うのだろうかな。

現実の太陽の陽気が風を温かくして僕の体を包む。
いつだったか。僕はこの風の中と同じような夢を見たような気がする。
草原と、風車と、そして神楽がいた夢の世界で。
十九歳の僕がいたあの未来も今となってはもう夢のことで。
でも
僕の現実はここにある今なのだろうか?

いや、多分違うのだろう。



「おい、周一?」
 ケイがまどろむ意識の僕を呼びかけた。
「え。ああ、うん。何?」
 僕は慌ててそう返事をする。
「全く。やっぱりさっき帰ったほうが良かったんじゃないか?ボーっとしやがって。」
 そういえばいつ僕らは座ったのかな。ケイと僕は砂浜に並んで座りながら話している。
「まぁいいや。おまえの妹も寝ちまったし、神楽が帰ってきたらもう帰るぞ。」
 ボーっとしていて気がつかなかったのか、なるほど確かにあかりが僕の腕の中でスースーと音を立てて眠っていた。
「加奈は?」
 加奈がいなくなっている。
「また聞いてなかったのか?あいつはトイレだろ。」
 また。そう、また僕は跳んだらしいな。そう思った矢先、僕の頭の中で鳴り響いていた音が一層強く鳴り響く。
 この音は警告、いや、カウントダウンの音である。きっとそうだ。何故だかわからない。わからないけれど、でも、そういう確信が芽生えた。この世界に終わりを告げるカウント。そしてもうそんなに時間がない。

「ねぇ、ケイ。お願いがあるんだ。」
「何だ?」
「ごめんね。加奈と僕を二人きりにさせてほしいんだ。」
「…しょうがねえな、いいぜ。」
「ごめんね。本当に。」
「………なぁ周一。」
「何?」
「この前さ。神楽と一緒に帰ったんだ。」
「うん。」
「その時さ、あいつ言ってたぜ。おまえのことが好きだって。」
「そう、ありがとう。ケイ。」
ありがとう。ケイ。今度は彼女が生きている時にそう言ってくれて。それだけで僕は随分救われたと思う。救われたと思うよ。



「ただいま。」
「おかえり、加奈。」
「あれ、ケイちゃんとあかりちゃんは?」
「二人ともトイレだよ。入れ替わりになったね。」
「…全く。かわいそうな二人。周ちゃん何か言ったんでしょ。」
「フフ、そうだよ。ちょっと、いや、どうしても加奈と二人きりで話したいことがあったんだ。」
「そう。」

 日が沈みかける赤やけの空と海の中、僕は加奈と話しつづける。
「あのさ周ちゃん。さっきの話の続きだけどさ。私は周ちゃんが死んでしまったら悲しいよ。」
 さっきの話。お昼に僕がした「もし死んでしまったら」の話の続き。
「自分が死んでしまった時あるのは残された人間の気持ちだって言ってたじゃない?私は周ちゃんがいなくなってしまったら悲しい。」
 加奈は僕の目を見て静かに、けれど力強くそう言った。
「そう、ありがとう。」
 僕は言った。その返答は加奈にはちょっとそっけなく聞こえたかもしれない。でも心から思った言葉だった。ありがとう、と。
「周ちゃんは?周ちゃんは私が死んじゃったらどうする?」
加奈は僕の目を見続けたままそう言った。
「泣くよ。」
 僕は言った。もしもじゃなく本当の話として。そんな僕を見て「ホント?」と加奈が言う。
「本当だよ。泣いて泣いて泣きまくる。それで涙が涸れてもまだ泣いたままだよ。」
 正確にはまだ泣いたままでいるよ、であるけれど。
「そっか、ありがと。嬉しいよ、周ちゃん。」
 コロコロとした笑顔で加奈が笑う。
「なんで嬉しいのさ。自分は死んじゃうっていうのに。」
 そんな加奈の態度とは逆に僕は怒る。
「え、だって。私がいなくなってもさ、それでそんなに悲しんでくれる人がいるのならやっぱりそれは嬉しいことじゃない。」
 そうした加奈の一言一言が僕の胸に突き刺さる。ちょっとでも油断すると僕は泣いてしまいそうだ。

「ひとはよし 思ひ止むとも玉葛 影に見えつつ忘らえぬかも………いい歌だよね。」

 僕が予想外で想像外の言葉を加奈は出してきた。
「周ちゃんが授業で言ってたのを気になったから調べたんだ。」
 授業か。そういえばそんなことがあったような気がする。
「白い手紙が届いて明日は春 薄いガラスも磨いて待たう…って加奈は詠んだ時だっけか。」
 加奈は「そうだよ。」と言って玉葛の、僕が詠んだ方の和歌の話を続ける。
「人は止し…大切な誰かが亡くなってしまった時、つらいからか思い出すことを止めたいんだけれど、その人の遺品の存在が中々忘れることを許してくれないっていう歌だよね?」
僕は「そんなかんじ。」と曖昧に答える。
「まぁ残された方にとっては悲痛な歌だけどさ。死んじゃったほうにとっては愉快、というか嬉しい歌だと思わない?だって自分が死んでいなくなってしまった後も自分の存在が残された人々に影響を与えていくのよ。ねぇ、周ちゃん?」
 そう。ちゃんと覚えておくよ。君がそういうことを思っていたということを。君の言葉を。僕は忘れずに覚えておこう。
「周ちゃん?」
 頭の痛みと未来の記憶によって混乱し、ボーっとする僕を見て心配そうに加奈が言った。
「いや、大丈夫。」
 君の言葉はちゃんと聞いているから。

「あのさ、加奈。授業で思い出したんだけどさ。僕は彼と友達になるんだ。」
 その言葉に加奈は「え?」と言う。
「彼…田倉って言ったっけ?僕を殴った彼だよ。僕はそのうち彼と友達になる。やせ我慢で言っているんじゃないよ?」
 今出すべき話ではないのかもしれない。でも、それでも僕は言いたかった。彼と僕は友達になる。
「うん。きっと周ちゃんならあの人とも仲良くなれるんだろうね。」
 加奈はそう言って僕を肯定してくれた。でも加奈には僕の言葉がどれほど届いているのだろうか、と思う。
いじめられていた僕は彼、田倉学、をある日殴った。いや、殴ることになる。だけど重要なのはそこじゃない。僕はいじめを半ば忘れかけていると前にも一度言ったけど、そうなった理由が実はまだひとつ残っていて、僕が彼を殴った(殴り返した)後僕と彼は友達になったということがある。結構劇的に、いや、そうでもなかったかな?とにかく彼のほうはどう思っていたのかはわからないけれど、僕が殴り返していじめがケンカになった時、僕と彼との関係もまた変わったのだった。
 そしてその殴り返した後、それまで僕のことをフルネームで呼んでいた彼は僕のことを名前で呼ぶようになったのだ。僕的には僕の嫌いな人が僕のことをフルネームで呼ぶ人が多いから、だからフルネームで呼ばれることが嫌になったのだと思っている。だから元々フルネームで呼ばれることが嫌いなわけではないけど、まぁ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いっていうコトワザのようなものだと思う。でも僕をいじめていた彼と僕が友達になった後、彼が僕に対してフルネームを使わなくなった、ということが僕のフルネーム嫌いに拍車を掛けているのは確かだろうと思う。
 と、そういった話を加奈にしたかったのだけど、それはどうやら無理っぽい。僕のつたない語彙力じゃある物事を隠蔽しながらひとつの事実だけ話すというのは難しすぎる。未来の話は加奈には、いや、他の誰にも、できないことだ。
「周ちゃん。」
 しばらく沈黙していた僕を加奈が呼ぶ。だけどその声と一緒に、ボールが飛んできて頭を打ったような感じとでもいったらいいのだろうか、とりあえずそういう強い〈音〉だ。それが僕の頭を殴打した。

キィィィィィィン!

 「うっ」と僕は嗚咽を漏らす。目の前が一瞬ぶれた。そんな僕を見て動揺する加奈に僕はまた「大丈夫。」と言うのだった。
「大丈夫じゃないよっ!」
 僕の肩を支えて加奈はそう真剣な目で怒鳴った。
「頼む、加奈。多分ちょっと後にはこんな頭痛のことなんて僕は忘れている。」
 ちょっと後、きっとこの体に宿る精神は今ここにある僕ではないから。
「意味わかんないこといわないでっ」
 加奈は僕の言葉は無視してか、意識が朦朧として意味わからないことを口走っていると思ったのか、多分介抱のためだろう。僕を海から遠ざける方向へ引き摺った。
「加奈。」
 僕は加奈の力に少し抗い、大切な人の名を呼ぶ。
「何よっ」
 もう時間がないから だから最後にお願いだ。
「もう一度抱きしめさせてくれないかな。」
 そう言った瞬間にそれまで僕を支えていた加奈の力が一気になくなって、僕は前のめり転びそうになった。それに気がついた加奈はすぐに我を取り戻し再び僕を支える。僕が手を伸ばせば抱きしめられる。今そんな状態。
「ちょっと、ずるいよ。周ちゃん。」
 流れに従がって僕は加奈を抱きしめた。そして君に言えなかった言葉達を今。
「加奈。」
 静かに、でもはっきりと力強く、再び口にすることはなくなるだろう君の名を僕は口に出した。
自分の名前を呼ばれた加奈は何故か急におとなしくなった。ごめんね。こんな一方的で。でも君のいる未来に僕はいない。だから許してほしい。ごめんね。
「加奈は体が弱いんだから、無理をしないでね。」
 とりあえずこの言葉を。加奈は何も言わない。僕はおとなしく僕の中でうずくまる加奈の髪を撫でた。そして続ける。
「ありがとう。」
 今を。そして未来の僕の生きる糧となった君へ。ありがとう。
「ごめんね。」
 君のお葬式に出られなかったこと。君を救えなかったこと。そしてそれを繰り返す僕がいるかもしれないことを。そして他にも色々。
「ずっとずっと好きだったよ。」

そしてキィンと決定的な絶対者の鐘が鳴り響く
カウントエンド
頭が揺れる

 薄れゆく意識の中、加奈は僕の拘束をほどき、顔をあげ、僕と顔を合わせる。僕は加奈がにっこりと笑ってそして口を動かすのを見つめていた。僕はその言葉をもう聞くことができなかったけれど、それはきっと何かステキな言葉だったのだろうと思う。

君に言いたかった四つの言葉達
ありがとう
ごめんね
好きだよ
 でも結局最後の最後は言えなかった。でもその言葉だけは僕が何回過去へ戻ろうとも、いや、時を操ることができたとしても、言えないのだろうと、そう思う。

さよなら

僕が言えなかった最後の言葉 


























       

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