らぶぞ
第一話 ゾンビとミリオタ
あれはクラスメイトだ。
どうしてだとか、何で僕なのかとか、そういうのはとっくに考えるのをやめた。
二挺の短機関銃を両手に下げながら、ただ冷たい空気を吸っては吐く僕。
白い吐息が目に付いて、辛うじて自分が生きてるのだと思い出す。
思い出してから考えた。
僕は、いつまで生きれるのだろうか、と。
目の前にある四階建ての鉄筋校舎。その屋上から僕を見下ろす人影。
ニコニコ笑うあの子が、きっと僕を襲いに来る。果たして、僕はアレから逃げ延びる事ができるか。
脳内であらゆる状況において、勝てるかもしれない作戦をシュミレートしてみる。だが愚問だ。僕に勝てる要素は最初から一つもないのだし、何度も考えた。
無理かもしれない。
そう考えた瞬間、人影が飛んだ。
僕は機械的に両手のFN社製P90機関銃を降下してくる《彼女》の体にポイントし、間を置かず、躊躇なくトリガーを引く。
五.七ミリの専用弾が圧倒的な初速で撃ち出され、空中の人影目掛けて殺到する。その威力の前に人体などは問題にならない。防弾ベストすら貫通する特殊な弾だ。
二挺分、合わせて百発の弾丸を吐き出し終えたP90を僕が投げ捨てると同時に、ぐちゃぐちゃになった彼女が地面に激突した。
暗闇に赤い何かが飛散し、湿った音が響く。
恐らくはかなりグロテスクな事になっているのだろうが、僕はやはり蜂の巣になりながら落下してミンチになった筈の肉塊から目を離さない。
「……しつこいよ、森山さん」
背に掛けていたセミ・オートの黒いショットガンを抜きながら、僕はもう本当に呆れ返りながら言ってみる。
すると、アスファルト剥き出しの地面に顔を埋めていた挽肉がおもむろに不自然な挙動で立ち上がった。
「あはは、あんまり橘君が早く逃げるからね、ついムキになっちゃって飛んじゃった」
「いや、逃げるからっていうか普通はムキになっても屋上からは飛ばない」
さっきのフルオート射撃で千切れた左腕を右手で拾い、お茶目に振って見せる血だらけの少女。
彼女は森山晴香。享年十七歳。
元クラスメイトで、今は何て言うか――ゾンビだ。かなりゾンビ。
纏ったうちの学校の制服は色んな部分がズタズタで、見えちゃいけないものが見えかけてたりする程度には悲惨な有様である。
腹の辺りには僕が空けた銃創が集中し、こちらは別の意味で見えちゃいけないものが見えてる。中途半端にグロい。
「……あ、あんまりジロジロ見ないで」
ぽっ、と頬を染める森山さん。
そこでこう、嫌悪感剥き出しに吐き捨ててくれれば僕としても素直にバツの悪い顔が出来るというものなのだが、いかんせん彼女は本気で照れている。
僕は『花も恥らう乙女ゾンビ』などというものに対して生理的免疫が猫の額ほどもない。非常に気持ち悪いので視線を逸らす。
なんか腕取れてるし。
「うわ、くっつくかなぁ、これ」
彼女もそれは気にしていたらしく、悲哀に満ちた眼差しで血の滴る自分の左腕を眺めている。
チャンスだ。
「森山さん、全身でB級ホラー的な愛情表現されても一般的な男性諸氏は好意的解釈に至らないと僕は思うんだ」
駄目で元々、真顔を作ってよく分からない説得を試みる。
必死に腕をくっつけようとしている森山さんは、聞いてるのか聞いてないのか分からない。例え僕が菩薩のような人格の少年でもそんな態度には少し苛立つというものだ。
「僕は人間で君はゾンビ。禁じられた愛だ。だからもうよそう」
そのせいなのか、論点がズレたというか、ちょっと間違った台詞を叫んだ気がしたものの、僕は気にせずショットガンの銃口を向ける。
大体、言ってる事とやってる事が真逆だ。錯乱している自覚もある。だがもう何か全部どうでもいい。
「あ、ついたついた」
しかし肝心の森山さんは左腕がグロテスクな音を立てて再生し始めたのを見て嬌声を上げながら小躍りしている。聞いちゃいねえ。
「ねえ橘君、くっつい……だべぇっ」
彼女が何かを言い終える前に、がぼん、という咆哮を上げて僕の持つショットガン、ベネリM3が火を噴き、森山さんの生前は愛らしかった顔を吹っ飛ばした。
僕はもはや語るべき事もないので黙ってトリガーを引きまくる。
がぼんがぼんがぼん。
十八.五ミリの散弾がセミオートで吹き出すかのSWATお墨付きの銃だ。ちゃんと全部撃ち尽くせば何だって殺せる。それが常識的なものであれば、だが。
赤やら桃色やら白やらのカラフルな飛沫をぶちまけながら校舎の壁に叩き付けられる森山さん。やはり同時に、そこで僕のベネリの弾が切れる。
暗闇と埃の向こうで彼女が青白い手を伸ばすのが見えたので、ああやっぱり無理だったか、とか思いながらポケットから手榴弾を取り出して安全弁を抜く。
「だぢばなぐーん、びどいー」
湿った怨嗟の声が聞こえるが無視し、僕は球体型のそれを奮発して二個も投げ放った。
これで森山さんを行動不能に出来なければ手持ちの火器では不可能という事になってしまうのだから、奮発もするのだが。
からん、ころん。
場に似合わない素敵な音色を響かせ、森山さん目掛けて転がっていく手榴弾。
あそこは確か第二物理教室の壁だったのだが、物理の先生は結構嫌いなので良しとした。
「……何これ」
森山さんは二の腕の肉が剥がれた手で手榴弾を拾う。
続いて爆発。更に二個目の信管も作動して炸裂。
第二物理教室の壁に大穴が開くほどの規模の破壊が迸る。更にガスの配管を巻き込んだらしく、三度目の爆発と同時に火の手まで上がった。
「これなら……いや、分からないか」
僕は一部始終をかなり離れた場所に避難して見守っていたのだが、爆音と熱風が相当なものだったので当の森山さんを直視していなかった。安心は出来ない。
耳を塞いでいた手をどけ、そのままブレザーの懐から愛銃のファイブセブンを抜く。ベルギーのFN社製自動拳銃で、結構な殺傷能力とストッピングパワーを持つ銃なのだが、何か深刻なレベルで心もとない。
燃え盛る第二物理教室に背を向け、走り出す。万が一、森山さんがあの爆発で成仏してくれなかったなら、もう僕の手に負えない。
逃げなくては。
森山晴香があんなになった理由など僕には分からない。
ある日の放課後、教室でばったり会うまではろくに話した事すらなかったのだから。
それが、真の意味での《彼女》とのファーストコンタクト。
その時、森山さんは何だかよく分からない生き物をデカい包丁で三枚に下ろしていた最中だった。
目撃した僕は当然のように彼女に襲われたのだが、生憎と僕も銃刀法を毎日違反している異常者である。
はいそうですか、と軽く殺されるような人間ではない。
自慢の愛銃ファイブセブンで森山さんを速攻返り討ちにした筈だったのだが、彼女はあの通りピンピンしている。
大口径の銃で心臓の辺りを吹き飛ばしても、頭を散弾銃で破砕しても死なない。次の日にはけろっとした顔で登校して来ているのだから本当に悪夢だ。
吸血鬼も真っ青である。
しかも何故か気に入られてしまったらしく、不死身の森山さんは夜になると僕を狙って徘徊し始めるのだ。
毎日のように。
ニコニコ笑いながら迫ってくる、殺した筈の元クラスメイト。僕の本能はぶち壊す勢いで警鐘を鳴らしまくった。
僕はプライベートオペレーターである親父の私物、山のような現代火器を駆使して迎撃した。
僕だって銃に関して玄人ではないが、それでも普通の人間を殺す銃弾は一発で済む事くらい知っている。
毎晩の奇怪な逢瀬に、僕は一体どれだけの人間を殺傷できる弾薬を使ったのか。いちいち覚えちゃいないが、森山さんが相当異常な存在なのはうんざりするほど了解している。
だが、出来れば今夜で終わりにしたかった。でなければ橘家の家計は弾薬代だけで火の車どころじゃ済まなくなる。
実際の所は別の意味で終わらなかったのだが、その時の僕は知らなかった。
校舎に逃げ込み、階段を駆け上がる。
途中に施錠された防火扉などが立ち塞がったが、愛銃が火を噴けば割とあっさり通してくれるのが扉全般のセオリーだ。壊しているとも言うが。
三階の渡り廊下まで駆けてから燃え盛る第二物理教室を見やると、何だか炎の中に人影が見えたような気がして僕は身体を硬直させた。
しつこいにも程がある。
僕は三個目の手榴弾のピンを抜き、第二物理教室目掛けて投げた。時間稼ぎだ。
そろそろあの教室も全壊とか全焼とかに至りそうな気もするが、やっぱり物理の先生は嫌いだったので良しとする。
三度目の正直が爆煙と爆音を撒き散らして第二物理教室を灰燼に帰してくれた。しかし、僕にとっての絶望そのものが爆発の衝撃で手前に吹っ飛んできて、中庭を転がる。
森山晴香。
やや焦げてはいるが、身体がほとんど無傷なのにはさすがの僕も驚きを隠せなかった。
無傷というよりは、一度は損壊した後で凄まじい勢いで再生した、と言うのが正確かも知れない。左腕もきちんとくっついているし、吹っ飛ばした顔も元通り。綺麗なものだ。
彼女はむせながら、何とか上半身を起こしてキョロキョロと周囲を見回している。
僕を探しているらしい。
「畜生!」
僕は半ば自棄気味に吐き捨て、背に負っていたG36突撃銃を渡り廊下の手すりに固定しつつ、安全装置を解除する。
驚異的な反応でそんな僕に気付き、こっちを見上げる森山さん。視線が交錯し、突撃銃の引き金を引く僕と笑う森山さん。
瞬間、長い銃身が炎の息吹を吐き出した。
五.五六ミリNATO弾が実に三十発。満面の笑顔に降り注ぐ鉄の雨。
フルオートで撃ち切ってから、僕はやはり森山さんの安否を確認せずに銃を投げ捨てて走り出す。もはや、こんなちゃちな火器で彼女が殺せるとは思っていない。
走りながら再びホルスターからファイブセブンを抜く。残りはファイブセブンがもう一挺と予備弾倉が二本、手榴弾が一個だけ。
ヤバい、後がない。
見れば森山さんは穴だらけになった中庭のアスファルトに顔を埋めてぶっ倒れていた。再生中といった所だろうか。絶対に死んじゃいない。
渡り廊下を抜け、東棟校舎の扉をファイブセブンで撃ち抜いて強引に突破する。扉を蹴破る際に足を捻り、かなりの激痛が走った。
失態だ。
無様に廊下を転がる僕。
その時、暗転する視界の中に、僕は居る筈のない人物を見る。
中肉中背。良く言えば無難、悪く言えば凡庸な容姿。
気さくな笑みを浮かべ、宵闇の廊下に佇むその少年を僕はよく知っていた。クラスメイトで、友人だ。
「……近藤?」
「よう、橘。元気そうだな」
片手を上げ、いつものように挨拶をする近藤。
僕にはその仕草がとても不自然に見え、彼から距離を取る為に後ずさる。
嫌な予感がする。
何で真夜中の学校に居るのか、さっきまで僕と森山さんが繰り広げていた珍騒動に気付いていないのか、そもそもこいつは――
「でも、邪魔だから死んでくれや」
思考の最中で近藤が言い切った。
僕がその言葉を理解するより早く、彼の右手が動く。
暗闇を裂いて何かが迫る。僕はリノリウムの廊下を自ら転がり、傍の教室に駆け込む。背後を何かが横切るのを感じながら、ファイブセブンの銃口を持ち上げた。
どういう原理なのか、教室の扉が真っ二つに裂けている。
見る限り近藤は丸腰。第一、何か刃物を持っていたとしても、鉄とアルミとガラスとプラスチックで出来た物体を両断出来る訳がない。
ああ、どうやら近藤も非常識的なクチらしい。
この瞬間に僕達の薄っぺらい友情は理由も分からないまま終了した。
「さよなら近藤、良い奴だったのに」
「チッ、死ねってんだから黙って死ねよ」
「丁重にお断りしたい」
無茶苦茶な理屈を並べる元友人に向け、ファイブセブンを発砲する。
が、金属特有の耳障りな音を立て、五.七ミリ弾が弾き飛ばされる。
近藤の背から伸びた、脚のような、刃物のような、よく分からない器官によって防がれてしまっていた。
強いて言うなら、それはカマキリの鎌に似ていた。有機的でいて、鋭く堅牢な刃。しかもデカい。言うまでもなく、人間にはあんなものは生えない。
見方を変えれば森山さんよりよっぽど化け物に思えた。
物理的に殺せるか殺せないかは別として、ビジュアル的な恐ろしさは原型を留めていない分、近藤が遥かに勝っている。
ああ畜生。こんな奴にエロ本借りた事があるなんて。
「ギガネェナ!」
もう人間の声ではない近藤の誇らしげな物言いを僕はやはり無視し、左手でもう一挺のファイブセブンを抜きざまに発砲する。
二挺の銃が合奏する。単発とは比較にならない量の銃弾の雨が近藤の体を貫く。
近藤は上体を仰け反らせながらも例の鎌付の脚を振るって僕に迫るが、僕は銃のグリップで鎌の腹を殴打し、近藤の脇をすり抜ける。
それから振り返る近藤に置き土産の手榴弾を投げつつ、一目散に教室を脱出した。
「はは、乙女ゾンビの次はカマキリ男か」
良い冗談だ。銃の弾倉を交換しながら僕は笑った。
上等だ。ブッ殺してやる。
両手のファイブセブンをスライドさせて薬室に弾丸を装填すると、手榴弾の爆発と共に近藤らしき物体が廊下に踊り出た。
いや、《近藤だった何か》と表現すべきか。
制服は破れ、上半身は甲虫を思わせる物質に変質してしまっている。しかもデカい。
「近藤ぉ! お前、質量保存の法則って知ってるかぁ!」
二挺の銃口がカマキリの怪物と化した級友を向く。
「ギュルルル!」
「ああそうかよ! 人間やめちまったか!」
近藤はよく分からない鳴声を上げるが、こちとら人間なので何を言っているのかはサッパリだ。
人間様の質問を人外の応答で返した罰として愛銃が火を噴く。しかし、例の鎌と同じ物質で出来ているのか、近藤の上半身はファイブセブンの専用弾でも傷が付いていないように見えた。
そもそも手榴弾が効かない程度には硬いのだ。森山さんとは別の意味で脅威である。しかもファイブセブンの装弾数は二十発。二挺で四十発。もう予備の弾倉はない。
雄叫びを上げ、二本になった鎌を振り回しながら迫ってくる近藤。銃撃など意に介していない様子だ。
僕は無駄な射撃を止め、背後の階段まで走って防火扉を閉める。
あの鎌に切断される可能性もあったので、鍵だけ閉めてすぐに階下へ駆け下りようとした。したのだが。
「橘君見っけぇ」
恐ろしいまでに明るい声が下からかかり、僕は足を止めた。
下の階の踊り場に半裸の女子生徒――森山晴香がこっちを見ながら立っていたのだ。
二度に渡る爆発と三度の全弾射撃によって既に彼女の制服は原形を留めていない。しかし、本人は至って五体満足というか、傷一つなくなっていた。
こんな状況と相手でなければ色々と眺めて居たかったのだが、そんな場合でもないので僕は平静を装って尋ねる。
「ねえ、森山さんってデカいカマキリの知り合いとか居る?」
「ん? カマキリ?」
小首を傾げる森山さん。
質問を質問で返すのはやめろと言いたかったが、背後で近藤が防火扉に激突するけたたましい音がしたのでそんな猶予はない。
森山さんには僕への殺意が感じられない。恥ずかしい話だが、近藤の狂態を目の前にして初めて気が付いた。彼女は少なくとも僕にとっての生命の脅威じゃない。
もし彼女らのような手合いが本当に僕を殺そうとするなら、なりふりなんか構わず殺しに来るだろう。あの近藤のように。
どちらにせよ悪夢には違いないのだが。
「別の熱烈なファンに追われてるんだよ。森山さんの知り合いかと思ったけど、よく考えたらそんな感じじゃなかった」
「そうなんだ」
まるで昨日のテレビ番組の話題に答えるかのような、のほほん、とした笑顔で答えるゾンビ。
畜生、ムカつく。お前のせいで弾が足りないってのに。
「撃たないの?」
また首を傾げる森山さん。
どうやら彼女の中では、僕は森山さんを見ると条件反射的に銃をぶっ放す人間として認知されているらしい。
あながち間違いではないが。
「撃ちたいのは山々なんだけど弾が勿体ないんだよ!」
僕はいよいよヒステリックに頭を掻き毟る。
後ろではドカンドカンと近藤が扉相手に暴れている。知能は低下したらしいが、暴れる音が僕の苛立ちを加速させた。
森山さんはのんびりとした歩調で階段を上がって来ていた。勿論素手で、脅威はない。突破が容易なのは明らかにこっちなのだが、近寄って平気なのだろうか。
或いは、近藤のようにいきなり変形したりするのかも知れない。
「私が怖い?」
慄く僕に、笑いながら悲しい顔をする森山さん。
本当に可愛い顔を、自虐に歪めて。
僕は、そこで初めて自分の行為を省みる。
何でもないただの校舎の片隅で、状況も忘れて僕は色々と考えた。
それだけ、彼女のそんな顔がショックだったのかも知れない。
――だって化け物じゃないか。
そんな陳腐な言葉が過ぎる。人の事言える立場じゃない癖に、僕はきっと何かに言い訳をしているだけだ。
森山さんは遂に僕の傍まで至ると、そのまま背後の防火扉の前まで歩いて立ち止まり、僕を振り返って言う。
「大丈夫」
次の瞬間、僕の意識はブラックアウトした。
昔から僕、橘大吾には友達が居ない。
作るとか作らないとか以前に、さして他人に興味を持たなかったという方が正しいかも知れない。
いかんせん僕の家庭は特殊だ。親父は傭兵なんて時代錯誤なものをやっているし、お袋はお袋で国の怪しげな機関のトップをやっている。
我が家にはテロリストも裸足で逃げ出す銃火器がゴロゴロしてるわ、それらのマニュアルを始め、運用戦術などの関連書籍も腐るほどある。
そんな環境でそんなもんばっかに触れて育った僕は、平和な現代日本に居場所を感じられない奇特な人間に完成してしまった。
簡潔に言えば、ひねくれてしまったのだ。
反面、銃器で戦うというただ一点に関しては日本の高校生水準でトップに居ると自負している。
だから森山さんとも戦えたし、ぶっちゃけて言えば特に恐ろしいとも感じていなかったかも知れない。
確かに彼女は想像を絶する不死身っぷりを発揮しているのだが、いまいち緊張感がないというか、かなり気味が悪かったのでそれどころでなかったというか。
よく分からない。
だけど今、彼女が怖いかと聞かれれば、ノーだと言える。
――言えるのだが。
『……なお、現在のところ犯人側からの要求はなく、依然として緊張した状態が続いております』
僕は何故か見知らぬファンシーな部屋のとってもフカフカなベッドに横になった状態でテレビを見ていた。
いつからそうしていたのかは覚えていない。
よって、目が覚めたのはテレビに映ったニュース番組のせいで、それまではアホ面さげて寝ていたのには間違いないだろう。
画面の左上に映る時計は九時過ぎ。普段なら遅刻確定の時間なのだが、僕はもう少し安穏なベッドの感触を貪っている事に決めていた。
どうせ学校は授業どころではないだろうし。
その時、ちょうどドアが開く音がした。
「橘君、起きたんだ」
出来るだけ考えないようにしていた事だったが、いざ目の当たりにすると結構キツい。
森山晴香は相変わらずニコニコした笑顔で、くたばりかけの僕を見下ろしていた。さすがにボロボロの制服ではなく、白いセーターにプリーツスカートという私服姿だ。
「あんなもん流されてたら目も覚めると思うよ」
「……そうだね」
一転して笑みを消し、重い足取りでテレビまで歩いていって、消してしまう森山さん。
恐らく、ここは彼女の部屋なのだろう。そして、甘い匂いのするこれは彼女のベッドだ。僕は努めて冷静に状況を把握し、上半身を起こす。
「はは、まさか怪人カマキリ男が立て篭もってるなんて、あのニュースを見てる人達は思わないだろうね」
僕は手近に置いてあった制服のブレザーに袖を通しながら笑う。
さっきのニュースは意訳するとテロリストがうちの学校を占拠したとかしないとか、そういう内容だった。
或いは、テロリストだと判断された要因が僕の破壊行為にもあるのかも知れないが……考えないでおこう。今更どうしようもない。
勿論、僕は欠片も信じちゃいないし、森山さんもそうだと思う。
彼女は曖昧に微笑みながら、僕の愛銃を差し出してきた。
「あれって、近藤君なの?」
「だと思う……っていうか、どういうモノなのかはちょっと分からないけど、ああなる前までは確かに近藤だった」
僕はファイブセブンを受け取りながら彼女の言う《あれ》を思い出し、言う。
「出来の悪い特撮みたいな変身だったよ」
「そっか」
長い髪を指に絡めながら、森山さんは僅かに俯く。どうやらさすがの彼女もあの怪人には戸惑いを抱いたらしい。
僕にとっては近藤はおろか彼女も戸惑いというか混乱の対象なのだが。
「そういや、そもそも何で僕は生きてるんだ?」
今まで思い当たらなかったのが不思議な疑問を呟いてみる。
途端、森山さんが溢れんばかりの笑顔で自分を指差す。
いや、言いたい事は分かるのだが。
「じゃなくて、何で僕が君に助けられるんだって事」
「そ、それは……」
モジモジしながら言い淀む森山さん。心なしか頬が赤い。
何かその先を聞くとおぞましい感情に駆られそうだったので、僕はさっさと身支度を終えてベッドから這い出る。
そこで初めて、森山さんは険しい顔をして僕を睨んだ。
「――どうするつもりなの?」
空気が変わる。
先程までの彼女とは眼の色が違った。
僕は寒気に似た心地よい何かを楽しみながら、口元を歪めてみせる。
「近藤にエロ本を返しに行く」
当然とばかりに断言する僕に、森山さんは深い溜息を吐く。
「あのね、日本では鉄砲を撃ったら逮捕されちゃうんだよ」
実にごもっともだ。
持ってるだけでも捕まるし、何か今更って感じだけど。
「それにね……う、撃つのは私だけに……」
ふと、そんな事を言う森山さん。心なしか頬が赤い。
もしかすると、この子はとんでもない嗜好の持ち主なんじゃないだろうか――そんな疑問が過ぎるが、僕はやはり自分の精神衛生を保つ為に黙殺した。
そもそも、森山さんは危機感というものを欠いているらしい。
「真面目な話、警察じゃあのカマキリ男は止められないんだよ」
昨晩、ファイブセブンで近藤を撃った時、僕は確信していた。
あれは見かけだけの生き物じゃない。
ファイブセブンの使用弾薬であるSS90専用弾はある種のボディアーマーさえぶち抜く威力を持っている。そんなものを弾くとなれば、警察機構の装備では全く歯が立たないだろう。
被害が拡大するだけだ。
「ほっといたら死人が出る」
森山さんはゾンビな上にちょっと頭弱そうだったが、馬鹿ではない。僕の言う事の意味が分かっている筈だ。
もしかするともう死人が出ているのかも知れない。でなければ、ああまでニュースで騒ぐ事もないだろう。
ミリタリーオタクに実戦経験という毛が生えた程度の僕に近藤が殺せるかどうかは何とも言えないが、装備だけは酔狂な親父が家に置いてある分で豪勢にいける。
僕の言葉に森山さんはオロオロするばかりだったが、やがて僕の決意が曲げられないと分かったのか、垂れ目顔を引き締めて言う。
「じゃ、じゃあ……私も行くよ」
「分かった」
意を決した彼女の言葉に、僕は速攻で頷く。
当の森山さんは目を丸くして、
「え、え? もっとこう『君を危険な目に遭わせたくないぜ!』とか『駄目だハニー、ここで俺の帰りを待っててくれ!』とかないの?」
とか何とか言うのだが、僕は両手でバツを作って断言する。
「無い」
というかハニーって誰だとか色々と激しくツッコミたいが我慢する。
「まぁ、森山さん不死身だし、大丈夫じゃないかな」
「そ、そうかなぁ」
何故か照れる森山さん。
ああ、もしかするとやっぱり馬鹿なのかなぁとか思ったりもしながら、僕はケータイを取り出してボタンをプッシュした。
約十時間後の午後七時十三分、学生服姿のミリオタと女子高生ゾンビの共同戦線は学校の地下を流れる下水道に居た。
勿論、僕らの事だ。
名の売れたプライベートオペレーターである親父の名前を使い、お袋の権限を乱用した挙句、僕達は超法規的な措置を経て独自の作戦行動を日本政府に許可された……らしい。
実の所、僕はその辺の手続きやらなんやらに疎い。親父達が事を上手く進めてくれたのだろう、としか分からない。
警察はやはり近藤――もとい、怪人カマキリ男には歯が立たなかったのだろう。
しかし、超法規的とかのたまわる割には、見付かれば一時的にではあるものの逮捕される羽目になるのは変わってないらしい。
厄介だが無理もないか。
見た目はただの学生カップルだし。
僕は異臭漂う下水道の先をマグライトで照らしながら、隣を歩く森山さんに言う。
「前科持ちになるのは嫌だから、あんまり目立たないようにしてね」
「う、うん……それにしてもクサいね……」
あまりの臭いに鼻をつまみつつ、頷く森山さん。彼女に銃弾は効かないが悪臭は効くようだ。
僕は家の武器庫から持ってきた大口径のアサルトライフルを背負い直しながら苦笑した。他にもかなりの装備を持って来ているので、さすがに身体が重い。
森山さんにも何でも好きな火器を選んで良いと勧めたのだが、彼女は刃物フェチなのか、結局小振りのアーミーナイフを二本携行しているだけだ。
まぁ、いきなり重火器を扱えるわけもないので、その辺は普通の女子高生らしいのかも知れない。ナイフは良いのか、という疑問は別として。
「……そういやさ」
「うん」
「森山さんって、何で不死身わけ?」
凄まじいまでに今更という気もしたが、話題に困ったので僕はそんな事を切り出す。
隣で僕のブレザーを引っ張ったりしながら暇を持て余していた森山さんは、きょとんとした顔で答える。
「分かんない」
僕はきっと間抜けな顔をしていたに違いない。
「マジで」
「うん、橘君に撃たれるまで分かんなかった」
そりゃそうだ。一度死んでみないと不死身かどうかなんて分かりゃしない。
どんな核心的な話が出るのだろうかと覚悟して訊いたのだが、杞憂だったらしい。少しだけ胸を撫で下ろしてから、僕は再び疑問を口にした。
「やっぱり、撃たれたら痛いの?」
「全然」
言う森山さんの顔はけろりとしていて。
「痛いとか、もう分からないんだ」
「分からない?」
「物とか触っても感覚が無いの。冷たいとか熱いとかも分かんない」
それは。
「そ、そうなんだ」
それは生きていると言えるのか。
僕は黙ってファイブセブンのグリップを握りこむ。
痛い。硬い鉄の感触が嫌でも教えてくれる。
僕と彼女は違う"もの"なんだと。
そうさ。
昔、誰かが言った。
お前は人殺しの子。忌み嫌われる子。仲間外れにされて当然だと。
そうじゃあないんだ。そうじゃない。
僕はまともな精神と思考を持つ普通の現代日本に生きるただの子供だ。
普通じゃないのはいつも僕じゃない。親父や、お袋や、近藤や、森山さんだ。
僕じゃない。僕は普通の、平凡な。
だから取り戻さなくちゃ。
「橘君」
「……何?」
「丁度この辺じゃない?」
振り返ると、森山さんは下水の天井を指差して見上げていた。
マンホール。
作るとか作らないとか以前に、さして他人に興味を持たなかったという方が正しいかも知れない。
いかんせん僕の家庭は特殊だ。親父は傭兵なんて時代錯誤なものをやっているし、お袋はお袋で国の怪しげな機関のトップをやっている。
我が家にはテロリストも裸足で逃げ出す銃火器がゴロゴロしてるわ、それらのマニュアルを始め、運用戦術などの関連書籍も腐るほどある。
そんな環境でそんなもんばっかに触れて育った僕は、平和な現代日本に居場所を感じられない奇特な人間に完成してしまった。
簡潔に言えば、ひねくれてしまったのだ。
反面、銃器で戦うというただ一点に関しては日本の高校生水準でトップに居ると自負している。
だから森山さんとも戦えたし、ぶっちゃけて言えば特に恐ろしいとも感じていなかったかも知れない。
確かに彼女は想像を絶する不死身っぷりを発揮しているのだが、いまいち緊張感がないというか、かなり気味が悪かったのでそれどころでなかったというか。
よく分からない。
だけど今、彼女が怖いかと聞かれれば、ノーだと言える。
――言えるのだが。
『……なお、現在のところ犯人側からの要求はなく、依然として緊張した状態が続いております』
僕は何故か見知らぬファンシーな部屋のとってもフカフカなベッドに横になった状態でテレビを見ていた。
いつからそうしていたのかは覚えていない。
よって、目が覚めたのはテレビに映ったニュース番組のせいで、それまではアホ面さげて寝ていたのには間違いないだろう。
画面の左上に映る時計は九時過ぎ。普段なら遅刻確定の時間なのだが、僕はもう少し安穏なベッドの感触を貪っている事に決めていた。
どうせ学校は授業どころではないだろうし。
その時、ちょうどドアが開く音がした。
「橘君、起きたんだ」
出来るだけ考えないようにしていた事だったが、いざ目の当たりにすると結構キツい。
森山晴香は相変わらずニコニコした笑顔で、くたばりかけの僕を見下ろしていた。さすがにボロボロの制服ではなく、白いセーターにプリーツスカートという私服姿だ。
「あんなもん流されてたら目も覚めると思うよ」
「……そうだね」
一転して笑みを消し、重い足取りでテレビまで歩いていって、消してしまう森山さん。
恐らく、ここは彼女の部屋なのだろう。そして、甘い匂いのするこれは彼女のベッドだ。僕は努めて冷静に状況を把握し、上半身を起こす。
「はは、まさか怪人カマキリ男が立て篭もってるなんて、あのニュースを見てる人達は思わないだろうね」
僕は手近に置いてあった制服のブレザーに袖を通しながら笑う。
さっきのニュースは意訳するとテロリストがうちの学校を占拠したとかしないとか、そういう内容だった。
或いは、テロリストだと判断された要因が僕の破壊行為にもあるのかも知れないが……考えないでおこう。今更どうしようもない。
勿論、僕は欠片も信じちゃいないし、森山さんもそうだと思う。
彼女は曖昧に微笑みながら、僕の愛銃を差し出してきた。
「あれって、近藤君なの?」
「だと思う……っていうか、どういうモノなのかはちょっと分からないけど、ああなる前までは確かに近藤だった」
僕はファイブセブンを受け取りながら彼女の言う《あれ》を思い出し、言う。
「出来の悪い特撮みたいな変身だったよ」
「そっか」
長い髪を指に絡めながら、森山さんは僅かに俯く。どうやらさすがの彼女もあの怪人には戸惑いを抱いたらしい。
僕にとっては近藤はおろか彼女も戸惑いというか混乱の対象なのだが。
「そういや、そもそも何で僕は生きてるんだ?」
今まで思い当たらなかったのが不思議な疑問を呟いてみる。
途端、森山さんが溢れんばかりの笑顔で自分を指差す。
いや、言いたい事は分かるのだが。
「じゃなくて、何で僕が君に助けられるんだって事」
「そ、それは……」
モジモジしながら言い淀む森山さん。心なしか頬が赤い。
何かその先を聞くとおぞましい感情に駆られそうだったので、僕はさっさと身支度を終えてベッドから這い出る。
そこで初めて、森山さんは険しい顔をして僕を睨んだ。
「――どうするつもりなの?」
空気が変わる。
先程までの彼女とは眼の色が違った。
僕は寒気に似た心地よい何かを楽しみながら、口元を歪めてみせる。
「近藤にエロ本を返しに行く」
当然とばかりに断言する僕に、森山さんは深い溜息を吐く。
「あのね、日本では鉄砲を撃ったら逮捕されちゃうんだよ」
実にごもっともだ。
持ってるだけでも捕まるし、何か今更って感じだけど。
「それにね……う、撃つのは私だけに……」
ふと、そんな事を言う森山さん。心なしか頬が赤い。
もしかすると、この子はとんでもない嗜好の持ち主なんじゃないだろうか――そんな疑問が過ぎるが、僕はやはり自分の精神衛生を保つ為に黙殺した。
そもそも、森山さんは危機感というものを欠いているらしい。
「真面目な話、警察じゃあのカマキリ男は止められないんだよ」
昨晩、ファイブセブンで近藤を撃った時、僕は確信していた。
あれは見かけだけの生き物じゃない。
ファイブセブンの使用弾薬であるSS90専用弾はある種のボディアーマーさえぶち抜く威力を持っている。そんなものを弾くとなれば、警察機構の装備では全く歯が立たないだろう。
被害が拡大するだけだ。
「ほっといたら死人が出る」
森山さんはゾンビな上にちょっと頭弱そうだったが、馬鹿ではない。僕の言う事の意味が分かっている筈だ。
もしかするともう死人が出ているのかも知れない。でなければ、ああまでニュースで騒ぐ事もないだろう。
ミリタリーオタクに実戦経験という毛が生えた程度の僕に近藤が殺せるかどうかは何とも言えないが、装備だけは酔狂な親父が家に置いてある分で豪勢にいける。
僕の言葉に森山さんはオロオロするばかりだったが、やがて僕の決意が曲げられないと分かったのか、垂れ目顔を引き締めて言う。
「じゃ、じゃあ……私も行くよ」
「分かった」
意を決した彼女の言葉に、僕は速攻で頷く。
当の森山さんは目を丸くして、
「え、え? もっとこう『君を危険な目に遭わせたくないぜ!』とか『駄目だハニー、ここで俺の帰りを待っててくれ!』とかないの?」
とか何とか言うのだが、僕は両手でバツを作って断言する。
「無い」
というかハニーって誰だとか色々と激しくツッコミたいが我慢する。
「まぁ、森山さん不死身だし、大丈夫じゃないかな」
「そ、そうかなぁ」
何故か照れる森山さん。
ああ、もしかするとやっぱり馬鹿なのかなぁとか思ったりもしながら、僕はケータイを取り出してボタンをプッシュした。
約十時間後の午後七時十三分、学生服姿のミリオタと女子高生ゾンビの共同戦線は学校の地下を流れる下水道に居た。
勿論、僕らの事だ。
名の売れたプライベートオペレーターである親父の名前を使い、お袋の権限を乱用した挙句、僕達は超法規的な措置を経て独自の作戦行動を日本政府に許可された……らしい。
実の所、僕はその辺の手続きやらなんやらに疎い。親父達が事を上手く進めてくれたのだろう、としか分からない。
警察はやはり近藤――もとい、怪人カマキリ男には歯が立たなかったのだろう。
しかし、超法規的とかのたまわる割には、見付かれば一時的にではあるものの逮捕される羽目になるのは変わってないらしい。
厄介だが無理もないか。
見た目はただの学生カップルだし。
僕は異臭漂う下水道の先をマグライトで照らしながら、隣を歩く森山さんに言う。
「前科持ちになるのは嫌だから、あんまり目立たないようにしてね」
「う、うん……それにしてもクサいね……」
あまりの臭いに鼻をつまみつつ、頷く森山さん。彼女に銃弾は効かないが悪臭は効くようだ。
僕は家の武器庫から持ってきた大口径のアサルトライフルを背負い直しながら苦笑した。他にもかなりの装備を持って来ているので、さすがに身体が重い。
森山さんにも何でも好きな火器を選んで良いと勧めたのだが、彼女は刃物フェチなのか、結局小振りのアーミーナイフを二本携行しているだけだ。
まぁ、いきなり重火器を扱えるわけもないので、その辺は普通の女子高生らしいのかも知れない。ナイフは良いのか、という疑問は別として。
「……そういやさ」
「うん」
「森山さんって、何で不死身わけ?」
凄まじいまでに今更という気もしたが、話題に困ったので僕はそんな事を切り出す。
隣で僕のブレザーを引っ張ったりしながら暇を持て余していた森山さんは、きょとんとした顔で答える。
「分かんない」
僕はきっと間抜けな顔をしていたに違いない。
「マジで」
「うん、橘君に撃たれるまで分かんなかった」
そりゃそうだ。一度死んでみないと不死身かどうかなんて分かりゃしない。
どんな核心的な話が出るのだろうかと覚悟して訊いたのだが、杞憂だったらしい。少しだけ胸を撫で下ろしてから、僕は再び疑問を口にした。
「やっぱり、撃たれたら痛いの?」
「全然」
言う森山さんの顔はけろりとしていて。
「痛いとか、もう分からないんだ」
「分からない?」
「物とか触っても感覚が無いの。冷たいとか熱いとかも分かんない」
それは。
「そ、そうなんだ」
それは生きていると言えるのか。
僕は黙ってファイブセブンのグリップを握りこむ。
痛い。硬い鉄の感触が嫌でも教えてくれる。
僕と彼女は違う"もの"なんだと。
そうさ。
昔、誰かが言った。
お前は人殺しの子。忌み嫌われる子。仲間外れにされて当然だと。
そうじゃあないんだ。そうじゃない。
僕はまともな精神と思考を持つ普通の現代日本に生きるただの子供だ。
普通じゃないのはいつも僕じゃない。親父や、お袋や、近藤や、森山さんだ。
僕じゃない。僕は普通の、平凡な。
だから取り戻さなくちゃ。
「橘君」
「……何?」
「丁度この辺じゃない?」
振り返ると、森山さんは下水の天井を指差して見上げていた。
マンホール。
僕達は下水道から出て、日の落ちたグラウンドを抜けて校内へ侵入した。
ようやく辿りついた廊下には窓から差し込む外の------赤い、赤色灯の------光だけが広がっていて。
非日常的な光景には慣れたものだけど、現実味がまるでないのは確かな事で。
「……ひどい」
そこら中に転がった人間のカケラが拍車をかけているのだと思う。
鉄の錆びたような匂い、とは良く言うけど実際はそんな優しいもんじゃない。人間の中身は綺麗なものばかりではないし、むしろ汚物も詰まっていてしかるべきであって。
つまり僕は気分が悪い。
胃に吐き出すものが残ってなくて良かった。
「警察の人かな」
森山さんがぶちまけられた人間の一部を摘み上げて首を傾げる。
濃紺の布がへばりついている辺り、あながち見当外れでもない気がした。が、何せぐっちゃぐっちゃなので深く吟味はしたくない。
考えてみれば。
-----蟷螂は肉食の昆虫だ。
「今は、そっとしておいてあげて」
僕はそれだけを搾り出して言う。
「そう?」
森山さんはあっさりと肉片を放り投げる。
「まあ、どうせもう動かないからいいけどね」
「……ああ、そう」
もう何もかもがおかしい。その一ピースに成り果てた僕が言えた事でもないかもしれないけれど。
やっぱりこの子は普通じゃない。僕が頼れるのは自分だけ、だ。
ファイブセブンの弾倉を引き出して弾の確認を行う。
「その銃は効かないんじゃ?」
「どうだろうね」
戻して遊底引き、弾薬を薬室に装填する。
「変身前なら十分に効くと思う」
考えはある。
近藤が完全に変身するまでに要した時間。決して短くはない間隙。
ライフルもファイブセブンもその隙を突けば十分に有効な筈だ。
勿論、それは近藤が平時は人間の姿に戻っている事が前提なのだけど、《保険》も十分に用意してある。
それでダメなら逃げるつもりではいる。
だけどそれは、あくまで最悪のケースだ。
僕は取り戻さなくてはならない。平常な毎日を。平和な学校生活を。
『その為にはこれ以上この学校であんなモノを暴れさせてはならない』のだ。
静かに廊下を進む。
進むにつれて増える人間の残骸の数が増えていく。
近い。
背負っていた予備のG36突撃銃を構えて廊下の闇の向こうを伺う。
音はない。
けど分かる。動く影。この学校の中で僕達以外にまだ生きている存在がいるとすれば、
そいつ以外にはあり得ない。
「近藤」
「橘か」
ずぐり、と自らが薙ぎ倒した人間の残骸を掻き分けて、そいつはのっぺりとした白い顔を僕に向ける。
しかし、すぐに僕の後ろの人物に気付いて、
「ん……森山?何で……」
戸惑いの言葉は最後まで続かない。
「死ね!」
身も蓋も無い宣告。発砲音とマズルフラッシュ。
僕のG36突撃銃が吐き出した銃弾を胴体に数発めり込ませて、近藤はもんどりうって廊下に転げた。
ぶちまけられた血と体液。湿ったうめき声を上げる近藤へ、さらにマガジンが空になるまで掃射を行う。
心配ない。
引鉄は引ける。
もう、森山さん相手に慣れてしまった。
その当の本人は口を開けて僕の所業を眺めている。
マガジンを交換する作業に入った僕に、やや非難めいた眼差しを向けてきた。
撃つなと言うのだろうか。
今更な話ではある。黙殺して銃身を持ち上げると、近藤が起き上がってこちらを睨みつけている所だった。
「やる気かテメェ!」
「ああ。お前の存在は非常に邪魔だからね」
別に暴れたければアリゾナの砂漠辺りにでも行ってやってくれる分には全然良い。
でもこの学校はダメだ。僕には許容できない。
「はっ!何だか知らねえが、お互い様だな!」
「僕もお前の事情なんか知らない。気にするなよ」
近藤の左腕が軋んで何か鋭利な硬質のものが飛び出す。
変身が始まる。でも、先程の銃撃の効果は見て取れない。奴は平然とこちらに向かって一歩を踏み出す。
ライフルじゃ駄目らしい。やるしかない。
「森山さん!伏せろ!」
僕はG36を肩にかけて左手首を突き出して袖をまくる。
「なん……」
スプリング式の器具に固定された27mmのグレネードピストルが飛び出す。間髪は入れない。
トリガーを引く。
発射ガスに加速された擲弾は76m/秒の速度で銃口を飛び出し、近藤がそれを理解するよりもずっと早く、
奴の胴体の真ん中に直撃した。
擲弾が凄まじい爆発と煙を撒き散らし、廊下の窓ガラスが外へ向けて木っ端微塵に割れ飛ぶ。
「やりすぎじゃないの!?」
「そうでもない!」
床に這い蹲った森山さんの悲鳴に応えつつ、右手でファイブセブンを抜き、グレネードピストルを折って次の弾を詰める。
爆煙の中で人型の何かが動くのが見えたからだ。
「くそ!」
失態だ。
煙で近藤の姿は隠れてしまっている。
狙いが定まらない。
それにどれだけのダメージを与えられたのか分からないし、行動の予測が立て難い。
宵闇と煙を裂いて白い蟷螂の鎌が閃く。
歩み出た奴の姿は、既に虫のそれそのもの。
生理的嫌悪を催す異形の頭部には大きな眼。体躯は倍近くに膨れ上がって深緑の甲に覆われている。
背からは鋭利な斧を備えた前脚が二本。人の腕だった部分は退化して胴で小さく折りたたまれている。
どうやら完全な変態を遂げたようだった。
「……カマキリ男……」
見上げた森山さんが漏らす呟きには、恐怖よりも驚きの色が濃い。
目にするのは二度目の僕でさえ自分の目が信じられないほどだ。それも無理も無い事だろう。
『倍返しで済むと思うなよ、橘』
くぐもった声が蟷螂の口から発せられる。
そんな事は分かっている。変身前に仕留められなかった事で自分が圧倒的に不利な立場に居る事も。
虎の子のグレネードも変身前に効かなかったものが今通用するとも思えない。
不意打ちは完全に失敗したのだ。
棒立ち状態の僕へ、蟷螂の鎌が振り上げられる。僕という存在を切り刻んで食い散らかす為に。
避けられるか。逃げられるか。刹那の瞬間に考える。
反射的に飛び下がる。が、振るわれた脚の速度はどう見ても僕の跳躍なんかよりもずっと速い。
------無理だ。
次の瞬間には僕はバラバラに解体されて、中身を床にぶちまける肉片の仲間入りを果たすだろう。
見通しが甘かったのか。それとも。いや。
反省材料はいくらでもあるが、今や無意味なものだ。
どうしてこんな事になったんだろうか。
果たして命を賭けるほどの価値があったか?
たかが。
たかがあの、穏やかな笑顔をもう一度と願った事が。
そもそも間違いではなかったか。
■
確かに僕は異常者だ。
毎日毎日、使いもしない愛銃を隠し持って学校に来ている程度には。
だけどそれが露見した事は(森山さんのような特殊なケースは除いて)一度しかない。
「それは《もでるがん》か」
使われる事のない屋上の隅で、ひっそりと愛銃のメンテナンスを行っていた僕は心臓が飛び上がるくらいに驚いたものだ。
太陽と青空を背に、その少女は腰に手を当てて僕を見ていた。
真っ直ぐに咲いた花のように堂々と立って。
「伊坂、さん?」
「橘大吾、だったか?」
伊坂真由美。
彼女は同じ学年で顔と名前が一致する貴重な人物だった。
奇妙な口調と行動。漆黒の腰まで届く長髪に、童顔なくせにやけに人目を引く美貌の持ち主。
簡単に言えば変な意味での有名人。それが伊坂真由美だ。
「それは《もでるがん》なのかと聞いている」
「ああ、いや……その」
慌ててブレザーの懐にファイブセブンを隠す。が、伊坂さんの眼差しはそこから離れてはくれなかった。
「玩具の類は持ち込み禁止だぞ」
こめかみを人差し指でトントンと突付きながら渋い顔をする伊坂さん。
「これは玩具じゃない!」
咄嗟に出たのは子供じみた意地か。
しまった、と後悔した時にはもう遅く。
床に立てておいたファイブセブンの弾薬が伊坂さんの視線の先にあった。
「む……実銃か」
「え……分かるんだ?」
「うむ。知人の所有物に同様のものがあるでな。いや失礼。愚弄する気はなかったのだ。許せ」」
どんな知人だよ、と突っ込みたい衝動に駆られる。
が、あまりの堂々とした物言いに抗議する気も失せてしまった。
「法的な問題もある、が、私もそれに関しては君に物を言う資格はない。校則を守っていればそれでよい」
「いいのかよ!?」
「校則に銃の持込に関する規定はないからの」
また、こめかみを人差し指でトントンと突付きながら、
穏やかな笑顔を浮かべた。
その笑顔は、僕にとって衝撃だった。
僕の境遇や家族の事、持ち歩いているモノの事を知られた時、
誰がこんな笑顔を浮かべてくれただろう。
それだけに、何でもない、ただの表裏のないその笑顔が僕の何かを確実に撃ち抜いたのだ。
「橘と言えば軟弱者という風評が聞こえておったが、なに、存外に気骨があるようだの」
「そりゃどうも……」
伊坂さんはふわりとした黒髪を翻して踵を返す。
「覚えておこう。またの」
それだけを言って立ち去る。
それが彼女との出会い。
それから何度か伊坂さんの方から僕に接触を図ってきた。
今では何故か一緒に昼食を摂る仲になっている。紆余曲折があったのだが、あまり思い出したくない。
さて、彼女は友達なんだろうか。
分からない。僕には友達なんて居た事がなかった。
さして他人に興味を持たなかった。
けど、ひねくれた僕に笑ってくれたあの子の笑顔が瞼に張り付いて取れない。
僕にとって学校というものは、学び舎である前に伊坂さんとの接点であり、
ああ、そうか。
それはきっと、命と同じくらい大事なものだったのだ。
だから僕は取り戻さなくてはいけない。彼女とまた明日、学校で会う為に。
この片想いをいつか、彼女に伝える為に。
実にくだらない、この青春の一ページとやらの為に。
■
生暖かいものが顔にふりかかって僕は正気を取り戻した。
宵闇の中に見えたのは、
僕を庇うようにして前に出て、《近藤》の前脚に貫かれた森山さんの姿だった。
-----おい。何をやっているんだ。お前は。
-----何で僕がお前に助けられなきゃいけないんだ。おい。ふざけるなよ。
「冗談じゃない!」
顔に張り付いた森山さんの血を拭って、右手のファイブセブンで彼女を貫いた前脚の関節をポイントする。
連射。
緑の甲の隙間を縫うようにして銃弾は吸い込まれ、半ばから前脚を爆ぜ折った。
かん高い悲鳴を上げて蟷螂男がのたうつ。
森山さんが振り落とされ、僕は再び左腕を蟷螂の頭に向けて発砲する。
再び撒き散らされた爆炎が蟷螂の上体を吹き飛ばし、後退りさせた。
僕はその隙に倒れた森山さんを抱えて走り出す。
「あ」
あっけないほど軽い。
何故かその軽さにも、僕は異常な苛立ちを覚えた。
「ああっ!あのなあ!いくら死なないからって無茶するなよ!」
「ええ……?」
森山さんは血を吐きながら、困ったような笑顔を浮かべる。
凄惨な光景だった。
直視し難いほどに。
「……心配してくれるんだ」
囁く様な、優しい声。
僕は答えずに足を速める。そんな暇はない。
『テメェら、殺してやる!殺してやるぞッ!』
その背後で《近藤》が吼える。
やはり、手持ちの火器では無理らしい。
「……っ!間に合わないよ!下ろして!」
「ダメだ!」
置いていけない。
たとえどこか狂っていても。
たとえゾンビであろうと。
今の僕には森山さんを置いていく事なんて出来ないと、僕の中の何かが叫んでいる。
「絶対に、ダメだ!」
廊下は長く、先に見える曲がり角まで大体五十メートルはある。
それは荷物を沢山抱えた僕には遠過ぎる距離だ。
振り返る余裕は無い。
全力で足を動かすだけだ。仮に、何もかも間に合わなかったとしても。
そこへ。
その曲がり角に溜まった、夜の闇の向こう。
「貴様ら、死にたくなければ横へ跳ぶがいい!」
叫びは現か幻か。
身の丈ほどもあろうかという剣を携えた少年が、居た。
その剣の切っ先を、真っ直ぐにこちらへ向けて。
何だ。アレは。
もっともな疑問が頭をかすめる。けれど、やはり、躊躇などしている時間は無い。
別に何だって良いのだ。この状況を打開してくれるなら。
「頼む!」
軋む両足に鞭打って、
手近な教室の扉へ体当たりをする。
扉は内側へ倒れ込み、僕と森山さんは床へ投げ出される。
何もなければ、追いついてくるだろう《近藤》に今度こそ殺される。
しかし、僕が目の当たりにしたのは蟷螂男の異形ではなく。
「邪悪なる存在(モノ)よ!我が最強呪文(アルティメットスペル)を食らえッ!!」
そんな。
そんな、本当にどうしようもない掛け声と共に、廊下を横切っていく------一筋の閃光。
黄金の光だ。
「爆ぜろッ!《エクスプロージョン》ッ!」
それは膨れ上がるようにして広がり-------広がりまくって------、
ちょっと待て、おい、マジで爆ぜる気か。
「やべえ!」
「わあ、きれ……おぶっ!」
光に見とれて呆けている森山さんの頭をド突くようにして床とキスさせ、伏せる。
ああ、そして。
未曾有の衝撃と閃光とがごちゃごちゃになって。
僕の意識はやっぱりブラックアウトしたのだった。