ホーの解
「葵 古都の告白」
ーーーーーーー
梟は一体何を考えているのでしょう。窓の向こうで私は梟と目が合ってそれから逃げるようにベットの上で寝転がりました。回転する身体にあわせて頭の中で何かがグラリと揺れ私は眼を細めたのですが、幸いにも志工先輩は気づいていませんでした。
志工先輩は私の椅子の上で胡坐を組んでいます。男性としては普通の態度だと思うのですが、服装がそれを台無しにしている気がしました。女性としてはそれで少しも得になっていないと思います。
胡坐の上で志工先輩は本を広げていました。少しかび臭くて、それで歴史を感じさせるものでした。ページを捲るたびにのりがはがれるような音が聞こえてきます。
志工先輩が私の部屋に来て毎回と言っていいほど読んでいるのがその本でした。当初のうちは私は何を読んでいるのか気になって志工先輩と並んで読んでいましたが私にとってそれは知っていることだったので徐々に興味が薄れていきました。
おばあちゃんの本棚でよく読んでいたものです。おばあちゃんがいなくなってからそれらは全て処分したのですが……。
「どうした?」
顔を上げて志工先輩が私の視線に気づきました。黒い帽子の先がわづかに揺れて先輩の瞳には大きく瞳を開いている私が映っています。計り知れない衝撃を受けたような私の顔に私自身さらに驚いて、二人の間に微妙な空白が出来上がりました。
「少し頭が痛くて」
中途半端な嘘をついて私はその場を紛わしました。志工先輩は何かを言いたげに息を吸いましたが、それはため息に変わります。ページを捲る音が静に響く中で私はどうすることもできずにベットの上で固まっているしかありませんでした。
耳の感覚は研ぎ澄まされて私の心臓の鼓動がとても大きく聞こえます。シーツをぎゅっと握り締めて私はその音に耳を済ませていました。私が何を考えているのかを分かりたいがための行為です。
私の眼はまばたきすることを忘れて手を広げることができません。物静かな志工先輩の顔は何時も以上に厳しい顔つきでした。私は志工先輩に手を伸ばしてもつかめない空虚な空気を感じていました。
「志工先輩はどうして女装しようと考えたのですか」
私はどこか落ち着いていない。それを志工先輩にせいにするつもりはないのですが、今の志工先輩がよく見る志工先輩のようではない気がしてその不安を取り去ることができませんでした。
志工先輩は自分のセーラー服のスカーフの乱れを直して、頬杖を付くために椅子の背もたれを上手に使うと遠い目をしました。
「ただの変装」
「香さんに近づくためですか?」
先の尖った帽子だけをかぶり私に顔を見せないようにしています。私はいけないことを聞いてしまったと半ば後悔しましたが、もう半分では後悔を感じている私をなじっていました。
志工先輩は本で見た考える人そっくりの姿勢をしています。黒いタイツをはいている志工先輩のふくらはぎがおとなしめの脚線を描いていました。はかなげというよりもむなしさを感じて私は寝返りを打って志工先輩に背を向けました。
「別に否定はしないよ。香と俺は双子だからこう俺が香の服を着るとそっくりになる。それを香は喜んでたまに香が俺の服を着ていたこともあった」
あっけらかんとした志工先輩の声が届いてきました。私はあおむけになって首を横に回すと面白いことを思いついたように志工先輩が何かを含ませた笑いをしていました。
志工先輩は帽子を脱いで、それを両手でくるくると回しています。ねぐせをほったらかしにしている志工先輩の髪の毛が自由奔放にはねています。
志工先輩は香さんがいないと……香さんが必要だったのでしょうか。自分の身で香さんの虚像を作ってまで。志工先輩と香さんが双子だという事実に驚いたよりもいなくなった香さんの穴埋めを自分で補ってしまった志工先輩がとてももどかしい。
「それほど慕っているのですか」
慕っていたとは聞けませんでした。志工先輩がその姿をし続ける理由に時間が関係ないことは私にも分かっていたからです。志工先輩は自分の人さし指を自分の胸に当ててそれをくるくると回していました。意味がありそうであまりない動きのようです。
私は志工先輩が答えてくれるとは考えていなかったのですが、疑問があることには変わりありません。その疑問を先輩に聞けなくて、でも先輩は私の顔を一瞥して納得していました。
「どうして思織と付き合い始めたのか教えてやるよ」
私の胸中を見事に察した返答に一瞬言葉をなくします。
「コンビニ行きながらでいいですか」
起き上がり私は地面に足をつけます。いつまでもこの狭い空間でいると陰鬱な気分がたまって生きます。それは志工先輩も同じでしょう。少しでも志工先輩の負担がなくなるには外に出たほうがいい。
私と志工先輩が立ち上がったのは同時でした。
梟は一体何を考えているのでしょう。窓の向こうで私は梟と目が合ってそれから逃げるようにベットの上で寝転がりました。回転する身体にあわせて頭の中で何かがグラリと揺れ私は眼を細めたのですが、幸いにも志工先輩は気づいていませんでした。
志工先輩は私の椅子の上で胡坐を組んでいます。男性としては普通の態度だと思うのですが、服装がそれを台無しにしている気がしました。女性としてはそれで少しも得になっていないと思います。
胡坐の上で志工先輩は本を広げていました。少しかび臭くて、それで歴史を感じさせるものでした。ページを捲るたびにのりがはがれるような音が聞こえてきます。
志工先輩が私の部屋に来て毎回と言っていいほど読んでいるのがその本でした。当初のうちは私は何を読んでいるのか気になって志工先輩と並んで読んでいましたが私にとってそれは知っていることだったので徐々に興味が薄れていきました。
おばあちゃんの本棚でよく読んでいたものです。おばあちゃんがいなくなってからそれらは全て処分したのですが……。
「どうした?」
顔を上げて志工先輩が私の視線に気づきました。黒い帽子の先がわづかに揺れて先輩の瞳には大きく瞳を開いている私が映っています。計り知れない衝撃を受けたような私の顔に私自身さらに驚いて、二人の間に微妙な空白が出来上がりました。
「少し頭が痛くて」
中途半端な嘘をついて私はその場を紛わしました。志工先輩は何かを言いたげに息を吸いましたが、それはため息に変わります。ページを捲る音が静に響く中で私はどうすることもできずにベットの上で固まっているしかありませんでした。
耳の感覚は研ぎ澄まされて私の心臓の鼓動がとても大きく聞こえます。シーツをぎゅっと握り締めて私はその音に耳を済ませていました。私が何を考えているのかを分かりたいがための行為です。
私の眼はまばたきすることを忘れて手を広げることができません。物静かな志工先輩の顔は何時も以上に厳しい顔つきでした。私は志工先輩に手を伸ばしてもつかめない空虚な空気を感じていました。
「志工先輩はどうして女装しようと考えたのですか」
私はどこか落ち着いていない。それを志工先輩にせいにするつもりはないのですが、今の志工先輩がよく見る志工先輩のようではない気がしてその不安を取り去ることができませんでした。
志工先輩は自分のセーラー服のスカーフの乱れを直して、頬杖を付くために椅子の背もたれを上手に使うと遠い目をしました。
「ただの変装」
「香さんに近づくためですか?」
先の尖った帽子だけをかぶり私に顔を見せないようにしています。私はいけないことを聞いてしまったと半ば後悔しましたが、もう半分では後悔を感じている私をなじっていました。
志工先輩は本で見た考える人そっくりの姿勢をしています。黒いタイツをはいている志工先輩のふくらはぎがおとなしめの脚線を描いていました。はかなげというよりもむなしさを感じて私は寝返りを打って志工先輩に背を向けました。
「別に否定はしないよ。香と俺は双子だからこう俺が香の服を着るとそっくりになる。それを香は喜んでたまに香が俺の服を着ていたこともあった」
あっけらかんとした志工先輩の声が届いてきました。私はあおむけになって首を横に回すと面白いことを思いついたように志工先輩が何かを含ませた笑いをしていました。
志工先輩は帽子を脱いで、それを両手でくるくると回しています。ねぐせをほったらかしにしている志工先輩の髪の毛が自由奔放にはねています。
志工先輩は香さんがいないと……香さんが必要だったのでしょうか。自分の身で香さんの虚像を作ってまで。志工先輩と香さんが双子だという事実に驚いたよりもいなくなった香さんの穴埋めを自分で補ってしまった志工先輩がとてももどかしい。
「それほど慕っているのですか」
慕っていたとは聞けませんでした。志工先輩がその姿をし続ける理由に時間が関係ないことは私にも分かっていたからです。志工先輩は自分の人さし指を自分の胸に当ててそれをくるくると回していました。意味がありそうであまりない動きのようです。
私は志工先輩が答えてくれるとは考えていなかったのですが、疑問があることには変わりありません。その疑問を先輩に聞けなくて、でも先輩は私の顔を一瞥して納得していました。
「どうして思織と付き合い始めたのか教えてやるよ」
私の胸中を見事に察した返答に一瞬言葉をなくします。
「コンビニ行きながらでいいですか」
起き上がり私は地面に足をつけます。いつまでもこの狭い空間でいると陰鬱な気分がたまって生きます。それは志工先輩も同じでしょう。少しでも志工先輩の負担がなくなるには外に出たほうがいい。
私と志工先輩が立ち上がったのは同時でした。
ーーーーーーー
月夜の中を二人で抜け出すことに背徳感は微塵にも感じません。心躍るような開放感を感じています。ここ数日曇り天気が続いて星が見える日はありませんでしたが、今日だけは晴れてくれたようです。
ちかちかと瞬く星の下で私は志工先輩の前を歩いていました。優しい風に私のワンピースがなびいています。その感触を肌で直接感じることができないのはとても残念でした。まだ両腕に巻きついている包帯を取ることはできません。
個人的な意見ではもう完治していそうなのですがなんとなく勇気がありません。自分の両腕をみてそれをそっとワンピースのポケットに突っ込みました。すると隣にはいつの間にか志工先輩が歩み寄っていました。
「ところで古都の記憶探しのことに関して……」
いきなり話しかけられたので私はひるんでしまい「ひゃっ」と恥ずかしい悲鳴を上げてしまいました。志工先輩は少しばつが悪そうに口を何かを噛んでいるように動かしていましたがまた何事もなかったかのように続きを話し出します。
「士友がそろそろ古都の事件に関して真相を掴むらしい。犯人が分かればそいつが古都に何をしたのかも分かるさ」
頼りない外灯には黒いゴマのような羽虫が寄っています。外灯の光を浴びて志工先輩の姿がはっきりと私の前に浮かび上がりました。私が受けた同じ風を受け、先輩のセーラー服に巻きついているスカーフが揺れています。
私はその姿のせいで、先輩に相槌を打つのを忘れていました。近寄れない。セーラー服の先輩にそのような印象を抱いたのはもうないでしょう。けどそれは志工先輩にではなく、志工先輩に内在している香さんに受けた印象なのかもしれません。
正直、私の記憶がどうのこうの言っていられないような気分です。志工先輩が私の近くにいるのは私の記憶を探すためで、そして水面下で努力をしているのは知っています。でも先輩に無茶をさせたくない。
「そういえば前の質問に答えていなかったな」
外灯の光の及ばないところまで進み、また志工先輩が口火を切ります。月明かりがあるとはいえ暗闇のせいで志工先輩の姿はほとんど見えず、私には目の前で暗闇が急に語りかけてきたかと思いました。
私は前の質問というのに見に覚えがなく頭の上に疑問符を浮かべることしかできません。志工先輩はそのような私の顔が見えているのかさっきの言葉に古都の部屋でのことだという言葉を付け加えます。
「俺と香の関係。勿論慕っていたよ」
志工先輩がそう言い放った瞬間に都合よくコンビニの明かりが見えてきました。これまでコンビニが見えたことに期待はずれだという印象を感じたことを私はありませんでした。コンビニはいつだって同じ雰囲気をかもし出しています。
だけど会話は中断されました。私と志工先輩はまっすぐとコンビニの入り口に近づいていきます。初めはすかしをくらったように感じましたが落ち着いてくるにつれて私は続きをきけなくてほっと胸をなでおろします。けどコンビニに入る直前に志工先輩は会話を無理やり再開しました。
「しかしそれは兄妹の域を超えていた」
夜勤のコンビニ店員のどこか明るさが足りない声が志工先輩の発言を消しています。けど私にはそれがはっきり聞こえました。なぜ志工先輩と白崎先輩のことで香さんが苦しまなければなかったのか。だんだんとその原因が姿を現したと思います。
「香は私のことを愛していた。それは間違いなかった」
買い物籠を持って志工先輩はコンビニの中を歩き回りました。雑誌を立ち読みしている人や、疲れを隠しきれていない店員や温かい飲み物を買おうかどうか悩んでいる女性は志工先輩の正体に気づいていません。
それを隠すためのあの声なのですが私は志工先輩自身が隠れていくと感じていました。志工先輩は目的もなくコンビニの中をふらふらと歩き回り目に付いた商品に手を伸ばしそれらを入れていきます。
「間違っていたと思う。兄妹で愛し合えるわけがない。でも私は香を突き放すことはできなかった。私と香の関係は良識のある両親が察知していた。そこで香の味方にならなければ香は家族から孤立してしまう。しかし実の妹とそのような関係を持ち続けることに限界が訪れていた」
私は志工先輩の横顔に目を奪われつつも端目にとまったヤクルトをそっと買い物籠にしのびいれておきました。志工先輩は目をつぶったままコアラのマーチを握り締め、それをそっと棚の中に戻します。
「そこに思織が現れてくれた」
目をそっと開くと先輩は私のほうへと顔を向けます。コンビニに入ってから私と目を合わせたのはこれが初めてでした。険しいその表情に私は話が核心に向かおうとしていることを察知しました。
志工先輩が歩くたびに買い物籠に入れられているお菓子の類がぶつかり合い、独特の音を出しています。その音が続きを催促しているようで、私の心情と重なり合っていました。志工先輩は何かに手を伸ばそうとしましたが、諦めたように首を振りポケットに手をつっこみます。
「私が香から離れれば。兄妹どうしで恋愛は成立しない。香もいつかそれに気づくかもしれない。そのための思織だった」
つまり志工先輩は白崎先輩のことが好きで付き合い始めたのではなく、香さんのために白崎先輩を使ったということなのでしょうか。告げられたことが交際の理由として正しい内容であるのでしょうか。
私の表情がそんなに可笑しかったのか、志工先輩は口元を緩ませて和やかに笑っていましたがそれに自虐が込められているのは確かでしょう。
「利用していたと受け止めてもらってもかまわない」
それだけ言うと満杯になった買い物籠をレジに持って行きました。買い物籠の重さで先輩の肩が右に傾いています。
私は志工先輩を責めることなどできないでしょう。けど志工先輩は自分を卑下するような話し方をしている。慰めることもできず、志工先輩の傍へ行くこともできず、私は入り口で立ち尽くしていました。
月夜の中を二人で抜け出すことに背徳感は微塵にも感じません。心躍るような開放感を感じています。ここ数日曇り天気が続いて星が見える日はありませんでしたが、今日だけは晴れてくれたようです。
ちかちかと瞬く星の下で私は志工先輩の前を歩いていました。優しい風に私のワンピースがなびいています。その感触を肌で直接感じることができないのはとても残念でした。まだ両腕に巻きついている包帯を取ることはできません。
個人的な意見ではもう完治していそうなのですがなんとなく勇気がありません。自分の両腕をみてそれをそっとワンピースのポケットに突っ込みました。すると隣にはいつの間にか志工先輩が歩み寄っていました。
「ところで古都の記憶探しのことに関して……」
いきなり話しかけられたので私はひるんでしまい「ひゃっ」と恥ずかしい悲鳴を上げてしまいました。志工先輩は少しばつが悪そうに口を何かを噛んでいるように動かしていましたがまた何事もなかったかのように続きを話し出します。
「士友がそろそろ古都の事件に関して真相を掴むらしい。犯人が分かればそいつが古都に何をしたのかも分かるさ」
頼りない外灯には黒いゴマのような羽虫が寄っています。外灯の光を浴びて志工先輩の姿がはっきりと私の前に浮かび上がりました。私が受けた同じ風を受け、先輩のセーラー服に巻きついているスカーフが揺れています。
私はその姿のせいで、先輩に相槌を打つのを忘れていました。近寄れない。セーラー服の先輩にそのような印象を抱いたのはもうないでしょう。けどそれは志工先輩にではなく、志工先輩に内在している香さんに受けた印象なのかもしれません。
正直、私の記憶がどうのこうの言っていられないような気分です。志工先輩が私の近くにいるのは私の記憶を探すためで、そして水面下で努力をしているのは知っています。でも先輩に無茶をさせたくない。
「そういえば前の質問に答えていなかったな」
外灯の光の及ばないところまで進み、また志工先輩が口火を切ります。月明かりがあるとはいえ暗闇のせいで志工先輩の姿はほとんど見えず、私には目の前で暗闇が急に語りかけてきたかと思いました。
私は前の質問というのに見に覚えがなく頭の上に疑問符を浮かべることしかできません。志工先輩はそのような私の顔が見えているのかさっきの言葉に古都の部屋でのことだという言葉を付け加えます。
「俺と香の関係。勿論慕っていたよ」
志工先輩がそう言い放った瞬間に都合よくコンビニの明かりが見えてきました。これまでコンビニが見えたことに期待はずれだという印象を感じたことを私はありませんでした。コンビニはいつだって同じ雰囲気をかもし出しています。
だけど会話は中断されました。私と志工先輩はまっすぐとコンビニの入り口に近づいていきます。初めはすかしをくらったように感じましたが落ち着いてくるにつれて私は続きをきけなくてほっと胸をなでおろします。けどコンビニに入る直前に志工先輩は会話を無理やり再開しました。
「しかしそれは兄妹の域を超えていた」
夜勤のコンビニ店員のどこか明るさが足りない声が志工先輩の発言を消しています。けど私にはそれがはっきり聞こえました。なぜ志工先輩と白崎先輩のことで香さんが苦しまなければなかったのか。だんだんとその原因が姿を現したと思います。
「香は私のことを愛していた。それは間違いなかった」
買い物籠を持って志工先輩はコンビニの中を歩き回りました。雑誌を立ち読みしている人や、疲れを隠しきれていない店員や温かい飲み物を買おうかどうか悩んでいる女性は志工先輩の正体に気づいていません。
それを隠すためのあの声なのですが私は志工先輩自身が隠れていくと感じていました。志工先輩は目的もなくコンビニの中をふらふらと歩き回り目に付いた商品に手を伸ばしそれらを入れていきます。
「間違っていたと思う。兄妹で愛し合えるわけがない。でも私は香を突き放すことはできなかった。私と香の関係は良識のある両親が察知していた。そこで香の味方にならなければ香は家族から孤立してしまう。しかし実の妹とそのような関係を持ち続けることに限界が訪れていた」
私は志工先輩の横顔に目を奪われつつも端目にとまったヤクルトをそっと買い物籠にしのびいれておきました。志工先輩は目をつぶったままコアラのマーチを握り締め、それをそっと棚の中に戻します。
「そこに思織が現れてくれた」
目をそっと開くと先輩は私のほうへと顔を向けます。コンビニに入ってから私と目を合わせたのはこれが初めてでした。険しいその表情に私は話が核心に向かおうとしていることを察知しました。
志工先輩が歩くたびに買い物籠に入れられているお菓子の類がぶつかり合い、独特の音を出しています。その音が続きを催促しているようで、私の心情と重なり合っていました。志工先輩は何かに手を伸ばそうとしましたが、諦めたように首を振りポケットに手をつっこみます。
「私が香から離れれば。兄妹どうしで恋愛は成立しない。香もいつかそれに気づくかもしれない。そのための思織だった」
つまり志工先輩は白崎先輩のことが好きで付き合い始めたのではなく、香さんのために白崎先輩を使ったということなのでしょうか。告げられたことが交際の理由として正しい内容であるのでしょうか。
私の表情がそんなに可笑しかったのか、志工先輩は口元を緩ませて和やかに笑っていましたがそれに自虐が込められているのは確かでしょう。
「利用していたと受け止めてもらってもかまわない」
それだけ言うと満杯になった買い物籠をレジに持って行きました。買い物籠の重さで先輩の肩が右に傾いています。
私は志工先輩を責めることなどできないでしょう。けど志工先輩は自分を卑下するような話し方をしている。慰めることもできず、志工先輩の傍へ行くこともできず、私は入り口で立ち尽くしていました。
ーーーーーーー
あんなに晴れていた夜空がコンビニの中で時間をつぶしていた間に全て雲で埋め尽くされていました。灰色のコンクリートが雨粒に打たれてぽつぽつと黒い穴が開いていくようでした。志工先輩は空を見上げて靴先をとんとんと地面に叩きながら傘を二本買おうとしています。
「一本だけで十分ですよ。お金がもったいないです」
私はもう一本を元の場所に返しました。志工先輩が明らかにしかめ面をして私を睨んでいましたが私はそれを完全に無視しまして会計を済ませました。
学校へ帰る道すがら、志工先輩も私も黙ったままでいるとあのときのことが自発的に思い出されてきます。私は不良に連れ去られようとして、志工先輩が助けてきてくれたその日。あの時も雨が降っていました。とても寒かったのを覚えています。
だけど今はそれほど冷たさを感じません。それは多分私と志工先輩が近くにいるからでしょう。傘が雨粒を受け止めて不規則な感覚で聞こえてくる音はすごく私の心を揺さぶっています。
私の肩と志工先輩の肩が歩くたびにこすれあって私はくすぐったいような、痛いような微妙な感覚をどうしようかとても困っていました。でも選択としてはこれが一番適当であることは間違っていません。
志工先輩は自分の身体の七割ほどを傘の範囲外に出していて、先輩のセーラー服が境界線を持って濡れています。
「もっと入ってきてもいいですよ」
「お前が買った傘だろ。お前が使え」
傘は志工先輩が持っているので私が操ることはできません。私は自ら傘の外に身体を投げ出して志工先輩を招きいれようとしましたが先輩はその誘いには乗ってくれず、結局私の身体がほとんど傘の中に入っていました。
ーーーーーーー
志工先輩がコンビニで買ってきたものは私が預かることになりました。私は志工先輩が持っていくべきだと主張しましたが先輩はどうせ私の部屋に行くときに食べるものだといって頑固として私の主張を聞き入れてくれませんでした。
結局私が妥協するしかないのでしょう。それに荷物の中にはヤクルトが入っていることも思い出したので私が持ち帰ることにしました。
「今日はもう遅い。ベットに入ったほうがいい」
志工先輩がさりげなく帰ろうとしている。
私は何か言いたかった。志工先輩が白崎先輩の話をしてから私に対する態度がわづかによそよそしくなっているのは分かりました。先輩が傘に入らなかった理由は単に恥ずかしいからだけではないと思っています。
先輩は私を恐れている。正確に言うと白崎先輩のことで私が軽蔑のまなざしをむけることを恐れている。私がそういうつもりがなくても……先輩が思っています。
「志工先輩。私の第一印象はどうでしたか?」
先輩が距離を置いて振り向いています。霧雨に似た雨の中で志工先輩の瞳はヘッドライトのように私を照らしていました。私は胸元を握り締めて志工先輩の返事を待ちました。私自身はとても緊張していました。
このようなことを聞いたことは初めてです。
「俺によく似ていると思った」
「それは他人との付き合いを距離を置いて行っているということ」
「そして他人には自分の心を許していない」
雨が私の熱を奪っていきます。私の頭は驚くほどに冷静で自分を客観的に見ることができていました。昔から直すことができず、そして直す必要ないと考えるようになっていた私の特徴は世間的には欠陥といっていいのかもしれません。
「白崎先輩が志工先輩のことを優しいけど自分勝手な人だと言っていました。白崎先輩がそう言っていた理由が分かった気がします。でもそれは私だって同じことです」
志工先輩の眉毛がピクリと動きました。私はつばを飲み込んで会話を続けます。今まで誰にも話したことのなかった話でした。
「私は他人に心を開いていないのに心を開ける特定の人物を欲しています。数ヶ月前まではそれがおばあちゃんでした。でも今は志工先輩です」
口が止まりません。志工先輩は離れもせずに黙って聞いていてくれました。顔の表情は変わっていなく、私は壁に向かって話しているような感覚を受けていました。
だんだんと喉がかれていきます。胸は燃えるように熱く、そして冷たい頭は締め付けられているように痛い。嫌われてもかまわないと覚悟を決めているとはいえ先輩の言動を私だって怖がっている。けど私は先輩を否定したくない気持ち一心で話を続けました。
「だから私が先輩を責めることはできないのです。私だって先輩を利用している。だから……」
私だって自分勝手な人間なのです。自分の目的のために他人を抵抗なく利用していた。そう告白するつもりだったのに私は声がつまって鳴りそこないの笛のような音しか出せませんでした。なさけない。
志工先輩はまばたきを繰り返し私を上から下までみてそっと手を私の頭にのせました。
「もう何も言わなくていい」
私の頭をなでる志工先輩のしぐさは受けていて恥ずかしかったものですが私の中で優しい響きとなって波紋と作り続けていきました。やがて志工先輩が音もなく闇の中へと消えていったとき、小雨だった雨は勢いを増して先輩の足跡を消していきました。
ーーーーーーー
自分の部屋に荷物を戻すためだけに立ち寄り、私は水場へと向かいました。もう毎日続けていてほとんど癖になっているようなものです。ワンピースの胸元のボタンをそっと外して上半身だけ一糸まとわぬ姿になるのも慣れてはいけないこととはいえ慣れてきました。
鏡に映る私は何を考えているのでしょう。くだらないこととは思いますが、鏡に映る自分が別人のように思えてなりませんでした。私は角度を変え、自分の背中の一部が鏡に映る位置を探ります。その間私の指は震え続けて肌には押さえつけた跡がくっきりと残っています。
私の身体は自分にあるものをどこか信じきれていない。それが理由でしょう。なら志工先輩にでも話してしまえばいい。先輩がこれを認めてくれれば私もこんなに自分を疑うことはなくなります。
だけど今日志工先輩と話し続けて一つ思ったことがあります。これ以上志工先輩に負担を増やしてはいけない。自分の肩甲骨にある奇妙な痣をもう一度確認して私はその痛みにじっと耐えました。先輩がこれを探しているのは分かっています。
ですが私はこれを告白する必要はありません。記憶がないとはいえこれをいつ刻み込まれたのは大体分かっています。そしてこれは大きな手がかりとなるに違いありません。でも志工先輩の助けを求めることはできませんでした。
私の眼から一筋の涙の軌跡が頬をつたっています。誰も助けてくれないことはひとりぼっちであることと同義ですが、それよりもこれを打破できない自分の無力さがかなり胸に深く刺さりこみました。
「お困り?」
高飛車な声がして誰かが私の肩を掴みました。誰と思う前に白い手が鏡に映って細い指を私の肌に食い込ませてゆきます。
あんなに晴れていた夜空がコンビニの中で時間をつぶしていた間に全て雲で埋め尽くされていました。灰色のコンクリートが雨粒に打たれてぽつぽつと黒い穴が開いていくようでした。志工先輩は空を見上げて靴先をとんとんと地面に叩きながら傘を二本買おうとしています。
「一本だけで十分ですよ。お金がもったいないです」
私はもう一本を元の場所に返しました。志工先輩が明らかにしかめ面をして私を睨んでいましたが私はそれを完全に無視しまして会計を済ませました。
学校へ帰る道すがら、志工先輩も私も黙ったままでいるとあのときのことが自発的に思い出されてきます。私は不良に連れ去られようとして、志工先輩が助けてきてくれたその日。あの時も雨が降っていました。とても寒かったのを覚えています。
だけど今はそれほど冷たさを感じません。それは多分私と志工先輩が近くにいるからでしょう。傘が雨粒を受け止めて不規則な感覚で聞こえてくる音はすごく私の心を揺さぶっています。
私の肩と志工先輩の肩が歩くたびにこすれあって私はくすぐったいような、痛いような微妙な感覚をどうしようかとても困っていました。でも選択としてはこれが一番適当であることは間違っていません。
志工先輩は自分の身体の七割ほどを傘の範囲外に出していて、先輩のセーラー服が境界線を持って濡れています。
「もっと入ってきてもいいですよ」
「お前が買った傘だろ。お前が使え」
傘は志工先輩が持っているので私が操ることはできません。私は自ら傘の外に身体を投げ出して志工先輩を招きいれようとしましたが先輩はその誘いには乗ってくれず、結局私の身体がほとんど傘の中に入っていました。
ーーーーーーー
志工先輩がコンビニで買ってきたものは私が預かることになりました。私は志工先輩が持っていくべきだと主張しましたが先輩はどうせ私の部屋に行くときに食べるものだといって頑固として私の主張を聞き入れてくれませんでした。
結局私が妥協するしかないのでしょう。それに荷物の中にはヤクルトが入っていることも思い出したので私が持ち帰ることにしました。
「今日はもう遅い。ベットに入ったほうがいい」
志工先輩がさりげなく帰ろうとしている。
私は何か言いたかった。志工先輩が白崎先輩の話をしてから私に対する態度がわづかによそよそしくなっているのは分かりました。先輩が傘に入らなかった理由は単に恥ずかしいからだけではないと思っています。
先輩は私を恐れている。正確に言うと白崎先輩のことで私が軽蔑のまなざしをむけることを恐れている。私がそういうつもりがなくても……先輩が思っています。
「志工先輩。私の第一印象はどうでしたか?」
先輩が距離を置いて振り向いています。霧雨に似た雨の中で志工先輩の瞳はヘッドライトのように私を照らしていました。私は胸元を握り締めて志工先輩の返事を待ちました。私自身はとても緊張していました。
このようなことを聞いたことは初めてです。
「俺によく似ていると思った」
「それは他人との付き合いを距離を置いて行っているということ」
「そして他人には自分の心を許していない」
雨が私の熱を奪っていきます。私の頭は驚くほどに冷静で自分を客観的に見ることができていました。昔から直すことができず、そして直す必要ないと考えるようになっていた私の特徴は世間的には欠陥といっていいのかもしれません。
「白崎先輩が志工先輩のことを優しいけど自分勝手な人だと言っていました。白崎先輩がそう言っていた理由が分かった気がします。でもそれは私だって同じことです」
志工先輩の眉毛がピクリと動きました。私はつばを飲み込んで会話を続けます。今まで誰にも話したことのなかった話でした。
「私は他人に心を開いていないのに心を開ける特定の人物を欲しています。数ヶ月前まではそれがおばあちゃんでした。でも今は志工先輩です」
口が止まりません。志工先輩は離れもせずに黙って聞いていてくれました。顔の表情は変わっていなく、私は壁に向かって話しているような感覚を受けていました。
だんだんと喉がかれていきます。胸は燃えるように熱く、そして冷たい頭は締め付けられているように痛い。嫌われてもかまわないと覚悟を決めているとはいえ先輩の言動を私だって怖がっている。けど私は先輩を否定したくない気持ち一心で話を続けました。
「だから私が先輩を責めることはできないのです。私だって先輩を利用している。だから……」
私だって自分勝手な人間なのです。自分の目的のために他人を抵抗なく利用していた。そう告白するつもりだったのに私は声がつまって鳴りそこないの笛のような音しか出せませんでした。なさけない。
志工先輩はまばたきを繰り返し私を上から下までみてそっと手を私の頭にのせました。
「もう何も言わなくていい」
私の頭をなでる志工先輩のしぐさは受けていて恥ずかしかったものですが私の中で優しい響きとなって波紋と作り続けていきました。やがて志工先輩が音もなく闇の中へと消えていったとき、小雨だった雨は勢いを増して先輩の足跡を消していきました。
ーーーーーーー
自分の部屋に荷物を戻すためだけに立ち寄り、私は水場へと向かいました。もう毎日続けていてほとんど癖になっているようなものです。ワンピースの胸元のボタンをそっと外して上半身だけ一糸まとわぬ姿になるのも慣れてはいけないこととはいえ慣れてきました。
鏡に映る私は何を考えているのでしょう。くだらないこととは思いますが、鏡に映る自分が別人のように思えてなりませんでした。私は角度を変え、自分の背中の一部が鏡に映る位置を探ります。その間私の指は震え続けて肌には押さえつけた跡がくっきりと残っています。
私の身体は自分にあるものをどこか信じきれていない。それが理由でしょう。なら志工先輩にでも話してしまえばいい。先輩がこれを認めてくれれば私もこんなに自分を疑うことはなくなります。
だけど今日志工先輩と話し続けて一つ思ったことがあります。これ以上志工先輩に負担を増やしてはいけない。自分の肩甲骨にある奇妙な痣をもう一度確認して私はその痛みにじっと耐えました。先輩がこれを探しているのは分かっています。
ですが私はこれを告白する必要はありません。記憶がないとはいえこれをいつ刻み込まれたのは大体分かっています。そしてこれは大きな手がかりとなるに違いありません。でも志工先輩の助けを求めることはできませんでした。
私の眼から一筋の涙の軌跡が頬をつたっています。誰も助けてくれないことはひとりぼっちであることと同義ですが、それよりもこれを打破できない自分の無力さがかなり胸に深く刺さりこみました。
「お困り?」
高飛車な声がして誰かが私の肩を掴みました。誰と思う前に白い手が鏡に映って細い指を私の肌に食い込ませてゆきます。