Neetel Inside 文芸新都
表紙

ホーの解
「白崎 思織の血流」

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身体に伝わる感触がなんだか冷たい。さっきと変わらない森林の中で私と大都井さんはたまたまみつけた木の裏で息を潜めていた。地面からはひんやりとした冷たさが伝わってくるのにたいして私と寄り添っている大都井さんのぬくもりはとても温かかった。

頭上にはさっき見えなかった月が奇跡的に姿を現している。だけど雲のためかその身体は半分隠れている。気が付くと私も半分くらい影の中に身を浸していた。

大都井さんはさっきから無言だった。私と話すのを躊躇っているように見える。私はそんな大都井さんの態度と横顔が気に食わなかった。どこか思いつめたような息づかいが逆に私をあおっていく。

私は短く息を吸い込むと大都井さんのほうを見た。黒い眼鏡のレンズは月明かりを反射していてなぜか神秘的な輝きを放っている。

「どうして七子から逃げたの?」

大都井さんの顔がふっと曇る。別に私は大都井さんを責めているわけではなかった。七子と会うためにここまでつれてきてくれたのに、いざ七子を出会ったときに私を連れて七子から離れた行動が疑問だっただけのことだった。

でもそんな顔を見せた大都井さんがなんか卑怯に思えてきた。大都井さんなりの考えがあるはずなのに私には何も教えてくれない。だけどそんなことを考えていると小さな罪悪感が芽生えてきて、私はそれを隠すように木の幹によりかかる。

これまで無視していた疲れがどっと押し寄せてきて、肩の傷口がすこし痛んだ。さっき無理をして走ったから傷が開いたのかもしれない。

だけど本当に酷だったのはたぶん七子から離れなければならなかったことだったのかもしれない。私の中でそれに対する罪の意識が風船のように膨らんでいく。私をひっぱっていったのは大都井さんだ。それは間違いない。

だけど私もあのときの七子に恐怖心を感じていた。それも間違いない。私の知らない七子に対して私は彼女を受け入れられなかった。その事実が私を背後から見つめている。

「狩屋さん。どうでした?」

頭上の月を見上げながら大都井さんは煙を吐くように口を開いて私に尋ねる。その姿はなんとなくはかなげだった。眼鏡の隠れている彼女の瞳がまるで水面に浮ぶ月のように揺れている。

私が感じた印象のことを聞いているのだろう。私は感じたとおりの話をした。あのとき七子に抱いたことを言葉を変えずに大都井さんにありのまま話した。大都井さんは相槌をうちながら私の言葉に耳を傾けてくれていた。

話していくたびに私はだんだん惨めな気分になってくる。あのときの七子を思い出すたびになんどもあの七子に対しての恐怖が蘇ってきて、そんな恐怖を感じてしまう自分が気に食わないのに、自制が聞かなかった。

全てを話したときに私の中には空虚じみた落ち着きが残っている。だけどそれを受け止めているのはあの七子を受け入れられなかった自分である。それを意識してしまうと自分の卑小さが驚くほどに浮き彫りになる。

自分が受け入れられないものを目にするだけで私は身体が震えている。どこまで私は子供なのだろう。

「あの狩屋さんを知るのは忍びなかったですか?」

月を見上げている大都井さんの目はさっきから無情すぎて、私はそのまなざしに照らされているとどこか心細くなる。大都井さんは七子に対して私と同じような感情を抱いていない。それが私と大都井さんに溝を作っている。

口を開いただけで私は何も話せなかった。締め付けられるような喉の感触が思った以上に苦しくて、それが引き起こす悲しみに私は支配されそうだった。体育すわりをしている私の膝頭にぽつぽつと水滴が落ちていく。それを指先で拭って、私は両手で自分の顔を覆いつくした。

大都井さんの息づかいが私の耳をくすぐっている。私の嗚咽と、鼻をすする音を聞いて大都井さんは何を感じているのだろう。大都井さんの視線を頭上から感じながら私は人形のように頷く。大都井さんの同情を込めた視線を受けているのは気が楽だったけどやっぱり気恥ずかしいものだった。

モザイクがかかったような視界の中で大都井さんは何も動じずに月だけを見ているのが分かる。月光のためか青白く発光しているように勘違いしてしまう彼女の顔を私は眺めていた。そして月明かりがなくなり、彼女の顔が暗くなる。

「私が昔告白したい人がいると話しましたよね」

大都井さんの声は頭上から聞こえてくるようだった。私は眉をひそめながら暗いままの彼女の顔を再度みた。

こんなときにいきなり何を話しているのか意味が分からない。けれど大都井さんは私の視線を感じつつ、自分の話題を疑問に感じている節は少しも見られない。そして頬を染めながら私に語り続けた。

「それ。志工さんです」

それだけいって、そっぽを向く。けれどまだ大都井さんの話は続いていた。

「思織さんが志工さんと付き合っていたのは知ってました」
「知ってて私に相談したの?」

はにかんだ笑いを大都井さんは私に見せる。この場にはふさわしくない彼女の本気で照れている姿だった。

「結果はだめでしたけど。でもあのときの私はそれが理解できなかった。恥ずかしい話告白が成功すると信じきっていましたから」

その後も大都井さんは独り言として何か呟いていたけど私からはそれを聞き取ることはできなかった。だけど私としてはそれはもう関係ない。気になることは大都井さんは自身の告白を信じきっていたということのほうだった。大都井さんの表情には為せば成るといった感情論だけではない、何かに基づいた確信を秘めていた。

私がそれに気づいたときに、大都井さんも私が何かを気にしていることを気づいていたのか自嘲気味に目を細めて、そしてその目はしばらく閉じたままになった。大都井さんはその後真っ白な感情を顔に表して顔の動きを止めている。

物思いにふけっているというよりも内側からあふれてくる自分の感情にじっと耐えているような感じだと私は解釈した。大都井さんはそれからすぐにうっすらと目を開く。今までのどの目線とも違う何か後悔しているようなものだった。

「今の狩屋さんも同じです。思織さんが狩屋さんを受け入れてくれると信じて疑っていない。そう思い込まされているといったほうが正しいですね」

大都井さんはそういって立ち上がりよろよろと歩き始める。くるりと振り返りながら気持ちいい微笑を私に向けていた。その動きは私は森の中に居るということを忘れてしまうくらい優雅だった。

もう一度月が顔を出している。呆然としている私の前で大都井さんはもう一度照れくささを装った笑い方をする。そして躊躇いもせずに襟元から自分の上着をずらした。

露出される大都井さんの右肩がこの森林の中で誰もが持っていない純白さを持っている。けれど目を引くところはそこではない。大都井さんの右肩には傷痕が残っている。爪にでも引っかかれたような傷痕がそこだけ青白くなって、大都井さんの肌に刻まれていた。

私は何も言えなかった。そしてそれを見たときに何かが私の中で紐解かれていく。ここ数日で曖昧だったことが徐々に固まって一つの事実として出来上がっていくようだった。大都井さんは自分の肌をゆっくりと指でなぞっていく。

首元、鎖骨、右肩と彼女の指はそれをなぞり始め私はその指先をずっと追っていた。そして傷痕で止まる。

「温室にはこの傷の原因があります。そしてそれは狩屋さんがああなった原因でもあります」

服のずれを直した後でも大都井さんは寒そうだった。大都井さんの髪が揺れている。私の眼にはまだ大都井さんの傷痕がはっきりと残っていた。意識しないうちに私の掌は自分の傷痕に触れていた。

保健室で寝ていたときのことを記憶の中で垣間見る。香矢が何をしたかも、私が何を見たかも、おぼろげにさえ見えてこなかったものを私は見ることができた。

あのときの記憶がゆっくりと溶かされていく。そしてあのとき香矢が何をしたかったのかが私にも見えてくる。

私と同じ傷が大都井さんにもある。その傷を作った原因が同じように七子を変えている。そしてそのせいで七子が私を求めている。

私の頭は驚くほどに働き、一瞬の内に外部から与えられた情報と内部で隠されていた情報を処理していく。そして素晴らしい速さで私は結論を導き出し、それを行うための決心もあっさりついてしまった。

「温室には大都井さんだけで行って。私は七子を待つ」

私は立ち上がるともと来た道を振り返る。私の決心に大都井さんは賛同もしなかったら反論もしなかった。欲しかったものを得られたときのように満足じみたため息が私の背中から聞こえてくる。

私はなんとなく大都井さんをからかいたくなった。理由のない本当にただのきまぐれだった。

「ねぇ。香矢のことまだ好きなの?」
「さぁ。どうでしょう」

私は大都井さんがすぐに返事を返すとは予想が付かなかったけどそれほど身じろぎはしなかった。やっぱりその答えは大都井さんにとって予め用意された答えなのだろう。だけどそれだけが分かれば十分だ。

私はもと来た道を戻り始める。大都井さんはそんな私を後ろから見守っていたと思ったけど、すぐに私とは違う足音が遠く離れていった。

     

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ろくに走れる道でもないのに私は走り続けている。こんな場所で走っても無駄に体力を消費するわけでもないのに足が急ぐのを止めない。多分私が七子に会いたいからであるのはゆるぎない事実であるだろう。

想像通りに心臓が悲鳴を上げている。草木の葉を走り抜けるたびに私の足に切り傷が線を引くように何個もできていた。その痛みをちくりと感じているのになぜか私の足は走るのをやめなかった。

走りながら私はだんだんと思い出している。私の七子との関係のこと。私は七子の告白を確かに断っている。だけどその後に七子の同じ告白をもう一度聞いている。私はその告白を今度は受け入れた。そうしなくてはいけない衝動に駆られていたからしたのだろう。

それは私の中の記憶として絶対に存在している。だけど私はそれに実感が持てなかった。その後のことも、私と七子の二人同士の生活のことも、私にとってまるで他人事のようにある。そして保健室に香矢が現れた。そして私に傷痕が残った。

私はそのあたりのことをほとんど覚えていない。それもこれもあのときの傷のせいなのだろうか。私は歯を食いしばりながら傷を握り締める。私の制服に赤い染みができているのに気が付いた。絆創膏もいつの間にかはがれていて傷がむき出しになっている。

香矢のやつは一体どれほど深く切れ込みを入れたのだろう。価値にもならない物思いにふける。自然が騒ぐ音に身を浸していれば私はその痛みに耐えられる自信がついていた。

走りながら私は同時に考えていることがあった。大都井さんの言葉が頭の中で反芻する。

七子は私が七子自身を受け入れてくれると信じきっている。七子が私を好きでいる。大都井さんにもある、私の中にも或るあの傷の中に七子がそう思わされている原因があるのだとしたら。大都井さんの口ぶりからそれを私はうすうすと読み取っていた。

だけど一つだけ確かめたいことが或る。それだけを胸の中で握り締めながらうっそうと茂った草木をかきわけて、無作為に生えている木々の間をすり抜けて、私はその場所に降り立った。私の髪がふわりと舞い上がる。身体がじんわりと熱くなってそして少しずつ汗が冷えていく。

私の目の前を隠している前髪をそっと横に避ける。そっと疲れが身体から抜けていき、少しだけひざが曲がる。膨れ続ける心臓を落ち着けさせ私は顔を上げた。

月明かりがこれほどにまぶしいとは思ったことがない。何度も見た月の姿が私にはまるで宝石のように映っていて、そこから降り注ぐその光はまるで祝福のようだった。そしてそれを一身に浴びて、私の待ち人は私の目の前にその姿を現した。

ゆっくりと舌なめずりをしている。その舌が七子の唇を通過していく。七子の唇が水気を持ち、口紅をつけたかのように真っ赤に濡れている。私はその唇にどうしようもないほどに惹かれていた。

「七子」
「思織」

二人同時に対峙している相手の名前を呼ぶ。それを気に場の空気が一変した。肌寒さを感じるような空気が身体を駆け抜ける。周りの木々も前以上にざわめき始める。振り落ちている木の葉の量も右上がりに増えていた。

七子は心の底からうれしいようににこやかに微笑んでいる。七子よりも気持ちよく笑うことはできないけど、私は私は七子が持っている注射器にはわざと気づかないふりをした。

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蛇のような軌跡を残して七子は私に詰め寄ってくる。私はそれを交わすことなく動かなかった。元より七子と争うために七子と会いに来たわけではない。私の視界が七子の姿に覆い隠される。七子の瞳がぎらついているのがすごく心に残った。

私はなすすべもなくそのまま木に叩きつけられる。背中に鈍い痛みが走り私は顔を歪ませる。吐いた息が戻ってこない。自分の体を上手く操れない。その中で七子が私を押さえている手に持っている注射器の先がきらりと光った。

反射的に七子の腕を掴む。別に抵抗する気はないけどそこはかとなく七子に恐怖を感じているのかもしれない。私の手は七子の手を掴んでいたけど、やがてそれを離しゆっくりと地面に向かっていった。

七子が何も言わなくても私には七子が何を考えているのか分かる。七子が持っている注射器が何を意味するのかも全て、私はもう思い出していた。そしてそれを使うとどうなるかもうすうす気づいていた。

七子は多分またやり直したいのかもしれない。私とまた恋人で居たいのだろう。七子は私の制服のスカーフを解くと、強引に制服を引っ張る。もともと大きめのサイズだったためか容易に着崩ることになった。

七子の顔が悦楽に満ちているのが分かる。薄く開いた口から舌が何度も自身の唇を這い回っていた。

私の傷からしたたりおちる血液がそのまま七子の指をつたう。その流れをみて七子はふっと顔を曇らせた。痛いという感想はどこにもない。ただその傷が私と七子を決別を意味しているようで、私はそれを認めたくない気持ちで一杯だった。

「大都井さんから或る程度は話を聞いたよ。私の右肩のことも。七子の右肩のことも」
「これ?」

私を抑えていないもう片方の腕で七子は自分の服の襟元を握る。そのまま一気に自分の服をずり下ろした。それが大都井さんが見せたときの仕草に似ていて、私は七子の身体が想像通りであることを確信した。

絹のような七子の肌に似つかわしくない傷がある。まるでみみず腫れのようなその傷は赤黒く七子の肌に存在していた。大都井さんのときと違うのはそのみみず腫れのようなものが小刻みに脈打っていることだった。

その中に何かが居ることを如実に物語っている。私はつばを飲み込み、気持ち悪さにじっと耐えた。何も知らなければ思わず逃げてしまいそうなその不気味さが目の前にある。だけど私は言わなくてはいけない。ごくりともう一度つばを飲み込む。

「私は七子の告白を受け止めたときの私ではないかもしれないけどそのときの記憶も私は持っている」

声帯が震えている中私の声はまるでしぼりとったような声色しか乗せられなかった。七子の腕が止まる。私がそのときのことを覚えていることが意外だったのだろうか。

「七子が私のことを好きだというのは十分わかったよ。でもそれは本当のことなの。その右肩に埋まっているものにそうだと信じ込まされているわけではないの?」

ばさばさと頭上で気配がする。多分梟が飛び立っていったのかもしれない。そう考えると私の周りではいろいろな視線を感じている。それらがみんな私の一つ一つの言葉を聞き入っている。

七子の顔つきが変わった。目にはっきりと涙を浮べ、前よりもとても弱弱しい。もしも七子の私が好きだという言葉が七子が心の底から思っていることなら、私はもう何も拒まない。

私は全てを七子にゆだねることにした。

     

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どこかで梟が鳴いている。私の判断を哀れむかのように、私の判断を皮肉るかのように。鳴き声は私の頭上で何度も響き渡っている。何か不安定になるような鳴き声が鳴り止むことはない。

七子は泣いていた。私の疑問に答えることがそんなにつらいのだろうか。嗚咽を漏らすように七子は泣きじゃくっている。私はなんで七子がそんなに泣いているのかが分からなかった。

「私が女の子が好きなのは本当なの。もっと女性と近くにいたいから女子寮を選んだ。私はずっと女の子と恋愛をしたかったのよ」

七子の涙が七子の腕に落ち、そして私の血と混ざり合う。

「でもね。やっぱり心のどこかで踏ん切りがついていないの。こんな私はおかしいっていう気持ちが強かったんだよ。だから結局私は小説の中に引きこもるしかなかった」
「そんなこと……」

私の言葉を遮るかのように七子は頭を振る。振り乱される七子の髪の毛に混じって涙の粒があたりを飛び散っていた。私の頬にも七子の涙の粒が当たったときに、七子の沈痛がこちらにまで伝染してくる。

「だってこんな私。思織も嫌いでしょ。思織が優しくしてくれるたびに私は思織を騙しているような背徳感で胸が一杯だった。だけど思織のことがそれでも好きだったのよ」

私を掴む手に力が篭る。私を逃さないように。だけどそれは私が離れていくのに耐えられない七子の気持ちの表れなのだろう。七子の本当の気持ちを知ったら私がどういう行動に出るのか。今の七子はそれを自分の悪い風に考えてしまっているのかもしれない。

残った手で自分の傷痕を指差す。七子の指先に反応してか七子の傷痕が大きく膨らみ、うねるように動く。私はその動きに若干目を見開いたまま、唇が震えて歯と歯がぶつかり合う音が起こる。

七子は自分の傷痕を誇らしげに眺めているけどその顔はどこか作り物の仮面のような雰囲気がした。はらはらと木片が舞い落ちるなかで、七子の身体はところどころ枝葉の陰に隠れて斑模様のようなものを作ってゆく。

「私ね。これをもらったときにとてもいいものだと思った。使い方次第で臆することなく自分を表現できる。臆病な私をこれが後押ししてくれる。そんな自信をつけさせてくれると考えていた。これがあれば思織とずっと一緒になれる」

私と一緒で居ることが七子の願いそのものなのだろう。本気で私のことを好きだといってくれていることに私はときめきのようなものを感じていた。

通りすがりのように私の記憶の中に香矢の言葉が過ぎ去っていく。あの雨の日の駅前で私に対して言い放ったあの言葉が再生されてくる。

香矢は私をただ利用していた。だけど七子は私のことを好きでいてくれている。七子は私を愛してくれている。それを意識すると性別の違いなんかどうでもよくなってきた。愛されることに飢えているのは私だって同じことだ。

七子は別に変わっていない。ただ今まで上手くいえなかったことを不器用な方法でしか表現していないだけ。七子が深夜に一日だけ私の前から姿を消し、そしてもう一度現れたとき、私は七子がとても変わったと思った。

私が予想にかけなかった行為を及んでいたのも七子が変わったためだからだと思っていた。だけどそれは単なる勘違いに過ぎない。やっぱり七子は元のままに違いない。今まで言えなかったことを私がちゃんと聞いてあげなかっただけなのだろう。

「七子」

私は優しく呼びかける。呼びかけるたびに七子は肩を震わせて、私から目をそらそうとする。

私は七子を受け入れようとしているのに七子は泣き止まない。それが自責の念だというのは知っている。七子はそんな自責を振り払うかのように叫ぶ。自分の行為を正当化させるため。しかし七子は叫べば叫ぶほど形相がひどくなっていく。

「私がやっていることは正しくないことに決まっている。こんなことしなくても思織が傍に居てくれるのは分かる。だけど、だけどそれがずっとだとは限らない。私はいつか終わる現実なら絶対に覚めない幻を選ぶ」

そして七子は注射器に指をかける。七子の顔はもう喜びに満ちたものとはとてもかけ離れたものだった。だけどそれは七子の偽っていない本音に違いないのだろう。

そうか。それなら私はもう何も言えない。そっと目を閉じて痛みに耐える。別に死ぬわけではない。ただ自分の意志に外からの介入が入るだけだ。苦痛を残さないように安らかな表情を七子に見せた。

「ごめんなさい。思織。ごめんなさい」

最後まで七子は謝っていた。七子から見たら私の瞳は今何を秘めているように見えているのだろう。それだけが気がかりだった。それとさっきから梟の鳴き声が頭にこびりついて離れないのも不満だった。

       

表紙

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Neetsha