Neetel Inside 文芸新都
表紙

4の使い魔たち
フラメィン学園への道のり

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 アリスが空から輝く光で目覚めるとふわりとしたベッドの上だった。

 ああ――、ようやく帰ってきたんだわ、と思った途端、
 古い木で出来た天井や少しくすんだ壁の色がアリスを現実に引き戻した。

「何コレ、何で私服を着たままなの……
 これじゃ服がしわになっちゃうじゃない」

 アリスは服のしわを伸ばしながら、昨日あったことを思い返していく。

「使い魔と再契約したんだっけ……」


 はあ―、と大きくため息を吐くと身を起こして腰掛ける。

 どこかの宿屋だとは思ったが、その通りだったらしい。
 ほとんど何も置かれていない部屋。

 天井は古くなった木の床張りで、
 部屋の真ん中には使い古されたような丸いテーブルがちょこんと置かれているだけ。

 唯一気になったのは壁紙に魔法塗料で描かれたオワスレナグサの絵だ。

「忘れ物をするなってこと?
 こんな簡素な部屋で何を忘れるっていうのかしら」

 アリスは毒づきながらいつもの調子が戻ってきたことこを感じて窓の外を見てみる。

 石畳と幾重にも重なる石造りの建物の向こうにジャポルの象徴である白い六芒星の塔が見えた。

 いっそ全てが夢だったらどんなに良かったか。

     

「それだと……」

 アリスは考えを振り払ってベッドから降り立つ。


 がたん。

「いたっ――」

 突然視線が低くなり、一瞬床底が抜けたのかと思った。

 無様にも床に仰向けに倒れたアリス。
 しかし、立ち上がろうとしても脚は自分のものではないかのように感覚がない。

「――あれだけのことをすれば当たり前……か」
 
 両腕をついて上半身を起こそうとしたところでアリスは妙な異変に気づく。

「ちょっと、冗談でしょ……」

 恐る恐るその妙な感覚の正体を確かめていくと右腕から手先まで全く力が入らなかった。
 脚も右腕も痛覚すらない。

 ユウトと契約するときに魔法を使ったとはいえ、何故こんなことになるのか。

「あの女のマナ……?」

 制圧のスペルが発動している最中にその上から自分の魔法を流し込めば、
 使い魔から溢れたマナは逆流する――。

 アリスは背筋を震わせてなんとかベッドに戻ろうとした。

 ――がちゃ。と、不意に後ろからドアを開ける音が聞こえたのでアリスは肩だけで飛び跳ねた。

「わ、悪い。ノックするべきだったかな、ご飯持ってきた」

 頭を掻くユウトをアリスは不憫に感じた。

「どうして」
「――?」

 アリスは握りこぶしを作り、食らいつくように言った。

「どうして、私なんかのところに戻ってきたのよ。あんたは私を恨んでいてもおかしくないのに、
 り、理由を言いなさいよ」

 アリスは震えていた。まだユウトは自分の使い魔だとは思えない。

「使い魔はそうするものだって、……俺の恩師がそう言ったから」

 ユウトは不思議そうな顔でそう言った。

 きょとんとしたアリスの、そうなの? という言葉にユウトは頷く。

 しょうもない理由だったが、今のアリスにはそれが一番安心する言葉だった。
 アリスは少なくとも自分を責めることはないのだ。

「ところで、何で地面に座ってるんだ?」
「……」

     

 テーブルに並んだパンとミルクを食べながら、アリスはユウトに問いかけた。

「あんた、この五年の間に自分の家に帰りたいとか思わなかったの?」

 ベッドに腰掛けさせられたアリスはユウトに言った。

「そりゃ、最初の頃はね」

 ユウトは何かを思い返すように遠くを見つめた後、そっと紡いだ。

「何にせよ、恨んでなんかいない。そこは安心してほしい。
アリスさ……も別に俺を呼びたくて呼んだんじゃないんだろ?」

「当たり前よ! それと、私のことはどうとでも呼んでいいわ。
どうしても『さま』をつけたいっていうなら仕方ないけど」

 アリスはふんっと髪を払い上げる。

「わかった」

「あ、あれ。そこは是非『さま』をつけて呼ばせて下さいって頼むものじゃないの?
 そういえばあんた最初からため口聞いてるわね」

「ため口じゃだめなのか?」
「主従関係にイーブンなんて存在しないのが普通よ」

 アリスはユウトを食い入る目で見て言った。

「ま、まあ言い訳をする気はないけれど、……本当にごめんなさい。悪かったと思ってるわ――」

 アリスは自分の不甲斐なさを認めてしまおうと思った。

「そう、だから特別に、特別にっ! ため口でもいいわ」
「そ、そうか」

「そうよっ」
 アリスは顔を背けながら上ずり掠れた声で言った。
 ユウトは苦笑しながら何だか居たたまれない気がしてそっぽを向く。


「助けてくれて……ありがとう」 

「……うん」


     

 アリスは回復の為にもう一眠りしたいと言って布団へ潜ったので、
 ユウトは街へ出ることを告げると外へと駆けだした。

 雑踏をかき分け屋台やら見せ物の間をくぐり、小さな子供を躱して古ぼけた石畳を踏み越えて行く。

「――大丈夫なんだろうな……シーナ」

 ユウトが気に掛けていたもの、それは置き忘れた剣だ。
 シーナがあれを持っていけるとは考えづらい。



「ここだ」

 アクアアートが背後を通り過ぎて涼しい風になったのをきっかけに、
 ユウトは意を決して煉瓦造りの門をくぐり、その広場へ踏み込んだ。

「間違いない……はずなんだけど」

 ――ない。剣がなくなっている。

 シーナが持って行かなくても他の誰かが持って行く可能性は充分にありえる。

「あんな剣……どうやって」

 蒼い刀身の剣など珍しがって買い取る店があるかもしれない。
 しかしユウトの持つ大剣は特殊な能力のため、常人には持ち上げることすらできない。

 なぜ忘れてしまったのかといえばそれまでだが、
 あの時はベンチの横に掛けた剣をすっかり失念してしまっていたのだ。

「はあ――」

 しかし、こうなってはもはや取り付く島もない。

 シーナが持っていてくれるのを信じたかったユウトだが、
 あれは魔剣の類なので主以外の者が持つとどんな災厄がもたらされるかわからない。

「はやく見つけないと……」

 もしかしたらシーナが気を利かせて銀行に預けているかもしれないと思うことにして、
 シーナと寄った銀行に足を運んだ。

 …………………。
 ………………………。
 …………………………………。

     

「こんにちは」

 昼下がりの街頭。
 シーナ探しも剣探しも全く収穫を得ることが出来ずに
 一度宿へ戻る決意をしたユウトはドアの手前で引き留められた。

 振り返ると小さな黒髪の女の子がそこにいた。
「……こ、こんにちは」

 それがユウトにどういった衝撃をもたらしたのかは言うまでもない。
「日本人……?」

 アリスとは違ってウェーブのかかっていない綺麗な黒髪はすらりとうなじを撫でるように降りている。

 幼い出で立ちに際立つ白く妖艶な肌色がマントの間から見えた。

「……ユウト、でしょ」

 少女が手を伸ばすと左手のルーンがちくりと痛んだ。
 白い頬を紅潮させ、ユウトの手を握ると彼女はその勢いに任せて胸に飛び込んでくる。

「……あれ?」

 何故か抱きつかれるような形になってしまい、
 ユウトは困惑し離れようとするがそれでも少女は退こうとしなかった。
「会えて良かった……」


 アリスの部屋の前に来て、今度は間違えることなくノックしたことを今は素直に喜べない。

「入っていいわよ」
 何故ならユウトの傍らにはあの少女がいる。
 ベッドに腰掛けたままのアリスは桃色の目を輝かせて言った。

「それじゃ改めてよろしく、ユウト」
 剣のことは時間が出来てから考えよう、そう思うしかなかった。

「アリス……実は」


     

 なんとか切りだそうとするユウトだったが、清々しいアリスの顔を見ると言い淀んだ。
「こんにちはあ」
「?」

 ユウトの脇からのぞき出た少女にアリスは度肝を抜かれたようだった。

「ちょっと、まさかあんた……」
 同じ黒髪、並んで見ると見えなくもない。
「こ、ここ、子供……!」

「ち、違う! この子はなんか、アリスを知っているみたいなんだ」
「はあ、なんだそうなの――って! 私、こんな奴知らないわよ」
 おあいにく様とアリスは手を翻す。

「そんなはずないわ、ア・リ・ス」
「――っ」

 突如その小さな体躯からは想像もできないような妖艶な声を発すると、
 少女はにこりと笑って部屋へ入った。
 アリスは驚愕の形相で少女を見つめる。
「あの時の――? でも……」

 アリスが会ったあの女はもっと背が高かった。しかし、今目の前にいる少女はベッドに座るアリスと同じくらいしかない。
「気がついた? 私はあの時の。この姿は、わけあって戻れなくなってしまったの」

 少女は部屋の真ん中にあるテーブルの椅子を勝手に壁際に持ち運び座る。

「どういうこと? 何しにきたのよ!」
 アリスは敵意を淀ませることなく少女へと向ける。

「ごめんなさい、虫が良いのは判ってるつもり。
 でも今は他に手段がなくて、お願い……助けてほしいの」
 アリスは咄嗟に杖を出そうとするが、それは懐にはなかった。

「私は……魔法を失敗してこの姿になったのよ」

 それが意味すること、それはつまり変化の大魔法を失敗したということだ。
 それで、と少女は言葉を紡いだ。

「ちょっと待ちなさい。あんたね……私にあんなことをしておいて、今度は助けてほしいですって?
 虫が良いにもほどが――」

「助けてあげようよ」
 ユウトが言った。


     

「あんた、こいつが私に何しようとしたかわかってるの?」
「信用できないのはわかる。けど、この子は体が変異するほどの大魔法を失敗したといっている。
 それは、命に関わる問題なはずだ」

 見てくれこそ十歳くらいの少女だが、これがあの女だったとは誰も思えないだろう。

「ありがとう、ユウト」
 少女は目元に小さいものを溜めた。もちろんアリスはそれを冷ややかに見つめる。

「ちょっと、何でそこで私の使い魔にお礼を言ってるの?
 私はあんたなんか認めてないし第一、私は殺されかけたんだから!」
「…………」

「ほら、ユウト、その女を早く部屋の外につまみ出してよ」

 ユウトは泣きそうな少女とアリスを交互に見ながら狼狽する。
「それじゃ、取引しましょう」
 は――? とアリスは口を開けた。

「あんた聞こえなかったの?
 私はあんたなんか信用してないっての。そんな相手と取引なんか論外よ」
「それじゃ、アリス。
 あなたその体でどうやってサロマンのフラメィン学園まで帰るつもりなの?」

「……そりゃ、歩いて帰るわよ」
「へえ、じゃあ歩いて見せてよ」
 するとアリスは一瞬表情が翳(かげ)り、手首をユウトに伸ばして手招きをする。

「え? 何」
「立たせなさい」
「(え、俺小間使い――?)」
 ユウトはアリスに寄っていって手を握ると、しなだれかかるようにして立ち上がった。

「た、立ったわよ」

「私は歩いて見せてって言ったの。ごまかさないでよ……」
「何もごまかしてなんかないわ、みてなさい」

 くうと唸るアリスは眉間を寄せながら下唇を噛んだ。

 少女は黙ってアリスを見ている。
 ゆっくりとアリスはユウトから手を離して立つ。

「――っ!」
「おい、アリス、顔色が――」
 冷や汗を掻いているアリスはとうとう一歩も踏み出すことなく膝から折れた。
 慌ててユウトが抱える。

     

「現実を認めなさい、アリス。あなたはもう歩けない。それだけの魔法を過ったの」
 押し黙るアリスに少女は続ける。

「あなたが使った土壇場での魔法。
 あれは本来一番やってはいけないこと、それくらい判っていたでしょう?」
「……わかってたわよ」

 ぶっきらぼうに答えるアリスをベッドに座らせるユウト。

「その神経と筋肉が滅茶苦茶になった脚はまず間違いなく二度と使い物にはならないわよ」
「…………」

 アリスは俯いた。
 今まで考えないようにしていただけで、この脚はもう二度と歩けるようにはならない。
 ようするにあの時はただ後先考えず、必死にあがいただけだ。

「えっと……」
「スーシィでいいわよ」

「スーシィ、お前がアリスをこんな目に遭わせたのか?」
「違う……と言ったらおかしいけれど、誘因となるようなことをしたのは間違いないの」

 ユウトはアリスに問い詰めた。
「どういうことだ、アリス。俺は彼女、スーシィをつまみ出した方がいいのか?」
 アリスは目を瞑ったまま首を横に振る。
「スーシィ、あんたが言う取引って何よ」

 もたげた首をスーシィに向けてアリスが言った。
「ようやくその気になったわね」

 スーシィは椅子から飛び降りるように地面に立ち、言葉を紡いだ。
「私はあなたのその脚を治すことができる」
 治癒魔法か? ユウトはそう思った。

「ただし、条件がいくつかある。私を匿(かくま)って。それが条件の一つ」
「待ってくれ、スーシィ。お前はアリスの脚を治せるって言ったけど、治癒魔法で治せるものなのか?
 それならどこでも――」
「違う、治癒魔法で治るなら『取引』になんてならないわ」

「それじゃ、あんたしか治せないとでも言うわけ」
「そうよ、それは治癒魔法では治らない。――けれど、私には治すことができる」
 スーシィはくすりと笑った。

     

 人の足並みが雨のように鳴り続ける雑踏街。アリスはユウトの背中で悠々と語る。

「昔読んだ童話の中に子供が母親をおんぶして世界を周ったお話があったわ」
「…………それで?」

「その子供は十二人目の子供だったんだけど、
 何故か他の子供たちはみんな母親の元を離れて暮らすのよ」

 ゆらりゆらりとゆれるアリスの髪が雑踏の中に舞う。

「そりゃ、普通は自立していくよな」
「ところがね、そんな母親の元に最後まで残ったのは一番下の末っ子だったの。
 なんでだと思う?」

「わっかんないな、そもそもそんなことに理由なんてあるのか?
 そして俺がアリスを担ぐ理由はあるのか?」
「あによ、人がせっかくあんたの背中で我慢してあげてるっていうのに。
 荷台引きの方が良かったかしら?」

「……荷台なんかにしたら目が回ると思うけどな」

 アリスはユウトの背中に抱えられて自慢気に童話を聞かせているが、
 雑踏の中ではユウトが前方からくる大男たちをひょいと避けながら歩く。
 そんな調子で荷台引きに乗るようなものならアリスはまともに話すことすら出来ないだろう。

「フン。とにかく急ぎなさいよ」

 目指すはサロマンという場所だ。
 フラメィン国の領土になるが、
 入国許可証はアリスが既に持っているのでサロマンへは直で行くことが出来る。
「そういやアリス、スーシィは――」

「もうその話しはやめて頂戴。治してくれるっていうんだから治してもらうだけよ」
「でも、ここでしか手に入らない薬草を買っていくって言ってたぞ。絶対高いって」

「いいのよ、そんなことはどうでも。
 向こうが信用してほしくてやってることなんだから、後はただ結果だけを見ればいいのよ」

 ユウトは些かスーシィという子が不憫な気がしたが、
 アリスの脚が治れば二人は仲良くなるのかも疑問だった。

「……ま、私はそれより一刻も早く学園に戻りたいから気を遣うとか遣わないとか、
 そういう話しはどうでもいいってわけ」


     

「そっか、なら魔法乗用機でも使うか? お詫びに」

 うるうると目を輝かせるアリス。
 立て続けにくる大男をひょいひょいと躱すユウト。

「それがいいわ! それが理想型よ!
 ふふ、けどねっ? あんたお金なんて持ってるの?
 言っておくけど私はすっからかんよ!」

「威張って言うほどのことかな……、大体あの宿を取ったのは誰だと思ってるんだ」

「やっぱりあんた……お金、持ってるのね?」
「金を鼻にかける趣味はないけどな。こう見えても昔は結構リッチだったんだ」

「昔はって……」
 今はないのねと項垂れるアリス。



 魔法乗用機は論外とも言うほどの値段で使えないことがわかり、
 待ち合わせの広場まで着くとスーシィはまだ来ていないようだった。

 アリスをベンチに座らせ、ユウトは雑踏に行く人々を眺めていた。

「ねえ、誰を探しているの?」
「え!」

 ユウトは虚を突かれたように慌てた。
「い、いや」

「あによ、言えないの?」
「や、その――す、スーシィまだかなって」

「へぇ、私には別の誰かを捜しているように見えたけど、まあいいわ。
 気持ち悪いからもうしないでほしいとだけ言っておくわ」

 アリスは少し安心していた。先ほどユウトが見せた横顔は穏やかだった。

「気持ち悪い……て」
「あ、来たわね」

 そんな二人の間に小さい影が入って言った。
「ごめんなさい、待った?」


     

「ええ、私は待っていたわ」

 マントの中が少し膨らんでいるだけで、
 後は手ぶらだったスーシィは何気なしにユウトの膝の上に座った。

「――はあ、ここが一番落ち着くわ」

 ユウトの頬に手を這わせるスーシィ。
 くりくりした両目がユウトの双眸(そうぼう)を捕らえて離さない。

「ちょっと! ――ちょっと!」

 アリスが不穏な気配を感じたのかスーシィを追い払うように左手を仰ぐ。
「やん」
 スーシィは大げさによろけてみせる。

「大丈夫? スーシィ」
「ええ、あなたの膝の上ですもの」
「ふふ、そうだね」何故だか妙におかしな空気が漂っている。

「え? ユウト? 気味悪いってば」

 アリスはあまりに異様な黄色い臭いに吐き気を示した。
「なあんてね」
「はっ――」

 何かに気づいたように辺りを見回すユウト。

「魅了(チャーム)の魔法よ」
「あんたねえ……『チャームの魔法よ』じゃないでしょ! あに人の使い魔にしてくれてんのよ!」

「あら、結構驚かないのね。誰でも使えるような魔法じゃないのに」
「大昔、どこぞの国の悪女はそういうので異性の心中を虜にすると読んだことがあるわ」

「そ、まあいいわ。とりあえず早く行きましょう。
 今日中にフラメィン学園につけるんだから」
「待ちなさい」
「なに」
「私の使い魔に二度とその魔法を掛けないことね。取引やめにするわよ」

 するとスーシィは低い視線から睥睨するように凄んだ。
「脚が治らなくてもいいの?」
「あんたが困るなら望むところだわ」

 アリスの方がよほど性悪なのでは、と思いながらユウトたちは街を後にした。


     

「さっきも言ってたけど、今日中にフラメィン学園ですって?」
「そうよ」

 何もない野っ原でユウトはスーシィの後をついて一時間ほど歩いていた。

「物理的に無理よ」
「そうよ」
「信じらんない。何が『そうよ』よ。
 どんな裏道があったって歩きでフラメィンなんて何週間もかかるわ」

 アリスは少し湿った胸元に風を送るように左手を動かした。


 二時間が経った。

「ねえ、食料と水を買うの忘れたんじゃない……」
「一日で着くからいらないのよ」

「あんたね……。私の話しを聞いてなかったの? 歩きでは――」
「誰も歩いて行くとは言ってないことに気づくべきね。頭弱いわ」

「歩いてるじゃないのっ!」
 姉妹喧嘩みたいだなとユウトは思った。



 三時間後――。

「ヤア、もう歩きたくない」
 アリスは首をそらして抗議する。
「歩いてるのはアリスの脚じゃないよね?」ユウトがキレた。

「……そろそろ良いかしら」
 そういうとスーシィはマントのフードから妙な生き物を取り出した。

 羽の生えたトカゲ。としかユウトには見えなかった。
 スーシィの両手で持てるそれはとてもじゃないが乗ると潰れてしまう大きさだった。

「さ、呼んで」
 スーシィがその小さいトカゲに言うと、それは口を開けて『ぎゃあ』と鳴いた。

「あによそれ、何の冗談よ」

     

「声にもマナは籠もるのよ。ま、しばらく待ちましょう」

 そういってスーシィはトカゲをフードに戻す。そこでユウトを見て言った。

「ほしかったら上げるけど、その時は名前をつけてね」
「ん、ああ――」

 なに生返事してんのとアリスに小突かれたが、ユウトは妙だと思った。
 さっきの小さい何かが鳴いてからどんどん近づいてくる気配があると感じていたからだ。

 モンスターとかそういうものではないが、何故かそれがわかった。

「ユウト?」
 ユウトが見つめる先に小さい何かがあった。

 それはユウトたちに近づくにつれてどんどん大きく迫ってくる。
「きゃ! も、モンスターじゃないの!」

「私の使い魔よ」
「ちょ、待っ――、でかいでかい!」

 そいつは暴風を伴いながらまるで嵐の化身の如く、地響きをさせて地上に降り立った。
 風圧でアリスのマントがばたばたと音を立てる。
「グオォォォ――――」

 茶色い強固な外皮に覆われ、ユウトたちの七、八倍は軽くあろうかという巨躯。
 その巨大な口元からは小火を放ち、大きな翼を広げるとそれはもう途方もない大きさだった。

「正真正銘のドラゴンじゃない……」
 アリスは口をぱくぱくさせていた。

「ドゥーラ、私が判る?」
 スーシィは全く臆することなくドラゴンの元へ行く。
 脚の爪先にも満たないスーシィの体がドラゴンの元へと行った。

 ドラゴンは首を屈めてスーシィの体に頭を近づける。
 鼻からスーシィを一呑みにできそうだった。

「園長のとは大違いだわ……」
 アリスがぼやくように言った。
「ユウト、アリス。早く来なさい――」
 見るとスーシィとドラゴンは慣れ親しむかのように触れあっていた。

「ユウト……。実はあの子、とんでもないんじゃないかしら」
「俺も今そう思っていたところだ」


     

 ユウトとアリス、スーシィの三人は空の上にいる。
 ドラゴンで空を飛んでいるのだ。

 ドラゴンの飛行速度に通常は掴まっていられないが、
 レビテーションとフライの応用でほとんどの風抵抗をゼロに出来るとスーシィが魔法を施した。

「そうそう、これでいいのよ」
 アリスは快適な高速移動の旅路に歓喜していた。

「さっきまでとは違って随分ご機嫌なのね」
「あら、悪い?」

「いいえ、ただ随分前向きだと思って」

 いくらスーシィが手足を治すとはいえ、
 それは確信のない話しだというのにアリスはどこか抜けているように見えた。

「手足の話し、本当に信じてるの?」

 スーシィは意識だけアリスに向けて言った。

「あのね、手足がどうなったってこの世は魔法さえあれば大抵のことは出来るのよ」

「……本当にそう信じているのなら凄いわ」
「フン、今更私のご機嫌をとっても無駄よ」


 その間、ユウトは我関せずと言わんばかりに黙っていた。
 高所恐怖症……とまではいかないが、ユウトは高いところが限りなく苦手だった。
 そして、第二に速い乗り物も苦手なのだ。

「ユウト、どうしたの? 真っ青よ」
「いや、なんだもないよ」
「なんでも、でしょ? もしかして、怖がってるの?」

 アリスの窮地を颯爽と救ったユウトが、
 よもやこんなところで臆するなど、アリスはなんだか妙な気持ちになった。

「ユウトは一度、魔龍戦争でフリーメイジと一緒に戦ったことがあって、そこで空から落ちてたわね。
 それ以来こういう背中にまたがるのが嫌になったんじゃないかしら」

「な、なんでそんなこと知ってるんだ」
 ユウトはスーシィの後ろ髪に何か記憶を辿るヒントを見つけようとしたが、思い当たる節がなかった。

「あまり教えたくないから言わない」

 三人のフライトはこうして三時間に渡った。


       

表紙

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Neetsha