Neetel Inside 文芸新都
表紙

メッシュ短編集
まくらさか駅

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その日、私は終電でうっかり寝こけてしまった。

前日から続くハードな仕事で徹夜をし、そのまま一日中動き回っていた所為もあり、体力、精神力のピークだった所為でもあるだろう。

誰が言っても同じ声に聞こえる駅内マイクの、掠れた「しゅうでんーしゅうでんー」ではっと目を覚まし、私は鞄を抱えて思わず電車から飛び降りた。

殆ど習慣のように頭上の間白い看板を見ると、「まくらさか」と書かれてあった。

見知らぬ駅の名だった。


やってしまったなぁ、困った。

肩を落として見渡すと、相当古く、寂れた駅だった。駅長室にはぽつんと明かりだけが取り残されたようについている。

まだ寝ぼけているのか、私はぼうっとしながら、ふらふらと改札へ向かって歩き出した。

そして、いかんいかん、と首を振り、財布と定期を取り出した。

こうなったら、もうタクシーでも拾って帰るしかないだろう。どちらにしろ、明日は土曜だ。丸一日寝る予定が崩れてしまった。

溜め息も出てくる。

しょんぼりとして改札に行くと、どうも人が立っているようだ。

駅員かと思って良く見ると、どうにもおかしい。JRの駅員の制服ではないのだ。

今まで見たことのない服装である。一言で言うと、昔の兵隊のような感じだ。それに、おまけで駅員の学生風の帽子を被ったような風采だ。

私の最寄駅の路線にこんな駅があったかなあ、などと思いつつ、とりあえず駅員に違いはないだろうと、私は少々首を傾げつつも声をかけ、事情を話した。

すると、メガネをかけた初老の男は、うんうん、と嬉しそうに頷いて、笑った。

「大丈夫ですよ、皆さんそうおっしゃいます。此処は地の果て夢の果ての、まくらさか駅ですから、ご心配なさらず」

「はあ…ところで、乗り越し料金を払いたいのですが…」

私はそういって、少しホームを見渡した。が、自販の乗り越し料金機はなさそうだった。相当古い駅なのかもしれない。そこかしこに蜘蛛の巣が張っている。

「お気になさらず、どうぞどうぞ」

「えっ!払わなくてもいいんですか?」

「ええ、ここはまくらさか駅ですから。でも、どうか夜には帰ってらしてくださいね、でないと次の電車は乗れませんので」

「は?夜ですか?でも今真夜中で…」

はっとして改札の向こうの空を見ると、目が眩むほどのまぶしい太陽の光で溢れていた。

「あ……?」

「さあ、それでは行ってらっしゃいまし。お気をつけて、どうぞ」

メガネをかけた初老の男は微笑んで、戸惑う私の腕を取って、改札の向こうへと押し出した。

途端、広がったのは懐かしい故郷の町であった。




私は呆然と、その光景に目をやった。

「おてんとう通り」と書かれた看板とアーチを始めに、商店街の通りが続いている。明るい光とざわざわとした声がそこらじゅうに響いていた。

騒がしい商店街に私の家はあった。つつましいながらも古くからの靴屋を営んでいた父は寡黙で、靴板で硬くなった大きな手でよく頭をなでてくれた。

おしゃべりな母はそんな父に話しかけながら、忙しく歩いて一人で店を切り盛りしていたのを覚えている。

その商店街に、私は一人で立っていた。

通りはいつになく活気付いていて、あちこちに貼られたポスターから夏祭りの近いことを教えてくれた。


「きゃーははははははは!」「まてーっまてまてまてーーっ!」

「うわっ!?」

突然、私の前を通り抜けるようにして子供たちが掛けていって、私は後ろに倒れそうになってようやく自分の意識を取り戻した。

「おっちゃんごめーん!」「ごめんなさーい!」

子供たちは悪気のない笑顔を私に向けて、また追いかけっこをしながら走り去っていった。

突然、どっと汗が流れてきた。当たり前だ。猛暑なのだ。私は背広を脱いで腕まくりをして、ごしごしとハンカチで額に浮かび出た汗を拭った。

ふと後ろを振り返ると、そこには元から駅などなかったというように、商店街の通りが長く続いていた。



こんがらがった頭のまま、私は見慣れた商店街を歩き始めた。

あちこちで上がっている高い笑い声は、先ほどの子供たちのような少年や、少女の声だろうか。

買い物袋片手に大きな身体を揺らしておばさんたちがおしゃべりをしている。今日の夕飯はなんのだろう。

そういえば、おなかがすいた。それに気がつくと、私は今日の昼(?)から何も口にしていない事に気がついた。

食事をすることを忘れるほど動いていたのだ、と今更ながらに思った。

気がついてしまうと、どうにも腹が減ってならない。

商店街には、沢山の食事どころがあった。

商店街の入り口近くのお好み焼き「達吉」は、いつでも私の家の靴に世話になってるからな、と言ってオマケをしてくれるし、

その斜め向かいの天もの屋「てんてん屋」には可愛い猫3匹がいる。それに蕎麦屋「春菊亭」の面は手打ち面で、いつもおいしい。

その近くの甘蜜屋には「ろまんす」には美人の長女のお姉さんが居て、おしゃまな女の子達に人気があった。

あんまり恥ずかしいので私はたった一度、年の離れた姉と一緒に行っただけだったが。

他にもカレー屋や高級な寿司屋、魚屋も八百屋もあったし、お気に入りの駄菓子屋さんもあった。

悩んだ挙句、やはり手頃な蕎麦屋「春菊亭」にはいった。のれんをくぐると、よく聞いたおばちゃんの「いらハーイ」と云う元気な声とニコニコした顔がこちらを見た。

この店一番のおすすめは、おばちゃん自ら取ってきた山芋と山菜が入った、手打ちトロロ山菜である。なんていっても私がコレが好物だった。

「いらはい、お兄さん。なんにします?」

私はメニューを開かずに、早速手打ちトロロ山菜を頼んだ。おばちゃんはあいよ、ちょうっとまってなーと笑って料理場のほうへ歩いていった。

店の中は相変わらず込んでいて、私と同じような格好をしたおやじが多かった。そういえば、丁度食事時なのだ、と私は壁の時計を見た。時計も相変わらずボロっちい。

小さい頃は海老天の付いたやつなんかも好きだったが、最近じゃ脂っこいものはぱったりやめてしまった。どうにももたれてしまうのだ。

本当にもう年だなァ、とお茶をすする事15分、茹でたて削りたての蕎麦とトロロが運ばれてきた。

「おまたせさん。さ、うまいよっ!」

「ありがとうございます。いただきます」

おばちゃん独特のうまいよっ!を聞いて、私はようやく箸に手を付けた。

トロロをかけて、そばつゆをかき混ぜ、ザルに乗った山菜と蕎麦と一緒に混ぜて、口に運んだ。柔らかい山菜と甘いトロロとしこしこの蕎麦が絶妙に美味い。

美味くて美味くて、私は一生懸命食べた。久しぶりに上手い飯を食べた、と腹をなぜるころには、大分落ち着いた。

お勘定を済ませると、おばちゃんの「ありがとーねー、またどーぞっ!」の元気な声に押されて、また暑い商店街へ出た。


どうせ夜までなのだから、と私は腹が落ち着いたせいなのか大きな気分になり、商店街を隅からゆっくりと冷やかして歩く事にした。

どの店もシャッターは一つも降りてなくて、声高にいらしゃーい、いらっしゃいと呼びかけてくれた。

殆ど家族同然に顔を見知ったおじちゃんやおばちゃんの顔を見ていると、どうにも自分が小学生に戻ったような気がして、私はつい何度も挨拶をしかけてしまった。

が、挨拶をしても元気に返してくれるのがこの商店街だったので、誰も気に留めてないことを祈って、私はそそくさとその店の前を通り過ぎたりした。

まるで学生である。はずかしいなぁ、と一人で苦笑いをしたりした。



散々商店街を懐かしんでみた後、私はふと、自宅の前にいる事に気がついた。いつもの習慣で、と云うより昔の習慣だろうか。「ただいま」といいかけて、少し戸惑った。

靴が合うかみるための大きな姿鏡には、紛れもなく故郷を出て18年経った35歳のサラリーマンの私が居たからだ。

これは夢なのだろうか。私は首を振って鏡を見た。

ひげは伸び、ネクタイは曲がり、腕まくりをしたおやじだ。どうしたってこの靴屋の息子には見えないだろう。

私はとりあえずネクタイを取って鞄に突っ込んだ。そして汗を拭うついでに髪を少し整えて、鏡をもう一度覗いた。まだマシだろう。


私の現在では、とうに店じまいをし、隠居した父はつい一昨年永眠して、母は遠く離れた故郷で息子の私がまだ結婚しないのか、と閉まった靴屋の奥の家で待っているはずだ。

大体、こんなに活気付いた商店街は私が少年の頃だけだった。

中学生を卒業する頃、近くの大きな駅にデパートが建ち、客足は無くなり、倒れるようにこの商店街は寂れていってしまって、今じゃ見る影も無いはずだった。

一体、これはどういった夢の中だろう。しかし、夢にしてはリアルすぎる。

太陽の光は暑すぎるし、汗は始終垂れてくる。それにこの喧騒。どう考えても夢とは思えない。

「いらっしゃいませー、どうぞ、ごらんなったって下さい」

「えっ!あっいや、あの…」

思わず直立した。母だった。記憶にある白髪が目立って痩せてきた母の面影は無く、丸々太り、若くて美しい母の姿だった。いつもつけていた「大田靴店」のエプロンを着けている。

「革靴ですか?新しいのんが出来まして、とても涼しいのですよ。穿いてみたって下さいな」

「あ、いえ、あのすみません。どうも…」

って、違うだろう!自分に突っ込みを入れつつ、出された黒くてつやのいい革靴を眺めた。父が新しく作ったのだろう。

父の手で創られた靴はどれでも、とても美しいつやと形を持っていた。多少古いデザインであるとしても、それは私の足にぴったりだった。

「まあ、まあお似合いで。ぴったりですなぁ、よう馴染んでますやろ?手作りなんですよー、ウチの人の。めいどいんみすたーおおた、ですのん。いかがです?」

「そ、そうですね。いいです。あの、おいくらですか?」

「有難うございますー、こちらはそうですね、2980円です」

私は母に頷くと、ポケットから財布を出して中身を見た。見た途端、しまった、と思った。中にはきっちり2000円しかなかったのだ。

昨日、今日と弁当を買ったのだった。それに、今先刻食べた春菊亭の蕎麦。

母はちょっと横から財布を見ら、あらあら、と笑った。

「す、すみません。で、出かける時中身を見なかったもので…」

「ふふふふ、しょうないですわ、まけたりましょう。2000円でいいですよ」

「ええっ!でも、そんな悪いです。またでなおしてきます。コンビニに行けば…」

そこで私ははっと気がついた。確か、コンビニにATMが置かれたのは私が社会人になってからではなかっただろうか。

いや、それ以前に、今現在みずな銀行はない。まだこのころには合併されてないじゃないか。

私はしょんぼりと肩を落とした。何て迂闊なんだろうか、私は幼いときからこうだった。

それを見て、母は突然笑い出して、そないしょげんでもええですって、と言った。

「ほんまに2000円ぽっきりでいいですよ。お客さん、面白い人やわァ、イマドキ珍しい、ジュンなかたなんねぇ。うちのタツ坊そっくり」

「お、お子さん…ですか?」

「そうそう、今日はまた果物屋の子ぉたちと遊んでるんでしょうねー、まーまだ小学生ですから元気元気。でもほんとにうちの子はジュンでねー、この間なんか
 泣いて帰ってきたから何かと思ったら、しょうちゃん、ああ、お友達の男の子がねぇ、バッタの足をとった!ッて泣くんですわ。それでケンカしたのか?ってきいたら、
 びっくりして泣いて帰ってきたって。おかしいでしょう?男の子だからそれくらい、残酷やわと思いけんど、しょうないと思いますけどねぇ。
 どうにも怖がりでねぇ、男の子なのに逆にやさしすぎて困りますわ」

そういって、母はけたけたと笑った。もちろん私は笑うどころではなかった。母はしょっちゅうこんな恥ずかしい話をしているのだろうか。



それから、母は私から代金を受け取ると、靴を仕舞う箱と袋を持ってきて、今まで私が穿いていた冬用の靴をしまった。私が穿いて行きたいといったからだ。

実を言えば、私は父の手で創られた靴をもう一つも持っていないのだ。店じまいのときに靴は大量に売り払われ、年頃の私は父の作った靴など、としゃれ込んでいた所為でもある。

母は始終機嫌が良さそうに笑い、話しかけてくれた。

夕方近くなるまで、私と母はそうしてつまらない話をして笑いあった。母は何度も私のことを引き合いに出して、私は何度も苦笑して自分にもそういった事があった、と話した。



そして、店を出る頃には手を振って、元気に送り出してくれた。

「いってらっしゃいなぁ」

なまりの混じった言葉が、懐かしく耳にしみこんだ。








何かの衝撃によって、私の膝からばさっと鞄が落ちた。「佐野ー佐野ー」間延びしたマイクの声が聞こえ、私は慌てて鞄を拾って飛び降りた。

間一髪、私は最寄り駅に降り立った。

それから、ふと足元を見やると、真新しくつやのいい黒い革靴が、さびしげに光る液の蛍光灯を移していた。


明日の休みは、久しぶりに父の墓参りを母としよう、と私は改札へ向かって一歩を踏み出した。

       

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