Neetel Inside 文芸新都
表紙

永遠の如月
2/21 : 方策

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 熱と、湿り気と、それらを両方含んだ吐息。それだけが全てだった。
 部屋の中とはいえ、肌をさらしたままでいれば寒い。だから俺たちは一枚の毛布の中で無我夢中で、互いに触れる皮膚の面積をできるだけ大きくしようとした。
 沙織は泣き出しそうな顔で俺の名前を呼んで、すがる。
「助ぅ……」
 その声は扇情的なものからは程遠かった。
 恋人に甘えるような声色じゃない。それは迷子の子供が親を呼ぶ声に似ていた。
 とにかく目の前の女の子を安心させたくて、力を込めて抱きしめた。
 沙織の口からは俺の名前が何度も何度も零れて、その度に俺は沙織の体を温めるように抱え込んだ。
 心臓が全身に血を送り出す。互いの体温が上がって、布団の中に熱が篭る。肌に汗が浮いて、シーツが少しずつ湿っていく。
 そこで初めて、俺は今の状況を「淫靡だ」と感じた。あとは流れに身を任せるだけだった。沙織を傷つけないようにできるだけ優しく触れ、沙織が声を漏らすとまた血が熱くなった。
 そして――。
 いよいよ粘膜同士を触れ合わせようとするまさにその時、もう一度だけ弥生のことが脳裏をよぎった。
「……ふう……」
 心を落ち着けるために、息を深く吐いた。
「助……?」
 迷いは沙織の声が掻き消した。この状況では、他の女のことなんてノイズでしかない。本当にそう思えた。
「いや、悪い……。痛かったら言ってくれ」
 これが俺の精一杯の優しさだった。



 高校時代に同級生と憧れを抱きながら冗談半分で話していたものとはまるでかけ離れていた。
 重々しくて、静かで、胸が苦しい。
 ……好きだから?
 かもしれない。でも、百パーセントじゃない。
 雰囲気で?
 ああ、流されちまったかもしれないな。
 性欲を、満たしたいから?
 それもないとは言い切れない。
 ――でも、実はどれもしっくりこない。

 ……しなきゃいられなかった。
 寂しさを埋めるには、こうしなければいけなかった。それだけだ。

「助……たすく、たすく……」
 終始、沙織は押し殺した艶っぽい声がわからなくなるほど俺の名前を呼び続けた。汗に交じって、沙織の頬に涙が伝う。途中俺が気遣って話しかけても、俺の声はほとんど耳に入っていないようだった。
 本当にこれで、沙織の心の穴を埋められているのだろうか。
「たす、く……たす――」
 意識が弾けそうになる最後の瞬間、俺は聞いた。
 消え入りそうな声で、乱れた息に交じって。

「……お母さん……」

 ああ、そうか。
 沙織が本当に欲していたのは……そうか。
 悟ってしまった瞬間、俺はただただ情けなくて、悲しかった。



 助に弥生のループを解除する方法を真剣に探すように頼まれた私は、解決の糸口さえ掴めずにいた。普段通りの事務仕事をこなしながら、考えを巡らせる。
 幾度となく行き着いた結論。辿りつくところはいつも同じだ。
 私が今の局長に取って代わり、あのポストにつけばいい。そうすれば、あの馬鹿げた悪戯を終わらせることができる。
 でも、その方法がない。もちろん、地道に働けばいつかはそうなるだろう。しかし、それでは遅いのだ。
 やきもきしている私に、またあの男が近づいてきた。
「――仕事は楽しいか?」
「さあ、どうでしょう」
 苛立ちを隠す気もない。棘を棘のまま、言葉に添えてやった。
「僕はつまらない。下等生物の観察なんて」
 だからどうしたと言うのだ。そう言いかけて、すんでのところで飲み込んだ。
 私が何も言わなくても彼は全く意に介さないようだった。
「だけど、新しい楽しみを見つけた」
「それはよかった」
「君は、あの人間をループの外へ出す方法を模索している」
「……!」
 どこから漏れたのかはわからない。この男が私と助との会話を聞いていたとしても不思議ではないが、そんなことに興味を持つようには思えなかった。
「簡単だ。僕の地位に君がつけばいい」
 そうだ、お前さえいなくなれば――。
 この男と話していると、一言一言返す度に醜い本音が口をついて出そうになる。
「何が言いたいんですか?」
「言ったはずだ。僕はこの仕事がつまらないと思っている。……さすがに、もう目立つような悪戯はできないしな」
 その顔に浮かんでいるのは、虫酸が走るような下卑た笑みなのだろう。
「まだ分かりません。どういう意味なのか」
「つまりだ。僕はこの職場を去る。もっと上へ行く。そんなことは僕にとって造作もないことだ」
 この時初めて、私は局長の顔を見上げた。
「オモチャ」を見るような最低の目が、私に向けられていた。
「僕が昇進すれば、まず間違いなく君がここの長になるだろうな」
「何がしたいんですか、あなたは」
「おいおい、そんな目で見られる筋合いはないぞ。働き者の部下に対する思いやりだ。人事の方にも話は通してある」
 感謝しろ、とその目が言っている。
「条件があるんでしょう、きっと」
 ――それも、最悪な何かが。
「さすが、鋭いねえ。……そう、君は仮にもここのナンバーツーだ。仕事をきちんとこなしていれば、君が次期局長になることに誰も不満を抱かないだろう」
 局長の顔が愉快そうに歪む。この男が愉快になればなるほど、私の胸には黒いものが渦巻いていく。
「でも、君は最近、重大なミスを犯した。本来は担当でないはずの、お前が『助』とか呼んでいる人間の蘇生手続きを無理やり担当した」
「あれは、弥生と助が出会ってしまったからです。弥生を担当していた私が両方を監督するのが合理的だと判断したためです」
「そして」
 奴は、私の言うことなど微塵も聞く気がないようだった。
「蘇生手続き中の人間は未来を変えた」
「特殊なケースでしょう? 助が弥生と出会ったのは全くの偶然で、しかも不可避でした。生前には遭遇しなかった人物に会ってしまえば、一か月もの間同じように過ごせるはずがない! 本来はあるはずのない異常な状況で、しかもそれを作り出したのは――!」
「黙れ!」
 窓口の近くにいる他の職員がこちらをチラリと見たが、怒鳴ったのが局長だとわかるとすぐに目を逸らした。
「蘇生手続き中に未来を変えてしまった人間は死あるのみだ。人事にもそれで話を通してある。わかるか?」
 わかりたくもなかった。
「この件を処理するためなら、最小限の運命の改変は許される。そうして――」
 汚い笑みを目一杯に浮かべ、上司が私に告げた。
「高宮助を殺せ――それが局長の椅子に座すための条件だ」
 ――頭の中が白く染まった。
「本当なら、我々は人間の一人や二人、迷わず殺せなければならない。そうやって、迷っていること自体がおかしいんだ。違うか?」
 そう……別に、局長の「人間観」は特異なものではないのだ。この世界の住人の大半は、人間のことを毛ほども気にしてはいない。必要なら命を奪うし、必要なら蘇生させる。
 しかし、仕事でも人間界に降り立つことを忌み嫌う者は多い。
 そこは、「下等な種族の住む劣った世界」だから。
「お前がやらないなら、他の局員を推薦する。お前の出世は大きく先延ばしになるがな」
「……少し時間を下さい」
 とにかく、考える時間が欲しくて私は言った。
「ああ、じっくり悩めよ」
 他人のジレンマを眺めるのが楽しくて仕方がないという様子で、奴は笑いながら立ち去った。

 ――どうあれ、助の頼み通り、方策は立ったことに違いはない。
 助に話してみよう。それが私の結論だった。

       

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