Neetel Inside 文芸新都
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永遠の如月
2/22 : 死神の選択

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 遠くに車が走る音が聞こえる、穏やかな夜。街明かりはこの家から少し離れたところで煌々と灯り、冬の夜空を照らしている。
 俺は部屋の窓から身を乗り出して外を眺めるのをやめ、鍵をかけてカーテンを引いた。かけっ放しの暖房のせいで淀みきった部屋の空気は、夜の冷えた外気に大方入れかわった。
 今日一日、弥生からの連絡はなかった。時間はない。でも、俺たちは何をすることもできなかった。
 ――そして、俺は弥生に何を言うこともできなかった。
 結論を先延ばしにしたい。ただそれだけの根性無し――それが俺だ。
 昨日会って以来、薫とも話をしていない。結局俺は、沙織とこの家で一日を過ごした。二人きりで過ごしはしたものの、やはり何もなかった。拍子抜けするほどに、淡々と俺たちの日常が進む。
 きっと、俺と沙織はお互い悟っているのだ。あれは間違い――いや、勢いだった。
 俺たちは決して間違ってなどいなかったし、間違いと言い切るにはあまりに惜しい、甘い夢だった。
 そう感じさせるのは俺の下心か、男の性なのかは知らないが……しかし、とにかく俺たち二人の関係が継続的なものにならないことだけは、二人とも敏く感じ取っていた。
 互いを満たすことと、隙間を埋めることは全く違う。一昨日の夜、俺は嫌というほどそれを思い知らされた。
 代替品。穴が開けば何かで塞ぐ。沙織は心の隙間を埋めるために、俺を選んだに過ぎない。言葉は悪いがそういうことだ。
 ――きっと、そういうことなんだ。
 俺は布団に横になると、天井を見つめた。
 明日になったら弥生の様子を確かめて、あと六日間をどう過ごすか一緒に考えよう。薫のことも気になるし、沙織も表には出さないがまだショックは癒えてない上に、疲れも溜まっているはずだ。俺が代わりに夕飯を作ってやるなんてのもいいかもしれない。
 そして――こうして俺が思案を巡らせているとき、決まって彼女が現れる。
「……今日はどうした」
 頑なに天井を見続けたまま、俺はハルカに尋ねた。
「まだ声かけてないのに」
「慣れればなんとなく気がつくもんだ」
 俺は体を起こし、ハルカの方を向いた。
「お前も座れよ」
 硬くて冷たい床に直に座らせるのも気が引けるので、俺は部屋の隅から古いクッションを引っ張り出してハルカに渡した。
「……最近ずっとだけどさ、今日も元気ないな」
 唇を固く結んだ険しい表情を浮かべるハルカに、俺は笑いかけた。余裕のない奴と話をするときは、せめてこちらだけでも余裕を持っていなければいけない。母が亡くなってからの沙織と接するときに気がついたことだった。
「悪いニュース、持ってきた」
 沈み込んだ表情でハルカは言う。
「……へえ」
 手詰まり、つまり弥生をループの外へ連れ出す手段はない、それを伝えに来たのだろうか。
 ハルカが重い口を開いた。
「私が助を……」
 そこでハルカは、適切な言い方を探しているのか、言葉を詰まらせた。
「助を見捨てれば、弥生は助かるって」
「俺を見捨てる?」
 それは――。
「俺がこのまま死ねばいい、ってことか?」
 恐る恐る尋ねる。ハルカは何も言わなかった。
 沈黙は肯定。違うのなら違うと言えばいいだけなのだから、それは当然だった。
「ふざけんな」
 俺は小さく吐き捨てた。もちろんハルカに向けた不平ではなく、ハルカにそんな条件を出した偉い神様とやらを呪う言葉だった。
「……ふざけんな」
 もう一度、息だけを音へと変える。空気の冷えた部屋の中では、呟き以下の声でもよく響くような気がした。
「助……マズいよ。助と弥生が出会ったおかげで、助がいろいろ未来を変えたことになっちゃってる。……助のせいじゃないことも、何もかも。それが上の気に障ったみたいなんだ」
 俺だってわかっている。弥生と出会ったことにかこつけて、変えてはいけないことを変えたことは。でも、それはすべて見捨てておけないことだったし、ハルカの言う通り、俺のせいじゃないこと――多くは弥生に起因することだが――もあった。
「悪いけど、俺は死ぬ気はないからな」
 ここで命を懸けられるほど、俺はヒロイズムを持ち合わせていなかった。
「やっぱり、そうだよね」
 俺の臆病さに落胆することもなく、ハルカは頷いた。人の命が安く扱われる世界にあって、ハルカは命の重さというものを心得ている、そんな気がした。
「さて、どうするかな……というか、このままだと何もしなくても助の命が危ないんだけど……」
「脅すのはやめてくれ」
「ホントだよ。なんとか手を打たないと消されかねない」
 ハルカの真剣な目に、心臓を射抜かれる思いだった。
「おいおい……さすがに死にたくないぞ、俺は」
 ハルカは少し考え込むようにしてから、溜め息をついた。
「正直、もう疲れてんだよね……」
「何言ってんだ」
「いや、助と弥生のことを投げ出そうなんて考えてるってわけじゃなくて、今の仕事自体の話」
 シワもシミもクマもない綺麗なはずの顔には、確かに疲れだけが顕わになっている。
「せめて、弥生のことをなんとかするまで踏ん張ってやれよ」
「……わかってる。なんとかするよ」
 俺の「なんとかする」という言葉をそのまま切り取ったように口にして、さらにハルカ言う。
「弥生のことだけは、どうしても助けたい」
「ああ、頑張ってくれ。俺に出来ることがあれば手伝うから」
 事態は俺の手出しできる範疇にないことは明らかだが、気持ちだけでも手伝うつもりでありたかった。
「じゃあ、死んでくれる?」
「その脅しはやめろって言ってるだろ」
 「死」というフレーズは、口角の上がった表情で冗談だとわかっても、ハルカが口に出した途端に鋭い現実味を帯びる。
「お前が言うと、本気にしか思えないんだよ」
 瞬間、ハルカの笑みが悲しさを含んだ。
「……私たちがさ、私たちの世界で何て呼ばれてるか知ってる?」
 唐突な問いだった。それに、俺には答えの知り得ない問いでもあった。
「いや、知らない」
 俺が知っているのは、せいぜい「ハルカ」が偽名であって、ハルカの本当の名前は「ハル」であるということだけだ。
「正確には、私がやってる仕事がそう呼ばれてるだけなんだけどね」
「……なんて?」
 ハルカはタメを作って、自らをこう呼んだ。
「――『死神』」
 背筋に冷たいものが流れ落ちる感覚がした。
「向こうの世界じゃ蔑称でもなんでもなくて、ただの呼び方なんだけどね。弥生にこの話をしたら、さすがにここじゃ嫌がられるみたい」
 死神。確かにハルカは自分のことをそう言った。
 鎌を携えずとも、黒い翼が生えていなくとも、目の前にいる彼女は死神だった。
「いやまあ、それは驚くだろ……俺たちからしてみれば、縁起の悪い存在の代表格みたいなもんだからな」
「死神に憑かれたら、普通は死ぬんでしょ?」
「そっちの方が詳しいだろ」
 今まで俺の目が曇っていたのかと疑うほどに、ハルカの姿が違って見えた。こんなことでハルカを嫌いになろうとは思わないが、ある種の衝撃であったことは事実だ。
「まあ、そうかな。だとしたら弥生は運が良かったんだ」
「お前は大多数の人間より、よっぽど人間らしいとは思うけどな」
 初めて会った時から、この考えは変わっていない。
「それは勘違いかもね」
 そう言って、瞬きの間にハルカは消えた。
 俺には真実を知り得ない世界へ。



「局長」
 雑然としたオフィス。こんなところで働いていても、私は死神だ。
「どうした」
「高宮助の件ですが」
 憎い上司の、笑いを噛み殺している様子も今は気にならない。
「決めたか」
「はい、殺します」
 局長は意外そうな表情をしたが、すぐに口角を歪めた。
「……そうか」
「ついては、彼が死亡した三月三日の件を再び利用する形にしたいのですが」
「どうしてだ? 蘇生手続きをしなければいいだけのことだろう」
 気に入らない、今すぐ殺せと言いたいのが見え見えだ。
「これ以上無理に運命を改変するのは避けたいので。これは局長も仰っていた方針です」
 驚くほど冷静に、そして淡白に、私の口が人一人の命を売る。
「まあ、いいか。だが、どうしてまた殺す気になったんだ? そんな気があるようには全く見えなかったんだが」
「出会って一月の友人と十数年来の親友、局長ならどっちをとりますか?」
 弥生と助を天秤にかけたとき、どちらに傾くのか。それが私を動かす理屈だった。
「わかった。三月三日だな」
「はい、必ず」
 そう言って、私は局長の下卑た笑みに背を向けた。
 私の心も黒く染まった気がした。でも、元々そうなのかもしれない。
 何故ならば、私が『死神』だからだ。

       

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