石
9.五年越しの約束 <12.18>
9
「カルツ……」
男は椅子から立ち上がった。手首に繋がれた鎖を引き摺る音が部屋に響く。
「……サ……ナ……なのか? どうして君がここに……」
「カルツ……カルツだよね……」
サナの顔が歪み、目に涙が滲み出した。涙でぼやける視界の中、ぼんやりと映るカルツにゆっくりと歩み寄る。
カルツもサナに近づこうとするが、鎖に繋がれている為にほとんど進む事ができない。カルツはその場でサナを待った。
「無事で良かった……会いたかった……本当に会いたかった……」
サナが手の届くところまで近寄ると、カルツはサナを抱き寄せた。サナは逆らわずにカルツの胸に飛び込み、頬を押し付けた。堰を切ったように涙が溢れ出し、サナは声を上げて泣いた。カルツは何も言わずにサナの頭を撫で、強く抱き締めた。
サナは泣いてはカルツに口づけ、それが終わればまた泣き出した。それを数回繰り返し、サナの涙はようやく止まった。
「遅く、なって、ごめんね」
カルツに抱きついたまま、擦れた涙声でサナは呟いた。
「僕を……助けに来てくれたんだね」
サナは小さく頷いた。肩が奮え、今にもまた泣き出しそうだ。
「……ありがとう、サナ」
カルツはサナに顔を近づけ、微笑んだ。サナは涙を堪え、何度も頷いた。
「でも一体、どうやってここまで?」
「裏口から入って、兵士もウルも、全部伸してきたの」
カルツは目を見開いた。
「伸したって……サナ、君が一人で?」
「うん」
サナはカルツを見上げ、ようやく笑顔を見せた。
「ばあやが教えてくれたんだ。力をくれる石のこと」
「石……奇跡の石か。僕も昔、ばあやに聞いたことがあるけど……ただのおとぎ話かと思っていたよ」
カルツは抱き締めていたサナの体を少し離し、サナの肩に両手を置いた。真剣な表情でサナを見つめる。
「サナ、ウルは今どこに?」
「寝室の柱に縛りつけてる」
「倒した兵士の数は覚えてる?」
「全部で……七十人くらいはいたと思う。みんな気絶してるだけで、ウル以外は朝までは目を覚まさない筈だよ」
「それなら城の兵士はほとんど残っていないな、よし……」
カルツは手を顎にやり、考えを巡らせた。
その時、階段を駆け下りてくる靴の音が聞こえた。サナがカルツを制し、扉の方を向いて構える。
「誰か来た……大丈夫、あたしに任せて」
靴の音が扉に近づき、カルツの耳にもその音が聞こえた。
「カルツ様! ご無事ですか!」
扉の向こうから聞こえる声に、カルツは聞き覚えがあった。
「ゴラスだ……待ってくれ、サナ。彼は大丈夫だ。僕の味方だ」
サナはカルツを振り向いた。カルツは頷く。
扉のすぐ向こうで兵士の足音が止まる。おそらく、その場に倒れている兵士を見て警戒を高めたのだろう。カルツが扉越しに叫んだ。
「ゴラス! 僕は大丈夫だ、入ってきてくれ」
「カルツ様! よくぞご無事で……」
扉が開いた。
兵士とサナの目が合い、ゴラスは反射的に武器を構えた。
「何奴! 貴様が侵入者か! カルツ様に何を――」
「やめてくれ、彼女は僕の恋人だ。僕を助けに来てくれたんだ」
「は?」
「ゴラス、事は一刻を争う。よく聞いてくれ」
「は……」
「今すぐに信頼の置ける兵士を集める事ができるか?」
「はっ……城内に二十名、城外の三十名ほどならすぐにでも」
「城内の兵士はおそらく、他の兵士と一緒に倒れている筈だ。ゴラス、君が無事だったのは幸運だった……城外の仲間をできるだけ早く集めて、まずウルを拘束してくれ。寝室の柱に縛りつけてくれている筈だ」
「はっ? なんと、あのウルさ……いや、ウルが……しかし、城内の兵士が倒れているとは一体?」
「すまないが、説明は後でする。今はとにかく動いてくれ。ウルを拘束した後は、城内に倒れている兵士のうちウル派の者を拘束。それが済んだら街へ出て、暴力を奮っている兵士達を全て捕らえてくれ。ウルの圧制は今日で終わりだ。街の人達を解放するんだ」
戸惑いの表情を浮かべてカルツの話を聞いていたゴラスの目が輝きだした。直立して敬礼の姿勢を取る。
「はっ! お任せください!」
踵を返し、階段を駆け上ろうと扉を開けたとき、ゴラスはこちらを振り返った。
「しかし、カルツ様をここに残しては……」
「僕は大丈夫だ。彼女もついてくれている」
カルツはサナに目をやり、微笑んだ。サナも微笑んで頷く。
ゴラスはきょとんとした顔で二人を交互に見つめ、ぎこちなく頷いた。
「は……では、行ってまいります!」
数十分が経ち、再びゴラスが部屋に戻ってきた。息を切らし、顔は紅潮している。
「ウル及び、城内に倒れていた者のうちウル派の兵士を全て捕らえ、牢に入れました。他の者は保護しております」
カルツは頷いた。カルツの手首を繋いでいた鎖は既に解かれている。横にいるサナも安堵の表情を見せる。
「ありがとう、ご苦労様。後は街に出ている兵士を拘束し、住民達を解放してくれ」
「はっ」
ゴラスが部屋を出て行く。カルツは彼が開け放していった扉に歩み寄って静かに閉め、サナの方を振り返った。
「これで、ひとまずは安心だ。この国は救われる……本当に君のおかげだよ、サナ」
サナは照れたように微笑み、カルツに抱きついた。カルツはサナを抱き締め、二人は口づけを交わす。
サナの背中にあったカルツの手が、するすると背中を伝い、脇を通り、サナの柔らかな胸に触れた。ぴくんとサナの体が反応し、カルツを見上げる。
「もう何年前になるかな……僕が君の家で最後に言った事、覚えてる?」
サナはその当時と同じ様に頬を赤らめ、頷いた。カルツは微笑んだ。
「次に彼が帰ってきたら、しばらくは寝る間もないほどに忙しくなる。だから……」
「……だから?」
サナは悪戯っぽく笑い、カルツの顔を覗き込んだ。カルツは微笑み、サナの耳に口を近づけて囁いた。
「続きはベッドで」
「……バカ」
カルツはサナを抱き上げ、部屋にある粗末なベッドに優しく下ろした。自分も横に腰を下ろし、サナの首筋に唇を這わせながら服に手をかける。
「さっきの兵士さんが……すぐ戻ってきたら、どうするの」
「一応、カギはかけておいた」
ゆっくりとベッドに押し倒されたサナは、カルツの顔を見上げてぷっと吹き出した。
「じゃあ最初からそのつもりだったんだ」
カルツも顔を上げて微笑む。
「そりゃそうさ。閉じ込められてから数年間、僕は君の事ばかり考えて過ごしてきたんだ」
「……あたしの胸とか?」
「はは、それもある。でもそれ以上に」
「あっ……」
少しずつ顕わになるサナの肌に、カルツは優しくキスを落としていく。
「君の笑顔を思い出さない日は、一日もなかった――」