Neetel Inside 文芸新都
表紙


3.この国では育たない <9.24> <9.30>

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  3

 トーニが殺されてから二週間が過ぎた頃、ロイ達の部屋に新しい住人が加わった。ロイがこの部屋に入って以来、同僚が増えるのは初めての事だった。
「ここがお前の部屋だ。詳しい事はそこの奴らに聞いておけ」
 見知らぬ女を連れてきた兵士はそれだけ言って、部屋を後にした。
 残された女は立ったまま腰に手を当て、眉をひそめながら兵士の去っていった方角を見つめている。
 ちょうど食事をしていた同僚達は、手を止めて女性を見上げた。
「何の説明もなし? 失礼な人だな……」
 女の呟きに、ロイ達の顔はさっと青ざめた。もし兵士に聞かれれば、大変な事になる。
 数秒間の息苦しい沈黙があった。
 しかし、兵士が血相を変えて戻ってくる事はなかった。
 女は平然とした顔で軽く溜息をつき、座っている同僚達に顔を向けて微笑んだ。
 美しく成熟した女性を思わせた後ろ姿とは裏腹に、振り返った彼女は、少し幼さの残る顔立ちをしていた。
「あたし、サナ。よろしくね」
 同僚の大半は返事をせず、無言でサナから顔を背けて食事に戻った。兵士に悪態をつくような者には関わらない方がいいと判断したのだろう。
 ぽかんとサナを見上げていたレイリが思い出したように会釈し、立ち上がってサナの分の食事を用意し始めた。レイリの隣に座っていたロイも、それを見て腰をずらし、サナの座る場所を空けた。手でサナを隣に呼ぶ。
「ありがとう」
 サナは微笑んで、ロイの隣に腰を下ろした。
 しばらくして、レイリがスープの入った皿とパンを持って戻ってくる。サナはレイリにも微笑みかけて礼を言い、スープを口に含んだ。既に冷めていた上に、ほとんど味のないスープに顔が歪む。
「なに、これ……」
 やっとの思いでスープを飲み込んだサナが、苦虫を噛み潰したような顔でロイとレイリを見た。レイリが申し訳なさそうな表情を返す。
「ごめんなさい、味付けが塩だけなので……」
「そうなんだ、なるほど……」
 それでは仕方がない、といった様子でサナはパンをかじった。
「私はレイリと言います。よろしくお願いします、サナさん」
 パンを飲み込んだサナが微笑んだ。
「あ、サナでいいよ。よろしくね、レイリ」
 レイリは静かに微笑んで返した。サナは二人に挟まれて座っているロイに目をやった。
「君は何て言うの?」
「……僕は、ロイ」
「よろしくね、ロイ」
 ロイは軽く頷いた。サナは改めて他の同僚達を見回したが、彼らは一様に俯いており、こちらを避けているようにも見える。
 サナは二人に顔を近づけて囁いた。
「なんか暗いね、みんな」
 レイリは困ったような顔をした。ロイは唇を噛んで顔を上げ、真剣な顔でサナを見つめた。サナはきょとんとする。
「サナさん」
「呼び捨てていいよ」
「……サナ」
「なぁに?」
「さっきみたいな事は、言わない方がいい」
「ん、さっきみたいな事って?」
「兵士に向かって、何か言ってただろう」
 サナは首をかしげた。
「あたし、何か言ったっけ」
「失礼な人だ、とか何とか」
「ああ」
 サナは手を打った。
「言ったね、そういえば。でも多分、聞こえてないよ」
「そういう問題じゃない」
 ロイのはっきりとした口調に、サナは怪訝そうな顔をした。ロイは声をひそめて続ける。
「少しでも逆らえば殺される。君だって分かってるはずだ……それだけで、この部屋の全員の命が危険に晒されるんだぞ」
 サナの表情が強張った。真剣な瞳でロイを見つめる。
 そのままの状態で数秒が経ち、サナは溜息をついた。
「……あたしさ、この国の人じゃないんだ」
「えっ?」
 ロイが思わず声をあげた。隣ではレイリが驚愕の表情を浮かべ、口を両手で塞いでいる。
「あちこち渡り歩いて生きてきたんだけどね、なんか歩いてたら突然捕まっちゃってさ」
 呆然とする二人に、軽い調子でサナは話す。俯いている他の同僚達も、顔こそ上げないが耳はサナ達の話に集中していた。
「この国の噂は聞いてたし、捕まえてきた兵士も確かにやばそうな感じだったけど、そんなに酷い所だったとはね……」
 ロイはサナの不幸に同情した。こうなってしまった以上、もう彼女に先はないだろう。自分達と同じように。
 ロイはそれから数十分かけて、自分達に課せられた奴隷同然の生活をサナに説明した。

 次の日から、サナはロイ達と同じ場所で仕事に就いた。女は男に比べて多少、仕事の量を加減されるが、厳しい肉体労働であることに変わりはない。
 サナは手際よく仕事をこなしながら、監視役の隙を見て時おりロイに近づき、小声で話しかけた。ロイは彼女に黙るように注意するだけで、最初は相手にしなかった。
 それでもサナは懲りずにロイに話しかけた。彼女は他の同僚にも話しかけていたが、ロイ以外の人は反応すら示さない。
 あまりにしつこく話しかけてくるサナに、ロイは不機嫌そうに振り返った。
「いい加減に――」
 ロイはその時、サナの様子に違和感を覚えた。常に激しく身体を動かしている労働中にもかかわらず、サナは涼しげな顔をしており、息もまるで乱れていない。
 ロイはぽかんと口を開け、少しして声を漏らした。
「君……随分、タフなんだね」
 サナは得意そうにロイを見上げ、微笑んだ。
「まあね、元気なのはあたしの取り柄だから」
 サナにつられ、ロイの表情が少し和らいだ。
 それから二人は仕事中に時々、会話を交わすようになった。

     


「ただいまぁ」
「おかえりなさい」
 部屋に戻ったサナの挨拶に、レイリが穏やかに微笑んで返す。
 サナの後ろに続いて部屋に入ったロイは、無言で二人のやりとりを聞いた。
「あー、お腹すいた」
 サナはレイリの横をすり抜けて、そのまま部屋の奥に進んでいく。レイリがロイを見つめた。
「おかえり、ロイ」
「……ただいま」
 二人はそのまま少しの間、見つめ合った。
 すぐに後ろから同僚が部屋に戻ってくる。
 レイリは食事の準備にかかり、ロイはいつもの場所に腰を下ろした。
 サナはロイが横に座るとすぐに口を開き、ロイに話しかけた。食事の準備を終えたレイリもそこに加わる。
 話しているのはほとんどサナ一人で、ロイとレイリは彼女の話に相槌をうつ役目だった。他の同僚達は話に加わることはしないものの、サナの話に耳を傾けており、時おりその話にぷっと吹き出してしまう者もいた。
 サナが来るまでは、例え兵士がいない日であってもこの部屋にはほとんど会話がなかった。挨拶すらせず皆無言で食事を済ませ、眠りにつくだけだった。
 以前と比べ、奴隷同然の生活は何も変わっていない。にもかかわらず、ロイはいつも感じていた身体の疲労が軽くなっているように思えた。

 その夜、眠りについていたロイはふと目を覚まし、朦朧としたまま身体を起こした。壁にもたれて顔を上げると、その先で眠っているはずのサナがいない。
 便所にでも行ったのだろうと、ロイは特に気にもせず再び横になり、ほどなくして眠りの世界に引き込まれた。

 次の日、水の入ったバケツを両手に持って運んでいたロイに、同じくバケツを持ったサナが近づき、耳打ちした。
「レイリのこと、好きなんでしょ」
 ロイはバランスを崩し、バケツを落としそうになった。なんとか体勢を立て直し、サナを見る。
「何を突然……」
 サナはロイを見上げ、にんまりと笑った。
「顔、赤いよ」
「……別に赤くないよ」
 ロイはむっとした表情でサナから視線を逸らし、歩き始めた。
「隠してもだめだよ、見てればわかるもん。二人の関係」
 サナは軽々と両手のバケツを持ち、ロイの後について歩く。
「あたし、ちょっと嬉しいんだよね。やっぱりどんな状況でも愛は育まれるんだなぁって思っ――」
 ロイが突然足を止めた。サナも慌てて立ち止まる。
「ちょっと、いきなり止まらないでよ。ぶつかるかと思った」
 ロイが静かにサナを振り返った。その真剣な表情に、おどけていたサナは怪訝そうな表情を見せる。
「何、どうしたの?」
 ロイは溜息をつき、目線を地面に落とした。
「この国で……愛なんて育たない」
「えっ?」
「君も女性だから、早く話さなきゃいけないとは思ってたんだ……すまない」
「突然謝られても、わけが分からないよ」
「……今夜、詳しく話すよ。少し長くなるかもしれないから」
 ロイはそこまで言うと、再び歩き出した。それ以上は、サナがいくら聞いても答えなかった。
「わかった」
 諦めたサナは最後にそう言った。その後、二人はその日の仕事が終わるまで、一言も会話を交わさなかった。

 その夜、同僚達が皆寝静まった後、ロイとサナは部屋の外に出た。外に人工の照明はなく、月明かりだけが二人を照らしている。
 話すことを躊躇っているのか、ロイはしばらく無言でいる。痺れを切らし、サナの方から切り出した。
「あたしが女だから話すことって、なに?」
 ロイは唇を噛み、微かに頷いた。
「君は……今、何歳?」
 サナは一瞬きょとんとしたが、少し笑ってロイを見上げた。
「いくつに見える?」
「……顔だけ見れば、僕と同じくらいかな」
「うわ、なんかいやらしい。じゃあ首から下はどうなのよ」
 ロイは溜息をついた。
「……真剣な話なんだ」
 サナは少し頬を膨らませ、すぐに元に戻した。
「はいはい、ごめんなさい。ロイは十六だっけ? だいたい合ってるよ、あたしは十五。レイリと同じだね」
「そうか」
 ロイは再び黙り込んだ。サナが先を促す。
「それがどうかしたの?」
「……この国を知らない君にとっては、かなり酷い話になる。できるだけ冷静に聞いて欲しい」
「わかった」
 ロイは少しの間、また黙り込み、首を横に振ってから話し始めた。
「この国では……女性は十八歳になると、強制的にある部屋に移される。そこで彼女達は……」
 ロイは言葉に詰まった。サナは黙ってロイを見つめている。
「その部屋に移された女性達は……国の兵士達に……」
 ロイは歯を食いしばった。母が目の前で犯された光景が脳裏に蘇り、耳に母の嬌声が鳴り始める。
 サナはロイの口にそっと手をあてた。
「もういいよ。その先は……大体、わかる」
 ロイはサナを見つめた。彼女には自分の運命を悲観する様子は見えず、むしろ目の前にいるロイを哀れんでいるようだった。
 ロイは口にあてられたサナの手をどけ、サナから顔を逸らした。
「……ごめん」
「うん。って別にロイが謝ることじゃないけどね」
 ロイは再び黙り込んだ。サナはふぅっと息をつく。
「レイリのこと、好きなんでしょ」
 昼と同じサナの質問に、ロイは少し間をおいて、微かに頷いた。
「どうするの?」
「……どうするって?」
「レイリが十八になったら」
 ロイは顔を上げた。目を見開いてサナを見つめる。サナは平然とその視線を受け止めた。
「どうもしないの?」
 ロイの顔が歪んだ。心を貫いてくるような言葉を容赦なく浴びせてくるサナに、怒りさえ覚えた。
「君に何がわかる……」
 ロイは拳を握り締め、肩を震わせている。サナは答えない。
「仕方のないことなんだ。僕の力じゃ何もできないんだ。僕の……父も、母も、国に殺された。同僚も友達も、たくさん殺された。でも僕は何もできなかった」
「それで、これからも何もしないんだね」
「黙れ!」
 叫んだロイの目には涙が浮かんでいた。サナは悲しそうな目でロイを見つめ、一つ息を吐いてから夜空を見上げ、呟いた。
「仕方ない……か」
 ロイはサナを睨みながら、服の袖で涙を拭いた。サナは空を見上げたまま、誰に言うともなく続ける。
「この国の人達は……人として生きてるって言えないよね。暴力に怯え、未来に夢も希望も持たず、ただ毎日課せられた仕事をこなして……それでも生にしがみついてる」
「他人事みたいに言うんだな。君だってこの国に入った以上、僕達と同じだよ」
 サナはロイに背中を向けて両手を組み、頭上に高く上げて身体を伸ばした。
「あたしには、生きる目的があるよ」
「え?」
 聞き返すロイにサナは振り返り、微笑んでみせた。
 ロイは思わず顔の前に手をかざした。一点の曇りもない、眩しい笑顔だった。
「その為に、あたしは命の全てを懸けてる」

       

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Neetsha